第5話 衝撃の言葉


 ひらり。


 はらり。


 桜が散ってる。

 ここがどこで、どうしてここにいるのか、わからない。

 大きな桜の木は、花弁はなびらえず散らしていく。

 その木のところに、ひとが立っている。

 肩くらいまでの黒髪を揺らした彼は、誰だっただろう。

 大事なひと、だった気がする。

 とてもいとおしい存在だった気がするのだが、いまいちはっきり思い出せない。

 もやもやとした感情に、戸惑とまどう。

 彼がこちらを向いた。

 よく顔が見えない。

 桜や、長い前髪や、光が邪魔をして、見えてくれない。

 けれど、寂しげな瞳だけが、はっきりと見えた。

 寂しそうに、悲しそうに揺らめく黒い瞳はこちらを見て。

『さようなら……』

 なんて、寂しそうに言う。

 それを見たら、胸が締め付けられるような痛みを感じた。

 おまえは誰だ。

 どうして寂しそうなんだ。

 待ってくれ。答えてくれ。

 彼は足を動かしていないのに、どこか遠くへ行こうとしている。

 どんどん彼の姿は遠のいて、やがて消えた。


 すべてが、消えた。


 それはまるで、春の夢の如く――――。




     ◆


 学校が終わり、クラスの子が一緒に帰ろうという申し出をしてくれたのだが、それを断って病院へ走る。

 見た目が大人びていて、美人な由紀は、一部の女子には人気になり、一部の女子には嫌われていた。

 可愛い由紀のことを当然、男子は好きになるし、それが気に入らない女子はいる。

 だから、そういう申し出は喜んで受けて、友達を作ろうとしていたのだが、いまはそんなことをしている場合ではないのだ。

 兄が入院して未だに意識が戻っていない。だから、もしかしたら起きているかもしれないという希望をもって、確認したくて走る。

 クラスの子もわかっているのか、気づかわし気な雰囲気だったので、そのあと声をかけてくる子はいなかった。

 病院に入り、看護婦さんたちに注意されるのも無視して病室に急ぎ、その勢いのまま扉を開けて中に入る。

 すると中にはお医者さんと看護婦さんがいて、挟まれているベッドの上では、身を起こした兄がいた。

「お兄ちゃん起きたの!?」

 嬉しくて駆け寄って抱き着く。

「ちょ、由紀、痛いっての」

 いつも通りの兄の声に、由紀は安心してぎゅうっと抱き着く。

「ずっと起きなかったお兄ちゃんがいけないんだよ!」

 もうどこにも行かせないとばかりにぎゅうぎゅう抱き着く由紀に、兄は呆れながらも仕方がないと放置ほうちした。

違和感いわかんや、なにか気になることはありますか?」

「いえ、特には」

 お医者さんの問いに兄はしっかりとした口調くちょうで答えた。

 それにお医者さんは頷き、「問題はなさそうですね」と笑った。

 看護婦かんごふさんもお医者さんも病室を出ていく。

 由紀はようやく満足して、兄から離れると、椅子に座る。

「起きてよかった。もう、心配したんだからね。珍しくお母さんがあせった顔とか泣き顔とか見せてて、びっくりしちゃった」

 父はやはり来なかった。

 命に別状はないし、来なくても兄は起きた。けれど、そんなことは関係なく、一大事いちだいじには来てくれると思っていたのに。

 気持ちの問題なのだ。

 来てくれたら、安心するのに。

 昔から、運動会などの学校行事がっこうぎょうじには一切いっさい、関わってこなかった。

 そのくせ自分の仕事で転勤になれば家族全員を巻き込む。

 だから父が嫌いだった。

 兄が意識不明いしきふめいだったのに、心配すらしない。

 そんな父のことが、心底大嫌いだ。

「母さんがそんなことになってたなんて。いいものを見逃みのがした」

「まったくだよ」

 いつも通りの兄だ。

 おちゃらけているけれど、必死に由紀を安心させようとしているのが伝わる。

「あ、そういえば、その千羽鶴」

 横に飾られた千羽鶴を指さし、由紀は笑う。

「これ、由紀が作ったのか?」

「違うよ。優人さん。お兄ちゃんのためにって、朝早くにくれたの。可愛かったんだよー? あの顔、見逃すなんて、ばっかだなー」

 くやしそうにしたあとに、めちゃくちゃ喜んで騒ぐだろうと思っていた由紀は、ドヤ顔をして見せる。

 しかし、兄はキョトっとした顔で由紀を見ていた。

 そして、言うのだ。



「え…………?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る