2-2 The Japanese Nickel And Brass Mystery

 部室から外へ出ると、かすかに聞こえていた管楽器の音がにわかに大きくなった。

 久慈院に先導されて『硬貨で模型を作る会』の会室へ。峰岸は当然のようについてきたが、阿良川はさっさと帰ってしまった。実利がないからだろう(ちなみに僕は阿良川のこの割り切った性格が結構気に入っていたりする。しょっちゅう情にほだされる僕としては、見るべきところがあるはずだ)。

 各部の扉が並んでいる以外には見事に何もないすっきりした廊下を三人で歩く。しかしいくらそれだけで一つの建物であるとは言っても所詮は部室棟。一分もたたずに問題の部屋に到着した。この部室は扉にポスターやチラシをやたらと貼り付けているため遠目に見てもすぐわかる。

 しかし同好会と言えど部室は僕ら映画部のものと全く同じで、待遇の差は部員の少なさに起因して部費が若干少ないくらいのものだろう。とはいえ快適な部室造りのために毎年部費からいくらかをつぎ込んでいる映画部と比べると、全てを模型作りに捧げるこの同好会は僕らよりよっぽど充実したクラブ活動をしているようだ。ちなみにこのあいだ部室の隅から発掘した十年ほど前の予算報告書を見てみたら、『その他諸経費』が全体の六割ほどを占めていた。これでよく生徒会の会計検査を通ったものである。

「どうぞ、こちらが我が『硬貨で模型を作る会』でございます」

 大仰な仕草で扉を開ける久慈院。僕はこれまでにも何度か来たことがあるので大した感慨は覚えないが、初めての峰岸は足を踏み入れるなり「すごーい!」などと月並みな感想を述べている。

 各部室標準装備のスチールラック以外には何もない殺風景な部屋。そのスチールラックの最上段――悔しいことに僕の身長では届かない――の奥の方に、総勢五体の鈍色に光る小さな物体が鎮座ましましていた。何もあんな高いところに置かなくてもいいだろうに。

 スチールラックの網目はかなり粗くて、伸ばした状態ならともかく二つに折った千円札はよっぽどうまく置かないと隙間から下に落ちてしまいそうだった。さいわい五つの硬貨模型はそれぞれに大きめの台座が付いているのでそういう事態にはなりそうにない。

「うわぁ……結構綺麗……」

 スチールラックに張り付いて模型を下から眺めまわしている峰岸をよそに(彼女も僕同様身長が足りないので真横から見るということができないのだ)、僕は久慈院にいくつか質問をすることにした。

「もう少し数があるかと思ってたんだけど……あの五つで全部かい?」

「全部だ。……あのな、どれもだいたい二百枚ずつくらい使ってるんだぞ。あの五つで、去年度と今年度の予算――合わせて一万二千円だな――をつぎ込んでもまだ足りん。かなり俺の財布から出してるって言っただろ」

 ――なるほど。

 そういうことなら別に構わないけれど。少し考えてから、とりあえず先に容疑者に関しての情報を聞くことにする。

「それで、容疑者は何人いるの?」

「四人だ」

 それは多い。

「内訳は?」

「一人目、顧問の郡山こおりやま。毎週、水曜と金曜に部室に来るから犯行が可能だ。

 二人目、同じクラスの別役べっちゃく杏子きょうこ。二週間前の金曜日に部室に来て以来あれがいたく気に入ったらしく、暇ができては見に来てる。二日にいっぺんくらいは来てるかな。

 三人目、生徒会うちの会計の道岡みちおかまい。俺に対してだけは何故か小言の多いやつでな、よく部室に避難してたんだが……この間ついに突き止められた。おかげで最近はいろんな避難場所を転々としてるが、どっちの金曜日も一度ここに来てる」

 僕だって一年間無為に過ごしていたわけではないので、程度の差こそあれその三人のことはそれなりに知っていた。

 郡山先生は国語担当の先生で、僕らの学年では古文を教えている。とはいえ生徒にあまり人気のある方ではない。妙に厭味ったらしい話し方をしたり自作教科書を高値で売りつけて教材にしたりするからだ。

 実はその教科書の代金を昨日までに払いに行かなければならなかったのだけれども、うっかり度忘れしていて今朝行ったら三十分ほど嫌味を言われた。昨晩は宿直だったらしく(髪の毛の寝癖が直っていなかった)、寝起きで機嫌が悪かったというのもあると思うが。教科書が2505円だったのでせめてもの抵抗として一万円札を一枚だけ出してやった。

 別役さんは、まあ歯に衣着せぬ言い方をするとお金持ちのお嬢様。とはいえそれを笠に着て威張ったり高いブランド物のバッグを買いまくったりするようなことはなく、育ちの良さを感じさせる。同年代の女子たちと比べると細身で小柄な体も、深窓の令嬢といった雰囲気だ。部活には入っていないらしい。

