85話 「賢者の実力」
メイが黒き火球を放つたびに、グリムは軽やかに避ける。
ただその動きはウサギの如くぴょんぴょんと飛び跳ね、遊んでいるような奇妙な光景だ。
「ええい、忌々しい賢者め! いい加減に攻撃をしてこい!」
「嫌じゃ。パンツを見せてくれれば、少しくらいは攻撃してやっても良いぞ」
「誰が下着を見せるか! この変態ジジイ!」
メイの攻撃はさらに激化する。
数百の火球が雨の如く降り注ぎ、瓦礫の山が並んでいた場所は更地へと変わった。
「もっと面白い攻撃はないのかの? 単調でつまらんぞ」
メイが振り向くと、グリムが岩に腰を掛けて眺めている。
「いつの間に後ろに……」
「ほれ、早く攻撃をしてこぬか。それとも下着の色を教えてくれるのかの?」
「黙れジジイ!」
メイが右手を伸ばすと、グリムの居た場所を爆炎が包む。
さすがにこれは当たっただろうと、彼女は確信した。
「おお、ピンクの紐パンか。なかなか可愛らしい下着を穿いておるの」
グリムはいつの間にか、メイの足元でローブをめくって覗き込んでいた。
「きゃあああああ!?」
咄嗟に蹴りを出すが、グリムは後ろへ跳躍すると、空中でくるりと回転して着地する。老人とは思えない程の身軽な動きだ。
「うひひひ、次はブラジャーの色を確かめねばの」
「き、貴様は本当に賢者なのか!? 魔族でもこのような無礼はしないぞ!」
グリムは急に態度を変えると、キリリッと真剣な表情を見せる。
「いかにも、儂は王国の守護者にして賢者グリムなるぞ」
「ならば真面目に戦え!!」
再びメイの火球がグリムへ降り注ぐ。
「何を言うか、真面目に戦っておるではないか。儂は老人じゃぞ。もっと
時間を巻き戻したかのように、再び同じシーンが繰り広げられる。
ウサギのように火球を避けて、メイを挑発するのだ。決してグリムからは攻撃しない。まるで遊んでいるかのようだった。
「もういい! この辺りごと吹き飛ばしてやる!」
怒りが頂点に達したメイは、両手を空に向け魔法を構築する。
メイの上には黒く巨大な火の玉が出現し、急激な気温の上昇に地面はじりじりと焼かれた。
「芸がない魔法じゃの。それでごり押しするつもりか?」
グリムは呆れたような表情を浮かべ、岩に腰を掛けている。メイは目標を定めると、大火球を放った。
「灰になれ!」
大火球はまっすぐグリムに近づき直撃した。
――が、大火球は一瞬で消え失せグリムの姿もどこにもなかった。
「なにが起きた……? 奴はどこへ?」
メイは自身の魔法が消えたことを理解できず、周りをキョロキョロと見渡す。
「魔法では儂には勝てぬぞ」
声に振り向くと、グリムが杖を突いて歩いているではないか。その身には傷一つなく、戦い始めた時と変りない姿だった。
「何をした?」
「その答えは自分で見つけることじゃ。魔法使いが自らネタバラシをするわけがなかろうが」
「…………なるほど、魔法を使っているのか」
「そうかもしれぬし、そうじゃないかもしれぬぞ?」
グリムは不敵な笑みを見せた。
メイは反対に冷静さを欠いていたことを反省する。
「さすがは賢者か……正直、見くびっていた。魔族が王国を攻め落とせない理由がよく分かった」
「そりゃあそうじゃ。儂らは大魔法使いムーア様の弟子じゃからの」
「だったらこれならどう?」
メイはグリムに肉薄すると、鋭く拳を突きだす。
「肉弾戦と言う訳か」
拳を避けると、ひらりと跳躍しメイと距離をとった。
「魔法を使う暇を与えない!」
グリムを追いかけると、眼にもとまらぬ連続攻撃を放つ。
しかし、グリムはわずかに後ろに下がりつつ、次々に攻撃を避けてゆく。白い髭がゆらゆらと揺れ、ダンスを踊っているかのようだった。
「遅い遅い。これでは胸を揉む時間もあるぞ」
