55話 「女神テトリア」


 クリスタルの中に眠る霞を見て僕は走りだした。あふれ出す感情が足を動かしたのだ。


 巨大なクリスタルに近づいて中を覗くとやはり制服姿の霞だ。幼馴染である僕が霞を見間違うはずがない。


 台座に飛び乗ってクリスタルへと触れると、びりびりと痺れる感触を味わう。けど、今の僕にはそんな事どうでもよかった。あの日、失ったはずの最愛の人が目の前に居るのだ。


 すぐに槍を構えてクリスタルを砕こうとすると、後ろから感じたことのない気配が突然現れた。とっさに振り返るとそこには半透明な霞が立っているのだ。


「え? え? 霞がもう一人?」


 混乱し始める頭を冷静にしようとするが、それは無理な話だった。現れた霞も制服姿だったからだ。


「たっちゃん、こっちへ来て」


 現れた霞にそう言われ、僕は床へと着地して歩み寄る。ただその歩みは恐る恐ると言った感じだ


「霞だよな? どうして半透明なんだ? あそこに居る霞は霞じゃないのか?」


「一度に質問しないで。あまり時間がないから端的に説明するからよく聞いて」


 とりあえず霞の言葉を聞いて僕は頷く。いつの間にか流れていた涙を服の袖で拭くと、霞と会えたことが胸の中でじんわりと広がって心地よかった。


「あのクリスタルは邪神を封じているの。だから破壊すると私の力が戻る代わりに、邪神が復活するわ。だから破壊するのはやめて」


「邪神? でも霞が何でそんな事をしなくちゃいけないのさ」


「私は人々に女神テトリアと呼ばれているの。この世界を守るために今まで封印を護ってきたわ。たっちゃんがアレを壊すと大変な事が起きるの」


 霞が女神テトリア? なんで? だって霞は普通の女子高生で、何処にでもいる普通の女の子じゃないか。そりゃあかなり可愛いし、成績優秀でスポーツ万能だし、性格だって優しい事で評判だけど……女神なんて呼ばれるような力を持っていたなんて聞いたことがない。


「たっちゃんの言いたいことは分かるけど、今は説明する時間がないの。今の私は封印に力を割いているから長く会話をする力もないわ。だからここは大人しく帰って」


「ちょ、ちょっと待って! でも、霞は女神で封印を護っていて、力がないから会話もできないのなら、あの封印を壊せばちゃんと会えるってことだよね!?」


 僕はそこに気が付いた。よく分からないが、封印に力を割いているのならクリスタルを壊せば霞に会えると言う事だと思う。


 けど、霞は言葉を聞いて眉を顰めた。


「そうだけど、もし壊せば邪神が復活してこの世界は滅茶苦茶になるわ。たっちゃんはそれでもいいと言うの?」


「でも、オリアスとの戦闘の時は探して欲しいって言っていたじゃないか! だったら、霞にも何か考えがあってそう言ったんじゃないの!?」


「あれは……なかったことにして」


 愕然とする。あの霞が冷たく僕を突き放したのだ。しかし、彼女は言葉を続ける。


「四つの封印は邪神を封じるための要よ。ここで一つ失う訳にはいかない」


「…………とめない」


「たっちゃん聞いてる? とにかくクリスタルは壊さないでね。地上まで転移してあげるから、大人しく帰って頂戴」


「嫌だ! 僕はそんな霞なんか認めない!」


 走りだした僕は、クリスタルに向かって槍を構える。きっとあのクリスタルが霞を変えたんだ。そうでなければ、あの優しかった霞があんなに冷たくなるはずがない。


 邪神がなんだ、封印がなんだ、僕はこの世界にに会う為にやってきたんだ! この手に霞を取り戻すために異世界転移をしたんだ!


 後ろからは霞の悲鳴ともとれる声が聞こえる。


「駄目! たっちゃん、止めて! それを壊せば――」


 その瞬間、僕の槍はクリスタルを両断した。


 縦に刻まれた直線から亀裂が広がり始める。ぴしりぴしりと蜘蛛の巣状に亀裂が全体に走ると、至る所から眩い光が漏れ出す。

 クリスタルの中に居た霞は、ぼんやりと消え始め重苦しい空気がより一層強まっていた。恐らく元々大量の魔素がクリスタルから放出されていたのだ。その為、大迷宮の魔獣は大量の魔素によって変異し、独自の進化を遂げたのだと推測した。


