第三章 エビデンス(証拠)


       1


 自警団本部地下にある検死室で検死結果を待つ間、私と自警団長は廊下に設置されたソファに、並んで腰かけていた。

 どちらも無言のまま、まったく会話はない。


 廊下の突き当たりにある飲料販売機で飲み物を買おうかどうか迷っていた。

 自警団の取り調べを受け、話し続けたせいか、喉が渇いて仕方がない。


 ただ、ひとりだけ飲むのは何となくはばかられた。

 かといって相手の分を買ってやるほどの気もしない。


 クラッフワースが自分にとっての、敵のひとりだという認識は持っている。


 もちろん、お互い正式にそう表明し合ったわけでもないから、いまはまだ微妙な関係を保っていられるのだろうが。


 チョ・ナイスは頭を撃たれていた。


 正確に言うなら、発見時その手に凶器を持っており、自分で頭を撃ち抜いた……犯人はそう思わせたかったのだろう。


 頭蓋を突き抜けた微細な合金針は、その一部が反対側の窓に突き刺さり、頭部の穴から出た脳漿と大量の血は、ライナーホースの床を濡らしていた。

 使われた武器と手口からすると、例の移動プラントで私を狙った人間の仕業に違いない。東側の外壁から内部に潜り込んだところを、ナイスに目撃され殺害したのか、それとも別な目的でもあったのか。


 私は死体を発見するとすぐレッキイにテレパシーを送り、サイボックス経由で自警団にもその事実を知らせた。

 ほどなくルゴ全体に外出禁止令が敷かれ、道路は封鎖された。


 面積三平方キロメートルほどの街だから、犯人はすぐに捕まるだろうと推測された。にもかかわらず、不審な人物はどこにも見つからなかった。

 それで結局、第一発見者の私が被疑者扱いされてしまった。


 当然ではある。


 赴任初日から自警団との確執を作り、被害者はその原因となっているのだ。

 怪しまない方がどうかしている。

 だから、ナイスの相棒、ホーグ・コナーズは、私を下手人と思い込み、自警団の事務所に連行された私をビーム銃で撃とうとした。

 いまは仲間の手によって取り押さえられ、この施設のどこかにある留置ボックスに押し込められているらしい。


 移動プラント内で誰かに狙われ、どうやらその人物がナイスを殺害した可能性が高い、ということは黙っていた。


 仮にそれが市長一派の仕業なら、真実を話しても無駄だし、そうでないとしても、この段階で言うべきことではない。

 証拠も何もないのに、事件への直接的関連を示す事柄を話すのは、ますます怪しいということにもなるからだ。


 私には巡回保安官特権があり、一応、凶器も出ているため、ルゴ外に出ることを禁じられただけで、尋問から先ほどやっと解放されたところだった。


 強酸性土泥地区を徒歩で渡る人間はいないから、ライナーホースさえ押さえておけば、逃げ出せないと考えたのかもしれない。

 ただ、状況は限りなく他殺に近いものの、実際は現場検証と検死の結果さえ出ていなかった。


 いまだ他殺か自殺かの区別もついていない状況でもあった。


 市長は自警団員が殺害されたと決めつけ、自警団員全員に発砲許可を出している。

 そもそもそんな許可はなくとも発砲するやつらばかりじゃないのか、と心中で苦笑した。

 取り調べの拘束から解放されると、すぐレッキイと連絡を取り、事務所で待つように伝え、検死結果を確認するため地下の検死室に向かい、いまはこうしてそこにいるのだった。

 


 処置室のランプがグリーンに変わる。

 ようやく検死も終了したようだ。

 両開きのドアが開き、遺体を乗せたストレッチャーは、看護士ふたりによって霊安室に運ばれていった。

 クラッフワースはソファから立ち上がり、ストレッチャーのあとから出てきた医師のもとへ歩み寄る。

「ブラッド、で、結論は?」

 マスクをはずした医師は、なんと、コンウェイ医院の院長。

 ここまで出張してきたのか。

 町医者にせよ、院長自ら検死の仕事もするとは、医者不足も相当深刻なのだろう。


「死因は見たとおり。合金針による頭部穿孔傷と」

「そんなことはどうでもいい、自殺か他殺か、知りたいのはそれだけだ」

 クラッフワースは低くドスのきいた声で訊ねる。

「自殺、とは言い難いな。自殺なら銃口をこう、ぴったり頭に当てる」

 ブラッド――ブラドリィの愛称か――は、指を頭につけて引き金を引く仕草を真似した。

「ナイスの頭に開いていた穴の大きさからすると、ちょうどこの距離から発射した」

 今度はソファに座った私の方を向き、頭にねらいをつけると、ぴゅう、と口笛を吹いた。

 クラッフワースはそれを見て鼻白む。

「それはたしかに自殺じゃねえな、生身の腕はそんなに伸びねえ」

「それだけじゃない、彼の失われていない側の頬骨付近には内出血と、手首には擦過傷ほか、なにか熱い棒のようなものを押しつけられてできたらしい、やけどの跡もあった」


 ブラッドは損傷した部位のデジタル画像を、小型ビューワーを突きつけるようにして、私に見せる。

 急なその動きと、検死画像の鮮明さに面くらい、私は頭部を後ろにそらす。

 クラッフワースは苦笑しながらブラッド医師に告げた。

「保安官は違うぜ。第一発見者だが、犯人じゃない」

「あ、そう?」

 その反応からすると、この医者は私を犯人と疑っていたらしい。

 今の動作は、証拠を突きつけた気にでもなっていたということか。

「殴られ、縛られ……ひょっとすると拷問され、撃たれた。そういうことですね」

 この件に関し、初めて口を開いた。

「そう、たぶんそうだ。縛り上げてから気絶させたのか、気絶させてから縛り上げたのか、どちらとも判断はつかないが、身動きできない状態で射殺されたことは間違いない」

「くず野郎め!」

 部下を惨殺した犯人になのか、自警団長は壁を叩き、大声で虚空をののしる。



       2


 二時間後、被疑者らしき人物が逮捕されたという情報を都市内線で受け取った。

 先日の決闘でナイスに敗れ、炭化させられた市民の関係者だという。


「ナイスは、もともと東街区の出身なのよ。よそ者ばかりの自警団でも珍しい生粋のルゴ生まれ、ね」


 私、レッキイ、そしてロミリオン調査官は、保安官事務所に集まっていた。


 都市内線で調査官を呼び寄せたのはレッキイだ。

 連絡によると殺人容疑で連行されたのは、東街区の数少ない住民のひとりらしい。

 自警団は、巡回保安官の私がいるにもかかわらず、既得の警察権をまるでわがもののように行使している。

「ゴーストタウンのようだったのに、人が住んでいたのか」

 つい数時間前に見た東街区の印象をレッキイに話す。

「五年前まではたくさんいた。いまは住んでいるといっても、不法占拠に近いわ」


 事情を説明してくれた。


 東街区はかつて屋外移動プラントの保守、点検、整備ドックを持ち、土壌改良を生業とする市民の専業地域だった。

 土壌改良といっても基本的には惑星改造に必要な、地質学、気象学、化学、生物学、電子工学などの専門的で高度な技術と、それをサポートするための設備を保有し、当時は研究エリアという呼び方もされていた、と言えばその雰囲気は大体つかめるだろう。


 だが、五年前の事件以来、研究エリアの高度な知識と技能を持った人々は、他の都市へ移住していく。


 彼らにとって小都市ルゴは、自分たちの研究や実験成果を確認するための実験場であり、屋外移動プラントは最も重要な『実験装置』だったからだ。

 残されたのは肉体労働でしか土壌改良事業に貢献できない、プラントの工場で働く作業労働者たちだった。

 仕事のなくなった彼らは、農地開墾に転職。

 西街区に移住して都市の南側にある農地で働いたり、他の都市に出稼ぎに出かけたり、もう生活できないと悟り、ルゴを出て行くものさえいた。

 東街区はあっという間に人のいない、廃墟のような地区になってしまった。


「いまあそこに住んでいるのは、環境の変化に適合できない頑固者と、人のいないことをいいことに潜り込んで来た、街のあぶれものたちだけなの」


 ナイスは作業労働者の家庭に生まれ、東街区で育った。

 前職は生石灰運搬作業員だったらしい。


 自分の済む街区の急激な荒廃に、土壌改良事業が再開し、再び街が活気づくまで自警団員となって東街区の治安や環境を保護するつもりだったようだ。


「しょっちゅう仕事をさぼって、あっちに行っていたらしいわ。よほど自分の生まれ育った場所が好きだったのね……でも、勝手に住み着いた住人とトラブルばかり起こしていた」


 私の赴任初日にナイスと決闘したのも、そんな経歴を持つ東街区の住人だった。

 ナイスは街を汚す存在として彼らを目の敵にしていたそうだ。


「都市の治安をあずかる保安官としては……わたしは助手だけど……どちらも頭の痛い問題ね。東街区の人たちは勝手にドームを出入りしているという噂もあるし、自警団は結局ならず者の集まりだしね」


 レッキイは応接用ソファの上に足を上げ、両膝を抱え込む。


「先日のようなことはあっても、ナイスのことはそれほど嫌いじゃなかったの。もといた地域を何とかしようとする気持ちは純粋だったし。自警団に入らなきゃこんなことにもならなかったのに」


 自警団内でもナイスは浮いた存在だったという。


 構成人員のほとんどが市長の要請により外部調達されているから、少数派でもある地元出身者は、かえって身の置き所がないのだという。

 そう話す彼女は感傷的な表情を浮かべ、前方を遠い目に眺めた。


「証拠が出たらしい。やはり犯人だったようだ」


 生帯で市庁舎のあちこちと連絡を取っていたロミリオン調査官は顔を上げた。

 彼も自分が保安官であるかのように、私を差し置き、勝手な振る舞いをしている。

 正規の調査官だけに、協力も得られやすく、情報の集まりは早いのだろう。

「証拠?」聞き返した。

「凶器のニードルガンを買ったという明細書が被疑者宅から発見されたそうだ」

「やっぱり復讐だったのね、禁止されているのに……」


 移動プラントで知った事実をまだレッキイには話していない。


 ロミリオンの正体と、何の目的でルゴに来たか、それを知るまでは話さない方がよいと考えている。相手に対する不審や不信を、女性は露骨に顔と態度に出すからだ。


「ロミリオン調査官、ところで今日の午後は、どちらに?」

「ん?」いきなり質問されたせいか、捜査官は不思議そうな顔をする。

 ……いや、そういう演技かも知れない。

「移動プラントにお誘いしたとき、別件でとおっしゃっていたので、何の調査かと」

「市庁舎よ。内線で彼を呼び出したのはそこ」

 レッキイが代わりに答えた。市庁舎にいるのさえ秘密なのか。


 こいつの目的はいったい何だ。


 ロミリオンはレッキイをちらりと伺い、私に視線を移すと、頼むからわかってくれ、とでも言いたそうに顔を一瞬だけしかめる。


「それで話の続きだが、本日の調査の途中、面白いものを見つけた。市職員用のデータベースから見つけた資料だ」

 調査官の身分でなら普通にアクセスできるレベルの資料だった。

 ビジター用のパスコードしかもらえない自分の現状と比較し、ほんのわずかだけ、ねたましさを感じる。


 ロミリオンは背広の内ポケットからマイクロメモリを取り出した。

 それを事務所据え置きのコンピュータにつなぎ、二、三の操作をする。

 画面には表とグラフとが表示された。

「なんです、これは?」

「これはルゴの年間予算と、その実績との比較表だ。グラフはわたしが作った」

 何の変哲もなさそうな今年度の予算表とグラフだった。

 机の脇からのぞき込むレッキイも怪訝な顔つきに画面を眺めている。


「この規模の都市にしては総予算はかなり多いと思いますが、税金から捻出したものではなく、移民局からの補助額が大きいからでは? 何の不思議もない数字ですが」

「そう見えるだろうな。でも、これと比べるとどうかな」

 ロミリオンは手を伸ばし、別なデータと比較できるよう画面上で、データウィンドウを分割した。

 椅子に座る私の背後から手を伸ばしているため、彼の背広は大きく開き、その内側も見える。


 火薬式の拳銃が脇のホルスターに吊られ、黒々しく鈍い光を放っていた。

 今朝とは異なり、いまではそれがとても禍々しいもののように感じられる。


「これは五年前のデータ。現在のものと重ねてみよう」

 ふたつのグラフ線は重なった。

 山のでこぼこに若干の差異はあれ、そう大差はなかった。

「そう違いませんね」と私。ロミリオンの真意を測りかねた。

「違わないというのはおかしいんだ」


 彼は出来の悪い生徒に噛んで含めるような調子で説明しはじめる。


「この中で一番大きい予算枠は土壌改良費補助、という項目だ。五年前からそう変わっていない」

「ええそうね」

 話題に参加できなくて寂しいのか、レッキイはしきりに相づちを打つ。

「ところが内訳を見てみると、補助金の名称は土壌改良開発費Bとなっている。Bとつくのは、君たちは知らないかも知れないが、都市が土壌開発のための研究費に使うためのもので、一般的な土壌改良に使っていい補助金ではない」

