第四章 プロナウンスメント(宣告)


       1


 生帯基盤リサイクルの話はなかなかに興味深かった。

 レッキイは父親殺しの正体を探る大きな手がかりをつかんだと思ったことだろう。はやる気持ちに突き動かされ、すぐ捜査に取りかかったに違いない。


 いまは、その心の暴走が彼女を思わぬ窮地に陥れていないことを願うのみだった。

 彼女の行き先として当面思いつくのは、ルゴ地下のあの研究施設だ。

 ブラッドの話を聞きながら、私が真っ先に調査対象として考えたのはそこだったし、むろん故ニーゼイ保安官が、かつて手術を受けた場所でもあるからだった。


 再び東街区へ戻り、隠してあるライナーホースのもとへ向かう。

 プラント発着所脇のガレージ扉は、人がひとり入れる程度に開いていた。

 出がけにしっかり閉じ、再度確認したはずだった。


 ――もしかすると、レッキイが?


 研究施設に行くためには、あの地下出入り口を通らなくてはならないとすると、探索中ここを探し当てる可能性もあった。


 ただ、用心のため、腰からビーム銃を抜き出す。


 この都市の風俗に倣い、私もガンベルトをつけることにしていた。

 そのほうが銃を抜きやすいと気づいたからだ。

 ナイスの葬儀後、街の古物屋で身体に適合したサイズのものを入手していた。


 私は新品を買うつもりだったのに、レッキイは使い込まれてちょうどよい具合に『慣らし』終えた本革の品を私に勧めた。中古品のくせ、高級フェイクレザー製の新品四つ分ほどの値札がついていた。


『スルト、身体を護る『装備』をケチってはダメよ』


 彼女の言い分はもっともとは思うものの、汚れ、こすれ、くたびれたように見えるガンベルトにその金額を出すことには躊躇した。

 だが、実際に装備してみると、身体の動きへしなやかに追従し、腰回りをしっかりと支えてくれる。

 彼女の見立ては正しかったと言わざるをえない。

 使い込まれ、色あせてくたびれている様子も、なんだか派手さの似合わない自分にはちょうど良い気もしてきて、いまはすっかり気に入っていた。


 夜のガレージ内部は肉眼では見通せないほど暗くなっていたので、私はカウボーイハット型の官給品ヘルメットから、ホープの病室でバッテリーチャージを終えた暗視ゴーグルを引き下ろし、内部を観察する。


 中でちらりと白い影が動いた。


 警戒心の高まりによって、頭の芯は軽く痺れたようになる。

 心臓もぎゅっと握られたように引き締まり、動悸は血管を伝わって、耳にまでその音が聞こえてくるようだった。


 暗視ゴーグルで捕捉した人影は、私のライナーホースのまわりを歩き回り、なにかを検分しているようだ。


 ブーツ側面のマテリアル位相ダイアルを回し『ノンスリップ』から『ステルス』に変更した。靴底は電圧をかけると表面が起毛状に変化する特殊合成ゴム素材で出来ている。

 足音のデシベル値は激減し、無音に近くなった。


 私はそろりそろりと忍び足でガレージに入り、そのまま相手に近づいていく。

 人影は動きを止め、今度は手を伸ばしライナーホースのボディを探りはじめた。

「動くな」

 相手の真後ろ、少し離れた位置から定番のセリフを口走る。

「両手を頭の上にゆっくり組め。ゆっくりだぞ」

 もちろん、このセリフも定番だ。

「保安官……マッケイ。わたしだ」

 人影はくぐもった声を出す。


 ガスク・ロミリオンだった。


 彼はゆっくりと手を動かし、ガスマスクのように大仰な暗視ゴーグル付きヘッドギアを頭部から外した。

「調査官、なぜこんなところに?」

「話の前に、その銃をおろせ」

 私は銃を構えたまま言った。

「そうはいかない、ロミリオン。あなたの正体と目的を聞くまでは」

「どういうつもりだ。マッケイ……調査官?」

 暗視ゴーグル越しに見るロミリオンは全身緑に染まり、顔を歪めていた。

 私はいくぶんためらいがちに質問する。

「ロミリオン。あなた……本物の調査官、ですか?」

「最初の晩に確認はとったな?」

「ええ、調査官同士の符牒でね。でも、符牒などあらかじめ知っていれば、それで済む。本当の身元確認にはなりませんよ」

「信用してもらうしかない」

「本部で色々調べてもらった結果、お尋ねしているんですがね」

 ロミリオンは深く嘆息した。

「……そうまでされちゃ仕方がない。いいか、私は統合移民局軍事制御部門先端技術課先任将校、ガスク・ロミリオン少佐だ」

「軍制部? ……じゃエージェント、ですか?」

「君たちからなんと言われてるかは知らん。言えるのはここまでだ」


 軍事制御部門=軍制部は、主にこの惑星全土に広がる都市間の軍事的活動に関わる統合移民局の一部門だ。

 まだ開拓が続き、国、と言う概念の希薄なアルファメガではあるものの、都市間での抗争や対立は少しずつ増加していた。

 軍制部はそういう紛争を予防、鎮静するために情報収集や情報操作、時には治安出動も行うという諜報、軍事に関わる特殊な組織だった。


 一般部門の調査官と区別するために彼らはエージェントと俗称されている。


「目的は……クラッフワース関連の調査ですか?」

 さきほど入手した情報から類推し、カマをかけてみた。

「本部からそんな情報でも入手したか?」

「クラッフワースも軍制部出身だという情報を得たからです」

 正確にはそう聞いたわけではない。

 統合移民局にいた人間で武器を横流し出来る立場にいるとすれば、軍制部の人間以外思いつかず、勝手に判断しただけだった。

 しかしロミリオンにはそれで十分だったようだ。

「ふん。そちらの情報……網もたいしたものだ。いや、こちらのセキュリティが甘いのか」

 まだ銃を構えている私の目の前で、彼はその場にべったり腰を降ろした。

「まあ、いいだろう。一般部門にそれだけ知られているなら、こちらも機密、機密と後生大事に建前だけ言っていてもしょうがない」


 身振りで座ることを勧められ、私はそれに従った。

 銃口はまだ向けたままにしている。


「疑い深いな……が、調査官としちゃ、そのくらい慎重の方がいい」

「臆病なだけですよ」

「ある意味、こちらもそろそろひとりじゃ動きにくいと思っていたところだ。手を組むという選択もあるな」

「ええ、でもそうすべき理由をまだなにも聞いてません」

「そうだった。けれどクラッフワースのことを知っていれば話は早い。やつと市長は協力して、ここを兵器密輸の拠点にしようとしている」

 それは、ブラッドから聞いたばかりの話とどこかつながっているようにも思えた。

「ルゴは規模としても環境としても、密輸の拠点には申し分ない場所だ。なにせ、我々でさえ『小都市ルゴ』なんていうくらいだ。地図から消えても、誰も気にも留めないし、目立たない」

 唐突に酒場でクラッフワースから聞いたことばを思い出す。


 ――『このルゴは良い街だよ保安官。都市の大きさも、人の数もね』


「それで?」

「おまけに、この特徴ある二層構造。地下社会とはよく言ったものでね。奴らはルゴの地下層を根城として兵器の密輸と売買を実施してきた」

「昼間、研究所の稼働を確認しました。不審なトラックの出入りも」

 ロミリオンは既に知っていたとでも言うようにうなずき、さらに補足した。

「ここの研究所はリンシュタインの手によって、相当高度な研究施設となっている。かなり以前から、時間をかけて最新の実験設備を揃え、最先端の研究に携われるように仕組まれたのだ」

「かなり、以前から?」

「もう予想は付くだろうが、移動プラントの事故、土壌改良事業の中止、東街区の衰退、これらはすべてやつらの計画だ。ルゴを兵器の密輸、売買取引のみならず、その開発製造、生産する工廠都市として再構築しようとしている」


 綿密に練られた計画、周到に仕組まれた罠、遠慮のない実行、しかし、その中にひとつだけ引っかかることがあった。

「ひとつわからないことがあります。死んだ……殺されたニーゼイ保安官の件です」

「リサイクル基盤の件か」

 ロミリオンはお見通しだった。

「そう、それも商売ネタのひとつだろうな。やつらはリサイクル基盤を使い、他人になりすましてテレパシー通話を可能にするという『偽想サイボックス』を研究、開発、実用化を目論んでいる」


 リンシュタインの犯罪はついにその全容が暴かれたのだ。



       2


 アルファメガでもっとも信頼性の高い通信方法は、有機移動体通信による直接通話といって過言ではない。


 DNA生体鍵による双方向のテレパシー通話。

 自分と相手がともに本人同士で、しかも顔見知りでなければ繋がらないシステム。


 例えサイボックスによる代理通話であっても、他人が誰かを偽り、自分とつなぐことはできないという、絶対安全で安心できるコミュニケーション手段。


 その大前提が不確実になれば、テレパシー通話への信頼は一気に崩れ去る。


 通話しているのは、頭の中に浮かぶイメージとは違う別人かも知れない、という疑念や恐怖感の大きさは、余人には計り知れない。

 さらにそれを悪用されれば、この地上にはいさかいや争いが絶えなく――

「あちこちで戦争でも起こす気ですか、やつらは!」

「そこまで考えていたとしても、おかしくはない。兵器取引の数も量も増えるだろうし……ともかく、ニーゼイは邪魔者の抹殺も兼ねて、その実験台にされたんだろう」


 ニーゼイのケガは、彼らにとってはちょうどいいタイミングで起こった。いや、それすら仕組まれたことだったかも知れなかった。


「補助金の横領や不正申請は?」

「一昨日見つけた資料で分かるとおり、資金調達のためにやったことだろう。ただ、ルゴのかなりの数の人間がこの計画に関わっている疑いもある。身内の関与がなければ、これほど大がかりな仕組みをたった十年で作り上げることはできない」


 なんということだ。


 私の仮説通り、やはり都市ぐるみで都市犯罪を容認していたのか。

 ニーゼイ保安官はそれを知って止めさせようとしていた?

 レッキイ……彼女はそれをどこまで知ったのか。いまどこにいるのか?


