2-3 消去法推理の解決編

 少し想像してみれば簡単に分かることである。

 僕だって届かないのだから、僕より小柄な別役さんに届くはずがないのだ――あのスチールラックの最上段は。おそらく置いた張本人の久慈院だって、背伸びしてギリギリだろう。

「し、しかし……何か踏み台を使ったとか、そんなことしなくてもスチールラックに直接よじ登ったとか……」

「それもありえない。踏み台と言ったけれど、この殺風景な部屋のどこにそんなものがある? 踏み台はおろか、ペン一本に至るまで何もないじゃないか。

 踏み台をどこかから持ってくることは、これもちょっと現実的じゃない。第一の問題としてここは部室棟で、廊下には見事に何もない。他の部室には生徒がいる可能性があるから、入ることもできない。だからこの棟内で踏み台になるものはまず見つからないと言っていいだろう。

 そうなると教室棟から机なり椅子なりを持ち込むことになるけれど、これから物を盗む人間の心理としては目立つことは避けたいはず。放課後に生徒が一人で椅子や机なんかを部室棟まで持ち込むなんてのはかなり奇妙な光景だろう。今回は君が内密にすませようとしているから犯人にとっては嬉しい話だけど、もし後で大ごとになった場合、『そういえばあの日、自分と同じくらいの大きさの机を一人で運んでいる女子生徒を見かけましたね。ええ、変に思ったのでよく覚えてるんです』ってな証言が出てくることは避けられないんじゃないかと思うんだよ。特に、部室棟の外では吹奏楽部が日夜練習に励んでいるからね。

 それから、スチールラックによじ登ったという説……こっちは簡単に片が付く。このスチールラックはかなり高い上に軽い。足をかけた瞬間、まず間違いなくこちら側に倒れてくるだろうね」

「……じゃあ、倒せばいい。よじ登らなくてもスチールラックに少し体重をかければ、傾斜ができて模型は滑り落ちてくる。それをキャッチすれば……」

 さっきの道岡さんの時とは違ってえらく反論してくるな、と思ったが、よく考えればここで僕が『別役さんは犯人でない』としてしまえば自動的に顧問の郡山先生とやらが犯人ということになるわけで。ここで自分が何か見落としをすれば無実の人間に盗人の汚名を着せてしまうことになるかもしれないとなれば、それは徹底的に可能性を叩いていくことくらいはするだろう。

 えーと、スチールラックを倒すんだったっけ?

「全体的に隙間の多い構造とはいえ模型は金属製だよ? 下手すれば頭に当たるし、そうでなくても加速している関係でキャッチできない可能性は大きい。何より模型は五つあるんだ、手が二本しかない人間の身で全部キャッチすることはできない。確実にいくつかは落下するだろうね。

 するとどうなるか? そもそも模型ってのは実用性や耐久性を無視してることがほとんどだ。高所からの落下エネルギーでほぼ確実に模型はバラバラになるだろうね。

 まあ針金がねじ切れたり硬貨が割れたりすることはないにしても、おそらくそこら中に五円玉やら五十円玉がばらまかれるだろうね。作った君がどれくらいで復元できるかは知らないけれど、部外者からすればかなり時間のかかる作業だし元に戻すことがほぼ不可能な作業であることは明白だ。

 まあ参考までに、もしなんとか復元できた場合のことを考えてみると――五つのうち四つは五円玉ばかりで構成されているからいいとしても、最後の一つは五十円玉と五円玉がランダムに混ぜられている。当然元と同じ並びにすることは不可能だし、そうすると君が並びが変わっていることに気づくはずだ。参考までに聞くけど、変わってたかい?」