 道岡さんは見た目はいかにもスポーツをしてそうなのに実は運動神経がとびきり悪く根っからの文学少女で、なかなかエキセントリックな言動をする見ていて面白い人。当然のことながら読書部に入っている。

 僕が知っていて久慈院が知らないことと言えば、彼女が生徒会に入ったのは久慈院が生徒会長に立候補したからってことくらいだろうか。小言が多いのは単に照れ隠しか何かだと思う。

「ふぅん、なるほど……って、ちょっと待った。四人目は?」

「俺の目の前に座ってる木則って男だ」

 ……それはどうも。

 そういえば、先週も昨日もこの部屋へ来たような気がする。用件もないのにふらっと行ってみるなんて愚を二度も犯したのはなぜだろうと自分でも疑問に思っていたのだが、なるほど神様が僕まで容疑者に含めようと悪戯をしたといったところか。

「まあお前は犯人じゃあないだろうが」

「なんでそう思う?」

「簡単な話だ。もしお前が犯人だとしたら、金には困ってないだろうから十中八九愉快犯だ。だが同時にお前は自分から暇つぶしの種を外に見つけに行く性格でもない」

 ――なるほど。

 極めて論理的で素晴らしい。

 しかし、そこまで僕のことをよく理解してくれているのはありがたい話だがそれなら最初から容疑者に数えないでほしかった。

「じゃあ、また質問続きになるけど許してくれ――なぜ入ったのがその三人だけだと言える? 彼ら彼女らが入って出て行くまでの間、ずっと君がその場にいたわけじゃないだろう、もしそうなら、君が硬貨を盗まれるのを見過ごすはずがない。ということは、とりもなおさず君が一度ならず部室を離れたということになるけれど、そうするとその間に部室に誰かが忍び込んだという可能性もあるんじゃないか?」

「ないな」

「なぜ」

「入ってくるときに見ただろう、うちの部室の扉」

 扉がどうしたというのだろう。記憶から懸命に該当する画像を探し出す。

「――確か、ポスターとかチラシがべたべたと貼りまくられていたような気がするけど」

「そのとおり。金を剝き身で放り出している以上、管理は他の部や同好会よりも慎重にしないといけないんだが――しかし、ちょっと用があって外へ出る時に鍵を持っていくと他の奴が来たときに入れん。かといって目立つ所に置いておくのは本末転倒だから、マスターキーは俺が常時持っていて、他の奴が俺のいない間に入る時はあのチラシの裏に吊るしてある合鍵を使うことになってる。この際だからお前にも教えておくが、『チャイナのぼりまよい』ってオレンジ色の字で書かれた、何かのパロディっぽいがよくわからんチラシの裏だ」

 いつの間にかスチールラックから離れて戻ってきた峰岸が、わぁいいセンスしてる、と呟いたが何のことだか分からないのでスルー。

「なんなんだいそれは」

「知るか。掲示板に無許可で貼られてたから生徒会うちで押収したものなんだが、デザインが割と良かったから再利用させてもらってる。大方、美術部あたりがお遊びで作ったものなんだろうよ」

「職権濫用」

「うるさい。……つまり何が言いたいかっていうとだな、今のところ、俺がいない時に部室に入れるのは俺が鍵の場所を教えた奴だけってことだ」

 ふむ。

 そうなると、容疑者をまた一人絞ることができる。……いや、最初から僕は容疑者じゃなかったんだけどね。

「久慈院、道岡さんは違うよ。君、彼女には鍵の場所を教えてないだろ」

「え? ……ああ、そういえば教えてなかったか。なんでわかった?」

「君の数少ない美点のうちの一つが、何でも一度自分で考えてから行動することだ。そして彼女の目的は君に小言を言って生徒会室へ連れ戻すことなんだから、君がいない間に部室に入る必要がない。そういう人には、君はわざわざ教えないんじゃないかと思ってね」

「……ま、確かに。しかしあれだ、ひょっとして別役が合鍵を取り出してるところを見たのかも――」

「さっきも言ったとおり、彼女の用事は君を生徒会室へ連行することだ。つまり彼女が来ている時は君が部室にいる時で、君が部室にいる時は誰も合鍵を使う必要がない。彼女には合鍵の場所を知るすべがないんじゃないかな」

「侵入しようと思って、別役さんが合鍵を取り出すところを見張っていた可能性はありませんか?」

 と、峰岸。

 これから解説しようと思ってたところだよ。

「そもそもあの部屋に入る人間は限られているんだ。部外者はまず間違いなく久慈院が一人であの部屋を使っていると考えるだろうし、よしんば別役さんあたりが入り浸っていることを知っていたとしても、普通は合鍵をどこかに隠しておいて部屋の主がいないときだけそれを使うなんてややこしい方法には思い当たらないさ。おそらく道岡さんは合鍵の存在自体を知らないね」