「このっ! 変態ジジイ!」
メイが左腕で白髭を掴むと、右手でグリムの頬を殴る。
次の瞬間にグリムはメイの目の前から消えた。
「おー痛い痛い。やはりこの歳になると、耐えられぬのぉ」
グリムは離れた位置にある岩の上で頬を撫でていた。
メイはここにきてようやく笑みを見せる。
「やっとわかった。お前は空間属性だな」
「ふむ、バレてしもうたなら仕方がない。いかにも、儂は空間属性を使う魔法使いじゃ」
「おかしいと思った。何度も姿を消したり、攻撃が当たらないなんて不自然すぎる。でも、空間属性なら謎が解ける。お前はずっと転移で、私の攻撃を避けていた」
「正解じゃ」
グリムは返答すると、再び姿を消した。
メイはすぐに探し始めるが、どこにも賢者の姿はなかった。
「属性がバレて逃げたか?」
「そんなわけなかろう」
後ろからグリムの声が聞こえると、メイの足元が消失してすっぽりと穴にハマる。地面から頭だけを出しているような格好になった。
「いい格好じゃの。油断大敵じゃ」
「くっ! よくも私を……!」
「いやいや、良く似合っておるぞ? 愛を忘れた種族には、お似合いの格好ではないか」
「ふざけるなぁぁああああああ!」
メイは魔力を放出し、爆炎によって周りの土を吹き飛ばす。
それだけではない、身体には黒い鎧が装着され紫のローブは消し飛んでいた。
金のショートカットヘアーに、整った容姿は雄々しくも美しくもあった。赤い双眸は光を宿し、黒き鎧は彼女のスリムな体へ密着するように存在感を知らせる。シルエットは猫に似ているが、放つ気配はまさしく虎。
凄まじい衝撃は、メイの居た場所にクレーターを作っていた。
中心部で熱を放出する彼女の周りは、赤く発熱しどろりと溶け出す。
「本気と言う訳じゃな。ならば、儂もそろそろヤル気を出さねばなるまい」
「よくもヒューマンごときが、この私を虚仮にしたなぁぁあああああ!」
メイは背中の機構から吐き出される爆風を推進力に、グリムへと突進する。
「うりぁぁああああ!」
高速で繰り出された拳は、亜音速へと到達し轟音を響かせた。
「良い拳だ。しかし、それでは儂には効かぬな」
分厚く大きな手がメイの拳を止めていた。
それは身長が二mもあり、全身には隆起した筋肉が見て取れる。ただ色はなく、わずかにだが向こう側の景色をゆがませ、なんとか輪郭を認識できる。
仁王像に似た、透明な大男がメイの拳を片手で止めていたのだ。
グリムは大男の心臓があるだろう場所に収まり、じっとメイを見ていた。
「これは……
「魔族のそれと近い物じゃ。じゃが、甘く見ない方がよいぞ」
メイの拳を掴むと、そのまま空に向かって放り投げる。
「ちっ、油断した!」
空中で回転すると、背中の機構で地上に向かって推進する。
だが、地上ではすでにグリムが右腕を突きの構えで静止していた。
二人の拳と拳がぶつかり合う。
衝撃波が轟音と共に周囲に広がるが、すでに二人は次の攻撃に移っていた。
「うりぁあああああああ!」
「てりゃぁああああああ!」
拳同士が何度も打ち付けられ、太鼓を鳴らすように音が地面を振動させた。
そして、ついに攻撃が命中した。
メイの強烈な拳が大男の胸を貫き、グリムの顔面に沈み込んだ。
グリムは大男の体内から弾き飛ばされる。
何度か地面をバウンドしたグリムは、勢いのまま地面を転がり、岩に当たったところでようやく止まる。全身はぼろきれのように汚れ、尖がり帽子は地面に落ちていた。絶え絶えの息が、ダメージの大きさを物語っている。
「これで賢者も終わりだ。すぐに残りの賢者も後を追わせてやる」
「…………」
グリムは何も答えない。ただ眼はメイを見ていた。
「死ね」
メイの手刀がグリムの首へ振り下ろされる。
「あ?」
振り下ろしたはずの右腕は肘から消失した。
