6-5 嘘は隠し切れないもの

「それが、妥当な解釈だと思います。

 事故を起こして家まで持ち帰れないとなれば、自転車はおそらくどこか壊れたんでしょう。ただ、自転車屋に持っていくとそこまでひどい破損でもなかった。親切な自転車屋で夜のうちに直しておくと言ったのかもしれません。次の日、つまり今日の朝には直っている予定だったのでしょう。登校の途中で自転車屋に寄って、そのまま学校まで乗って行って自転車置き場に戻せば誰にも気づかれる心配はない、そう思ったんでしょう。

 たかが自転車の破損、しかも一晩で直るくらい、と人は思うかもしれませんが、彼女はそうは思わなかった。何せ、姉の自転車とはいえ自分はそれを無断で借りているし、しかも数日前には自分の自転車を壊したばかりだった。正直に言えば、まあ普通の親なら叱るでしょう。それが、自分の小遣いから修理代を出すだけで済むとなれば、これは正直に言う高校生の方が少ないかもしれない。

 そんなところだったんでしょう」

 僕が話し終えると、御手洗さんは、

「そういうこと、でしたか」

 とだけ、呟いた。

 話し方には僕なりに気をつけたつもりだったけれど、やっぱり、ことがことだから姉妹の不和の種を蒔いてしまったかもしれない。

 しかし、僕がどう声をかけるべきか迷っていたら、御手洗さんの方が先に口を開いた。何だ。何が出る。

 御手洗さんは、少し微笑んで、言った。

「……そういうことでしたら、私さえ黙っていれば、お父さんとお母さんにはばれません、よね?」

 ……ああ。

 何だ、そういうことか。この姉妹、結構仲がいいみたいだ。よかったよかったと思いながら僕も言葉を継ぐ。

「そうですね、本来なら完璧だった計画ですから。御手洗さんが気まぐれで自転車置き場へ行かなければ露見しなかったわけですので、御手洗さんが見なかったことにすればご両親にはばれないかと――」

 と、そこまで言って。

 僕の記憶の、何かが引っ掛かった。

 何かが。

 正子さんの計画を根本から破綻させるかもしれない、何か。

 ……これは、ひょっとすると。


 なるだけショックを与えないように切り出す。

「……いえ、残念ですが、おそらくばれます」

 御手洗さんの顔から、一気に表情がなくなった。

「……どういう、ことですか?」

「僕、最初に、あなたにパフォーマンスのようなものをやってみせましたよね? そのとき僕が何を根拠にして、あなたが一年三組に所属しているのではないことを論証したか、覚えていますか?」

「……放送が、あったから」

「そう。内容は、一年三組のミタライという生徒を生徒指導部まで呼び出すものだった。この生徒があなたの妹さんであることは、ほぼ間違いありません。では、妹さんが生徒指導部に呼び出される理由とは、何か。平時ならちょっと予想がつきませんが、今日は違う。

 なぜなら妹さんは、昨日自転車事故を起こしているから」

 相手が歩行者だったのか自転車だったのか、それとも自動車や何らかの建築物だったのかはわからない。ただそのとき、正子さんは相手と言葉を交わしており、学校と名前も言ってしまっていた。相手は、昨日の時点では特に何も言うこともなく正子さんを許したに違いない。しかし今日になって、その相手に何かが起こった。歩行者だったとしたらぶつけられたところが突然痛み出したのか、自動車だったなら傷が付いていたことに気づいたのか、それはいくらでも考えられるからわからない。ただ確かなことは、相手は何らかの被害をこうむっていて、そしてその件でうちの学校に電話をかけてきた。ひょっとしたら直接乗り込んできたかもしれない。

「となれば、生徒指導部にも事故のことはすでに伝わっているはずです。そして相手が文句を言ってきているのならば、まず両親に連絡するでしょう。まず確実に、ばれます」

 自分のことでもないのに、御手洗さんの顔は、無表情を通り越して青くなりつつあった。双子、というのは、やはり密接な仲なのだろう。

「私、どうしたら……」

 それは難しい質問だ。被害を受けた相手がいる以上、いい加減なアドバイスはできない。そして僕は、そういうことに責任を持てるほど自分が賢いとは思っていない。普段なら、ここで相手に任せて静かに退場する頃合いだ。

 だけど。

 今回は、少し違う。

 なぜなら御手洗さんは、僕が望んだかどうかにかかわらず、依頼人なのだ。今回限りのこととはいえ、依頼人を適当に扱うわけにはいかない。

 時計を見ると、放送からまだ二十分ほどしか経っていなかった。以外と、短いものである。

「そうですね」

 思ったよりも声が大きかった。御手洗さんが、はじかれたように顔をあげる。

「御手洗さん。スマホ、持ってますか」

「……はい」

「妹さんも?」

「はい」

「じゃあ、今すぐ妹さんに電話を。どこにいるかわかりませんが、ひょっとすると妹さんはまだ自分が生徒指導部に呼び出されたことに気づいていない可能性もあります。電話して、いえ、できれば直接会って。事情を説明して、自分が味方であると言ってあげてください」

「……わかりました」

 そう言って御手洗さんは立ち上がった。椅子の横に置いてあった鞄を持ち上げ、それから深く頭を下げる。

 そして踵を返して部室から出ていこうとするので、

「あ、それと」

 と声をかける。

「……はい」

 扉を開けかけたところで振り向く御手洗さん。一度息を吸ってから言う。

「これ以上大きな嘘をつくのは露見する危険性が高いですからやめた方がいいですが……妹さんが自転車を『無断で』借りた、という部分くらいなら、取り繕えるんじゃないかと思いますよ」

 大したことじゃないかもしれないけれど。

 でも御手洗さんは――たぶん、少し無理してたのだろうけど――薄く微笑んで、

「ありがとうございました」

 と、もう一度深く頭を下げ、そして今度こそ部室から小走りに出ていった。


 僕の耳にはしばらく、その小刻みな足音の響きが残っていた。

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