第一章 リサーチ(調査)



       1


 ライナーホースの中で迷っていた。


 首なし馬のような外見をした、その多輪多脚バギーは、四本のメカニカルレッグで地を蹴り走る。

 予備車輪を背負っているというのに、揺れは思ったほど少なく、快適この上ない。

 だから自動操縦にしておけば、運転席にいながらつまらない問題にも落ち着いて取り組める。


 赴任先の小都市ルゴでは『私』を使うべきか、『オレ』と称するべきか。


『私』ではエリート気取りと思われないだろうか。


 客観的で分析的な視点と論理的な話を得意とする、三十歳目前の独身男。

 調査官という職業にはぴったりのイメージだ。

 しかし、親しみには若干欠ける。

 怜悧で鼻持ちならない若造という印象を持たれては、調査対象の反感を買い、仕事にならない可能性もある。


『オレ』ならどうか。


 少々下品で親しみのわく人物イメージかもしれない。

 粗暴にふるまうことで男らしさを誇示するマヌケ青年なら、年相応にも見えるだろう。相手の油断を誘うこともたやすい。

 けれど普段から頭の弱さを印象づけていては、必要なとき必要な人物の信頼や協力を得られないかも知れない。


 どちらにしたものか決めかねていると、一瞬めまいに似た感覚をおぼえる。

 自意識内に喚起されるのは黒い箱のイメージだ。

 箱の側面についたラベルで統合移民局の通話要請だと分かる。


 本部からだ。


 そのまま思考で接続を承認する。

 頭部の中心に何かを注入される感覚とともに、相手のことばが意識内へ次々浮かんできた。

 <異常はないか>

 そのことばの浮かぶ間に、相手への返答を思考していく。

 <順調です、目的地まであとわずかです>


 通話の相手を誰か知らない。


 いま回線を直接的に接続しているのは、テレパシーでの代理通話を可能にする、サイボックスというテレパシー中継機だ。

 統合移民局のそれは、先ほど喚起された意識内のイメージ通り、実際にも黒く塗られた箱形の外見をしている。


 <送付した資料は見ているな>

 黒箱の先にいる本部の誰かは、そう確認してきた。

 <五年前の記事、移民局の調査結果、現場映像、とルゴの資料、四種類あります>


 膝に乗せたコンピュータの画面を見て、数日前に届けられた資料の概要を意識で言語化する。

 右上腕部へ人工的に付与された有機移動体通信端末は、腕の神経網を通じて言語データをあらわす信号を検知、全ての人間に生来備わっているという中脳のテレパシー機能を作動させる。

 リ・サイバネティクス技術を用い肉体と不可分となった右腕のそれは、生きて帯びるという意味で、通称『生帯』と呼ばれていた。


 相手はすかさず指示を送ってくる。


 <よろしい。スルト・マッケイ、ルゴでの身分は巡回保安官だ。重要施設への立ち入りも都市管理者の権限なく行うことができる>


 ――巡回保安官か、ならばもう決まりだな


 <なにか?>


 その思考をわずかにキャッチしたらしく、相手は訊き直してきた。

 通話に乗せず、純粋に思考するのは難しい。いままでうまくいったためしはない。


 <いえ、いまのは思考です。ありがとうございました>


 私は通話前のつまらない問題に一瞬でけりをつけ、礼のことばを送信した。

 <良い調査結果を期待している>

 脳裏に浮遊する文字列を認識したとたん、急に頭から力が抜けた。通話は一方的に打ち切られた。

 右上腕部に突出する、ふたつのイボ状スイッチの片方を押し、生帯と脳髄との接続を切る。


 これでもう自称の問題に悩まされなくて済む。


 巡回保安官なら、若くても『私』と称するほうがいい。警察権を持つ人間が『オレ』などと野卑に聞こえることばを使うと、それだけで相手は嫌悪感を抱き、警戒するだろう。

 生意気に見えても礼儀正しく、丁寧に。

 潜入調査の基本だ。 

 膝上のコンピュータを操作し、私は心おきなく資料の読解に没頭していった。


 移民都市ロートランドの事件を再度確認する。


 人口五十五万人。

 四十九平方キロ四方に広がる十個あまりの大ドームに保護された、北アメリカ大陸圏系移民の多い人口密集都市だった。

 多くの移民都市が、いまだ土壌改良と農地開墾に苦労を重ねるなか、ロートランドは、自都市の基幹産業をギャンブルとその他の遊興に定め、交易と観光とを主な収入源にした。

 移民星アルファメガ中随一とも言える類を見ない繁栄に、他の都市はその成功をうらやみ、自都市発展目標のひとつとしていた。

 自給自足が当たり前とされる惑星移民都市の中でも、彼らはひときわユニークな存在だったのだ。


 その結末さえも。


 ロートランドは忽然と消失した。


 ライナーホースに乗り、数千キロの道のりを走破した若者たちは、目的地でのめくるめく遊興と快楽のかわり、巨大なクレーターに遭遇する。


 それはロートランド跡地、とでも言うべき大穴だった。


 彼らの通報により、ロートランド消失の事実は、たちまちこの星の全都市に知られるようになった。


 実は百年ほど前から、何らかの理由により住民ごと都市が消え去るという『都市消失』の話があった。


 いまでは、それは単なる噂話の域を超え、ほとんど伝説となっている。


 なかには、惑星移民に適するよう改造を施されたこの星の『意思』による復讐説やら、発見されてもいない先住民の霊魂による呪いという、他愛ないオカルト話まであるほどだ。


 アルファメガ上の全移民都市を支援、管理する、統合移民局という名の世界政府組織がようやく機能しはじめたのはわずか十数年前に過ぎない。

 この星の都市群について、ある程度実情を把握できるようになったのもごく最近のこと。つまり、五年前に起こったロートランドの事件は、惑星移民開始以来はじめてリアルタイムで公的な記録に残る『都市消失』事例というわけだった。

 

 最新の調査では、この百五十年の間に人知れずいくつかの都市が、実際に消失していると確認されている。いまやそれは、伝説や噂の類ではなくなった。


 私、スルト・マッケイは、統合移民局の『都市消失』専任調査官なのだ。



       2


 本部から送られてきた資料のほとんどは、既知の資料と同じものばかりだったが、一部には興味深い極秘資料も散見できた。

 しばらく新たな情報へ目を通しているうち、いつしか、不穏な車体の揺れに気づく。視線を外に移すと荒涼とした平野の先に、豆粒のように小さく都市ドームの姿を認めた。


 目的地の小都市ルゴだ。


 ライナーホースの揺れはさらに激しくなった。

 土壌改良の影響なのか、ルゴ周辺の表土はかなり固くなっているらしい。


 一般的に判断するなら、表土へ散布する合成石灰に、その原料となる生石灰の含有量が少ないと土壌は固くなりやすい。おそらく広い面積を一度に開墾するため、割当の少ない生石灰を他の化学物質で補填し、土壌改良を強行したのに違いない。

 移民都市の周辺にこういった土地は多い。


 再び前方を目視で確認した。

 酸性土を中和する際に掘り返された表土には何本もの溝がうねとなって残り、赤味の強い陽光に照らされたその影は、地表を毒々しい色の縞模様に彩っていた。

 溝の列は、まるで地表に残る傷跡のように、はるか遠方の都市ドーム付近へ途切れることなく続いている。それはルゴの農地開墾計画の失敗と頓挫を示す、隠しようのない証拠にも見えた。


 車体の揺れはますます大きくなり、否応にも転倒の不安をかき立てる。


 私の乗るライナーホースは優秀なダンパーと有機制御メカニカルレッグのおかげで、平地なら多脚走行でも快適なドライブを期待できる仕様だ。けれど表土の固まったでこぼこ道では、足を取られ横転する危険性も高い。

 多輪走行に切り替えた方が無難かもしれない。


 乗り物を停止させ、身につけている耐酸性の防護服各部に隙間のないことを確かめた。忘れず幅広のつば付きヘルメットを装着する。カウボーイハットのようだと陰口のたたかれる官給品だ。

 つばの縁から噴出されるエアカーテンは、強酸性土泥地区特有の腐食風から強化プラスチック製のフロントバイザーを保護する、極地の必須装備でもある。


 車外に出て億劫な作業へとりかかる。

 停車中のライナーホースは、馬の首にあたる部分がないため、膝を折り主人にかしずく幽霊馬のようにも見えた。

 車体後部にまわり、本物の馬であればちょうどしっぽのあたりにあるレバーを力一杯押し下げた。

 メカニカルレッグがゆっくり上方に向かい折りたたまれていく。

 ここからようやく全自動で車輪に切り替わるのだ。


 車内からスイッチひとつで済むオプションはさほど高価ではないはずなのに、さすが官給品だけあってメーカー標準装備のままだ。

 わずかのコストを惜しみ、勤労意欲を著しく減退させる手法にかけて、行政機関に勝る組織はない。いや、この場合はむしろメーカーのサービスポリシーの問題か。

 顧客へのちょっとした配慮で、スイッチ付きを標準としておけば済む話だろうに。


 のろのろ動くメカニカルレッグの動きを注視しながら、私は足下の土をつま先で掘り返した。表土の固さは防護ブーツの分厚い内壁クッション越しにも確認できる。

 やはり生石灰割り当て率の低い小都市にありがちな、自前の配合による低級な合成石灰を使ったのだと確信した。

 肝心の土がこの固さでは土壌の酸性度は中和できても、農産物はまともに育たない。食料の自給自足を急ぐあまり実施される化学的土壌改良の大きな欠点だった。



 グリーゼ674恒星系第二惑星アルファメガへの移住に先立ち、地球人類はこの星の大気と土壌を惑星改造技術――テラフォーミング技術――により大幅に変化させた。希薄な大気は事後、酸素含有量十八パーセントと、地球より若干薄い程度にまで改善されている。


 幸運にもグリーゼ674恒星系には、宇宙空間に浮遊する無数の氷塊も確認されていたから、地球人類はそれを運んできて、惑星上空で溶かし、水分の少ないアルファメガに大規模な雨を降らせることに成功した。

 それはまるで旧約聖書にあるノアの遭遇した大雨のように地表へと降り注ぎ、ねらい通り大洪水を生み出した。

 人工降雨はアルファメガの海洋面積を大幅に増やし、対流する大気を生み出す。

 この星は人類の生息に適した湿度と温度を維持できるようになった。


 だが、大量の雨水は星の表土を著しい酸性に変えた。


 場所によっては土中の成分と化学反応を起こし、塩酸並みの強い酸性土泥を持つ地域もあるほどだった。

 それゆえ、この惑星に住む人類は移住開始以来百五十年経っても、いまだ、日々その悪性土壌に立ち向かわなければならないのだ。


 防護服のベルトから双眼鏡を取り出し、風防ドーム外壁を探査してみた。肉眼では豆粒程度に見えた小都市も、光学とデジタルの複合処理で拡大され、その姿は私の網膜へ鮮明に投射される。


