35話 「ワイバーン討伐:出発」


 宿で眼が覚めた僕はのそりと起き上がり、井戸に向かう準備をする。隣の部屋からは相変わらず、アーノルドさんの独り言が聞こえるが今は無視だ。


 部屋を出ると宿の裏手のある井戸に辿り着き、ポケットからタラケバの茎を取り出すと歯を磨き始める。早朝と言う事もあってか太陽は未だに見えず、人気のない王都の街並みには霜が降りてきていた。


 若干の肌寒さを感じつつも、歯を磨き終えると井戸水で顔を洗う。


「ぷっはぁ! 気持ちいいな!」


 冷たい井戸水は、光に照らされながら僕の手元から地面に落ちて行く。一日の中でこの時間が一番好きだ。


 アストロゲイムを握ると、日課である素振りを始める。


 繰り返す素振りの中で今日の事を考えていた。実は今日はワイバーンを狩りに行く日なのだ。


 ギルド本部での出来事から二日ほど要して僕はワイバーンに関する情報を集めた。そして集めた情報を基に、ワイバーンが居るだろう場所を予測したのだ。もちろんすでにバッカスさんには討伐に行くと報告している。同行にフィルティーさんが来ることになっているけど、少しだけ緊張している。


 というのも、いままで三人で旅を続けてきたので、誰かがクエストに同行してくるというのは初めてのことなのだ。しかもフィルティーさんはリリスに負けず劣らずの美人だ。男ならだれでも緊張するはず。ただ、リリスに緊張するかというとそうではないので、不思議なことだと自分でも首をかしげたくなる。


「朝早くから熱心だな」


 その声に振り替えると、そこには旅支度を整えたフィルティーさんが立っていた。


「おはようございます」


「ああ、おはよう。君はいつもこうやって鍛錬を続けているのかい?」


 質問するフィルティーさんは、興味深そうに僕の姿を眺めている。


「ええ、そうですけど、この辺りでは珍しいですか?」


「いや、私も鍛錬は欠かさない。しかし、君はまだ幼いのに実に堅実そうだな」


 そこで僕はハッとする。もしかして僕のことをかなり幼い子供だと思っているのかもしれない。この世界は多くが白人だ。そのため、僕みたいな東洋人顔は年齢以上に幼くみられる傾向があるようだ。


「あ、あの、こう見えても二十二歳なんですけど……」


「え!? その顔で二十二歳なのか!? なんて羨ましい……いや、失礼した!」


 あたふたとするフィルティーさんを見て、僕は少し笑ってしまう。見た目や雰囲気は堅そうだが、意外と話しやすいことに気が付いたからだ。


「いえ、僕が幼くみられるのは昔からですからね。今更気にしていませんよ」


「そうか……しかし、私と同じ歳だったとは意外だな。可愛い感じがなんとも……」


 一人ぶつぶつ言っているフィルティーさんは、ちらちらと僕を見てくる。もしかして男らしくない容姿に不満があったのだろうか? でもそれは無理な話だ。僕だって好んで童顔になったわけではない。


「まぁいい。もしよければクエスト前に手合わせをお願いしたい」


 今度は僕が驚かされた。


「フィルティーさんと手合わせですか? たぶんそんなに強くありませんよ?」


 僕はギルド本部でのフィルティーさんの気配を覚えている。あの底冷えする洗練された気配は、間違いなく並みの腕でないことは明白だ。同時に僕の力がどこまで通用するのか興味はあった。これでも冒険者のはしくれだ。僕とて鍛えた力を磨くことに興味がないわけではない。


「じゃあ胸を借りるつもりで戦わせてもらいます」


「胸を借りる!? な、なんて破廉恥な……」


 顔を真っ赤にしてあたふたとするフィルティーさんを余所に、僕はアストロゲイムを構えた。きっとあんな感じだけど、すぐに対応するに違いない。


 闘気を足に込めると、フィルティーさんめがけて飛び出した。目前に来ると槍の腹を顔面に振り下ろす。きっと、ここから剣で防がれて反撃をもらうはずだ。僕はそこから避けて――。


