5-3 追及される探偵役

「で、先輩。先輩は何か私に言うことがあるんじゃないですか」

 テストが終わった翌日。部室にずかずかと乗り込んできた峰岸みねぎし早苗さなえは、僕――木則このり荘士郎そうしろうに向かって、開口一番そんな事を言った。

「そうだそうだ。説明を要求する」

「お前は帰れ」

 続いて人の部室に勝手に入り込んできた阿良川あらかわしおりも、同じようなことを言った。勘弁してくれ。

「……で、言うことって何だい?」

「とぼけたって駄目だよそうし。昨日の放課後、園芸部のホースを無断拝借してまで同級生にわざと水をぶっかけさせたのはどこの誰だい」

 途中で自動販売機にでも寄ってきたのか、右手に金色のコーヒーの缶を三つぶら下げている。指が疲れないのだろうか。

「私にとっては先輩でしたし」

「まあそう怒るなって……うーん、どこから話したものかな」

「最初っから、です!」

 頬をふくらませる峰岸。正直これを見ても微塵も話す気は起こらないのだが、しかしその後ろで阿良川が手を妙な具合で動かしているのを見てさすがに考えを変えた。ここで話さなければあとで何をされるかわかったものではない。

 姿勢を正して、思考を整理する。『最初から』と言われたが、やっぱり昨日感じた違和感から始めるのがいいような気がする。

「まあ最初はね、いつもに比べてやけに黒板の光が反射するなと思っただけだったんだ――」




 数時間前に鮫島君にしたのとほぼほぼ同じ説明をして、そこでぼくは、ふぅとため息をついた。いつものことながら、長く話し続けるとどうしても疲れる。どうやら僕は、峰岸の好きな推理小説の探偵役とやらにはなれそうもない。

「こんなものでいいかな」

「いいわけないだろう? さっきも言った通り、私たちがホースで雨を降らせた理由の説明になってないじゃないか」

「ああ、それか」

 昨日のテスト終了後。帰りのホームルームをトイレに行くといって抜け出して、既に放課後を暇に過ごしているはずの峰岸と阿良川に連絡を取り、鮫島くんが通るであろう道で待ち伏せしてもらったのだった。結果鮫島くんがびしょ濡れになっただけで、みんなが幸せになったというわけ。

「そりゃあれが、彼からスマホを取り上げるために必要だったってのは分かるよ。でもそうし、君がどうしてそんなことをしたのかが皆目見当がつかない。まさか彼のスマホを使ってどこかに脅迫電話をかけたりしてないだろうね」

 こいつは僕を何だと思っているのだ。

「違う違う。僕はただ、彼のスマホのメモリーから写真を一枚削除しただけさ」

「写真って、先輩のですか? 先輩何かまずいことやったんですか?」

 と、これは峰岸。この後輩は僕を何だと思っているのだ。

「僕のじゃなくて、さっきの話に出カンニングを手伝わされてた方――国原くんのだよ。直接的に彼の名誉を貶めるものではないけれど、まあ知っている人が見たら軽蔑されることは間違いない、というようなね」

 さすがにそれが具体的にどういうものかというのは、二人とも聞いてこなかった。

「それでまあ鮫島くんのカンニングに気づいた僕は、悪戯を仕掛けるのと同時に、ついでに彼の写真も消去してあげた。僕の悪戯で鮫島くんが怒ってあの写真をばらまきでもしたら国原くんがかわいそうだしね。そのほんの副次的な利益によって、彼はまた同時にカンニングの片棒を担ぐ義務も失ったわけだ」

 これで説明は全部だ、という表情を作って阿良川の顔を見る。しかし彼女はあろうことかため息をついて、そして僕の顔に人差し指をビシッと突きつけた。

「あのねそうし。これでも私は君と、一年と少しつきあってきたわけだから、君が何か隠してるってことくらいは最初からわかってたつもりだ。いや、隠してるってのは正確じゃないね……積極的には言わないようにしていた、というのが正しいかな」

 峰岸が「私先輩と二年過ごしましたけど全然気づきませんでした……」と言ったのは、僕も阿良川も華麗に無視した。

「それから、何度か君の類まれなる推理を聞かせてもらう機会にも恵まれた。だから君が、これまでどういう思考のプロセスを踏んで真相に辿り着いてきたかも知ってる。

 率直に言って、さっきまでの君の話にはいくつか変な部分があった」

 まあ、否定はしない。「どうぞ」と言って、話の先を促す。

「まず一つ目。

 君は国原くんが腕時計を落としたから、それを悪戯に活用することにしたと言っていたね。彼が腕時計を落とさなかったら、どうするつもりだったんだい?」

「その時は何か他のもので代用するか、できなければやらないだけのことだよ。悪戯は何も、やらなきゃ命やプライドにかかわるってものじゃないからね」

「そうかい。じゃ二つ目だ、国原くんは腕時計がなくなってることに気付かなかったのか?