 ルゴは強酸性土泥地域に位置する都市だ。


 このあたりでは表土が風に巻き上げられると、空中の水分と土中の成分同士の化学反応により、物質を腐食させる成分を含んだ『腐食風』となって吹きすさぶ。

 見立てたところ、都市を囲む風防ドーム外壁の腐食具合は、防錆メッキ上に見られるピッティングコロージョン(点蝕)の大きさから判断しても、もって数年だろう。

 資料によれば人口約五千人、直径約三キロとある。

 小都市と呼ばれるにふさわしく小規模なつくりであっても、都市全体を覆う風防を一度に全部取り替えるとすると、それなりに手間と時間、さらに費用のかかる大工事になりそうだ。


 落ち着いたら市の担当者に連絡しておこう。


 巡回保安官の仕事範囲ではないにせよ、外壁の修復を進言する名目で会い、そこから都市に関する情報をいろいろ聞き出せるかもしれない。

 双眼鏡をしまい、私はライナーホースに乗り込んだ。

 自動走行機能をマニュアルに切りかえ、残りの道程は安全のため自分で運転していくことにした。

 


       3


 ルゴの外壁をくぐると、私のライナーホースは古くささ漂う気密室に通される。

 内壁にそれと分かる標識が剥がされもせず残っていて、宇宙船の貨物口を流用したものらしいと知れた。


『中和剤を散布します。気密確認をお願いします』


 構内にサンプリング音声のアナウンスが響く。全自動で洗浄プロセスを行うのだ。

 急いでエアコンを内気循環に切り換え、外気の流入を防いだ。

 運転をマニュアル操作に切り替えると、他のすべての操作も手動となる仕様だけはなんとかしておかないと、いずれ生命に関わる大きな事故となるだろう。

 どこかですでに起こっているかもしれないが。


 面倒くささと、諦観のないまぜになった気分のまま、酸素ボンベのバルブを開き、準備完了の合図として前照灯を数回明滅させた。

 ブザー音とともにライナーホースの外装に付着した酸性土を洗い流すため、気密室のあちこちから合成石灰が轟々と噴出される。

 その白煙はみるみる室内を満たしていった。


 いよいよ洗浄作業の開始だ。

 かすかに合成石灰特有の合成アーモンドのような臭いを感じる。

 このライナーホースの気密も、それほど完璧ではないようだ。

 

『都市消失』専任調査官に任命されてから、私はアルファメガの各地を転々としながら、ロートランドのように消失する可能性のある都市はないかと、潜入調査を重ねてきた。


 移民星アルファメガは母星である地球とは異なり、人類移住のため急速に行われた惑星改造の悪影響で、腐食性の強い酸性土壌ばかりか、電波の乱反射を引き起こす大気層を持つようになった。

 それらは現在もこの惑星上に遠距離情報通信網を敷く大きな障害となっている。

 そのうえ、地球からの移民船団は当初から、それぞれ勝手な場所に着陸し、めいめい独自に大小様々な都市を無数に開拓していた。

 結果、都市同士の情報伝達は移民元である地球の数世紀前程度にまで後退していた。

 都市消失に関しても、統合移民局の設立まで長い間、その真偽すら確かめられなかった背景には、そういう事情もあったのだ。


 私の調査は、統合移民局がロートランド跡地を綿密に調査し導き出した、都市消失要因の仮説に基づき実施される。


 ――突然起こった大地震の影響で、もともと弱かった地盤は陥没し、その際にできた大穴は、市民ごと都市を飲み込んだ。ロートランドは大規模自然災害により壊滅した――

 統合移民局はロートランド事件に関し公式にはそう発表している。


 たしかに周辺地盤は弱かった。


 しかし、第一次調査団の極秘レポートによると、地盤陥没は、自然災害などではなく、実は地中深くの核爆発がひきおこした人為的なもの、あるいは事故、であると明言されていた。


 調査団はロートランド跡地の巨大クレーターから放射性反応を検出していた。


 その後、第二次調査団により、核爆発の要因について、いくつかの信頼に足る仮説も立てられている。

 むろん、それは仮説段階なのでまだ公表することはできない。

 私のような調査官が身分を隠して都市へ潜入するのは、都市消失の実態がつかめるまで、いたずらに世間の不安をあおるような情報の流布を防ぐためでもある。


 ところで今回送付されてきた極秘資料の中には、いままでの仮説を覆す驚くべき資料も封入されていた。

 私の知らない情報――それは、ロートランド跡地のクレーター底部を調査していた第四次チームの最新レポートだった。


 彼らは深さ数百メートルにも達する穴の最底部を掘り進め、最新のセンサーで綿密な探査を行ったものの、調査期間中、ドームの破片や都市の残骸、ひとりの遺体も発見できなかったという。

 その結果、信じがたい仮説が導き出されていた。


 ――つまり、大地震が起こったときには、すでに都市は何らかの理由により消失していて、そのかけらも残っていなかったと推測するしかない――


 いずれにせよ、都市消失の謎は未だ完全には解明されていないということだ。

 したがって専任調査員による都市潜入調査は、この先も当分各地で続けられることになるだろう。

 しかしながら、これまで私の実施した調査では、都市消失の要因仮説に示されている『あるもの』と出会ったことはなかったのに、このルゴでは早速、その痕跡らしきものを発見した。

 新たな信じがたい仮説を調査にどう反映させるかなどより、それを手繰り、都市消失の手がかりを得たいところだ。

 中和剤による白煙の向こうに、うっすらと気密室の壁面と標識とを再確認する。

 私の期待感は否応なく高まっていった。


『中和洗浄、終了しました。前にお進み下さい』

 自動アナウンスの終了と同時に気密室の都市側出口も開く。

 私はライナーホースを徐行させ、出口のすぐ先にある駐車用ハンガーに停めた。


 車を降りて入出管理事務所に向かう。

 窓越しに、中で待機している係官の姿も見えた。

 屋内だというのに、テンガロンハットをかぶっている。

 資料に、ルゴは北アメリカ大陸圏系移民の開拓した都市、とあったことを思い出した。どうやらこの都市は惑星移住を安っぽいアメリカ西部開拓イメージと重ねる、懐古主義者たちの住むところのようだ。


「商売? 観光? まさか観光じゃないだろうね?」

「いえ……」

 事務所にはいると、テンガロンハットを目深にかぶる初老の係官に出迎えられた。手厚く歓迎を受けるという期待感はなかったものの、自都市を訪れる人間に対しリップサービスひとつないどころか、詰問口調の乱暴なことばづかいに戸惑う。


 これまで訪れたどの都市とも異なる対応。


 彼の背後の壁には<ようこそルゴへ!>と、にぎやかな明滅を繰り返す動画印刷のポスターも掲示されているというのに、訪れるものはみな不逞の輩とでも考えているのだろうか。

「じゃ、生体鍵の認証を」

 係官の無愛想なことばに私は無言で右袖をまくり上げ、上腕部を露出させた。

 彼はそのあいだ腕組みし、監視するかのような視線でじっとこちらを見ている。

 

「認証用サイボックスはどこですか?」

「後ろ」

 係官は早口でそう言い、私の背後を指さす。

 黒箱は入り口脇の壁際にあった。

 箱の側面に資料で見たルゴの市章と識別番号が、鮮やかな緑色で印刷されている。

 その入出認証専用サイボックスに近づくと、私は箱から出ているコード付きリング右上腕部をくぐらせ、肘関節近くにある生帯の制御部付近で止めた。


 上腕部のリングは生帯の作動をキャッチするセンサーの役割を果たす。

 ついで二進数四十桁にも及ぶ、自分の生体鍵番号を入力した。

 右腕にふたつあるイボのようなスイッチの左側を軽く押せば0、長押しすれば1と認識されるのだった。

 生体鍵の認証は専用サイボックス経由でセルフコールをかければ完了する。


 個々人のDNAを二進数で表す生体鍵番号と、自身の細胞から培養されている生帯のDNAとに一致があれば、偽造不能で確実に本人を特定できるという原理だ。



       四


 背後に係官の視線を感じるせいで、何回か押し間違う。

 右側のイボ状スイッチを押し、直前の入力をリセットする。

 四十桁と膨大な桁数だが、物心つく頃からそらで暗記している自分の番号のはずなのに、なぜか苦労して生体鍵番号を入力し終わると、イボ上スイッチの二つある右上腕部を左手で握るようにして、同時押しした。


 自分の生帯への通話要請。


 たちまち目の前のサイボックスはぶぅんという振動音とともに作動する。間髪入れずめまいにも似た通話コールを受け、自ら頭の中をのぞくようなその感覚に、逆に嫌悪感を覚えた。


「巡回保安官?」

 驚くような声だった。

 背後の係官はたったいま認証されたばかりの私の個人情報を、受付のモニターで確認したのだろう。

 偽の身分情報も、本部から事前に無事届けられているようだ。

「ええ、前任者の替わりが来るまでのつなぎですがね」

 彼をふり返り、到着する寸前、頭に入れておいたこの都市に関する諸資料を思い返す。ルゴの保安官は五年ほど前に事故死しているとの情報だ。

「ビルズの替わりにしちゃ遅い派遣だな。それに随分若い」

「いえ、あくまで『つなぎ』です。『替わり』ではなく」

「それでも保安官なんだろ、あんたは?」

「まあ……職務上は」


 係官の口調は急に砕けた調子となった。


 巡回保安官は統合移民局直属の派遣公務員だ。

 都市ごとに雇用される都市定住保安官より大きな権限を持たされているだけで、職務内容にその差異はほとんどない。

 同じ公務員ということで、仲間意識でも芽生えたのか。

「そうかい、いや、悪かったね」彼は肩をすくめた。

「統合移民局の調査官が来るって言うんでね。あんたがてっきりそうかと」


 ――なんだって?


 もう少しで、そう聞き返すところだった。

「へえ、そうなんですか?」

 私は内心の驚きを隠し、何気なく装う。

 この男は私の偽装を見破り、カマをかけているのか。

「中央から来た人にゃ、マニュアル通り接遇しなきゃ、あとでどんなお叱りを受けるか分からないしな。だからつい緊張してね。ルゴにようこそ、保安官」

 初老の係官は今度こそビジュアルポスターの文言にふさわしく、満面に笑みを浮かべながら歓迎のことばを口にした。


 ――いったいどんなマニュアルを使ってる


 ここ数分間、彼の接遇から受けた印象をふり返り、内心でそう毒づきながら、その挨拶に作り笑いで応える。


「しかし、統合移民局から同時期にふたりも人間が派遣されるなんて珍しいですね」

 念のためさらに状況を探ろうと試みた。

「そうだね、ええと……マッケイ。スルト・マッケイ保安官?」

 彼はモニターを見て私の名を確認した。その態度を見る限り、正体がばれたわけではなさそうだった。

 本当に本部からもうひとり調査官がここに派遣されてくるらしい。

「スルトでいいですよ」

 ほっとしながら、努めて気さくそうに答えた。

「オーケー、スルト。まあ、だけど、替わりの保安官をよこしてくれっていうのは、これまで何回も移民局に要請しているから、たまたま重なっただけなんだろうな」

「なんて名前です?」

 自分ではない移民局の調査官とは誰なのか。

「ん? わしはジェイスン」

 初老の男は制服につけた自分の名札を指さした。

 しかたなく、出されたジェイスンの手を儀礼的に握った。

 これが私の油断を誘う演技なら大したボケぶりだ。

「あの、調査官の名前です」もう一度、主語を明確にし、言った。

「ああ……それは」

 ジェイスンはふたたび眼前のモニターに目を落とすと、眉間にしわを寄せ、文字を読み上げた。

「ロミリオン。ガスク・ロミリオンとか言うらしいね」


 聞き覚えはない。


 私は都市消失事件の専任調査官だから、別件なのか。

 だが、専任調査とはいえ、身分を偽っての調査には時間がかかり、ひとつの移民都市に何週間も滞在することはざらだし、仮に都市消失の件以外に調査すべきことがあっても、直接私に指示を出した方が早く、手間もかからないはずだった。


