五十円玉は二十枚単位で扱うべし

2-1 生徒会長、襲来

「ちょ、せ、先輩……待ってください、話せば、話せばわかります……」

 後輩の峰岸みねぎしが、怯えたように後ずさる。その視線は、僕の手元――正確に描写するならば、僕の手に握られた、鈍色の鋭い光を放つ物体に向けられていた。

 はいわゆるサバイバルナイフと呼ばれる種類の刃物の形をしている。そして僕は、その刃先を他ならぬ峰岸本人に向けていた。

 突然くるりと背を向けた峰岸は、そのまま走り出し部屋から逃げようとする。しかしドアには鍵が掛かっていて、開かない。焦ってドアノブを何度もゆすっている峰岸の背中に向けて、僕は一気にそれを振り下ろし――。


「カットぉ」

 カチン、という音とともにかけられた声で、僕はナイフを峰岸の背中の数センチ手前で止めた。振り向くと、カチンコを手にした阿良川あらかわが首を横に振りながらこちらへ向かってくるところだった。

「どこかまずかったかな」

 パーカーのフードを脱ぎ、小道具の――もちろん刃がついていない――ナイフをポケットにしまいながら聞く。これで十五テイク目だが、今回ばかりは特にミスらしいミスもしなかったように思うのだが。もしかしてカメラのバッテリーが切れたとかか。

「まずいのはそうし、君の顔だよ」

 酷い言い方をする友人だった。親しき中にも礼儀ありという言葉を知らないのだろうか。そう抗議すると、

「いや、そういう意味じゃなくてだね……ほら、脚本にはこの段階ではまだ犯人の顔を映さないって書いてあるだろう」

「だから僕はフードを被ってるんじゃないか」

「それは確かにそうなんだけどね、走って峰岸ちゃんを刺そうとするときに少しフードがめくれたのさ。ほら見てみなよ」

 そう言って阿良川は、三脚に据えてあったビデオカメラを放ってよこした。

 ……再生してみると、確かに僕の顔が映っている。コマ送りで見た場合にひょっとしたら分かるかもしれない、というレベルではない。

 カチンコをかんかんとうるさく鳴らしながら阿良川が言う。

撮り直しリテイクだろう?」

 視界の端で、峰岸がへなへなと崩れ落ちたのが見えた。




 五月に入った。

 僕らは映画撮影に入った。

 そう書けば簡単そうに見えるのだが、撮影開始にこぎつけるまでが一苦労だった。

 まず脚本。この間の財布事件の後、峰岸が持ってきた二十冊ばかりの推理小説を読んでみて、なるほど確かに読む分には面白いものかもしれないがどう書いていいのか皆目見当が付かないという結論に至った。結局僕が一つメインのトリックを考え、峰岸が(本人曰く『本格風味に』)ブラッシュアップしたものを再度僕が脚本として整える、というややこしい手順を経て脚本は四月三十日をもって何とか完成したのだが。

 月が変わって五月。

 いよいよ撮影が開始できると思ったら、先輩諸氏が残して下さった機材がどれもガラクタ一歩手前の廃品状態だったので、電気店へ行って一揃い買い直す羽目になった。ここ数年ろくな成果を出していなかったらしいので当然満足な部費があるはずもなく、当然ながら僕が自腹を切った。

 そして最後の問題はスタッフ。キャストは脚本段階で僕と峰岸の二人だけで済むようにしておいたのだが、二人が同時にカメラに映る際のカメラマンを決めていなかったのだ。というわけで、こちらは自称僕の大親友、阿良川栞に依頼することになった。報酬は五千円。大親友が困っていたら無償で助けるのが普通だと思うのだけれど。


 ともあれ、五月も十日になってやっと僕らはカメラを回し始めることができたのだった。




「せんぱぁい、もう無理ですよー。今日はついてないんです」

「いや、さっきのは不測の事態で……フードの件を除けば他は上手くいってたよ。なあ阿良川」

「及第点だというだけだよ。だいたい時間が時間だから部室の中が明るいし、それにいい加減何度もやり直したせいでナイフの塗装の剥げが許容できないレベルにまでなっていた。それとさっきから外の吹奏楽部がまたぞろ音量を上げ始めたからそれもばっちり入ってるだろうし」

「今度『嘘も方便』という言葉を額縁に飾って贈ってやろう」

「大事にするよ」

 しかし、撮影を始めてから十回以上もリテイクを出したのは今日のこのカットだけで、しかもその数は現在進行形で増えつつある。確かに今日はついていないのかもしれない――よし、決めた。