 腕時計ってのは、試験中に持ち込めるものの中では結構大きな部類に入る。当然、落とした前と後で机の上の印象はかなり変わるはずだ。試験が始まる前に気づいても良かったんじゃないかな?」

「そんなことを僕に聞かれても。こう言っちゃなんだけど、国原くんがぼーっとしてただけじゃないか?」

「今からカンニングの手伝いをしようってのに、ぼーっとして肝心かなめの道具がないことに気付かなかった? ……まあ、そういうことにしてもいいよ。

 三つ目。なんで君は、落としたものを拾うのに鮫島くんに手伝ってもらったんだい? 机の下は、狭いだろう」

「その時は、そこまで考えが及ばなかったのさ」

「へぇん。じゃあこれで最後だ、そして今までの中で一番大事だから耳の穴かっぽじってよーく聞いてくれ。

 ?」

 ……これは、完全に看破されてるな。観念した方がよさそうだ。

「ほんとは、全部わかってるだろ?」

 そう確認すると、阿良川はこくりとうなずいた。そして、少々自信なさげに口を開く。

「一つ目の疑問に関して。君は、国原くんが腕時計を落とすことを知っていた。

 二つ目の疑問に関して。国原くんは、腕時計がなくなっていることに気づいていた。

 三つ目の疑問に関して。鮫島くんに手伝ってもらうことによって、君は彼を観察することができた。

 そして最後の疑問に関して。君は、国原くんの写真が鮫島くんのスマホに入っていること、そして彼がいつもスマホを胸ポケットに入れていることを知っていた――いや、ある人物から聞いていた。

 

 今度は僕がうなずく番だった。


 テスト四日前――つまり、テストも残すところあと一日という一昨日のこと。

 放課後の教室で、国原くんが僕に話しかけてきたのだった。聞けば、カンニングの片棒を担がされているからどうにかしてもらえないかという話だった。

 最初はそんな探偵の真似事みたいなことはできないと突っぱねたのだが、どうやら手芸部にいる友人からから、僕が以前にかかわったある件についての話を聞いていたようで押し切られてしまった。

 その時点では、メインの案件はもちろん『いかにしてスマホから写真を消去するか』というものだった。問題がいくつかあって、まず国原くんによると彼はいつもスマホをブレザーの胸ポケットに入れている。さすがに正面から彼のポケットに手を突っ込むわけにもいかないので、阿良川と峰岸に手伝ってもらって彼の頭から水をかけることにした。これなら合法的に彼からブレザーを脱がせることができる(もっともやろうとしていることは非合法的だし、阿良川がスマホを抜き取った直後にブレザーは彼に奪い返されてしまったのだが)。

 しかし、その日に限って鮫島くんが胸ポケットにスマホを入れていなかったらとんだお笑い草である。そういうわけで、僕は国原くんにわざと机の上のものを落としてもらい、その際屈みこんだ鮫島くんの胸ポケットの中にはっきりとスマホを確認したのであった。

 ちなみにあのちょっとした悪戯に関しては本当にその場で思いついたので、真っ赤な嘘というわけでもない。もっとも国原くんには許可を取ったし、だから当然彼は腕時計がないことを知っていたのだけれど。




「いやあしかし見直したよ。そうしが、たとえ気まぐれとはいえ自分から進んで世のため人のためになることをするとはね! お姉さんはうれしいよ」

「いや待て僕は国原くんに押し切られただけだし、彼も同級生女子の自室を覗いてるわけで彼に非がないとは言えないし、それにだいたいお前は僕と同い年だろう」

 こいつは一体ひとつの台詞にいくつ突っ込みを入れさせれば気が済むのだ。

「そうしの誕生日っていつだっけ」

「八月の三十一日だけど」

「それは残念、私は十月の七日だ。……さてはそうし、友達から誕生日を祝ってもらったことないだろ」

「うん」

 夏休み中だし、それにたいていの場合翌日から学校があるからパーティーをしてもあまりいい気分になれないのが常だった。高校生ともなると、さすがにそういうことにも淡白になるものだが。

「そういえば峰岸は、三月の十四日だったな」

「えっ先輩なんで覚えてるんですか気持ち悪い」

 人がせっかく誕生日を覚えてやっていたというのに失礼な。まあ僕の記憶力の悪さは天下一品だから、驚かれるのも無理はないが。

「いやほら、中学の時にホワイトデーがらみの事件があっただろ。ちょうどあの日、これから誕生会するんですーて言ってたじゃないか」

 木津川中時代に、峰岸の友達がホワイトデーのお返しでもらったチョコレートを盗まれるという事件があったのである。それで印象に残っていたのだ。

「そうしは相変わらず妙なことを覚えてるね、ついでに私の誕生日もぜひ覚えておいてくれ。豪華なプレゼントをくれるとなおよろしい」

「つまり僕の誕生日には僕にも豪華なプレゼントをくれるってわけだな」

「私の爪の垢が付属したお湯をペットボトルに入れて送ってあげよう」

 いらん。しかも煎じる工程は僕にやらせるつもりか。

「峰岸は……ああ簡単でいいな、図書カードだ」

「全然豪華じゃないじゃないですか! ……まあもらえると嬉しいものではありますけど」

「だろ?」

「後輩は大事にするものだよ、そうし。……それはそうと、今日はそうしが生まれて初めて人助けをした記念すべき日だ」

 人を冷血人間みたいに。それに、僕だって人助けの一つや二つくらいしたことはある。

「だから私が飲み物をおごってあげよう」

 そう言って、いきなり手に持っていた缶を一本放り投げてよこす阿良川。顔の五センチ手前でキャッチする。微妙にピントの合わない眼に映る、『コーヒー 微糖』の文字。わざわざこれを言うためだけに買ってきたのか?

「ほら峰岸ちゃんにも」

「あ、ありがとうございます」

 距離は大して変わらないのに、なぜ僕には放って峰岸には手渡す? しかし僕がそんなことを考えているともつゆ知らず、阿良川は缶を開けながらいつもの人を食った笑顔でこう言った。

「それじゃ、木則荘士郎くんの気まぐれに乾杯!」

 乾杯と言いつつも缶を突き合わせることはせず、めいめいで栓を開けて口をつける。

 糖分を含んだコーヒーは、予想したよりもずっと甘かった。

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