3-2 ひとときの別れ
一番最初に理解したのは、予想通りというか、背の高い彼だった。
「ああ、なるほど。つまり、最初に『ハンカチは手を拭くのに使った』と仮定したから間違いが起こった、ということなんですね。……なんだか懐かしいなぁ」
最後の言葉の意味は、僕にはよくわからなかったが。何か思うところがあるのだろう。
「いや、僕にもこれといった仮説はないんだけど、どうもそっちの方向性は間違っているような気がしたものだから」
ほとんど反射で出た言葉だったので慌てて言い訳をする。これでもし、『やっぱりハンカチは手を拭くのに使われたのだ』などという結論が出ては困るから、一応予防線の意味を込めて。が、その心配は杞憂だったようだ。
「大丈夫ですよ、こっちであってると思います。……僕もさっきから何か間違えてるような気がしてましたから」
彼も同じことを考えていたのなら、問題なさそうだ――などと考えている自分がいるのに、少し驚く。問題ないどころか、僕と彼は今日が初対面だし、現に名前だって聞いていない。それなのに、どうして僕は彼のことをここまで信用できるんだろう。
「ハンカチの他の使い方……例えば、物を包むとか、かな?」
峰岸が言う。それに対して小さい彼女がすかさず反論。
「いや、それはないんじゃないですか。私そこまでちゃんと見てたわけじゃないですけど、あのハンカチ、折りたたまれていたように思います」
「なるほど。じゃあ他には?」
うーんと唸る小さい彼女。しばらく考えた後、やがてポンと手を叩き、
「あのハンカチは白かったですから、ハチマキを忘れた持ち主さんが代用品として使おうとしたとか……」
「さっき自分で『ハンカチは折りたたまれていた』って言ったのを忘れたのか」
的確な突っ込みを入れる背の高い彼。それに対してぎゃんぎゃんとかみつく小さい彼女。
「なにようるさいわね! あんたも仮説か何か出してみなさいよ!」
「今考えてるんだ」
「話さないと何にもならないわよ!」
「まとめてからじゃないとダメだろ」
「あんたは考えて考えて考えすぎて結局自分一人で納得して話さないときがあるから言ってんのよ!」
うぅむ、なかなか苛烈である。きっと彼は毎日苦労しているに違いない。そしてこれからも頑張ってくれたまえ。
「うーん……なんでかなぁ……」
夫婦漫才の間も峰岸は首をひねり続けている。
どうでもいいけれど、みんなハンカチの『M・M』というイニシャルにはまったく言及しない。まあフルネームならともかく一千人近い生徒の中からイニシャルで探すのはさすがに無理だろう。もちろん放送するのが一番手っ取り早い方法ではあるのだが、四人が四人ともその点には目をつぶっている。親近感が湧いてきた。
「……あ」
と、小さい彼女が何かを思いついたように呟いた。
「怪我をしたから傷口を縛るためにハンカチを使った、ってのは? 色から連想したんだけど」
「だからさっきも言っただろ。それだとハンカチが折りたたまれたままだったことに説明、が……」
そこで突然言葉を切る、背の高い彼。どうかしたのだろうか。心なしか、目の焦点も若干合っていない気がする。もしや僕に引き続いての熱中症か。
「ちょっと君、大丈夫?」
彼の肩を掴んで揺さぶる峰岸。ほどなくして正気に戻り「ああ、はい、大丈夫です」と言った彼だったが、しかし次に放たれた言葉は、僕らを驚かせるのに十分だった。
「それより。落とし主、絞り込めましたよ」
「じゃあ……謎解きと参りましょうか」
ぱん、と手を叩く背の高い彼。君は名探偵か何かか。
「さて……分かりやすいように、まずハンカチの落とし主をXさんとおきます。
最初に問題となるのは、ハンカチが完全に乾いていて、なおかつ折りたたまれたままだったことです。この二つの条件のせいで、ハンカチがどういう形で使用されたかが全く分かりませんでした。
ならばこう考えればいい。
ハンカチは、使用されなかったのだと」
「異議あり」
律儀に挙手する峰岸。
