84話 「イポス」


 杖を突いた老人は、魔物が徘徊する街の中を臆することなく歩く。

 襲い掛かる獣は、老人に牙を立てることなく真っ二つとなって地面に転がった。


 数十とも数百とも分からない膨大な数の獣の死体が、老人の歩いた道に散乱していた。逃げ出した獣すら体が切断され、辺りに濃密な血の臭いが充満する。


 老人の身に纏う緑色のローブには返り血は見られない。

 ただ杖を突いて歩く。それだけだ。



 ◇



 街の西はどこも瓦礫の山だった。

 人の死体が物のように放置され、中には原型をとどめていない物も見える。

 街の西門があっただろう外壁は壊され、そこから魔物や魔人が侵入したことが分かった。


 荒れ果てた場所に二人の男女が居た。


 男は紫の鎧を身につけ皮膚は青白い。体格はアーノルドさんに似ていて、男らしい大柄な印象を与える。顔は鼻筋が通っていて男前であり、髪は燃えるように赤い。傍には五mもあるだろう大剣が地面に刺さっており、柄の部分からは鎖が垂れさがっている。


 もう一人の女は、紫のローブを羽織り頭にはフードを被っていた。容姿は確認できないけど、胸のふくらみや雰囲気から女性だと認識できる。


 男は地面に座って何かを飲んでいた。

 風に乗って鼻に届く臭いは、アルコール臭がする。恐らく酒だろう。女性はその様子を見ながら、一歩引いた場所で立っていた。


「そこで見ていないで、こっちに来たらどうだ? ヒューマンよ」


 男が太く低い声で僕に話しかける。

 消していた気配を出すと、瓦礫の陰から姿を見せる。


「貴方達がこの国を滅ぼした魔族ですね」


「その通りだ。俺の名は【イポス】。後ろに居るのはメイと言う。お前はただのヒューマンではなさそうだな」


「僕は英雄の大友達也です。すぐに魔物や魔人を引かせて、この国から出て行ってください」


 僕がそう言うと、男と女は笑う。


「ふははははっ、なかなか面白いヒューマンだ。気に入ったぞ。お前、俺の配下にならないか?」


「お断りです。逃げないと言うのであれば、僕と戦うことになりますよ?」


「なら話は早い。少々退屈をしていたところだ。力づくでねじ伏せて、俺の配下にしてやろう」


 イポスは立ち上がると、手元にある鎖を一気に振り上げる。

 鎖に繋がった大剣は地面から引き抜かれると、空中でクルクルと回転し、落ちてきたところでイポスの手に握られた。


「イポス様、どうやらもう一人客人が来たようです」


 メイが微笑みながら言葉を告げると、視線の先に緑のローブを身につけた老人が居た。グリム様だ。


「グリム様、危険です! ここは僕が!」


「そう慌てるでない。儂は賢者だぞ? お主はそちらの男を倒せばいいのだ」


 グリム様は白い髭を左手で撫でると、感じたこともないほど鋭く洗練された気配が漂い始める。周りには赤いオーラが湯気のように揺らめき、老人とは思えない程力強い。


「ほぉ、賢者か……戦う相手を変えた方が良さそうだな」


「魔族よ、儂よりもその大友の方が遥かに強いぞ? こんな老いぼれと戦うより、楽しめるのではないかの」


「賢者よりも強いのか。ならば問題はないな」


 イポスはどうやらグリム様よりも僕と戦う事を選んだようだ。


「では賢者とは私が」


 メイはグリム様と相対した。

 イポスもメイも強烈な気配を放出していた。明らかに、以前戦ったオリアスよりも格上だ。隙も無く、わずかにだが闘気を纏っている。


「では、俺から行くぞ」


 イポスの声が聞こえた刹那、目の前に大剣が振り下ろされる。


「うぐっ!」


 槍で防いだが、激烈な威力に僕は弾き飛ばされた。

 木造の建築物に激突し、二軒ほど貫いたところで石造りの家の壁にめり込んで制止する。


 僕はすぐに瓦礫をかき分けて這い出ると、自分の手がしびれていることに気が付いた。防いだだけでこの威力だ。奴が本気を出せば、どれほどなのだろう。


