答えは前に書いてある

5-1 世界一不確実なカンニング方法

 壁の中央上部にかけられた時計の長針が動くとともに、スピーカーから音割れしたチャイムが鳴り響いた。

 シャープペンシルを机に置く小うるさい音が複数響き、同時に列の最後尾の人間が席を立って解答用紙を回収し始める。

 さぁて、このしち面倒くさい儀式もあと一時間で終わりか。

 窓際から二列目、前から三番目の席でそよ風を顔に感じながら、俺――鮫嶋さめじま冬臣ふゆおみは、思わずほぅっとため息をついた。周りでは、クラスメイト達がさっそく終わったばかりのテストの答えを突き合わせていて騒がしいことこの上ない。

 四日間続いた中間テストも、次の時間の日本史で終わりを告げる。

 俺としてはこんなテストなど、どうして頻繁にやるのかがどうしても理解できない。百歩譲って数学や現代文は論理的思考を身に付けるのに必要としても、社会化などは暗記一辺倒でこんなものは無駄でしかない。もちろん一般教養レベルのものは勉強して損はないと思うが、しかし翻って社会人口の九割以上が忘却の彼方へ追いやっている知識を詰め込むことに何の意味があるのだろうか。社会に出て必要になる知識やスキルというのは、逆にいえば社会一般水準とそうかけ離れていない知識やスキルということである。

 しかもその数学や現代文だって、言ってしまえば公式や授業でやった解答例を覚えた者勝ち、などという状況になっている。意味がない。

 そんなわけで、俺はテストなどというものをまじめに受ける気はさらさらない。もちろん授業はちゃんと聞いているが(俺からすれば、拘束されることが必然である時間の中でわざわざ睡眠などという退廃的な選択をする輩の気持ちが理解できない)、かといって貴重な自分の時間をテストなどというものの勉強に費やすのも馬鹿らしい。どうせ終わって数日たてば忘れてしまうものなのだ、最初から覚えなくたって何も変わりはしないだろう。

「おい、静かにしろ!」

 なおも話を続けるクラスメイト達に、監督官である生物教師の仲丸なかまるの怒号が飛んだ。奴は自分の気に食わないことがあるとすぐ怒鳴りつけるという悪い癖を持っているため、生徒からもよく思われていない。現に、怒鳴り声が響いた直後には静かになった教室も、数秒後には元の喧騒を取り戻した。

 額に青筋を浮かべた中丸は、しかしそのまま回収した回答用紙のチェックを済ませ「終わりだ!」と言い放って、教室を出て行った。奴は面倒くさがり屋でも有名で、これはおそらく苛立ちよりも説教をすることで自分の自由時間が減ることを憂慮したものに違いない。ドアがぴしゃりとしめられると同時に、クラスメイト達が我先にと立ち上がる。一秒でも多く勉強の時間を取ろうとしているのに違いなく、浅ましい。まあ、いわゆる赤点というものを一定以上取ってしまえばその場で留年が確定してしまうから、その気持ちはわからないでもないが。

 しかしその点、俺は勉強などしない。

 

 もちろん俺に読心術とか透視能力とか、そういう妙な超能力めいたものが備わっているなどという話をするつもりは毛頭ない。ファンタジーやSFの登場人物ならぬ身でそれをやってのけるには、ただ一つの陳腐な手段を除いてほかにない。

 そう、いわゆるカンニングである。


 ただ、カンニングといっても首をぎりぎりまでのばして隣の席の人間の答案を盗み見る、などという単純で愚か極まりない方法はとらない。誰でも思いつけるし誰にでもできる方法ではあるが、それゆえに教師の側もそれを想定して鵜の目鷹の目で俺たちを監視している。何より、見つかったときに言い訳ができない。

 ゆっくりと立ち上がり、教室の前方へ向かう。いくらカンニングをするとはいえ、まったく勉強しないというのは不自然極まりないからだ。

 その途中で、同じ列の前から三番目――国原くにはらあつしの肩を二回、ぽんぽんと叩く。もちろんこれは、『次、頼むぞ』という意味だ。国原はびくりと肩を震わせ、その拍子に自分の机に体をぶつけてしまった。シャーペンや消しゴム、腕時計などがばらばらと床に落ちる。