「よ、よくわからないけれど、つまり?」


 わかったような相づちを打つ割に、レッキイは早々に降参したようだった。


「ルゴは五年前の事件で、事実上、農地拡大のための土壌改良事業を取りやめざるを得なくなった。当然その研究開発もストップした。さっきまでの話では、移動プラントの爆発は東街区凋落の原因にもなったそうじゃないか」


 ロミリオンはテレパシー通話中にも私たちの話を聞いていたらしい。

 器用な男だな。


「研究はもう行われていないのに、移民局からまだ研究用の補助金を得ている、というのはおかしくはないか?」


 移動プラントは五年前に壊れ、ルゴはその後、都市としての積極的な土壌改良を実施していないし、それに伴う研究開発も中止となっている。

 しかし補助金は当然のように毎年支払われ、その額は前と変わらない。

 確かにおかしい。行政はその手の無駄をこの世の何よりも一番厭う組織なのだ。


「費用のデータを見ると、一見、それらはすべて適正に処理されている、ように見える。だれかが監査に入っても、問題のないデータに仕上げられていた。……問題は、実態はどうなのか、ということなんだ」

 さっきから熱心にデータの数字を眺めていたレッキイはおもむろに声を上げた。

「ちょっと待って……これを」

 そう言って自分のマイクロメモリをコンピュータの端子に差し込む。

「これ、パパの暗号だと思ってたの、でも、ほら」


 画面に数字の羅列が出てくる。

 ところどころにイニシャルのようなアルファベットの文字列もあった。


「暗号でもないし、パスワードも必要ない。でも、パパの残したものだから、何か意味があると思っていたら」

 ロミリオンの資料と並べてみると、単に数字の羅列と思っていたものは、五年前の予算項目の数値と完全に一致した。

 よく見るとアルファベットはイニシャルではなく、各項目の略語だった。


 父親の死の真相に再度トライするため、事務所の整理をしながら机の奥に入れた資料を見直していたときに発見したデータなのだという。

 ナイスの死体を発見する直前にテレパシーで私に教えてくれたのは、このデータのことだったらしい。


「ついでに十年前からの変遷データも見てみよう」

「十年前というと、リンシュタインが市長になった頃ね」

 レッキイはひとり首肯した。


 十年間のデータをひとつにし、重ねてみる。


「十一年前……前市長が事故死する前の助成額と比べれば一目瞭然だが、十年前に助成額が一度ぐんと上がり、あとは毎年ほとんど変わらない。研究機材の購入などで初年度は巨額になるのはわかるが、毎年変わらずその水準というのは、一般的に見て納得もいかないし、どうもおかしい」


 土壌改良開発費Bは、予算でも実績でも、人口5,000人ほどの都市としては、驚くほど高額だった。


「そう言えばパパは常々、市の予算をもっと次世代の育成に回すべきだと言ってた」

「……つまり、前保安官もこのデータに着目していた、ということになるな」


 ロミリオンは独りごとのようにそう言って、レッキイから受け取ったデータを再確認しはじめた。


「これは、ひょっとすると大事になるかも知れない。組織ぐるみ、いや、都市ぐるみで公的補助金の横領をしているというスキャンダルになるぞ」


 市長の隠したがっていたことはこれなのか? 


 たしかに移民局の補助金を横領しているなら、移民局から派遣される人間を警戒し、できれば排除したいと思うのは当然かも知れない。

 またこれは地方都市にとっては、それだけの巨額でもある。


 ある程度納得できた。が――


「たしかに、東街区の施設にだけこの金額が充当されたとはとうてい信じられませんね。見たところ単に屋外移動プラントの整備をするだけの機材しかないようだったし。大体、この項目にある『土壌改良技術開発研究所』なんて本当にあるのか。でっちあげなんでしょうかね」

「あら、研究所ならあるわよ?」

 そう言って、レッキイは私を見た。


「研究施設はみんな地下にあるの。地上からは見えないけど」



       3


 まさか自分本来の任務に必要な情報を、この場で入手できるとは思わなかった。

 ルゴは二層構造を持つ都市だった。

 どうりで地上に私の探しものは見つからないはずだ。


 都市建設初期の資料はとうに失われ、市庁舎にも残っていなかったし、データベースで見ることのできたものは、いま考えれば既に二層構造になってからのものらしく、表層部分のものしかなかった。


 ここに住む人間にとって自都市の構造など、知っていて当たり前のこと、また、そういった研究施設の所在は通常、都市の機密事項にあたり、取り立ててそれを扱うニュースや、一般用のデータベースで扱うこともされない。


 現状のビジターコードでは、都市の機密情報データベースへのアクセスはおろか、巡回保安官の重要な特権のひとつである、任意の施設への独断立ち入りも事実上は不可能な状態になっているから、なんとしても本来の調査官に付与されるパスコードを手に入れなければならなかった。


 レッキイの話によれば、建設初期、この都市は土壌改良の作業場と研究施設中心の構造をしていたらしい。

 後に農地が整備され、人口も増えてくると、手狭になった都市の面積を広げる際、二層目として現在の街並みと疑似自然環境、農地を、作業場、研究施設の上に重ねたということだった。


 ちなみに、私が登った丘陵は、盛り土で作ったものではなく、大きな生石灰貯蔵庫のサイロを目立たなくさせる苦肉の策だということだった。

 ルゴはいたずらに西部劇の模倣に専心していたのではなく、これまで都市開発へも――少なくとも5年前までは――真面目に取り組んでいたのだった。


 思いがけず主任務への情報を得られたことで、私も予定変更を余儀なくされそうだ。

 複雑化しつつある亡き保安官の件はひとまずおき、単独でも都市消失要因調査の絞り込みにかかる方がいいかも知れない。


 宿舎への帰りがけに自宅まで送ろうというロミリオンの申し出を、レッキイの返事も待たず勝手に断り、シャワーを借りるという名目で彼女をエスコートした。


 道中、ホープの容態について相談を持ちかけられる。


「今日はいろいろなことがあって報告しなかったけど、実は、いま入院しているの」

「肋骨の状態に問題でもあった?」

「肋骨のヒビは、安静にしていれば治るんだけど、新たな問題がでてきたのよ」

 街灯に照らされた彼女の横顔はこちらから見ると暗い影になり、その表情はわからない。

「コナーズにやられて倒れたとき、どうも右手を下にしてたらしく、生帯の調子がおかしくなっちゃってたの」

「おかしいって?」

「体重で過度に圧迫されたせいか、かかりにくいし、繋がりにくいって。……診断じゃ基盤の故障らしいわ」


 生帯――肉体と不可分な有機移動体通信端末――技術は、私の生まれたときよりさらに進み、現在では母胎内の胎児にさえ、付加できるようになっている。


 永年喪われ続けていた人類のテレパシー能力を取り戻し、維持、発展させるそれは、後付けであっても、もはや人間の新しい臓器として扱われるほどだった。

 リ・サイバネティクス研究の賜物と言えよう。

 ただし、生来の内蔵自体、病気やケガで機能不全を起こすこともあるのと同様、生帯も故障するときは故障する。治療の手段も、そういった臓器とまったく同じだ。


「日常生活に支障をきたす恐れもあるし、ひょっとすると……移植する必要があるって言われた」

「済まない……私のせいだね、それも」

「ううん、そういうことを言うつもりはないの、ただ、あの子は、不安がってて」

「そりゃそうだ、大手術になるだろうしね」


 腕を開き、中の生体基盤を摘出し、クローン技術で作られた代わりの基盤を寸分違わず神経ラインと癒着させ……ある意味脳髄を移植するくらい精密さを要求される手術と言われている。


「問題はそこじゃないの。生帯の手術くらいたぶん平気よ、あの子。パパも昔、生帯の交換をしたから」

「ニーゼイ……保安官も?」

「ええ、事故の数年ほど前に。逮捕しようとした犯人に斬りつけられて、腕がざっくり裂けちゃった。このあたりかな」


 レッキイは自分の右腕を指し、生々しい状況を平然とした口調に話す。


「でも、パパは地下の研究所で手術してもらったから安心だったけど、その当時と違って、いまじゃ設備もないし、そんなことのできるお医者さんはこの街にはいないのよ。昔からいて、いいお医者だけど、ブラッドじゃちょっと、ね。だからもし手術をするとしたら、ルゴの外の病院に行くしかなさそうなの」


 あのブラドリィという医師と、彼の病院の姿を思い浮かべる。

 たしかにあまり腕の立つ印象はない。

 良くも悪くも町医者というイメージだ。

 依頼された検死業務程度が、お似合いの仕事なのかもしれなかった。


「わたしはパパの調査でいまここを離れるわけにはいかない」

 レッキイは私になにをさせたがっているのだろうか、迂遠な話だ。

 運転手がわりにホープの送迎でも頼むつもりなのか。

「ねえ、スルト、あなたは巡回保安官として、あちこち渡り歩き、いろんな都市を随分と見ているのよね?」


 レッキイはようやく本題を切り出してきた。


「そのお話をホープにしてあげてくれないかしら。あの子、この街から外に出たことがないし、自分ひとりで過ごしたこともないの」


 ――そういう心配だったか


「いろんな情報があると、かえって混乱するかも知れないよ」

「大丈夫、彼も保安官の息子だから。あの年齢にしちゃ、ずいぶん血なまぐさい話も知っているし、それに、あなたは、あの子を脅えさせるほど凶悪な事件に出会ったことはなさそうだし」


 彼女はすぐに、ごめんなさいと言ってその発言を撤回する。

 ずいぶんなめられたものだ。

 私だってこれまで血も凍るような事件に何回も遭遇してきている。


 その一例をレッキイに話してやろうとした。が、どういうわけか適当な話に思い至らない。せっかく彼女の度肝を抜くよいチャンスなのに。


「……つまり、ホープがひとりでルゴを出て、外の病院で手術を受ける際、その不安を取り除くようにあらかじめ外の世界の話をしてやれと、そういう理解でいいのかな?」


 私はようやく自分の役割を把握した。


「ええ。変な頼みで悪いんだけど……頼める?」

「話ならいくらでも。しかし、私はよくても、彼はどうかな? 私を腰抜けだと思っている。尊敬できない大人の話をまともに聞いてくれるかどうか」

「それなら大丈夫よ。急な入院だから、いまごろ退屈してるわ」


 なるほど、その役ならひ弱な道化でも務まるということだ。

 彼女の依頼をしぶしぶ受けることにした。



       4


 家に着くと、彼女は先にシャワーを使う。彼女の家だから当然ではあるが。


 ひとりで居間のソファに座り、浴室から聞こえてくるドライシャワーのモーター音を聞いていると、かえって、ふたりきりで一軒の家にいる、ということを意識してしまった。 


 少し困惑していた。


 正直、彼女は好ましい。

 それに美人でもある。

 でも、まだ出会って数日。お互いについてまだなにも知らない。

 

 それに彼女は私のことをどう思っているのか。


 この数日間で、男として、保安官として頼りにならない場面ばかりを見せているような気もする。ある意味ロミリオンのように、自信に満ちあふれ、力も度胸もある男性の方が女性には好まれるのではないだろうか。


 強さは男性的魅力に直結するそうだ。


 年端もいかないような少年の考えそうな青臭い呻吟から気を紛らわそうと、目前のローテーブル下から、雑誌を引っ張り出した。


 このほこりの積り具合では、日常的に掃除をしているとは言えないな。


 昼間の通信を思い出し、少しだけ愉快な気分となった。

 積もったほこりを払い、ぱらぱらとめくってみる。


 偶然手に取ったのは、先日背表紙だけ見ていた医療用生帯カタログ。古い。

 表紙に記載されている有効期限から判断して、ニーゼイ保安官の手術時に使用されたもののようだ。中はどれも似たようなデザインで代わり映えしない。


 生体基盤はみな白っぽい、ゼリーのような外見をしている。


 あるページではそれが腕の骨と肉との間でどう癒着するか、イラストと解剖写真とで詳細に解説されていた。


 ずっと見ていると、だんだん気分も悪くなってきた。


 カタログは一般用、スポーツ用、専門職用のカテゴリーごとに整理され、専門職用の部分に古びた付箋が頭をのぞかせている。

 以前このカタログを使ったニーゼイ保安官の貼ったものだろう。


 当該ページを開くと、警官、兵士用の生帯が数十種類も掲載されていた。

 写真だけでなく、本文を斜め読みするとなかなかに興味深い。

 医療機関用の専門カタログだから、一般的にはお目にかかれないような用途と機能を持った生帯電話がいくつもある。


 重力や宇宙線の影響を受けない宇宙空間仕様の生帯は知っていたが、同時に多人数からのテレパシーを受け付け、切り換えながら通話を可能にする方式の指揮官用生帯――この製品は、かつて耳にした覚えのある拡張生帯基盤を使っていた――や、アドオン型の生帯オプション。それは、へその緒のような有機ケーブルで外部機器を接続すると、電気信号として個人の心象パターンを記録できるようになる。

 これらは七年ほど前の最新機器なので、いまはもっと髙機能の生帯も出ていることだろう。


 それにしても、いまどき珍しい高級プラスチック紙ベースのカタログで、生帯電話機メーカーは、よほど評判の高い医者や企業体、金持ちの患者にでもなければ、こんな費用と手間のかかる品を配らないはずだった。