「なんだ、結構頑丈じゃないか。確かにあのジジイを相手にするより楽しめそうだな」


 建物の屋根から僕を見下ろすイポスは、大剣を肩に担いでニヤニヤと笑っていた。


「貴方は何者ですか? これだけの力を持っていると言う事は、あのオリアスよりも格上ですよね?」


「オリアスだと? もしかしてお前、クソ蜘蛛のオリアスを殺したヒューマンか?」


「クソ蜘蛛のオリアス?」


「奴は弱いくせに、口だけはべらべらと良く動く魔族の面汚しだ。魔族四強の一人である俺に歯向かおうとした度胸だけは認めていたが、最近王国のヒューマンに殺されたとか聞いたな。愚かな男だ」


 予想通りとは言わないけど、やっぱりオリアスは魔族の中で相当弱かったようだ。それよりも魔族四強という新たな言葉に興味を抱いた。


「貴方は魔族四強の一人なのですか?」


「魔王様の次に強いのが魔族四強だ。俺はその中の一人だ。怖くなったか?」


「いいえ。興味があったので聞いただけです」


「やっぱり、お前は面白いな」


 イポスは跳躍すると、放物線を描きながら大剣を振り下ろす。

 避けると、剣が振り下ろされた直線状に建物が両断された。無意識だが、闘気を使っているようだ。さすが魔族と言ったところ。センスが人間とは比較にならない。


「オーラスラッシュ!」


 奴の着地の瞬間を狙って放った三日月状の闘気。

 危険を察知したのか、すぐに地面を転がって避けてしまう。


「今のはヤバかったな。時々いるのだ、俺たちに傷をつける奴が」


「ヒューマンだと甘く見ないことですね」


「なるほど、それは一理あるな。つい油断していた」


 イポスはニヤリと笑う。本当に楽しくて仕方がないと言った表情だ。


「戦いは楽しいですか?」


「当然だろう。魔族は戦う為に邪神により創り出された種族だ。弱き者を踏みにじり、大地を支配するために生まれた。愛だの友情などと陶酔するヒューマンとは根本的に違うのだ」


「そうですか。でもリリスは僕達の事を分かってくれますよ? 本当に魔族とは理解し合えないんですか?」


「リリス? あのリリスか? そうか、最近見かけないと思っていたがヒューマンの側に付いていたか。あの者は例外だ。アレは魔族でも変わり者だからな」


 何となく分かっていた。リリスは魔族の中でも特殊な存在だと。

 出会った時から、彼女は僕達人間に興味を抱いていた。いつも僕やメンバーを観察して、何故そう思うのかを聞いていた。だから僕は、もしかすれば魔族と共存できるかもと思ったんだ。でも、それはリリスだからだ。


「愛することが分からないなんて、可哀想な種族なんですね」


「俺達魔族からすれば、お前たちが可哀想な生き物に見えるがな。まぁ、そのおかげで俺達が楽しめる訳だから、女神は良い種族を創ったものだ」


「楽しめる?」


「ああ、楽しいぞ。ヒューマンの夫婦から子供を取り上げて、目の前で殺す瞬間は実に愉快だ。奴らは絶望と怒りのあまり、発狂してしまうのだからな」


 僕はイポスに一瞬で肉薄すると、怒りに任せて槍を振り抜く。

 金属音と火花が散って、大剣を盾にしたイポスは遥か後方へと弾き飛ばされた。


「ふははははっ! 怒ったか! 良いぞ、もっと怒れ!」


 全身に闘気を漲らせ、イポスを追いかけては何度も槍を振るう。奴は巧みに大剣で斬撃を防ぎつつ、バックステップで逃げていた。


「僕はお前を絶対に許さない!」


「良い顔だ。殺すにはそれくらいでないと張り合いがないからな」


 奴はそのまま建物の屋根へと飛び移る。僕も追いかけて屋根へと移動した。


「知っているか、俺が何故こんなにも大きな剣を使っているのかを」


 イポスは剣を肩に乗せて、僕を見ている。


「そんなことは知らない」


「だろうな。これは俺がちょうどいいサイズを探して見つけたものだ。普通の剣では軽すぎて使い物にならなかったからなんだが、これくらいになるとちょっとしたことでは壊れなくなる。こういう使い方をしたとしてもな」


