第6話 狂わせて


 兄から発せられた、思いがけない言葉に、由紀は言葉を失う。

「あ、もしかして、由紀の友達か? あ、でもゆうとって男の名前だし…………、もしかして彼氏か!? どんな奴なんだ!?」

 的外まとはずれすぎるその発言。

 ふざけているのだろうか。冗談で言っているのだろうか。

 だけど、兄がそういう冗談は嫌うことを知っているから、違う。

 それにこの顔は、本当にわからないという顔。

「お兄ちゃん、優人さんのこと、忘れたの…………?」

 あんなに大好きだと騒いでいたのに。

 あんなにべた惚れだったというのに。

 忘れて、しまった……?

「え……?」

 兄は理解していないようだ。

 訳がわからず混乱こんらんしている兄。

「本当にわからないの? お兄ちゃんの恋人の夢島優人さんだよ!?」

 肩を掴んで揺さぶりながら、必死に伝える。

 きっと、寝ぼけているのだ。

 だから、すぐに思いだすはずだ。

「恋人って、女の子なのか?」

「可愛いけど男だよ!」

「いやいや、俺はホモじゃないし」

「本当だって! 天使みたいに可愛くて、どうしようもないくらい好きって言ってたじゃん!」

 家にまで呼んで、楽しそうに笑いあっていたのだ。ほんの数日前に。

「優人さん、お兄ちゃんのために千羽鶴折ってもってきてくれたんだよ!?」

 起きたらきっと驚いて喜んでくれると、嬉しそうに笑っていた優人の姿を思い出す。

 兄が好きで、兄のためにと恥ずかしそうにキスまでして。

 兄のために傍にいたいけれど、お母さんを泣かせたくないからと帰って行った優人。

 自分がやったわけではないのに、自分のせいにされていて、それに悲しそうな顔をしていた。

 階段で血を流していた兄を最初に見つけたのも優人だと聞いた。

 大事な人が死にそうになっている状況を見て、どれだけ心配だったか。

 数日間も目が覚めない上に、母に追い出された。

 家族である由紀や母も心配したというのに、優人はどれだけ心配しただろう。

 それなのに、ようやく目覚めた大切な恋人が自分を覚えていなかったら、どれだけ傷つくだろう。

 優人は、由紀にとっても、第二の兄のように大事なひとだ。

 そんなひとを、泣かせたくはない。

「お兄ちゃんが一目惚ひとめぼれして、口説きまくってたくせに、忘れないでよ! ねぇ!」

 悔しくて、涙が出る。

 兄がこんな簡単に優人の記憶をなくした。

 あんなに、うるさくて耳をふさぎたくなるほどに騒いでいたくせに。

 なんでこんな簡単に忘れてしまうのだと、悔しい。

「由紀、からかうのはやめてくれよ。俺一応いま起きたばっかりの怪我人よ?」

 こんなに必死に伝えているのに、信じないばかりか由紀のいたずらだと思う兄に、由紀はキレた。

「ふざけてるのはお兄ちゃんだよ! 馬鹿!」

 ここにいるのが嫌になって、由紀は飛び出す。

 兄がなにか言おうとしたようだが、聞きたくもなかった。

 由紀が飛び出して行ってしまった方を呆然と見ていた弘樹は、千羽鶴を見上げる。

 初めて作ったのか、よれよれで汚く、出来は悪い。

 由紀は目に涙を浮かべていた。どうやら、由紀の言っていることは本当らしい。

 信じられなかった。

 自分に恋人がいて、それが男で、自分の方から口説いたのだという。

 いったい、どういうことなのだろう。

 階段から落とされたらしいことは、医者から少し聞いたけれど、それで記憶が後退こうたいしてしまっているのだろうか。

 思考しこうの海にしずみかけていると、ばたばたと走ってくる音がして、由紀が戻ってきたのかと思って扉を見た。

 やがて足音がヒールであることに気づくと、母親が姿を現した。

 起き上がって目を開けている弘樹を見て、母は涙を流して抱き着いてきた。

 本当に、こういうところは親子なんだなと、妹と母をかさねる。

「よかったわ、本当に……」