 故ニーゼイ氏はいったいどこからこれを入手したのか。


 私は知らず知らず、いつの間にかカタログに没頭していた。

 レッキイが浴室から出てきたのにも気づかなかった。

「ああ、それ?」

 背後からいきなり声をかけられ、条件反射的に、びく、と身体が動く。

 うわずり気味の情けない声が出る。

「……君のお父さんのものだろう?」

 レッキイはバスローブを着込み、頭にターバンのような仕方でバスタオルを巻いていた。

「そんなもの、まだあったのね。すっかり忘れてた」

 そう言って私のはす向かいに腰かける。

 バスローブはその動きでわずかにはだけ、彼女の胸元が一瞬だけ見えた。

 当然ながら下着はつけていなかった。


 私はあわてて視線を彼女の顔に固定する。

 声はうわずったまま、感想を述べた。


「け結構古いカタログなのに、いま見ても面白いよ」

 彼女は、まぶしそうに目を細めた。

「あなたって、オタクね。パパもそう。そのカタログをそうやって食い入るように見つめてたわ」

「……どんな人だった?」

 私はカタログを閉じてローテーブルの上に置いた。


 レッキイはバスローブの中で足を組み、太ももに片肘をつく。小ぶりの顎を肘の上の手のひらに乗せ、青い目は天井方向へくるりと動く。

「そうね。……ひとことで表わすと、一途なひと、かな。使命に殉ずることも構わず、批判や妨害にも職務を辞さずひたすら事件を追いかけてた、ってところかしら」

「……まさに保安官の鏡だね」

 レッキイは微妙に困ったような表情を浮かべ、微笑んだ。

「それが皮肉でないのなら……」

 私はあわてて弁解する。

「もちろん皮肉じゃないさ。率直な感想だ」

「ううん、いいの。ここでも、その前の街でもみんなの評価はあなたと同じ、変わらなかったから」

「前って、ニーゼイ保安官の前任地?」

「ええ。クゼノにいた。……ここからかなり遠い都市ね、もう十年以上経つ。わたしたちは前の市長が亡くなる直前にルゴに来たのよ」


 クゼノ……聞き覚えのある都市。

 ロートランドの件以前に消失したとされる都市のすぐ近くに、たしかそんな名前の都市もあったように記憶している。

 ルゴから一万キロ以上離れた中規模都市だったか。


「じゃ、君たちはクゼノ出身なのか」

「わたしとホープはそこで生まれた。でもパパは違うわ」

「どこ?」

「知らない」

「え?」

 いたずらっ子のような顔となり、レッキイは含み笑いをした。

「なんだ、冗談か」

「違うわ、本当よ。パパのふるさとは知らないの。笑ったのはあなたの驚いた顔が面白かったから」

 笑みをたたえたまま、彼女はわたしの顔をじっと見つめる。

「やれやれ、なんだかよく分からない話だな……」

 話を切り上げ、その視線を外すために立ち上がると、私は浴室へ向かった。



 翌朝、早速病院を訪ねた。


 私の予想と願望に反し、結局夕べは遅くまでレッキイと話し込み、いささか寝不足気味だ。

 事務所に帰るタイミングを逸し、居間のソファで寝ることになったのだ。

 寝室のドアひとつ隔て、レッキイがそこにいると考えただけで目が冴えた。

 彼女との間に何もないことで、かえって色々なことを想像してしまう。それに、向こうの寝室内からは、ときおり彼女のうめくような寝言まで聞こえてきて、さらに私の心をかき乱した。


 いつしか眠りに落ちたものの、明け方には、またあの夢を見た。


 黒いサイボックスの中から出てくるなにか。

 それに腕をつかまれる感触は、いまでも、まだ皮膚に残っている感じだ。

 いったい、あれは……この夢は何だ。

 何かの啓示か? 単なる悪夢にしては悪趣味に過ぎる。


 見ている夢に、本人の嗜好も反映されてこそスタンダードな夢と呼べるのだろうが、あれは私の趣味ではない。それだけは断言できる。


 病院内は満員だった。


 初めてこの病院に来たときには、閑散としていたロビー兼待合室に、大人も子どもも取りまぜ、玄関から受付前に行くにもひと苦労するほど混み合っている。

 急にウィルス性の風邪でも流行り出したのか、それとも健康診断かなにかか。

 それにしては咳き込む人間はほとんどおらず、検査にしてはあまりにも世代や性別がばらばらだ。

 おまけにみな具合の悪いせいなのか口数も少なく、一種異様な雰囲気さえある。


「きょ今日は神経科とか、心療内科が混んでいます」

 通りすがりの女看護士に尋ねてみると、硬い表情のまま、ことば短くそう教えてくれた。小さく見える病院なのに、そういった専門医療の細分化が行われていることに驚いた。

 それにしても、ここにいるルゴの市民たちのほとんどが普段から神経科や心療内科に通っているとしたら、それほどまでにここでの生活はつらいものなのだろうか。


 不思議だ。


 人をかき分けロビーを進もうとすると私の進行に合わせ、口数の少ないながら、ぴたりと市民同士の話が止んでいく。

 あちこちから突き刺さるように、彼らの視線を感じた。


「あんたか、あんたが!」


 中年と言うには歳を重ね過ぎ、老女と言うには若く見えるような女性が立ち上がり、私を指差していた。一体何のことかわからない。


――そうか、チョ・ナイス殺害の被疑者と思っている?


 自分の家族だろうか、立ち上がった彼女のスカートの裾を引っ張り、無理やり座らせた若い男の目に、恐怖の色とでも呼ぶような、なにかが浮かんでいるのを見て、私はようやくことの真相を理解した。


 自警団から市民へ公に発表はまだなく、それで旧い情報を元に、私のことを誤解しているのだろう。

 情報伝達の悪さや遅さは、この数日でいやというほど身にしみているから、それを気にすることはない。殺人者が自分の真横を通れば、それはそれで怯えてしまうのも理解できる。

 だからといってそれを理由に神経科や心療内科にかかるほど、ルゴの市民たちが繊細な神経をしているとは思えなかったが。

 初日の夜に酒場で踊り狂っていた彼らの醜態がイメージとして頭をよぎる。


 かつて来た時のように、すっかり静けさを取り戻した受付ロビーを抜け、彼女に指定されたホープの病室前まで来ると、心からそれら余計な些事を追い出し、ここへ来た使命に気持ちを集中させてから、中へ入った。