「あなたは、一連の事件を捜査しに?」

「厳密に言うと、これからは本当の機密だから話せない。が、いま話したことの解決は、わたしの重要な仕事のひとつだ」

 私はようやく銃口を下げた。

 知りたい情報はもう充分得た。

 ロミリオンが他になにをするつもりなのかなどは、もう、どうでもよかった。


「レッキイを、フレックル・ニーゼイを探しています。ご存じないですか?」

 ロミリオンは私の降ろした銃の先端を眺めたまま言った。

「ずいぶん前に、ここから地下に降りていくのを見た。大変言いにくいが、連絡が取れないのなら……もう」


 思えば、チョ・ナイスは東街区で見てはならないものを見てしまったのかも知れない。もともとルゴ生まれの若者で、外部からやってきたクラッフワースの仕切る密輸グループからすると、おかしな言い方だが、外様だ。接点も薄いだろう。

 仮に自警団の裏家業に関する真相を知らされていなかったとすれば、口封じのため仲間に殺された可能性さえある。

 彼らの初動捜査の動きや冤罪をでっち上げる速さからすると、その疑いは濃厚とも言えた。だからレッキイもナイスと同じ運命を辿ると言われれば、それを否定することはできない。


 むろん、あきらめるつもりもないが。


「ロミリオン少佐、手を貸していただけませんか?」

 地下施設への潜入を依頼すると、ロミリオンは少し考えるそぶりをした後、レッキイ救出を即断した。


 敵の最重要施設だから、警備も、人員も半端ではないと予想される。それなのに協力を確約するというのは、よほど腕に自信でもあるのか、それとも他に何かやろうとしているのか。


 どちらにせよ、いまはとても助かる。

 私の本来の任務や調査目的について、質問されることはなかった。

 彼の業務範囲からすれば、それは既知の事実なのかも知れなかった。



 私たちは旧土壌改良技術開発研究所へ、建物の陰伝いに正面から入りこんだ。

 さきほど予感したとおり、正門をくぐるとすぐに手の込んだ警報装置と監視カメラによる警備システムを発見する。

 事前にロミリオンは外部から都市回線を使い、警備装置を集中管理するコンピュータへ単純な指令を与えていた。


「コンピュータハッキングで複雑な指示を出すには時間と手間もかかる。警報は音と光が基本だから、スピーカー音を絞り、ライトの点滅を切ればいい。そんなプログラムなら、高度なプロテクトもかからず、侵入、コントロールしやすいからな。警報機自体は侵入者を検知して警報を鳴らしていても、音や点滅がなければ気づかれにくいわけだ」

 そうだとしても、私には真似のできなさそうな芸当だ。

 コンピュータを操る手際の良さから、彼が電子機器についてこれまで詳しくないふりをしていたのだとわかる。


 まるでこの施設で働く人間であるかのように、私たちの侵入はスムーズに進んだ。

 本来であれば、警報音と警報機の明滅で逃げまわっているところなのだろう。

 ところどころでロミリオンは立ち止まり、手に持ったコンピュータを確認しながら的確にルートを変えていく。

 数回角を曲がったところで、エレベーター前にたどり着いた。

「ここから上は別制御だな」

 コンピュータの画面を見て、そう言う。

「どういうことですか?」

「警報が鳴るってことだよ」

 彼はめんどうくさそうに答えた。



       3


 エレベーターチューブで自警団の本部へ上がる。

 箱内の監視カメラに映されないよう、できるだけ顔を伏せ、私とロミリオン少佐は無言で扉の開くのを待った。

 自警団の建物に設置されているセキュリティシステムは研究施設とは別回線、しかも旧式らしいので、スピーカーや警報ランプは物理的な操作でしかできないようになっているらしい。

「このエレベーター自体、旧式のタイプだからかえってよかったかもな。最新のは生帯の個人認証も必要らしいぞ」 

 ロミリオンは聞き取りにくい小声で言う。

 それを知ったからといって、あまりいい気分になったりはしない。

 それにしてもエレベーターに乗るたび個人認証されるなら、それを面倒だと考え階段を使う人間も増えるだろう。

 運動不足がちと思われる自警団員には、そのほうがかえって健康的じゃないのか。


 巷で聞き馴染みのあるベル音とともにエレベーターの扉が開いた。


 その向こうに人影をひとつ認め、ロミリオンは素早く動く。

 相手の口を塞ぎ、後ろに回って頭部に手をかけ、首をひねろうとした。

「ま、まった!」

 私の制止に、仕上げの動きは寸前で止まった。

 ひげのコナーズは首を完全に極められたまま、驚愕と恐怖とに目を見開いていた。


 ナイスの件以来、自警団に不満を持ったというコナーズは、私たちに喜んで協力すると誓う。


 ロミリオンはやつのことばを信じなかったが、その手引きにより、レッキイの居所が簡単に判明する。彼女は先日訪れた留置ボックスのさらに奥、重犯罪人用留置ボックスに拘留されていたのだった。


 壁際に立たされたまま腰と胸部をベルトに固定され、両手と首の部分に穴の開いた、プラスタルという合成樹脂と金属の複合重合体で作られた、丈夫な透明材質のかせをはめられている。

 両足首も同様にプラスタルのかせで固定されていた。

 頭部には催眠リングと呼ばれる、ノンレム睡眠を保持させるための低周波発生装置を巻かれ、レッキイはまるで死んでいるかのように眠っている。

 リングの重みでわずかに頭を前に傾け、開いた口から垂れたよだれが糸を引き、床に溜まりを作っていた。


「早く降ろそう」


 コナーズに呼びかけ、ふたりがかりで彼女を拘束具から解放する。

 その最中、隣のボックスに目を向けると、先日買収した、あのごろつきのような自警団員も彼女と同じ状態で拘束されていた。

 顔中いたるところに腫れや青黒い打撲痕も見て取れる。


「むごいな」思わずつぶやいた。


 彼女をそっと床に横たえ、催眠リングを取り外し覚醒を待った。

 私は来るべき惨状に備え、彼女の上半身を起し、その背後にあぐらをかいて座った。身体を固定するために、羽交い締めの要領でしっかり後ろから抱きしめる。

 彼女の後頭部で頭突きをくらわないように自分の頭部を傾け、彼女の右肩口へ顔をつけた。ボディローションのかすかな香りを嗅ぐ。


 睡眠リングからの覚醒は、過度な頭痛、身体への非常な痛みを伴う。

 それは入眠剤と、低周波受信物質を混合した特殊な薬剤のせいだった。

 弛緩した身体を巡るそれは、覚醒時の急激な血流で生分解する際、神経を刺激する物質に変化する。


 経験者によれば、身体中の全血管に一度に針を刺されるような痛みだという。


 レッキイのまぶたはぴくりと動き、覚醒時の眼球運動が始まった。身体は脈打つよう上下に動き、大きくのけぞろうとして私の腕に阻まれた。眉間に深く大きな溝を刻み、目を閉じたまま、彼女の美しい顔は激痛に醜くゆがむ。

 次の瞬間、口を大きく開き、耳を塞ぎたくなるほど悲痛で大きな声を出した。

 とても人間の声帯から発せられているものとは思われなかった。

 

「レッキイ!」


 全身の筋肉に入った過度な力により、石のように硬直する彼女の身体を、名前を呼び続けながら、必死に押さえつける。

 そうしなければ、あまりの痛みに転げ回り、大けがをする可能性もあるからだ。


 コナーズは、最初レッキイの足を両手で持っていたが、じたばたするそれをとうとう押さえきれなくなり、いまは体重をかけ、必死に抱え込んでいた。


 やがて、彼女の叫び声は小さく、細くなっていく。


「ぐ、ぎっ!」

 最後に短く一声叫び、背中をぴんと伸ばして硬直すると、レッキイの身体は一気に脱力した。

 荒い息づかいのまま、しどけなく床に横たわる。

 

 意識はまだ戻らない。


 私とコナーズは全身に汗をびっしょりとかいていた。

「終わったようだな」

 見ると、ビーム銃を構え、入り口をずっと見張っていたロミリオンの額にも、大粒の汗が浮かんでいた。

 あの悲痛な叫び声にずっと耐えていたのだろう。

 どこの留置場でも、そうする理由は別として、完全防音なのは助かる。

 これほどの悲鳴でも、外部に音がもれないのだから。


 レッキイにつかまれていた私の上着の左袖には、彼女の爪の食い込んだ痕が深く残っていた。

 ポリスブルーの防水性生地表面に、点状となった血の黒々としたにじみを見る。

 袖の内部にもぬるぬるとした感触があった。

 痛みの程度から、上腕部の表皮を破り、かなりの傷になっていると想像できた。


 私はぐったりしたレッキイを背負うと、彼女の上着を細く巻いてふたりの胴体を結ぶベルト代わりにした。

 それを背中から前に回し、腹部で結ぶ。

 彼女のシャツはぐっしょりと汗に濡れ、ところどころ素肌を透過させながら持ち主の身体にまとわりついていた。

「いくぞ!」

 ロミリオンは準備のできた私を見て、短く指示を出す。

 留置ボックスを出て、まっすぐ例の地下エレベータを目指した。


 来る時同様、誰にも会わない。

 ここまでひと気を感じないのもおかしい。

 不穏な予想に苛まれながらも、背負うレッキイが息をしているかどうか、何回も確認する。


 予感は的中した。


 エレベーターホール前にたどり着くと、エレベーターの到着を待つ間に、廊下を走る大勢の足音が響いてきた。

「やはり!」ロミリオンは悔しそうに声を出した。

 エレベーターホール左右両側の通路から、ビーム銃を構えた自警団員たちが押し寄せ、私たちを取り囲む。


 その後ろから部下たちをかき分け、彼らの指揮官が姿を現わした。



       4


「コナーズ、ご苦労だったな」

 クラッフワースは開口一番そう言った。

 驚いて背後を振り返ると、コナーズは顔を伏せ、目を床に向けていた。

 蒼白な顔をしている。

「だましたのか!」

 私の叱責に、クラッフワースがコナーズの代わりに答えた。

「おいおい、マッケイ。コナーズは自警団員だぜ。いったい何を期待してたんだ?」

 それを聞いて数人の自警団員は、失笑の小声を出した。


「マッケイ、よせ。クズはいつまでたってもクズのままだ」

 ビーム銃を構えたままクラッフワースの胸元にねらいをつけ、軍制部の少佐は唸る。クラッフワースはそれに動じることもなく、命じた。

「銃をすてな」

「断るとどうなる?」

 ロミリオンは最後まであがくつもりらしかった。

「そこのふたりとあわせて全員死ぬことになるな」

 私とレッキイも含まれているようだ。

 あきらめたのか、ロミリオンはくるりとビーム銃を回し銃把を持つと、それを床に置いた。

「もうひとつのもだ!」

 クラッフワースは油断なくその動きを見つめ、鋭い声を出した。

「なんのことだ?」ロミリオンはとぼけた声を出す。

「ふざけるな、例の火薬式とかいうやつだよ」

「ああ、それはダメだな」

「なんだと?」

 自警団長は目を細め、猛獣のように長い犬歯をむき出す。

「形見なんだ、じいさんの。いま手放すと、次はいつ入荷するかわからない」

「……なめやがって、後悔するなよ」

 クラッフワースは部下に指示を出す。

「あのふたりを撃て」

 何人かがビーム銃をこちらに向ける。


「決闘と行こうじゃないか」間髪入れずロミリオンは言った。


 私たちを撃とうとした部下を手で制し、クラッフワースは低い声で言う。

「決闘だと?」

「早撃ちが自慢だろう? 市長のところで見せてくれたくらいだ」

 ロミリオンはゆっくりとした動きに背広を脱いだ。

 脇に吊ったホルスターには例の火薬式拳銃が収まっている。

「……見せ物じゃねえ」

 不満そうな声音でクラッフワースは応えた。

「実はわたしも得意なんだ。早撃ち」

 ロミリオンは自信ありげな様子だった。

「ショルダー撃ちと腰撃ちとじゃ勝負にならねえぞ? ド素人が」

「勝ってから自慢しろよ? カウボーイ」


 挑発は成功したようだった。


 クラッフワースは自警団員の囲みから数歩踏み出し、ロミリオンに向き直った。

 両手を下げ、右手だけわずか外側に位置させる。手首を曲げ、手のひらを腰の拳銃の銃把に近づけていた。

 折れ曲がった指はいまにもそれを握ろうと、ぴくぴく動いた。


 ロミリオン少佐は、脱いだ上着を几帳面にたたみ床に置く。


 額にかかった黒髪をかき上げると、右手を左胸の前に位置させ、身構えた。手首から力を抜いている。

 だらんと下げた指先に触れるか触れないかの距離に、脇に吊った火薬式拳銃の銃把があった。

 ふたりの間には、何かとてつもなく危険な空気が膨張し、まだまだふくれあがっていくようだった。

 それは私の身体に熱でも出てきたような、奇異な感覚をもたらした。

 思わず後ずさりする。

 無意識に巻き添えを恐れたのかも知れない。

 私たちを包囲している自警団員たちも少しずつ後方へ下がりはじめていた。


「抜けよ」


 やにわに発せられたクラッフワースのことばに、場の膨張した空気は、一気にその中心めがけ収束する。

 ロミリオンの手は素早く脇の銃にかかった。

 しかしクラッフワースはもう腰から銃を抜き出していた。早い!

