83話 「魔族の軍勢」


「王手じゃ」


 ぱちんと盤に駒が置かれ、僕の王様は完全に囲まれてしまった。どこにも逃げ場がないと確認すると「まいりました」と呟く。


「――って、こんなことをしている場合じゃない! 早く聖教国へ行かないと!」


 僕は立ち上がって、対戦相手だったグリム様へ訴える。


「これでも飛行船の速度は最大じゃ。もちろん、お主が聖教国の場所を知っているなら、急いで飛んでゆけばよい」


「うぐぐ……」


 力なく床に座る。

 僕とグリム様は先ほどまで将棋をしていた。いや、似たゲームと言うべきだろうか。駒や盤はチェスに似ているけど、ルールはまるっきり将棋にそっくりなのだ。たまたまグリム様が持ってきていたらしいのでゲームに誘われたけど、負けたのはこれで三十回目。


「大友は直情的すぎるの。いずれも正面から突撃をしようとする」


「でも、こんなことをしている場合では……」


 グリム様は杖で僕の頭を叩く。痛い。


「お主の悪いところはそこじゃ。感情に走り、焦りが全てに影響を及ぼしておる。将棋で負けたのもそれが原因だ」


「おっしゃることは分かりますけど、今は将棋をしている状況じゃありません」


「ふむ、では聞くが聖女と王国のどちらかしか助けられない状況になった時、お主はどちらを選ぶ? 聖女か? それとも万の民が住む王国か?」


 必死で考えてみるが、感情ではセリスを助けたいと思いつつも、冷静な判断は王国を救うべきだと言っていた。でも、どちらも見捨てられない。


「悩んでいるようじゃな。これの正しい答えは存在しない。聖女を救おうが、王国を救おうがどちらも正解であり間違いである」


「じゃあどちらかを切り捨てないといけないと言う事ですか?」


「戦いとは残酷じゃ。時として何かを捨てなければならぬ。お主も将棋では、王を助ける為に駒を切り捨てたではないか。それと何が違う?」


 僕は反論する言葉が見つからなかった。

 グリム様は話を続ける。


「じゃが、優れた知識と精神は両方を救う。お主が救いたいものが何であるかを、もっとよく考えるべきじゃ」


「僕の救いたいもの?」


「そうじゃ。お主には力がある。それを上手く使うのは誰でもないお主自身じゃ。全てを救いたければ、一歩引いて物事を俯瞰せよ。情に流されるな。目的を達成するために、英雄としての心を身につけるのじゃ」


 グリム様の言葉は重く心に圧し掛かった。全てを救いたければ、救える実力を身につけろと言っているのだ。


「分かりました。もっと冷静になります」


「それでいい。素直な所はお主の美徳じゃな」


 グリム様は将棋を片付けると、立ち去って行った。


「グリム様があんなにも熱心に指導される姿は初めて見た」


 近くに居たフィルティーさんが、僕へ話しかけた。


「そうなんですか? まぁ、最近はまじめな感じがしますね」


「恐らく、それだけ大友に期待をしていると言う事だろう。四人の賢者様は、真の英雄をずっと探していたと聞くからな」


「そう言えばシヴァ様もそんな事を言ってたかなぁ。それが僕ってことなんですか?」


「さぁ? 私には何とも言えないな。だが、英雄とは戦乱に現れるとは聞いたことがある」


 戦乱か……とうとう魔族たちが動き出したと考えていいのだろう。リリスはそのことをどう思っているのだろう?


「すーすー」


 リリスを見ると、布団に包まって眠っていた。

 眠ることが大好きな彼女らしい姿だ。そんな姿を見て、どことなく霞に似ている気がした。もちろん霞の寝顔を見たことはないから、本当に似ているかは分からない。それでも心が穏やかになった。