 ホープに声をかけながら個室のベッド脇に座る。

 仰臥している少年はわずかばかり頭を動かし、来訪者の正体を視認した。

 無言のまま再び天井から吊されているアーム先の本に目を移す。


 顔色は良く、そばかすの具合も上々だ。

 それだけに頭の包帯はおおげさに感じられる。

 コナーズに殴られ、こぶはできているらしいのだが。


 肋骨のヒビを支えるため、彼は軽合金製コルセットを腹部に巻いていた。

 しばらくお互い黙ったままだった。

 私はつぎに、なんと声をかけるべきか迷っていた。

「……来てくれたんだ」

 そばかすの少年は素っ気なく、あきれたような口ぶりに声を発した。

 沈黙に耐えきれなくなったようだ。

「ああ、大変なことになっていると聞いてね」


 彼のケガは私にも責任がある。


 見舞い程度でその借りを返せるわけではないが、謝罪はしておくべきだと考えた。

「済まなかった。代わりに私だったら、とも思う。もっと早くここへ来れば良かったんだが、色々と事件もあってね」

「ナイス、死んだんだって?」


 正面を向いたまま、ホープはぼそりとつぶやくように尋ねてきた。


「殺された。発見したのは私だから、多少疑われもしたが真犯人は捕まったそうだ」

 言いつつほっとした。

 どうやら、いわれのない恐怖は、この少年には伝播していないようだ。

 レッキイとの直接通話で事の次第も聞いているだろうし。


「ねえ、おじさん。ぼくらを助けてくれたっていう調査官は、パパのことを調べに来てくれた人?」

 生帯を通じて入ってくる情報を確認するためからか、そばかすの少年は、あれこれ類推していたらしい、最近の状況を質問してくる。

「はっきりそうとは言わないな。移民局の調査官だから調査の内容は話せないんだ」

「お見舞いに来てくれるといいのに。そうしたら色々聞ける」


 私ではダメだということだろう。

 彼の尊敬を受けるに値しない大人というわけだ。


 やはりレッキイの期待には添えそうもない。

 それはそれで仕方なかった。

 それでも、尻尾を巻いて逃げ出す前に一応、彼女に頼まれていたことだけは、果たそうと思った。


「もし手術のとき、怖くなったら」

「レッキイに聞いた? 手術なんか絶対、怖がったりしないよ」

 ホープは鋭く、強い調子で言う。

「ああ、わかっている。君は強い。……たぶん大丈夫だろう。けど、どんなひとだって、突然不安になったりすることはあるもんさ」

「ぼくはならない」

 まったく、とりつく島もない返答だ。

 私は気にした様子は見せず、話を続けた。

「もちろん、可能性の話さ」

 ホープは黙っていた。

「だから……もし不安になったら、心の中でこう考えるんだ。『出会ってない人がいる』ってね」

「……どういう意味?」言葉の意味を少し考えたのか、間を置き、聞き直してきた。

「世の中には君を必要とする人たちが、大勢いるんだ。レッキイや君の友だちだけじゃなく、そういう人が、どこかに必ずいる。まだ出会ってないだけでね」

 椅子から立ち上がり、別れの挨拶をして、病室を出て行こうとした。


 少年は背後から声をかけてきた。


「ねえ!」

 もう身体は半分部屋から出ている。

 そのまま肩越しに首を振り向けた。

「なんだい?」

「その制服、パパのでしょう?」

「ああ、レッキ……フレックルが貸してくれた」

「かっこいいよ、似合ってる……ほんの少しだけだけど。腰抜け保安官とは思えないくらい」


 笑顔の横顔を彼に向け、礼を言った。


「ありがとう、それじゃ」

「……また来てくれる?」

 もう振り返らずに手を挙げた。

「ああ、また来るよ。約束する」



       5


 コンウェイ医院を出て、私はまっすぐ自警団本部に向かった。

 昨日逮捕されたという東街区の男と話をするためだ。


 自警団本部は、昼間見るとずいぶん豪奢な建物に見えた。

 数年前に改築されたと記録にあった。

 自分の子飼いである自警団の威力を誇示するために、横領した補助金で市長が建てたのだろうか。


 受付の男は感じ悪く私を眺め、担当者らしきごろつきまがいの団員を呼び寄せた。

「なんだよ、ロビンの相手にわざわざ呼ぶんじゃねえよ」

 やってきた男はにちゃにちゃ音を立てて噛んでいたガムを吐き捨て、手を挙げるとぶらぶら振った。

「帰んな、保安官さん。ここは青服の来るところじゃねえ。それに調べはもうウチで済んでる。あんたの出番はねえよ」

「取り調べしたいと言っているのではないんですよ。別に自警団の捜査結果に疑いを持っているわけでもない」

「じゃ、なんで犯人と会うんだ?」男はめんどうくさそうに言う。

「別件の調査で質問したいんです」

「なんだやっぱり取り調べじゃねえか」


 こんなやつと押し問答していても、らちはあかない。

 私はこんなとき、どの都市のどんな場合にも使える万能の手法を使った。


「まあ、お立場はわかります」

 言いながら、そっと現金を手に握らせた。

 相手の顔がさっとこわばる。受付の男を気にし、小声となった。

「なんのマネだ」

「5分でいいんです。お願いできませんか」



 留置室には鉄格子で囲まれた、昔ながらの留置スペースに加え、囚人を特殊な器具で拘束するための留置ボックスもあった。

 その前まで来ると、ごろつきは真顔で念を押してきた。


「5分だ。それ以上だと」

「これでもう5分というのは」

 私は追加の現金をその手に握らせる。

「……ん、ん、じゃ、じゃあ10分だ。それ以上は絶対ダメだ」

 たぶん、現金の続く限り、まだまだ時間は延ばせるはずだった。


 留置ボックスのロックを解除し、中に入る。


 囚人を五人拘留できる拘束具は、すでにふたつ埋まっていた。

「マッケイ! なんでここに!」

 電磁拘束具で手足と首を固定されたコナーズは、私を見て、とたんにわめきはじめる。ロミリオンに撃たれた手の傷は包帯で巻かれていた。

 聞いた話ではかすり傷程度らしいのに、大げさなことだ。


 ボックスは完全防音で外にコナーズの声の漏れる心配はない。


 とはいえ、遅かりしながら、念のため部屋の音声モニターをオフにして、どこか他の場所にあるコントロールルームに聞かれないようにした。

 もう聞かれたかも知れないが。


「あんたに会いに来たんじゃない。こっちに用事だ」

 監視カメラの死角を伝って移動し、コナーズから拘束具をひとつ開けたところにいる、同じ格好で拘束された男の前へ向かった。


「ここでの証言は裁判時に記録とされない。だから安心してしゃべってくれていい」

 遠距離指向性マイクに切り替えたボイステスターを相手の口元に向け、離れた場所からそう質問した。

 男はその電子機器をにらみつけ、うめくように言う。

「なにを言っても、そいつにはネガティブって出るんだろ。さっさと裁判にかけて、処刑すりゃいいじゃねえか、ひとでなしどもが!」

「勘違いしないで欲しい。私は自警団の人間じゃない」

 弱々しく頭を上げ、その男はあらためて、まじまじと私の姿を見た。

 顔中、打撲傷と擦過傷とに彩られていて、相当いたぶられたようだった。

 コナーズは黙り込み、殺気をはらむ目で私たちのやりとりを見ている。


 男は少々考え込み、思い出したようにしゃべった。


「そ、そうか。あんた、知ってるよ。最近来た保安官だ」

「そうだ。巡回保安官だ」

「……腰抜けだって聞いてた」

「そう見えるか?」

 男はそれに答えず、助けてくれ、とだけ言った。


 私の目的は昨日移動プラントで私を狙った人物がこの男であるかどうかを知ることだった。が、テスターを使うまでもなく、目の前の男は全くこの件に関係ないと直感する。

 それでも確認のため、ためしに質問してみた。


「昨日、私を狙ったか?」

「なんだって? あんたはなにを」

「答えて」

 有無を言わさず、詰問した。

「してない、するわけないだろ、だって……」


 ランプは緑色に発光する。


 ニードルガンなどという特殊用途の拳銃を持つやつなど、そう多くはない。

 仮にナイスを殺したのがこの男だとしても、ニードルガンなど使わず、普通に遠くから撃てるビーム銃を使った方が、確実で足もつかないはずだ。


 罵詈雑言で私を罵るコナーズと、助けを求める男の哀願を背に、ボックスをでた。

 ドアを開けたとたん、こめかみにいきなり銃口を当てられる。

「ずいぶんなめた真似をしてくれるな、マッケイ」


 クラッフワースは部下へ命じ、ふところからあらいざらいの物品を取り出させた。

 さっき賄賂を渡したごろつきは、この厳しい指揮者の横に立たせられ、鼻から出る大量の血をタオルで押さえている。

 目のまわりにも青黒いあざができていた。


「これが軍なら、おまえは銃殺だな」

 横のごろつきを低い声で脅すと、自警団長は首を動かし、背後の部下に指示を出す。両脇を仲間に抱えられ、ごろつき自警団員は引きずられるようにして留置室を出て行った。


「なにをしていた」

 クラッフワースは頭上で両腕を組む私に尋ねる。

「質問していました」正直に答えた。

「なんの質問だ」


 どう答えるべきか、いくつかのパターンを思いめぐらした。


 横にいる自警団員は、突きつけている銃で私の頭を小突き、無言に答えを促す。

「答えろ」クラッフワースは腕組みしたまま、顔を下に傾け、上目遣いに命令口調で言った。

「きのう、ニードルガンで撃たれました」

「……どこで?」

「プラントで」

「移動プラントに行ったのか」


 苦虫を噛みつぶしたような顔になった。

 私は無言でうなずく。


「なにを調べている。おまえは何者だ、マッケイ? で、ホゼは犯人だったのか?」

 やつは瞬時、激昂しかけ、すぐ冷静になったようだ。

 拘留されている男はホゼというらしい。

 首を振った。

「たしかか?」

「ええ。あの男ではありません。もっと、訓練を受けた人間のようでしたね」


 しばらく私とクラッフワースはにらみ合っていた。


 私の頭に銃を突きつけている自警団員の手が疲れて震えだすころ、自警団長はあっさり、私を解放するよう指示を出した。

 固い金属の感触が頭部から消えた。


「ちょっとつきあえ」クラッフワースは言った。



       6

 

 自警団長の専用室は、市長室よりも質素だった。

 見た目の印象に輪をかけて無骨な性格らしく、あちこちにビーム銃やビームライフルが立てかけてあり、個人用のミサイルパックまで無造作に床へ転がされている。


 さっきから何度もレッキイのコールが来ていた。

 しかし、いまは応答する余裕はない。


「何を飲む?」

 予想外のもてなしに戸惑った。

 断るとクラッフワースは、冷蔵庫から天然水のボトルをふたつ取り出し、製氷室から皿に氷を乗せて持ってきた。


 応接テーブルにそれらを置き、私にも勧める。


「まあ、そう言うな。これはこのあたりじゃ贅沢品だ。合成酒なんかよりいい」

 そう言うと自警団長は氷を数個口に入れ、がりがりと音を立てて噛む。

 とがった犬歯をむき出したそのさまに、犬科の猛獣の姿を重ね合わせ、なぜか内心ほほえましく感じた。


 たしかに贅沢品だ。


 この惑星全体に天然の水は不足していて、買えば目の玉の飛び出るほど高価だったし、それを使った純度の高い氷は、実際にも、気分的にも贅沢を象徴するような一品ではある。

 私は手に持った天然水のボトルをじっと見つめていた。


「部屋の雰囲気にあわない、とでも言いたいのか?」

 彼の世間話につきあうつもりはなかった。

「どういうことですか? 私を解放するとは」

「まだ解放したわけじゃない。ここはまだ手の内だろ?」

「にしても、数日前とは待遇がえらく違う」


 クラッフワースはかみ殺したような笑い声を上げた。


「あのときはすまない。普通はああいうことはしないんだが、まあテストだな」

「テスト?」

 しぶしぶ話へ乗ることにした。

「あんた、おれたちがいつもあんなバカ騒ぎしてると思ってんじゃないだろうな?」

「……してないとでも?」

「一応、おれたちは警官だ。統合移民局からすりゃ正規ではないんだろうが、街の治安を護り、市民を保護する立場だから、そうそうあんないじめはできねえよ」

「リンチであることを認めるわけですね?」

「リンチか、リンチならもっとうまくやるがね」


 クラッフワースは凄みをきかせ、また氷を口に放り込んだ。

 がりがりと音を立てながら、私を見る。

 真剣そのものの顔となっていた。


「ナイスがやられたときに、一瞬だが、あんたかとも思った。だが、凶器と現場を見てすぐにそうじゃねえと思ったのさ。あんたの手はやわらかだったからな」

「やわらか?」

「最初の晩に握手したの、覚えてるかい?」

 もちろん覚えている。

 手を突き入れるようにして握手を求めてきた。

 あれでこいつが随分粗暴な男だという印象を持った。

「わかるんだよ。銃を撃ち慣れてるやつは、親指のここんところが硬え」


 クラッフワースは右手親指の付け根を左の人差し指でなぞった。


「皮膚の角質化具合とか、筋肉のつき具合でな。……銃を撃つと握りが反動でこう、ぐっと後ろに来る。訓練で何百発も何千発も撃ってれば、銃の握りとこすれたり、力が入ったりしていつの間にかここの皮やら肉やらが、硬え感触になるのさ」

 聞いたこともない理屈だったが、つじつまの合う話に思えた。

「だから、あんたは銃を使うような荒事に慣れてない、そう思ったわけだ。ナイスの殺しはどう見ても、プロの仕業だからな」

「それなのに、酒場ではケンカを売ってきた? ケンカ慣れしてないと知って?」

「だから、『テスト』だ。ああいうことをされたとき、普通、とる態度はふたつしかない。びびってションベンちびるか、無理とわかって抵抗するか、だ」

「私は前者だったというわけですか」


 クラッフワースは椅子から少しだけ身を乗り出した。

 その目が彼の動きに合わせ天井の照明を反映し、きらりと光ったように見えた。


「……違うな。あんたは耐えていた。間違いねえ。根っからの臆病もんじゃない、かといっていきがったり、強がるバカでもない」

「臆病ですよ、私は」

 この男から予想以上に買いかぶられ、ほんの少しだけ得意な気分になった。

「そうかも知れねえ。だが、腰抜けと言われるのを承知で、あえて耐えるやつは珍しい。それに耐えられるのは、なにか他に目的がある、強い動機を持ったやつだけだ」


 私は平静を装っていた。


 まだ調査官だとばれたわけではない。やつは私の調査の目的も知らないはずだ。

 ボトルの天然水をぐいと口飲みした。

 酒場で見せた、何かを見通すような、値踏みするような目つきで、クラッフワースは私のその様子を凝視していた。


「……その青服……きのう市庁舎で見たときゃ、いきなりでたまげたぜ。そうやって保安官の制服を着ているあんたを、なぜか死んだニーゼイそっくりに見ちまってな。……けどよ、おれの見立てじゃ、あんたは保安官なんかじゃねえ。役人はこけおどしが大好きなんだ。特に巡回保安官ってのは、威勢が良くて中身のねえ、カスみたいな小役人がなるもんさ。いずれすぐ移動して別な場所に行っちまうから、都市や街になんの義務も責任も持ちやしねえ」

「公務員への侮辱ですね」

「……だから、女の家に泊まったり、ガキの見舞いに行ったりもしない」


 クラッフワースは最後まで一気に言い終わり、凄惨な笑みを作った。


「ずっと尾行してたのか」

 ふたたび場に緊張の糸がぴんと張りつめたようになる。

「最初の日からな。これ見よがしの尾行なんかじゃなく本当の、だ」


 うかつだった。


 目に付く尾行者を放ち、実際の尾行者の姿を隠す。

 尾行の基本テクニックなのに、まんまと引っかかったというわけだ。

「……それじゃ、プラントで私を狙ったのも?」

「おっと、勘違いするな。ルゴの外には出てねえよ。それは指示外だ。ライナーホースで行こうって相手をライナーホースで追っかけちゃすぐに気づかれる。それに殺す指示なんて出すわけないだろ? 一応おれたちは行政の人間だ。チンピラやごろつきじゃない」

「なるほど。たしかにチンピラやごろつきなら、こそこそ他人の後を尾けたりしないでしょうね。手を出すなら堂々とやるはずだ」


 感情の昂ぶりとともに、頬へ血が上ってくるのを感じた。


「おれとしちゃ、あんたが何者で、どんな目的を持っているか、それさえわかればいいのさ。別に誰といい仲になろうが、どんなことをしようが他のことにゃ興味はない。それにな、誤解の無いように言っておくが、実はおれも尾行者の正体は知らねえんだ。そっちは市長直轄でね。情報はもらっても自警団には関係ないってことよ」


 彼ら内部で役割分担がどうなっているかなど別に知りたくもなかったが、いまさら不必要に自警団の弁護をされたところで、事実上、これは彼らからの宣戦布告と受け取っても良さそうだった。


 私は応接ソファから立ち上がり、会見の終了を態度で示した。


「面白いお話でしたよ。メル」

 やつのファーストネームを使って、『親愛の情』を精一杯示す。

 クラッフワースはソファから立ち上がりもせず、専用室を出て行く私の背後から大声を出した。

「あんたの身元はいま、特殊なルートで統合移民局に照会中だ。サイボックス経由じゃ、そんな人物はいないってことだからな。一週間かそこらでばれちまうぜ、『巡回保安官』どの」

