1-2 リハビリがてらの解決編
「えぇっと……概要は確かに峰岸ちゃんの話した通りなんだけど」
「待て待て。あいつは密室とか言ってたが、さっきまでの話じゃ密室なんかじゃないじゃないか。ドアに鍵が掛かってたなんて話は聞いてないぞ」
「聞いてないと思うよ。先生方は『最後に教室を出たものが鍵を掛けるように』なんて言ってるけど、面倒くさくって鍵なんか掛けるわけないじゃないか。だいたい鍵を置いておく机というのが決まっていてね、一日中そこに置きっぱなしさ。まして最後に教室を出たのは桐花さんたちだ、まさか彼女たちが真面目に鍵を掛けるわけないだろう?」
それは、まあ、確かに。
「だからね、峰岸ちゃんが密室だのなんだのって言った理由はそこじゃないんだ。昔ミステリもちょっとかじったことがあるんだけど、これはあれだね、『開かれた密室』ってやつだね」
「なんだい、『開かれた密室』って」
密室というのは閉じられてこその密室じゃないのか。
「あの空き教室、四階の廊下の突き当りにあるだろう。だから空き教室から出るには、隣の音楽準備室の前を通らないといけないわけなんだ。で、その時間、音楽室には音楽の
ああ、あの音楽教師のくせに音楽聞くより本を読むほうが好きな。三十代前半であるがすでに頭髪の六十パーセントが失われて久しいという外見も相まって、この学校の名物教師である。
「これは先生本人から聞いたことなんだけどね、彼は六時間目が始まる数分前――ちょうど桐花さんたちが空き教室から出てきたのとすれ違う形で音楽準備室に入たらしい。そしてその後、先生は廊下側のソファに座ってこっそり本を読んでいたたとか」
そのソファなら僕も見たことがある。準備室には似合わずたいそう立派なソファを置いているものだと思ったが、なるほどそういう使われ方をしているのか。しかし、僕が覚えている限りではあのソファは確か……。
「うん。廊下側に向けて置かれている」
「つまり、阿良川はこう結論付けたいわけだ。廊下側にも窓のある音楽準備室から、廊下を通る犯人が見えなかったはずがない、と」
「しかし、木嶋先生は本に没頭してたんじゃ? 気付かなかったという可能性もある」
「それもないよ。……そうしって、観察力のムラが激しいよね」
自覚があることではあっても、人に言われると深く刺さる。何か見落としがあったのか? 本に没頭していても気づくはずのこと……。
「……ああ。太陽の向きか」
「そういうこと」
一応解説しておくと。
音楽準備室がある棟は廊下が南側にあるので、ほとんど一日を通して日が差し込んでくる。つまり、先生が廊下側に置いてあったソファで本を読んでいたとすると、仮に廊下を誰かが通った場合日がさえぎられ――もっと言うと影が落ちて――先生は集中力を乱され気付くはずだ、ということ。
「なるほどね……いろいろ考えてるな、阿良川」
何の意味もない呟きのようなものだったが、阿良川はそうだろうさあ崇めたてまつれこの名探偵阿良川様をーとか何とか叫んでいる。褒め言葉と受け取ったらしい。
しかし、その次の阿良川の言葉に僕は唖然とさせられることになる。
「……ま、それはともかくそうし。これで現場が密室だったというのは分かってくれたかな?」
何を言ってるんだこいつは。あまりに驚いて、そっくりそのまま思ったことを口に出してしまった。いつもなら皮肉が十倍になって返ってくるところだが、
「……どういうことだい?」
流石に自分が何かミスをしたらしいとなっては、いちおう人の話を聞く気くらいは起きるようだ。しかし、指摘されて尚気付いていないとは……。
武士の情けで早めに答えを言ってやる。
「ベランダはどうした」