 そのままロミリオンの腹部へ銃口が向けられ、


 ――カチ


 クラッフワースのビーム銃は乾いた音を立てた。

 静まりかえったエレベーターホールに、その音はいやに大きく響く。


 次にクラッフワースのとった行動はやはり素早かった。

 ロミリオンの射線を外すように、斜め後ろへ転がり、そのあたりに立っていた部下のビーム銃を奪い取り、構えた。

 ふたたびカチカチと空ろな音がする。


「ほらな、勝ってから言え」


 脇から抜いた拳銃を悠然と相手に向けたまま、ロミリオンは引き金を引いた。

 甲高い、パン、という音とともに火薬式拳銃の先端から煙と火花が噴出する。

 クラッフワースは左側頭部を押さえ、床に膝をついた。

 背後の壁に黒々とした銃痕が穿たれていた。


「きさま……何をした!」

 苦痛に耐える敗者の怒鳴り声に顔色ひとつ変えることなく、勝者は相手を狙ったまま、床に置いた上着を器用に床から拾い上げる。

 その場にいる者たちは、魅入られたようにその動きを眺めていた。

 火薬式拳銃を持つ手を微動だにさせず、器用に身体をひねり片袖を通すと、ロミリオンはその腕でポケットから赤い四角い物体を取り出した。


 一瞬だけ強力な電磁パルスを周囲にまき散らし、電子機器を無効化する、『デリンジャー』と呼ばれる軍用の装置だった。


 その威力からすると半径数メートル以内にある小型の電子機器は熱線銃、ビーム銃も含め故障を起こしているはずだ。

 決闘前、身体に熱を感じたのは、この機器の発する強烈な電磁パルスのせいだったらしい。

 むろんロミリオンの持つ古来の火薬発火式拳銃に影響は全くない。

 構造上、電子部品はまったく使われていないからだ。


 彼がその時代錯誤的な武器を持ち歩いているのは、いざというとき、デリンジャーを使うための備えだとわかった。

「タイマー付きでね。こういうときには便利な品さ」

「きたねえぞ、これは決闘じゃないのか?」

 側頭部を押さえるクラッフワースの指の間から、血がしたたり落ちてきた。

 実弾はやつの左耳を衝撃波によって裂いたらしい。

 どうやらロミリオンは今回もあえて狙いを外したようだった。

「もちろん決闘だったよ、わたしひとり対自警団全員のね。さあ、駐車場まで案内してもらおう」

 クラッフワースの前額部に狙いをつけたまま、彼は命じた。


 私たちはテレパシー通信ができないように、コナーズを含む、十五人ほどいた自警団員たちの両腕を軍用の拘束テープで壁の手すりに縛りつけた。

 最後のひとりを縛ると、ひとりひとりその締まり具合を再確認し、クラッフワースを先頭にして自警団本部の駐車場へ向かう。

「逃げられると思ってるのか」

 拘束用特殊ロープで両腕と胴体を縛られた自警団長は、後頭部を拳銃で狙われているため振り返ることもできず、歩きながらただ前方に向かって吠えるしかない。


 ロミリオンはあたりの様子を慎重にうかがいながら、早すぎず、遅すぎず、歩を進めていく。

 私はレッキイを背負いながら、彼と背中合わせになるように後ろ歩きで歩き、彼女の保護と背後からの襲撃に備えた。


 駐車場に着くと、何台かの四輪バギーに混じり、先日見た緑色のライナーホースも置かれていた。

 メカニカルレッグを降ろしたままの状態になっている。

「あれにしよう」

 ロミリオンがそう言うと、クラッフワースは怒鳴り声を上げた。

「許さんぞ! 道路を穴だらけにするつもりか!」

 駐車場の柱にきつく縛り付けられても、まだがなり立てているクラッフワースを尻目に、私たちはライナーホースに乗り込み、ルゴの街内に向かった。



       5


 私たちの乗る緑色の幽霊馬は、深夜のルゴ市街地を、地響きをあげて走る。

「これで奴らを完全に本気にさせたな」

 ロミリオンはどこかおかしげに言った。

「笑い事じゃない。これからどうするんです?」

 私はナイスの血に汚れ、未だ血塗られた後部座席でレッキイを抱え、運転席に向かって不満をぶつけた。


 彼は私たちをふり返る。真顔だった。


「とりあえず、君らをかくまう。ホープを連れて逃げるんだ」

 西街区の住宅地を避け、北側の未舗装路から回ってコンウェイ医院に着くと、ロミリオンは追っ手をかく乱すると言って、ライナーホースを再び街のほうに向けた。


 去りぎわに気になることを告げられた。


「マッケイ、気をつけろ。ここは標的になっている」

「標的?」

「そうだ。『さばきの王』に気をつけろ」


 聞き直す間もなく、ライナーホースは発進した。

 メカニカルレッグの足先は本当に舗装路を穴だらけにしたので、私は都市を庇護する保安官として、ほんの少しだけ心を痛める。


 レッキイを背負ったまま医院に入った。

 受付嬢の連絡を受け、奥から駆け寄ってきたブラッドと看護士に彼女の容態を診てもらう。

 私はそのあいだにホープを連れ出そうと、彼の病室に向かった。


 招かれざる先客がいた。


「必ず、ここに来ると思っていましたよ」

 市長は丁寧な口調を崩さない。

 しかし、病室の椅子に足を組んで座り、その膝の上の熱線銃は私を狙っていた。

 ホープはベッドの上で身じろぎもせず、入り口に立ちつくす私を心配そうな顔で迎える。彼の顔を見てかすかに微笑み、市長に向き直るとそのまま室内に大股で入っていった。


「奥へどうぞ。ゆっくりとね」


 リンシュタインは熱線銃を左右に振り、そう促した。

 その指示に従い、部屋の隅へ移動する。


「まったく、世話を焼かせてくれますな、あなたがたは」

「黒幕が自ら来られるとは、よほど人手不足なんでしょうね」

 ロミリオンの真似をして、軽口めいたことばを発してみる。

 気分はたしかにいい。ヒーローにでもなったようだ。映画のように確実な勝利さえ決定していれば申し分ないセリフだろう。

「黒幕。そう見えてもしょうがないでしょうな。人手もたしかに足りないし」

 そうまともに受け答えされ、私のことばを軽口と受け取っていないらしいのは残念だが。


「ガンベルトを外して、こちらに渡しなさい。ゆっくりとね」


 父親みたいな口調に命令され、私は購入したばかりでろくに使ってもいない高価なベルトを腰からゆっくり外す。

 床を滑らせるようにして、リンシュタインに向かい投げた。

 組んだ足を外し、やつはそれを靴の先で止める。


「市長、ルゴをどうするおつもりですか。為政者として、兵器密輸と売買とにそれほど魅力をお感じなのですか?」

 私の皮肉に、市長は嘆息した。

「わずか数日でもうそこまで嗅ぎつけるとは。巡回保安官などではない。おそらく軍制部の人間でしょうね。あなたは情報収集と諜報担当、もうひとりの……ロミリオン? 彼は荒事専門の担当者というところですかね」


 またここでも買いかぶられてしまう。


 私の目的はまったく違う。

 それに、先の皮肉はそのほとんどがロミリオンからの受け売り情報だ。

「兵器密輸に関心があるというのは、全くの誤解です。あれはメルの趣味で、もともと彼の小遣い稼ぎだった」

 移民局にいたころ、クラッフワースの内職だった兵器ブローカーのことを言っているらしい。情報通り、彼らは昔から互いに縁を保っていたということだ。

「そうは言っても、彼と協力し地下の研究所を密輸倉庫としているじゃないですか」

 これは私の推測だ。

「とんでもない! ……なるほど、ということは、まだ地下の調べまで済んでいるわけではないと言うことか」

 市長は勝ち誇ったような顔になった。

 ホープは一連のやりとりに目を丸くしている。

「私はね、研究を進めたかったのですよ、自分の研究を。だから、メルとも手を組んだし、必要なら、土壌改良だって取りやめる」

「あなたの研究?」

「もともとサイボックスを軍事利用できないか、と、メルに持ちかけられた話でね」

 市長は口元をゆがめて、笑みを浮かべた。

「でも、わたしの取り組みはそんなことのためじゃない。……マッケイ君。サイボックスの機能を我々の持つ生帯に付加できれば、どれほど役立つかということを考えたことはあるかね?」

 得意げに自らの研究について解説しはじめる。


 この男は、もうルゴの市長ではなかった。


 話の内容も、その話しぶりさえ、何かにとりつかれた禍々しい科学者もどき。

 口調も例の丁寧さを欠き、専横で独善的な態度に変わっていく。


「遠距離通信の極めて困難なこの星にもっとも適しているのはテレパシー通信であることは君も知っての通り。だが、公共のコミュニケーション手段としては使えない。記録もその確認もできないのでは話にならない。そこで、サイボックスを直接人体に載せることが可能になれば、いままで単なる私信に過ぎなかった人間同士のテレパシー通話を公の通信手段とすることも可能になるのではないか。……サイボックスの機能により個々人の通話記録を完璧に保存し、利用できるようになると考えられる。もし、基本的に共存不可能と思われたサイボックスの疑似生体を我々の肉体に取り入れることが出来たら……軍制部時代、わたしは個人の死により、廃棄される使用済みの生体基盤を利用して、新たな技術開発をはじめたのだよ」


 ジョセフ・リンシュタインは統合移民局に在籍中、サイボックス技術転用による新たな生帯基盤研究の途上、すでに生帯のリサイクル理論を完成させていたらしい。

 非合法に廃棄された生体基盤を入手していた彼は、そのルートを通じ、クラッフワースとつながりを持ったという。


「しかし……当時はそれだけで精一杯だった。それ以上の発展は見込めなかった。軍属という縛りのある身で、自分の思い描く研究を続けるには、あまりにも制限が多すてね」


 それはそうだろう。

 軍制部とはいえ公務員だから、そうやすやすと自分勝手な実験などできまい。


「ちょうど研究に行きづまっていたわたしに、メルは小さな都市を見繕ってくれた。手頃な辺境の都市だ。チャンスと考えたよ。統合移民局からは新基盤の実用化試案に対し、思うほどの理解も評価も得られず、権限も予算も変わらずだった。設備どころか備品ひとつ調達するにも面倒な手続きばかりで、余計なことに煩わされず研究へ没頭できるなら、軍属である必要もないのじゃないか、とね」


 十年前、辺境の都市群へ自衛用の兵器を横流しする駆け出しブローカーだったクラッフワースは、自ビジネスの拠点となる場所をルゴに定めていたが、ひとつだけ問題もあった。


 ビルズ・ニーゼイ保安官の存在だ。


 合成ドラッグをプラント作業員の間に広め、都市支配の足がかりとする計画を邪魔され、うまくいかない。

 だが、転機は突然訪れた。


 前市長が病死したのだった。


 ルゴ市民は、小都市の市長職が、激務で病死するほどの「割に合わない」仕事だと知っていた。ルゴ内から次の市長候補はなかなか登場せず、とうとう外部からも広く公募することにした。

 クラッフワースはすかさずリンシュタインに話を持ちかけたようだ。


 地位も実績もある統合移民局に在籍していて、自分の息もかかっている人間を市長に据えればいい。そう考えたのだ。


「わたしからすると、市長職に就くことはさして意味を持たない。研究チームを率いて、失敗の許されない高度な研究に従事することと較べれば、都市の運営など、あくびの出るほど単調でつまらない仕事だろうね。……むしろ研究を自由に進められる環境づくりに魅力を感じた。そこで、わたしはメルの提案を受けたのだ」


 当初の予定とは異なり、統合移民局時代の経歴は伏せられることになった。

 ふたりの関係を気取られるような情報は極力隠した方がいいというリンシュタインの判断だ。

 立候補の演説をするためルゴを訪れ、リンシュタインは巧妙な話術で、選挙当初からルゴ市民の心をつかんだという。


「本来わたしは自分の研究以外に興味はない。しかし……だからといって市政をいい加減にしたつもりもない。ここの暮らし向きをよくすることは必要だった。わたしの研究にとっても、市民たちにとってもね」

「……補助金を不正に取得することでルゴ市民の暮らし向きが本質的に良くなるとは思えませんが」

 私の挑発は無視され、市長は自分の都合のよい話のみを続ける。

「いやいや、補助金は有用だったさ。おかげでサイボックスの疑似生体を、生帯基盤として活用する道筋は立った」


 市長就任後、リンシュタインは前職で得た知識と経験をもとに、不正流用した研究費で実験を重ねた。

 ようやくサイボックスの生帯化技術に実用化のめどが立ったのは就任数年後、いまから七、八年前のことらしい。


 試作品はそれからさらに数年を経て、五年前に完成したという。


「通話試験は大成功でね。自分の生帯から試作品経由でコールすると、相手は試作品に付与されたDNAのもとの持ち主から来た通話と信じ切ってしまった。おまけに、それは従来のサイボックスでは不可能だった、テレパシー通話における感情伝達さえ可能になったのだよ」


 ――他人になりすませるという『偽想』サイボックスのことか? 


