第3話 彼の言葉
分かれ道で、春川と別れたふたりは、家に着く。
中に入り、誠は優人に問うた。
「おまえはそれでいいのか」
「なにが」
優人は学ランを脱ぎながら聞き返した。
「あいつ、おまえを忘れているみたいだったぞ。また弄ばれて捨てられる。そうしたら傷つくのはおまえなんだぞ?」
誠は優人の方をじっと見る。
様子が少しおかしい優人は、無理して笑っていたあのときと似ていた。
「そうだな。また、前みたいに泣き崩れるかも」
「だったら!」
「でも、俺はあいつが好きなんだ。どうしても、あいつが好きなんだ」
優人は笑う。
儚げなその笑みは、いまにも消えてなくなりそうだ。
誠の
◇
弘樹が消えたその日、優人はたまり場に来ていた。
ふらふらと入ってきた優人を見た誠は心底驚いた顔をした。
それもそうだ。
一度たりとも泣いたところを見たことがなかったのに。
優人はその日、笑いながら涙を流していたのだ。
ポロポロと流れる涙が、無理に笑っているその顔をよりひどいものにしている。
「なにがあったんだ優人!?」
誠はそれこそ飛び上がるように席から立って優人に駆け寄った。
「どうした誠、そんなに慌てて」
変なやつだなぁ、と朗らかに笑う優人の方がよほどおかしい。
「なんで泣いてるんだ」
そう訊くと、優人は自分の頬に触れる。
そこで始めて自分が泣いていることに気づいたようで、不思議そうな顔をした。
「あれ、なんで泣いてるんだろ俺……? あはは、ごめん驚くよなそりゃ」
あははは、と笑う。
しかしなぜか誠は苦しそうな顔をして、優人を抱きしめてきた。
どうしたのだろうと、驚いて静かになる優人に、誠は訊く。
「無理に笑わなくていいから、俺に話してくれ。なにがあったんだ」
そう言われたけれど、優人は答えるつもりはない。
「あはは、なんにもないよ。あれだ、目になんかはいったんだ」
話したところで、なんにもならないのだ。なら、話さなくていい。
心配はさせたくないから、声が震えそうになるのを
しかし、少し震えたのか、奥歯を噛みしめた誠。
「俺には、隠さなくていいから、全部話してくれ。押し殺すな、吐き出せ全部」
誠はそう言って、頭を撫でた。
すると、
「う、あ、あぁぁぁぁぁ………………」
泣くつもりはなかったのだ。なのに、涙は意に反して止まらない。
「そうだ泣け。全部泣いて吐き出しちまえ」
優人の体を支えながら、誠はそういう。
その言葉で、優人の涙は余計に止まらなくなってしまった。
ソファーに移動し座ると、涙も嗚咽も止まらないまま、優人はぽつりぽつりと話し始めた。
弘樹とのこと。怪我のこと。昨日の出来事。
そして、――――自分の気持ち。
優人は言い終わると、悲鳴のような声を上げた。
「俺がっ、俺がバケモノだからっ、だから弘樹は……!?」
弘樹に感謝している。嘘だったとしても、たくさんのものをもらったから。感謝しかない。
だから弘樹を恨むことはない。
全部、バケモノである自分がいけないのだ。
「バケモノが、弘樹を好きにななんてなっちゃいけなかったんだっ。俺が全部悪いんだ……。俺が生まれたからっ」
「優人! 違う、おまえは悪くない! おまえはバケモノなんかじゃないだろ!」
止めないと、このまま死んでしまいそうな勢いの優人に、誠は不安を覚えた。
拳を痛いほど握りしめて、優人はひたすらに自分が悪いのだと言い続ける。
「バケモノだよ! 俺はバケモノで、生まれるべきじゃなかったんだ! だから母さんだって捨てたんだ! バケモノが怖いから!」
優人は必死に自分がバケモノであることを主張するけれど、誠は否定する。
けれど優人は認めない。
だんだんとその言い合いが意味のないもののような気がして、誠はぶちぎれた。
「だーもう! なんだおまえは、さっきからバケモノバケモノバケモノと! 違うっつってんだろうが! 話聞け馬鹿!」
切れた誠に、優人は呆然と黙る。
「おまえ前から思ってたけどネガティブ過ぎなんだよ! なんでそうも自分を貶めるかなおまえは!? いいか、悪いのは天城だ! おまえは悪くないんだよ馬鹿! そんなんじゃいつか結婚詐欺に遭っても俺が悪いって言って金を
だいたいおまえはなんなんだと、グチグチと
「天城を好きならなきゃよかっただぁ!? いろいろもらって感謝しときながらそりゃあなんだ!?