各階のベランダは階段で連結されていて、生徒の立ち入りが禁止されている屋上以外は普通に上り下りすることができる。鍵のついた扉があるわけでもなし、事前に適当な別の空き教室を見つけて中から鍵を開けておけば簡単に出入りができるだろう。
「中から鍵が掛かっているだろうから、無理だよ」
「違う、そういうことじゃない。たとえ中から鍵が掛かっていようと、出る分には問題がないんだ。さしあたって犯人を空き教室に出入りできる女子生徒と仮定すれば問題はない、中から鍵を外して出て行けばいいんだから。入ったのと出たのが同じ場所から、とは限らない」
「……あ」
やっとわかったか。
阿良川らしくない見落としだったが、何かに熱中しすぎるとミスを誘発するというのは常識だ。この機会にぜひ阿良川にも峰岸にも、僕の姿勢を見習ってほしい。
しかし迂闊にも、阿良川との会話で久方ぶりに優位に立てたおかげで曇った僕の目は、阿良川が新たな疑問を見つけたらしいことを見逃していた。
「……なぜ」
「うん?」
「なぜ、犯人はベランダ側から出たんだろうね?」
「なぜって……そりゃ、音楽準備室に木嶋先生がいることを知ってたからじゃないのか。準備室の前を通ると先生に顔を見られるから」
「それはありえないよそうし。最後にあの教室を出たのは桐花さんたちなんだから、彼女たち以外の人が、木嶋先生が準備室にいたことを知っているはずがない」
「……なるほど」
言われてみればその通り。今の今までは、犯人は脱出する際もベランダを通ったと思っていたが、何故そんなことをする必要があったのだろうか。
何か肉体的な問題があってドアが通れなかった? いや、それなら入ることもできないはずだ。なら、鍵は掛かっていなかったが他の理由――例えば湿気や熱による膨張とか――によってドアがロック状態になっていた……まさかね。ばかばかしい。ドアを通っても良かったがベランダを通りたい理由があった……駄目だ、思いつかない。
ループ状態に陥った思考をいったん中断させてくれたのは、山と積まれた本を抱えて帰ってきた峰岸だった。
「ただいま戻りましたー」
ズン、と本の山を机の上に積む峰岸。十冊と言っていたが、この分では二十冊ほどありそうだ。年季の入った木製の机が嫌な音を立てる。
「いやーこの学校の図書室、結構ミステリ入ってますからたくさん借りてきちゃいました。本格ミステリ中心に選んできましたよー」
クイーンでしょー、綾辻行人でしょー、ポォに乱歩にー、島田荘司も鮎川哲也も外せませんしー、先輩のためにクリスティも持ってきましたー、カーもいいですよねー、ちょっと変化球で泡坂妻夫とかーふふふふふー、とよく分からない単語を羅列している。
「ところで峰岸、さっきの財布事件の話なんだけど……」
完全に自分の世界に入り込んでしまっている峰岸に恐る恐る切り出すと、はっ! とした表情を浮かべて、
「すみません先輩! 私から話しておきながら放り出しっぱなしで!」
と頭を下げ始めた。
「いやそれはいいんだよ峰岸、阿良川が残りを話してくれたから」
手短にここまでの流れを解説すると、峰岸は腕を組んで、
「うーん……我ながらベランダを見落としてたのはどうかと思いますけど、トリックじゃなくてロジックの問題ですか……」
とうなり始めた。
高校に入って数日で事件に首を突っ込む基本的な性格は変わっていないものの、こうして落ち着いて思考しているさまを見ると、峰岸も少し変わったのかもしれない、と思う。
一年間のブランクは、結構大きい。
……ん?
待てよ。
今、何かが引っ掛かった。
急いで、自分がたどった思考のルートをなぞる。ほどなく、引っ掛かりの原因は見つかった。
高校に入って数日。
ひょっとして、これか?
