第5話 一番


 後日ごじつ、弘樹のお見舞いに病院へ行くと、由紀が前で待っていた。

 どうかしたのかと近づくと、由紀は優人を見た瞬間、泣きそうな顔をした。

 なにかあったのだろうか。まさか、弘樹になにかよくないことでも起きたのだろうか。

 頭を打ったのだし、あの血の量だ。容態ようだい急変きゅうへんしたとしても不思議ではない。

 怖くて足早あしばやに由紀のもとに行くと、由紀は手に持っていた紙袋を無言むごんで渡してきた。

 中を見ると、ボロボロになった千羽鶴。

「…………ごめんなさい。お母さんが、優人さんがくれたって知って、ボロボロに………………」

 悔しそうに服のすそを握りしめる由紀。

 人生初の千羽鶴がボロボロになったのは少し残念だが、仕方ない。

「由紀ちゃんが悔しがる必要ないよ。……弘樹は、起きた?」

 弘樹は、これを見てくれただろうか。

 それだけが気になって問うと、さらに泣きそうに顔を由紀は歪めた。

 どうしたのか聞こうとしたが、その前に由紀が口を開く。

「起きたよ。それ見て………………、喜んでた」

「そうか。ならいいや」

 弘樹が少しでも喜んでくれたなら、頑張った甲斐がある。

 きっと騒いだのだろう。それで捨てられてしまったのかもしれない。

 もしなにかほしいのなら、またなにか作ればいい。

「千羽鶴は折ったから、かめとかでも折って持ってこようか。あのあとすっかりハマっちゃって、楽しくていろいろ折っているんだ」

 誠の折り紙の本とにらめっこしながらいろいろなものを折って。

 できたときの達成感がたまらなくて、いまたまり場は折り紙で折られたいろいろなものに埋まりつつある。

 弘樹は喜んでくれるだろうか。一緒に折るのも、楽しそうだ。

「あのね、優人さん」

「ん?」

 未来を思い描くのが楽しくて、由紀の小さな声を聞き逃してしまった。

 聞き返すと、由紀は俯きながら言う。

「もう、来ない方が、いいかも……」

 由紀のその言葉に、優人は頭の中をハテナマークで埋めた。

「どうして……?」

 いきなりなぜそんなことを急に言い出したのだろう。

 俯いたままの由紀は、涙をぽろぽろ落として、嗚咽を我慢している。

 これでは聞けないので、頭を撫でて落ち着かせようとした。

「……ご、ごめ…………ごめな……、さ……」

 子供らしく泣きじゃくってしまって、子供の扱いに慣れていない優人は、あわあわしながらも由紀の頭を撫でる。

「落ち着いて、話してくれないか……?」

 なぜ、突然こんなに泣き始めたのだろう。

 もう来ない方がいいとは、いったいどういう意味なんだ。

 聞きたいけれど、こんな状態ではまともに話せないだろう。

「近くの喫茶店きっさてんに行こう? ケーキ食べて、ジュース飲んで落ち着こうよ、ね?」

 子供だからか、ケーキやジュースに引かれたのか、こくこくと頷く由紀。

 いまだ泣き止まない由紀を連れて、喫茶店に入る。

 静かな雰囲気だが、家族連れもいるので、アウェー感はない。

「ショートケーキとかチョコレートケーキとかあるけど、なにがいい?」

「ショートケーキと、アイスティ……」

 由紀の注文が決まり、優人はオレンジジュースにして、注文した。

「優人さん、オレンジなの?」

「あ、うん。コーヒーは苦いし、紅茶も飲めるけど、オレンジジュースが好きだから」

 そういうと、由紀に少し笑みが戻る。

「優人さん、本当可愛いよね……」

「え!?」

 なぜこのタイミングで可愛いと言われたのかはわからないけれど、いまはそれで由紀が笑ってくれるなら、感謝しよう。

「本当、優人さん可愛いし、いいひとだし……、なんで……」

 また泣き始めた由紀に、優人は戸惑う。

 どこに泣く要素が。由紀と言い弘樹と言い、訳がわからない。

「由紀ちゃん、どうしたの?」

 頭を撫でて聞く。

 ケーキと紅茶、ジュースがおかれ、由紀に食べるように優人はすすめた。

 オレンジジュースを一口飲む。

 由紀はあっという間にケーキを食べ終え、紅茶を飲んだ。

「おいしかった」

「よかった」

 女子はスイーツに弱いというのは本当のようだ。

 幸せそうな顔をしている由紀。

「女の子は笑ってる方が可愛いよ」

 思ったことをそのまま言ったら、由紀は目を見開いた。