「使わなかったのなら、どうして出したの? まさか自分の言ったことを忘れたわけじゃないよね、体操服のポケットは深いから自然に落ちるはずはないって」
「その通りです。
だから、導き出される答えはこうなります――Xさんは、ハンカチを使おうとしてポケットから取り出したにもかかわらず、使う機会を逸してしまったのだと。こう考えれば、未使用の状態のままで放置されたことにも納得がいきます」
「重ねて異議あり」
今度は小さい彼女が口をはさんだ。
「使う機会を逸してしまった、って言うけど……例えば、手を洗った後に拭こうとしてハンカチを取り出したとするじゃない。そしてその時に誰かに話しかけられるか何かで注意がそれれば、確かにその一瞬はハンカチは使われずにすむかもしれない。でも依然として手は濡れてるわけだから、その後手を拭こうとしたときにハンカチを落としたことに気付くはずじゃない? それは物を包む場合も、怪我を縛る場合も同じだと思うけど。自分のことなんだから気づかないってことはないでしょ」
「重ねてその通り。
だから、Xさんがハンカチを使おうとしたのは自分に対してじゃない――他人に対してなんだ」
未だに着地点は見えない。
「ではここで、Xさんがハンカチを使って何かをしてあげようとした人物をYさんとおきます。Xさんはハンカチを使おうとしたにもかかわらず、使う機会を逃してしまったことは先程言いましたね。つまりこれは、Yさん側の問題が、Xさんがハンカチを取り出してから使うまでの間に解決したことを意味します。さらに付け加えるならば、ハンカチは一度手洗い場のコンクリートの上に置かれなければならない――手に持ったままであれば、その後ポケットにしまい直したはずですからね。
ではYさん側の問題とは何だったのか。手を拭く、物を包む、怪我を縛るの三つの選択肢から考えていきましょう」
厳密に言えば、選択肢が他にも存在する可能性――たとえばクロロホルムを染み込ませて誰かを誘拐しようとしたとか――はゼロではないが、そういう非現実的な可能性は考えなくてもいいだろう。
「まず、手を拭く場合。
自然に手が乾いてしまった可能性は最初から考えなくてもいいでしょう。いくら今日の太陽がきつく照り付けているからと言って、そんな短時間で水が蒸発するはずがありません。そこまでの温度であれば今頃僕らは丸焼きです。
とすれば、Xさんがハンカチを取り出したにもかかわらずYさんがほかの手段――自分のハンカチを出すなり、体操服で代用するなり――でさっさと手を拭いてしまった可能性が残りますが、これではXさんがハンカチを手洗い場にいったん置くという行動を取らないはずです。Xさんがハンカチを置くには、一度Xさん本人が何らかの作業をするためにハンカチから手を離さないといけません」
可能性は残り二つ。
「次に、物を包む場合。こちらも、先程と同じ理由からXさんがハンカチを置くという行動がとれません。
では最後に残ったのは、傷口を縛る可能性です」
ここで彼は、いったん言葉を切った。
「この場合であれば、ほとんどの条件が満たされます。
出血性の怪我であったと仮定しますが、まずXさんは血をだらだら流して歩いているYさんを発見。手当てをするつもりでそこの手洗い場まで引っ張って来ます。
最後に傷口を縛ることは予想できますから、最初にハンカチを出して手洗い場のコンクリートの上に乗せておきます。そしてYさんの血を洗い流すのを手伝います――ここでXさんの手がハンカチから一度離れるわけですね」
確かにそれだと最大の問題が解消される。だが、しかし……。
「ただこの場合、洗っている途中にYさん側の問題が解決される必要があるのですが、怪我の問題が解決するというのは少し考えにくいですよね。洗い流した直後ですから、傷口を見ただけで怪我が治っているかどうかは判断できません。とするならば――」
「答えはただ一つ。血を洗い流した後、Yさんの体に傷口がないことが分かり、Yさんが最初から怪我などしていなかったということをXさんが知った場合です」
