53話 「ロキ」


「きゃうん、きゃうん」


 親狼であるフェンリルが去ってから数時間が経過した。子狼が僕から離れないのでしばらく遊んでやることにしたのだが、これがまた可愛い。


 魔法で作った光の球を飛ばしてやると、一生懸命に追いかけるのだ。その姿を見るだけで目尻が下がってしまって、ダンジョン攻略の意欲が削がれていた。


「さすがにそろそろ出発しないとダメだよなぁ」


 そうボヤくと、子狼は僕の膝に乗って小さな尻尾を振る。その目はキラキラと好奇心旺盛な色を見せている。もしかして冒険に着いてきたいとか思っているのだろうか?


 流石にそれはないなと考えを改めると、子狼を床に置いて立ち上がる。名残惜しいが、地上では仲間が僕を待っているのだ。いつまでも遊んでいる訳にもいかない。


「きゃうん!」


 ぱたぱたと僕の周りを走り始めると、子狼は僕の足に飛びつき器用によじ登り始めた。そのままどうするのかと見ていると、太ももから腰に上がり、今度は背中をよじ登ると最終的に頭の上に到達した。


「あおーん!」


 狼らしい小さな遠吠えをすると、ひしっと頭に手足を広げて自身を固定する。要するに着いてくると言っているのだ。しかし、親狼はどうするのだろうか。まだ子供であり、親狼も健在だ。このまま僕と子狼が旅立つことを許すはずがない。


 仕方なく頭から子狼を床に下ろすと、きちんと言い聞かせる。


「君は親が居るでしょ。こんなところで僕と遊んでないでちゃんと帰らないとダメだよ」


 そう言って指をさすと、子狼は指先をぺろぺろと舐める。可愛い。


 そもそも話が通じるはずがないじゃないか、いつから勘違いしていたんだろうか。可愛くても連れて行けない。可愛さに騙されてはダメだ。可愛い駄目ゼッタイ


「くぅん……」


 子狼は連れて行ってもらえない事を理解したのか、しょんぼりと項垂れる。その姿を見るだけで僕の心は罪悪感に苛まれる。もはや精神的に無理だ。これ以上は拒絶できない。


「もういい! 一緒に行こう! 僕が何処までも連れて行ってやる!」


 子狼を抱きしめると、嬉しそうな鳴き声を上げた。耐えられる限界を超えたのだ。こんな可愛い生き物を見て冷静にいられる人間など居るだろうか? 否。いる筈がない。


「きゃぅんきゃぅん」


 ぺろぺろと僕の顔を舐める子狼は【ロキ】と名付ける事にした。


 名前に特に意味はない。僕は昔から直感で名前を付ける癖がある。アストロゲイムしかり、パルしかりとほぼ直感で名前を付けているのだ。霞には昔からネーミングセンスがないと馬鹿にされてきたが、今回はかなり良い線をいっていると思う。


 気を取り直して歩きだした僕は、ロキを頭に乗せて地図を確認する。


 どうやらこのDエリアは魔獣が豊富らしい。至る所に赤い点が見受けられた。それにアビスクイーンのように集団で固まっている感じも見られない。


「ロキ、敵が近づいたら鳴いちゃダメだよ」


「きゃぅ」


 やはり僕の言葉を理解している感じだが、親の元へは帰りたがらないのはなぜだろうか? そんな事を思いつつ魔法を行使する。


隠蔽光シークレットライト


 隠蔽光とは、臭い、姿、音を完全遮断した僕のオリジナル魔法である。もはやここまで来ると属性とは何なのかと問いたくなるが、実際には光属性に隠蔽の属性を付与した物なのだ。世の中に隠蔽属性などと言う物があるかどうかは分からないが、発動したのでなんら問題はないのだと思う。


 ロキは最初は戸惑っていたが、僕の説明に何となくだが理解を示し何となくだが納得したようだ。相手が狼なので、こればかりはどうしようもない。


 いつものように通路に散らばる骨の陰に隠れながら進んでいると、進路上に魔獣らしき影が見える。その姿は一見すると虎に見える。


 金色に黒の縦じま模様が芸術作品さながらの美しさを見せ、猫科特有のしなやかな筋肉を持つ体に、二つの頭部は肉食獣独特の威風堂々とした姿を誇示していた。その気配に僕とロキは震えあがった。