 行政機関は、末端の業務に無駄の出ることを極端にきらう。


 それなのに、統合移民局が僻地の小都市に貴重な調査官をもうひとり派遣する? ふたりも? あり得ない話だ。

 内心、本部の意向を計りかねていると、大声を上げて、事務所に若い男が駆け込んできた。



「ジェイスン、また騒ぎだ! 今月はもう五回目だ」

 ジェイスンと同じ制服を着ている。

 この男も入出管理事務所の係官のようだ。

 若い係官は興奮した様子でしゃべり始めた。

 早口でよく聞き取れない。

 ジェイスンは横目に私を見つつ、若い同僚を落ち着かせようと手で制し、答えた。

「大丈夫だ。新しい保安官がたったいま到着したところさ」

「何事です?」

 偽りの身分とはいえ、職務上そう尋ねざるを得ない。

「決闘だよ、決闘!」と、若い係官は私に向き直る。

「決闘、とは?」わけがわからない。

「保安官、銃は持ってるだろうね?」

 唐突に、ジェイスンは念を押すように言った。

「銃が必要なんですか?」

 思わずそう言い返していた。

「そりゃそうだろう、あんた、保安官なのに決闘を止めさせないのかね?」

 言うなりジェイスンは受付カウンターを飛び越え、事務所の出入り口に向かった。


 彼の発言ももっともだ。


 私の身分は既に決まっていた。

 巡回保安官ならば、赴任された都市の治安維持に努めるべきだろう。


 たとえそれが<偽装>であっても。


 到着したばかりなのに、正体も知れない別の調査官の話の次はなにやら物騒な事件らしい。

 今回の都市潜入は、開始早々まったく予想もつかない方向に進んでいく。

 期待半分、厄介応分ということか。


 装備リストを思い返し、慎重にことばを選ぶ。

「熱線系の銃ならあります」

「焼き殺そうってのか!」

 若い係官は目を剥き、抗議まじりの大声を上げた。

 少なくとも初日から、偽装した身分に疑念を抱かれるような言動は避けるべきだ。が、この場合は何が適切な選択になるのだろうか。

「ま、麻痺銃は?」

「それを持って早く来てくれ!」

 もう事務所の外に出ていたジェイスンは大声で私を呼んだ。


 若い係官の乗ってきたドーム内専用四輪バギーは、玄関口でアイドリング状態のまま停車していた。

「早く、保安官!」

 いち早く助手席に乗り込んだジェイスンは私を手招きする。若い係官も運転席に座り、叱るような口調で怒鳴ってきた。

「早く乗ってくれ! また死人がでちまう!」

 言われるまま、ともかく、彼らに同行することにした。



      5


 ルゴの中心部へは、わずか数分の距離だ。

 にもかかわらず、軽く車酔いにかかり、むかむかする胃をなだめるのに苦労する。

 張り切ってバギーをとばす若い係官の運転のせいだ。


 ドーム内でこんな運転なら、メカニカル・レッグで最大速を出す、ライナーホースの自動操縦の方がよほど優秀に感じる。

 ほどなく未舗装の道路を歩く人の群れに遭遇した。

 彼らの背後にルゴの中心街とおぼしき建物群も見える。


 決闘の現場はその中らしい。


 若い係官はバギーを徐行させ、車の脇を通り過ぎようとした中年男に大声で叫ぶ。

「ねえ、どうなったんだよ! 決闘は?」

「終わったよ」

 中年男は短く答え、足早に歩き去った。

 バギーで来る途中ジェイスンに聞いた話では、ルゴでの決闘は珍しくないという。

 合法ではなくとも、ここでは個人同士のいさかいを司法に委ね、下手に結果を長引かせるより、決闘で決着をつけるほうがいいと考える住民も多いのだそうだ。

 ただしここ数年は決闘数の異常な増加に伴い、治安維持上、できるだけ決闘をしないよう推奨されているとのことだった。

 決闘後の敗者家族や友人による復讐はもちろん、厳重に禁止されていた。


 ――いっそ全面禁止にすればいいのに


 これが、都市ごとにあるローカル・ルールのおかしくて恐ろしいところだ。


 統合移民局は、都市独自の法による自治権を認めている。

 国や民族、出自の異なる移民たちをひとつのルールで制御するのは難しいと考えたからだ。

 アルファメガには移民元となる地球のような「国家」という概念は希薄なうえ、そもそも国家自体存在しない。

 都市ごとのコミュニティがすなわち「国家」そのものとも考えられているくらいなのだ。


 そういうわけで、初期移民たちの制定した独自の律法は、他都市との比較で考えられたわけではないから、ひと口にローカル・ルールといっても、独りよがりで突拍子もないものがたくさん存在する。


 ルゴの『決闘』も、きっとそうしたもののひとつだろう。


 北アメリカ大陸圏移民が開拓し、現在もその子孫の多い都市ということだから、ローカル・ルールも数世紀前のアメリカ中西部を彷彿させるものを、ということかも知れない。


 私たちの乗るバギーは街の突端と思われる、背の低い建物の並び立つ通りに入った。こちらに歩いてくる人の数はどんどん多くなる。

 数百人規模の異様な光景だ。


 通りすがる人々は一様に暗い顔でうつむき、無言のままだった。

 決闘の結果はよほど凄惨なものだったと予想される。

 人の群れに妨害され、バギーはとうとう進めなくなった。

 私たちは車を降り、徒歩で先を目指すことにした。

 若い係官は先頭をつとめ、怒鳴り声をあげ人をかき分けていく。

 興奮はまだ収まらないのか、口を開くたび大量につばを飛ばした。

 飛沫の幾つかは私の顔にもかかる。

「どいてくれ、保安官だ! 新しい保安官が来た!」

 保安官、ということばに反応し、私に注目する者もいた。

 耐酸防護服のインナースーツのままだから、一目で外部の人間だと分かるようだ。


 すれ違うルゴの市民はみな街の雰囲気にふさわしく、帽子にせよ服装にせよ、どこか西部劇風の出で立ちをしている。


 新しく保安官が来たことで、事後の状況はどう変わるのか見物しようと、あとをつけてくる市民がひとりもいないのは不思議だ。

 新参の巡回保安官など、何の役にも立たないと思っているのかも知れない。


 突如、人の流れは途切れた。

 すぐ先に目指す場所のあることを知る。

 人垣の無くなったおかげで視界は大きくひらけ、少し歩くと背の低い木造の建物に囲まれている、広場らしき場所に着いた。

 場の中央には噴水とおぼしき円形の構造物も設置されていたが、水は出ていないので、実は噴水ではないのかも知れない。


 そのすぐ脇で、数人の男女がなにやら言い争いをしていた。

 決闘はそこで行われたらしい。

 あたりにはプラスチックと毛髪の焦げたような臭気も漂い、見ると、男女から少し離れた地面には、塗料でもこぼしたのか、黒々しい大きなしみと、その上に二本の黒い木炭が放置されていた。


