57話 「仲間」


 ベッドに眠る老人はくすんだ色の銀髪で、身体は細く顔には深いしわが刻まれていた。どう見てもリリスには見えない。けど、着ている服や面影はリリスによく似ていた。


「っ……今日はこれが限界ですね」


 そう言って傍に居たセリスが立ち上がる。彼女は僕を見ると一瞬眼が点になり、すぐに笑顔になって抱きしめてきた。


「よかった! 戻ってきたんですね! これでリリスが助かる見込みが出てきました!」


「セリス……リリスはどうなったの?」


 僕の問いかけに彼女は表情を暗くする。


「私たちは大友とはぐれてしまって、一ヶ月ほどダンジョン内を捜索しました。ですが、限界を迎え地上に戻ったのです。


 リリスは契約魔法の影響で体力が衰え始めていました。地上に戻った後も、勢いは落ちたものの契約魔法は彼女を蝕み、日に日に弱らせていったのです。


 私は神聖魔法で出来るだけリリスの延命を試みていましたが、御覧の通りそれも限界を迎えようとしていました」


「うん……じゃあリリスはもう元に戻らないの?」


「残念ですが……恐らく今日が峠でしょう」


 その言葉を聞いて眼が見開くのを感じた。


 何とか立ち上がった僕は、リリスの傍に近づく。覗きこんだ顔はやせ細り、今にも壊れてしまいそうな儚い物に見えた。これが高飛車で自信満々だったあのリリス?


 そっと頬を触ると、彼女はうっすらと眼を開ける。


「達也が……達也が見える……」


「うん。帰ってきたよ」


「そう……無事で良かった……」


 彼女はかすれる声でそう言葉するとほほ笑む。


 僕は涙がこぼれるのを必死で堪える。リリスの手を握り、彼女がどんな思いで僕を待っていたのかを思うと心から悔やんだ。


「僕が戻ってきたからもう大丈夫だ。リリスはゆっくりと寝るといいさ」


「うん……眼が覚めたら……紅茶飲ませてね……」


 そう言って彼女は再び眼を閉じる。


 僕の中で霞の最後の時がフラッシュバックした。


 霞が最後の時も今と同じような会話を交わした。霞は最後にファンタジー小説を読みたいと言っていたけど、そんな封印していた記憶が鮮やかによみがえった。


 ヘドロのように僕の心の中で過去の悲しみの感情が吹きあがる。あの時、なぜ助ける事が出来なかったのだと僕を攻め続けている。またしてもあの時と同じ事が繰り返されようとしていたのだ。


 僕は部屋から飛び出すと、空に向かって声をあげた。飲み込めない感情を必死で吐き出すが、僕の心に爪を立てじわじわと毒を放つように蝕む。


「主人よ、落ち着くが良い。まだリリスが死ぬとは決まっていないのだ」


「でも! でも! セリスが!」


「落ち着け。男がこんな時に狼狽えてどうするのだ」


 アーノルドさんは重く僕の肩へ手を置いた。


「すいません……そうですね」


「うむ。リリスを助けられる方法はフィルティーが考えてくれている。セリスとてリリスの為に必死で神聖魔法をかけてくれているのだ。ならば俺達が諦める訳にはいかないだろ」