 まったく、冷静さに欠ける奴だ。こんなやつを協力者として使わなければいけないとは我ながら情けない――が、あいつは思考力はともかくとして記憶力はかなりのものだし、それにほかの成績優秀者は俺の言うことを聞くはずがない。最善とは言えなくても、次善の策であることは間違いないだろう。

 そのまま立ち去ろうとしたが、国原の後ろの席(俺の前の席でもある)の木則このりというやつに「あ、君も手伝ってくれないかな」などと言われた。なぜ俺がこんなやつの落としたものを拾わなければならない、とイラッとしたが、波風立ててもいいことはないのでおとなしくしゃがむ。しかし試験中だというのにいろんなものを置きやがって。狭い机の下で、肩や腕がぶつかる。絶対俺が加わらない方が効率が良かっただろう。この木則というやつ、きっと頭が悪いに違いない。

 一通り拾い終わって、ズボンやシャツについた埃を払った俺は廊下に出た。自分のカバンから日本史のノートを取り出し適当にページを開く。授業はまじめに受けているのでそれなりに整った字が並んでいるが、しかしその中で記憶に残っているのは一割か二割といったところか。しかし問題ない、俺の記憶の足りない分は国原の知識ですべて補えるのだから。

 漫然とノートを眺めるも頭には全く入ってこず、そうこうしているうちに次の監督官がやってきた。授業も態度もついでに人生にも全くやる気が見られないことで有名な、古文の八王寺はちおうじだ。ちなみに古文はつい最近まで郡山こおりやまという陰湿そうな眼をした男が教えていたのだが、どういうわけか三週間ほど前にいきなり辞職した。表向きは『家庭の都合』とされていたがあまり品性が良いとは言えない輩だったので、生徒間では「何かまずいことをやらかしたのだ」という噂がまことしやかに囁かれている。

 どうせやる気もない勉強を早々と切り上げ、俺は教室に入った。黒板に張られている座席表を、見るともなしに見る。縦が六、横が八というごく普通の座席の並びが描かれた特筆すべき点のない座席表だが、しかしこの座席表、テスト期間中はなぜかずっと黒板の真ん中に貼られ続けている。別に通常授業の時と比べて席が移動するわけでもないのでクラスメイト達の中ではいらないんじゃないかという声もあるが、些細なことだからか一向に改められる様子がない。

 自分の席に座り、なんとはなしに腕時計を見る。文字盤を覆っているガラスの部分が少し汚れているように感じたので、シャツの袖でふき取る。数回擦ると、汚れはすっきり取れた。

 そうこうしているうちに廊下でひしめき合っていたクラスメイト達もみな教室に入り、八王寺がテスト用紙を配り始めた。

 配られてきたテスト用紙を一枚ずつ受け取り、後ろに回した。テスト開始までは特にやることもないので、ただ漫然と時計の秒針が進むのを眺めている。

 チャイムが鳴り始めてから八王寺がのんびりと「始めぇ」と言う。もちろん誰もそんなことは気にせず、チャイムと共に問題用紙をめくっているのだが。

 大問一の一、『無勅許で外国と通商条約を結び、安政の大獄を断行した人物は誰か』。いくら勉強をろくにしていないといえど、さすがにこれは分かる。井伊直弼だ。

 二、『1870年に設置され、新橋―横浜間などに鉄道を設置した明治政府の部署を次の四つから選べ。ア.民部省 イ.内務省 ウ.工部省 エ.兵部省』。

 これは分からない。兵部省は軍隊っぽいからありえないし、工部省はなんだか工場運営しかしてないイメージがあるから民部省か内務省のどちらかなのだが……さて。わからないので問題番号だけ控えておいて、さっさと次の問題へ進む。


 そうやって、一応問題用紙の最後までたどり着いたときには試験時間は二十五分が経過していた。チェックを入れた問題は、合計で十二問。周りを見回すと、だいたい半分くらいのクラスメイト達がおれと同じようにシャーペンを置いて暇そうにしている。