「それはおかしいな」

 振り返り、私は思わず訊ねた。


 本当におかしい。


 本部へどこからか仮の身分への問い合わせがあったとき、その時点で簡単に本人確認できなければ、身分を偽ることの意味などない。

「世の中ってのはみな、おかしいことだらけさ」

 やつはそう言って、勝手に話をまとめ上げた。



       7


 帰る途中、無駄と知りつつ何回も背後を確認した。

 もちろん尾行者の姿は見えない。

 これまで私にその存在を悟られないのだから、さぞ優秀な人間なのだろう。


 事務所にはレッキイの姿があった。


「何度かコールしたんだけど」

「……クラッフワースと面会していた」

「そうか。それでなのね……で、なにかわかった?」

「なにも。……だが、この事務所は使えなくなった」

「あら、なぜ?」

 レッキイは意外そうに目を見開いた。


 クラッフワースは、おそらく市長も、もう私を巡回保安官とは認めていない。

 これ以上この事務所にいても、滑稽なだけだ。


「巡回保安官として認められていないからだ」

 ひと言だけ答えると、それ以上何かを聞きたそうにしているレッキイを尻目に、黙々と荷造りをはじめた。

 彼女はしばらく私の動きを観察していた。

 ほどなくして、口を開く。

 ようやく私が本気で出て行こうとしているのを理解したようだった。


「泊まるところはどうするの?」

「ライナーホースの中で寝るさ」

「ねえ、よかったら」

「よせ!」

 予想以上の大声になる。

 彼女は素早くまばたきし、表情を硬くする。

 ため息をついて、その後を続けた。

「すまん。苛立ってる。きみのせいじゃないのに」

 レッキイは泣きそうな顔をした。

 歯を食いしばり拳を握りしめて、立ちつくしている。

 ちょっとでも触れれば、たちまちぱりんと割れてしまうような、もろいガラス彫像のようだ。

「私の行動はすべて見張られていた。ここに来てからずっと。きみの家に行ったことも、ホープのお見舞いも、みんなだ。いま、ここも見張られているはずだ」


 彼女は応えなかった。私はかまわず話を続けた。


「申し出はありがたいし、受けたいとも思う。だけど、たぶん私に関わるときっとまた誰かが傷つくことになる。ホープのように」

「……ホープが、……って」

 レッキイはかすれ声で言った。

 私にはよく聞こえなかった。

「え?」

「……次はいつ来るの、って!」


 大きな声だった。

 続いて訪れたその場の静寂は、私には耐え難かった。


「それは」やっとの思いで口を開く。

「待っているわ。あの子」

「済まない。約束は守れそうにない。守らない方がいい」

「たぶん、好きなんだわ、いいえ、好きになったのよ!」

「レッキイ、私は」

「お願い、私たちを見捨てないで! 私から去っていかないで!」

 レッキイは大粒の涙をこぼしながら私のふところに飛び込んできた。


 私は手に持った装備品の袋を手から離し、彼女を抱き留める。

 そのまま背中に手を回し、しっかりとその身体を包み込んだ。



 ナイスの葬儀はその日の午後、ひっそりと行われた。

 彼の死は殺害改め、事故として内々に処理され、死因や事実の公表は一切ない。

 犯人の有無を含め、事件は自警団にもみ消された。


 自警団の連中と顔を合わせるのがいやで、本当は出席したくなかった。

 レッキイは行くと言う。

 やつは暴力的で分別もなく、あさはかで、利己的な人間だったかも知れないが、それでもルゴで生まれ、非業の死を遂げた市民のひとりだと彼女は言った。


 その言葉に心を変え、私もつきあうことにしたのだった。


 北東の森の奥に墓地があった。

 点々と並ぶ十字架の、その最後列に、ナイスの棺は置かれていた。

 出席者の少ない葬儀。

 私たちふたりを除けば、自警団からでさえ、クラッフワースと、拘束を解かれたのか、例のコナーズしか出席していなかった。

 後は墓堀りの作業員ふたりと、司式をする牧師だけだ。


 祈祷が始まる。


 彼の家族はとうに他の都市に移住し、その消息も定かではないという。

 五年前の事件以来急激に廃れた土壌改良事業のあおりで、両親は彼の弟や妹たちと一緒にルゴを離れたのだ。


 その性格ゆえ、彼は両親に愛されない子どもだったらしい。


 ナイスがルゴの再興にこだわったのは、たとえ愛されていなかったとしても、家族とともに暮らした時期と、この都市の成長期の記憶が重なっていたからだったのかも知れない。


 牧師の祈祷は終わり、埋葬の前に短い説教が続く。


「亡くなったナイスは、正直に申し上げて、ルゴの人々にはそれほど愛されませんでした。彼自身の素行もまた、荒々しく、時に傍若無人で、有り体に表現すると……ひどいものでした」

 コナーズはその言説に目を剥き、顔を上げて抗議の視線を送っていた。

 牧師はコナーズから顔を背け、説教を続ける。

「彼が神を信じていたかどうかは、いまとなってはわかりません。しかし、わたしは、かつて彼が礼拝堂で祈っているのを一度、この目で見たことがあります」


 牧師は雄弁だった。


 故チョ・ナイスを神になのか、列席者になのか、うまくとりなしていた。

 横のレッキイを見ると、目を腫らして泣いている。


「この地上では、彼は自分の望むほど愛されなかったかも知れません。しかし、一度でも御前にぬかづいた者を神はお見捨てにならない、と私は考えます。だから生前、頭を垂れ御前に祈ったことのゆえに、神は、彼の魂をいま、御許に置かれているとも思うのです」

 牧師は手を組み、ふたたび祈りはじめる。

 私たちもそれにならう。

 レッキイは牧師の祈りを聞いて嗚咽しはじめた。

 おかげでナイスの葬儀はようやくそれらしい雰囲気になった。


「アーメン」


 祈りの終わりに、場の一同はみな、そのことばを各々ばらばらにつぶやいた。


 埋葬を終えると、ナイスの葬儀はすべて終了した。

 私とレッキイは並び、街に向かう小径を歩き出す。

 彼女は流れ落ちたマスカラを気にして顔を伏せていた。

 お互い、沈黙は金とばかりに口を開かなかった。


「マッケイ! 保安官!」


 背後に誰かの叫ぶ声を聞く。振り返ると、コナーズがこちらに走ってきていた。

 私はすぐに身構え、不測の事態に備えようと……


「あんたたち、ありがとうよ」


 近くへ来ると立ち止まり、目をしょぼくれさせながら、そう礼のことばを述べる。

 いつもの傲岸不遜な態度はみじんも感じられない。

 友人のために泣いたせいで、目も厚ぼったく腫れあがっている。


「むかし、オヤジに、死んだとき初めてそいつの値打ちがわかるって言われた。自警団の仲間ですらここには来たくねえとよ。あいつがどんだけ嫌われてたか、わかるだろ? メルは団長だから職務上来てるだけだ。……だからあいつの死を悲しむのはおれひとりだけだと思ってた。けど、おれたちをよく思ってねえはずのあんたたちが来てくれた。最後にあいつの値打ちを少しでも上げてくれて、本当にありがとうよ」

 深々と頭を下げる。

 ひげ面で悪相のこの中年男は本心から感謝しているように見えた。

 続けてレッキイを上目遣いに見て、ばつの悪そうな表情を浮かべた。

「レッキイ、ホープのことは悪かった。許してくれ」

「いいのよ、もう」

 彼女の声は消え入りそうに小さくなる。

 片目から再び涙がこぼれ落ちた。


 コナーズの背後で自警団のバギーが大きなクラクション音を響かせた。

 クラッフワースはしびれを切らしたらしい。

「保安官、あんたもな。悪かった」

 そう言うと、きびすを返し、コナーズはふうふう息を吐きながら、バギーに向かい走り去った。



       8


 飛び起きる。


 叫んだりはしなかったようだ。

 ベッドの揺れで、私の傍らにいるレッキイは、小さくうめくように声を出す。

 意識は戻らない。


 昼間の疲れで熟睡しているようだった。

 私は息をつく。

 寝室を出て、キッチンに向かった。外はまだ暗い。


 これでもう三度目。

 連日同じ悪夢を見ている。


 どこかの部屋にいて、目の前に、識別用の標識もなにも書かれていない、黒一色の見慣れないほど大きなサイボックスが置いてある。

 天板はなぜか少し開いている。

 見ていると、それは突然きしみ音とともに開きはじめ、心の中でよせ、と叫ぶのに、自分の身体はまるで誰かに操られているかのように、言うことを聞かない。

 サイボックスへどんどん近づき、開いたフタの内部をのぞいてしまう。

 黒箱の中には、底知れぬ深さの穴があり、底から気味の悪い音を立て、こちらに向かって正体不明の存在が這い登って来るのだ。

 逃げようとすると、箱から出てきた『なにか』に自分の腕をつかまれてしまう。

 

 いままでは大抵そこで目を覚ましていた。

 ところが、今夜は少し違うような気がした。

 どこかが異なっているように思えた。


 冷蔵庫から合成のミネラル・ウォーターを出し、口をつける。

 自警団本部で味わった天然水とはまったく違った。

 自分の身体はこちらの方に慣れているのか、どちらかといえば、合成水の方が飲みやすい。

 再生プラスチックボトルに入った水を持ったまま居間に入り、夢の細部を検討しようとソファに座った。

 本当は思い出したくもないのに、なぜかそれをしなければならないような、そんな気分だった。


 自分の息づかいや、胸の動悸まで現実のように感じられる生々しい夢。

 腕をつかんでくる『なにか』の感触まで、まだそこへ残っているようだ。


 それでもどこかが違う。


 夢の情景をしばらく思い浮かべた。

 そうしてみて、やっと細部の違いに思い至った。


 ――箱の天板が


 開いたままだった。……ような気がする。

 記憶を探り、もう一度考え込む。


 きしみ音は聞こえなかった。

 いつもなら音を立てて少しずつ開く天板は、確かに最初から開き切っていた。

 他に違和感を覚えたところはないか。


 ――黒い手!


 今夜は私の腕をつかむその漆黒の姿を見ていた。

 あれはたしかに人間の手だ。


 黒く、焦げたような手だった。


 ――いったいこの夢は……なんだ


 思考を続けようとして首を振る。

 夢のことはいくら考えても無駄かもしれない。

 見ようと思って見られるわけでもない。

 考えることは、もっと、別に、いくらでもある、と理性的に思い直した。


 ルゴに入ってから、色々な事件が立て続けに起こっている。


 生帯の不通に始まり、身分証明の不達、別な調査官の派遣。さらに前任保安官の他殺疑惑、補助金横領疑惑、謎の殺人事件まで起こり、私も誰かに命を狙われた。

 ガスク・ロミリオンという正体不明の人物の登場。

 ホープのケガ、レッキイ……。


 たぶん、私は彼女を愛してしまったのだろう。

 レッキイは……彼女もたぶんそうだ。……ろうか?


