54話 「最下層」


 長いスロープを下り、最下層まで到達した。


 スロープの終着点には大量の水が波打ち、十階層である広大な空間がその目に飛び込んでくる。


 遥かに高い天井からは日光のような光が降り注ぎ、水平線の彼方まで水が何処までも満たされている。何処からか風が吹き、鼻腔を潮の匂いでくすぐる。


 圧倒的な光景を見て大迷宮が何なのか一瞬で悟った。


 大迷宮とは古代の地下都市だったのだ。


 その証拠に、水の中からはビルらしき建造物が頭を出している。ただし、それらはボロボロに朽ち果て廃墟と化しているようだった。


 僕は足元に揺れる水を舐めると、やはりだが塩味がした。ここは海と繋がっているのかもしれない。そのせいか、水の中を覗きこむと魚らしき影がいくつも見える。


「きゃぅぅ?」


 頭に乗っているロキが魚を見て不思議そうだ。それに天井から降り注ぐ光にも興味を示している。生まれて初めて見る光景に、好奇心を刺激されているのかもしれない。


「ロキ、せっかくだから泳ごう!」


 僕は服を脱ぐと、スロープのあたりに放り出して海水に足を付けた。ロキも恐る恐る海水に足を付けると、ちゃぷちゃぷと泳ぎ始める。


 スロープの終着点は浅瀬で、その先は階段が下へと続いている。透き通るマリンブルーの中に巨大な街がそのまま沈んでいた。降り注ぐ光が海の中を照らし、ビルや建物の傍を魚たちが優雅に泳いでいる。

 僕はこの光景をずっと見ていたい気分だった。大迷宮は幻想的な光景を何度も見せてくれたが、これほど美しく感動的な物はなかっただろう。


「そうだ、昼食がまだだったしここで魚を釣ろう」


 念願の魚を食べられるとあって、少しだけ興奮していた。僕は魔法で釣竿を創り出すと、肉の切れ端を付けて海へ放り込む。すぐに魚がツンツンとつついて、パクッと口に入れた瞬間、一気に釣竿を引き上げた。


 針が魚の口に食い込み、必死に逃げようと暴れる。しかし、チート筋力を持った僕には大した抵抗ではない。しかも、切れることのない魔法の糸で折れることのない魔法の竿だ。もはや魚に勝機はない。


 一気に糸を巻き上げると、抵抗むなしく魚は釣り上げられた。


 銀色の体表に赤いラインが特徴的な、全長約一mの魚が僕の腕の中でびちびちと跳ねている。早速水際へ移動すると、槍で魚を捌いて行く。


 僕の友達で佐藤隆と言う奴が居るが、奴はオタクのくせに趣味は魚釣りというアウトドア系オタクだったりする。何度も海釣りに付き合わされている内に、魚を捌けるようになってしまった。

 もちろん現地で捌いて食べる刺身ってのも美味しいけど、釣りが好きなくせに魚に触るのが苦手だと言うから、何度も僕が捌く羽目になったのは少しだけ恨んでいる。魚って生臭いんだよね。


 とか考えてるうちに三枚に下ろしてしまった。切り身を薄くスライスして、用意していた醤油に付けて口に入れると、甘い脂の味と濃厚な魚の味が生生しくも口の中でぷりぷりと弾けるのだ。味はまさにブリそっくり。


「くぅん」


「あ、ごめん。一人で食べてたよ。でも狼って刺身でも大丈夫なのかな?」


 そっと、ロキに一切れ渡すと、くんくんと臭いを嗅いで口に入れた。どうやら悪くない味らしい。尻尾を振り乱して”次は?”とアピールする。


 僕は食事をしつつも、地図を確認していた。


 この十階層は他の階層と比べると、大部分が海に覆われているためデータが不足している。自動探索球オートマッピングは基本的に空気中のデータを集めるため、水中は無視しているのだ。海の中に探索球を飛ばしても良いが、そうなると最初からデータを取り直す必要も出てくるため面倒と言える。


 それに十階層の為だけにデータを取り直すのも馬鹿げているようにも感じるので、ここは視覚で索敵をすることにしていた。もちろん気配を探れば目視でなくとも敵の存在はすぐに分かるので、不安感は今のところない。


 食事を終えた僕とロキは、水際でのんびりと過ごす。今まで緊張状態が続いていたので、ここに来て気が緩んだのだろう。


「ぎゃおおおおおお」


 突然、鳴き声が聞こえ僕はすぐに槍を握った。


 その鳴き声は遥か遠くの水平線から聞こえる。巨大な水飛沫があがり、蛇のような胴体がアーチ状に海上に出現した。

 光に反射するサファイアのような透明度の高い鱗が幾重にも折り重なり、天井から照らされる光を眩しいほど反射させている。ただ、その背中には背びれのような物がある事から蛇ではないと確信させた。