 木炭と思われたそれが、熱線銃で撃たれた人体の焼け残った2本の足だと気づき、私はぞっとした。

 地面の黒いしみは猛烈な熱線を受け瞬時に炭化した人間のなれの果てだった。



      6


「もう一度訊くわ。ちゃんと答えなさい!」

 唐突な大声。

 広場の女は、いまにも飛びかかりそうな勢いで目の前の男に食ってかかっている。

 場に響くその声は、甲高いけれどもヒステリックな声色ではない。むしろ朗朗としながらも威厳を保っているように聞こえた。

 こちらに背を向けているので、その表情までは確認できない。


「もう二度も答えただろうがよ!」

 向き合った男もまた町中に響くような大声で、威嚇するように怒鳴り返していた。


 東洋系の顔立ちをしている。


 背も高く、体格のよい、いかにも腕っ節に自信のありそうなタイプだ。

 言い争いの場にいる男女は全員テンガロンハットかカウボーイハットをかぶり、ホルスターに入った拳銃を腰のガンベルトにぶら下げていた。

 あちこちの都市を巡回してきた私でさえ、一瞬ここは体感式立体映画館の中かと錯覚するくらい、その光景は時代錯誤的だった。


「ボイステスターにはネガティブの反応が出ているの。正直に答えるのね、ナイス」

 怒声に少しもひるむことなく、彼女は大胆にも手に持った録音機兼ウソ発見器を、ナイスと呼んだ男の口元に、激しい勢いで突きつける。

 ナイスは目の前の機器をにらみ、今度は小さく、くぐもる低い声でしゃべった。

「……やつは撃った。おれは、……撃ち返した」

「いい加減にして!」

 女はボイステスターを差し出したまま声を荒げる。


「なあ、レッキイ。おれは最初から見てたが、ナイスの言ったとおりだ。これは正当防衛なんだよ」

 ナイスの横にいる小太りでひげ面の中年男は、おもむろに口を開いた。

 表情に張り付いた笑みは、なんとも陰気くさく、わざとらしく作ったのだろう。

「気安く呼ばないでコナーズ。あんたには訊いてない。グルでしょ、ふたりとも!」

 レッキイと呼ばれた女の口調は苛立ったような響きとなり、ますますきつくなる。

 コナーズは目をしばたたかせ、再度わざとらしい笑みを浮かべた。

「まあ、同じ自警団仲間だから、そうとられても仕方ねぇが。けどよ、保安官助手には逮捕権はないんじゃねえのか?」

 仲間と聞いてナイスとコナーズをよく見ると、なるほど、たしかに二人は揃いの茶色いベストを着ていた。

 同じ組織に所属するユニフォーム代わりということらしい。

「それに証拠もねえ、証人もいねえ。ケンカを見てたやつらはみんな仕事に戻っちまった。ほら、もう誰もいねえぞ」

 にやけ中年、ひげ面のコナーズは大仰に手を挙げ、証人になりそうな人物はもう誰も広場に残っていないことを確認するつもりなのか、あたりをぐるりと見渡した。

 と、その動きは急に止まる。


 やつと目が合った。


 いぶかしげな表情を浮かべるコナーズの視線をたどり、その場の人間はみな、ようやく私の存在に気づく。

「……あんた? 見かけないな」

 先にことばを発したのは自警団員コナーズだった。

 背後にいるジェイスンは、私が口を開く前に代わりに返事をした。

「この人は、新しい保安官だ!」

「まさか! 聞いてない!」

 あきれたような声を出し、女保安官助手レッキイは私に注目する。

 そのわずかの隙に二人の自警団員たちは、彼女の背後ですばやく目配せし合ったように見えた。

 一瞬ナイスは左手で右腕を押さえ、誰かに生帯で連絡を取るようなそぶりをした。


「そりゃ……本当かよ?」コナーズは私から目を離さず、訊ねてきた。

「ああ、本当だとも、さっき」

「黙れ。ジェイスン」

 なおも返答しようとする初老の係官をひと言で制すと、コナーズは再度、私に向かい、はっきりとした口調で、再度質問する。

「あんた、新しい保安官?」

「ああ。巡回保安官だ」私も彼をまっすぐに見すえた。

「なんだ、ロビンかよ!」

 大柄な自警団員ナイスは巡回保安官の蔑称を使った。


 巡回保安官はローバー、つまり、<放浪者>という隠語で呼ばれる。

 ロビンはそこから派生した、もっと汚らしい意味のことばだ。

 まだテレパシー通話中かどうか、ナイスの外見から判別はつかなかった。


「ちょっと待ちなさい。こちらにはなんの連絡もなかったわ、どういうことなの?」

 女保安官助手が脇から割り込んでくる。

「それは分かりません。私の来ることは事前に知らされているはずですから」

 彼女は目深にかぶっているテンガロンハットのつばを人差し指で上げ、私にはっきりとその顔を見せた。


 まだ若い。二十三、四歳というところか。


 眉間にしわの寄ったその顔だちは、怒っていなければ間違いなく美人の部類に入るだろう。

 意志力を感じさせる太い眉の下には、睫毛の長い大きな目がある。

 青い瞳にきつい光をたたえ、その目は私の挙動を見張るようにくるりと動いた。

 つんと少し上向いた鼻も、張り出しの小さな小鼻のおかげでバランスよく見える。

 彼女の現在の感情を示すのか、肉感的な唇は若干への字に結ばれていて、ブラウン系のリップがよく似合っていた。

 帽子で覆われていても陽光にきらめく後れ毛によって、見事なプラチナ・ブロンドとわかる。

 つばの落とす影の下でさえその肌は白く輝いていた。


 ――生粋のブロンド


 シンプルな装いは、彼女の持つ職業観を知るために有効だった。

 白い合成綿シャツの上に、装備品をたっぷり詰め込める警察用タクティカルベストをはおり、デニムプリントのナイロンパンツとラバーブーツを履いている。

 どれも質素で、実用一辺倒なアイテムばかりだ。

 背筋を伸ばし、両手を腰に当てて私を凝視する彼女の姿勢は、そのグラマラスなスタイルの良さを損なうことなく、警察職には本来不要な女性らしさをかえって際だたせていた。

「彼の言うことは本当だよ、レッキイ。さっきちゃんと確かめた」

 ジェイスンは横目でコナーズを気にしながら、そう補足する。


 よくあることだ。


 組織は大きくなればなるほど、末端まで情報は回らない。

 必要なところに情報が来るのは、きまって最後の最後になるのだ。

「じゃあ、どうして私のところへは……まって!」


 言うなり女保安官助手は私の口元へボイステスターを向けた。


「姓名、所属と身分を!」

 有無を言わせぬ勢いだった。が、逆らわず素直にしたがう。

「……私の名前はスルト・マッケイ。統合移民局から派遣された巡回ほぁんがんです。認識コードは私の生帯にあります。市庁舎で正式に登録をしたあとなら、正規のライセンスを確認できるはずです。……自己紹介はこのくらいでいいかな?」

 彼女はテスターのインジケーターを確認した。ランプは緑色に点灯している。

「オーケイ。ウソじゃないわね」


 保安官、の部分は田舎風の早口で濁った発音を用いた。


 テスターに検知されにくい言い方のひとつだ。

 統合移民局から派遣されているのは事実だから、この場合、保安官かどうか、に関する言葉のみ、ウソと検出されなければいい。

 彼女の手にあるテスターは型遅れの旧型と見て取り、とっさに切り抜けの技術を使ったのだった。


 ボイステスターのポジティブ反応を見て、ねらい通り、この場にいる人間は、なんとか私を正規の巡回保安官と認めたようだ。

「さて、それじゃ改めてお話を聞かせてください。巡回保安官には逮捕権があります。あなたの証言はすべて、後日、裁判での証拠となります……」

 被疑者に向き合い、うろ覚えの決まりきった文言を諳誦する。


 偽装の身分初日だというのに、私はもう巡回保安官の持ついくつかの職務権限を、最大限に発揮することになってしまった。

 すなわち、逮捕、拘留、尋問だ。



       7


「自警団の団員を逮捕されたそうですな」

「参考人としておいで願っているだけです」

 こういう場合、相手に言質をとられそうな直裁的明言は避けるべき、と、いつか興味本位で見た警察官の交渉術マニュアルに書いてあった気もする。

 決闘のあった現場からそう遠くない市庁舎の一室で、私は小都市ルゴの市長と面会していた。

「留置ボックスに入れているとか」

 ひげ面のコナーズあたりからだろう、すでにことの顛末について報告を受けた様子だった。


 自警団のメンバーは、現在はほとんど市長の呼び寄せたよそ者で市長の子飼いだという話を、入出管理事務所の係官ジェイスンから聞いていた。

「居ていただく場所がなくて。調書を取る前に、どこか用足しに行かれても困りますしね」

 生意気で融通の利かない若造のふりをした。


 ルゴ市長ジョセフ・リンシュタイン、現在六十二歳。

 調査官の視点で見る限り、統合移民局から天下りした政治屋風の面影はない。

 十年前の前市長死亡に伴い、公募による選挙で当選していた。

 三期連続当選し、今年は四期目の初年度となる。


 額には深く長いしわが多く刻まれており、加えて丸眼鏡の下の小さな目には、なにかしら思索を生業とする人間特有の油断無く探るような光も宿っていた。

 小柄な体躯は一見貧相に見えて、メモをとるときには昆虫のように正確で機敏な動作をかいま見せる。


 抜かりもスキもない男のようだ。


 はげ上がった頭部を培養毛髪で取り繕わず人目にさらしているところから、外見に気を配らない男かと思いきや、昔風のざっくりとした天然毛織物の背広上下に同織りのベスト、そのポケットには古めかしいデザインの懐中時計という、いずれも一見地味に見えて、その実、かなりの高級品を身に付けていた。

 権力に支えられた自分の財力を、服装でそつなく誇示するのは、ある意味おしゃれの本質かも知れない。ただし、その服のデザインセンスは今風の感覚からすると、お世辞にもよいとは言えない。


 まるで西部劇の舞台衣裳だ。


「まあ、あの保安官事務所じゃ、手狭と言われても仕方はありませんな」

 子飼いの部下を逮捕されたというのに、市長は特に口調を変えることはなかった。

 もっとも、さっき留置ボックスにぶちこんだチョ・ナイスという自警団員は、荒くれ者の多い自警団の中でも特に札付きで、これまで何回も暴力事件を起こしているというから、それほど大事な部下というわけでもないのかも知れない。

 これもジェイスンから聞いた話だった。


 自警団は都市が独自に組織する自主警察組織だ。


 統合移民局の任命する制式な保安官が不在、あるいは少数で、都市の治安維持に困難のある場合、その都市の自治体により市民の中から公募できるとされている。

 彼らは正規の警察組織の代わりに都市の治安維持や防衛という重要な役割を担う。といっても、人間に危害を加えるような害獣などいないこの星では、もっぱら街のケンカを仲裁するなど、もめ事の解決、他都市へ赴く人々や物品の護送、要人のボディーガードなどに携わることも多い。

 中には賭博や密輸、非合法品の売買で儲ける犯罪組織すれすれの自警団もあると聞く。

 統合移民局の成立以前から、各都市の自主的運営により自然発生してきたという経緯もあるので、その意味では現行の保安官制度などよりはるかに、市民に身近な組織なのかも知れない。

 正しく運用されていれば、という条件付きの話だが。


「若いのに随分と優秀で仕事熱心な方だ。ここにはどのくらい?」

 市長は魅力的な笑顔で私に世辞を言う。なかなかの名優ぶりだ。

「後任の保安官が派遣されてくるまで、としか」

「うーん……そうですか。だが、それはちょっと変ですな」

 市長は急に顔を曇らせ、なにやら気がかりなことを言う。

「率直に腹を割って話せませんかね? わたしはいろいろ引き出しを持っています」


 なるほど、この男は正攻法で来るタイプらしい。


 つまり最初に敵、味方をはっきりさせておきたい人間ということだ。

 味方になるならよし、そうでなければ徹底的に相手をつぶす。

 きっと自分の権威と権力に絶対的な自信を持っているのだろう。

「リンシュタインさん、お話の意図がよくわからないのですが。率直と申しますと?」

「ジョーと呼んでくれて結構です」

「ではジョー。はっきり申し上げます。私はここで騒ぎを起こすつもりはありません。任期の間、できるだけ静かに、なにも起こらないように職務をまっとうしたいのです」

 味方にも敵にもならないということを明示したつもりだ。

 着任早々、偽装職の権限を行使する羽目になったとしても、本来私の仕事は都市消失事件の調査であり、それをこんな田舎市長風情に邪魔されたくはない。

「……あなたの目的は何でしょうか?」

 いきなり話の核心を突いてくる。

「いま申し上げた通りです。私は巡回保安官として……」

 手を挙げて私の話を遮り、市長は感情のこもらぬような抑揚のない声を出した。

「それはおかしい。実は、あなたの辞令が見当たりません。もちろん、巡回保安官がルゴに赴任する、という連絡も統合移民局から受けていない」

「え? そんなはずは」

 意表をつかれ、寸時、絶句した。

「それなのに入出管理事務所から、あなたの身分は確認された、と報告がありました。ふつうは市庁舎に元となる情報があり、そのデータが管理事務所に送られ、身分確認されるはずです。だが、元になる情報は市庁舎のデータベースに存在しないのに、現場の端末では正規のデータとして認証されている。……いったいあなたは何者です?」

「何者、と言われましても困ります。私は正真正銘、統合移民局から派遣された巡回保安官です」

 とっさに答える。

 耳を疑うような話だ。

 なんという失態。私の到着を知らされていないのは、現場の女保安官助手だけではなかったのか。


 ――本部に確認すべきだ。すぐに辞令と身分の保障となる情報を送ってもらおう


 即座に思いつき、右腕のイボ状スイッチを押そうとして市長の視線に気づく。

 彼は私の手元を注視していた。

「どこかに連絡でも?」

 わずかに動いた私の左手から目を離さず、市長は低い声を出す。


「どういうことでしょう。たぶんなにかの手違いだと思いますよ」


 それより早くても遅くても相手に疑念を起こさせるという、奇跡的かつ絶妙なタイミングで返答に成功した。


 緊張で頭の芯に軽くしびれを感じる。


 市長はゆっくり目を上げ、私を見た。

「……そうでしょうな。言い忘れていましたが、移民局から調査官がひとりいらっしゃるという連絡は入っています。それがもし、あなたでないのなら……たぶん向こう側の伝達ミスでもあったのでしょう。名前の取り違えとか、あるいはウチの側でデータ処理に不備があるか。考えにくいことですが、その両方、とか」

