2-4 別ルートの解決編

「……刺さらないなぁ」

「当たり前じゃないですか先輩、刃のついてない模造品のナイフですよ? いくら尖って見えるからって、落としただけで床に刺さるわけないじゃないですか」

「それもそうだね。……おぉい阿良川、技術室行ってノコギリか何か取って来てくれ」

「先輩が何をするつもりなのか私気になります!」

「落としても刺さらない。だから、刺さった状態から引き抜いた映像を逆回しする。そのためにはナイフを刺すための切れ込みが床に必要で、あいにくこの部室の床は木造じゃないからそんな都合のいい切れ目はない。ゆえに作らないといけない。だからノコギリが必要だ」

「ちょ、ちょっと先輩! さも論理的であるかのように言ってますがここ学校! 公共施設! 破壊しちゃだめです!」

「分かったそうし、ノコギリだね。チェーンソーとかがあったらそっちがいいかな?」

「いや、チェーンソーは切れ目の幅が大きくなってナイフがぐらぐらになりそうだからノコギリでいいよ」

「んじゃ、行ってくる。追加料金は三百円だ」

「三十円にまけろ」

「じゃ五十円にしようか」

「よし、契約成立」




「先輩、学校を破壊したら駄目ですよぉ。久慈院さんに部室から追い出されちゃいますよ」

「心配するところはそこか」

 阿良川が教室棟の技術室までノコギリを取りに行ったので、撮影はいったん休止。クールダウンというわけだ。

「……ま、阿良川が帰ってくるまでこっちも何かやっておかないと。峰岸、ナイフ取ってくれ」

 机の上に置かれていたナイフを無造作に投げてよこす峰岸。いつもペンケースに入れてあるグレーの糸を取り出して、ナイフの柄の所に結びつける。

「先輩、なんでそんなもの持ってるんです?」

 何でって……。

「いやほら、ボタンが飛んだときとか便利だろ? 針も一本入れてあるんだ」

 ペンケースを開けて見せる。感心してくれるかと思ったのに、うわぁ先輩一年会わない間に危ない人になってる、と言われてしまった。なんだ、僕はそんなに裁縫しそうに見えないのか?

「……ところで、先輩。久慈院さんといえば」

 来た。来ると思った。

「あの、先輩がめちゃくちゃ弁が立つっていうのはよく分かったっていうか元から分かってたんですけど、この間のあれで顧問の先生を犯人とするのはちょっとどうなのかなっていうか……」

「曖昧な言い方だね峰岸。言いたいことははっきり言った方がいい」

「その、説明の最中『だろう』とか『はずがない』とかって単語が目立った気がして……絶対にないとは言い切れないんじゃないですか?」

「だろうね。僕もあの戯れ言を推理と呼ばないことくらいは分かってるよ……あれはただ単に、確率だけでいえば顧問の先生が九十九パーセント犯人だろうってだけのことだ」

「だったらどうして」

「……前に峰岸が、シャーロック・ホームズの名言みたいなものを教えてくれただろ。細かい部分は忘れたけど、確か『起こりえない事象を全て排除していけば最後に残ったことが真実』みたいな言葉だったね。消去法と言ってしまえばそれまでなんだけど。

 さて、今回の僕の戯れ言はまさにこれだった。大別すれば、『犯人は郡山先生』『犯人は別役さん』『犯人は道岡さん』の三つのパターンに分けて、そのうち二つを排除した」

「ですね」

「ただホームズさんのこの言葉、確かに正しくはあるけれども人間にはできないことのはずなんだ――なぜならこの言葉の通りに行動しようとすると、まずというものを考えなければならないから、ね」

「……考えればいいじゃないですか」

「無理だよ。全ての可能性ってのは、文字通り全て――どんなに微細なことでも、別の可能性というものがあればそれを検証しなければならない――だから、有限な人間の脳でそれを行うことはできない。できるのはさしずめ神様だけ、といったところかな。

 そこまで大げさに言わなくても、可能性を全て網羅するなんてことは不可能に近い。僕の戯れ言に信憑性がないのはさておくとしても、あの場で僕らが思いつかなかった何かすごいトリックがあるのかもしれない。そういうものに足をすくわれないためには、否定の戯れ言トリックじゃなくて積み重ねの論理ロジックや動かぬ証拠が大事だと思うんだ。……例えばこういう」

 そう言って僕は、ポケットからあるものを取り出す。峰岸が丸い目をさらに見張ったのが分かった。

「先輩、それってまさか」

「その通り、五十円玉だ。――昭和六十二年製の」




 種明かしをすると。

 この五十円玉、昨日までは僕の財布の中になかったものだ。そして今日のいつの時点で僕の手元に渡ってきたかと言えば――早朝、始業前。郡山の悪徳教科書商法にささやかな抵抗として一万円札を叩きつけた際、お釣りとして帰ってきた大小さまざまな硬貨の中には混ざっていた。

 とはいえ朝の時点でははっきりとした確証があったわけではなく(おぼろげにレアだったような記憶はあったものの、僕の記憶力の悪さには定評があるのだ)、放課後になって久慈院が乱入してくるまでは大して気にも留めていなかった。

 しかし久慈院から話を聞くにつれ、どうやらこの硬貨はあの部室から郡山の手によって盗み出されそれが僕の手に渡ったという可能性が高いと思えてきたのだ。だいたいいくら僕でも、あの情報量の多い解説の中で使用した硬貨の枚数と金額の齟齬に気づけるわけがないのだ――最初からそうと疑っていない限りは。

「決定的な証拠、と言ってもいいだろうね。もともと発行部数が少なく、さらにその大部分はコレクターが後生大事に保管している。

 郡山に罪を認めさせたければこれを鼻先に突きつけるだけでいい。もし偶然だと否定したとしても、これには久慈院と郡山の指紋が揃って付いているはずだ――犯行の時は指紋に気をつけて手袋か何かしていたかもしれないが、僕にお釣りを渡すときは当然ながら素手だったからね」

「あの、先輩。そもそも郡山……先生は、なぜ財布に、昨日盗んだ硬貨を入れておいたんです? 下手したら使っちゃう可能性があることくらいは少し考えたらわかりそうなものですけど」

「郡山にとって不幸なことが重なった――ということなんだろう。

 おそらく郡山は、先週の木曜日は盗んだ硬貨をすぐさま家に持って帰ったんだろう。けれども昨晩は宿直当番だったものだから家に帰る暇がなかった。無理をすれば一時間や二時間の空きくらいは作れただろうけど、別に彼は切羽詰まっていたというわけではないから特にその必要を感じなかった。だから財布には昨日盗んだ硬貨がそのまま残っていたんだと思う。

 そして今朝、起き抜けのぼーっとした頭で職員室へ降りてくると教科書代の締め切りを忘れていたというアホな生徒がいる――まあ僕のことなんだが。眠気の取れない頭で説教をして、眠気の取れない頭で何となくお釣りを払った。そこにたまたま、問題の昭和六十二年製の五十円玉が混ざったというわけだね。今日が締め切り日だったら彼もお釣りを出す時に少しは気をつけたんだろうけど」

 まぁ、僕は基本的にそういうことに干渉するのは好むところじゃないので、今度久慈院に会ったときにこの五十円玉は返してあげよう。

 彼がどうするかは、彼次第。


 僕は、ただ暇が潰せたら満足なのだ。

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