34話 「英雄候補」
ギルドの中へ入った僕と男の子は、女性の後ろに着いて二階へと上がって行く。その間に男の子はぶつぶつと呟いていた。
「どうして俺が呼び出されないといけないんだ。悪いのはどう見てもこいつだ」
男の子は僕を睨み付ける。僕が正しいと思うけど、もしかすれば王都ではこんなやり取りは普通で、僕が間違っているのかもしれない。そう考え始めると、少しずつ不安を感じ始めた。だって、隣に居る男の子は悪いと言いきっている。ここまで間違っていると言われると、僕が本当に常識を知らないと思うじゃないか。
目の前を歩く女性は若草色の髪に、光を反射するほど艶があるポニーテールを揺らしている。細身の体には軽装備が装備されている。腰には武骨な一本の剣が異彩を放ち、ホットパンツのようなズボンから伸びる白い脚は長くしなやかに見えた。
「ここだ。入れ」
女性はとある部屋の前で止まると、ドアを開けて僕たちに中に入るように命じた。
部屋の中は簡素で、何処かの社長の部屋みたいな感じだ。ソファーに本棚と壁には剣と槍が飾られている。中に入ると一人の中年男性が椅子に座り、机に頬杖を突いている。見るからに暇そうな印象を受けた。
僕たちは中年男性の前に立つように言われると大人しく従った。
「お前らが、騒ぎを起こした奴らか」
「俺は悪くない! こいつが――」
「うるせぇ! おめぇの話は聞いてねぇよ!」
男の子がしゃべり始めると、中年男性は怒鳴り声を上げた。僕と男の子は驚きのあまり体を震わせた。僕が怒られた訳ではないけど、怒鳴られるのは久しぶりだ。シンバルさんやブライアンさんでさえも、ここまで大きな声で怒鳴ることはなかったのだ。
傍に居た女性が、淡々としゃべり始める。
「原因はどうやら強引な仲間のスカウトみたいですね。槍を背負った少年の仲間を剣を装備した少年が強引に誘ったみたいです」
「俺はマルス・グレイブと言う名前があるんだ! 少年と言うな!」
「……と言う事みたいですね」
少年――マルスは名前を呼ばれない扱いが気に入らないのか、女性に食って掛かる。が、女性は気にした様子もなく、マルスとは視線すら合わせない。
「なるほどな……そこの少年――」
「僕は大友達也と言います」
「そうそう、大友はマルスに仲間をスカウトされたのか?」
中年男性は気怠そうに僕に質問する。まるでやる気のない裁判官を目の前にしているような気分に陥る。男性の格好も薄手の白シャツで、髪はくせ毛なのか全体がふんわりと膨らんでクルクルとうねっている。そう、アフロだ。さらに顎鬚が男らしさをアピールしているようだった。
「はい。マルスさんが僕の仲間を俺に譲れと言うので断ると、突き飛ばされて剣を抜こうとしたのです」
「ふざけんな! てめぇ、嘘言うな!」
「五月蠅い。フィルティー話は事実か?」
「おおむね、その通りですね」
男性は椅子の背もたれに背中を預けると、小さくため息を吐く。
「ではマルスには一ヶ月のギルド使用停止命令を出す」
男性の言葉に、マルスはふるふると震えだすと大声で異議を申し立てる。
「おっさん、いい加減にしろよ! 俺はグレイブ家の次男だぞ!? 俺にそんな事していいと思ってんのか!?」
「それがどうした? 貴族だろうと、ここは冒険者ギルドだ。ここの方針には貴族だろうと従ってもらう」
「もういい! てめぇは親父に言って首にしてもらう! 後で後悔するんだな!」