 僕はその怪物を見て失禁をするかと思った。その巨体は長さだけでもゆうに百mは超えている。胴体の厚みも十mはあるだろうか。正真正銘の化け物が最下層には居るみたいだ。


 ただ残念なのは、顔を見る前に再び潜ってしまったと言うことだろう。あれほどの化け物だ。ドラゴン種だと思われるが、やはり男の子としては見てみたい気もするのだ。


「きゃうぅぅ……」


 ロキは僕の傍でぷるぷると震えていた。あの化け物が放つ気配は、とてつもなく大きく冷たい。僕もこれだけの距離がなければ、ロキと一緒に震えていただろう。


 全貌を見ていないが、先ほどの魔獣に名前を付けることにした。


 名は”リヴァイアサン”


 地球の神話で語られる海の怪物の名前であり、その力は陸の怪物べヒモスと双肩をなすと言われている。あれ以上の化け物がこの世界に居るかは分からないが、少なくともその名に相応しい感じに見えた。


「とりあえずあんな化け物とは戦いたくないよ……」


「きゃぅぅ……」


 僕とロキは項垂れ、少しばかりだが気持ちが沈む。


 その時、首から下げているガラスの飾りが眼に入る。脳裏にアーノルドさんやリリスの笑顔が横切った。


「そうだ、ここであきらめちゃダメだ。仲間が……みんなが待っているんだ」


 服を着るとロキを頭に乗せた。アストロゲイムを握り僕は気を引き締める。


 魔法構築を行うと、視界には魔法の絨毯が現れた。これで最下層の海を渡るのだ。


 実は地図を見ていて、この最下層には大きな構造物があることは知っていた。そこを最終地点として、ダンジョン攻略の証にしようと考えていた。

 一般的にダンジョン攻略と言うのは、最下層に自分の名前を刻むことを意味している。地球で言うのなら月へ国旗を立てる事と同じ行為だ。


 最初の到達者は栄誉が与えられ、エドレス王国の歴史に名を刻む事となる。聞いた話では、歴史的偉業を成し遂げた者には国王陛下が直接お会いになってくれるそうだから、僕も無事地上へ戻ればそうなるのだろう。


 魔法の絨毯に飛び乗ると、ゆっくりと加速を始めだんだんと速度が上昇して行く。耳元で風が鳴り始め、真下にある海面は鏡のように僕の姿を映し出していた。


 海面から顔を出しているビルたちは、地球の物とそんなに変わりない感じだ。傍を通ると、鳥たちが飛び発ってゆく。きっと古代人が飼っていた鳥が、逃げ出して繁殖したのかもしれない。


 ゴミらしき物も見かけたが、ボロボロで元が何だったのかも判別できなかった。ここに一つの文化が栄えて滅んだ名残が今も色濃く残っている。


 数分をかけて飛び続けた僕は、探していた構造物を発見した。


 水平線にピラミッドのような建物がそびえ立ち、頂上からは一筋の光が天井に向かって延びている。もしかすれば古代人の英知が眠る場所かもしれない。

 ピラミッドは正方形の島の上に造られており、その下には海の中まで続く巨大な建造物が海底まで存在している。いや、逆だ。巨大な建造物の上にピラミッドがあるのだ。


 僕は正方形の島に降り立つと、魔法の絨毯を消した。


 周りを確認するが、島はコンクリートのように見えて触ってみると金属のように冷たくて硬い。コンクリートは百年そこらで朽ちると言われているので、この遺跡の古さを考えると未知の材質なのかもしれない。


 一応だけど地面に槍で僕の名前を刻んだ。これでサナルジア大迷宮は踏破したと言う事になる。しばし自分の名前を眺めると、気持ちを切り替えてピラミッドの入り口に眼を向けた。


「ロキ、僕から離れちゃダメだよ」


「きゃう!」


 槍を握りしめピラミッドの入り口へと近づく。


 入り口は地上の遺跡のように大きな柱が立ち並び、奥へと導くように続いていた。扉の前に辿り着くと、閉ざされた分厚い石扉に奇妙な絵が描かれている。


 それは二人の女性が争う様子だ。それぞれの足元には、人間のような小さな人型が沢山集まり武器を持っている。これが何を意味するのかは全く分からない。ただ、二人の女性は白と黒で色分けされ、黒い方は邪悪なイメージを抱かせた。


 僕は扉に手をかけると、石扉は抵抗もなくすんなりと開く。


 中を覗くと闇に満たされており、光がなければ見えない感じだ。すぐに魔法で明かりを作ると古代遺跡の中へ足を踏み入れた。



 ◇



 数分ほどピラミッドの中を探索しているが、同じ景色ばかりでうんざりしていた。


 壁にはダンジョン内と同じような壁画が描かれているが、天井も道幅もそれほど広いわけではなく狭い通路を延々と歩き続けるような状態だ。地図を作るにしても、やはりオートマッピングをやり直す事になるのでその辺は諦めていた。此処まで来ると面倒に感じたのだ。


