1-3 探偵役は動機に関して言及しない

 一週間前には満開に咲き誇っていた桜も、今日はだいぶ花の数が少なくなってきている。正直に言うと、僕としては満開の桜よりはこれくらいの方がうれしい。日本人的なわびさびの云々というわけではなくて、ただ単純に、歩いていて服に張り付いてくる花びらの数が少ないからというのがその理由だ。一つ一つのけるのは手間だからね。

 しかし、ここにその素晴らしさを感じない者が一人。

「あー、ほとんど散っちゃいましたねー。なんだか寂しいです」

 僕の後輩だった。まあ世間的に見れば彼女の方が一般的なのでとやかく言うつもりはないけれど。

 鞄をぶんぶん振り回しながら僕の横を歩いている峰岸を見ながら、僕は心の中でほっと溜息をついた。


 さっき部室で、誰が財布を盗ったかを説明して峰岸は納得したようだった。

 しかし一方で、説明していない部分もある――どうして津久見つくみさんは、よりにもよって桐花きりばなの財布を盗むなんて行動に出たのか。

 そして僕は、その問いに対する答えを持っている。

 ならばなぜ、説明にその項目を加えなかったか。

 理由は二つある。

 一つ目は、説明してしまうとこの事件がで終わらなくなるからだ。峰岸は僕なんかと違って正義感が強いから、一人で突っ走ることもあるかもしれない。けれど僕は、突っ走った挙句に無様に転倒する峰岸の姿を見たくはないのだ。

 分かっている。こんなのはただのエゴで、僕の勝手な事情だ。どういう行動をとるかは峰岸が決めるべきことだ。そう思ってはいるものの、やっぱり僕は話すことができない。迷惑な後輩ではあっても、大事な後輩であることには変わりないから――。


 ともあれ、なぜ津久見さんは桐花の財布を盗んだのか。

 普通は財布に入っているものと言えばお金やカードの類だろう。しかしそんなものが欲しいなら何もわざわざ彼女の財布から盗む必要はない、ばれたときの報復がえげつないからだ。ただし、財布にお金やカード以外の物も入れているタイプの人間だっている――具体的には、肌身離さず持っていたい大事な物なんかだろう。

 さて、ここで問題。他人の弱みを握ることが趣味な桐花が財布に入れて肌身離さず持っているものとは、いったい何だろう?

 答えは、他人の弱み。

 まあ写真や録音データなんかの物証だけだろうけれど、おそらく彼女は、脅迫する際に必要な証拠品を財布に入れて日常的に持ち歩いていたんだろう。

 そしてそう考えると、津久見さんがリスクを冒してまで財布を盗んだ理由にも納得がいく。十中八九、自分の弱点を取り返すためだ。

 では、その弱点とは何か。

 僕と同じ中学出身の津久見さんが、僕と違う中学出身の桐花と出会ったのはおそらく葛西高校が初めてだろう。なのに入学直後に、すでに津久見さんは弱みを握られていた――この矛盾を解消するためには、原因は入試の日に求めなければいけない。そして入試に関する弱みと言えば、ただ一つ。

 カンニングだ。

 数か月前――今の一年生が受ける入試の前日、当時一年生だった僕らは自分たちの教室を特に念入りに掃除させられた。それは当時の僕らの教室が入試で使われたということを意味する。そしておそらく津久見さんは、入試の際にカンニングペーパーのようなものを持ち込み、机の裏にでも貼り付けておいたのだろう。そして、こともあろうにそれを回収するのを忘れた。

 普通ならそのカンニングペーパーは数日中に見つかり大問題になるだろう。しかし、僕はこう考えた――もしそれを見つけたのが、桐花彩音だったら?

 彼女なら、せっかく見つけたをわざわざ教師にご注進に行ったりはしないだろう。財布にしまい込み、受験番号などから入学した生徒のうちだれがそのカンニングペーパーを持ち込んだのかを照会する。かくしてまた一人、新たな犠牲者が誕生したというわけだ。

 ただし、これは物証がないと立件できないタイプの弱みである。だから津久見さんも、証拠のカンニングペーパーさえ取り返せば大丈夫だと踏んだのだろう。

 ただ、彼女には思いがけないサプライズがあった。

 普通なら、財布ごと盗まずにとっとと自分の証拠品だけ奪って何食わぬ顔で逃げればいい。運がよければ、発覚はかなり遅れるだろう。しかし彼女は、財布を丸ごと盗んでいった。

 なぜか――それが宝の山だったからだ。

 脅迫材料てんこ盛りの財布だ、丸ごと盗めばいろんな料理の仕方があるだろう――その脅迫材料を使って、今度は自分が他の人間を脅迫してもいい。もしくはわざと発見者を装い何食わぬ顔で教師に届け、中身の確認と称して諸々の脅迫材料を見つけさせて本人に対して復讐を果たしてもいい。時と場合によっては、脅迫材料を持っているという事実もまた立派な脅迫材料になるものだ。


 ……しかしまあ、これは何の証拠もないただの想像だ。妄想と言い換えてもいい。

 そんな根も葉もないものを、純真な後輩に聞かせることは先輩としてできない――それが、部室で説明しなかった二つ目の理由だ。




 夕日に照らされてできた二つの長い影が、川面に落ちてゆらゆらと揺れていた。

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