僕はマルスが貴族だと初めて知った。随分と質のいい装備を付けていると思っていたけど、まさか貴族だったとは。とは言え、僕は貴族社会のない日本から来た。いまいち貴族の扱いに理解が及ばない。
マルスの言葉を聞いた男性と、フィルティーと言う女性は何故か笑い出した。
「グレイブ家は伯爵家だろう? だったら俺を首にすることは出来ないぞ」
「出まかせを言っているんだ! だったら名前を言ってみろ!」
「お前が目の前にしているのは、ギルドイグニスのバッカス・レイアンだ」
フィルティーと呼ばれる女性が、答えるとマルスは顔面が蒼白になった。
僕はアーノルドさんに聞いた話を思いだした。ギルドはギルドバーテックスを頂点とし、その下には四人の幹部が存在する。
一人、ギルドイグニス
一人、ギルドアクア
一人、ギルドアーエール
一人、ギルドテッラ
その下には各ギルドを治めるギルドマスターが存在する。ギルドはエドレス王国の至る所に存在し、その影響力は強大だ。ギルドを創設したと言われる初代国王は、国民に魔物と対等に戦うための場を用意したとされ、その為には貴族に影響されてはならないとギルドを独立機関と定めたそうだ。その為、ギルドに直接命令を出せるのは国王のみとされている。現在では、ギルドの上層部は貴族にすら影響を与える力を持ち、もう一つの貴族だと囁かれているそうだ。
「どうした若造? 俺を首にするんじゃなかったのか?」
「あ、あ、俺は……」
「では文句はないな。一ヶ月の停止処分だ。今後は強引なスカウトは控えるべきだな。次はないぞ?」
「……はい」
マルスは項垂れて小さく返事した。彼は力なく部屋から出て行くと、僕だけが残される。僕も部屋から出て方が良いのかな。そう思って足を進めると、バッカスさんから声がかかる。
「まぁ待て。大友と言ったか。見た目によらず随分と落ち着いているが、どこかで修行したのか?」
「え? ああ、はい。僕はシンバルさんと言う、シーモンで運送業をしている方から色々と教わりました」
「シンバル? もしかして”魔物喰いのシンバル”か?」
「そのシンバルさんかは分かりませんが、昔は冒険者をしていたと聞いています」
しかし、魔物喰いのシンバルなんて変なあだ名だ。きっと同じ名前の人だろうと思う。シンバルさんは魔物なんか食べ……るね。昔はよく魔獣を食べていたって言うし、僕が狩った魔物も食べていた。
「あのシンバルの弟子か! これは嬉しい話じゃないか! 俺は昔シンバルと一緒にパーティーを組んでいたんだぞ!」
「そうなんですか? シンバルさんはあまり昔を話したがらないんで、そう言う事は初めて知りました」
「ハハハハ、だろうな。あいつは昔から自分の過去を話さない奴だからな。しかし、あいつが弟子をとるとはな」
ますますシンバルさんの過去が知りたくなる。僕が知っているシンバルさんは何時だって優しいのだが、昔はそんなにも違ったのだろうか?
「僕はシンバルさんに手紙を届けるように頼まれて、王都まで来たのですが許可書が必要だと言われて足止めを食っているんです」
「許可書? どこに用があるんだ?」
「力の塔に居るグリムさんと言う方です」
その名前にバッカスさんと、フィルティーさんは反応した。
「今グリムと言ったか? あのエロジジイに手紙だと?」
「バッカス様、もしや英雄候補の推薦では?」
二人の会話はよく分からない。エロジジイやら英雄候補やらと力の塔に何か関係があるのだろうか?
