6-2 依頼人現る

『――だから、掲示板は基本的に生徒会の許可印がない掲示物は貼っちゃいけないことになっているんです』

『はぁ……すみません』

 部室の外から久慈院と峰岸の声が、うっすらと聞こえてくる。さっきの一年生の合唱も続いているので、ところどころ聞こえないところがあるけれど。なんだ久慈院、一年生の女子だと僕とはずいぶん扱いが違うな。やっぱり失礼な男だ。

 その説教というか説諭に被さるように、僕の頭の上でスピーカーがノイズを鳴らした。短い間の後、『一年三組のミタライさん、一年三組のミタライさん。まだ校内にいたらすぐ生徒指導室に来なさい』と、生徒指導の空木の声が流れてきた。一年生なのに、しかも放課後に呼び出されるというのは何かそれなりにまずいことをやらかしたのだろう。

『――まあ木則の後輩ですし、生徒会も暇じゃないんで次からはこういうことは控えてください。じゃ』

 意識を戻すと、ちょうど峰岸がドアを開けて戻ってきたところだった。久慈院の姿はないので、そのまま生徒会の方へ戻っていったらしい。あー、なんというか、お勤めご苦労様です。

「……あの、それでですね先輩」

「なんだい」

「さっきのポスターの件なんですが」

 正直なところ、今はその話はやめて欲しいような。それなりに付き合いは長いので峰岸がどういう奴かはわかっているしいちいち腹を立てても仕方がないしそもそも腹は立っていないのだが、僕の現時点での最大の懸案事項はアレがどれだけの人間の目に留まったかということである。さっきの放送ではないが、明日あたり生徒指導部に呼び出されてもおかしくない。ああ、天地神明に誓って僕は何も悪いことはしていないというのに。現世うつしよのなんと理不尽なことか。

 しかし峰岸は、どこか言いにくそうに続ける。

「それですね。実はその、ポスターは、いわばその、前置きみたいなもので」

 ……前置き?

 ことここにいたって、さすがに僕も峰岸の言うことを聞かないわけにはいかなくなった。前置き、ということは、それすなわち本題があると言うことに他ならないからだ。

 しかし今のポスターが『前置き』レベルということは、本題の方はどんな厄介事なのか想像を絶する。一体どんな災厄がやってくるのか、いやどんなものであれ状況は変化しない。今考えるべきはその災厄に何とかして遭わないための方法だ。

 しかし、僕が考えをまとめきる前に。

 ひかえめな音で、部室のドアがノックされた。

「……これが本題か」

「はい」

 どうやら脱出は不可能のようだ。




 来客は、一年生らしき女子生徒だった。

「ええと、お名前は」

「……御手洗みたらいです。文芸部に所属しています」

 静かに頭を下げる御手洗さん。その横から、峰岸が首を突っ込んでくる。

「ついでに私の友達なんですよ。クラス違いますけど、よくお弁当一緒に食べたりしてます」

 そりゃ仲がよろしくて大変結構なことで。

 御手洗さんは、背は峰岸と同じくらい(つまりは僕とも同じくらい)だが、しかしその他の点では峰岸と対照的だった。

 腰まで流れるようなストレートの黒髪に、半分くらいしか開いていなさそうな目。校則を遵守していることは間違いない丈のスカート。僕は、目の前の女子生徒を一言でまとめることのできる単語を知っている。