「今日の撮影は終わりにしようか」

「根性のない男だねぇ」

 阿良川が皮肉を浴びせてくるが知ったこっちゃない。上手くいかない日もあるさ、幸いスケジュールは余裕をもって取ってある。そう自分に言い訳をしてさっさと部室を出ようと荷物をまとめていると、キイと音がして扉が開き誰かが入ってきた。

 振り向くと一人の男子生徒が入口の所に立っていた。不躾なことに挨拶の一つもなく本題に入る。

「ああ、やっぱりここだったか木則このり。実は少し気になることがあってだな、実を言うとお前に何とかしてもらえないものかと――」

 こちらの事情など一片も聞かずにマシンガンのごとくべらべらと喋りはじめるので、すこし悪戯心が湧いた。ちょっとした意趣返しという奴だ。

「いやごめん。君は誰だったっけ」

「――は?」

 マシンガンが装填不良を起こした。

「今ざっと脳内データベースを検索してみたところ君と一致する人間はいなかったのだけれど」

「いや待てお前、まさか俺を忘れたとは……」

「……冗談だよ、久慈院くじいん

 その慌てっぷりがあまりにもおかしかったので、思わず吹き出してしまった。常識的に考えれば冗談だと分かるものじゃないだろうか。


 久慈院などと言う大層な名字のくせに名前の方は奇抜さのかけらもない『わたる』で、さらに付け加えると中身は両者を足して二で割ったような感じ。つまるところ、どこにでもいるようなちょっと変わった奴なのである。どこがどのようにう変なのかは、入学直後に『硬貨で模型を作る会』という同好会を立ち上げたエピソードなんかで大体のところを推し量ってもらえるはずだ(現在会員一名)。

 そしてうちの学校はどうなっているのか、その変人に生徒会長の椅子に座ることを許している。きっと生徒会長などという大変そうな役職に就こうという物好きが他にいなかったのだろう。しかしまあ、仕事の方はそれなりに真面目にこなしているようなので今のところ誰からも文句は言われていないようだ。


 そういうわけで、仮にも生徒会長サマたる久慈院が僕の所に来るときはだいたい、『生徒会では処理しきれない厄介な案件』という手土産をぶら下げてくる。当然処理するのは僕で、久慈院は横でお茶をすすっているだけ。そしてその手土産は往々にして妙に癖のある味ばかりなのだ。特に去年のエアガン研究部事件の時の悲惨な顛末を僕は一生忘れないだろう。

「……で、今日の用事は?」

「言っておくが今回は生徒会は関係ないからな。うちの同好会の件だ」

「ははあ、一人しか会員がいない同好会の件」

「余計なことは言わんでもいい。……ところで、そっちの一年は誰だ」

 僕の肩越しに峰岸を指さす久慈院。そうか、阿良川は何度か会ったことがあるが峰岸とは初対面だったか。

「あー、映画部うちの新入部員で峰岸。中学の時も同じ部活だった。

 峰岸、こいつは残念なことにうちの学校の生徒会長で久慈院亘。『硬貨で模型を作る会』っていう変な同好会に入ってる」

「は、はじめまして……」

「こちらこそはじめまして。……おい木則、残念なことにとは何だ。それに硬貨模型の高尚さが分からんのか」

「久慈院が映画作りのおもしろさを理解できるようになったら僕にもその高尚さが分かるような気がする」

「映画は見るぶんには面白いと思うが創るのは面倒くさそうだとしか思わんなぁ……しかし木則。映画部に部室って必要なのか? 俺には青空の下で大汗かきながらカメラを回してるイメージしかないんだが。この間できた『メディア研究会』に引き渡してもいいな?」

「僕らの前にまずは部員一人の某同好会から部室を没収するのが先だと思うよ」

「作った模型を置くのに必要だろうが。現金だから保管にも気を遣うし」

「なら僕らだってカメラやパソコンを置くのに必要だ」

 もはや恒例の行事と化してきた皮肉の応酬である。ただし今日はそんなに時間があるわけでもないのか、久慈院はさっさと本題に戻ってしまった。残念。

「……それより木則。少し頭を貸せ」

「なんだい」

「うちの同好会では硬貨で模型を作ってるんだが」

「……そう言えば、どうやって作るのか聞いたことなかったな。接着剤で十円玉とかを貼り合わせて作るのかい?」

「話を逸らすな。……ただまあ、その話も関係あるにはある。まあ座れ」

 パイプ椅子を示す久慈院。うちの部室だぞ。

 しかしそんなことには全く頓着せずに話を進めるのがうちの生徒会長サマなのだ。

「世間一般のモデラーがどう作っているかは知らんが、俺の場合はまず針金で芯を作り、そこに穴あきの硬貨を通して作っている。動かしても崩れないからなかなかいいぞ。置いておけばインテリアとして十分機能するし、金に困ったらばらせばそれなりの額にはなる」