 さて、ここからは国原に時間だ。

 俺は自分の左手首をひねり、腕時計の文字盤――正確に言うと、その表面に張られたガラスを、窓とだいたい四十五度の角度になるように調整した。窓から差し込む太陽光が腕時計のガラスに反射し、天井に白い光が照射される。

 さらに、丸い光が教室の前方に向かうようにうまく手首を動かす。黒板の、自分の列の正面に当たる辺りに白い円形が現れる。十秒ほどその位置で腕時計を固定していると、やがて国原の肩がぴくりと震えた。それを確認した俺は、さらに手首を動かす。

 今度の作業は、さっきよりは少し慎重さが求められる。ターゲットは――黒板に貼られた座席表。


 俺が考えたのは、座席表を暗号の伝達手段とする方法である。

 あの座席表は縦が六、横が八の碁盤目状になっている。この形から、俺は五十音表を連想した。

 もちろん五十音表は原則として五かける十という構成なので、この座席表とは少し違っている。しかし縦が多いのは別に構わないし、二つ少ない横の列は、表の外側右、外側左という考え方で補うことができる。かくして、座席表の下部五段は見事に五十音表へと変貌したわけだ。

 これだと一番上の段が余ってしまうが、しかしここも有効活用できる。なにも試験の問題はすべてが純粋な日本語で書かれているわけではない、問題番号などにはかなりの確率で数字が使われている。だから、余った一番上の段は外側右を1、外側左を0とする十の数字を表すことになった。

 あとは簡単だ。わからない問題があれば最初に国原に合図を送り、次に座席表を利用してわからない問題の番号を伝える。たとえばさっきの問題で行くと、最初の三秒間は一段目の右外側に光を当て、次に同じく一段目の右から一列目の席に光をあてる。こうすることで、『大問一の二』というメッセージが国原に送られるわけだ。あとは同じやり方で、国原が答えを俺に伝達してくるだけである。

 三十秒ほど待つと、俺の腕時計のものではない白い光が座席表上に出現した。一点を指し示すと、そのまま微動だにせず静止している。俺は送られてきた解答用紙に書き写した。ちょっと意外な答えだったが、まあそう思って教師側もテストを作っているのだろうからそういうものかもしれない。

 もちろん、このカンニング方法はそこまで確実ではない。むしろ不確実性にあふれているし、それに時間もかかる。すべての問題をこの方法で書き写そうとすれば、とても五十分では足りないだろう。

 しかし俺は、何もすべての問題をカンニングしようと思っているわけではない。親もそこまでうるさくないので、ただ俺はいわゆる赤点というものを回避しようとしているだけなのだ。だからすべての問題でこれをする必要はないし、それにそもそも自力で解ける問題は自力で解いている。

 それにこの方法ではどう頑張ってもせいぜい五文字くらいの短い単語しか送ることができないが、それで問題はない。長い単語だって最初の五文字だけでもわかれば後はたいてい思い出せるし、記述などはむしろ俺が得意とする分野だ。つまり、俺に最も適したカンニング方法なのだ。

 何より発覚のリスクが低いのがいい。

 無能な教師たちはカンニングといえば席と席の間で行われるものと決め付けているようで、監督の際も教室の前方で隅の方の椅子に座ってこちらを見ている。当然自分の背面に当たる黒板など見えるはずもなく、結果俺は堂々とカンニングができるというわけだ。

 この世は馬鹿であふれている。

 送られてきた答えをすべて書き写し終えたとき、試験時間は残り五分になっていた。解答用紙は一応すべて埋まっている。もし仮に、自分で正解だと思って書いた部分が間違っていても、国原にもらった十二問だけですでに五十点ほどある。今回も問題はないだろう。

 やがて試験終了のチャイムが鳴り響き、八王寺のやる気のない「やめぇ」という声とともに、最後尾の生徒が立ち上がって回答用紙を回収し始めた。やっとこれで家に帰れる、と思ったが、しかしよく考えるとうちのクラスの担任の矢木沢やぎさわは、学年一ホームルームが長いことで有名なのだった。まったくどういう非論理的な思考プロセスを辿れば、一言で簡潔に済むことをあそこまでわかりにくくできるのだろう。

 この世は無能な人間であふれている。

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