 彼女はニーゼイ保安官の不名誉な死をきっかけとして、周囲から疎外されはじめたように感じている。

 彼らが父親の死の真相究明に手を貸さないからそう感じるのか、実際に私のように疎外されているからかは、なんとも判別できない。


 ひょっとすると表面上の目的を同じくする男女がテレパシーの直接通話によって、それぞれお互いの孤独を埋める、便利な存在だと考えているだけかも知れない。

 たった数回のやりとりなのに、お互いに共感を得たつもりで、恋をしている、あるいは、愛していると勘違いしている、いや、勘違いしたフリをしているのではないか……。


 男性としての自分に自信のないせいか、そう考えるほうが的を射ているようにも思えた。


 きょう、統合移民局から連絡が入ることを思い出した。


 時計を見ると、アラームの設定時まで、まだたっぷり時間もある。

 私はこれまで集めた情報と資料とを整理し、その中から調査の新たな局面を生み出すような『なにか』の存在を見つけ出そうと考えた。

 ここへ来てわずか数日だというのに、確認の必要な情報は膨大にある。


 端末を開き、彼女の机の上でこれまで収集した資料をひとつひとつチェックしていくと、いくつか検証の足りない部分のあることに気づいた。

 屋外移動プラントで撮った写真のうち、集中司令室でとった計器板の写真は、まだなにも手を加えておらず、分析もまだだ。

 ナイスの事件ですっかり失念していたようだ。

 検証作業を行ううちに、いくつか気になる点を発見した。


 ――なるほど、その可能性はあるな


 腕時計を見た。

 行って、帰ってくるには充分だろう。


 ――いまのうちに確認だけでもしておくか


 ひとり決めると、素早く行動に移った。



 明け方近くだからか、入出管理事務所はまだ開いていない。

 出入りの激しい大都市ならば不夜城と呼ばれる部署なのだが。


 業務がないとは言え、日中だけしか開いていないのは信じられないことだ。

 ここに来るまで、何度も周囲を確認し、尾行者を発見しようとしてみた。

 しかし、無駄骨に終わっている。


 超望遠のスコープで、例えば例の丘の上から監視されていたとしたら尾行者の存在を発見するのは不可能だ。

 いずれにせよ、ルゴ外に出るのは禁止されているから、それを破れば私を拘束する都合のいい理由をやつらに提供することになる。


 まだ捕まるわけにはいかない。


 事務所の裏手に回り防犯カメラの接続を切った上、念のため警報装置も解除する。解錠ツールで正面扉を開け、中へ侵入した。

 ライナーホースのキーは事務所奥の壁に設置されたキーボックスにまとめてあり、そこから自分のキーを見つけ出すと、倉庫の自車に乗り込む。


 遠隔操作で気密室を開け、ドーム外に出た。


 目的地は先日訪れた屋外移動プラントの残骸だ。

 資料で見た不審な点とは、計器の表示。

 爆発時の衝撃で誤作動を起こした可能性もあるから、現地でもう一度その部分を確かめるつもりだった。


 一度成功しているため、今度のアクセスはスムーズに進む。

 保安官事務所にあった、軽量の電動ハシゴを持ってきているからでもあろう。

 先日と同じ、プラント底部から一気に4Fの集中司令室に向かった。


 日の出。


 窓から差し込むグリーゼ674の朝日は、室内を赤色矮星の太陽らしい毒々しい色に染めていく。

 窓際に設置された計器板に近づき、赤い陽の光に照らされながら、センサーとテスターで目的の計器類をチェックした。

 かなりの時間を費やし、結果、どの計器もそれ自体に故障はないと判明する。


 私はレッキイに連絡を取ってみた。

 たぶんもう、起き出しているころだろう。

 一応、枕元に書き置きをしたものの、やはり直に会話を交わしたい。


 コール三回で認証される。


 <おはよう>

 <おはーよーぅ>


 思考の焦点は合っていなさそう。ねぼけているのだろう。


 <寝起き?>

 <ええ、いまー書き置きを見ーたところ。ぷランートにいるの?>


 意識内に間延びしたことばが浮かぶ。

 眠いのだ。

 思考にまとまりもない。


 <また連絡する>

 <うん、ー待ーってる>

 <レッキイ?>

 <なーにー?>

 <いや。それじゃまた>


 言おうと思っていたことばを飲み込んだ。

 直接伝えた方が良いと考えたからだった。

 テレパシー通話は、ことばと思いの両方を伝えることができて便利だ。

 だが、時には会って直接伝えたいことばもある。


 生帯との接続を切り、引き続き調査に戻った。


 合成石灰を製造、精製するための原料や薬剤は、爆発とそれに伴う火災ですべて焼失したが、計器板はそのほとんどが事故直後の各タンクの容量を示している。

 ところが爆発の直接的原因となった生石灰タンクの計器だけは空量を指していた。


 通常、プラントのコントロールパネルは信頼性の高いデジタル計器のはずなのに、ルゴのプラントには後付けで数世紀前からあるようなアナログパネルが取りつけられていた。

 デジタル計器と比べれば誤差はあっても、電子部品は少なく、堅牢で重厚なそれらの計器は、時代錯誤的な『機器』を愛する技術者たちに好まれるそうだ。

 ルゴは懐古主義者の多い都市でもあるから、これらの計器はそういった技術者により改造されたのだろう。


 おかげで事故の要因を知るための手がかりを発見できた。


 写真を見ただけでは、計器の故障という可能性を否定できなかったが、直接調べるためここまで来た甲斐もあった。

 生石灰タンクの容量を示す計器に異常はない。


 ようするに、生石灰タンクはもともと空量だったのだ。


 反応するべき生石灰がなければ外部に排出されるべき水蒸気がいくらタンクに混入したとしても、爆発は起こらない。

 これで、五年前の大事故の原因は根底から覆されたことになる。



 私は次に、爆発で大穴の開いた2、3Fの後部に移動し、フロアの内外にこびりつく、燃焼時のすす成分を分析した。


 前回、謎の人物による襲撃で中断した作業でもある。


 今日はプラント内に対人センサーを張り巡らし、私以外の誰かがプラントへ侵入してきても事前に検出できるよう、用心していた。


 爆発、火災時の多種多様な化学反応、五年という経年を考えると、タンクの残骸、およびその周辺に散らばるちりやすすの成分分析は計測できない可能性もあった。

 しかし、プラント内の至る所に残されたそれらからは、あまりにもあっさりと、明確な爆発物の燃焼反応が検出された。


 移動プラントの爆発は、爆発物による、人為的、作為的な偽装事故だったのだ。



       9


 昼過ぎまでにすべての作業を終え、ルゴに戻ろうとライナーホースを発進させる。

 物証はそろった。

 だが、自分の立てた仮説にあまり自信はない。

 というより、この事件を実証したところでどうなるものでもないのではないか、というあきらめを感じていた。


 ――事件への、ルゴ市民による包括的、組織的関与の可能性


 屋外移動プラントの事故は、私ひとりの、それもたった二度の検証で発覚するほど、ずさんな偽装事故だ。

 仮にこれが私でない、調査の素人であれ、ふさわしい道具を使って少しの実地検分をしてみれば、事故調査委員会レポートに書いてあることはでたらめだと、すぐにわかるだろう。


 ルゴ市民で組織された正式な調査チームは、まともに事故調査などしていない。

 交代要員も含めた百人以上もの乗員が、ひとりの死者を出すこともなくプラント外へ脱出していたのは、奇跡でも何でもなかった。


 彼らはみな、事故の起こることをあらかじめ知らされていたのだ。


 ということは、この事故は市長のみならず、ルゴの議会や市庁舎の公務員たち、土壌改良技術者たち、作業員たち、自警団をも含んだ多くの市民の関与する、都市ぐるみの組織的事件なのではないか。


 そうでなければ、事故と片づけられるにはあまりに不審な点、物証は多すぎる。


 そもそも、事故唯一の死者ビルズ・ニーゼイの娘以外、誰もそのことについて不審を持たない、ということ自体、彼らの事件への関与を何よりも雄弁に物語っているのではないか。


 事故後、市民から受けるレッキイの疎外感も、どうやら彼女の過度な被害意識の歪みから出てきたもの、というわけではなさそうだ。


 なんとも気の滅入るような仮説にたどり着いてしまう。

 ただし、それを真相と断定するには大きな弱点もあった。


『動機』。それがわからない。


 彼らはなぜ、何のために、どうして、こんなことをしたのか。

 それを明示できなければ、事件の全容を解明したことにはならないからだ。



 ライナーホースを駆って、正規の入出口ではなく、東街区の外壁を目指した。

 移動プラントの発着場に到着すると、エンジンをかけたまま、その場所でしばらく待つ。いまさら正面口は利用できないだろう。

 心中では、あのひとのよさそうな初老の係官ジェイスン、都市の一般人ですら、あまり信用できなくなっている。


 姿の見えない尾行者も、外までは出ないということだったから、入出口で私の戻るのを、いつまでも待ち続けているかも知れない。

 それに私は禁を破って外に出た。

 戻れば確実に逮捕、拘留される身なのだ。

 腕時計を見る。

 もうすぐ移民局からの連絡が入るころだ。


 ドーム内では外部からの連絡は繋がらない、直感的にそう確信していた。


 これまで本部との通話は、すべて都市外で成立している。

 その証拠にルゴに入る直前、そして先日のプラント内では普通に繋がった。

 だが、都市内部では一回も繋げられなかった。

 どういう理由かわからないものの、これもなにか、ルゴの事件に由来する現象なのだろうか。


 腕時計のアラーム音が鳴り始める。時計に触れ、それを止めた。

 すかさずめまい、続いて黒箱のイメージ。

 さすが本部の担当者、時間通りだ。腕のスイッチに触れ、認証する。


 <……マッケイです>

 <ルゴの市長について、興味深いことがわかった>

 <はい、どうぞ>

 筆記ではなく、ボイスレコーダーを使った。

 頭の中にあることばを声に出し、記録とするのだ。

 <ルゴ市長ジョセフ・リンシュタインは、かつて統合移民局の開発部にいた>

 口頭で復唱し、レコーダーへの記録を始める。

 <それは資料にあるとおりです。バイオ研究分野にいたとか>

 <リ・サイバネティクス研究分野で功績を挙げている。専門は有機移動体通信だ>

 <生帯の?>

 <そうだ。サイボックスの研究開発に携わっていたらしい>


 予想とは全く違う分野の専門家なのか。


 耐酸性セラミクス大扉の下にある小型車輌専用扉から都市内部に入り、自分のライナーホースを停めた。あの緑色のライナーホースは自警団が参考物件として本部へ運んでいて、出入口の前にはなにもない。

 手動でホースを引き出し、中和剤でライナーホースを洗う。

 作業を終え、移動プラント発着所に隣接したガレージ内部に車輌を隠した。


 東街区の旧研究所跡地は地下にある。


 一昨日の夜にナイスを見つけたときは探査どころではなかったし、見通しも悪かった。そう知ってよく探すと、プラント整備所を抜けた先の壁面に、地下通路への入り口らしき大扉を見つける。

 ルゴの市章を印刷した封印はとっくに破られていて、扉の中央部をロックする金属棒の擦れ具合からすると、すでに誰かが頻繁に出入りしているようでもあった。


 移民局の担当官は、さきほど、巡回保安官の身分保障を即日再交付すると約束してくれた。となると、これからは都市管理者の許可なく重要施設へ立ち入れる、という巡回保安官の特権が生きてくるはずだった。


 躊躇なく解錠ツールでメインドアの集中ロックを解除した。

 金属の重いドアはモーターにより徐々に引き上げられ、その向こうに都市内用の四輪バギーなら対面で二台は楽に通れそうな通路が見えてきた。


 通路の奥から生暖かい風に乗り、ほこり臭い匂いもする。


 トンネル内に灯りは一切ないので、奥は漆黒の闇だ。

 ひょっとすると徒歩より、なにか、乗り物で入った方が良いのかも知れない。

 ライナーホースまで戻り、二輪トランスポータを組み立てる。

 アタッシェケースサイズの青いボックスを開き、車輪とサドルとライト付きハンドルを引き出すだけの簡単な仕組みだ。


 乗り心地さえ気にしなければ、結構な遠出にも使えるすぐれもの。

 今回の官給品では一、二を争う便利な道具かもしれない。


 バッテリー残量を確認してから、私はトランスポータにまたがった。

 そうして地下へと侵入していく。



       10


 都市ドームの地下。


 途中の通路とは異なり、ルゴの第一層はまったくの暗闇ではなかった。

 地表にあたる第二層の底部は、第一層をドーム状に覆う天蓋となり、そこにきらめく補助灯の灯りがまるで星のように輝いていて、地下世界を薄闇程度の明るさに保っている。

 見ると合金製の巨大な補強柱が何十本も天地を結び、天蓋と、その上に盛られた都市表土の途方もない重量を支えていた。


 遠くに建物の灯りを見て、私はトランスポータを停めた。


 舗装路の脇に寄り、双眼鏡で調べてみる。

 形状からすると研究施設らしき建物のようだ。

 あれが目指す土壌改良技術開発研究所なのかも知れない。

 土壌改良事業は中断しているにもかかわらず、建物の窓には煌々とした灯りが見える。あたりに人の気配はない。

 ある程度の場所まで近づくと、トランスポータを道路脇に積み上げられた土塁の陰に隠し、徒歩で建物に向かう。


 ふと思いつき、地形コンパスで現在地を割り出してみた。


 驚いたことに、研究所の建物は、ちょうど自警団本部の真下あたりに位置していた。もう一度双眼鏡で建物の上をよく観察すると、合金製の巨大な柱に隣接したエレベーターチューブを数本確認する。


 ――自警団の建物と繋がっている、のか?


 先日見た自警団のエレベータに地下階の表示はなかったから、専用のエレベータが別にあったということだろう。数年前の改築というのは、地下とのやりとりに必要な設備を増築したということらしい。


 さきほどの通話で、統合移民局担当者が、市長と自警団長の関係をかなり危険視していた。


 クラッフワースは統合移民局に在任中、兵器の横流しをして解任された経歴もあるらしく、局を離れたあとは、兵器ブローカーとしての顔を持つということだった。


 執務室の状況を思い返してみれば、いまさらながらにそれも納得できる。

 無骨と言うより兵器マニアの類ではないのか。

 きっとクラッフワースは外部プラントの爆破にも力を貸しているに違いない。

 プラント2Fの床が抜けず、1F方向にゆがんだまま残っていたのは、内側にあまり影響を与えず、外部に爆発の力が向くようにするための、指向性爆薬を使ったからではないだろうか。

 兵器ブローカーなら、そんなものはたやすく調達できるだろう。


 注意深く歩を進めつつ、施設の正門がよく見える物陰に到着した。

 双眼鏡で見ると、やはり土壌改良技術開発研究所と表札もある。

 正門は固く閉ざされていて、塀を越えて入るのも難しそうだ。


 実のところ、私は結構緊張していた。


 本来潜入調査向きではなく、観察調査や分析業務を得意としているからでもある。

 たぶん、ロミリオンのような男なら……

 そういえば、彼の正体はまたも謎のままだった。

 担当者がはっきり否定しないところに引っかかりを覚えた。


 回答は前回と同じく、


 ――わたしの権限で探れるレベルでは見つからない。最高機密レベルなら……


 そんな調子だった。

 ひょっとすると彼は最高機密情報をあずかる一級調査官なのか。

 だから火薬式拳銃のような珍妙な骨董品の所持を許可されるのかもしれない。


 突然、目前で正門が開き始めた。


 奥からヘッドライトを点灯したトラックも出てくる。

 運転席は暗くて誰が乗っているのかもわからなかった。

 トラックは舗装路に乗り、私の来た道を逆に、地上へと走り去っていく。

 背後で閉まる門の、がらがらという耳障りな音を聞き、瞬時の選択を迫られた。

 中に入るか、ここに留まるか。


 ――くそ!