「分かったかも……しれない」
「え、本当ですか!? ど、どうして犯人は、わざわざ遠回りしなければいけなかったんですか!?」
「そこから間違ってたんだよ、僕らは。犯人は、鍵のかかっていないドアを通れなかったんじゃない……通れることを知らなかったんだ」
「阿良川、新高一生の学年主任の所へ行って、その日五時間目は授業を受けていて、かつ、六時間目には授業を欠席した四組か五組の女子生徒がいなかったか調べてきてもらえるかな?」
「お安い御用。今度ジュースを一杯奢ってくれるならね」
「110円までなら許可する」
「オッケイ」
頼みごとをしてもその理由は聞かないところが、この悪友の数少ない美点の一つだ。しかし後輩の方はその美点は残念ながら持ち合わせていないようで、
「な、なんで、なんでそこまで条件が絞り込めるんですか!?」
と僕を取って食わんばかりの勢いで迫ってきた。前に同じような状況でわざと焦らしてみたら本当に食われそうになったので、今回は早めにタネを明かすことにする。
「――さて。
そもそも僕は男子だから空き教室事情についてよく知らなかった。
阿良川は入学してから一年たっていて、いい加減高校生活に慣れている。
そして峰岸、いちばんこの齟齬に気づく可能性の高かったお前は、自分の思考を言葉にする前に僕らから話を聞いて、自分の認識を修正してしまった」
「……あの、先輩、何が言いたいんです?」
「つまり僕が言いたいのはね、入学したての高一生もしくはそれ以外の学年の男子生徒は、授業中も扉に鍵が掛かっていないことを知らなかった可能性が高い、ということなんだ。
入学したての初々しい高一生たちは先生の言うことをよく聞くはずだから、『最後に出るものは鍵を掛けろ』と言われたら素直に鍵を掛けるだろう。つまり新一年生は、『あの空き教室は人がいないときは鍵が掛かっているもの』という思い込みがある。また男子生徒は、そもそもそのあたりの事情を知らないからやっぱり鍵が掛かっていると考える可能性がある。
彼、もしくは彼女が注意して聞いていれば鍵のかかる音がしないことに気づいたかも知れないが、ないことに気づくのはなかなか難しい。実際には鍵が掛かっていないにも関わらず、かかっていると勘違いした可能性は充分にある」
「……なぁんだ」
気付いてしまえば他愛もないことだし、一度僕らが通った道でもあるわけだから余計にそう言いたくなる気持ちは分かる。
「……でも、それだけだとさっきの条件まで絞り込めませんよ?」
「よくぞ聞いてくれた。
ここで、さらに突き詰めて考えてみよう――さっき僕は、犯人である条件を『入学したての高一生もしくはそれ以外の学年の男子生徒』まで絞ってみたが、これははたして正しいと言えるんだろうか。
そもそも普通の男子生徒は、鍵を掛ける決まりになっている事すら知らないだろうか」
「……けど、知り合いから何かの拍子でたまたま聞いて知っていたという可能性もあるかもしれませんよ?」
「なくはない。ただ、あの日は五時間目が最初の体育の授業だった――って言ったよね」
「ああ、はい。そうです」
「つまり、五時間目まではそもそも扉は開かなかったわけだから、それ以前に空き教室に侵入したとは考えにくい。また、五時間目は新高一生の授業だったため扉にはきちんと鍵が掛かっていたわけだ。
これらの条件だけで考えてみると、犯人は、五時間目か六時間目に空き教室を使用した生徒の中にいるということになる。
さて、最初に出した条件『入学したての高一生もしくはそれ以外の学年の男子生徒』と、次の条件『五時間目か六時間目に空き教室を使用した生徒』が重なる部分にいるのは、どういう生徒かな?」
「一年四組か五組の、女子生徒――あ」
自分の口にしたことが信じられないというような顔つき。当然の論理的帰結なのだが、僕もここまで考えるのにかなりの時間を要してしまった。焼きが回ったかな……。
「おそらく彼女は、五時間目の体育が終わった後、空き教室から人が少なくなるのを見計らって掃除用具入れのロッカーなんかに隠れる。事前に、同じクラスの子に『気分が悪いからちょっと保健室行ってくる』とか伝言を頼んでおいてね。そして最後の三人――桐花さんたちが出て行ったのを確認してから、桐花さんの財布を盗ってベランダから逃走。一分もかからないようなことだし、その後は言い訳を成立させるために保健室へ行ったりしたんじゃないかな」
ふんふんとうなずく峰岸。わかってみれば何のことはない……とはいえ、わかってみないと不可解な話なのだから、そういう風に言ってはいけないのかもしれないが。
と、ちょうどいいタイミングで部室の扉がばーんと開き、阿良川がスキップしながら入ってきた。こいつにはエネルギー切れという概念はないんだろうか。
「そうし、条件に合う生徒が一人だけいたよ。一年四組、
どうやら名簿を見せられたらしく、出身校の情報まで入手して帰って来ていた。
……同じ中学校ということは、三年間の中学生活で多少なりとも顔を合わせているのかもしれない。名前を覚えていないところを見ると袖すり合い以上の関係ではなさそうだが。
ともあれ、
「……机上の空論の時間は、これでおしまい。久々にいい暇潰しだったけど、また退屈になりそうだね」
そう言って、近くのソファに投げ出しておいた通学鞄を手に取る。
「あ、待ってくださいよ、先輩」
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