「つまり、その『試作品』を使えば、簡単に他人になりすませることもできるということですね?」

「別にそれを目指したわけではない。研究はまだ志半ばだよ。次は本格的な人体移植に適した『製品版』の基盤開発に取り組むつもりだ」


『偽想』サイボックスに関して、ロミリオンから聞いた話とは、動機や目的の面で少し違うようにも感じられた。


「軍制部に遺してきた最初の私の理論も、この数年で生帯のリサイクル技術として一般化され、市場に広まりつつある。たいそう好評だと聞くよ。研究上、その技術はまだ通過点に過ぎんが、いまにして思えば、目指す方向性は間違っていなかったと証明されたわけだ」


 方向性の問題ではなく、結果的にそれを実現するための手段を著しく誤ってしまったことに、この男は気づいていなかった。

 合間に、自分の頭の中で既に導き出された結論へ確証を得るため、質問してみた。

「ところで、その『試作品』に付与されたDNAの持ち主はまさか」

「もう、わかっているだろう? むろんビルズ・ニーゼイだよ」


 はっきり市長の言質を得られた。


 父親の名を聞いたホープは身を乗り出し、大声を上げる。

「パパの!?」

 やはりニーゼイ保安官がケガで摘出した生体基盤を入手し、そのDNA情報を使って実験を繰り返していたのだった。


「彼は、市長たるわたしのやり方にことごとく反対した。土壌を改良し、農地を作って都市の面積を広げ、子孫を増やそうと言った。わたしはこんな小さな都市の発展などより、全人類に寄与する、もっと大きなことに取り組んでいるのに、それをまったく理解しようとはしなかった。……都合の悪いことにビルズは補助金申請のからくりと、その使途にも気づき始めた。とうとう、移民局に告発する、と言われた。わたしの研究は、それなくしては進まない、邪魔されるわけにはいかなかった。有機移動体通信の未来を考えれば、彼ひとりの犠牲くらい」


「そんな、そんな理由でパパを!」


 レッキイが開いた扉の向こうに立っていた。

 ブラッドが肩を貸し、彼女を支えている。

 リンシュタインは素早くふたりに熱線銃を向けた。


「聞かれてしまっては仕方がない。だが、誤解のないように言っておくが、ビルズ殺害を計画したのはメル……クラッフワースだ。プラントの爆破で保険金も手にはいる一石二鳥の計画でね。実行は彼の部下たちのしわざだ。彼らも兵器密売の摘発で散々な目に遭っていたから、躊躇はなかったようだよ。わたしはただその計画を試作品の実験に資する機会としただけなのだ。……あの日、君にコールしたのは、実はわたしなのだ。レッキイ。わたしの試作品で君に連絡をした。うきうきした。君にもその気持ちは伝わったようだったね」

「ひとでなし!」

 レッキイは絶叫した。

「なんと言われようとかまわん。私は人類の未来のために尽くしているんだ」


 ――こいつは狂ってる


 本人はつじつまのあった話をしているつもりでも、その論旨は支離滅裂だ。



       6


 私はさきほどから、少しずつリンシュタインに近づいていた。

 話に夢中になっている隙に飛びかかり、熱線銃さえ奪えば、気の狂ったただの老人にすぎない。私でも簡単に無力化できるだろう。

「ひとつ質問があります、ジョー」

「なにかね、保安官?」

 油断させるため、やつの生徒であるかのように親しげな風を装う。

「……いまのお話では、彼女に直接通話したのはあなただということですが、それでは、そのときにサイボックス経由で他の人々と会話したのはいったい誰ですか?」


 気の狂った科学者は笑顔を浮かべ、不出来な生徒へ噛んで含めるように説明しはじめた。

「それは当然、生前のビルズ・ニーゼイだよ。市庁舎のサイボックスに通話記録もはっきり残っていたじゃないか。……レッキイへかけた通話が、彼の連絡と時間がかぶってしまったのは間の悪い偶然だった。……ビルズはわたしのやっていることを議員たちに告発した。もっとも彼らは諮問会でそう証言はしなかったがね。みんな私に協力的だった。保安官の通話を受けた彼らのひとりからすぐに連絡を受け、おかげですぐ手を打てたのだ」

「なぜ! なぜ彼らはでたらめを言ったの!」


 レッキイの叫びは悲痛に聞こえた。


「彼らは別にルゴの土地を広げ、農地を開拓したいとは思っていなかったのだよ。むしろ、あのロートランドのように、観光やなにかで……農業以外のことで街を豊かにしたいと考えていた。もちろん、治安を守る保安官としてのビルズは頼もしい男ではあった。が、彼自身の考え方は、もはやこの街の実態にはそぐわなかった。むしろ疎まれていたと言った方がいいかもしれないね」

「うそ! うそ、うそ!」

 レッキイは肩を落とし泣きながらブラッド医師にもたれかかった。


「ジョー、もうひとつ」もう少しで飛びかかれる位置に行けそうだ。


「残念だマッケイ君。時間だ。お迎えがすぐそこまで来たようだ」

 抜け目なく、私の接近を勘づいていたのか、市長は熱線銃をふたたびこちらに向けた。テレパシー通話で部下の誰かからコールでも来たらしい。


 まさかクラッフワースか。

 きつく縛り付けたつもりなのに、もう抜け出したのだろうか。とすると、やつの長い弁舌は私たちをここに引き留めておくためのものだったのかも知れない。


 うまくやられたものだ。


 リンシュタインは私とレッキイ、そしてホープの三人を病室から正面ロビーに追い立てた。

 私はレッキイの肩を抱き、支えながら、もう片方の手でホープの手を握り、廊下を黙って歩く。後ろからリンシュタインと、やつに並んでブラッド医師がついてきた。


 なんのことはない、この医者も市長の研究に荷担していたひとりだったのだ。


 よく考えればわかったことだった。

 ニーゼイ保安官の手術はこの男の手になるものだったというし、補助金の不正についてもなにかを知っているそぶりを見せていた。


 市長を呼んだのもこの男に違いない。


 自分のうかつさに歯がみする思いとなった。

 神妙な顔で医院の廊下を歩くブラッドとは対照的に、リンシュタインは上機嫌で話し続ける。

「悪く思わんでくれよ、ホープ。だが、姉さんと離ればなれじゃ、それもつらいだろうと思ってな」

「うるさい、死んじゃえ!」ホープは振り返り、市長を罵倒した。

「ああ、それから三人とも、先に礼を言っておきたい。君たちの生帯基盤は、わたしの研究に大いに役立たせてもらうつもりだ。若い男女と子どもの基盤だから、非常に貴重だ」

「ジョー、ホープは助けてやれんか?」

 ブラッドはいらいらしたように言う。

「おいおいブラッド、どうしたんだい? ブラッド、ブラドリィ君? ビルズの基盤を摘出してくれたときには、あんなに冷静だったじゃないか?」

 そのことばを聞くやいなや突然、医師はリンシュタインに襲いかかった。

「よせ、なにをする! はなせ!」市長は叫ぶ。

「もういい加減にしろ!」

 ブラッドは怒鳴った。

 廊下でもみ合いになる。

「にげろ! 早く!」

 必死に叫ぶブラッドを助勢しようと行きかけ、レッキイとホープを見て、彼女たちを逃がすのが先決だと判断した。


 ふたりを連れ、玄関口まで一気に走る。


 振り返ると、医師と市長はもつれあい、激しく銃を奪い合っていた。

「ジョー、あんたはあの夢を見ないのか! サイボックスのふたが開いて、黒い手につかまれる夢を! あれは、おれたちへの……この街への、死者からの告発じゃないのか!」


 ――な、なに!


 思わず足も止まる。

「う、うるさい! まて!」

 リンシュタインは怒鳴り、ブラッドにつかまれた手をふりほどくと、拳銃をこちらへ向けた。

 ただならぬ様子に、こわごわこちらを伺っていた女看護士たちの悲鳴が玄関ロビーに響きわたる。

「危ない、伏せろ!」レッキイとホープを押し倒――


 間に合わなかった。


 じゅぅという音ともに、ホープの腹部に丸い焦げ目ができた。

「ホープ!」

 私とレッキイは同時に叫ぶ。

「この!」


 私は怒り心頭に達した。


 廊下を駆け戻り、またブラッドともみ合いになったリンシュタインを、そばにあった金属製の折りたたみ椅子で思い切り殴りつける。

「ぐ、あ」

 リンシュタインは銃を手から取り落とし、床に転がる。


 頭から血を流してのたうち回る市長にふたたび椅子を振り上げ、その上半身めがけ叩きつけた。

 椅子はばらばらになった。


 武器と権威を失い、失神寸前となった老人は弱々しく私に懇願した。

「や、やめろ、やめて……く」

 手に残った椅子の残骸で、その頭めがけ三回目を振り下ろそうとしたとき、ブラッドに手をつかまれた。

「保安官、やめろ! これ以上やると殺してしまうぞ!」


 怒りはまだ収まらなかった。


 失神した市長を放置したまま、私とブラッドは看護士たちの来るのを待たず、ホープを病室に戻した。

 憔悴しきった身体の力を振り絞るようにして、レッキイもそれを手伝う。


 幸いなことに、肋骨のヒビを支えるための金属製コルセットに当たり、大部分の熱線は分散していた。

 熱線銃の出力が最小レベルに設定されていたらしく、何とか即死は免れたのだ。

 だが、ブラッドの診断ではホープの腹部に開いた小さな焦げ痕は細く深く、内臓にまで到達しているという。


「緊急手術が必要だ、しかし、ここでは設備が不足している」

 ブラッドは悔しそうな表情をにじませた。

「ブラッド!」

 レッキイも声を詰まらせた。


 ホープの容態は急変した。


 脈は落ち、心音も弱くなる。呼吸も微かだ。

「ホープ!」レッキイは弟の身体にすがりつく。

 私は……無念さと、怒りと悲しみと、そのほかなにかよくわからない感情に包まれて、天を仰いだ。


 くらり、とめまいがした。


 めまいに似た感覚ではなく、それは明らかにめまいだった。

 足もよろけ、もつれた。その場に踏みとどまるので、精一杯だった。


「スルト!」


 耳の奥にレッキイの助けを呼ぶようなかすれ声を聞く。

 彼女も不意によろけたのか、尻餅をついていた。


「これは……畜生!」

 ブラッドの怒鳴る声は、エコーのかかったマイクの音声のように聞こえた。


 来たときと同じように、私たちのめまいはすぐにおさまった。

 そのすぐ後、都市の緊急事態を知らせる非常警報が、ルゴ全地域に鳴り響いた。



       7


 西街区中の人間が表に出てきたように思えた。


 みな一様に怯えたような顔となり、深夜の路上で夜闇を右往左往している。

 周囲をきょろきょろと見回したり、知り合い同士で情報交換をし合ったりしている者ばかりだ。


 私たちはブラッドの運転するキャタピラ駆動の救急車で、ルゴの中心部を抜け、東街区に向かっていた。

 ホープは生命維持装置につながれ、ペイシェントパックという医療用カプセルに入れられている。傷口は焼けて感染症の心配はあまりないものの、焼けた内臓の壊死は既に始まりつつあり、早急に臓器移植をする必要があった。