 しかし、この通路は本当に埃臭い。歩けば大量の埃が舞い上がるのだが、内部の保存状態は非常に良いと言える。それに時々、壁に宝石のような物がはめ込まれているので、貰ってしまおうかと欲が出るのも困っていた。冒険者から盗賊にジョブチェンジは御免だ。


 しばらく歩くと、ようやく扉らしき場所を発見して一安心した。


 心の中で迷子になったのかと自問自答していたのだが、僕の勘違いだったようだ。


 扉に手をかけた僕はすぐに問題に気が付く。


 ぴったりと閉じられた扉は、観音開きのようだが押しても引いても全く動く気配がない。中央部分には鍵穴らしきものが見られるが、その形は菱形で鍵にしてはかなり大きい。


 床に座り込んだ僕は、しばし思案に耽る。


「うーん、ここは闘気で鍵を作った方が良いかな……」


「きゃう!」


 ロキが僕のリングを前足でぽんぽんと叩く。最初は遊んでほしいのかと思っていたが、何度もリングを叩くので何かを伝えようとしているのだと気が付いた。


「でも、リングに何か入っていたかな?」

 

 リングの中を覗いてみると”宝剣”の表示が眼に飛び込む。


 そう言えば九階層の宝物庫から手に入れた剣があったはずだ。


 すぐにリング内から取り出して鞘から抜いてみると、薄紅色の刀身が照明の光を反射させた。刀身の表面をよく見てみると、うっすらとだが電子回路のような模様が描かれている。何となくだが怪しい。


 物は試しに菱形のカギ穴へ剣を差し込んでみると、どこからか”がちゃり”と鳴り響き床が振動する。僕は上手くいったと思って扉を見ていたが、一向に開く気配はない。すると突然、扉の横の壁が音を立てて開いて行くのだ。


「まんまと騙されたってわけだね……」


 僕が扉だと思っていたのは、ただの飾りであり開くことはなかったのだ。しかし、こうまでして隠したい物が奥にはあると考えることもできる。


 ロキを頭に再び乗せると、隠し通路へと足を踏み入れる。


 短い通路を抜けたその先は、小さな部屋だった。両壁には棚が備え付けられており、書物が所狭しと敷き詰められていた。


 その一冊を握ると、手の中で崩れて床に散らばる。年月により風化しているようだ。


 その中で何冊か眼を引く物を発見した。背表紙が金色に光り、普通の書物とは違う雰囲気なのだ。手に取ってみると崩れることはなく、確かな感触を伝えてくる。


 パラパラとめくってみると、そこには妙な形だが飛行船のような物が描かれていた。文字はのたくっていてまったく読めないが、グリム様であれば読めるかもしれないと思い、それらの本を回収するとまとめてリングに放り込む。


 部屋の奥にはさらに通路が続いているようで、迷わず奥へと進む。ここに何が隠されているのか見ておく必要があると思うのだ。


 しばらく通路を歩くと、今度は長い階段が現れた。


 何度も折り返しを繰り返しながら階段を昇り続け、ようやく扉の前に辿り着いた僕は妙な圧迫感を感じる。それは扉の向こうからだ。

 しかし、魔獣の気配とは違い敵が居るような感じではない。何というか空気が重いと言うべきか。水中に入ったような纏わりつく感じが向こう側から漂っていた。


「きゃぅぅ……」


「ロキも感じるんだね。大丈夫、僕がついているよ」


 頭の上にいるロキを撫でると、扉に手をかけて開こうとする。


 ――が、扉は動かない。


 よく見ると、ここにも鍵穴のような物が扉に設置されていた。小さなくぼみでビー玉程のなにかがはめ込まれる仕組みになっている。


「剣とくれば……次はリング?」


 腕に嵌めたストレージリングには朱い宝石がはめ込まれている。これを押し当てればいいのかと、一応だが試してみた。


 ”がちゃん”と音が鳴り響き、扉の施錠が解かれた。


 ゆっくりと扉を開けると、眩い光がその隙間から差し込んでくる。空気は重く、充満していた何かが勢いよく漏れ出ているようだ。その証拠に強い風が僕に向かって吹きつけていた。


 風が収まると、ようやく光景が眼に入る。


 そこは広い空間に、中心には金属で造られた台座が置かれていた。周りには青い結晶が至る所に生え、まるで部屋全体が凍り付いたようにすら感じさせる。


 そして、台座の上には巨大な一塊のクリスタルが宙に浮いていた。


「どうして……どうして……そんな中に居るんだよ……」


 僕は巨大なクリスタルに近づき声を漏らした。


 何度確認しても記憶の中の彼女と同じ。


 告白に失敗した時に見たあの横顔。


 忘れられない大切な人のあの微笑み。


 数百、数千の思い出が脳裏をめぐり、目の前の彼女は本人だと心が叫んでいた。




 クリスタルの中には、死んだはずの霞が制服姿で眠っていた。





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