6-4 探偵役謎を解く

 しかし、そうのんびりと構えているわけにもいかない。

 なぜなら僕の前には、御手洗さんが座っている。峰岸や久慈院や阿良川なら何時間放っておいても構わないけれど、こと依頼人ともなれば話は別だ。僕が望んだか否かは別として、丁寧に扱わなければ。そして僕が押し黙ったまま依頼人を放置するのは、控えめに言っても丁重なもてなしとは言い難い。

 つまるところ、結論が出ていようといなかろうと話さなければいけない、ということ。まあ僕の柄じゃないけど、話しながらだと案外思考の整理ができるかもしれない。ものは試しとばかりにやってみる。

「じゃあ、一席お付き合い願います」

 こくり、と頷く御手洗さん。

「さて。

 今回の盗難における一番の問題は、『どうして犯人はわざわざ鍵のかかった自転車を盗んで行ったのか』ということです。ただ、これだけではどこからどう考えていいのかわかりにくいので、問題文をこう書きなおすことにします」

 いったん言葉を切り、筆記用具を探す。一般教室なら黒板とチョークがあるのだけれど、ここはあいにくただの部室。ホワイトボードの一台さえ置かれていない(くれると言っても貰わないけど。だって場所を取るし)。仕方ないので、自分のカバンから昨日あった実力テストの問題用紙を取り出し、その裏に黒のマーカーで文を二つ書く。

 こうだ。

『A 鍵がかかっていない奇麗な自転車を盗む』

『B 鍵がかかっている古びた自転車を盗む』

 カバンの口を閉じながら、最初に釈明。

「……えぇと、『古びた』と書いたのはあくまで対比の問題でして……すみません」

 ふるふると首を横に振る御手洗さん。気にしない、ということだろうか。そうだとありがたい。

「では、少し説明を。当然のことながら、犯人がとった行動は、Bの文に相当します。

 しかしこれは、よく考えるとおかしい。なぜなら、盗みを働く際であっても鍵がかかっているものよりは鍵のかかっていないものを盗みたいものだし、古いものよりは奇麗なものを盗みたいものだからです。これは人間の心理として当然のことです――便宜的に、鍵のかかっているものを盗みにくい、という部分を『心理的抵抗』、奇麗なものを盗みたい、という部分を『心理的優先度』と呼ぶことにします」

 そういう言葉があるかどうかは知らないけど。まあ問題はそういうところにはないのだから別に構わない。

「『心理的抵抗』に関しては、当然ながらBの文の方が抵抗が大きいです。つまり、この条件だけで見るならば人間心理としてはAの文の行動を起こすはずです」

 Aの文の『かかっていない』という部分とBの文の『かかっている』という部分の間に、不等号のつもりで『∨』という記号を描く。

「そして『心理的優先度』においても、やはりAの文の方が優先度は高いでしょう。よって、こちらもこうなります」

 再度マーカーを手に取り、『奇麗な』と『古びた』の間に、やはり『∨』を描く。

「しかし。

 実際はそうではなかった。起こったのはBの文に相当することだった」

 二つの文の『A』という部分と『B』という部分の間に、さっきまでとは逆向きの『∧』のマークを描く。

「『心理的抵抗』と『心理的優先度』の両項目では、ともにAの文の行動をとることが自然という結論が出ました。しかし実際に起こったのはBの文――つまり、条件は『心理的抵抗』『心理的優先度』の他にもあって、その項目においてはBの文の行動をとることが自然となるわけです。しかも、その第三の項目は『心理的抵抗』『心理的優先度』の二項目よりも強力に作用します。そうでなければ結論がひっくりかえらない」

 ほとんど間をおかずに御手洗さんがうなずく。たぶん、頭は結構いいのだろう。

 しかしその頭がいい御手洗さんと違って、僕はそこまで頭が切れるというわけではない。ここまでは何とか自然に話してきたが、さてこの次に来るべき答えを僕はまだ見つけていない。御手洗さん、やっぱり僕なんかに頼むべきではないのでは。

 ともあれ話さなければ間がもたないので、とりあえず口を自動運転モードにしてその間に考えることにする。

「しかし、AとBの二文には、それ以外の第三の項目などないように見えます。それでは、ここまで話してきたことは全部間違っていたということでしょうか?」

 若干本音が出てしまった。ただこの先どうするか……。

 ……待てよ。間違っていなかった、とすれば?