 奴は大剣に魔法を行使した。

 長く大きな刀身が真っ黒に発熱し、離れていても熱を感じる。剣の近くにある物は焼け焦げ、ぼっと炎が生じた。気が付けば、奴の立っている場所は火の海になっていたのだ。


「この技を使うのは久しぶりだ。お前は何分耐えられるかな?」


 熱風が僕の皮膚を焦がす。

 熱さだけでなく、焦りから汗が流れた。


 単純だが強力な攻撃はすぐに予想できる。いくら僕が斬撃を防いでも、熱だけは遮断できない。しかも戦いが長引けば長引くほど、そのダメージは蓄積される。卑怯なほど有効な攻撃手段だ。


「さぁ、いつでも来い。もっと楽しもうじゃないか」


 再び走り出した僕は、闘槍術を使う。



 闘槍術 【トルネードチャージ】



 矛先から竜巻が巻き起こり、イポスを吹き飛ばす。

 だが、空中でくるりと回転すると屋根に着地。そのまま素早い動きで、僕に接近した。


 高熱を宿す大剣が何度も振られる。そのたびに僕は、ギリギリで避けた。髪は焼け焦げ、皮膚は炙られる。近くに居るだけで、焼け死んでしまいそうだ。


「うげぇ!?」


 奴の蹴りが僕の鳩尾にめり込む。

 剣に意識を集中していたせいか、蹴りは予想外だった。みしみしと骨をきしませ、後方へと飛ばされた。そのまま街の中心部に建つ、時計台の壁へと激突する。


 瓦礫の中で強烈なダメージに恐怖を感じた。

 恐ろしく強い。死がひたひたと後ろから迫ってきている気がする。


「早くでてこい。生きているのは分かっているぞ」


 声が聞こえた。イポスだ。


「仕方がない、あぶり出してやろう」


 僕の居る時計台が、奴の創り出した黒い火球によって爆発する。

 皮膚が焼かれ瓦礫が次々に降り注ぐ。


 どうして僕はこんなにも、痛い思いをして戦っているのだろう?


 奴に勝って死んだ人たちが戻ってくると言うのか?


 そんな気持ちが沸き起こった時、脳裏に霞がよぎった。

 大切な誰かを失う苦しみを僕は知っている。


 決して奴を許してはいけない。


 僕は脳活性ブレインアクティビティを使って、思考を高速化させる。

 そして、武装闘術スピリットオブコンバットを使用する。


 光り輝く鎧に身を包むと、瓦礫を押し退けて空へと上昇した。


「出て来たな!」


 黒い火球がいくつも放たれ、追尾ミサイルのように高速飛行する僕を追いかける。執拗に追いかけて来る火球へ、光の火球を創り出して迎撃した。


「それがお前の本気か」


 イポスは気味の悪いほどの笑みを浮かべている。近くの屋根へ降り立った僕は、武将の如く槍を構える。


「貴方も本気を出した方がいいですよ」


「ふははっ、それはお前の実力を見てから考える」


「そうですか……」


 僕は紫外線で縄を創り出すと、イポスを一瞬で縛る。


「なんだこれは!? 見えない縄か!?」


「紫外線と言って見えない光ですよ」


 ぶすりとイポスの腹部へ槍を刺した。


「うぐぅぅがああああああ!?」


 身動きが取れず、奴は痛みに叫ぶ。

 僕はトドメをするべく、首めがけて槍を振る。


「させるかぁぁあああああ!」


 強烈な光と熱が放出され、大爆発を起こした。

 爆風に飛ばされながらも空中で姿勢を安定させると、先ほどまでいた場所は黒煙が昇り黒い炎に包まれていた。


「遊びは終わりだヒューマン……」


 ゆらゆらと熱によって景色が歪む。

 炎の中から一人の男が出てきた。


 身体には真っ黒な鎧が全てを覆い隠し、大きさは先ほどと比べると二倍はあるだろう。まるでロボットのような頑強な装甲に、表面は高熱を帯びているのか今も周りの景色は歪んで見える。

 額からは一本の角が生えており、一言で言うのなら黒き鬼。無差別に殺意をばらまき、赤い眼がギラギラと光っている。



 とうとう魔族四強のイポスが本気になったのだ。




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