桜舞う始業式 #2


 ……朝、か。


 重い瞼を持ち上げると、カーテンの隙間から差し込む陽光が視界に入る。僅かに開いた窓からは春を告げる心地よいそよ風が、眩しい日差しと相まって俺の起床を誘った。

 こんな暖かい日には睡魔に身を任せて昼まで寝ていたいものだが、生憎そうも言っていられない。ならばやむなしと腹を括って、俺は勢いよく布団を跳ね除けた。

 しかし、起きると決意したのはいいが、やはりまだ頭はぼーっとしたままだ。夢とうつつの狭間を彷徨いつつも、俺は先ほど見た夢の情景を思い浮かべていた。



 そう、あれは今から一年と少し前の、春休みの話だ。突然銀髪の少女が現れ、何やかんやで気が付いたらその少女は俺の『使い魔』として契約していた。それ以上説明することの無い、ただそれだけの話。

 なぜこのような要領を得ないまとめ方になるのかといえば、不思議なことに、俺はそのときのことをはっきりと覚えていないからだ。まるで記憶喪失にでもなったかのように、そこだけ記臆が抜け落ちているのだ。


 銀髪の少女が俺の前に現れたときに何があったのかは、未だに謎である。ただ、このことを思い出そうとすると何だか変な気分になるので、いつしか俺は考えるのをやめることにした。考えたって仕方のないことは、生きていれば往々にして在るものだ。


 だから今はもっと意義のあることを考えよう。例えばさっき目に入った時計が指し示す、起床予定時刻を遥かに過ぎた今の時間帯のこととか。


「おはよう、しーちゃん。随分と遅いお目覚めだね」


 穏やかな口調とは裏腹に、冷たい目で俺を睨んだまま枕元に立つ、俺の幼馴染のこととか。


 本日は四月六日。俺が通う高校の始業式が行われる日だ。普段のように七時半には起きていれば十分に間に合う筈である。しかし今の時刻は八時〇〇分。完全な遅刻だ。


「さっきから三十分も身体揺すってるのに……どうして起きないの! そもそも私昨日言ったよね! 明日は絶対に早く起きてって! 休み明けで起きられないだろうから夜更かししないでって! あれだけ言ったのに、何で寝坊するの、もうっ!」


 ついに怒りが爆発したのか、彼女は矢継ぎ早に俺への文句を垂れ流す。

 どうやら本当に三十分間俺を起こそうとしていたみたいで、よく見たらさっきまで俺が潜っていた毛布は皺だらけになっていた。寝ながら布団にしがみ付いていた俺を、力任せに引き剥がそうとしていた痕跡だろう。


 心なしか彼女の頬が紅潮して息が上がっていたのは、それが原因か。


「ま、まあ待て結衣。今日から新学期ってことで、俺も予習してたんだ。だから昨日は夜遅く……」


「下手な嘘吐いても私には分かるんだからっ! それよりも早く着替えて支度する! 二分以内!」


 言い終わる間もなく嘘は看破され、一蹴されてしまった。ちなみに、昨夜読んでいたのは教科書ではなく小説である。


「いや二分は流石に無……」


「返事は?」「はい」


 俺の主張は口にすることすら許されず、俺は二分で朝の支度を済ませることになった。彼女は頬を膨らませ、すごすごと俺の部屋から出ていった。


 こうなった我が幼馴染には逆らわない方がいい。普段が温厚な分、激情が鎮まるまでにはそれなりの時間を要するからだ。


 だから俺は彼女の言う事に黙って従う。情けないことだと思うがこればかりは仕方がない。考えたって仕方のないことは、往々にして在るのだから。



 

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