「かかったの」
グリムは白い歯を見せ、意地の悪い笑みを浮かべた。
メイの身体にいくつもの箱が現れた。
肘や膝や首や腰などあらゆる場所に、透明な箱が出現し、足元から順番に肉体を消してゆく。
「なんだ! なんなんだコレは! 止めろ! 止めてくれ!」
メイの叫びを聞きながら、グリムは杖を支えにして立ち上がる。
「お前はヒューマンにそう言われて助けたか? 少しでも人々に悲しみを抱いたか? ないのならば、お前を助けることは出来ぬ。心なき獣を助けるすべを儂は持ち合わせておらぬ」
「いやぁぁあああああああ!」
メイの身体は消え去り、頭部だけが地面に転がった。
眼は見開き、次第に瞳孔が開いて行く。死んだことを確認したグリムは、岩に腰を下ろして溜息を吐く。
「やはり歳じゃのう、身体に堪えるわい」
遠くから爆音が聞こえ、何度も火柱が上がる。
地面を揺らす衝撃は街中に響き渡り、グリムの元まで届いていた。
「あれは大友が戦っているのか、いやはや若き才能とは恐ろしい物じゃ。魔族四強と渡り合うとは。儂の魔法では構築に時間がかかりすぎる。とてもじゃないが戦えぬわい」
グリムは乾いた笑いを吐き出す。
メイとの戦いは決して遊んでいた訳ではない。時間を稼いでいたのだ。
グリムの属性は空間だが、目的の魔法を発動させるためには多くの魔法を発動させる必要がある。状況を整えてようやく魔法は効果を発揮する。実に複雑で手間のかかる属性なのだ。
そのせいか、賢者の中でグリムが最も接近戦を得意としていた。若かりし頃は、闘気を使いながら魔法を使うというスタイルを基本としていたが、その体はすでに高齢であり魔族と戦うなどもはや無謀であった。
「魔族との戦いは、やはり大友に任せるしかなさそうじゃの」
グリムはそう言って、何処からともなく取り出した本を読み始める。
◇
「大人しく灰になれ!」
イポスが剣を振るたびに、衝撃波が巻き起こり近くにあった民家が吹き飛ぶ。
その体からは高温を発しており、この辺りの気温が何度か上昇するほど。
「お断りします! 貴方こそ消えてください!」
僕は衝撃波を避けながらオーラスラッシュを幾度もぶつけるが、奴の装甲にわずかな傷をつける程度だ。桁外れの防御力に苦戦を強いられている。
その代わりだが、奴は重すぎるのか建物の屋根には上れない。だから僕は屋根から屋根へ飛び移りながら、追いかけて来るイポスに攻撃をしていた。
「お前の攻撃は通用しない! 諦めたらどうだ!」
奴はそう言って大剣を軽々と振り、斬撃を飛ばしてくる。反対に僕も同規模のオーラスラッシュを斬撃へ当てて相殺する。防御力はともかく、攻撃力に関しては同程度のようだ。
「
地面に降りて放った魔法は、極太のレーザー。奴の装甲に当たると、わずかに後ろへ下がらせた。やはり装甲が硬すぎる。
「ふはははっ! どうしたヒューマン! これでは俺に勝てんぞ!」
「よく言うよ、僕に刺された傷が痛むんじゃないのかな?」
「黙れ!」
奴の足元が爆発すると、その勢いで僕へと接近する。振り下ろされた剣を、僕は背中の腕も使って槍で止めた。
「その体格で俺の剣を止めるとはやるじゃないか」
「僕だってダラダラ過ごしてきたわけじゃないからね」
剣と槍のつばぜり合いが続く。
奴の鎧から発せられる高温に皮膚が焼かれるが、それでも引くわけにはいかない。
僕はもう後悔をしたくないんだ。
誰の為でもない、僕は僕を救うためにここに居る。
「うおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!」
僕の足に大量の闘気が流れ込む。
少しずつだがイポスを押し始めた。
「お、お前、本当にヒューマンか……?」
驚きを見せるイポスを余所に、僕は全身にさらに闘気を流し込んだ。