 少し考えた後、言いにくそうに、

「……いや。抜き取られてた部分以外は、並びは変わってなかったように思う」

 という答えを返してくれた。ありがとう。

 しかし久慈院亘はあきらめない。

「――じゃあ、ジャンプするというのは? 手を伸ばして届かなければジャンプしてみるのが普通だろ」

「まあ、普通はそうなんだろうけどね……それなりに奥行きがあるスチールラックで、なおかつその奥に置かれているとなればジャンプしてもつかめないと思うよ。久慈院、君だって背伸びしないければ届かないんじゃないかい?」

 人間の腕というものは、手首、肘、肩の三ヶ所しか動くようにはできていない。垂直にジャンプした状態で手首だけ曲げてもスチールラックの奥には届かないし、さりとて肘の部分で曲げればかなり跳ばないとまず最上段まで届かない。

 実験の意味もかねて実際にジャンプしてみる。予想通りというか、あえなく模型をつかめずに落下。165センチの僕より15センチほど低い別役さんの身長を鑑みるとまず無理だ。だいたい、ジャンプしたところで同じ高度で滞空できるのは一瞬で、その短い時間の間にあの重い模型をホールドするのは難しい。

「まあそんな訳で、別役さんには犯行はとりあえず不可能と断じてもいいんじゃないかな」

「……待て、足りなければ補えばいい。曲がった棒状のものを二本用意すれば、ジャンプなんかしなくてもつかむことができるんじゃないか?」

「さっきの踏み台説のときも言ったような気がするけど、その『曲がった棒状のもの』をどこから調達してくる? この部室棟内で何かを調達するのが基本的に不可能なのはさっきも説明したとおりだし、持ち込むときの不自然さは机や椅子に比べると多少はましかもしれないけど、その分条件に合うものを探すのは難しいだろうね。だいたい曲がった棒状の物ってどんなものを想定してるんだい?」

「それは、えーっと……ダウジングの器具とか」

「学校にあるもので頼む」

「……箒とか?」

「箒では、曲がった部分が短すぎてスチールラックの奥まで届かないよ。

 こうやって考えてみると、学校にはいろいろな物が置いてあるように見えて、実は個人がこっそり使えるものというのは少ないんだ。

 そしてもう一つ。よしんば何らかのイレギュラーな事態が起こって条件に合致する『曲がった棒状のもの』が手に入ったとしても、これはやはり不可能だ――なぜなら、模型を取り出すことはできても、千円札を置くことができないから」

「……あ」

 かなり粗い、スチールラックの網目。

「人間はなまじ自分の手という便利な道具に慣れ切っているせいで、その他の道具を使うと操作性が著しく落ちる――その道具を本来の用途以外に使った場合はなおさらだ。君の言う『曲がった棒状のもの』を使うなら当然二本で挟んで対象を移動させるんだろうけど、これでは狙ったところには置けない。まして千円札なんて薄くて軽いもの、あの粗い網の上に置くには自分の手でやっても少し慎重にならざるを得ないね」

「――しかし、不可能というわけじゃないだろう。一回で成功する可能性は確かに一パーセントにも満たないかもしれんが、数回やれば慣れてきて成功しないとは言えないだろう」

「分かってないね、久慈院。これはできるかどうかの問題じゃなく、それにプラスして何が起こったかも問題となっているんだから。

 具体的に言うと、確かにあの網目は二つ折りにした千円札が落ちるくらいには粗い。けれどもそれは、伸ばした千円札が落ちない程度には細かい網目であるということだ。つまり最初から伸ばした状態で置けばよかったのにそれをしなかったということは、犯人が千円札を二つ折りにした状態でも落とさない自信がある程度には確実な手段――つまりは自身の手を使って置いたことの傍証になるんじゃないかな」

「……なるほど」

 渋々といった様子ではあるが、ようやく納得した様子の久慈院。

 僕は芝居がかった仕草で両手を広げ、

「以上の理由より、道岡舞さん及び別役杏子さんは犯人でないとなりました。ゆえに、犯人は顧問の郡山先生ということになります――郡山先生は、君と同じくらい背が高いんじゃないのかい」

 そして深々と一礼した。

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