「大友、お前の今のランクは?」
「僕はDです。仲間に一人Cが居ますけど、筆記試験に落ちてしまいました」
「ふむ、Dか……」
バッカスさんは考え込むように天井を見上げると、頭にあるアフロを指で遊ぶ。きっと普段からああやって、暇さえあればアフロで遊んでいるのだろう。そんな姿が簡単に思い浮かんだ。
「いいぞ、特別に許可書を出してやる」
「え!? 本当ですか!?」
「その代り条件がある。お前を含むパーティーで、一ヶ月以内にワイバーンを狩って来い」
ワイバーンがどれくらいの魔獣なのか分からないが、僕は即答した。
「はい、一ヶ月以内ですね! 分かりました!」
「おお、さすがシンバルの弟子だな。いい返事だ」
「バッカス様、ワイバーンはいくら何でもDランクでは危険です! 君も断りなさい!」
何故かフィルティーさんが困惑している。そんなに強いのだろうか? ワイバーンと言えばドラゴンの亜種として僕は知っている。小説やアニメでは良く出て来て主人公の噛ませ役として殺されることが多いのだ。きっとこの世界のワイバーンもそんな感じだと思う。
「大丈夫ですよフィルティーさん、僕はこう見えても力には自信があります」
「馬鹿! 相手はSランクの魔獣なんだぞ!? 君は死にたいのか!?」
「だ、だ、大丈夫です……ぼ、ぼ、僕は力に自信が……あります」
Sランク!? 聞いてないよバッカスさん! 僕引き受けちゃったよ! あんなにも自信満々で引き受けたのに、今さら無理ですなんて言えないよ!
で、でもAランク魔獣相手に余裕がある僕なら勝てない訳じゃないと思う。むしろ、そう思いたい。
「だったら、お前がワイバーンを狩るところを見てくればいいだろ」
「しかし……」
「フィルティーならワイバーンも狩った経験があるし、いいだろ。よし、決まりだ。ワイバーンを狩りに行くときはフィルティーを連れて行け」
何だか勝手に話が進んで、フィルティーさんが同行することになった。でも、バッカスさんはギルドイグニスだと分かったけど、フィルティーさんが何者なのか僕は知らない。そこでそれとなく質問をしてみる。
「あ、あの、フィルティーさんて強いんですか?」
「ああ、こいつは俺の妹でフィルティー・レイアンと言う。今はギルド職員に籍を置いているが、これでも英雄候補だぞ」
「お、おにいちゃん、紹介が雑だぞ……コホン。私はこう見えてSランク冒険者だ。兄の知り合いの弟子ともなると、やすやすと死なせるわけにはいかない。討伐には私も同行しよう」
まさか兄弟だったとは思いもよらなかった。バッカスさんは黒髪で、フィルティーさんは若草色の髪だ。何より顔が似ていない。フィルティーさんはとても綺麗で、碧の眼が宝石みたいに美しく輝いている人だ。反対にバッカスさんは色黒で青い眼が特徴的だった。
「今似ていないと思っただろ? こいつは腹違いの妹だからな、似ていないのは当然だ」
「私はお兄ちゃんに似なくて幸せだよ」
兄弟の会話と言うのか独特のなれ合いを感じた。兄弟の居ない僕には羨ましく感じる。
「まぁいい、そう言う事で頼む。ちなみにいつ頃討伐するか分かるか?」
「えっと、準備もありますし、ワイバーンを狩っても大きいからすぐには帰って来られないですから……」
「あん? だったらストレージバッグを使えば良いじゃねぇか」
「ストレージバッグ??」
初めて聞く言葉に僕は首を傾げる。今まで旅をしてそんな物は見たことも聞いたこともない。そのバッグがワイバーンに一体何の役に立つのだろうか?