 市長はもとから私の正体に疑念を抱いていた。

 直感的にそう悟った。


 入出事務所の係官ジェイスンはたしか、ガスク・ロミリオンという調査員が派遣されてくると言っていた。

 言いがかりのような偽の情報でひっかけ、私の正体を見破るつもりだったのか、それとも本当に本部からの連絡はないのか。

 どちらとも判明しない状態では、これ以上ミスに繋がるような言動はできない。

 急に汗ばむ。

 腕組みすら遠慮したので手の置き所に困り、仕方なく肘掛けの上で両手をぶらぶらさせ、可能な限り両腕を近づけないよう心がけた。

 市長は話を続ける。

「まあ、とはいえ、あなたは入り口で個人認証されていますから、こちらのミスの可能性は大きいでしょう。ハッキングされた形跡もないし、サイボックスを使った個人認証は偽造不可能ですから、たぶん、身分を偽っていることもないと思います」

 微笑みを浮かべる。

 気を許してはいけないと思いつつも、心理的圧迫や負担は彼のその表情でいくらか楽になった。

「こんなにへんぴな都市に中央の人間が一度にふたりも派遣されてくるなど普通はまずないことで、こちらもちょっと警戒したわけです。それに、たとえ不審人物が入ってきたとしても、こんな僻地ですのでね、たいして収穫もないでしょうが」

 ジョセフ・リンシュタインは、はげ上がった頭を軽く下げる。

「マッケイ保安官。試すようなまねをした無礼、どうかおゆるし下さい」

「……いえジョー。お気になさらず」

 それが精一杯の返事だった。



       8


 竣工からまだ数年しか経ていないという真新しい市庁舎を出ると、あたりはすっかり薄暗くなっていた。

 身体全体に重しをつけられたような疲労を感じる。


 口ではああは言っていても、市長は引き続き私を怪しんでいるに違いない。

 今日のところは泳がされたということだ。


 市長との面談の後、市庁舎の当該部署に巡回保安官用のパスコード申請をしたものの、ビジター用のものしか渡されなかった。

 発行には正規の手続き、つまり、正式な身分保障が必要だという。


 市長のことづてもあり、窓口では一応巡回保安官としての身分は暫定的に確保できたようだが、この状態では、今後の調査にも支障をきたしかねない。

 正式な辞令を、再度本部へ要請しておかなければ。

 それも早急に。


 だが移民局の担当部署に、テレパシー通話は一向に繋がらなかった。

 回線の混乱か、サイボックスの緊急メインテナンスでもあったのか、どちらにせよ代理通話時にはありがちな障害なのに、いまはそんなことにさえ、心の苛立ちを抑えられなかった。



 二世紀ほど前のこと、離れた場所にいる人間同士で音声や特別な通信機器を使わず直接会話できる『脳同士のコミュニケーション機能』が、人類の中脳にあると確認された。

 旧EU連合のドイツと、極東アジアに立地し現在は北アメリカ大陸圏に統合された旧日本国との合同研究チームは『我々は、通称テレパシーと呼ばれるものの存在を確認した』と発表した。

 脳機能研究の途中で発見されたのだった。

 世界的実績と名声を得ている科学者チームによる声明であり、人間の持つ潜在能力を新たに発見したというニュースは、当時、世界中の話題となったそうだ。


 もちろん、発見と言っても、確認されたのは例えば『テレパシーは、相手のイメージを想起できる、互いに面識ある人間としか成立しない』とか『テレパシー会話は距離など外的要因の影響を受けず、通話にタイムラグは生じない』など、テレパシー会話の成立条件や、それが脳のどの辺りで発生するのかという、いわばテレパシーの外的特徴や、特性に関することがほとんどだった。


 テレパシー通信の原理は今に至ってもまだ解明されていない。


 既存既知のいかなる測定装置にも反応しないことから、光学的にも電磁気学的にも、量子力学的にも解明不能であり、電波のように大気中を伝播する電磁波のたぐいではないとだけは、一応判明している。

 どうして意識内での会話が可能なのか、会話を媒介しているのはなにかという、テレパシーの正体や通話の原理については、まだまだ仮説どまりのままだった。


 それでも、人間の脳には、他者と意識内だけで会話できる機能が備わっていた、という事実に心を動かされた人々は多い。


 特に軍事や諜報に携わる政府機関にとって、その存在はさぞ魅力的だったに違いない。原理が解明されていないのも、盗聴される心配はないということだから、かえって彼らには都合も良かっただろう。


 当時まだ大陸圏として統合されておらず、地球の覇権争いを繰り広げていた『各国』政府は競ってテレパシー通信の実用化を推し進めていった。

 テレパシーでの代理通話を可能にするサイボックスの開発と、生帯による有機移動体通信網の整備は、後年のリ・サイバネティクス技術発展まで待たねばならなかったものの、こうして前世紀までに人類は、オカルティックな超常現象と考えていたテレパシーを、日常的な通信手段として獲得したのだった。


 歩きながら、歴史的側面から見たテレパシー通話の不確実性について思考していると、心中に余計な疑念もわき出してきた。


 ――もうひとりの調査官は、なぜこの田舎都市に来るのか?


 顔も知らないその男は、きちんとした手続きをとり、堂々と赴任してくる。

 調査員同士を競わせ、優秀な方に今後の都市消失調査を任せるつもりなのかもしれない。ひょっとするともうそれは決まっていて、だから私からのコールはつながらないのだとしたら。  

 まだ見ぬ同僚にかすかな嫉妬心を覚えた。


 決闘のあった広場まで戻ってきた。


 昼間の事件のせいで閉店を早めたのか、街灯以外、どの建物にも明かりひとつ点いていない。

 人の気配もなかった。

 困ったことになった。


 公務員専用宿舎を手配すると言う市長の申し出を、やんわり断っていた。

 監視装置だらけの部屋で過ごすのはまっぴらごめんだ。

 けれども、どこか宿泊する場所を探さねばならない。

 決闘現場は夜目にも黒々しく、忌まわしく私の目に映った。


 ――それにしても、決闘とは


 歴史博物館で見た、古い平面映画の退屈なカラー映像を思い出す。

『西部劇』というジャンルだ。

 正義の味方は白っぽい衣装、悪漢は黒革の手袋とベストに身を包み、少し離れ、向かい合って撃ち合う。ベルトからいかに早く拳銃を抜いて撃つか、それが登場人物に共通する重大な関心事だ。


 保安官はたいてい正義漢の二枚目で、早打ちの名手。


 この都市で保安官に求められるのはそういった役割や殺人技術なのか。

 だが、それは過大な期待というものだ。

 私は基本的に荒事を苦手としている。

 おまけに、最初からケチの付いている仕事でもあるし、さっさと調査をすませ、次の都市を目指そうとさえ考えているのだ。


 どこか安易さの残る、十九世紀末のアメリカ西部を模した街並みを歩き続け、やがて自警団員を拘留するため昼間来た、街はずれの保安官事務所にたどり着く。

 途中、誰ともすれ違わなかったことに気づいた。


 表通りにさえ、人の姿を見かけない。

 腕時計を見ると、まだ午後七時前だ。

 他の都市に比べると、ここの市民は随分行儀がよい。


 薄闇の中、保安官事務所の窓にだけ、煌々と灯りが点いていた。

 拘留者のいる限り、あのレッキイという女保安官助手も帰れないのだろう。

 まったく、警察職というのは手間のかかる仕事だ。


 事務所の扉にある端末にキーコードを入力した。


 市長と会う前にあらかじめ解除キーを登録しておいたので、保安官事務所の入り口はなめらかな動きで横に開き、私は室内に入る。



       9


 先客がいた。


 室内にはざっと五、六人、女保安官助手を除けば新顔ばかりだ。

「あんたが新しい保安官? 若いんだね」

 そのひとりは言う。そばかす顔の少年だ。

「ホープ。口を慎みなさい」

 女保安官助手は、彼をたしなめる。

 その権威的な口調からすると彼女の縁故らしい。弟だろうか。


「市庁舎での認証はまだで、正規の保安官さん、ってわけじゃない」

 執務用の大机に片尻だけで腰かけていた男がそう言うと、立ち上がった。

 細かな事情まで知っているような口ぶりだった。


 早速市長から聞いたか。


 先割れのがっしりした顎を持つ大男。

 三十代中頃だろうか、金髪を短く刈り上げ、精悍な風貌をしている。

 切れ長の目に表情は見えないにも関わらず、大きな鷲鼻の下で結ばれた薄い唇は両端がつり上がり、すごみある微笑みを作っていた。

 袖に静電気放電用の短いフリンジの付いた、カウボーイスーツと俗称される作業着と、その上に黒革のベストを着用していた。

 合成革のブーツ、腰にはガンベルト。

 そこに吊ったホルスターへ銀色に鈍く光るビーム拳銃を差している。


「でも、歓迎するぜ、保安官。ようこそ、こんなへんぴな街へ」

 大男ははめていた黒い合成皮革の手袋を取り、右手を差し出してきた。

 私は奇妙な既視感とともに、その手を軽く握る。

 相手は手を深く差し入れてきて、再度私の右手を強く握りしめ、自己紹介した。

「メルだ。メルビン・クラッフワース。この街の自警団で団長をやっている」

「……スルト・マッケイ。今日赴任しました。巡回保安官です」

 そう名乗り入れると、自警団団長の脇にいた茶色いベストの男は、声を出さずに小さく唇だけ<ロビン>と動かす。

 こいつも新顔のひとりだ。


「ところで、マッケイ保安官、おれの部下のことなんだが」

 自警団長はさっそく用件を切り出す。私は機先を制した。

「釈放してくれ、とでも言う気なんでしょうね」

「マッケイ保安官!」

 鋭い声で横から女保安官助手が私の名を呼ぶ。

 大机の脇から怖い顔でにらみつけられた。

「話は早い、と言いたいところだ。けど、ちょっと違う」

 続くクラッフワースのことばは、その予想とは異なっていた。

「ナイスのことなら、好きにしてくれていい。どうせ団のお荷物だ。おれたちの評判を悪くするだけでね。今回のことで少しは頭を冷やし、まともになってくれりゃそれでいい」

「調書を取るだけじゃ、済まないかも知れませんよ?」

 そう言って相手の真意を探ってみる。

 クラッフワースは肩をすくめた。

「おれが来たのは、あんたさ。この街に来たばかりなのに、手間をとらせて申し訳ない。お詫びとお近づきの印に、どうかな、一杯やらないか?」

 なんのことはない、手打ちのための打診だった。


 女保安官助手は両腕を腰に当て、低い声で私に釘を刺す。

「……行っちゃダメ。そんなやつらと一緒に行ったって、ろくなことにならないわ」

「レッキイ。じゃ、来て確かめてみるかい?」

 首だけ後ろに向け、自警団長は保安官助手を誘う。

 彼女はそれを即座に断った。

「ついてねえ。きらわれちまった」

 おどけて目を丸くするクラッフワースに、部下たちは下品な声をたて笑う。

 私は空腹だった。

 それに調査のため街の人間たちの実態を、ある程度知っておく必要もある。

「夕食はとれますか? そこでは?」

「すげえごちそうが待ってる」

 クラッフワースはウィンクして、そう請け合う。


 もう誰からも制止されることはなかった。


 自警団の連中に混じり保安官事務所を出る。振り返ると、事務所に残ったホープという少年と女保安官助手は室内から窓越しに、私たちを見送っていた。彼女は心配げな表情を浮かべていた。