 心の中に光が射しこんだ。


 ここは地球とは違う。あの時は何もできなかったが、今は違うのだ。此処は異世界。魔法があるのだから。


 部屋に戻るとリリスの傍にある椅子へ腰をかける。


 僕は数時間をかけてひたすら魔法を行使する。リリスが回復するようなイメージの魔法を何度も何度も重ねて施した。


「大友。少し休んだらどうだ」


「そうですね……少し休みます」


 フィルティーさんに声をかけられ、僕は部屋から出た。


 外はすでに夜を迎えており、空には二つの月が薄暗い森を照らしていた。


 すでにエルフの集落は寝静まり、どの家もいびきや寝息が聞こえてきた。僕は集落の広場へやって来ると、そこにはすでに先客が居たようだ。


「セリス」


 僕の呼びかけに彼女は振り返る。


 だが、その顔はいつもの様子はなく雰囲気が違っているように見えた。


「たっちゃん」


「……まさか霞か?」


 セリスは僕の言葉に頷く。


「たっちゃんが封印を壊してくれたおかげで、少しだけ話す時間が出来たわ」


「どう言う意味? 遺跡では封印を壊すなって怒っていたじゃないか。僕はもうなんだかよく分からないよ……」


「違うの。アレは私であって私ではないわ。が何を言ったのかは分からないけど、封印は壊さないといけないものよ」


 本体? 今の霞とあそこに現れた霞は別人格だと言う事? それなら辻褄は合うかもしれないけど、どうしてそんな事になっているのかさっぱり分からない。


「たっちゃん、今はリリスさんの事だけを考えて。彼女は今失う訳にはいかないの。彼女こそが……」


「霞!?」


 セリスの周囲がわずかにぶれた。もしかして再びセリスの中で眠りにつこうとしているのかもしれない。


 しかし、すぐに霞は持ち直した。


「ごめんなさい。あまり時間がないから手短に話すね。今のリリスさんは生命力を失っている状態なの。だから回復をしても漏れ出して弱って行くだけ。でも、たっちゃんが氣を彼女に流し込めば、助けられるわ。お願い彼女を助けてあげて」