 クリスタルから放出する魔素は、さらに強まり光もより強く輝く。すでに封印の限界は近いようだ。ただ、なんだか爆発するような感じがして僕は冷や汗を流す。


「もしかしてヤバい?」


「くぅん」


 頭の上のロキがプルプルと震えている。危険だと感じ取っているのだろう。すぐに振り返ると、霞が怒りの表情で立っていた。


「たっちゃんやってくれたわね……どうしてくれるの、残りの封印はあと三つしかなくなったじゃない」


「へぇ、じゃああと三つ壊せば霞に会えるんだね」


「……っ! もう知らない!」


 霞はぷいっと顔を背けると、姿を消していった。最後は霞らしい仕草だったけど、僕の決意は変わらない。例え邪神を蘇らせようと必ず霞と会うと決めたのだ。失ったはずの霞をこの手に取り戻すチャンスがとうとう巡ってきたんだ。


「きゃうう! きゃうう!」


 頭の上にいるロキが何度も僕の頭を叩く。クリスタルはヤバいほどギラギラと光り、中心に赤みを帯びてきていた。これは間違いなく爆発する。


「は、早く逃げよう!」


 とにかく駆けだすと、一目散に階段を駆け下りる。足にも闘気を流しほとんど飛び降りるような状態だ。

 下まで辿り着くとすぐに本棚が並ぶ部屋を抜けて、内部の通路を全速力で駆け抜ける。すでにピラミッド自体が小さく振動していた。ようやく外に出ると、ピラミッドの頂上は眩い光で辺りを照らし出していた。


 魔法の絨毯を創ると、すぐに飛び乗り発進する。だが、加速し始めた辺りでとうとう爆発した。


 吹き飛ぶ頂上と、飛散する瓦礫。目もくらむような光に空気の壁が押し寄せる。


 凄まじい暴風が海面を舐めると、絨毯に乗っている僕も衝撃波で吹き飛ばされた。海に投げ出され、なんとか海面に出ても大きな波が何度も押し寄せて来る。


 僕は咄嗟に魔法を使用した。


 イメージは潜水服だ。魔法で構築した服が全身を取り巻き、顔の部分にはロキも入れるスペースを確保した。ひとまず海水に関しては恐れる事はなくなったので、嵐が収まるまで海の中に居た方が安全だと判断する。

 マリンブルーの海に潜った僕は、上が荒れ狂っていることなど忘れてしまうような光景を目にする。


 海の中にある彫像にはフジツボや海藻が生え、巨大な柱が立ち並んでいた。恐らくだがピラミッドの下の構造物だろうが、その威光は文明が滅亡したいまでも健在だと無言の言葉を発している。


「こんな文明がどうして滅んだんだろう? 霞が女神テトリアなのと何か関係があるのかな?」


「くぅぅん」


 ロキは狭い空間で居ることが楽しいのか、ぺろぺろと僕の顔を舐める。可愛いのだけれど、今は止めて欲しい気分だ。


 ようやく海底に着地した僕は、見上げて海面を眺める。どうやら嵐は収まったようだが、高い波がまだ起こっているようだ。もう少し海の中に居る方が安全だと判断した。

 しかし、このまま海面に上がっても待っているのは地上への長い道のりだ。少しばかり気持ちが沈んだが、霞ととうとう会えたと言うことに僕の心に光が射しこんだ気がした。だからこんなところで諦める訳にはゆかないのだ。


 決意を新たに海底を眺めていると、遠くに蛇のような物がクネクネと動いているのを発見する。それは急速に僕に近づいているようで、慌ててどこかに隠れようと右往左往するが、めぼしい隠れ場所は近くにはなかった。


「あわわわわわ……」


「くぅん……」


 僕とロキは震えながら蛇のような生き物を目の前にしていた。


 長い胴体にサファイヤのような鱗。金色に見える牙は口内で二重に並び、その鋭さは鉄すらも容易く貫いてしまいそうだ。胴体にある四本の足は、強靭な筋肉が浮かび上がり捕らえた獲物を逃がさないだろう。頭部の角は古びた樹木のように二本が長く生え、王者の風格すら漂わせている。

  