「その硬貨って部費じゃないのかい?」

「誰が本当に懐に入れるかバカ野郎、もののたとえだ。あと半分以上は俺の財布から出したからいいんだよ。それに言うほどの額にはならん」

 お金の形のままで存在しているのだから別に浪費ではないのだろうけど、趣味に年一万の部費を全てつぎ込むというのに若干の違和感を覚えるのは、僕たちが部費をあまり使わないからだろうか。

「まあ金にも限りがあるからほとんどの模型は五円玉で作っているんだが、一つだけ、五十円玉と五円玉を百枚ずつくらいの割合で混ぜて作った奴があるんだ。豚の形なんだが、会心の出来だった」

 貯金箱とかけているのだろうか。それにしても総金額一万円とは、贅沢な話だ。

 ……ん、『だった』?

「そう、『だった』……最近、その五十円玉が少しずつ抜き取られている」

 立派な盗難事件だね。




「おかしい、と最初に思ったのは先週の木曜日――ちょうど一週間前だった。部室に入って棚のところを見ると、その豚のすぐそばに二つに折った千円札が置かれていたんだ。なんだろうと思いながら千円札を眺めているうちに、ふと思いついて豚を見てみた。すると右足のあたりの硬貨と硬貨の間に隙間が開いているように思えたんだ。ただ、硬貨同士の組み合わせ方によっては些細なずれで大きな隙間が開くこともあるからそれほど気にはしていなかったんだがな。

 だが、昨日部室へ行ってそんなものじゃないことに気づいた――また千円札が置かれていて、隙間もさらに多くなっていたんだ。どうやら、毎週木曜日にうちの部室に忍び込んでるらしい」

「……確証は? さっき、大きな隙間が開くこともあるって言ってたけど」

「金そのものを扱う関係で、制作時には設計図を作らなきゃいけないんだ。制作前と制作後に顧問にチェックしてもらって、その分だけ部費を申請するからな――その設計図と突き合わせて確認した。五十円玉ばかり合計で四十枚抜き取られている。犯人が置いていったと思しき二枚の千円札と金額も合致するな」

「あ、五十円玉二十枚の謎!」

 唐突に峰岸が大きな声を上げた。なんだ、五十円玉二十枚の謎って?

「えーっと……推理作家の若竹七海さんが書店でバイトをしてた時に遭遇した話らしいんですけど、毎週土曜日に変な男の人が五十円玉を二十枚持ってきて千円札に両替してくれっていうんだそうです。割と有名な話なんですけど、まだ合理的な説明がついてない話で……あ、お読みになる際は北村薫さんの『ニッポン硬貨の謎』もご一緒にどうぞ」

 何か後半、ただの宣伝になってたような。

「で、その話がどうかしたの峰岸」

「いえ、その犯人さんが次の次の日……土曜日あたりに五十円玉を二十枚持って両替に行ったんだったら面白いなぁ、と思って」

 自分の財布から出した可能性が一番高いと思うが。

 しかし問題は、どうしてそんなことをしているのか、ということ。五十円玉を二十枚ずつ盗むだけというのならまだわかる。ただの小遣い稼ぎと解釈できるからだ。二十枚という単位も、大きいお金に換えやすい量で、なおかつそんなにポケットが膨らまないから犯行現場から出てくるのを見られても不審に思われないから、という解釈ができる。

 ただ、千円札を代わりに置いていくというのが解せない。なぜだろう。

 ……まあ、それはおいおい考えていくとして。

「しかし久慈院、毎週木曜日ってわかってるのならどうして捕まえて事情を聞かないんだい。そういうの得意だろう」

「それも含めてお前に頼みに来たんだ、頭を貸せと言っただろう――容疑者が絞れてないんだ。誰が犯人か分からん状態で下手を打つと向こうが警戒して二度と来なくなる。できれば現行犯で締め上げたい」

「なるほど、だから頭を貸せと。

 だけど勝手なイメージで、君は罪を憎んで人を憎まずな奴だと思ってたよ」

「俺だってこんな手段で人に嫌がらせしてくるような根暗な奴は嫌いだっての。……手伝ってくれるか」

「もちろん」

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