「闘気になる前の氣を流し込めばいいんだね! じゃあすぐに試すよ! ありがとう霞!」


 彼女は僕に近づくとそっと抱きしめた。


「ずっと見てたよ。異世界へ来る前も来てからも頑張っていたね」


「じゃあやっぱり霞が僕を呼びよせたの?」


「ううん。違うわ。たっちゃんは別の何かに呼び寄せられたの。それは私でも何なのか見通すことは出来ない。とにかくこの世界にある封印を破壊して。本当の私が――」


 その時、セリスの姿がぶれ始め霞の言葉は完全に途切れた。


「あれ? 私は確か眠っていたはずでしたが……きゃ!? 大友!?」


 セリスは僕から勢いよく離れた。


「ごめん。セリスの中の霞が出て来ていたんだ。でもそのおかげでリリスを助ける方法が分かった」


「霞と言う人がまた出てきたのですか……え!? 助ける方法が分かったのですか!? 教えてください!」


 今度は飛びかかるようにして僕の胸倉を掴む。


「落ち着いて。とりあえずリリスを助けに行こう」


「はい、そうですね」


 走りだした僕たちは、リリスの居る部屋へ飛び込む。


「む、どうしたのだ主人よ?」


 リリスを介抱するアーノルドさんが尋ねてくる。フィルティーさんも僕とセリスの様子に不思議そうだ。


「リリスを助ける方法が見つかったんです!」


「なに!? それはどんな方法だ!?」


 今度はフィルティーさんが僕に掴み掛ってきた。


「お、落ち着いて下さい。実は僕も聞いた話なので確実なのかは分かりませんが、氣を流し込むとリリスが助かるみたいなんです」


「氣か……盲点だったな。闘気は氣を攻撃に転化しているが、その前の状態なら確かに回復させる可能性は十分にある。氣とは生命力そのものだからな」


「僕もすぐにそのことに気が付きました。もし、助けられる方法があるのならこれ以外にないと思います」


 僕とフィルティーさんは頷き合うと、すぐにリリスの傍へ移動する。


 細く弱ったリリスの手を握ると、体内にある生命の根源から氣を引き出してリリスへと流し込む。誰もがリリスの様子に注視していた。


 次第にリリスの顔が若返り、肌に張りが戻り始めた。


 くすんでいた髪は光を反射させるほど艶が戻り始め、さらさらと音を立てて枕の上で流れる。


 限界が分からない僕はひたすらに氣を流し込み、次第にリリスの周囲が赤くぼんやりと光り始めた。どうやらマックスまで氣をとり込んだようだ。


 出会った頃と変わらない姿を取り戻したリリスは、すやすやと心地のいい寝息を立てはじめる。


「終わりました。これでリリスはもう大丈夫だと思います」


 その瞬間、仲間は僕を抱きしめて喜び合った。


「やった! リリスが助かった! やりましたね!」


「よかった! 本当に良かった! もう、どうなるのかとずっと心配していたのだ!」


「ふはははは! やったぞ! 魔族っ子が復活だ!」


「きゃぅん!」


 僕の頭の上にいるロキが鳴いたことで、三人は固まった。


「大友、ずっと気になっていたのだが、その頭の上にいる生き物はなんだ?」


「え? ロキは大迷宮で仲良くなって連れてきた狼ですよ」


「ちょっと待ってください。狼ってことは魔獣ですよね? どうして懐いているんですか? 私はてっきり新手の帽子かと思っていました」


 三人はそう言ってロキを怯えた目で見ていた。


 僕は頭に居るロキを膝の上に下ろすと、頭を撫でててやる。こんなに可愛いのにどうしてそんなに怯えているのだろうか?


「主人よ、そのロキとやらは何階層で手に入れたのだ?」


「九階層です。ロキの親であるフェンリルが居ましたけど、よく分からない内に育児放棄したみたいなので僕が連れて行くことにしたんです」


 三人は「九階層……」と呟き戦慄しているようだった。


「五月蠅いわね。ちょっと静かにできないの」


 僕たちがうるさかったのか、リリスが起き上がって文句を言ってきた。


「リリス! 体の調子はどう!? どこか変なところはない!?」


 僕がすぐに声をかけると、彼女はしばらく自分の身体を確認して一言呟く。


「お腹ペコペコよ。どうでもいいから食事にしましょ」


「ああ、そうだね。じゃあ僕が腕によりをかけて作るよ」


 すぐにリングから荷物を取り出すと、食材や調理器具を取り出して料理を始める。


 調理中はロキは邪魔になるので、リリスに預ける事にしたのだが意外と相性がいいのかすぐに打ち解けた。


「貴方可愛いわね。ロキって言うの? モフモフしてて気持ちいいわ」


「きゃう」


 そんなリリスを見ながら三人はロキを観察していた。何がそんなに恐ろしいのか分からないけど、こそこそと話し合っている。


「九階層と言うことはあの子犬も化け物のような魔獣になるはずだ……」


「……ですね。もっと驚きなのは大友がそんな場所からどうやって帰ってきたと言う事ですよ」


「九階層か。俺達は三階層でギリギリだったことを考えると、考えるだけで恐ろしくなるな。主人はとうとう化け物の域に突入したか……」


 確かに三人の言いたいことは分かる。僕もあんな魔窟で良く生き残ったと不思議なくらいだ。そう考えるとロキを連れだしたことは危険な事だったじゃないかと思い当たる。ロキが成長すれば、間違いなく強力な魔獣へと変貌するだろう。そうなった時、僕はどうするべきなのだろうか?


「きゃぅぅん」


 リリスにお腹を擦られて嬉しそうなロキを見て、僕はどうでもいいかっと頭を切り替えた。実際にどうなるかは今から考えても分からないモノだ。僕は未来を見ることなど出来ないのだから。


 料理が出来るとテーブルいっぱいに盛り付ける。


「さぁ食べて!」


 一応だがダンジョン内の食材は使わずに料理を作った。

 僕も魔獣の肉を何も考えずに食べていた訳ではない。もしかすれば魔力が異常値を示す食材だと気が付いてからは、出来るだけ少なめに食べていた。それでもかなりの量を食べて変異などがなかったので、僕が特別なのだとようやく気が付いたのだ。

 なので、仲間の食事はダンジョン産ではなく元々持っていた食材で作る事にした。ようやく戻ってきた矢先に、仲間が魔人化してしまったなんて食を預かる身としては恥ずかしい話だ。


 四人は無心に食べ始めた。見ていて気持ちのいい食べっぷりに僕も気分が良い。


「やっとやっと大友の美味しい料理にありつけたのですね! もうフィルティーさんの料理は懲り懲りです!」


「ふはははは! 美味い! 美味いぞ!」


「む! おいセリス! 今聞き捨てならない事を言わなかったか!?」


「ちょっと、その肉私のよ。筋肉バカ返しなさい!」


 そんな光景を見ながら、僕は足元で魔獣の肉を食べるロキを撫でた。


 僕はようやく仲間の元へ帰ってきたのだ。





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