「間もなく聖教国へ到着します!」


 操縦をしている騎士の声が聞こえて、僕達は景色を見る為に甲板を走る。


 地平線にはいくつもの黒煙を昇らせる大きな街が見えた。

 中央には宮殿のような建物が見え、緑色のドームがすっぽりと包み込んでいる。


「あのドームみたいなものはなんですか?」


 横に居たフィルティーさんが少し考えて答えた。


「もしや大聖堂を守る聖結界ではないだろうか。魔族や異教徒の攻撃を防ぐために、そのような仕掛けが存在すると耳にしたことがある」


「と言う事は大勢の人が大聖堂に避難していると言う事ですね。じゃあセリスもそこに居るはずです」


「その可能性は高いだろう。きっとデザイト様と聖王様のご加護のおかげだ」


 フィルティーさんは両手を組んで祈りを捧げる。

 そこへグリム様が杖を突いて現れる。


「この飛行船は一度だけ低空飛行を行う。お主たちは飛び降りて地上に居る魔物たちを一掃するのじゃ」


 僕達は静かに頷く。

 すでに装備は整っている。いつでも戦える状態だ。


「低空飛行に入ります!」


 騎士の声が聞こえ、飛行船は高度を下げる。

 流れる景色がどれほどの速度を出していたのか理解させた。


 次第に見えて来るボロボロになった街並みに、誰もが悲しみの感情を抱かせたことだろう。多くの獣が石畳を駆けまわり、逃げ惑う人々が見える。


「僕は先に飛び降ります! 皆さんは安全な場所で降りてください!」


「ちょ、達也!」


 リリスが止めようとしたが、僕は迷うことなく船から飛び降りた。高さは二十mくらいだけど、今の僕なら問題ない。


 噴水がある広場へ着地すると、アストロゲイムを握りしめて走り出す。


「助けてくれ!」


 男性たちが全長約七mほどもある、ネズミに追いかけられていた。毛並みは灰色だが、至る所に血の跡が見られ執拗に人間を追いかけている。


「皆さんそこの家に隠れて!」


 彼らの進行方向へ回り込んだ僕は、空き家らしきドアを開けて彼らを誘導する。彼らが空き家へ逃げ込むと、僕はネズミへ攻撃を繰り出した。


「闘槍術 スパイラルショット」


 回転を加えた闘気を、矛先から弾丸状に飛ばす遠距離攻撃だ。今は一発ずつが限界だけど、威力に関しては申し分ない。ネズミは顔からお尻にかけて直線の穴が空いて絶命した。


 だがまだ終わりじゃない。騒ぎを聞きつけて、多くの魔物が集まって来る。


追尾光線球レーザーレイン


 このあたりの魔物を一掃するために、僕は光の球を十個ほど空へ放つ。すぐに球体から何本もの細いレーザーが射出され、潜んでいた魔物たちへ雨のように攻撃を開始した。


「あんた何者だ……」


 建物から出てきた男性たちは手に食べ物を抱えており、僕を恐怖と期待が入り混じった眼で見ていた。


「僕は王国から来た英雄の大友達也です。誰か怪我はしていませんか?」


「一人だけ腕を負傷している。それよりも王国の英雄と言うのは本当なのか?」


「はい、この街から魔族を追い払う為にやってきました」


 彼らは声を上げて喜んだ。抱き合い、そして涙する。

 その中の一人が腕から出血をしているようだったので、ストレージリングから水と包帯を取り出して手当てをする。


 話を聞けば、百人ほど街の中に隠れているそうだ。

 彼らは食糧を調達するために外へ出たらしい。


「じゃあそこまで案内してください。僕は大量に食糧を持っていますので、皆さんの助けになるはずです」


 男性の代表者らしき人物が発言する。


「それはありがたいが、助けはあんただけなのか? 軍は? 他の英雄は?」


「軍や他の英雄は、現在帝国との戦争の事後処理に当たっています。ここへ来たのは僕の仲間と、賢者グリム様です」


「賢者が来ているのか!?」


 ざわざわと男性たちは驚きに包まれているようだ。

 他国であっても賢者の名は知られている。その影響力は大きいらしく、どんな権力者でも必ず賢者にひれ伏すと言われるほど。デザイト教を信仰しているこの国でも、賢者の存在感は圧倒的のようだ。