 そんな先のことを考えながら振り下ろした槍は、見事にフィルティーさんの顔面に直撃した。


「あぎゃ!?」


 変な声を出してフィルティーさんは地面に倒れる。


「……へ? フィ、フィルティーさん?」


 地面に大の字で倒れているフィルティーさんは、完全に気絶していた。額には赤いタンコブができ、見るからに痛そうだ。するとどこからか笑い声が聞こえ始める。


「あっははははは! 無理! 我慢ができない!」


 宿の屋根を見ると、そこには腹を抱えて笑い転げるリリスが居た。


「リリス、見ていたんなら声をかけてよ」


「だって、だって……ぶっははははは! 話しかけないで! まだ笑いが止まらないから!」


 先ほどのやり取りがよほどツボにハマったのか、リリスは会話もままならないほど笑い続ける。僕は溜息を吐くとフィルティーさんを担いで、宿の中に戻ることにした。



 ◇



「ここは……」


 ベットで寝ていたフィルティーさんが目覚めると、僕は額に乗せていた濡れタオルを交換してあげた。


「気が付きましたか?」


「ああ、私は君にやられてしまったようだな……」


 冷えた濡れタオルをそっと触り、彼女は先ほどのことを思い出しているようだ。


「痛みはどうですか?」


「いや、もう痛みはない。しかし……君は見かけによらず老獪だな。まさかあんな言葉で私を油断させるとは……」


 僕は耳を塞ぎたくなった。相手の胸を借りるという言葉の意味が、伝わらないとは誤算というか予想外だった。でもよく考えればここは異世界だ。今まで日本語が通じている時点でおかしい。フィルティーさんには、さぞ卑猥な言葉に聞こえたことだろう。


「謝らなければならないのは僕のほうです。急に胸を借りるなんて驚かれたことでしょう。あの言葉の意味は”格上の人に練習を付き合ってもらう”って言葉なんです」


「なるほど。ではやはり、そのような言葉を知らなかった私が悪いではないか。大友は純粋な気持ちで言っただけなのなら、間違って受け取った私に原因がある」


 フィルティーさんは頑なに、自分が悪いと言い張っていた。すると、次第に彼女の顔が桃色に色付く。


「わ、私にあんなことを言うのはグリム様だけと思っていたからな。油断していた」


「フィルティーさんはグリムさんと面識があるんですか?」


「ああ、あの御方に今は師事しているからな。当然だ」


 なんとフィルティーさんは賢者様のお弟子さんのようだ。


 彼女の話ぶりからすると、賢者様は随分とお若い心の持ち主のようだが、だったらもう少し免疫があっても良いように思う。そんな事を少しだけ思ったがここは飲み込むことにした。


「それじゃあそろそろクエストに出かけますけど、大丈夫ですか?」


「ん、大丈夫だ。時間をとらせて悪かったな」


「良いですよ、フィルティーさんに怪我がなかったのなら僕としては嬉しいですから」


「なんて優しくて可愛いんだ……」


 ぼそっと呟いたフィルティーさんは感動したように震える。だ、だいじょうぶだろうか? もしかして頭を強く打ちつけ過ぎて、まだ混乱しているのか心配になる。


 身支度を整えた僕たちは宿を後にする。見送りには宿の支配人であるクリストファーさんが出てくれた。


「クエスト頑張ってください! 従業員一同成功を祈っております!」


 白いハンカチを振るクリストファーさんは、朝の王都で見送る僕たちに叫ぶように声援を送ってくれた。戻って来るとまたお世話になる予定だが、出来ればお土産を渡してあげたい。


 日が昇り始めている朝の王都は何処も大勢の人で賑わっている。子供たちは嬉しそうに走り回り、猫に似た動物が欠伸をして塀の上でのんびりしていた。


 東門へたどり着いた僕たちは、門にある彫像を目にした。


「アーノルドさん、あの二人の人物はどんな人なんですか?」


「フハハハハ! あの二人は”エクスペル”と”スターリア”である! 見よ、我がご先祖様の雄々しいお姿を!」


 二体の彫像は仁王像のようにポーズし、口をへの字にしている。一体は何故か上半身裸で見事な筋肉が隆起していた。もう一体は鎧を身に纏い棍棒を振りかざす様子が印象的だ。恐らく裸な方がアーノルドさんのご先祖様だろう。何故だかすぐにわかった。


 そこにフィルティーさんが、補足してくれる。


「八人の大英雄はそれぞれが違った戦い方をしていたらしいぞ。エクスペルは素手、スターリアは棍棒と、魔族すら舌を巻くほど卓越した戦士だったそうだ」


 僕は感心して話に耳を傾ける。前々から異世界の伝記や伝説に興味があったからだ。聞いているとまるでファンタジー小説を読んでいるような感覚になる。


「どうでもいいから、早くいきましょ。このままだと日が暮れるわよ」


 リリスの言葉に僕たちは再び歩きだした。彼女はいつも通り背中に布団を背負って高飛車だが、今回のクエストには妙にヤル気だ。いつもなら面倒臭そうにしているだけに、少し気になった。


「リリスはワイバーンが好きなの?」


「そんなわけないでしょ。達也は知らないのね、ワイバーンは肉が美味しくて有名なのよ?」


「え? そうなの?」


 すると、隣を歩いていたアーノルドさんが説明してくれる。


「主人よ、ワイバーンは特殊な魔獣なのだ。その肉質は鶏肉と獣肉を良い所取りしたような物だと言われている。市場に下ろせばたちまち高値で買い取られるくらい美味で、それでいて珍しい」