 躊躇している間に、門は再び閉ざされた。

 私はその場に立ち止まる。

 一時的な感情の赴くまま、中に飛び込みはしない。


 監視カメラや警報装置の有無も確かめず、敵地に乗り込むのは得策とは言えない。

 自分は一騎当千の強者ではなく、普通の調査官だということを十分に承知しているつもりだ。

 現場の蛮勇に恵まれないことへ落胆はしていない。

 それに、臆病者には臆病者なりの戦い方もあるのだ。


 そもそも地下に潜り込んだのは、自分本来の任務をこなすためでもあった。


 私は土塁まで戻るとトランスポータに乗り、しばらく地下都市を走り回る。

 暗視ゴーグルを付け、ライトを消していれば、ロードノイズは別として、モーター音はそれほど目立たないはずだった。


 都市第二層の西側にある、あの丘の真下あたりに到着すると、そこが生石灰貯蔵庫だった。

 常夜の地下で見る黒々としたその建造物の上端は、天蓋を抜けて、地表近くまで伸びているとの話だ。

 かつては中を生石灰でいっぱいに満たし、土壌改良事業の希望のシンボルだったとも聞くそれは、事業の中止でいまは抜け殻のような廃墟になっていた。


 私は倉庫の外壁に設置された避難階段を使い、天蓋のすぐ真下まで登る。

 そこから第一層の全景を見渡した。

 薄暗くて遠くまでは見えない。

 暗視装置の感度を上げ、再度確認する。


 わかったのは地下である第一層の敷地は、地表である第二層の面積より明らかに狭いということだった。

 直径で千五百メートルもない。

 宇宙船の残骸を利用したと思われるような構造物も、建造物も見当たらなかった。

 あとはこのさらに下、都市の土台レベルまで降りて調査を進めなくてはならない。


 ――さすがにそれはちょっときついか


 どんな移民都市にも土台レベルへの行き方、通路というのは必ずあるはずだった。

 ただ、ルゴの行政に協力を得にくい現況ではこれ以上どうしようもない。

 仕方なく階段を降り、一度地表へ戻ることにした。


 降りる途中、階段の枠組に面した第一層の外壁らしき部分が目に留まった。


 登るときには先の様子や周囲の状況を警戒するあまり、なかなかそれ以外の部分へ注意も向けられなかったが、降り先のみに注意を向ければ良いいま、外壁部分は他の部分と違うように感じられた。

 手を伸ばして触ってみると、金属特有の冷たくなめらかな感触ではなく、ざらりとして湿気を感じる。セラミクスのようだった。


 もう一度階段を駆け上り確認すると、同質の外壁は、第一層をぐるりと取り囲み、天蓋の下部から壁面全体でその重量を支えている構造になっていた。

 あまりに大きすぎてそうと気づくこともなかったが、それはちょうど宇宙船の胴体を輪切りにした形状にも見える。

 硬度テスターと測定器を使い、壁を構成する物質の組成を調べた。

 見事にセラミクス反応を示した。

 しかも硬度は、宇宙船の外壁に使われているものと同程度の数値だ。


 一応、これで私の調査はほぼ完了したことになる。


 思えば簡単な調査だった。

 いろいろなトラブルさえ無ければ、正味一日で済む仕事量だろう。

 もちろん、事前に念入りな情報収集は必要だったろうが。

 あとはルゴの土台レベルに宇宙船の熱核エンジンやエネルギージェネレーターの存在を確認できれば完璧だ。


 とりあえず小都市ルゴを消失候補都市として登録し、継続的に監視と観察を続ければいいのかもしれない。

 仮に観察中、ルゴが消失し、熱核反応を検知できたとしたら、都市消失の仮説は立証され、惑星全土へ公表も可能になる。


 統合移民局は、都市消失の原因とされる古い宇宙船パーツの存在、また、それらが熱核爆発する可能性もあるということを、わざわざその都市に知らせたりはしない。


 それはまだ時期尚早で、公にすべきことではないという判断をしている。


 もし都市消失の原因について噂が広まれば、多くの都市や市民をパニックに陥らせ、結果的に土壌改良や農地開拓の遅れに繋がる可能性もある。

 また、仮に都市消失の原因が異なる場合、移民局への信頼は失墜し、今後の移民政策に大きな影響を及ぼすことにもなりかねない。


 惑星全土に通達を出し、都市の土台を調べさせるというような、一見簡便な手段に頼らず、わざわざ調査官を派遣し秘密裏に調査するのは、そういう理由で機密を保持しておかなければならないからだった。

 私はこの方針に、どちらかと言えば懐疑的ではあるものの、調査官としては中立的な立場で考えたり動いたりしようと決めている。


 だが、もし本当にルゴが壊滅するとしたら。


 脳裏に浮かぶ悲惨な光景を振り払い、無理矢理自分の気持ちを押し殺した。



       11


 コンウェイ医院に赴く。

 地下から出たあと、念のため夕闇に乗じ、人目を避けて来たのだった。

 西街区の住宅地は明かりの灯っている以外、数日前訪れた時と変わらない雰囲気と静けさを保っていて、ひょっとして私の外出はまだ誰にも露呈していないのかも知れないと、淡い期待を抱く。


 病院の受付は空で、先日は患者で満員だったロビー兼待合室にもひとひとりいなかった。大勢ひとがいれば、それに紛れて、とも考えていたが、かえって都合はいい。

 それにしても、先日の喧噪がまるで幻想でもあったかのようだ。


 看護士は回診しているらしく、目的の病室にたどり着くまで誰にも会わなかった。

 ホープは医療用生帯基盤カタログの最新版を眺めていた。


「どの機種にしようか、迷ってるんだ」

 私の挨拶には、いつものように返事もなく、顔も上げなかった。ただ、今日のホープは以前より屈託無く見えた。

 手術への不安感も克服できたようだ。

「外見が変わるわけじゃないから、機能で選ぶしかないんだけど」

 ひとりごとのようにそう言いながら、私がちゃんとそれを聞いているかどうか、確認するようにこちらをちらちらと伺ってくる。


 コナーズに殴られた頭の包帯は取れ、こぶのある辺りはガーゼで覆われていた。

 レッキイはコールしても出られない様子で、反応はない。


「ねえ、ホープ、質問してもいいかな?」私は話を切り出した。

「ぼくの質問に答えてくれたら」

 顔を上げ、こちらを見る。私は肩をすくめた。

「交換条件はないだろう」

「お見舞いに来たんだよね? 保安官。おみやげもなくてさ」

「君ぐらいの年頃の子は、どんなおみやげなら喜ぶんだ?」

 質問を返されたのは予想外だったと見え、ホープはまともに考え込んだ。眉間にしわを寄せ、口をへの字に結ぶ。

「……持ってるのはなに?」

 私の手には暗視ゴーグルがあった。

「これ? これか?」

 その返事に脈あり、と見たのかホープは食い下がってきた。

「そう、そんなのがあるといいな」

 この年頃の子どもというのは、まったくやりにくい。おみやげの話題にこれ以上時間をかける気のないことを示すため、大声で宣言した。

「わかったよ。みやげの代わり質問に答えてやる。なんだい? 質問って」

 私の持つ暗視ゴーグルへ未練たっぷりの視線を送ったあと、ホープは上目遣いに質問を切り出した。


「レッキイのこと、好き?」


 私は絶句した。やりにくいどころの話ではなかった。

 ませガキはにやりと笑う。

「ぼくがいないと、仲良くなれる感じ?」

「質問はひとつだけにしてくれ」

 放っておくとなにを言いだすことやら。

「じゃあ、答えて」

「む……彼女のことは、まあ、気に入ってる」

「気に入ってる、か。へぇ」

 おもしろがって、私の口まねをする。

「まあ、いいや。上出来な答えかもね。で、そっちの質問ってなに?」

「あ、ああ、まあたいしたことじゃないんだがね」

 彼らの名前の由来について、訊ねた。


 どうしてニーゼイ保安官はそばかすもないのに彼女をフレックルと名付けたか、どうしてそばかすのある弟はホープなのか。


「ああ、そのこと……」ホープの声は少しばかり低くなった。

「なにか、悪いことを尋ねたかな?」

「パパはね、そばかすのある子どもが欲しかったんだって。変な趣味だよね。だからレッキイ……姉さんが生まれたときにフレックルって名を付けたんだ。でも姉さんにはそばかすができなかった。それでぼくが生まれたときに、望みをかける、という意味でホープって名付けたんだって」

「なるほど」よくわからない理由だが、それほどそばかすが好きだったのか。

「レッキイは、結構それを気にしてるんだ。自分はパパの期待に応えられない子どもなんじゃないかって」


 彼女は、名の由来とは異なる自分の外見のゆえに、父親に受け入れられていない、愛されていないのではないかという不安を持っていたようだ。加えて、自分を認めてもらう前に父親は亡くなり、大きな喪失感を味わってもいるだろう。

 保安官に志願したのも、父親の死の真相を知るためだけではなく、成長した自分を尊敬していた父親に重ねているのかもしれない。


 精神分析的に考えるなら、幼児期の同一視と同様、現在の自分を彼と同じように振る舞わせ、考えさせることで、心の平衡を図っているとも言えるのではないか。


「ずいぶん街の人から頼りにされていたようだね、きみのお父さんは。……レッキイは一途なひとだったと言っていたけどね」

「一途かあ、よくわからないや。でも、フーン。ふたりでそんな話をしてるんだ」


 ひやかすようなホープの言い方は気に留めないようにした。


「君にとってはどういう人だったんだい?」

「そうだね……パパは仕事には厳しいけど、それ以外はいつもやさしかったって印象かな。……本当言うと、パパのこと、もうあまり覚えていないんだ。五年も前のことで、ぼくはまだ七歳だった。……でもね、パパも自分の昔のことは覚えてないんだって」

「へえ……どうして?」

「事故かなにかで記憶を無くしているって……だから、どこで生まれたかとか、住んでいた場所も分からないって言ってた」


 故ニーゼイ氏の出身について聞いた時、レッキイが知らないと言ったのは冗談ではなく、本当の話だったのか。

 それにしても記憶喪失とは、ヘヴィな話だ。


 ホープは私の呻吟に気づく様子もなく、話し続ける。


「……パパが死んだときのことも、ぼんやりとしか覚えてない。とても悲しかっただけ。レッキイはいつも、まだ追いつけないなってぼやいてるけど」

 たぶん一生追いつくことはないのだろう。

 幻影や思い出を追い続けている限りは。


「そうだ、そういえば、今日、コナーズがお見舞いに来たよ」

 ホープは気分を変えるかのように、急に明るい声を出した。

「コナーズが?」ちょっと驚く。

「うん、ぼく、あいつきらいなんだ。ひどい目に遭わされたし。……でも、今日はちょっと様子が違った」


 葬儀で会ったコナーズはたしかに以前とは違う印象だった。

 牧師の説教で悔い改めでもしたのか。

 だとするとナイスの死に、少しは意味もあったということだ。


「このカタログもコナーズが持ってきた。あいつのせいでこうなっちゃったから、謝罪のつもりなんだろうけど」


 ホープはさっきまで見ていたカタログを見せてくれた。


 レッキイの家で見た高級プラスチック紙のものとは異なり、PETリサイクル紙に印刷されたそれは、一般にも入手しやすいものだ。

 一緒に見ながら、レッキイの居場所を聞く。

「気になる? ここで生帯をかけてみてもいいよ?」

 にやにやしながらホープは私の顔をのぞき込んだ。


 さきほどから少々気になっている。

 まったくこちらのコールに応答しない。


「もうやってるよ……いまはちょっと手が離せないみたいだ。ところで、冗談は抜きにして、彼女は私になにかことづてを頼んでなかったか?」


 真顔で答えた私を見て、少年も多少神妙な顔つきとなった。


「……コナーズが来たとき、レッキイもここにいたんだ。最初はいやそうだったんだけど、そのうちあいつが本当に反省してるってことがわかって、みんなでちょっと楽しい話をしてた」

 コナーズがどれほど改心したにせよ、その情景はちょっと想像しにくかった。

 ホープはそんな私の懸念も知らず、話し続ける。

「そのとき、かな。ブラッドが入ってきて」


 ――あの医者……


「新しくぼくの生帯を作るから、基盤を取り出す日をいつにするかって聞きに来たんだけど、コナーズが、最近じゃリサイクルができるから便利になったなあって言って、そしたら」

「ちょっとまって。リサイクル、って?」

「ん? 基盤でしょ、リサイクル。知らなかった?」


 初耳だ。

 しかも、それは不可能なはずだ。


 生帯基盤はリ・サイバネティクスのNiPS再生技術により、本人のDNAから培養される生体部品だから、その個人でしか使えないし、故障したらまた一から培養し直し、高度な技術のともなう手術で交換しなければならない。

 ましてや他人の物を使い回しなどできるわけもない。そもそもDNA情報の異なる基盤なのだ。


「しかし、それはできないと思うが」

「うん、レッキイもそう言ってた。でも、いまじゃ違うんだって」

「どう違うんだろう」

「さあ? レッキイはあれこれ質問してた。ブラッドはちょっと腹を立ててたみたいで、コナーズに余計なこと言うなって……たぶん自分の専門についてあいつに言われるのが嫌だったみたい」


 私はうなずいた。


「医者ってのは、素人に口出しされたくない人種なんだろうな」

「で……そのあと、レッキイはブラッドとぼそぼそ話し込んでた。ぼくはコナーズと、カタログ見ながら盛り上がってたから、何の話なのかはよく聞こえなかった」


 生帯はホープのようにケガでもしないかぎり、ほとんどの人間は一生交換したりしない。そのため、仕事でその機能を拡張する必要性のある人間たち以外、一般的にはそれほど興味は持たれない。

 どんな技術を使った、どんな機能を持つ生帯があるかを知る人間のほうが珍しいかも知れないのだ。


「最後の方はブラッドと病室の外に出て話してた。コナーズが帰るって言ったとき、一緒に病院を出るって言ってたかな。やつのことをあんなに嫌がっていたくせにね」


 いまもレッキイはまったく応答しない。

 ここではまだ言わない方がいいだろう。


「でも、このカタログは本当に面白いんだ。ホラ、見てよ……」

 今まで神妙だったホープの顔も、話すうちに自然と快活な口ぶりへ戻っていった。



       12


 ホープの病室を出てすぐ、私はレッキイと彼がなにを話していたのか知るために、自警団へ通報されるのを覚悟で、面会を申し込んだ。

 幸い、まだ自警団との確執は知られていないようだった。


 ホープの話を出し、レッキイにしたのと同じ生帯基盤のリサイクルについて訊ねると、ブラッドは、医師の立場から私にも色々と教えてくれる。

「リサイクルという語感でよく勘違いされる、典型的なケースだな」

 リサイクルは、生体基盤を再利用するということではなく、その基盤に記録されたDNAなどの生体情報を含む、固有の情報を特殊な設備と技術とで、別に用意された基礎となる生帯基盤へ完全にコピーすることだった。