 レッキイは数日前同様、ホープのそばから片時も離れなかった。

 疲労の極みに達し、立つこともままならないのに、いまは気力だけで持ちこたえているという有様だ。


 コンウェイ医院の設備では必要な施術はできないことから、応急処理のみ実施し、あとはいま向かっている、第一層の旧土壌改良技術開発研究所の医療設備だけが頼みの綱だった。

 もっとも、現在はクラッフワースの兵器密輸のために、どこまでその設備が残されているのか定かではない。


 夜の都市を襲った、不気味な非常警報のサイレンはまだ鳴り続けている。


 緊急無線回線を開くと、断続的な通信により混線もひどく、音声はとぎれとぎれで何を言っているのかよくわからない。ただ言えることは、このパニックは単に都市全体の警報音によるものだけでないということだ。


 私たちを襲っためまいは、この都市に暮らす人間すべてに起こっていたようで、その同時多発性に対し、人々は何か言いしれぬ不安や恐怖、来るべき何かを、予感していたのだった。

「いったいなんだったんだ、あのめまいは!」

 ブラッドは医師としての興味からか、めまいの正体を探ろうと何度も同じことばを吐き出し、自問自答していた。


 私は助手席に横を向いて乗り、後部荷席のペイシェントパックと、フロントウィンドウを交互に確認しながら、ことの顛末を頭の中で再検証していた。

 失神している市長を縛り、人質として連れてきている。

 研究所で不測の事態が起こった場合、有効な切り札として使うつもりだ。

「うお!」

 ブラッドは救急車の前に行く手を阻むように出てきたライナーホースを避け、急激な進路変更をした。

 ブレーキを踏んで何とか舗装路から飛び出すのを防ぐ。


 かつて鮮やかな緑色だったライナーホースは銃撃で満身創痍になっていた。


 外装はところどころ溶解し、焦げ跡もおびただしい。運転席から見慣れたストライプスーツの男が飛び降り、こちらに駆け寄ってくる。

「みんな、無事だったか!」


 ガスク・ロミリオン少佐はそう言うと、私たちの救急車へ乗り込んできた。


「あちこちで大騒ぎになっています」

「だろうな」

 その報告に動ずることもなく、彼は行き先を尋ねた。

 かいつまんで事情を話し、地下の研究所を目指すと知ると、首を縦に振り、賛同の意を表す。


「この子は絶対に死なせてはならない。そうでなければ、我々にはもう一刻の猶予もなくなる」


 相変わらず意味不明で謎めいたことばを発するものの、その真意を問いただす時間も心の余裕も私にはなかった。


 救急車は東街区の地下出入り口に入り、そのままルゴ第一層に向かう。

 緊急車輌の大きさに対し地下道は若干狭く、ブラッド医師は緩いカーブにさしかかるたび、小さな悲鳴を上げつつ運転に四苦八苦していた。


「出るぞ!」ロミリオンは叫んだ。


 そのことばと同時に救急車は地下道の出口をくぐり、第一層に到達した。

 都市の危機を示す第二層の警報音は、ここでもかすかに聞こえた。

 道の先に研究所の灯りが見える。


「門は突破できるか?」とロミリオン。

「衝撃は患者にまずい」

 ブラッドは医師らしく答えた。

 私は後部荷席を振り返り、レッキイに声をかける。

「ホープの容態は!」

 レッキイは生命維持装置の数値を確認すると私を見て、硬い表情に首を振った。

「くそ、よくないのか!」

「見ろ!」ブラッドは悲鳴にも似た声を出した。


 研究所の正門前では自警団の団員たちが銃をこちらに向け、待ち伏せしていた。


 ブラッドはひとまず救急車を徐行させ、自警団員の中央にいるクラッフワースから四、五メートル手前のところで停車させた。

 ヘッドライトはやつを照らし、背後に濃く長い影を映し出す。


 自警団員たちは遠巻きに隙のない動きで私たちの乗る車輌を取り囲んだ。

 ロミリオンはひとり車を降り、彼らを悠然と見渡す。


 私は気絶している市長を盾に運転席に残り、いつでもこの老人を人質として使えるよう準備していた。


「ロミリオン調査官! 大した腕だ。あの包囲を抜け出すとは!」


 クラッフワースは大声で叫んだ。

 手首にはまだ赤々しく拘束用特殊ロープの跡が残っていて、それをいたわるように手で揉む仕草をしていた。左耳は血の滲んだ救急パッチで覆われている。

「団長。そこを通してくれ」

 ロミリオンは感情のこもらぬ声で静かに言う。

「そりゃ無理だ、いくら市長を盾にしていてもな。おれの怒りはもう度を越えちまってる」

 クラッフワースは猛獣のような犬歯をむき出し、もはや敵意を隠そうともせずに吐き捨てた。

「中にいるのは子どもだ。死にかけてる」

「ホープか? だがそれがどうした。おれの部下も大勢死んでるぞ」

「ばかやろうが! 子どもが死ねば、みんな終わりだ!」


 ロミリオンの激昂は裂帛の気合いを有していた。


 怒りに燃えるクラッフワースでさえ束の間、気勢を削がれたようになった。

「この警報音と、さっきのめまいは全部この子どもが原因だ。レックシステムは動き出したんだ!」


 真実だけが持つ響き。有無を言わせぬ迫力あることばだった。


「なんだと? なんだそれは?」

 クラッフワースは、あわてたように聞き返す。

「子どもが死ねば、我々の命運も尽きる。そこを通してくれ」


 元軍制部の自警団長と、現軍制部の少佐は暫時無言でにらみあう。

 やがてクラッフワースは譲歩した。


「武器を捨てて市長を解放しろ。研究所の医療設備を使うつもりならな」

 現状ではその条件を呑むしかなかった。



      8


 武装解除と市長の解放に応じ、私たちは周囲を完全武装の自警団に囲まれながら、研究施設の医療棟に向かった。

 市長の研究のため、ここには、かつて存在した医療設備よりさらに高度な設備が整っているようで、ブラッドはホープ生存に期待が持てそうだと、レッキイに説明する。

 彼女の笑顔は疲労と心労のあまり痛々しいくらいゆがんで見えた。


 医療棟に医師と患者が無事入るのを見届けると、私とロミリオンは後ろ手に特殊手錠をかけられ、手首と親指、小指を同時に固定されたまま、地上の自警団本部へ例のエレベーターで移送された。