 しかし道岡さんが自分に向けている気持ちを全く知らない久慈院は平気で彼女を容疑者の一人として数えていたけれど、僕としては早くその鈍感さを直してもう少し親密な関係になってしまえと思わなくもない。まあただのおせっかいとも言えるが。

「さて、これで早くも容疑者は半分になったわけだけど――その前に、久慈院」

「な、何だ」

 たじろいだように少し後ろに下がる久慈院。動揺しているのがよく分かる。

「何か僕に、言ってないことがあるんじゃないかな。主に動機面のこととか」

「……なんで分かった?」

 自分でも嘘が付けない性格であるということは分かっているのか、案外あっさりと認めた。具体的にはこの男、嘘をついているときや何かを隠しているときには左手の五指が奇妙な踊りを始めるのだ。とても分かりやすい。

「最初におかしいと思ったのは、一万二千円の部費以外に君が小遣いまでつぎ込んでいると言った所だったかな。君の話が暇だったから頭の中で計算してたんだが、これはおかしい。

 まず、模型は五つあってそれぞれが二百枚程度の硬貨でできている。そのうち四つは全て五円玉でできているが、豚の模型は五円玉と五十円玉を百枚ずつ混ぜて作られている。さて、ここまで条件が出されたら小学生でも計算ができるね――この五つの模型に使った硬貨の総額はいくらでしょう?

 答えは、五かける九百と五十かける百を足して九千五百円だ。これはおかしいね、一万二千円の部費があれば十分に賄える量じゃないか。まさか芯に使う針金なんかに残りを費やしたわけでもあるまい。

 だからこの時点では、僕は君がその二千五百円をネコババしてるんじゃないかと疑ってた。ごめんね。

 しかし、僕を容疑者から外すときに君はこう言った――『金には困ってないだろうから』。これは、君が犯行動機をお金に関することと捉えていると断じてもいいんじゃないかな? そこで僕は仮説を立ててみた。

 五円玉や五十円玉といった硬貨は、本来はそこに刻まれた数字以上の価値は持たないはずなんだけど――世の中にはその価値以上の値段で取引される硬貨があるとか」

「……ご明察」

「え、よくわかんないんですけど先輩。五円玉って五円分の価値しかないんじゃないですか」

「勿論、普通はそうだ。だけど峰岸、世の中には奇特な人がいるものでね……確かにどんな硬貨であろうともお店で払えばきっちりその価値で扱われる。けれど硬貨は年によって発行枚数が違ったりバージョン違いがあったりするから、同じ硬貨でもコレクター間ではそれ以上の値段が付くことも珍しくないんだ。……ところで久慈院、五十円玉で価値が高いのっていつのだっけ?」

「昭和六十二年のが目玉が飛び出るくらい高いぞ……何と八千円だ。一般には流通してなくて、造幣局の貨幣セットにしか入ってないからだな」

 ――なるほど。

 そこまでバカ高いとは、僕も知らなかったけれど。

「ちなみにその昭和六十二年の五十円玉も一枚混ぜてた。もっとも八千円で買ったわけじゃなく、小学生の時分に自販機の釣りで出てきたものなんだが」

「一般流通してないんだろ。出るのかい?」

「確率は低いが全くありえんわけじゃない。貨幣セットを崩して使う数寄者もたまにいるからな」

 僕みたいな一般民からすると、そんなレア硬貨を普通に使うなど狂気の沙汰としか言いようがない。特権階級的な優越感に浸りたいのだろうか。

「ともかく久慈院、これで『どうして千円札を置いていったか』の謎は解けたね。万が一犯人が自分だとばれた場合に、対価を置いていったんだから窃盗じゃないと言い訳するつもりだったんだろう」

 まあその言い訳は成り立たないんだけれども。

「……しかし木則、それだけでは判断材料にはならんぞ。もしかして別役はお嬢様で金には困ってないからわざわざ高い硬貨を盗む理由がない、などと言うつもりなら笑止千万だ。金持ちにもレア硬貨の蒐集が趣味な人間は多いぞ」

 笑止千万って。

 この男はたまに言い回しが古いことがある。

 まあ、金持ちなら窃盗などと言う手段を取らずに公明正大な手段で堂々とレア硬貨を買い求めるだろうとか、久慈院の今の台詞には突っ込みどころがあるのだが、そういう心理的なことだけで反論しても説得力に欠けるので物理的な面から反論してみる。

「まあ久慈院、お前だから気づかないのかもしれないけど……別役さんにはまず無理だよ。何てったって、

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