 それによりもとの基盤と寸分違わぬ生体基盤を構築するのだという。


 いちいち本体である人間から体細胞を取り出し、必要な情報を選別してから改めて生体基盤をクローン培養したり、移植後、適合のチェックや調整など、なにかと手間のかかる従来の手法に較べ、費用もかからず時間も短縮できるということのようだ。


「リサイクルのために使う基盤は、言ってみれば、サイボックスのようなものだ。疑似生体のDNAを持つ汎用品でね。そこへ個人のDNAを注入し――これをコピーと呼んでいるが――その個人固有の基盤へと書き換えるわけだ」


 レッキイはこのあともブラッドになにか質問したあげく、いきなり席を立って外に飛び出たと言う。

 私が知りたいのは、レッキイは基盤リサイクルの話をしたあと、なにを彼に聞き、どうして外に出たか、と言うことだった。


「医者として患者の秘密は話せんね。そんなことは君もわかっているだろう」

 ブラッドは私の質問に対し、回答を強い口調に拒絶した。

 彼は医者としての守秘義務を貫き通そうとしているのだ。

「守秘はわかります。しかし患者本人のことでない以上、過度に守秘する必要はないと思いますが?」

「むろん、彼女は違う。だがその父親」

 しまったというような顔をした。

「話とはニーゼイ保安官のことなんですね?」

「知らない。しつこいな君も。いい加減にしないと自警団を呼ぶぞ」

 そう言われてもいまさら引き下がれない。

 なんとかこのヤブ医者の口を開かせてやる。

「先生、私も一応保安官です。それに、犯罪や事件への情報提供は本来、医師の守秘義務の限りではありません。もちろん先生の職業上の秘密は守ります。だから教えていただけませんか?」

「だが……これは犯罪や事件に関係ないことだ」

 医師はまだ渋るつもりのようだった。

「いいえ、大いにあります」仕方なく私は断言した。

「なんだって? 冗談だろう。もう七年も前の話だ、いまさらニーゼイの死ぬ前の事件など関係あるまい!」


 ――なるほど、例の傷害事件に関連した話か


 私は真顔を作り、正直に現況を語った。

「そうではなく、フレックル・ニーゼイ失踪事件です」

「からかうな。彼女はさっきまでここにいた」

「いまはいません。連絡も付きません」

 自分の右上腕部を上げると、ブラッドに見せ、振った。

「テレパシー通信がつながらない、だと?」

 ブラッドは腕を組み、考え込むように片手で顎をなでた。

「先生?」

「……わかった、お話ししよう」


 ブラッドの話は故ニーゼイ保安官の生帯基盤に関する話だ。


「君は知らないだろうが、先任のビルズは、亡くなる二年前に窃盗犯を捕まえようとして右腕を刃物で斬られた」

 知っていたが、黙って聞いた。

 軽くうなずいておく。

 医師は言いにくそうに本題をひもときはじめた。

「……で、いろいろと検討した結果、今回のホープと同じように、生帯の基盤を取り替えようという話になった。当時はまだ東街区も活発でね。地下にある土壌改良技術開発研究所には、最新式の設備もそろっていた」

「土壌改良……研究所に医療施設が?」長くて言いにくい。

「一口に土壌改良と言っても、分野はいろいろある。特にバイオ分野ではかなり優秀な研究成果をあげていた。当時としても非常に高度な研究用の医療施設もあった」


 そこまでは既に聞いて知っている範囲だ。


「普段はそこで農産物の品種改良や効率的作付け手法などの研究をしていた。その他に、サイボックスの研究も行っていたそうだ。わたしはその時初めて聞いたんだが」

 やはりリンシュタインは前職での研究をここでも続けていたのか。

 先回りして訊ねる。

「そこで、手術を?」

 医師はうなずく。

 このヤブ医者は見かけによらず優秀な医師らしい。

 保安官の手術を執刀したのは実はこの男だった。

 だが、なぜ、レッキイはそのことを知らなかったのか。

「ちょっとした事情により、私の執刀は伏せられていた。……研究施設には優秀な医者も大勢いたし、表向きはそう言った先生方の名を出した方が、患者の安心感も違うしね」

「どんな事情です?」

 ブラッドはもごもごと口ごもりながら、やがて意を決したように明瞭なことばつきで話を再開する。

「つまり……そのとき初めて市長から生体基盤のリサイクルの話を聞かされた。実用化されていたが、一般的ではなかった。高価な新材料の調達先や資金の出所も、あまり公にするわけにはいかなくてね。だが研究所の設備を使えば、充分に施術可能とされていた」


 言辞の中に含まれた気になる単語はこの際聞き逃すことにして、先を促す。


「それをニーゼイ保安官に?」

「まあ、そうだ。彼も忙しかったからな。ちょうどこの近辺を拠点にしようとした兵器密輸組織の摘発やなにかで、培養と調整を含め、完治にひと月もかかるような従来型の生帯基盤培養交換手術より、数日で済むリサイクル基盤利用のほうがよほどいいと考えたんだろう」

 何となく話の先は見えてきた。

「リサイクル基盤について、ニーゼイ保安官へは、ちゃんとした説明を?」

「……いや、そこが問題だった。実はリサイクル基盤技術はジョー……リンシュタイン氏がかつて行っていた実験の産物で……その、どちらかと言えば非合法に近いものでもあった。基盤のDNAコピーも、手術もね。誤解するなよ、実際は合法なんだ。だがそれ自体、当時の状況では生体実験と解される怖れもあって」


 当然、そういった事情は保安官やレッキイたちには隠して、手術は実施された。

 やっと本部から得た情報とも統合できる。

 リサイクル基盤と市長とに接点が生まれた。


「先生、生帯のリサイクルをする場合、一度に複数基盤へコピーするのは技術上、可能なんでしょうか?」

「きみもレッキイと似たような質問をするんだな」


 ということは彼女も気づいたわけだ。その可能性に。


「まあ、基本的にデータの移し替えだからね。あらかじめ擬似生体の基礎基盤を複数培養してあれば、そこへ個人情報を書き込む……注入するだけで済むからな。ただ、個人情報の保護という観点では、倫理的、道義的な問題もあるし、そもそもそんなことをする意味はないだろう?」

 こちらに訊き返されても困る。

「できる、できない、ということが知りたいんです」

「リサイクルは……生体医療の現場ではすでに一般化している。人体への物理的負担も軽減されるし、施術は交換時だけ、適合にも今のところ問題の生じたことはない。……これは件数がまだ少ないからとも言えるが、まあ比較的安全だということでね。が、万一人体への適合不備が起こる際に予備を取るためだとしても、同時に複数の基盤へ個人情報をコピーするのは、法的には制限の必要な事項とされている」


 つまり、それも法を度外視、あるいは明瞭な理由さえあれば可能と言うことか。


「ではもうひとつの質問です。……仮に個人のDNA注入済みのリサイクル基盤が複数あるとして、それを他人に移植して利用することは可能なんでしょうか?」


 私はさらに深く、核心に迫る質問を重ねた。

 医師は私を凝視し、ゆっくりと首を下に傾けた。


「理論的には……可能だろう……と思う。そもそも サイボックスの技術転用で生み出されたリサイクル基盤は、疑似生体としての汎用DNAを持っているから人体との適合に優れるわけだが、本人のDNA情報を注入するのは、自然にDNA情報の書き換わるのを待たず、基盤と人体の馴染む時間を短縮するためでもある。つまり……」

 医師は息を継いだ。

 なにかためらいを感じてもいるのか。


「つまり?」先を促す。


「……疑似生体のDNAが他の人間のDNAだとしても、いずれ施術元のDNAへ書き換わることに変わりはないから、他者への移植も可能とは考えられる。適合障害や、拒否反応の起こらないかぎり、ということになるが」


 結論までまくしたてるように言うと、ブラッドはにらむような顔つきとなった。


「……ところで、実際それが可能だとして、いったいそれを知ることにに何の意味がある? 何が知りたい? きみは一体なにを考えているんだ」


 ブラッドは眉間のしわをさらに深め、私の問いに対する不快感を表す。

 ここにもジョセフ・リンシュタインの影響がちらついているように思えた。


 もし、書き換わるはずの生帯基盤上のDNA情報が書き換わらない、いや書き換えないようにできるとしたら。

 ひとつの内線電話に、複数のチャネル、複数の番号を割り当てて使うように、複数のDNA情報でテレパシー通話ができるとしたら。

 ビルズ・ニーゼイ保安官の生帯に関する固有のDNA情報が、その実験のために地下の研究施設でコピーされたのだとしたら。それも七年前に。


 やつらはサイボックスの技術転用とやらにより、本人認証のカギとなるDNA情報を複数扱える基盤を作り出したのではないだろうか。

 どうやってかわからないが、その情報を使えば、他者が保安官になりすまし、サイボックス経由で都市の有力者たちにコールすることもできるのではないだろうか。


 サイボックス経由なら感情は伝わらず、通話の相手が本人かどうか判別するのは難しい。残るのは相手の生帯番号と時間の記録だけだからだ。

 もちろん、同じ番号から複数の人間へ同時にコールしているという一般常識では考えられないその記録でさえ、権力により事実をねじ曲げ、サイボックスの出力異常と断定してしまえば……


 ブラッド医師は両目尻を指で押さえ、もむように動かした。

「そう言えば、あなたはニーゼイから最後の連絡を受けていましたね」

 私のことばにその動きは止まる。

 軽く息を吸い、質問を続けた。

「記録では、他の四人は同時刻に連絡を受けたことになっています。……サイボックスの記憶野にエラーがあったためだろうとされていますが、あなただけは二分遅れで連絡を受けている」

「ああ、その記録だけが正しいもののようだ」


 医師は私に目を合わせない。


「複数のコピーされた基板を使えば、同時に複数人へコールできるということはできるのでしょうか?」

 率直かつ本質的な問い。

 ブラッドは顔を上げ、ぎょろりと目だけ動かし、私を見る。

 眼球は赤く充血していた。

「……どれほどタイミング良く行っても、基板が違えば、まったく同じ時間というわけにはいかないだろうね。テレパシー通話は機械的なものでも電波的なものでもないから伝わる速度や時間には体感的なずれもあるし」

「複数人へ同時にコールできる基盤の開発はされていない?」

「ああなるほど……フレックルもそう考えたのかな。軍用にそんな機能のものもあるが、原理は全く違う」


 ニーゼイのカタログで見た軍用基板のことだ。


「それです。軍用の基盤では複数の相手と通話ができるようですが?」

「……あれは指揮者の命令とそれに対する返事のみ、生体基盤側と、簡易サイボックすに予め登録してある相手と強制的に1秒とか、それ以下の短い時間で自動的に切り替える、ただそれだけのものだ。つまり素早く多数の相手と切り替えながら、通常通話をしているに過ぎない。軍用の拡張生体基盤は複数の通話要請を受けて切り替えるハブ機能を持っているだけだ」


 ――なるほど


「それとは異なり、複数の人間と同時に通話をするためにリサイクル基盤を複数用意したとしても、生帯電話は生体鍵をひとつしか送信できない。肝心のテレパシー送信部はわれわれの頭脳にあるからだ。頭がふたつある人間でもいれば別だが、残念ながら、私も君も、死んだニーゼイも、頭はひとつしかない。……思考だけで何人もの相手とまともに会話を成立させるなんて、ふつうの人間に可能とは思えないからな」


 説明中、ブラッドはなぜかほっとしたような顔となり、首を振る。

 私は質問の方向を変えた。


「……ニーゼイ保安官は最後にあなたへ何を伝えたんです?」

「事故調査委員会のビデオは見なかったのか?」

「見ました。が、映像は編集されているようでしたので」

「編集済みのものか。……委員たちを脅した話は? もう知っている?」

 うなずいた私に、ブラッドは編集で消された話の内容を短く語る。

 それはすでにレッキイから聞いたとおりの内容で、特に目新しい情報ではない。


 現状で引き出せる話はあらかた聞き出せたと感じ、私は立ち上がる。

 ブラッドに礼を言った。

 院長室を出ようとする間際、彼は思いがけぬことばを発した。


「それにしてもビルズは、自分の追っていた密輸組織のボスが自警団の団長になるだなんて夢にも思わなかっただろう……ある意味、あのとき死んでいて良かったかも知れない」


 絶句した。この医師はいとも軽く、重大な情報をぽろりと漏らしたのだった。


 故ニーゼイ保安官のことは失言だったとしても、いまのは、あえて私に聞かそうとしか思えない。

 その真偽と彼の真意を測りかねた。


「レッキイはそのことを?」

「知らないはずだ。クラッフワースと市長との関係も。わたしはいつもやつらのケガを診療していて知ってしまったが……おそらく誰も話しちゃいまい、彼女がかわいそうでな」

「なぜ、私に話すんです。知られちゃまずいことのはずでは?」

 医師は急に困惑の表情を浮かべた。

「そうだな、なぜだろうな」

 診療室の天井を見上げ、大きくため息をつく。


「君に期待したのかも……違うな。良心っていうのは、長年いじめていると、時々こうやって仕返しをしてくるらしい」

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