さらにイポスを押す力は増す。
「くっ……!」
奴は分が悪いと判断したのか、後ろへと跳躍すると魔法を行使する。
「
黒き炎が奴の左手から発生した。
骨すらも一瞬で灰に変えてしまうほどの超高温が、巨大な火炎放射器のようにイポスから放出される。まさしく
しかし、僕は魔法で何とか防いでいた。
五層からなる光りの壁によって、奴の魔法を防ぐ。
それでも額から汗が止まらない。すでに皮膚の一部が炭化してしまって、言いようのない痛みに襲われる。光の壁は次々に消えて、残り二つとなった。ぎりぎりだが、まだ耐えられる。
そんな事を考えていると、空から黒い何かが大量に降り注いだ。
それは黒い鳥の大群だ。
鳥は僕へと急降下すると、ぎゃーぎゃーとくちばしや爪を突き立てる。
「ふははははっ! 配下の魔物をプレゼントしてやったぞ! どうだ嬉しいか!?」
奴がそう言って、指を鳴らすと鳥たちが一斉に爆発する。自爆だ。
闇が周囲で爆竹を鳴らすように、連続して弾ける。連鎖反応を起こして威力は増大し、熱さの他に痺れのようなものも感じた。
「うぐ……」
爆発が消えるころ、僕は地面に片膝を突いていた。
これくらいではダメージは負わないけど、全身に痺れが残っていた。次第に光の壁が消え始める。
「どうした! 壁が消えるぞ! もう終わりなのか! ふはははっ!」
奴の魔法は勢いを増した。
もう防ぎきれない。すぐにここを離れなければ、直撃を受けてしまうだろう。
その時、どこからか犬らしき鳴き声が聞こえた。
「くそっ! 邪魔だ! 何処かへ消えろ!」
ここからでは見えないが、奴は何かに邪魔をされているようだった。
そして、とうとう炎が消えた。
「わぅぅぅうううううう!!」
「離れろ! 邪魔な犬め!」
見えた光景は、ロキが我が身もかえりみずイポスに噛みついている姿だった。強靭な顎が奴の左腕にがっちりとはまり、振り払おうとするも離れようとしない。よく見れば、熱によって所々焼かれ黒ずんでいた。
僕は唇を噛みしめて、槍を舞える。
闘気を槍に流し走り出す。全ての力をこの一撃に込めるのだ。
貫く事だけを考えて、足はますます加速する。
今だけは僕は槍の一部だ。だから貫け。
闘槍術 【スパイラルストライク】
手の中で高速回転する槍が、イポスの胸で止まった。
だが、回転は続いている。
火花を散らしながら、槍は少しずつ穴をあけて行く。
時間にすれば一秒にも満たないだろう。奴が胸に視線を向けたころには、槍は装甲を貫通していた。
そのまま肉の身体へ槍は突き刺さり、衰えない回転は心臓を跡形もなく消し飛ばした。そのまま反対側の装甲も貫通すると、ようやく槍は手の中で動きを止める。
「あ……ああ……な、んだこれ…………?」
イポスは仰向けに倒れた。
「ロキ!」
僕はすぐに奴の左腕に居るロキへ駆け寄った。
「くぅぅん」
ロキは生きていた。
ただ、身体は酷い状態だ。綺麗な毛は焼けてしまい、左の後ろ脚は半ばから失われていた。僕は涙が止まらなかった。
「どうじぃでぇ……どうじぃでぎだんだよ゛……」
言葉にならない。ロキは船に残してきたはずなのに、僕の危機に気が付いて駆けつけてくれたのだ。
「くぅん……」
ロキは僕の手をぺろぺろと舐める。
突如、ロキが光りに包まれた。
光は子犬サイズからだんだんと大きくなり、牛ほどのサイズで止まる。
「わぉぉぉおおおおおんん!」
光が消えると、目の前に居たのは銀色の毛が美しい狼だった。
青い眼は僕を見据え、失われたはずの足も綺麗に元通りだ。
「ロキ!」
僕は抱き着く。ロキは僕の顔を舐めて、嬉しそうだった。
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