 代表者は恐る恐る僕に尋ねる。


「王国は俺達を見捨てたわけじゃないよな? そうなんだよな?」


「もちろんです。賢者様と英雄である僕が来たことが何よりの証拠です」


「ありがとう。本当にありがとう。俺達は王国に護られていることを忘れてしまっていたんだ。だから助けに来てくれて……う゛う゛ぅ……」


 男性は口を手で押さえると、嗚咽を押し殺した。

 どれほど恐怖を感じ、どれほどの物を失ったのか僕にはわからない。ただ彼の悲しみは一言では言い表せないほど深い物のように感じた。


「元気を出してください。ひとまず避難している場所へ向かいましょう」


「ああ、そうだな……」


 僕を先頭に歩き始めると、男性たちの案内で避難所を目指す。

 彼らは路地裏を選び、どんどん細い道に誘導する。最後には魔物が入れないような狭い場所に来ると、壁にある小さな扉を三回ほど叩いた。


「誰?」


 扉の向こうから声が聞こえると、男性の代表者が返答する。


「俺だ。すごい情報を手に入れた。それに食料もある」


 ドアが開けられると、血が付いたエプロンを身につけた女性が立っていた。


「入って」


 女性の指示に従い、僕達は薄暗い部屋の中に案内された。

 中では大勢の人の息遣いが聞こえ、床に置かれた一つだけのランプが周りに居る人間の顔を浮かび上がらせている。


「それでいい情報ってのは?」


 中年女性の声に、男性の代表者は僕を指さした。


「彼は王国の英雄だそうだ。しかも今この国に、あの賢者が来ているらしい。これはデザイト様の御導きだ」


「英雄? この坊やが? 賢者ってのも怪しいね」


 中年女性は僕に疑いの目を向ける。男性たちは戦いを見たからすぐに信じてくれたけど、見た目だけなら僕はまだ子供に見えるだろう。


 そこで床に向けてストレージリングから食糧を取り出した。

 ドサッと山積みにされた野菜や肉が現れて、部屋の中は違和感を感じるほど静かになった。中年女性を見ると、眼を見開いて固まっている。ああ、驚いたのか。


「この食糧を皆さんで食べてください。魔族たちを追い払うには、どれくらい時間がかかるか分からないので、その間の食糧です」


「い、いいのかい?」


「はい、それに包帯や薬草も置いて行きますね」


 僕はさらに荷物を出すと、彼らの眼は次第に輝きを取り戻していった。子供を抱えた母親は何度も僕にお礼を言って、大勢の人が入れ替わって僕と握手をする。


「では僕は行きます。皆さんはくれぐれも気を付けてください」


「もちろんだ。君も気を付けて」


 男性に見送られて、僕は建物の中から外へと飛び出した。


「ぐぎゃぁ!」


 獣の声が聞こえ、地面がわずかに振動する。

 表通りに出たところで、強い気配を感じた。


「おいおい、まだヒューマンが居たのか」


 声に視線を向けると、赤黒い猪に乗った人間を見つけた。

 いや、よく見れば人間とは言い難い、薄緑色の皮膚をしている。それに顔は豚に似ていて、ぶよぶよに垂れ下がった頬や腹は極度の肥満体型。所々に金属の防具を装備し、腰には二mもあろう黒光りする金棒を備えている。


 すぐに魔人のオークだと気が付いた。


「すぐにこの街から出て行ってください」


 槍を構えると、オークは鼻を鳴らして笑う。


「面白い冗談だ。おい、ブルグ食べていいぞ」


 オークは全長六mほどもある猪の背中を叩いた。

 ブルグと呼ばれた猪は、荒々しい息を吐きだすと猛然と駆け出す。目標は僕だ。


「オーラスラッシュ!」


 槍を振り下ろすと、三日月状の闘気が放たれる。

 オークは危険を感じたのかすぐにブルグから飛び降りると、闘気は音もなく猪の身体を真っ二つに切断した。


 地面に倒れた猪の身体からは大量の血液が噴き出し、地面に大きな血溜まりを作り出す。オーク舌打ちすると、すぐに金棒を構える。


「ただのヒューマンじゃねぇな」


「僕は王国の英雄だ。この街から出て行かないと言うのなら消えてもらうよ」


「ガキが偉そうに!」


 オークは跳躍すると、降下と共に大きな金棒を振り下ろす。

 すぐに避けると、金棒が振り下ろされた場所は石畳を砕いて陥没する。


「下っ端の魔人でも力はあるんですね」


「あ? 俺様を下っ端だと?」


 僕の挑発にオークは怒気を放つ。


「そうじゃないんですか? あのバルドロスよりも弱そうですし」


「あんなはぐれ魔人と一緒にすんな! マジでキレたぜ! 生きたまま内臓を抉りだしてズタズタに引き裂いてやる!」


 オークは金棒を振り上げて、風切り音と共に振り下ろす。

 僕はあえて避けず、右手で受け止めた。


 ズシンと身体に衝撃が伝わり、足から地面へと流れた。けど、僕は微動だにしない。やっぱりバルドロスの攻撃よりも弱い。


「て、てめぇ俺様の攻撃を片手で……」


「もっと鍛えた方が良かったね。もう遅いけど」


 左手に持った槍でオークの腹を穿つと、闘気によって丸い穴が空いてしまった。口から大量の血液を吐き、後ろへと倒れる。もっと前なら手こずっていた相手だと思うけど、今の僕では敵にすらならない。


「慢心は良くないね」


 すぐに走り出すと、僕は家の屋根へと飛び移る。

 遠くでは竜巻が起こり、別の場所では家が崩れて行く。恐らくリリスとアーノルドさんが暴れているのだろう。フィルティーさんは僕と同じように屋根に上り、鳥型の魔物と戦っている様子が見える。


「大友、聞こえるか?」


 何処からかグリム様の声が聞こえる。

 僕はきょろきょろと左右を確認するが、グリム様の姿はどこにもない。


「儂はそこにいない。これは魔法で声を伝えているのじゃ。それよりも西側へ行け。魔物たちを率いる魔族が居るはずじゃ」


「じゃあ僕が魔族を倒せばいいのですね」


「そうじゃ。じゃが、敵は手強い。心してかかれ」


「はい」


 僕は街の西へと足を進めた。




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