 

 市庁舎のあるルゴ中心部の街は、小都市ルゴ唯一の街だ。

 呼び名もルゴ。そのままだ。

 歩きながらよく見ると、この街には商業施設ばかりで住宅はひとつもない。

 市民市場としての機能に特化しているということだろう。

 日が落ちるとほとんどの商店は店じまいし、店主はめいめい郊外にある自宅へ帰るという。夜に人通りがないのは、つまりそういうわけだった。


 道中、クラッフワースに尋ねると、ルゴには旅行者用の宿泊施設は、その存在すらないことを知らされた。

 わざわざ強酸性土泥地域の小都市に観光目的で訪問する旅行者など皆無らしい。

 そんなことは資料にも一切書かれていなかった。

 本部へは、クレームとともに、事前に調査官へ渡す資料には、赴任先の状況や風俗までもっと詳細に記載すべきだと進言しよう。


 いよいよ今夜はあの事務所に泊まるしかなくなった。



      10


 案内された酒場は、いままでどこに隠れていたのかと思うくらい大勢の市民たちであふれていた。

 クラッフワースの言によれば、ここはゴーストタウン然となる夜のルゴにとって、市民たちの娯楽を一手に引き受ける、社交場兼情報交換の場として機能しているそうだ。しかし、たとえそういう気の利いた役割を持っていたとしても、あたりの喧噪はそんな文化的なことばとは異なり、これまでに見たどの都市の酒場よりも凄まじい。

 まさしく、


 ――バカ騒ぎ


 と言うほか形容のしがたい光景が私の眼前に広がっていた。

 内装は安っぽく、フロアいっぱいに、これまた安っぽい合成酒の匂いも充ち満ちている。

 店の格は大都市の場末レベル。最低ランクに近い。


 耳障りな大きさの哄笑や怒声を上げる酔っぱらいたち。

 センスを疑うような色彩の西部劇風衣装をまとい、ロボット楽隊の調子はずれな伴奏で踊り狂う男女。早い調子のステップで、木靴でも履いているのではないかと思うほど凄まじい轟音を立てていた。


 西部開拓時代への大いなる憧憬を持ち、経験したはずのない旧き善き時代の、俗悪な模倣に徹する道化たち。

 彼らの蠢く情景は、歴史博物館のアトラクションにも見えた。

 無理もないのだろう。

 惑星移民の生活は、一般的に貧しく苦しい。

 日々、酸性土壌との格闘を強いられる重労働のうさは、こういった無礼講での発散なしには晴らすことができないのだ。


 私と自警団長は、人の群れを縫って歩き、店の中央にあるカウンター席に座る。

 ここでも新任保安官の私を気にかける者は誰もいない。

 酔いのせいばかりでなく、ある種、意図的とさえ勘ぐりたくなる不自然さだった。


「保安官、何にするね?」クラッフワースは酒の注文をとる。

 こんな店にある酒といえば合成ビール、もしくは……

「おれはセルバーボンにするが、合成ビールにしとくかい?」

 空腹時の乾杯で酔わないのはどちらかと考えている間に、やつはひとの分まで勝手に注文を決め、頼んでしまった。

 カウンタースツールを回し、私に体を向ける。

 バーテンはすぐ酒の入ったグラスとジョッキをカウンター上に並べた。


 セルバーボンは人工セルロースを原料とした、合成率百パーセントのアルコール飲料だ。アルコール度数は非常に高く、この街で西部の荒くれを気取るにはもってこいのアイテムのようだった。

 自警団長は、その劇薬のようなアルコール入りグラスを右手で高く掲げ、乾杯の音頭をとった。

「この星に!」

 茶褐色の液体をぐいと飲み干し、すぐ替わりのグラスを頼む。

 私は乾杯の時、ちびりとジョッキに口を付けただけだった。

 中身はほとんど減っていない。

「このルゴは良い街だ、保安官。都市の大きさも、人の数もね。ちょうど良い」

 すでに酔ったのか、唐突な話題の振り方をする。

 私は首をわずかに傾け、同意したとも見える反応を返した。

 その後クラッフワースの他愛もない世間話にひとしきりつきあい、相づちを打ちながら本題を切り出す機会を待った。


「あんたはどうして、保安官になったんだ?」

 話の流れで、クラッフワースのプロフィールを訊ねると、逆にそう質問される。

 どう答えようか瞬時迷った末、木は森に隠そうと決めた。


 虚偽は、大部分のウソと、ほんの少しの真実で信憑性を増す。


「もともと電設工だったんです」

 実際、私はかつてグリーゼ太陽系に散らばる氷塊を集め、アルファメガ上空でそれを溶かし地表に雨を降らせるための施設で働いていた。

 その後、電子機器技術の知識、それらを扱う経験のある人材として統合移民局にスカウトされた。


 調査官になった経緯はぼかし、『調査官』の部分を『巡回保安官』に変え、目の前の自警団長に話す。

「珍しいな。技術職から警察職への転身は」

「そうでもないでしょう。この広い星を定期巡回する移民局の人間は慢性的に足りないし。それに、巡回保安官は警察権を持たされていても、いまでは、どちらかというと土壌改造や都市開発のアドバイザー的役割を果たすことの方が多いんですよ」

「ふーん……そうなのかい?」


 それは大ウソだ。


「そういえば、この都市の外壁はそろそろ補修しないとダメなようですね。赴任前にざっと見たところ、このままではあと二年持ちません」

「そういや市長も外壁のことを心配していた。かなり前の話だが……二年しかもたねえって? 年数までよくわかるもんだな」

 クラッフワースは私を見直したかのようにうなずく。

 頃合いだ。

「ところでメル、この都市の構造はどうなっているか、そういったことはご存じありませんか? 移民初期のころ大きな地震があったり、または土壌との関係で都市機能にトラブルがあったとか、そんなことはご存じないでしょうか?」

 予め用意していただけに、すらすらことばも出てくる。

「さあ? おれはここに来てまだ五年もたってねえ。そんな昔のことなら、市庁舎に行けば教えてくれるんじゃないのか?」

 予想通りの答え。

 統合移民局では、都市構造に核爆発の原因があると仮説立てている。

 さらに踏み込んで訊いた。

「いえ、それが市庁舎にはこの都市の建設時や、移民初期のころのデータはあまりないんです。私は都市の歴史にも興味があるものですから、赴任する都市では、何かそういったことに関心のある、または知っている市民にお話を聞きたいと思っているんですよ」



      11


「よう、保安官どの!」

 背後からいきなり声をかけられる。

 肩越しに振り返ると、あのひげ面の自警団員コナーズだった。

 口ひげに合成ビールの泡を大量につけ、既にでき上がっている様子だった。

「ホーグ。謹慎を命じたはずだぞ?」

 クラッフワースは顔をしかめた。

 命令に従わない部下をなじるように言う。

 コナーズは上司よりも年上に見える。

「団長、おれにも歓迎させてくださいよ。このロビンちゃんを」

 ホーグ・コナーズは背後から手を伸ばしてきて、なみなみとセルバーボンのつがれた大ジョッキを私の目前に差し出した。

 重いジョッキを空中で固定しようとして手が震えている。

 ジョッキの揺れた拍子に中身はこぼれ、私の肩口や太ももにもかかった。

「保安官、よう、オレと乾杯しよう。さあ、早く」

 酔っぱらいの中年自警団員は、ろれつの回らない口で、からむ気満々のせりふを吐いた。

 横目で見るクラッフワースは無表情だ。

 部下の暴走を止める気はないらしい。

 しかたなくカウンタースツールを回し、私は背後の酔っぱらいに真っ正面から向き直る。奴は薄笑いを浮かべていた。

「それじゃ、乾杯……この、星に」

 クラッフワースの真似をしてこちらから音頭をとる。


 面倒は早く終わらせたかった。


 やつは私のジョッキに軽く自分のそれを当て、中身をぐいと飲み干していく。

 何か仕掛けてくるだろうと予想していたので、多少拍子抜けした。

 コナーズの動きに気を配りつつもジョッキに口を付け、少しぬるくなったセルバーボンを一口飲んだ。


 突然、頭上に冷たいしたたりを感じた。


 ひやりとしたその感触に思わず首をすくめ、頭上を振り仰ごうとしたとき、上向きになった私の顔めがけ、大量の液体が降り注いだ。

 それらは目や呼吸気管に侵入してきた。


 私はたまらずむせ、転げ落ちるようにしてスツールを降りた。


 あまりの痛みに目を開けられない。

 鼻腔を満たす安酒の香りに、液体の正体は合成ビールだと分かった。


 どこからかクラッフワースの声も聞こえてきた。

「保安官、気に入ってくれたかい? これがルゴ式の歓迎さ!」

 そのことばに合わせ、大勢の笑い声がどっと室内に響く。

 アルコールの強い刺激に目を開けられないまま、誰かに足を引っかけられ、勢いよく転んだ。

 巻き起こっている笑い声の規模から、私は、酒場中の人間がこの茶番の観客であると知る。


 吸水性の低いインナースーツの袖生地で必死に目をぬぐい、咳き込みながら、痛む目をなんとかこじ開け何回もまばたきした。

 観客はふたたび大笑いした。


 おそらく十数秒程度しかたっていないだろう。

 しかし随分長い時間そのままでいたように思う。

 目を開けられるようになると、私はその場に立ちあがり、顔を上げた。


 こちらを向いてスツールに腰かけたクラッフワースを中心に、カウンターに背中を預け、天板に両肘を乗せている男たちが整然と並んでいた。

 みな一様に茶色のベストを着ている。

 揃いのユニフォームを着用した自警団の勢揃いだった。


 平面映画の西部劇なら、観客はひとり残らず、こいつらを悪役と思うはずだ。


 濡れてべたつく毛髪をかき上げ、額からしたたる雫を手でぬぐった。

 その仕草を見て、悪漢たちは口々に汚いことばで私をからかいはじめる。

 と、拘留しているはずのナイスの姿に気づき、私は声をかけた。

「チョ・ナイス。さっきまで留置ボックスにいたはずでは?」

 ナイスはにやにや笑って首をすくめただけだ。

 代わりにクラッフワースは答える。

「貴重な部下だ。いつまでも参考人というわけにはいかんよ」

「……つまり、私を誘い出し、調書を取る前に釈放の手続きをとったわけですか」

 さきほど窓越しに見た、女保安官助手の表情を思い出した。


 レッキイは私を心配してくれたのではなく、こういう展開を予想し、無念さとあきらめの入り交じった顔をしていただけだったのだ。


「歓迎会だぜ? で、仮にそうならどうするね? 巡回保安官?」

 笑顔を浮かべ、戯れで挑発するかのような態度とは裏腹に、クラッフワースのその目は笑っていなかった。

 値踏みでもするように私を凝視している。

「そうですか。歓迎のつもりなら赴任早々トラブルはゴメンです」

 自警団長をのぞく酒場の全員は、私の返答に大笑いした。

 それにかまわず、よじれたインナースーツを直すと、私は止まない嘲笑の声を背に酒場を出て行った。



      12


 誰もいない保安官事務所に戻ると、合成ビールに濡れたインナースーツを脱ぎ、下着姿になった。


 酒は下着まで沁み出していた。


 身体中アルコール臭におおわれ、気分も悪い。

 ワンフロアしかない事務所は部屋面積の半分ほどを簡易留置ボックスに占拠され、アルコールジェルを使うドライシャワーさえない。これまで当直業務すらなかったのだろうか。

 無駄と予感しつつ、もう一度生帯を接続し、統合移民局本部との会話を試みる。

 頭部の感覚に全く変化はない。

 下着をまくり上げ、自分の右腕を眺めた。

 合成アルコールに触れた部分は少し赤くなっていて、アルコールの気化に伴い、表皮の体温が奪われていく冷たい感覚しかなかった。


 ――まさか、故障じゃないだろうな


 右腕内の有機移動体通信機=生帯は、生まれてすぐ、大抵は生誕時に管轄自治体から無償で個人に付与される。

 通信機といっても金属部品やシリコン半導体で構成されているわけではなく、N iPS細胞による再生医療技術を、リ・サイバネティクス技術で応用した新造の『人工臓器』と言えるものだ。