「さあ、ここまで来れば後は簡単ですね。怪我をしていなかったにもかかわらず、Yさんの体に血が付いていた理由――推理小説的にいけばここは『誰かを刺した際に返り血を浴びたから』と言いたいところですが、残念ながらこの体育祭で人死にが出たなどという話は聞こえてきていません。
つまりYさんは、出血性の怪我をした誰か――その人物をZさんとおきます――に触れた。より具体的に言えば、怪我の手当てをさせるために肩を貸すなりなんなりして保健室のテントまで引っ張ってきた」
なるほど。出発点からかなり遠いところまで来たものが、それならすべてに具体的な説明がつく――って、それって、もしかして。
「そう考えるならば、Zさんは体育祭が始まって一時間もたたないうちに出血性の怪我をした誰か、ということになるわけなのですが……あなたがZさんですよね?」
僕の左腕に巻かれた包帯を見ながら、彼はそう言った。
頭を適度に動かしたからか、だいぶ具合の良くなった僕は三人と一緒にこっそり本部テントを抜け出して歩いていた。また再発するといけないので、なるだけ日陰を選んで歩いてはいるが。
「へぇー、鳴海ってそんな部活があるんだ。知らなかったなぁ……知ってたら、中学受験頑張ったのに」
「古今東西、どんなのでも揃ってますよ。高が部活ですけど蔵書量は管理のものだと自負しています」
後方では女子二人が僕にはよくわからない会話を交わしている。さっきまで飛び交っていた単語は知らないものばかりだったが、峰岸の性格と嗜好から考えておそらくミステリ
結局、背の高い彼の推理は百点満点で正解していた。
『Zさん』=僕、となれば必然的にYさんは僕をテントまで引っ張ってきた久慈院、Xさんはその直後に久慈院を引っ張っていった道岡さん、ということになる。イニシャルも『M・M』で一致していたので、届けてあげたら大層お礼を言われた。なに、そんな大したことでは。推理したのは僕じゃないけど。
隣を歩く僕より背の高い中学生を見て、ふと気づいたことがあった。
「……そういえば、まだ名前聞いてなかったよね。何て言うんだい?」
一瞬虚を突かれたような顔をする背の高い彼。おそらく彼自身もすでに名乗ったと思っていたのだろう、すぐに、
「
小さいの、という呼称に後ろを歩いていた小さい彼女あらため上原ちゃんが一瞬眉をしかめたが、すぐに峰岸とのミステリ談議に戻った。いつもこんな感じなのだろう。
その後数分歩いていると、中条くんが突然、
「……あ、相川部長だ。それに茅崎さんも」
と言ったので視線を追ってみると、数メートル先のアイスクリーム屋台の前で鳴海校の制服を着た二人の女子生徒がアイスを舐めているのが見えた。あの二人が、『迷子』ね……。
「では、今日はありがとうございました」
そう言って同時に深々と頭を下げ、ぱたぱたと駆けていく中条くんと上原ちゃん。こういうところは中学生だなぁ、と思う。
「先輩」
突然後ろから肩を叩かれる。
驚いて振り向くと、峰岸だった。ミステリ談議が尻切れトンボで終わったせいか、若干不満そうな顔をしている。
楽しげに話しながら去っていく四人を見ながら、峰岸が言う。
「さっき、あのちっちゃい子――上原ちゃんに、言われたんです。今度遊びに来ませんか、って」
ははぁ。
大方珍しいミステリ本があるという話でも聞いたのだろう。
よその学校へ行くというのはあまり気の乗る話ではないが、そうだな……中条くんとやら、今日のあれが人生で初というわけでもあるまい。暇な時に行けば、面白い話もしてくれるだろう。
そういう期待と、どこか自分と相通ずるものを持つ中学生の彼にもう一度会って、話をしてみたいという気持ちも胸に抱きながら。
「そうだな……いい暇潰しになるかもしれない。今度、行ってみようか」
「はい!」
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