 これから尋問を受けるのだ。


「さて、おまえたちの本当の目的を聞かせてもらおう」

 クラッフワースは真剣な顔つきに質問する。

 いつもの笑ったような表情はなく、軽口をたたける雰囲気は皆無だった。

 手には人間の痛覚のみを直接電撃で刺激するナーヴ・パルサーという一種のスタンガン、そのコントローラーを持っている。


 尋問の名を借りた拷問を受けるようだ。


 私とロミリオンはともに、窓ひとつ、家具すらない自警団本部の一室で、金属製の椅子に身体を固定されていた。

 体表のあちこちにコードつきの微細で長い針を打ち込まれ、コードの先は、部屋の中央にあるナーヴ・パルサー本体に繋がっている。

 コントローラーのスイッチを入れれば、電撃はコードを通して針を伝わり、肉体を神経経由で通り抜ける仕組みだった。

 床にボルトで固定された椅子はアース代わりとなり、電流を床に逃がす。

 純粋に痛覚だけを刺激する点で、単なる電気ショックよりも効果的でたちが悪い。


 私たちとクラッフワースのほかに、部屋には誰もいなかった。尋問は自警団長直々に、ただひとりで行うつもりのようだった。


「こんなことをしている場合じゃないぞ」

 ロミリオンは絞り出すように声を出す。

「命乞いにしては、随分威勢がいいな。ええ?」

 言うなりクラッフワースはコントローラーのスイッチを入れた。

 ばしっという音とともに床が発光する。

 ロミリオンはのけぞりつつ椅子の上で絶叫した。


 彼の拘束ベルトのきしむ、いやな音は私の耳に残る。


「生意気な口をきくんじゃねえ」

 自警団長は、がくりと頭を垂れたロミリオンの黒髪をわしづかみにして上を向かせ、痙攣している彼の頬をぺたぺたと、手に持ったコントローラーで軽く叩いた。

 特殊拘束ロープできつく縛られた仕返しをしているつもりなのか。

 クラッフワースの手首に残るみみず腫れのような赤い筋を見て、私はそう思った。


「話す気になったか?」

「……夢を」

「ん? よく聞こえねえ、大きな声で話せ」

 ロミリオンは意識をしっかり持とうと歯を食いしばりながらしゃべる。

「あの夢を……みたか」

「ち、もう意識が飛んじまってるのか? 最近の調査官は耐久力不足だな」

 そう言うとクラッフワースは、私のほうを見た。

「あんたならどうかな、保安官?」


 軍制部の少佐でさえ、一撃で気を失いかける電撃に耐える自信はない。

 だが、拷問に屈して自白するのは、最も避けたい恥辱だ。

 しっかり拘束ベルトで椅子に固定されていると認識していても、つい身体ごともがいてしまう。

「いまさら往生際が悪いぜ、マッケイ。それとも、相棒の醜態を見て、話す気にでもなったか?」

 長い犬歯をむき出し、いつもの凄みある笑顔に戻ると、クラッフワースは手に持つ拷問器のレバーを切り替えた。


 いよいよ私の番となる。


 そのとき、壁の内線電話がけたたましい音を立てて鳴った。

 かまわず、やつはスイッチを入れた。


 激痛がものすごい勢いで身体を通り抜ける。


 痛みは頭の芯に凝縮され、はじけて、また身体の各部に散っていく。全身の筋肉という筋肉は一瞬にして収縮し、そのあまりの勢いと圧力とに私は窒息しそうだった。

 津波のように肉体のあちこちから激しい痙攣が押し寄せてきた。


 朦朧とではあるが、意識はまだある。……ようだ。


 霞がかった視界の中で、内線電話を持ち、向こうの誰かと話しているクラッフワースの姿を捉えていた。

「こっちは取り込み中だ。そんなことでいちいち連絡するな。ああ……わかった」 

 電話を切ると、やつは私たちに向き直り、通話の内容を告げた。


「悪い知らせだが、聞くかね? こぞうの容態が急変したらしい」


「あの子どもを死なせるな!」

 私より早く回復したロミリオンは、しわがれた声に叫んだ。


 私も何か言おうとしたものの、口は回らず、妙なうなり声しかだせなかった。

 情けなさと、心配と、もどかしさと、怒りとがごちゃ混ぜになり、私の心を爆発させるのではないかと感じるほどに充満していた。


「おれに言っても無駄だよ、調査官。医者じゃねえからな。さて」

 クラッフワースは拷問の続きをはじめるつもりで、ナーヴ・パルサーの本体に近づき、上面のダイヤルを操作する。

「レベル2は、もっときついぜ。話すんならいまのう……」

 やつは言いかけたことばを急に途切らせ、当惑したように立ち止まった。


 めまいだ。


 電撃にやられたせいか、今度は目の前の空間さえぐにゃりとゆがむほど強いめまいだった。

「な……んだこれは」

「い、いかん……」

 クラッフワースとロミリオンは同時にことばを発する。


 私の視界にまざまざと現出した黒い箱のイメージは、毎夜夢に見る、あの漆黒のサイボックスそっくりだった。


「これは!」


 それは脳内に挿入されたイメージと言うより、立体として視覚できるほど明確なものだった。

 向こうの景色が透けて見えるので、現実に存在する物体ではないことだけはわかる。むろんサイボックスの幽霊などでもないだろう。


 その映像は目前に浮かんだままいつまでも消えることはなかった。


 視神経を遮り、脳内に直接注入されたのか。

 その証拠に、眼球を動かしても黒箱は常に視界の定位置に存在している。


 箱はゆっくり、目の前で開きはじめた。


 あの夢とそっくり同じ。

 違うところは、箱の開くきしみ音はまったく聞こえてこないことだった。


「開く!」


 脇でロミリオンはそう口走る。私だけでなく、彼にもこの映像は見えているのか。

 ふたは最後まで開き切り、瞬時、まるで陽炎のようにゆらめいた。

 その直後、黒箱は激しい閃光とともに霧消した。


「あっ!」


 たちまち視界は真っ白になる。

 視神経を焼き切られたように、目と頭の奥にちくりと痛みを覚えた。脳に直接注入されたイメージのせいか、目を固くつむっても視界は白いままだった。


「目が!」クラッフワースの声だ。


 やつにも同じことが起こっている様子だった。

 数秒後、露出オーバーのビデオカメラを調整するように、視覚は徐々に回復する。


「な、なんだ! これはなんだ!」


 私を含むその場の全員は一斉に叫んだ。


 目の前に数字が浮かび上がっていた。

 数字は37:30:00から、徐々にカウントダウンされていく。

 タイミングは時計の秒針と同じようだ。


 いったいなんの時間を計測しているのか。


 唐突に、部屋のスピーカーから不気味なサイレン音が流された。



         9


「一級警報だと!」


 可及的速やかに住民を避難させる必要のある大災害、原子炉のメルトダウンのような大事故の際に発動されるという、都市における最重要、最大級の警報のことだ。


 クラッフワースはわめきちらしながら壁の内線通話に駆け寄り、誰かを呼び出す。

 目をこすったり、しきりに目の前のハエでも追い払うような仕草をしている。


「どうなってる、この警報はなんだ! ……なに? おれにもわからん! 全員見えてるのか!」


 私は横にいるロミリオンへ声をかけた。


「少佐! ロミリオン! これはいったい……」

「やはり……あの子の容態の変化で、レックシステムのカウントダウンが始まったんだろう」

 またも意味不明の返事。

 レックシステムとはいったいなんなのだ。


「おい、どういうことだ! この数字はなんだ! あのサイボックスは!」

 クラッフワースは受話器を持ったまま振り返り、ロミリオンを詰問した。

「わけは話す。我々を解放しろ! 早く!」



 拘束から解放された私たちは、地下研究所へ戻ることになった。

 途中、廊下の窓から外を見ると、うっすら明るい。

 明け方を迎えていた。

 昨夜は一睡もしなかったということになる。


 ルゴを訪れて六日目の早朝を迎えたのだった。


 昨夜乗った直通エレベーターでふたたび地下に降り、研究棟の集中治療室に入ると、ホープは危篤状態になっていた。


 精密検査の結果、腹部に開いた小さな穴から吹き込んだ高熱は予測を超え、内臓の広範囲にわたりダメージを与えていたらしい。

 いまは生命維持装置のおかげで、なんとか持ちこたえているとはいえ、最先端、最新鋭の設備を持つというこの研究所でも、交換用臓器の備蓄はなく、胃腸、肝臓、脾臓、膵臓などのクローン臓器培養には少なく見積もって、まだ十時間以上もかかるとのことだった。


 会見は研究所内のブリーフィングルームで行われた。


 制御を一切受け付けず、停止不能になった警報対策のため部屋のスピーカー線を切断し、会議の邪魔にならないようにしてある。

 壁際のベンチシートには、ロミリオンの要請により、医療棟から連れてこられたレッキイも腰かけていた。


 毛布をかぶり、青白い、覇気の感じられぬ顔だ。

 表情の変化もほとんどない。

 疲労や身体の不具合に加え、ここ数日の度重なる事件と、ホープに関する心労で憔悴しきっているのだろう。


 ブラッドはホープの治療に専念するため、出席していない。


 私とロミリオン少佐は並んで座り、大きなブリーフィングテーブルの対岸には市長とクラッフワースが腰かけた。

 頭に包帯を巻いた市長は顔に強い疲労の色を浮かばせながらも、目に冷たい光をたたえ、こちらをにらみつけていた。

 武装した数人の自警団員が彼らの背後から私たちの胸元めがけ銃口を向けている。


「それじゃ聞こう。おれたちの……いや、どうやら全ルゴ市民の目の前に突如として浮かんだ、この数字の正体と原因を」

 クラッフワースは、この、通常ではありえない面子による会議の開催を一方的に宣言した。

 言いながら目の前の空間を手で払う。

 目前の宙に浮かぶカウントダウンをよほど気にしているようだった。


 軍制部の現役少佐ガスク・ロミリオンは椅子からゆっくり立ち上がり、落ち着き払った様子で話し始めた。


「正確には、わからない」


「なんだと! 貴様?」

 クラッフワースは目を剥いた。

 ロミリオンはせっかちな自警団長の反応を気にするそぶりも見せず、言葉を継ぐ。

「が、レックシステムの影響であることは間違いない」


「さきほどからおっしゃる、その、レックシステムというのはなんですか?」

 質問する私に顔を向け、彼は後ろの壁際にいるレッキイをちらりと横目で見た。

「ここにいる人間の中に、サイボックス経由で外部へ連絡のつくものはいるか? 個人、組織どこでもいい」

 そう言いつつ、ロミリオンは大げさな身振りで自分の右手を左手で触った。


 疑念を持つ表情ながら、市長とクラッフワースも同様の仕草をとる。

 私も念のため生帯で統合移民局にコールしてみた。

「……なんだ、これは。どういうことだ」

「つながらない。不通だ」

 テーブルの向こうにいるルゴ側ふたりの表情はみるみる険しくなり、口々に不審の声を上げた。


 もちろん、いつも通り私の生帯もつながらなかった。


「やはり、そうか」

 ロミリオンは当然と言わんばかりに、ひとりうなずく。

「予想通り、この地域……ルゴ内のサイボックスを使ったテレパシー通話はすべて閉鎖されている。レックシステムによって」

「どういうことだ。さっきからおまえの言う、それはいったいなんなんだ!」

 クラッフワースはますます苛立ち、拳で会議テーブルをばんばんと叩く。


「端的に言えば、サイボックスを利用したモラルハザード回避システムのことだ」


「それは?」市長は意外に落ち着いた口調だった。

「……リンシュタイン博士。あなたなら知っていてもおかしくはない。ご専門のはずでは?」

 ロミリオンは意外そうだった。

「さあ、知らんな、そんな話は」

 とぼけているのか、リンシュタインは口先の動きだけで返事をする。

「……まあ、いいでしょう。……さて、話は惑星移民初期にさかのぼる」

 それはアルファメガ移民初期の、とある実験の噂話だった。



 地球からの移民は当初、人口爆発と環境破壊により、これ以上地球上に人類が生息しては共倒れになる、という危機感から実施されていた。


 数世紀前に惑星移民を画策した地球上の諸国家は、地球から約十四光年離れたグリーゼ674恒星系への移住を開始するまでに統合、離散を繰り返し、結果的に五つの大陸圏に収斂していた。

 それは平和的に行われたものもあれば、悲惨な戦争によるものも多かった。


 惑星移民が可能になった時代、人類は国家扮装が地球環境に及ぼす影響への危機感に加え、新天地での生活は、地球での過ちを繰り返したくないと強く希求していた。


 レックシステムは、アルファメガというこの新たな地球が、暴虐と悲惨に満ちあふれ、貧困と格差の蔓延する星になることを防ぐための倫理保護政策として考案されたモラルハザード防止のための仕組みだった。

 初期惑星移民指導者たちの一部が試作した惑星環境プログラムのひとつだという。


「倫理保護……のためのプログラム? ……なんだそれは?」


「都市やそこに住む住民のモラルを検知、指導、修正するプログラムということだ」

 クラッフワースの質問に、ロミリオンはできるだけ理解しやすく端的に答えたつもりらしかった。


 しかし、依然として何のことやらさっぱりわからない。


 市長はテーブルの上で手を組み、うつむき気味に親指の爪を噛んでいた。

 自警団長は食い下がる。

「モラルの検知……って、ひとりひとりの倫理観をどう知ろうってんだよ?」


「……なるほど、だからサイボックスか」


 部下のその質問に答えるかのように、突如として市長は結論を導き出した。

 軽くうなずくと、満足げにロミリオンは先を話す。

「そう、さすがに気づくのは早い。あなたの研究にも関連することでしょう? サイボックスの機能は、単にテレパシーを取り次ぐだけではない。我々のテレパシーを検知し、その内容から個人のモラルを測定する役割も果たしている」

「……ということは、だ。レックシステムなるプログラムは、サイボックス経由で通話する人間の意識から倫理観を極秘にモニターしているということか」


 市長は勝手に納得し、確認のためか、自分の推論を披瀝した。


 会議は、かつてサイボックス研究に携わり、いまも秘密裏にその研究開発を続けているという科学者上がりの政治家と、統合移民局軍制部少佐のやりとりで占められはじめた。

 私とクラッフワースは蚊帳の外に置かれ、ただふたりの会話を黙って聞いているしかない。

 ようやく話の通じたことに満足げな様子で、ロミリオンはますます雄弁になった。


「いまはモニターだけじゃなく、その逆も出来ると判明しましたがね」


「ちょっとまってくれ。その話と、目の前のこの数字にどんな関係がある!」

 業を煮やし、自警団長は強引に話に割り込もうとした。

「わからんのか、メル。レックシステムとかいうプログラムはサイボックス経由で気づかぬうちにテレパシーでわたしたちの心の中を覗いている、ということだよ。この目の前の数字は、そのシステムがサイボックス経由で、我々にメッセージを送ってきているということらしい」

 市長はものわかりの悪い仲間へ、より簡略な説明を施した。


 思いもよらぬ話に、場は静まる。


 市長一派の警護に立つ自警団員たちも顔を見合わせ、聞いた話をどう理解してよいか、困ったように眉をひそめていた。

「……で、ロミリオン調査官。レックシステムはひとの心を覗き、その後どうするつもりなのかね? 倫理度と言うからには何か基準でもあるはずだ。もしその基準に満たない場合は?」

 会議前とは打って変わり、リンシュタインは学者としての好奇心のなせる技なのか、少し落ち着きと、政治家らしい威厳を取り戻したようにも見えた。

 ロミリオンは天井を見上げた。

「倫理度を測った後は……もし、それが基準に満たなければ」

 リンシュタインのことばをオウム返しにし、一旦ことばを切る。


「……その都市は、住民ともども消去される」



       10


「なんだって、いま、なんと?」訊き返した私の頭の中は混乱していた。


 ――それは、それじゃ、まるで……


「マッケイ……きみならたぶんピンと来るだろう。……よく噂にのぼる都市消失の話は、レックシステムの稼働による都市消去の事実が、長年の伝聞によりさまざまに形を変えつつ、巷に広まったものだ」

 ロミリオンは私の心を読んだかのように答えた。


 クラッフワースは、いきなり笑い出した。


「じゃあ、この数字はおれたちがルゴごと消去されるまでの残り時間ってことか? こいつはいい、こいつは傑作だ! 腐れサイボックスは神様の代理で、おれたちのやってることを全部調べて判決を下すのか? 都市消失? お笑いだ! 悪い人間がたくさんいれば、滅ぼすってことだろ? それじゃまるでソドムとゴモラの焼き直しじゃねえか!」

 ヒステリックなその声は部屋中に響く。

 やつ以外の人間はみな一様に無言だった。


 目の前の数字は35:58:51に減っていた。


「サイボックスにゃ人格はねえ、どうやっておれたちの生活上の『倫理』なんてものを測るんだよ? やつらは感情すら伝えきれないんだぜ?」

 無意識にせよクラッフワースは、やつら、と、サイボックスに人格を認めたかのような台詞を言い放つ。

「そう、サイボックスだけに頼っているわけじゃないんだ。このシステムは」

 ロミリオンはにべもなく切り返した。

「まだ、あるのかね? ほかに」


 冷静な口調に、市長は話の続きを促す。


「……システムはサイボックス経由で多数の人間をモニターしている。といっても、正直、自警団長の言うとおり、それがどのように行われているかは、わからない。たしかにサイボックス経由で得られる情報は単純なものなのかもしれない。ただ、それはあくまで『センサー』の情報を裏付けるためのバックデータとして、参照されるらしいのだ」

「センサー、とは?」

 市長の質問に、ロミリオンはまた背後のレッキイをふりかえる。


 さっきからいったい、彼女のなにを気にしているというのだ?