 N iPS細胞は、Nuro dynamics induced pluripotent stem cells、つまり神経動力型人工多能性幹細胞のことで、人体のあらゆる臓器を培養できる動性万能細胞の略称として知られている。


 かつて一世を風靡したサイバネティクス技術では、人体の機能を補完、保持、強化するために人工の代替物でそれを模倣し、工業機械的にその再現を試みていた。

 だが、リ・サイバネティクスはその名の通り、サイバネティクスとは真逆の可能性を目指す技術だ。

 すなわち、本来人間の肉体にはない機能を有機的に人体へ付与するという考え方をとっている。


 生帯を例として考えるなら、中脳を外部操作するための神経通信用シリコン基盤の代わりに、DNA操作により造り出された、同様の機能を持つ有機生体部品や、スイッチ機能を持つ皮膚上のイボ状皮膚を、NiPS細胞で培養、移植し、人体へ完全に融合させる。

 人間に備わっているテレパシー機能を、誰でも手軽に利用できるようにと工夫した結果だった。


 自分の右腕には、幼時の手術により生来の骨や肉、皮膚と融合した、血肉を持つ生体基盤が内蔵されており、それはもはや私の身体の一部となっている。

 なので、激しい運動で右手を著しく疲労させたり、病気による発熱などで体調の悪いときには当然、その機能にも影響が出て、テレパシー通話はつながりにくくなったり、不調になったりもするのだ。

 しかし、いまのところ、私の健康状態は良いし、かつてこれほど自分の生帯にトラブルの生じた記憶もない。


 仮に生帯の故障だとしても、こんな小都市では生体基盤の摘出と培養、再移植手術などは期待できないだろう。


 しばらく右腕をもんだりさすったりして、通話不調の原因を探ったり、機能の回復を試みたりもしたが、やはり専門的な機材でチェックしなければ原因も分からないし、本部との通話もできないと結論づけた。

 結果、入浴も本部への報告もあきらめ、日報を書くことにした。


 執務机の後ろに置いた自分の荷物を開けて、中から端末を取り出す。

 市庁舎を訪れる前、自分のライナーホースから持ってきていたのだ。


 執務用の椅子に座ると、机上に私宛のメッセージを発見する。


 大判のプラスチック紙に手描きのペン文字で『うっかりものの新保安官へ!』と大書きしてあり、その下の隙間に小さい字でメッセージと数字が並んでいた。

 事務所に戻ったら、記述してある都市内線の電話番号へ連絡を入れるように、という内容だ。

 書いたのはたぶんあのレッキイという女保安官助手だろう。

 だが、サインの名義は違った。


 ――フレックル・ニーゼイ?


 事故死した保安官もたしか、ニーゼイという名前だったように記憶していた。


 事務所据え付けのコンピュータを起動し、市庁舎の一般用データベースにつなぐ。

 検索キーワードにその名を入れると、保安官死亡の記事はすぐに見つかった。


 市広報誌の記事。


 それは彼の死因となった大きな事故のニュースとともに、紙面で大きく扱われていた。日付は五年ほど前だ。

 扱いの大きさや、その文面から察するところ、どうやら前任者はルゴ市民にとって信頼の厚い、頼もしい保安官だったように思える。

 検索結果リストに葬儀の模様を写した記録映像を発見すると、さっそくダウンロードしてファイルを開いた。


 映像の冒頭は、棺をかつぐ自警団メンバーの後ろから、喪服を着たレッキイと、さきほどここにいて、彼女にホープと呼ばれたそばかす顔のあの少年が並び、顔をうつむけたまま歩いてくるシーンで始まっていた。

 すぐ場面は変わり、レッキイのスピーチ映像になる。


 画面の下に『フレックル・ニーゼイ(長女)』とテロップ表示された。


 続いてさっき見たそばかす顔の少年も映される。

 テロップには『ホープ・ニーゼイ(長男)』と示された。


 市の記録映像にふさわしく、必要十分なつくりだ。


 記録映像は最愛の父親であるビルズを亡くした悲しみに耐え、必死に涙を抑えるレッキイの、参列者への礼のことばで、感動的に締めくくられていた。


 つまり『レッキイ』は、フレックルの略称、あるいは愛称なのだ。


 市民にも家族にも愛されていたらしいビルズ・ニーゼイ保安官唯一の欠点は、子どもの名付け方にもうすこし配慮すべきだったということだろう。


 フレックルは『そばかす』という意味なのに、レッキイにはそばかすひとつない。

 逆に弟のホープはそばかすだらけの顔をしている。


 それでも私は、些細な疑問の解決に満足した。

 自分の端末を起動させ、執務机の上で日報をタイプする。

 新たな都市の初日にしてはハードな一日だった。いろいろ解決すべき課題や、気になることも多い。

 だが、今晩はもう遅い。

 彼女への連絡はとりあえず後回しにしよう。

 明日はもっと重要なことに取り組まなければならない。


 いっこうに繋がらない生帯をメインテナンスし、統合移民局の担当部署へ連絡を取るのだ。

 報告次第では、現状に対するアドバイスもあるだろう。

 その際、別に派遣されてくる『ガスク・ロミリオン』なる、もうひとりの調査官についても、可能な限り詳細な情報をもらうことにする。


 日報を書き上げ、大きくのびをすると椅子によりかかった。


 思ったより快適なクッション性を持っている。

 そう感じたのも束の間、私はそのまますぐ眠りに落ちていった。




       12


 目の前に黒い箱があった。

 見慣れないサイボックスだ。


 統合移民局のものではない。


 マークも、そうとわかる登録番号も、所属もない、ただの黒い箱。四方のどこにも何も書かれていない、漆黒のサイボックスだった。


 かすかにきしむ音。どこから聞こえてくるのか。


 ぎ、ぎぃ、ぎぎ……


 音の出所を探る。サイボックスの天板はゆっくり、まるで棺のふたが開くように、ひとりでに開いていった。

 天板は垂直になり、そこで静止した。


 おそるおそる近づき箱の縁に手をかけた。


 端からのぞいてみる。

 箱の中は底知れぬ深さの穴で、その奥は漆黒の闇に閉ざされているようだった。

 突如、背中にぞくりと悪寒のような感覚をおぼえた。

 なにか這い出てくる。


 ――ずるり、ずるり


 衣擦れにも聞こえる音は、闇の底からだんだんこちらに近づいてくるようだった。

 かすかに、うなるような声も聞こえた気がした。 


 初めて恐怖を感じる。


 逃げよう。

 そう思った瞬間、箱の中から出てきたなにかに、いきなり腕をつかまれた。


 私は思わず大声で悲鳴を上げた。



「やめて! なんなの、いったい!」

 飛び起きた勢いに力余ってか、私は椅子から勢いよく転げ落ちた。

 フレックル・ニーゼイは私の叫び声に相当驚いたらしい、顔を紅潮させ、抗議の声を上げる。

「ここは……」

 さっきの生々しい夢とあまりに違う環境に惚けたような声も出た。

 彼女はそんな私の現況を的確に把握し、シビアな分析結果を通告してくれた。

「椅子の上で寝たりするから、訳が分からなくなっちゃうのよ。おまけに足まで机に上げて、だらしないったらないわ」

「これは……あなたが?」身体に毛布がまとわりついていた。

「ドームの中と言っても、夜は冷えるのよ。暖房もかけないで寝るなんて」


 陽はもう昇っていた。


 ゆうべ下着姿のまま、椅子の上で朝まで眠り込んだようだ。

「ということは、夜中に?」

「連絡がないから心配して戻ってみれば、それはもう、ぐっすりとお休みでした」

「どうもありがとう。すみませんでした」非礼を素直にわびる。

「……夕べ、酒場でひどい目にあったそうね。だから言ったのに」

 彼女は同情とも非難ともつかない声を出した。


 私は改めて、下着姿で妙齢の女性に相対していることに気づき、あわてて毛布を身体に巻きなおす。


 フレックル・ニーゼイは昨日同様、上はタクティカルベストを着用し、下半身は動きやすそうな合成綿のストレートジーンズに作業用ブーツという組み合わせに変えていた。

「……失礼、着替えをしたいのですが、ミス・ニーゼイ」

 昨夜のビデオを思い出し、彼女の姓で呼ぶ。

「別に気にしないでいいわ。ゆうべ、もっとひどい格好を見たから、もう見慣れちゃったし。それに気にならないの。この街の男どもはわざとそういう格好を見せるたがるやつばかり。子どものころからそれが当たり前になっているから、異性の裸にはもう十分免疫があるって言うわけ。むしろ気になるのは部屋中アルコール臭いってことの方だわ」

 彼女は眉間にしわを寄せながらも、気を利かせ、後ろを向いてくれた。

「ところで、パパのビデオを見ていたわね」

 背中を向けたまま、質問してくる。


 事務所据え置きのコンピュータはつけっぱなしだった。

 使用履歴からわかったのだろう。


 私は電設工時代に愛用していたツナギの作業着と予備の下着を荷物ケースから取り出し、着替え始めた。

「ええ、書き置きの名前が気になって調べました」

「ねぇ敬語なんかよして。……って、どういうこと?」

 作業着の胸元までジッパーを上げながら答える。

「死んだ……亡くなった保安官の名前と同じだったから」

 彼女は私を振り返った。

「パパの死んだ理由、原因を?」

「ええ、昨夜資料で見て知りました」

 彼女はがっかりした様子となった。

 なにか訊ねたいことでもあったのか、ともかく私に何かを期待していたらしい。

 彼女を励まそうとして、感じたままを素直に述べてみる。

「お父さんは、事故で亡くなるまで、この都市の人々にずいぶん愛されていたようですね、きっと仕事に忠実で、熱心な、良い保安官だったんでしょう」

 フレックル・ニーゼイは表情を変えた。

「……ええ、そうね。パパはたしかに仕事に忠実で熱心だった。この街を、ここに住む人たちのことを誰よりも真剣に考えていた。でも……ルゴの市民はパパを愛してたのかな?」