 心底安心した声音で母は言う。

「ふたりとも大げさすぎるよ」

 そう笑いながら言うと、母は周りをきょろきょろ見渡す。

「あら、由紀が来たの。どこに?」

「なんか、地雷じらいふんだっぽくて、泣いて出てっちゃった」

 頭をかきながら苦笑いを浮かべる弘樹。

 そのうしろに吊るされた、昨日はなかったはずの千羽鶴に、母は気づき問う。

「この千羽鶴は? まさか由紀が頑張って作ったのに、文句でも言ったの?」

 地雷をこの千羽鶴だと思ったらしい母は、そう責めるように言うけれど、弘樹は否定する。

「違うみたい。由紀じゃなくて、ゆめしま……ゆうと? とか言う子が作ってもってきてくれたらしいよ」

 なんか、そいつは俺の恋人らしいんだよねー。と続けようとしたが、その前に真っ赤な顔で母がその千羽鶴を落してんだ。

「こんなきたない千羽鶴折って、なんなの!? 嫌味のつもり!? それとも目覚めるなって意味なのかしら!?」

 怒りくるった母はそれをぐちゃぐちゃに踏みつけて、ごみ箱に捨てる。

 なんでこんなに怒っているのか、弘樹にはわからずに混乱していると、母が弘樹を抱きしめた。

「あなたを階段から突き落として殺しかけたくせに、のこのこお見舞いに来るし、こんなものまで。許せないわ」

 どうやら、そのゆうととやらが、自分を階段から突き落としたらしい。

「いい? もうあの子には近づかないのよ?」

 泣きそうな顔で、頼んでくる母親に、弘樹は頷く。

「近づかないよ、そんなあぶない奴」

 荒れている母になにを言おうと、余計ヒステリックになるだけだ。

 そう頷いておけば、落ち着くのだから、頷けばいい。

「もう、こんな心配かけないでね」

 抱きしめて頭を撫でる母親。

 こんなに優しくされたことがなくて、少しむずがゆい。

 そうこうしていると、由紀がトボトボ戻ってきた。

「お兄ちゃん、ごめん」

「いいよ、別に」

 泣いたようで、目の下が赤くれている。

 困った妹だと笑って抱きしめる。

「お母さん、来てたんだ」

「さっき着いたのよ。病院から電話もらって、すぐにけつけちゃった」

 そういうと、母は先生と話をしてくると部屋を出ていった。

 由紀がはっとして弘樹のうしろを見ると、千羽鶴を探して見回して、ごみ箱に捨てられているのを見ると、そちらに急いでいく。

「なんで、千羽鶴……」

「母さんに、ゆうとさんとかいうのがくれたって言ったら、突然怒りだして、踏みつけて捨てちゃったんだ」

 踏みつけられ、捨てられた千羽鶴を抱きしめながら、また由紀は泣く。

「も、もしかして、それ由紀が作ったのか!?」

 必死に言われて信じてしまったけれど、あれはやはり由紀が作ったのだろうか。

 そう焦るけれど、由紀は嗚咽を我慢しながら首を振った。

 違うなら、なぜ泣くのだろう。

「え、じゃあやっぱり俺を殺そうとしたゆめしまゆうととかいう奴が渡してきたのか? じゃあ別にいいじゃないか。危ない奴なんだろ?」

 まさか、由紀と面識めんしきがあるのだろうか。

 だとしたら、由紀も危ないじゃないか。

 そんなことを思っていると、由紀は叫ぶように怒鳴った。

「お兄ちゃん、最低だよ!」

 また走って出て行ってしまった由紀。

 目が覚めたら訳がわからないことばかり起きていて、弘樹はなんだか置いていかれた気分になる。

「いったい、なんなんだよ…………」

 誰か教えてくれよと呟くけれど、それを答えるものは、どこにもいなかった。

















 また、ひとつの花弁が散る。


 ひらりはらりと、確実に。着実ちゃくじつに。


 たくさんの花から、花弁は取れて地にちる。


 ふたりの関係を、少しづつ狂わせて。






 はらり。





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