 全長約三十m。アビスクイーンと同等クラスの化け物が、ここにも居たのだ。僕はすぐに”ドゥン”と名付ける。


 インド神話に登場する虎や獅子の怪物の事をそう言うのだが、まさしく目の前の魔獣は相違ない生き物だった。ロキはあまりのプレッシャーにぶるぶると震え、僕の頭に摑まっている事がやっとのようだ。


「ロキ、大人しくしていればばれないから大丈夫だ」


「くぅん……」


 こそこそと話しつつも、音がドゥンに聞こえないかビクビクしている。


 突然、ドゥンが底冷えするような咆哮を放つと、地図上に赤い点がいくつも現れた。その速度は異常に速く、ドゥンの周りには四体の魔獣が取り囲むような形で地図に表示される。


 視界を確認すると、ドゥンの前には一匹の狼が立っていた。フェンリルだ。


「がるるるる……」


「がぅううう……」


 二匹は互いに牙をむき出して唸り声をあげると、周囲には激烈な気配がぶつかり合う。一触即発の状態を僕とロキは見守っていた。このままでは逃げる事も出来ないので、身を潜める事にしたのだ。


 二匹はどちらもアビスクイーンクラスの気配を持っている。さらに仲間だろう三匹がドゥンの背後で待ち伏せていた。体格で言えばドゥンだが、数で言えばフェンリルだ。


 互いに威嚇を続けると、フェンリルが通路の端に身を寄せた。ドゥンは唸り声をあげつつも、その横を通り去ってゆく。どうやら争いは回避されたようだ。

 冷静に考えてみると、ドゥンと争うことはフェンリルにとって得策ではないのかもしれない。それはドゥンにとっても同様だろう。どちらが勝ったとしても手痛い事になるのは明白だ。頭のいい二匹は威嚇だけで妥協したと見るべきなのだ。


「うーん、魔獣の戦いも意外と勉強になるなぁ」


「わぅう?」


 緊張感から解放された僕は、しみじみと今のやり取りを分析していた。しかし、あの二匹がこのエリアのボスなのかはまだ不明だ。さらに上が居るとは思えないが、用心することは間違いではない。


 地図上で魔獣の表示が消えた事を確認すると、僕は十階層へ行く為の道を目指す。



 ◇



 歩き始めて三日が経過した。もう時間の感覚はほとんどない。


 ロキが居るので寂しさは感じないが、大迷宮がいかに広いかをまざまざと見せつけられた感じだ。


 ここに来て蜘蛛が出始めたのだ。


 どうやらAエリアと繋がる場所があるみたいで、そこから蜘蛛達が現れているようだが、問題はその数だった。下へと続く道を目指せば蜘蛛の巣が段々と増え始めていた。僕はそれらを見かける度に嫌な予感を感じていたのだ。


 そして、その予感は的中した。


 あと少しで十階層へ行く為のスロープがある通路のど真ん中に、サナルジアスパイダーの親蜘蛛であるクイーンが居座っているのだ。


 その姿を見たときは、何度も地図を確認したがやはり黄色いマーカーを付けたクイーンに間違いなかったのだ。だとするならAエリアからDエリアへ直通の道があったと言う事だ。しかもクイーンが通れるような大きな道が。


 僕はすぐに隠し部屋を作成すると、そこに籠って子供の様にジタバタと床で暴れた。それもそうだろう、BエリアCエリアを通ったのは無駄だったと言うことなのだ。あれほど危険な目に合ったのは何だったのだろうか。


「くそぉ……ここに来て足止めか……」


「きゃぅう」


 ロキは僕の顔をぺろぺろと舐めて元気づけてくれる。ロキと出会えたことは幸運だったのだから、あながち無駄でもないと自分を励ますと、ひとまずロキと遊ぶことにする。


 あれから分かった事がある。ロキはどうやら親狼と決別したようだ。


 フェンリルの生態と言う物は分からないが、三日経過した現在でも子供を探す行動が見られないのだ。それどころか完全放置である。


 もしかすれば親狼と出会った時に、ロキが何かを伝えたせいで育児を放棄した可能性もある。だとするなら僕が肉を与えたせいだろうか?