「センサーは、レックシステムの中心を担う特殊なサイボックスのことだ。我々のつかんでいる情報によれば……そのサイボックスは……センサーというのは、生物センサーということだ」

「どういうことだ? はっきり言ってもらおう」

 クラッフワースは怜悧そうな表情に戻っていた。

「それは……クローン技術により、実在の人物を培養したサイボックス。……いや、サイボックス機能を持った人体とも言える」


 ロミリオンの言わんとすることは、何となく理解できた。


 要するに感情の伝達できない疑似生体では、人間の正邪を区分ける倫理観の測定に不備があるということだろう。だから、感情の伝達できる媒介が別に必要というわけだった。

 それは実在の人間からクローンとして培養され……

 クローン? 人の?


 ……まさか……それは……


「レックシステムの完備された街には、必ずシステムと直結する人体型サイボックスが生物センサーとして配備されるそうだ。それは、完全に一般市民の中にとけ込んでいる。生活も、そして……」

 ロミリオンのことばはすでに私の耳に入らなくなっていた。

 心臓の鼓動は早鐘のようになり、その動悸の音さえ聞こえてくるようだった。


 おそるおそる、肩越しに背後のレッキイを見る。


 彼女の顔は蒼白となり、それはさっきまでの白さとは異なり、まるで幽鬼のように見えた。

 ロミリオンは話を一気にまとめ、結論を導き出す。

「これまでの調査から、わたしはビルズ・ニーゼイおよび、その遺族たち一家がレックシステムの『生物センサー』であると断定した」


 それは、判決を下す裁判官の声のように室内に響きわたった。



 レックシステムは、個々の移民都市に住む住民たちのモラルを、二種類のサイボックスにより測定している。

 都市に設置された黒い箱形の……心象に浮かぶイメージでおなじみの従来型サイボックスは、レックシステムの要請により、市民のテレパシー通話を中継しながら、なんらかの基準により彼らの倫理度を測定し、そのデータをシステムにわたす。


 一方、クローン技術により培養された人型のサイボックスは、人格を持つ『生物センサー』として一般市民と変わらぬ都市生活を送りながら、思考、感覚、体験など、機械では測定しにくい、あるいはできない情報をシステムに送る。


 システムは、都市のサイボックスにより集めたデータと、生物センサーによる市民生活の『実感』『実体験』情報から、客観的にその都市のモラルを判定し、万が一その度数が定められた基準を下回った場合、アルファメガの発展を害するモラルハザードを起こしたと判断し、都市ごと人間を消去する。


 この人為的『最後の審判』システムは移民当初、いくつかの都市に試験配備され、その実効性はある程度確認されたらしい。だが、あまりに非情で無慈悲と思えるその仕組みに、実験を試みた者たちの中にさえ反発や非難もあったという。


 いずれにせよ、その手法は惑星移民初期の段階で封印され、いままでその存在も秘匿されてきたのだった。


 しかし、レックシステムは密かに稼働し続けていた。


 都市消失の伝説は、その発動による結果から生まれたものだという。

 しかも、どの都市に導入されたのか、統合移民局にその情報はない。

 百五十年前に設置され、闇に葬られたはずの試作プログラムはロートランド消失事件により、ようやく未だ生き続けていると発覚しただけだった。


「その女と、あの、死にかけてるかわいそうなこぞうがこの騒ぎをひきおこしたクローン人間だと? おかしいじゃねえか。そいつらは、死んだおやじも含めて、もうずいぶん前からこのルゴの住人だ。おれは密輸の件で何回もビルズには泣かされてきたんだぜ? いつすり替わったって言うんだ」


 クラッフワースは私の背後に佇む女性を、いくぶん遠慮がちに見ながら、ロミリオンに反論した。


「すり替わったわけではないだろうな。ビルズ・ニーゼイ保安官のルゴ赴任は、いまから十二年ほども前だ。前任の都市クゼノに記録もある。それは確認済みだ。病死した前市長の要請により、まだ幼い娘と生まれたばかりの子どもと一緒にここへやってきた。母親は赴任の直前に亡くしたらしいがね。……死んだ保安官が誰かの完全なクローンだとしても、自律的に活動するならそれはもう、オリジナルとも言えるんじゃないか? 人間と同じような生殖機能だってあるかも知れない。だから、人類との間にサイボックスの機能を持つ子孫を生み出すことも可能なんだろう。そうやってレックシステムはいままで生き延びてきた」


 ロミリオンの説明には、客観と主観の区別がつけられていないように思えた。


「いったいなにを言いたい! 彼女は人間じゃないとでも言うつもりか?」

 私はつい怒鳴り声を出し、テーブルを激しく叩いた。

「そうじゃないよ保安官。ここにいるフレックル・ニーゼイはなんら普通の人間と変わらない。レックシステムに、知らず知らずに情報を流しているという点を除けば」

「いい加減にしてくれ、ロミリオン! 面白い仮説だが、彼女やホープがクローン人間だという証拠はどこにあるんだ!」


 私は彼に食い下がった。すごく腹立たしい気分になっていた。


「証拠か。それは難しいな。ただ、さっきから続くめまいと警報、そしてこの目の前に浮かぶサイボックスの映像は、ホープ・ニーゼイの容態の変化と密接に関わりがあることは、君も実感しているんじゃないか? たぶんあの子はレックシステムの起動キーとも言える存在なんだろう」

「そんな……それは偶然が重なっただけだろうに」


 ロミリオンの論理は飛躍しすぎだ。


「まてまて、ちょっと聞いていいか?」

 クラッフワースが間に割って入ってきた。

「さっきから聞いていて気になるな。……そのレックシステムとか言うプログラムの本体はどこにある? サイボックスからのデータは、いったいどこに送られるって言うんだ?」

 もっともな疑問だ。

 それを知ればあるいは事態を打開できるかもしれない。

 ガスク・ロミリオンは首を振った。

「それはわからない。我々の発掘した過去の極秘資料には、『最終的判断は『さばきの王』に委ねる』としか記述されていないのだ」



       11


 ブリーフィングルームを出た私は、ホープのいる集中治療室に向かった。

 レッキイは部屋の中で聞いたことをどう受け止めたのか、治療室へ向かう間、口元を真一文字に引き締め、ひと言も発さなかった。


 クローン人間の培養は人道的にも、法律で禁じられていても、いまその是非を問う気はない。

 人格権を認めるか、という、クローンの実用化以来続けられている長年の命題もあるが、それもいま議論しなくたっていい。

 たとえクローンでも、別に私たちと違うわけじゃない。


 警報のサイレンはまだ鳴り続けている。

 施設の廊下を通り過ぎていく自警団員に聞くと、やはりどうやってもそれを止めることはできないという。

 ロミリオンの話が真実ならば、この都市のコントロールは現在、サイボックスも含め、レックシステムによって行われているのだ。


 治療室の中でブラッドは病院から呼び出した他のスタッフとともに、ホープの臓器培養と、延命作業とに従事していた。

「どんな具合だ?」

 彼はしかめ面をしたまま答える。

「うまくない。ホープの延命措置に臓器培養が追いつかない。いまは体温を可能な限り低く抑え、いわば仮死状態で内臓の壊死を防いでいるんだが、手術にかかる準備と時間を考えれば、培養の完了時間は、ぎりぎり間に合うかどうかだ。……ところで、この目の前に浮かぶ数字の謎は解けたのか? うっとおしくてしょうがない」

「解けたというか……ただ、これをとる方法はわからなかった」

 医師は短く唸り声を絞り出した。


 レッキイは私たちのやりとりの最中、低温ベッドに横たわる仮死状態の弟を無菌ルームのガラス窓越しからじっと眺めていた。

 ブラッドの話は耳に入っていたようで、何かを考えついたのか、表情にかすかな動きを見せる。

 やがて、つぶやくように言った。


「ねえ、ブラッド。わたしの内臓、使えないかしら」


 会議に出席していなかったブラッドは、その提案を一蹴した。

「何をバカなことを!」

 すかさず私に顔を向け、彼女に聞こえないように、なにがあった? と、ささやき声で訊ねてくる。

「大丈夫だと思う。だって、わたしもホープも、ひとりの人間から培養された誰かのクローン人間なんだって」

 ブラッドはぎょっとしたように彼女を振り返った。

 レッキイは、様々な器具を付けられ、ケーブルだらけになったホープから目を離さない。

「疑いをかけられているだけだ」

 私はそうフォローした。

 彼女はそれを自ら否定する。

「ねえ、スルト。そんなこと言わないで。……先生お願い、私の遺伝子を調べてみて。内臓が使えるならすぐホープに移し替えられる。血液型は同じだわ。……いま手術できれば助かるのよね? 私のほうが体力もあるから、ホープと同じ延命処置をしてくれるなら、いま培養している臓器をあとから私に使っても問題ないでしょう?」


 正気を無くしていたわけではなかった。


 心身の疲労と焦燥とで、身体に力も入らないだけで、彼女なりに色々考えを巡らせ、ホープを助けようと必死になっていたのだった。


 浅はかにも外見だけで判断していた。

 彼女の内面は私の思う以上に強い。


 ブラッドにかいつまんで会議の模様を話すと、彼は目を丸くし、半信半疑ながら、早速レッキイのDNA鑑定を行う準備に入った。

「もし、そんなことがあるのなら……いや、そうだとすれば、ホープの助かる可能性はかなり上がるな!」

 ブラッドは明るい表情になり『望み』も出てきた、と無意識にだじゃれを使った。


『マッケイ保安官、ちょっと来てくれ!』


 インターフォンで私を呼ぶロミリオンの声を無視し、私はレッキイを励ます意味で肩に手を置いた。

 彼女はこぼれ落ちそうな目の涙をぬぐい、湿った指で私の手を握る。

「スルト、わたし……」

「君は生きていて、こうして私と話してる。君は君だし、物言わぬあの黒いサイボックスとは違う。ホープだってそうさ。……仮にクローンだとして、それがなんだ。どうやって生まれたかは関係ない。これまでどう生きてきたか、これからどう生きるかが、重要なんだ」