 ことばに、苛立ちの混じっている印象を受ける。

「私は……何か失礼なことでも?」


 急変した態度に、急いでそう補足する。


「いえ、あなたのせいじゃない。……けど」目を伏せる。

「けど?」

「パパは……父は、この街の誰かに殺されたのよ」


 彼女は憎々しげにそう吐き捨てた。



      14


 昨夜私の見た広報誌『ルゴ・ローカル』の記事は、屋外移動プラントの大爆発と焼失、それに伴うルゴの酸性土壌改良計画の停滞と、大幅な後退を報ずるものだった。


 土壌改良用屋外移動プラントは強酸性土壌の中和作業によく使われる大型車輛だ。


 内部で製造した合成石灰を噴射しながら、大きな鋤状のローラーで表土と混ぜ合わせ、酸性土泥を開墾していく。長さは百メートル以上、高さは優に三十メートルを超し、小山か小型のビルほどもある。

 車輛内には二、三十人ほどの作業員が常駐し、内部の自動工場で精製された合成石灰を大型ノズルで噴出する作業に交代制の泊まり込みで従事するのだ。


 合成石灰の原料となる生石灰や、合成石灰を生成する際に必要な化学薬剤は、調合を間違えれば大事故につながる危険性を有するので、作業には慎重さを要求される。そのため、作業工程にはいくつもの安全策が施されていて、滅多に事故は起こらないはずだった。


 事後の検証では、大事故の原因は何らかの理由により、本来は外部に排出されるべき水蒸気が生石灰タンクへ混入したことにあるとされていた。

 生石灰は水と化学反応を起こし、高熱を発する。

 その高熱は、生石灰タンクをボイラーのような状態にし、内部の高圧に耐え切れなくなった生石灰タンクを爆散させた。

 その衝撃で他の化学原料タンクも破損、漏れ出た薬剤同士の化学反応により、二次爆発、大火災を誘発した、という。


 ビルズ・ニーゼイ保安官は、そのプラント内から焼死体となって発見された。


 当時そこで働いていた作業員は生石灰タンクの異常高圧を示す警報で全員避難しており、幸い、ほかにひとりの死傷者も出なかった。


 保安官がプラントに乗っていたことは、誰も知らなかった。


「でも、おかしいの。パパはその時刻、移動プラントには行っていなかった。いえ、行けるはずはなかったのよ」

「どうして?」

「だって、わたしと通話していたの。プラントの真反対から通話が来ていたのよ」

「ということは、ミス、あなたは直接彼と話していたんですね」

「そうよ。ミスはやめて。レッキイでいいわ」

 レッキイの話によれば、プラントの爆発する直前、ビルズ・ニーゼイ保安官と彼女は生帯で直接会話をしていた。

 どんなに早いライナーホースを使っても、距離を考えれば、都市ドームを迂回してプラントに乗り込む時間はないという。むろん、その通話における保安官の言辞を信ずるなら、の話だ。

「……レッキイ元気かい、ホープも変わりないかい、って聞いてきたわ」

「何をしていたんです?」つい、彼女の話に引き込まれてしまう。

「なにって、パトロールよ。兵器密輸犯の探索ね」

「仕事中に、そんなことで通話を?」

「……あなたも、諮問委員と同じことを言うのね」


 レッキイはまなじりを上げ、私をにらんだ。


「いいわ、なにもかも話してあげる。……そう、わたしもおかしいと思ったわ。仕事中に生帯をかけてくるなんて、ほとんど……いえ、絶対ないことだから」

 そう言いつつも、当時を思い出して感情の高ぶりでもあるのか、唇を噛み、彼女は黙り込んだ。

「……先を続けて」

 すっかり調査官らしい口調に先を促す。

「時間のことだけじゃない……パパは、穏やかで……いえ、どうしてか愉快そうな感じだった。だから、あの通話のあとに自殺するなんて考えられないの」

「自殺だって?」

 事故には思いがけない真相も隠されているようだ。


 ビルズ・ニーゼイは土壌改良計画の遅れにより、なかなか農地確保のできない小都市ルゴの現状を憂いていた。強酸性土泥改善費用の追加助成を申請するために、統合移民局まで直談判に行こうとさえ計画していたほどだった。

 豊かな農地を持つようになれば、ルゴの自給自足は果たされ、後継者が数多く生まれても生活に困ることはなくなる。


 彼は子孫の増加はルゴの発展になくてはならない最重要課題だと考えていた。

 プラント事故の当日、保安官はその件で市長をはじめ、ルゴ市議会の議員たちへもテレパシー通信によるコールをしていたという。



       15


「パパは……脅しをかけたそうよ。もっと都市の予算を農地開墾にまわせって」

「みんな、その脅しには乗らなかった?」

 レッキイはうなずいた。

「リンシュタインは証言したわ。パパは『おまえをクビにしてやる』と怒鳴った、ってね。だから、クビにできなきゃどうするつもりだ、と答えたんだって」

 ニーゼイ保安官は、自分の死をもってルゴの市政に抗議するつもりだと告げ、市長との通話を閉じた。


 プラントの爆発はその五分後に起こった。


「仕事中のパパから通話なんて珍しいから、なんとなく時計を見ていたの。だからいつ通話したか覚えているわ。でも、サイボックスに記録が残っているから勘違いだろうって、みんなは言った」

「市長たちにはサイボックス経由で連絡を?」

「プライベートと仕事は分けていたわね。仕事中は記録の残せるサイボックスを使うって」


 サイボックス経由で感情は伝わらない。


 疑似生体であるサイボックスは意思や感情を持っていないので、それを使った代理通話では、感情だけがすっぽり抜け落ちてしまう。いまのところテレパシー通信における感情伝達は、人間同士の直接通話でしか実現できないのだ。


 レッキイは父親と話していて、どちらかというと浮き立つような気持ちが伝わってきたと言う。その証言を信じるなら、直接通話をしていたことは間違いない。

 だが自殺も辞さない覚悟を持つ人間が、家族には朗らかに接しながら、同時に他人に糾弾のことばを投げかけ、脅迫などできるものだろうか。


 新聞記事やビデオ映像から見てとれるビルズ・ニーゼイの人柄は家族思いのよき父親そのものだ。そういった人物が、家人に黙って激情的な死を選ぶとは、肉親ならずとも解せないと考える方が自然だろう。


「市庁舎にあるサイボックスの通話記録を見せられたわ。……たしかに彼らの言うとおり、それにはプラントの爆発する直前、色んな人に向けてパパからの通話要請があったって示されていたけれど……だけど、あんな紙切れがあったって、わたしとパパがそれとほとんど同時刻に会話していたことは事実なの。証明の方法はないけど」

 たしかにその証明は不可能だ。

 そもそも生帯に、通話記録を残す機能はない。


 死者の脳髄を解析すれば、あるいは履歴の有無はわかるのかも知れないが、あいにく保安官の死体は黒コゲで、たとえその状態で解析できたにせよ、分秒単位の正確な時刻まではわからないだろう。人間の体内時計はデジタル時計のようではない。


「パパの、街へのこれまでの貢献ということで、表向きはプラントの事故ということになっているの。パパはパトロール中に火災を発見し、救助活動のためプラントに乗り込んで……パパの直前の行動に関しては伏せられているわ。でも、たぶん噂でみんな知っているのね。あれからわたしを見る目が違うし、避けられているわ」

 当時のことを思い出して、感情の昂ぶりを抑えられなくなったらしく、レッキイの頬はみるみる朱く染まりだした。

「いくらパパの死の真相について再調査を訴えても、当時の助手たちも、市民からでさえ、ひとりもわたしに協力しようってひとは出てこなかった。……パパは保安官として、あれだけルゴを護って、都市のために尽くしたのに、ここにはただのひとりもパパの不名誉な死を……汚名をそそごうって市民はいなかったのよ!」


 彼女の声ははじめ低く、徐々に甲高く変わっていく。

 その声音が完全に上りつめ、ハイソプラノから超音波――つまり金切り声――へと変わる前に、私は怒れるヴィーナスをなだめることにした。

「それなのに、なぜ、保安官助手に?」

 昨夜から疑問に思っていたことを質問する。

 補佐するべき対象はいないのに、助手だけいるというのもなにかおかしい。


 レッキイは声を詰まらせ、またもや眉間にしわを寄せて押し黙った。

 感情の高揚を途中で止められたので、その落ち着き先を探しているかのように口をへの字に閉じている。

 少々の間の後、会話を再開したときには、先ほどまでの冷静な口調に戻っていた。

「それは……市長の近くにいれば、何かがわかるかも知れないと思って」


 都市定住型の保安官は、都市責任者の中止命令のない限り、独自に警察権を執行できる。彼女はその特権で父の死の真相を捜査するため後任を希望したのだった。

 しかし、残念ながら、正規の訓練と教育を受けていないもの保安官にはなれない。

 『助手』の地位を手に入れるのが限界だったのだという。


「でも、やっぱりだめね。助手なんかじゃ。実権は自警団にあるもの」

「なるほど。しかし、それでも捜査をあきらめるつもりはない?」

 レッキイは私の顔をまじまじと見つめた。

「あなたはひょっとしたら、中央から再捜査をしに来た人じゃないかと思ったのよ」


 昨日からの一連の出来事に、ほどなく解決の道もつきそうな気配を感じた。

 移民局から来る予定だという調査官は、ニーゼイ保安官の事件を調べるために派遣されたのかも知れない。

 市長の言動や自警団の手荒い歓迎も、この娘の話を聞けばなんとなく合点はいく。


 ここには、よそ者に探られたくないなにかがあるのだ。


「私たちは、これまで何回も再捜査の嘆願書を移民局に送っているから、あなたを見たとき、ついに願いは叶ったと思った。思ったのに……」

 レッキイは口をつぐんだ。

 首を下に傾け悪びれたような顔をする。

 私たち、とは、きっと弟も含むのだろうな。

「何とも頼りない男が来た。そう思ったんですね」

 彼女の言おうとしたことを類推し、そう言ってみた。

「……うっかり者のね」彼女は上目遣いに私を見た。

「いいでしょう。……まあ、昨日の失態はともかく、あなたの要望は、いま、この場で私が移民局に変わって受理します。それでよろしい?」

 芝居がかったような自分のことばに、内心気恥ずかしさを覚えた。

 彼女はわずか、逡巡した。

 やがて腹を決めたのか、私に向かい、にっこり笑いかけた。

「よろしく、マッケイ保安官」

 さすがブロンド美人。

 素敵な笑顔だった。

「それじゃ私もスルトと呼んでもらいましょう。よろしくレッキイ」

「おねがい、敬語は使わないで。わたしあなたより年下よ。たぶん」

 私は苦笑しながら手を差し出した。

 執務用の大机上で彼女と固く握手をかわす。

 恊働する契約の代わりだった。


 彼女の真相究明に手を貸す理由は単純明快だ。


 消失した都市の手がかりを探すためには、目的を隠し、漫然とした動きで調査を進めるより他の明確な目的を持つ何かにカモフラージュして動き回る方がやりやすい。

 事故で死んだはずの保安官は、実は自殺で、他殺の疑いもあるという話は実にスキャンダラスだろう。

 その真偽はともかく、ルゴの市民たちはよそものの動きには、敏感に反応を示す。

 特にあの市長や自警団のやつらは。


 私の仕事は調査から、捜査に変化したのだった。

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