 しかしながら地球の狼や犬と違い、此処は異世界で大迷宮の中だ。独自の生態系を築いている生物には僕の常識は通用しないのかもしれない。


 とまぁマイナスな考えをしているが、結論から言うと親狼を気にしなくてもいいと言う事になるのだから少し安心している。堂々とロキをダンジョンから連れ出せることは喜ばしいのだ。


 それにロキも親狼を気にする素振りすら見せないので、やはり連れ出していいのだと確信していた。こんなに可愛い生き物を返せる気もしない。


「ロキは可愛いなぁ」


「きゃう」


 お腹を撫でてやると、嬉しそうに尻尾を振り乱す。逃げれば一生懸命に追いかけて来るのだ。狼と言うが見た目は完全に子犬だった。


「あ、こうしている場合じゃなかった」


 やっと正気に戻った僕は、スパイダークイーンをどうするべきか頭を悩ます。正直クイーンに勝てる気はしない。アレもアビスクイーンと同等クラスなのだ。どうしてこんなに化け物が多いのか泣きたくなる。


 そこで名案が閃いた。もちろん倒す算段ではない。


「一瞬でも動きを止められれば、逃げられるかも」


 隠蔽光がある以上は、逃げられる可能性は高い。しかしながら問題は奴の張り巡らせている蜘蛛の巣だ。これを上手く回避しなければ、先へは進めないのだ。


 隠し部屋から出ると、バッグから取り出したコーヒー豆を魔法で作った糸にくくりつける。今も眠っているクイーンの口へ糸を伸ばし、コーヒー豆を放り込んだ。


 数分後、スパイダークイーンは蜘蛛の巣の中で暴れはじめる。


「チャンスだ」


 隠蔽光を発動した僕は、今も暴れているクイーンの巣へ近づく。奴は巨大な身体を巣へとぶつけ、通路から蜘蛛の巣を排除してくれた。見るからに混乱している様子だ。


 自身の糸によって絡まり始めたところを見計らって、僕は通路を直進する。


 蜘蛛はコーヒーが苦手と言うのは、知る人ぞ知ると言う情報だろう。蜘蛛にコーヒーを摂取させると、酒を呑んだような状態になることは分かっている。正直いえば異世界で通用するか不安だったが、魔獣と言えど蜘蛛と言うことには変わりなかったようだ。


 ただ、コーヒーを持っていたのは幸運だった。旅をしていた頃は野営なんてする事も多かったので大目に購入していたのだが、まさかこんなところで役に立つとは思いもしなかった。過去の自分を褒めてやりたい気分だ。


 上手く通路を抜けられた僕は、振り返りもせず走り続ける。


 地図上ではクイーンは動いていないが、まだ子蜘蛛達が居るのだから油断は出来ない。すぐに槍を構え戦闘態勢に移行する。すでに視界には多くの子蜘蛛がわらわらと姿を現していた。


「ロキ、摑まっていろ!」


「きゃうん!」


 アストロゲイムに闘気を込めると、全身を捻り一気に解き放つ。矛先は数百と膨らみつつある子蜘蛛の集団だ。



 闘槍術 【トルネードチャージ】



 解き放たれた闘気は、空気を巻き込みながら渦を創り出す。風は強烈に蜘蛛達を引き裂きながら突き進み壁へと叩き付けた。通路には一筋の道ができ、僕はただまっすぐに前へと走り抜ける。


「ぎちぎちぎち」


 僕の後ろを蜘蛛達が追いかけて来るが、すぐに通路に向けて魔法を行使する。


隔絶壁光ウォールライト!」


 光の壁が通路を完全にふさいだ。子蜘蛛達は壁にぶつかり先に進めない状態だ。


 その間も必死で走り続け、ようやくスロープが見えてきた。ぽっかりと口を開いた場所はまるで地獄へ誘うようにも見える。


 この先は最下層だ。


 僕は立ちどまると深呼吸を行い乱れた息を整える。この先なにが待っているのか分からない。九階層以上の地獄かもしれない、はたまた大迷宮の謎が明かされるかもしれない。どちらにしても、僕にはもう時間は残されていない。


 地上で仲間が待っているんだ。


「行くぞロキ!」


「きゃうん!」


 僕は下へと一直線に延びるスロープへと足を踏み出した。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る