呼吸しないで怒りのままに吐き出した誠は、疲れてはぁはぁと息が上がっている。
いままでで見たことのない姿だった。
上がった息を整えて、大きめに息を吸うと、誠は言う。
「俺はな、おまえのとっての天城のように、おまえを想っている。おまえのおかげで、俺は救われたんだ」
優人の目をまっすぐ見つめて、誠は語り始める。
「俺の家はさ、家庭崩壊してんだ。親父は酒飲んで家族に暴力ふるうし、母さんはそれでほかの男と不倫。そんな家庭がいやで、家に帰りたくなくて夜出歩いて喧嘩してるうちに最強なんていわれてさ」
寂しそうに笑う誠の顔に、胸が痛くなる。
「そんなとき、遠くの街で俺より強そうな奴がいるってんで、来てみたらこんなちっこい奴でさ」
「ちっこくない」
聞き逃せない言葉に優人は
「なんだ嘘かと思えば本当にくっそ強いし、イケメンだしさー」
「イケメン? どこが」
「イケメンでしょ。ボロボロに負けて動けない俺を、街からついてきた俺に負けた奴らがリンチしようとしてきたときに俺よりぼっこぼこにして。挙句、『もう二度とこいつに近づくんじゃねぇ』とか。惚れるでしょ」
「そんなものか?」
「そんなものだよ」
理解はよくできないが、そういうことらしい。
「学校もそういう不良のレッテル
「住んでそうだなとは思ってた」
「あはは、やっぱり?」
いつ行ってもいるから、もしかしたら住んでるのではと思っていたが、それに近いことになっていたようだ。
「ここはうるさい奴もいないし、喧嘩もおまえを助けに行くときぐらいしかしなくてすんだし、まーったりできるから好きだよ。それに、優人とただぐだぐだ過ごすのが、楽しかったんだ」
誰かと、暇な時間を共有して、ぐだぐだ過ごす、ごくふつうのこと。
誠もまた、『ふつう』を求めていたのだ。
「だから、おまえをあの院に置いていった親に、俺は感謝する。おまえに出会わせてくれたからな」
もしも親が優人をあの孤児院に捨てなかったら、もしかしたら優人はバケモノなんて呼ばれることも怯えられることもなかったのかもしれない。
もともとの身体能力だから、捨てなかったとしても力は強かっただろう。けれど、ごくふつうの生活を送っていたのかもしれない。
染井誠という人間を、知らずのうちに救って、親友となり、相棒となったことは、ある意味では奇跡なのだ。
「あぁ、そうか……」
もしも、この出会いが奇跡なら。
「じゃあ俺も、おまえの両親に感謝しないと。おまえに会えた」
弘樹にもたくさんのものをもらったけれど、誠にだって、もらったのだ。
親友であり相棒。そんな相手は、お互い相手だけ。
「そうだそうだ。感謝しろ。そして、俺の
――――俺の好きなヤツのこと、貶さないでくれるか?
誠の言葉と、弘樹の言葉が重なった。
――――おまえさ、自分のことバケモノバケモノって言うけど、そんなに自分のこと虐めて楽しい? どエムなの?
――――見せもしないで『俺はバケモノだー』なんて納得できるか馬鹿。厨二病じゃあるまいし。そんなん信用出来ないね。俺は自分のおまえが好きって気持ちだけ信用して、おまえを口説き続けちゃうから。
そう。弘樹にも、否定された。バケモノじゃないと。
「あぁもうほんと、情けないな……」
誠はこんなに自分のために怒ってくれるのに。
いままた自分は、弘樹の言葉に救われてしまった。
弘樹の言葉に傷つけられたのに、弘樹の言葉で救われてしまう。
誠の言葉が心に響かなかったわけではない。けれど、好きなひとの言葉はきっと、ほかのひとの何十倍もの
「おまえの中の天城がどれだけ大きいかは、俺にはわからない。けど、もしまた辛くなったら、苦しくなったら、泣きなくなったら、俺のとこに来い。慰めてやるよ」
「ごめんな、誠」
弘樹が好き。それは変わらない。
きっとずっと、どんなにときが経っても、変わってくれはしない。
「なぁ、誠」
「ん?」
この地にいれば、思い出して泣いてしまう。ここにいると、弘樹を思い出して、苦しくなってしまう。
だから、この地を離れたい。
「どこか、ここから遠くに、一緒に来てくれないか」
「えっと………………ルームシェア的な?」
「うん」
弘樹のことを受け入れるまでは、そこに。
もしかしたら、一生かもしれないけれど。
「いいよ。行こう。でも、金はどうする」
「いまは新聞配達くらいしかできないけど、卒業と同時にバイトすればいい。ぎりぎりかもしれないけど、院長先生に、院でいらなくなった家具とかもらえないか聞いてみる」
いつも優しい院長先生なら、話だけでも聞いてくれるかもしれない。
「これから忙しいな」
誠が、そう文句まがいのことを言うけれど、顔は楽しそうに笑っている。
「あぁ、頑張ろう」
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