「そうね。私も口にしたのはかなり前だったけど、食べた時は本当に美味しかった。大友も食べてみるといい」


 フィルティーさんの口ぶりは本当に美味しそうな感じだ。余裕があるなら二頭くらいは狩りたいけど、贅沢は言えない。とりあえず目標は一頭だ。


 東門から歩き続ける僕たちは草原のような場所を通っている。遠くには山々が見え、東に向かって風が流れているように感じた。


「皆、あの見えている山にワイバーンが居るそうだよ」


「じゃあ、あの山には沢山ワイバーンが居る訳ね」


 リリスの言葉に僕は頷く。これから行く先は【竜の谷】と呼ばれる場所だ。そこには多くのワイバーンが生息し、狩場としては有名らしい。とは言え、Sランクの魔獣であるため、そう簡単にはいかない事も有名だ。まずはそこを目指し、そこから僕が調べた狩りやすい場所に移動し待ち伏せする予定なのだ。


フィルティーさんが、そっと僕の耳元で質問をしてきた。


「あのリリスとか言う女の子は何者だ? 気配が尋常じゃないのだが……」


 その言葉に僕は苦笑する。気配や闘気をコントロールできないリリスはいつも垂れ流している状態だ。当然フィルティーさんのように気配に敏感な人は、すぐに違和感に気が付く。人形のように綺麗でもリリスは魔族なのだ。


「えっと、リリスはすごい才能の持ち主なんです。でもコントロールが下手で、気配を隠すことはまだできないんです」


 なんとか絞り出した言い訳は、自分でも無理だろうと分かるものだった。


「そうか、道理であんなにも強力な気配なのか。納得した」


 簡単に騙せてしまった事に罪悪感を感じる。フィルティーさんは素直すぎる。


 四時間ほどして山の麓までたどり着くと、一度休憩をとることにした。ここからは険しい山道が続いているため、早めの昼食と情報の整理をしておかなければならない。


「じゃあここで竜の谷へ着いてからのことを話しておきますね」


 僕の言葉に三人は頷いた。ただ、フィルティーさんは同行者だから見ているだけでいいのだが、彼女はクエストに参加する雰囲気だ。


「ではまず、竜の谷へ着くとそこから待ち伏せする場所へ向かいます。待ち伏せ場所には定期的に一頭のワイバーンが来るそうなので、そこでリリスに魔法を使ってもらい捕縛します。僕とアーノルドさんはその間に攻撃しますので、フィルティーさんは周囲の警戒のために見張りをお願いします」


 三人は「分かった」と返事をすると、僕の手元にある料理に目を移す。せっかくなので話しながら料理をしていたのだが、三人の集中を乱してしまったようだ。ちゃんと理解しているのか心配だ。


 適当なスープとハンバーガーを作ってみたのだが、三人には好評だった。特にフィルティーさんはうっとりしたようにハンバーガーを噛みしめ、何度も美味いと連呼する。


「これは本当に美味しい! 君は天才か! 君の仲間は毎日こんなものを食べて羨ましいぞ!」


「別に毎日作っているわけじゃないのですが、今日はたまたまですね。宿でマヨネーズを作っておいたから特別ですよ」


 ハンバーガーにご執心のようで、本当にリリスやアーノルドさんを羨ましそうに見ていた。リリスもハンバーガーには満足したようで、食後には名残惜しそうに溜息を吐いている。


「みんなに喜んでもらえて嬉しいよ。はい、紅茶です」


 三人に紅茶をいれると、フィルティーさんは興味深そうに紅茶をのぞき込む。


「大友、この紅いお茶はなんだ?」


「これは紅茶といいます。僕たちは食後によく飲むんですが、ぜひフィルティーさんにも飲んでもらいたいです。美味しいですよ」


 恐る恐る紅茶に口をつけた彼女は、すぐに紅茶を遠ざけた。


「お気に召しませんでしたか?」


「違う! なんだこのお茶は! 美味すぎる!」


 驚愕の表情を浮かべた彼女は、紅茶に心底驚いた様子だった。そんな光景を見ながら香りを楽しむリリスは、珍しく微笑みながらしゃべりかける。


「紅茶は達也と一緒でないと飲めない至高の飲み物よ。貴方もその価値に気が付いたようね」


「ああ、これは実に素晴らしい。私はコーヒーが苦手で緑茶しか飲まないのだが、これならいくらでも飲める。いや、これはまさに嗜好品の域に達している」


 紅茶を絶賛するリリスとフィルティーさんに、僕は少し照れる。考え出したのは地球の人だが、この世界で製造方法を知っているのは少なくとも僕とシヴァ様くらいだ。それだけに褒めてもらえるのは実に嬉しい。


「またしても素晴らしい物を出してきたか……このままでは私は虜になってしまう……」


 ぶつぶつと呟くフィルティーさんに、僕は深くうなづく。紅茶は素晴らしいものだ。だから虜になるのは仕方がないことだと思う。うんうん。


「主人よ、そういえば街でとある話を耳にした」


 アーノルドさんが話を変えるように切り出した。


「とある話?」


「うむ、どうやら聖女がワイバーン討伐に来ているとの話だ」


「聖女?」





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