 驚いたのか、涙まで止まる。

「優人さん、いま初めて可愛いじゃなくてかっこいいって思えたよ」

「はい!?」

 なんでかっこいいと思われたのかもわからないし、いままで一度もかっこいいがなかったということに対してのショックもあって、困惑しかできない。

「弘樹も由紀ちゃんも突拍子とっぴょうしもないようなことを言うよね……」

 優人は心臓のある当たりを撫でながらそう言った。

 由紀は泣き止んだばかりのせいで、目も目の下も赤くなっているが、ひどくきれいに微笑んだ。

「私が、優人さんの恋人ならな……」

「え……?」

 なにを突然言い始めるのかと思いきや、由紀はこっちをまっすぐ見た。

「ね、優人さん。私の、彼氏になってくれませんか?」

 ふざけているようには思えない。真剣なまなざしだ。

 どうしてそんなことを言い始めたのかはわからないけれど、ちゃんと答えなければ失礼しつれいだ。

「ごめん。由紀ちゃんのことは好きだけど、そういう好きではなくて……、妹に対してのものだから」

 頭を下げる。

「お兄ちゃんが、一番ですか?」

 由紀の言葉に、優人は顔を上げて、頷く。

「俺は、弘樹が好きだよ。一番だ」

 すると、また涙をめて、笑うのだ。辛そうなのに、無邪気に。

 そしてひとりで頷く。なにかを決意したように。

「なら私、頑張ろうと思います。待っててくださいね」

 そういうと、紅茶を飲んだ。

「お兄ちゃん、目が覚めたんですけど、頭を打ったんで精密検査せいみつけんさを受けるんです。それで、母がずっと付きっ切りになるみたいで」

 だから、来ない方がいいです。

 と、由紀は言う。

「そういうことだったんだ。なんだ、急に泣き出したから弘樹になにかあったのかと思った」

 安堵の息を吐くと、由紀はすまなそうに謝る。

「すみません。千羽鶴のことが悲しくて。あんなに嬉しそうにしてたのにって」

「弘樹、そんなに嬉しそうだったんだ。お母さんと喧嘩してない?」

 もし自分が折った千羽鶴で喧嘩して、仲たがいしてお母さんを悲しませてしまったらどうしようかと。

 弘樹を不快ふかいにしてしまったらどうしようかと。

 そう不安で聞いたのだが、由紀は首をかしげていて、優人も違うのかと首を傾げた。

「え、弘樹が嬉しそうにしてたんじゃないの?」

 そう言うと、由紀は納得なっとくしたかのように「あ……」と呟く。

「そ、そうなんですよ。お兄ちゃんすっごい嬉しそうで。ちょっと喧嘩になったんですけど、もう和解わかいしました。けど、母少しヒステリックなところがあるので、またひどいことを優人さんに言ってしまうかもしれないので、優人さんは絶対来ないでください」

 焦ったかのように早口で、まるで嘘を言っているように思えたが、嘘をつく意味がないので、驚いただけかと無理矢理に納得させた。

「そっか。じゃあ、来ない方がいいね」

 頷けば、由紀はなぜか安堵したかのように胸をなでおろしていた。

「あ。私そろそろ学校なので」

 そう言って、由紀は立ち上がり「ごちそうさまでした」と言った。

「うん。あ、弘樹の退院って、いつになるのかな」

「あー、まだわからないです。精密検査してみないと」

「そうか……」

 当分、弘樹に会えない。

 まぁ、なにかあったら大変だし、仕方ないことなのはわかっている。

 けれど、やはり寂しい。

「大丈夫ですよ。お兄ちゃん、すぐにでも優人さんに会いたいだろうし」

 由紀は時計を見て小さく悲鳴を上げると、急いでお辞儀して出て行ってしまう。

 気づけば、八時の三十分前だ。

 本当なら学校。

 いつまで自宅学習なのだろう。

 弘樹のためにノートを取りたいのに。

 授業はまじめにやっていたし、それくらいしかやれることがないのに。

「はぁ……」

 ため息をついてから、お金を払って喫茶店をでた。

 院にいても子供たちを怯えさせるだけだし、行く場所もない。

 仕方なく今日もたまり場に行って、いつものソファーで寝る。

 今日は珍しく誠がいなかったが、前も予定があることもあったのだし、どこかに行っているのだと思い眠りに入った。


     ◆


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