 本音のおかげで何か閃いたかもしれない。こういうときだけ自分の口の達者さに感謝。

 今度こそ本当に考えをまとめていると、御手洗さんが、

「……いえ、そんなことはありません。先の説明自体は、至極理にかなったものでした」

 と言ってくれた。

 ありがとう、君の友人の峰岸という奴には一度だってそんな言葉をかけられたことがないんだ。

 ともあれ。まとまってきた考えを念頭に置きながら、御手洗さんに答える。

「そう、さっき話したこと自体に間違いは見当たりませんでした。では、どこに間違いがあるのか? 答えは簡単、問題文の方です。

 より具体的には――ここです」


 そう言って僕は、Bの文の最後――『盗む』という文言に、指を置いた。


「どれだけ考えても、この文に書いたこと以外の条件を思いつきませんでした。であるならば、第三の条件というのは、この『盗む』という単語以外にはありえません」

 Bの文の方の『盗む』を、二重線を引いて消す。

「ではこの単語をどうすれば、Bの文の行動をとる方が自然になるでしょうか? こちらも、そう難しい話ではありません。あるものが、自分が置いたはずの場所からなくなっている時、それは盗まれたとは限りません。それを動かした人間が、自分とごく親しい人間であるなら、無断で動かすことは十分にあり得ます。ましてあなたは、直接『使ってもいい』とまで言っていたんですから」

 かくしてBの文は正しく書きなおされた。

 正しい文章はこうだ――『鍵がかかっている古びた自転車を借りる』。

「そう、いくら鍵がかかっていようと古びていようと、『借りる』と『盗む』の間にはとうてい埋められない差がある。そういうことです。この場合、犯人、という言葉はあまり適切ではないと思うので、こう言いなおすことにしましょう。

 あなたの自転車を自転車置き場から持ち出したのは、あなたの妹さん――御手洗正子しょうこさんです」


 でも、それでは御手洗さんは納得しなかった。はっきりとこちらを見据えて、

「それはありません! 私言いましたよね、正子が借りたのなら家に自転車があったはずだって!」

 と言った。うん、それくらい元気な方がいいと思うけどな。

 ただ僕も、話しながらこれだけじゃ御手洗さんは文句を言ってくるだろうな、とは思っていた。だからその先もきちんと用意してある。

「もちろん覚えてます。ただ――その件はいったん抜きにして、さっきまでの話が正しいかどうか判断してもらえませんか」

 手振りでまあまあとなだめながら言う。

 こちらを見たままま、しぶしぶといった態で、しかし御手洗さんは答えてくれた。

「一般論としては、間違いはないと思います。でも、現に自転車は家になかったわけで――」

「妹さんが、嘘をついている、とは思わなかったんですか?」

 怒られるかな、と思ったが、御手洗さんは、

「……それは、正子は時々嘘をつくこともあります。でもそれは人間なら誰でもそうですし……私だって嘘をつかないわけじゃありません。

 でも、もし正子が自転車を借りたことを黙っていたとして……どうしてそんな必要があるって言うんですか?」

 と言った。こちらをなじっているのではなく、本当に不思議そうな顔で。

「少し考えてみれば、御手洗さんにもわかると思いますよ。

 まず、妹さんはあなたの自転車を借りた。より正確にいえば、家族とは言え無断で借りた。借りるのは当然、乗るためでしょう。

 そして次に、その自転車はなぜか御手洗家までたどり着かなかった。何か事情があったはずです。つまり、妹さんが自転車を借りたことを黙っていたのは、その事情とやらを隠したかったからです。

 しかし、ここで不思議に思いませんか。自転車が置き場にあるかないかなんてのは、些細なことじゃありません。見れば一発で気付かれます。にもかかわらず、妹さんは黙っていた。もちろん、ばれるとわかっていても怖くて言いだせなかった、という可能性もありますが……ここは、もう一つの可能性を考えてみましょう。

 御手洗さん。僕の記憶違いでなければ、あなたが今朝自転車置き場へ行ったのは、単なる気まぐれということでしたね。ということは、本来ならば今日の放課後、自転車に乗って帰ろうとするまでは、自転車がなくなっていることに気付かなかったはず、ですよね」

「……はい。本来なら、たぶん」

「そこで、こういう仮説を立てることも出来ます――確かに妹さんは、何か事情があって、そのことを黙っていた。けれどもその事情は、遅くても今日の放課後までに解決するようなことだった。この場合の事情が解決する、というのは、自転車が置き場に戻る、ということを指しています。そう考えると、先ほどの疑問にも答えることができます。つまり妹さんは、あなたが自転車置き場へ行く放課後までに、その事情は解決する、だから嘘をついてもばれることはない――そう考えた、という可能性です。……もっとも、実際にはあなたが気まぐれで気付いてしまいましたが。

 まとめましょう。

 妹さんは、自転車を無断で借り、その結果、何らかの事情で自転車を家に持ち帰ることができなくなった。しかしその事情は遅くとも今日の放課後までに解決し、自転車を元の場所に戻すことができる。

 さらに付け加えると。妹さん、つい最近自分の自転車を事故で壊したばかりだったそうですね」

 はっ、と御手洗さんが顔を上げた。その口から、言葉が漏れる。


「……正子は、今度は私の自転車で事故を起こしたんですね」

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