第2話 第一歩


 放課後になり、誠がいつも通り優人をむかえに行くと、そこにはとんでもない光景こうけいがあった。

「ゆーめーしーまー! 帰るぞ、おーきーろー!」

 優人を起こそうとしている奴がいる。

 しかも、昨日まで見たことのない奴だ。

「なぁ、起きろって。みんな帰ってるぞー?」

 元気のよさそうな、明るい奴。

 人懐ひとなつっこい笑みを浮かべて、そいつは優人の体を揺すり、起こそうと必死だ。

「うぅぅ……ねむい」

「眠いじゃない! ほら帰るぞー! 約束したろー!」

 机を揺らして起こしにかかれば、ようやく優人は体を起こした。

「わかったよ。帰ればいいんだろ帰れば」

「やっと起きた! おまえ寝すぎ!」

 だるそうにしながらも、嬉しそうな様子で話している優人。

 友達でもできたのだろうか。

「優人!」

 教室に入りながら呼べば、優人はこちらを見る。

「誠。今日はこいつも一緒な」

 優人が指をさせば、その男子生徒は驚いた顔をする。

「嘘、友達いたのかおまえ!?」

「ひとりくらいいるっての。失礼な」

 男子は心底驚いていて、誠も思わず笑ってしまった。

「あぁ、こいついないように見えるもんな。実際、俺ひとりだけだしな」

 くすくすと笑えば、優人は座った目で見てくる。

「おまえだってひとりしかいないくせに」

「うっせ」

 そう言いあっていると、男子がぱぁっと嬉しそうに笑った。

「本当に仲がいいんだなふたりとも!」

 珍しいものでもないだろうに、目を輝かせて見てくるのがなんだかくすぐったい。

「それで、おまえの名前は? 俺は染井誠」

 人懐っこいこの男子なら、優人の傍にいても安心な気がして、名前を聞いた。

「そめい、染井か! 俺は春川! よろしくな!」

 名前を聞いた瞬間、嫌なものが背筋を凍らせた。

「はるかわ、こう、き…………?」

 まさか。まさかまさか。

 こいつは、あの優人を貶めた……?

 優人を見れば、嬉しそうに笑っていた。

 その笑みは、なにかよくないものを帯びている。

 上手く言い表すことができないが、違和感があるのだ。

「どうかしたのか、染井?」

 春川弘樹と名乗ったこの男は、何者なのだ。

「優人、ちょっとこい」

 優人の腕をむんずと掴み、教室を出てトイレに入る。

「どうしたんだ、まこ……っ」

 トイレの壁に優人を投げるようにぶつければ、誠はその優人の顔の横に見える壁に手を当てた。

「優人、あいつはまさか……」

 天城弘樹なんじゃないか。

 そう訊けば、優人は嬉しそうに笑う。

「あぁ、そうだと思うよ。名前は違ったけど」

 なぜ笑う。

「あいつはおまえをだました奴なんだぞ! なんでそんな嬉しそうに笑えるんだ!」

 おかしい。

 なぜそんなに笑える。

「悔しくないのか!? 恨めしいだろ!」

 そういえば、優人は首を振る。

「いいや、悔しくないよ。恨んでもいない。傍にいれるだけでいいんだ。それだけなんだ。それ以上は望んでない。だから、邪魔しないでくれ」

「優人!」

 寂しそうに笑う。

 けれど、どこか狂気じみたその笑みは、不安ばかりをき立てる。

 他の生徒がトイレに入ってきてしまった。

 これ以上ここで話していると教師を呼ばれて面倒なことになりそうだと思った誠は、ため息をつく。

「わかった。とりあえず帰ったら話を聞くからな」

 いま彼らは一緒に住んでいる。

 優人は親がいないからあてになどできない。この高校へ入るためのお金すら、院長先生から借りたものだ。

 とはいっても、高校に入るように言ったのは院長先生本人なのだが。

 こちらにむための資金しきんは、中学卒業前からふたりで新聞配達しんぶんはいたつをし、中学卒業とともにバイトを始めてめた。

 かなり苦しいものだったが、院長先生がいらない布団や家具をくれたおかげでだいぶお金が浮き、なんとか狭くて小さいけれど部屋をりることができた。

 2Kの部屋で、片方かたほうを寝室、もう片方をリビングとして彼らは住み始めたのだ。

 優人は誠の言葉にうなずき、ふたりは春川のもとに戻った。

 ひとり暇そうに椅子に座って足をぶらぶらしていた春川は、戻ってきたふたりを見て、こちらにかけてくる。

「おっそいよもー! ほら、帰ろ!」

「わかったから、犬みたいにはしゃぐな」

「犬言うな!」

 はたから見れば仲のいい友達だ。

 けれど、誠には歪な関係にしか見えない。

 この関係を、優人は望むのか。

 だまされているとしても、傍にいたいと。

 例えこちらを向いてくれないとしても、傍にいれるならと。

 どれだけ自分をないがしろにするんだ。健気けなげを越えて狂気にも思える。

「いや………………」

 それは、自分にも当てはまるか。

 例えこちらを向いていないとしても、優人の傍にいたい。

 優人を支えていればいつかは、こちらを振り向いてくれるかもしれないと。

 健気に待ち続けて、いつかはそれが狂っていって。

 狂愛きょうあいになっていく。

 怖いものだ。

 優人と春川はなにか楽しそうに話している。

 それを少し間を開けて歩いていた誠は、その間がまるでどんどん広がっていくように思えた。

 ふたりは自分を置いて、どこか遠く、決して手の届かない場所に行ってしまう気がした。

 桜を見上げれば、まだつい最近に満開になったばかりなのに、もう花がほとんど残っていない。

 葉桜は、その残りの花弁すら風にさらわれて、ひどくかわいそうに思えた。

 けれど、誠は桜が少し羨ましい。

 花をつけることができるのだ。ほんの少しの間だけでも。満開に咲きほこり、人々を魅了みりょうできるのだ。

「俺にはできない………………」

 優人を支えることはできても、本当の意味で救うことはできない。

 だから、優人はこちらを見ないまま、どこかへ行ってしまうだろう。

 必死に手を伸ばしても。

 必死に足を前に出そうとも。

 彼には届かない。


 初恋は、決して叶わないのだ。



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