『地味』だ。

 ……なぜ二人は友達なのだろう。隣でわちゃわちゃと騒いでいる峰岸を横目で見ながら、そう思った。

「で、御手洗さん。映画部に何か御用件でも?」

 入部希望なら大歓迎だ。僕としては男子にも入ってもらいたいのだけれど、入るというなら拒む理由はない。

「……いえ」

 しかし御手洗さんの答えは、なるほど峰岸の友達をやっているわけだと僕に思わせるに足るものだった。

「……実は、私の自転車が、盗まれたんです。それを、探して頂きたくて」

 はぁ。




 とりあえず部室の隅まで峰岸を引っ張って行く。

「おい峰岸、これはいったいどういう状況だ」

「ええっと……つまりですね、これが本題なんです。

 今朝来たら御手洗ちゃんが『自転車が盗られた』って言ってましてそれでつい『うちの先輩に頼めばヒョイヒョイッと探し出してくれるよ』なんて安請負したはいいものの先輩ほら自分のやりたくないことはやりたがらないじゃないですかだから普通に頼んでも駄目だと思って先にポスター貼っておいてそれを御手洗ちゃんが見たことにすれば先輩もそうそう断りにくいんじゃないかなと思った次第でしてハイ」

「とりあえずお前が思慮が足りないということがわかった」

「ひどい!」

 何がひどいものか。だいたい心の内にとどめておくべき計略まで言ってしまっているのでは世話はない。

 ……ただ、考えそのものは見事に的を射ているのが、さすがといえばさすがか。確かに、普通の状況で峰岸が御手洗さんを引っ張ってきても、僕はそれに取り合いはしなかっただろう。今日の放課後は忙しくはなかったが、暇で暇で仕方がないわけでもなかった。

 ただポスターという形で、表向きにそういう情報を発信してしまった以上は、なかなか断りにくい。僕個人がどう思っていようと、そういうポスターを貼ってしまった以上は、責任が生じるからだ。……いくらそれが、峰岸によって不当に製作されたものであっても。

 はぁ、とため息をつく。

「……今回は、仕方がないからやってやる。次からはやらないからな」

「はぁい」

 もっとも峰岸の場合、いくら釘を刺しても平気で繰り返しそうではあるが。

 ともかく事情聴取は終わり。不安そうな(不審そうな、といってもいい)表情で待っていた御手洗さんの前に戻る。

「ええと、なんでしたっけ。自転車が盗まれた?」

「はい」

「それはいつどういう――」

「あ、ちょっと先輩先輩」

 と、峰岸が横合いからちょいちょいと肩をつついてきた。何だいきなり。

「あのですね」

「うん」

「一応御手洗ちゃんには、先輩のことは頼れる名探偵という位置づけで紹介してるわけですから、ここは一つそれっぽいパフォーマンスをお願いできませんかね旦那」

「は? 名探偵っぽいパフォーマンスって何だい」

 思わず大声が出てしまった。しかしその言葉尻を捉えるように、目の前に座っている御手洗さんが、

「あの、名探偵さん……なんですよね?」

 と、小さく首をかしげながら訊ねてくる。たぶん天然なのだろうけれど(名探偵、などという単語を疑問もなく口に出せる時点で相当だ)、さすがは峰岸の友達。息がぴったりだ。

「峰岸ちゃんから、何でもすぐに見通しちゃうって聞いてきたんですが……」

「ああ、はい。ええ、一応、そういうことになっています」

 何を言った、峰岸。

 適当にお茶を濁しつつ、峰岸を横目で睨む。あとで覚えてろよ、という怨念を送ったつもりだが、なんだか目を輝かせてこっちを見ている。こいつにまともに関わっていると精神が摩耗するということを悟った僕は、諦めて『名探偵っぽいパフォーマンス』の方に意識を集中させることにした。

 えぇと……やっぱりあれかな、靴の泥や何かから、御手洗さんがどこを通ってきたか当てるとかいうのが正統なのかな。しかし泥も何も校内のことだから、上履きどころか全身を観察しても特にそれらしい痕跡はない。だめだ、一点集中は僕のセオリーからはズレている。もっと全体に意識を広げて、細かい欠片を拾っていくような意識で……。

 あ、ひょっとしてこれなら、使えるか?

 こちらを髪の隙間からじっと見ている御手洗さんをうかがいつつ、頭の中でざっと一通り検証してみる。若干不安な賭けもあるが、大筋では間違っていないはずだ。よし、これで行こう。


「……たとえば御手洗さん。あなたは一年四組で、さらに双子の姉妹もしくは同い年の親戚がいますよね?」

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