「結構昔からあるんだが、かなり高値だから知らなくて当然か。ストレージバッグってのは空間魔法を発動させる魔法陣が刻まれた鞄でよ。見た目とは違って容量が馬鹿でかいのよ。多くの獲物を持ち運びできるから、冒険者には憧れのアイテムだな」
バッカスさんの説明に僕はピンと来た。要するにマジックボックスみたいなものが存在するというこということだ。だったらすぐに買いに出かけたい。
「ちなみにいくらするんですか!? 僕にはそれが必要です!」
「お、おう。妙なところで食いつくんだな……確か値段は一千万ディルだったと思うがもっと安いかもしれねぇな」
「一千万!?」
僕は力なく床に座り込んだ。だって、日本円で一億円だ。僕の手持ちでは到底手が届かないものだった。一年近くの旅で僕はリュクサックの容量に不満を持っていた。買いたい食材はあきらめるしかないし、魔獣を狩ってもほとんどの肉は捨てなければならない。冒険者が憧れる気持ちが僕には痛いほど分かるのだ。
「おいおい、そこまで落ち込むか? しょうがねぇな。おい、フィルティー確か容量の小さい使わない物があっただろ? あれを安値で譲ってやれ」
「いいのですか? あれでもワイバーン一頭は簡単に入りますよ?」
「どうせ使わねぇだろ? それにタダとはいってねぇ、手持ちがねぇんなら借金になるだけだ」
その言葉に僕は顔を上げる。今の僕の手持ちは百五十万ディルだ。日本円で千五百万円だけど、これは盗賊の宝や魔物の魔石を売って手に入れた僕の全財産だ。すべてを失うとさすがに生活ができないので、やはり借金になるのだろうと予想する。でも、それでも手に入れる価値は十二分にある。ありがとうバッカスさん!
フィルティーさんが部屋の隅をごそごそと漁ると、一つの鞄を手にしていた。見た目は焦げ緑の汚れた鞄に、少しばかり疑いの気持ちが沸き起こる。
「なんだ、信じてねぇみたいだな。おい、中身を見せてやれ」
フィルティーさんが鞄の中に手を入れると、そこからテーブルと椅子が出てくる。明らかに見た目と容量が釣り合っていない。僕は少しばかり感動した。
「すごいです……」
「買ったときは二千万ディルだったから、五百万ディルでいいぞ。どうだ払えるか?」
僕は黙って首を振る。払えるわけがない。
「じゃあ借金だな。でもまぁワイバーンでも狩れば、そのくらいはすぐに払えるだろ」
「ワイバーンってそんなに高いんですか?」
「一頭四百万ディルだ。もちろん魔石や素材込みの値段だが、特別に俺が買い取ってやるよ。ちょうどワイバーンの肉が食いたいからな」
だったら手持ちと合わせて五百万ディルになる。もしかしてバッカスさんは僕のお金の数を知っているのかと、疑いたくなるくらい切りのいい値段だ。
「大友、受け取れ。私もストレージバッグを持ってゆくが、自分で狩った獲物を他人の鞄に入れるのは格好がつかないだろう。同行する時を楽しみにしている」
フィルティーさんからバッグを受け取ると、僕は中を覗き込んだ。中は真っ暗で底が見えない。手を入れても何もなかった。
「これって生き物は入れられるんですか?」
「入れられるが、おすすめはできない。中は非常に空気が薄く呼吸が困難だ」
「そうですか。ありがとうございます。僕もフィルティーさんとクエストができることを楽しみにしていますね」
そう言って僕はバッカスさんに一礼すると、部屋の外へと出た。そこで僕は借用書を書かなくてよかったのかと思い立つ。好意とはいえ、これはれっきとした借金だ。
もし僕が逃げ出してしまうと、大損するのはバッカスさんだと言うのに、何も言うわず僕にバッグを渡してしまったのだ。部屋に引き返そうかと思い、足を止めた。扉の向こうから声が聞こえていたためだ。
「お兄ちゃん、ストレージバッグを渡してよかったの? 持ち逃げされたらお兄ちゃんが損をするんだよ?」
「気にするな。あいつは間違いなくシンバルの弟子だ。あいつの立ち振る舞いからシンバルを感じる。何より気配がそこらの奴とは違う」
「そうねぇ、確かに気配の質が少し違うかな。なんと言うか何処にでもいてどこにもいない感じ?」
「お前も英雄候補に胡坐を掻いている場合じゃなくなるぞ。あいつは何かあると勘が囁いている」
僕は扉の前から去る。これ以上の盗み聞きはよくない。信用してもらったのならそれに応えるだけなのだと心に刻み、僕はギルドの一階へと降りて行った。
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