 巨大な龍とも言える怪物が僕を睥睨していた。それは僕がリヴァイアサンと名付けた生き物だった。


「貴様かこの住み心地の良い場所を荒らす輩は」


 リヴァイアサンは水中で僕に話しかけてくる。見た目からドラゴン系だと思っていたので、人語を話すことには驚きはない。


「えっと、すいません。荒らすつもりはなかったのですが……」


「貴様はこの大迷宮の動力源を壊したのだ。今ある魔力が枯渇すれば、この場所は急速に衰退するだろう。どう責任を取るつもりだ」


「で、でも海に繋がっているのならそこから外に出れば……」


「笑止。我はこの場所を気に入っていたのだ。その責任は命で償うがよい」


 リヴァイアサンはその牙を僕に向けて海底に突き立てた。いともたやすく岩をかみ砕き、間一髪で避けた僕は巻き起こった海流に流される。


「うわぁぁぁぁ!」


 ぐるぐると海の中で回転して、海の中にあるビルへ激突した。


 音もなく瓦礫が降り注ぎ、なんとか体を起こすとそこはオフィスビルの一室のような場所だった。机が並び朽ち果てた物品が辛うじて見て取れる。そこにはフジツボだらけの骸骨が椅子に座っていた。まるで無念を訴えかけるような、真っ暗な目が僕に向けられている。ここで一体何があったのか気になるが、今はそれどころではなかった。


「そこかぁぁぁぁ!」


 リヴァイアサンは僕が居る場所を見るけると、うねるような体の動きでそのままビルへと突撃してくる。


 爆音が海の中で響き、もうもうと煙のように土や瓦礫が舞い上がる。


 周りの視界がクリアになった時には、僕が何処に居るのか理解できた。


「何処に居る! 我から隠れる事は出来ぬぞ!」


 リヴァイアサンはぎょろぎょろと金色の瞳孔で視線を彷徨わすが、僕の姿は見つけられないようだ。何故なら今の衝撃で角に引っかかってしまったようなのだ。これはチャンスだと思わず笑みがこぼれる。


 リヴァイアサンは猛スピードで海の中を泳ぐが、きょろきょろとしきりに辺りを窺っている。僕はそっと魔法を使うと小さな光の球体を創り出した。


 球体はリヴァイアサンの視線を掻い潜り、遠くへと移動してゆく。そして数秒後に声が聞こえ始めた。


「こっち~こっちだよ~」


「くくく、我を挑発しているつもりか。なんと愚かな行為か知らしめてやろう」


 その声につられるままにリヴァイアサンは泳ぎ始める。僕は内心でガッツポーズをしていた。


 あの球体は音声を自動再生する魔法なのだ。ここが海と繋がっているのなら、このまま外へと誘導してもらおうと考えていた。地上に出ればリヴァイアサンとはおさらばだ。こんな化け物といつまでも関わりたくはない。


 視界に映る景色を見ながら光の球体を操作しつつ、十階層から脱出する場所を探していた。リヴァイアサンは声がするたびに諦めずに泳ぎ続け、とうとうそれらしい場所を発見する。


 そこは壁に空いた大きな穴で、リヴァイアサンでも軽々と通り抜けられるほどだ。しかも、穴の方角からは水の流れを感じるので、やはり海と繋がっている事は確実だ。


「こっち~こっちだよ~」


「ちょこまかと実に目障りなヒューマンだ。見つけたらひとおもいにかみ砕いてやるわ」


 穴の方角から声が聞こえ、リヴァイアサンは頭に血が昇った様に泳ぎ続ける。穴に突入すると、真っ暗な通路がグネグネと続き不安感を加速させた。まるで今までの僕の人生のような気もする。


 両親との別れ。孤独な生活。唯一の希望は霞だった。霞が偏差値の高い高校に進学希望を出したと聞いた時から必死で勉強した。ようやく恋人にまでなれたとたん失った。長く暗いトンネルのようだ。


 すると、急に視界が明るくなり始めた。トンネルは終わりをつげ、とうとう大海へと脱出したのだ。僕は内心で飛び跳ねた。長くつらかったダンジョン生活が終わったのだと。


 思わず僕は声を出して喜んでしまった。


「やったー! 外に出られた!」


「……我を謀ったか。角に摑まっていたとは不覚」


 リヴァイアサンはぎろりと僕に視線を向けた。


 角から離れ必死で急浮上すると、魔法の絨毯に飛び乗って空へと逃げる。何とか逃げ延びたと後ろを振り向くと、空を飛ぶリヴァイアサンが激烈な気配と殺気を迸らせていた。


「我が逃がすと思ったか? 小賢しきヒューマンよ」


 あまりの迫力に僕は少しだけ漏らしてしまった。





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