「……ありがとう」

 彼女に少しだけ笑顔も戻ったようだった。


 集中治療室を出て、廊下向かいの看護士詰所に入ると、ロミリオンほか、クラッフワースとリンシュタイン市長は、部屋の中央に固まって話をしていた。


 レックシステムの全容は、まだ明らかになっていない。


 ブリーフィングルームで明かされた話は、統合移民局軍制部において、現在までに判明している情報ということだった。


『さばきの王』という名前からして、それが最終的に都市の存亡に関わるなんらかの手段であることは間違いないだろう。

 だが、それはハードウェア的な、例えば都市消失を引き起こす核爆弾などの比喩なのか、それともソフトウェア的なシステム上のプログラムなのか、誰にも、皆目見当もつかなかった。


 突然警報が止む。

 だが目前に浮かぶカウントダウンは相変わらずだ。


 透過していて、向こうにあるものを視認できても、その数値は視界の大きな妨げとなり、うっとうしい。


 数字は34:12:05をカウントしていた。


 本来ルゴの第二層とも言うべき地表では、市民たちの一斉避難を始めたと報告されていた。目前に浮かぶ数字により、パニックによる暴動も起きかけたという。

 いまはリンシュタインとクラッフワースの指示で、市庁舎職員と自警団は、この研究所のある地下第一層への誘導を行っているそうだ。


 悪党のくせに、責任ある立場にふさわしく自分の職責を果たすべきとでも考えているのか、よくわからないやつらだ。


「さて、上層では市民の避難も進んでいる。いよいよ我々も来るべき『さばきの王』に備えなければならない」


 近代戦は情報戦。多くの情報を持つ者が優位に立つ。


 ロミリオン少佐はその優位を最大限に用い、スマートに指揮官役へ収まっていた。

 市長は特にその点に触れることはない。

 逆にクラッフワースはどこか面白くなさそうに見えた。


「正体不明の『さばきの王』は、最終的にルゴを地上から消し去るための力や手段を持つ『なにか』だ。それは外部からルゴを訪れるかも知れないし、内部にあるのかも知れない。いずれにせよ、なるべく早期にそれを発見、無力化しなければならない」


 ロミリオンのその考えに口を差し挟む人間は誰もいない。


 そもそもルゴを捨てて、強酸性土泥地帯に脱出することは不可能でもある。

 市民すべてを連れ出し、近隣の都市に逃げ込むだけのライナーホースやほかの交通手段はないからだ。

「都市ネットワークに異常は?」

 右脇に市長の声を聞いた。

 ありません、と答えたのは市庁舎で見た記憶のある、受付にいた、あの仏頂面の男だった。

 彼は正面のモニターを凝視し、ひたすらコンピュータのキーボードを叩いている。

 ネットワークに潜む不審なプログラムを探しているらしい。


 ロミリオンは軍制部少佐にふさわしく、指揮に慣れた口ぶりで場の全員に指令を出した。

「マッケイ保安官、君は自警団長とともに、ルゴの外にスキャナを配置してくれ、私は都市内部を探る。レックシステムのプログラム発見については、市長のスタッフに引き続き当たってもらおう」


 彼の指示は的外れだ。


 私なら外部の作業に携わるより、内部で探索に当たるほうが良い。

 都市消失については仕事上、専門だからだ。


 これまで判明している事実から『さばきの王』というのは、都市底部に残された熱核エンジンやエネルギージェネレーターを暴走させ爆発させる、都市のコンピュータシステムに紛れ込ませたプログラムのことではないかと想定していた。


 ついに身分を明かす時が来た。いまは非常事態だ。


 守秘を通すのはここまでで充分だろう。

 責任はあとでいくらでもとるつもりだった。

「ロミリオン調査官。……既にご存じかも知れませんが、実は私は、都市消失事件に関する専任調査官です。ですから、内部探索は私にまかせていただいた方がより効率的と判断します」

「専任調査官? やっぱり巡回保安官じゃねえのか!」

 クラッフワースは鼻を鳴らした。

 ロミリオンはこともなげに言う。

「なるほど……君の専門だな。しかし、悪いが、ここは私の指示通りに動いてもらえまいか」


 思わぬ拒否に、意表を突かれる。

 まさかこんなとき、指揮者としてのメンツにこだわる男だとは。


「ですが、調査官!」

 その、私の不満の声にかぶせるように、彼はきっぱりと言う。

「ことは思うほど単純ではない。君は例の仮説を信じているのだろうが、核爆発は最終的な仕上げであって、都市消失の本質的要因ではない」

「か、核爆発だと!」自警団長は大声を出す。

「そうだ。統合移民局は都市の基盤に、その要因がある。という仮説をたてている。だが、いま言ったように、それは仕上げなのだ。ここは私を信頼して、指示に従って欲しい」

 彼は私よりも詳しい情報を持っている、と匂わせた。


 どうしても言うことをきかせるつもりか。


 私はそれ以上何も言わなかった。これ以上議論しても無益だ。

「さあ、わかったら外にスキャナを設置してくれ。時間もない」


 目の前の数字は33:58:43になっていた。



       12


 クラッフワースとその部下たちは、それぞれ緑色のライナーホースに乗り、ルゴの周囲に散開していった。

 私も自分の機体に乗り込み、ルゴ北西に進路を向ける。

 移動プラントの残骸は、右手のウィンドウからよく見えた。

 ライナーホースに設置された無線機から雑音に混じり、不明瞭な声が聞こえる。

 クラッフワースと部下たちのやりとりだ。

 周波数を彼らのものに合わせていても、やはり聞き取りづらい。朝の空気の澄んだ時間帯では、この星の電波攪乱の影響を強く受けるのだ。

 スピーカーから雑音混じりの音が出てきた。


 ≪ザ……ッケイ……ザッ……マッケイ、聞こ……ザか?≫


 いらいらするほどもどかしい。

 テレパシー通話とくらべダイレクト感に欠けるし、クリアな音声ではないから、コミュニケーションに誤解や誤謬も発生しやすい。


 無線は無視し、手早く作業を済ませようと決めた。


 都市の北西数キロ地点で乗機を停め、防護服を着込んで外に出る。

 外装にワイヤーでくくりつけたパッケージの中から、軍用の拠点防衛用スキャナをひとつ取り出し、手早く組み立てた。


 まだ風も少ないから、腐食風の影響を心配する必要はない。


 拠点防衛用スキャナは、音声モニタ、ビデオカメラ、対人対物センサー、動体センサー、威嚇、および自動迎撃用のビーム兵器を装備している。

 腐食風の影響下にある屋外に年単位で長期間設置することは無理でも、有事の設置では敵の存在をいち早く知り、その侵攻を妨げるバリケードの役割を果たす。


 クラッフワースの取り扱う密輸兵器の中でも、需要の多い商品らしい。


 同様の手順で、数百メートルごとに十機程のスキャナを設置すると、私はそれぞれのスキャナから有線コントロールのケーブルを引っ張り、ひとつにまとめた。

 数十機のスキャナを同時接続可能というコントロールパックを、広がったスキャナ群のちょうど中間に来るように位置させ、最後に、ケーブルをまとめてコネクタをコントロールパック背面のソケットに刺した。


 ライナーホース後部に溶接したコードリールから防錆加工皮膜のついた延長ケーブルを引き出し、コントロールパックの入出力端子に接続すると、私はリールから引き出されるケーブルを断線させないよう、車輌をゆっくり走らせた。


 途中、何度もケーブルを継ぎ足しながら、移動プラントの入出口に戻る。


 東街区にはほかのライナーホースの姿はなかった。

 どうやら一番乗りのようだ。


 カウントダウンは目の前でちょうど32:02:11になった。

 屋外で二時間ほど作業をしていたことになる。


 考えてみると、これはこれで親切なシステムなのかも知れない。


 危険を危険たらしめているのは、それが予想もつかない、と言うことだ。

 危険が迫っていることを予め知っていれば、それは回避も可能だと思えてくる。

 三十時間後に都市消失の危機があるとすれば、その前に安全なところに逃げるか、それが無理ならこうして抵抗の準備をすればよい。


 にわかに、このままルゴを離れてしまえ、という誘惑に駆られた。


 私のライナーホースはここにある。いまなら、誰も見ていない。

 背後で大きな音を立て、小型車輌専用口は開きはじめた。

 私はその音に跳び上がる。

 あわてて、戻ってきたのは誰かと確認した。


 クラッフワースだった。


 自警団長は深緑色のライナーホースから降りると私の脇を通り、洗浄用合成石灰のノズルを取った。

 車体洗浄をはじめるつもりなのだ。

「洗わないのか?」

 やつは作業の合間にそう尋ねてきた。私は返答の代わり、肩をすくめる。

「ライナーホースを愛してねえな」

 私を見て、あきれたようにそう言う。

「あんたは愛しているのか?」

 その問いに、やつも肩をすくめ、答える代り別な質問を寄越した。

「なぜ、さっき返事をしなかった?」

 無線通話を無視した件だ。理由を話すのもめんどうくさいから、適当にとぼけた。

「何の話だ?」

「繋がらなかったのか? まあしかたないか、無線じゃな。ところであんた、スキャナの設置は早かったな。おれより早いとはね。さすがに元電設工ってとこか」

 否定も肯定もしなかった。


 電設工だったことは、ある。


 けれど、なぜかその記憶は自分の中で、ひどく弱々しかった。

 目の前のカウントダウンのせいで、当時のことは、なぜかうすぼんやりとした情景としてしか、心に浮かんでこなかった。

「聞いてねえのか? それとも、あれか? それも巡回保安官ってのと同じで偽装か?」

 私の考えている間も、やつは何かしゃべっていたらしい。

「いや……」

 クラッフワースの作業をただ眺めているのもばからしくなり、仕方なく私も自分のライナーホースを洗浄しはじめた。

 危機はもうそこまで迫っているらしいのに、なぜかふたりともその作業に没頭していった。


「なあ、保安官……いや、調査官だっけ」

「スルトでいい」

 もう巡回保安官としてふるまう必要はない。

 ことばづかいにも気を遣うことはなかった。

「あの男は、あんたの同僚なのか?」

「調査官、という身分で言うならそうだろうね」


 ロミリオン自身はまだ私以外の誰にも自分の身分は明かしていない。

 実際は同僚どころか、所属している部署さえ違う。

 彼は統合移民局の軍制部先端技術課に籍を置く先任将校だ。

 階級は少佐。


 一方、私は統合移民局の……


「そうかい。おれが言うのもなんだが、あいつはどうも信用ならねえ。何かまだ隠してるような気がする。……まあ、お互い立場も違うってのに、こんなことを言ってもしょうがないんだがね」

 クラッフワースに生返事で答えながら、私は別のことに気を取られていた。


 私の所属は統合移民局の……その後をどうしても思い出せない。なぜだ。


 その矢先、生帯にコールを受け取る。

 脳裏に浮かぶレッキイのイメージで、本人からの直接通話だとわかった。


 <スルト>

 <どうした。なにかあったのか?>

 <これから手術に入るわ。しばらく通話できなくなるの>


 DNAの検査結果について訊ねる必要はなかった。

 手術は実施される、という事実で、その結果は明らかだからだ。


 ――そうか


 頭の中でぐちゃぐちゃに搔き乱れる思考を止めたかった。


 <……大丈夫かい? ホープの容態は?>

 <ええ、変わらないわ。まだ大丈夫、たぶん。……そっちは?>

 <なんとかやってる>

 <そう……>


 ことばにならない想い、というものはある。しかしテレパシーによる思考と感情の伝達は止めきれない。

 彼女は私の思考、そして気持ちをどう受け止めたのか。


 <スルト、愛してるわ>


 彼女はそう言ったきり、通話を閉じた。

 寸時ためらい、ことばを返せなかったことに悔いを残す。


 外で作業を終えた自警団員たちは、私たちの洗浄作業が終わるころ、続々と発着場に戻ってきた。


 カウントダウンはいましも31:31:00を切るところだった。

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