第2話 嘲笑う


 いつものように、朝起きて、由紀とご飯を食べて、学ランに着替えて、学校に来て、優人にちょっかいを出して、授業を受けて、お昼を食べて、また授業を受けて。

 本当にいつも通り、一日を過ごした。

 振り返れば、ぐっすりと寝ている優人。

 腕を枕にして眠るその姿は、まるで黒猫のようだ。

 よだれを垂らして寝ている。どうやら疲れているみたいだ。

 今日は体育があって、持久走じきゅうそうでずっと走らされたからだろうか。

 弘樹もそのあとの授業は眠くて大変だったし。

「もう少し寝かしといてやるか……」

 他のクラスメイトはみんな帰るか部活に行くかだ。

 優人を目当てにした不良が来るかもしれないから、早くりたいという思いもあるのだろう。

 そそくさと消えていくクラスメイトを無視して、弘樹はいつも通りの背もたれを足で挟む形で座る。

 風にかれて揺れる黒髪は長く、それに覆われた頬は桜色。

 まつ毛は長くて、眉は細い。

 頬をふにふにと触れば、マシュマロのように柔らかく。

「ふふ……。かわい……」

 ふにふにするのが楽しくて、ずっとしてしまう。

 クラスメイトがいなくなって何分経っただろうか。

 運動部の掛け声が校庭から聞こえ始め、太陽がかたむき空が赤く染まる。

「トイレ行ってこよ……」

 席を立ち、優人の頭を撫でる。

「帰ってきたら、帰ろうな」

 言い置いて教室をでてトイレに向かう。

 この教室から一番近いトイレまで、少しある。

 学校の校舎はLの字になっていて、トイレは水道の関連により角を曲がった先にしかない。

 弘樹が角を曲がると、ちょうどその先にいた男子にぶつかってしまう。

 三人連れの彼らは、明らかに不良。髪を金やら緑やらカラフルに染め上げ、耳や唇にはピアスが数個。

 校則違反こうそくいはんと不良の典型的てんけいてきな形だ。モデルと言ってもいい。

 しかも、たばこのにおいがする。恐らくはトイレでっていたのだろう。

 このまま逃げるなりすればよかったのだが、荷物は教室で、しかもその教室への道には彼らがいる。

 教室に行ったところで優人を巻き込むだけだ。

 優人は喧嘩が嫌いのようだし、それは避けたかった。

「おいおい。おまえなにぶつかってくれちゃってんの?」

 あんじょうっかかってくる不良。

「すみません。れそうだったんで」

 そう謝るが、

「こいつ最近、夢島と仲のいいって噂の……」

 といういらん情報じょうほうで、不良三人は弘樹を帰す気をなくしたようだ。

「へー、あの『バケモノ』のお友達かー……」

 拳を鳴らしながら三人がかりで男子生徒をいじめる奴の方がよほどバケモノのように思えるのだけど。

 どうにか先生を呼びに行ければいいのだが、職員室はふたつ下の階。

 こいつらから逃げながら行けるだろうか。

「おまえ、いまぶつかられた分、殴っていいよなぁ?」

 一発どころか十発は殴る気であろう。しかも、ぶつかってない他のふたりまで殴る気満々だ。

 ぶんっと振られた拳は、優人よりは遅いし軽い。

 喧嘩なんてしたことないけれど、それなりに運動神経うんどうしんけいはあるのだ。

 それをうまく避けて、彼らを抜ける。

 そのまま階段に向かうけれど、足をひとりが掴んできた。

 バランスを崩して倒れると、残りのふたりがこちらに来る。

 殴ってくるのを避けたくても、足は掴まれたままでどうしようもない。

 掴んでいる男子の手を蹴ってみるけれど相手もしぶとい。

 その間にふたりが来て、殴られた。

 頬が痛い。しかしそれを感じる暇もなく腕を掴まれて拘束された。

「逃げてんじゃねぇよ!」

 にやりと笑って、弘樹の両頬を交互こうごに殴る。

 何発か受けたあと、弘樹は足を掴んでいた男子の顔面を蹴り、体を回した。すると腕を掴んでいた奴がよろけて前に来て、他の不良の拳にあたった。

「ってめ邪魔じゃまなんだよ!」

「おまえこそいてぇじゃねぇかよ!」

 そうふたりが言いあっているうちに、階段を目指す。

「おい、逃げんなよ!」

 蹴られた奴が追いかけてくるが、なんとか走る。

 下りてしまえば、職員室に逃げてしまえば、助かるのだ。

「待ちやがれくそっ!」

 足がもつれてうまく下りれず、三段ほど下りたところで不良が追い付いてきた。

 殴られ過ぎて、意識が朦朧もうろうとしているのも原因か。

「待てっての!」

 不良の手が、背中にかかる。

 三人が三人とも弘樹の背中に触れ、その瞬間三人の足が絡まる。

 それは見事に三人は転倒し、それによって弘樹の背中は押された。

 かなり強い力だったせいだろう。

 弘樹の体は浮き、そして階段から転げ落ちた。

 派手はでな落ち方のせいか、体中が痛い。しかも、頭を強く打ってしまった。

 くらくらする。頭がぼんやりとしてはっきりしない。

 血が出ているのか、打った場所が暖かくなっていく。

 優人のところに行かないと。

 それだけが頭を埋め尽くす。

 あのままじゃ、夜まで眠っていてしまう。起こさなきゃ。

 そして、いつも通り帰って、それでまた明日、優人を起こすのだ。

 だから。

「ゆう、と……」

 そこで、弘樹の意識が途絶とだえた。

 不良は階段の上から、弘樹を見下ろす。

 意識はないようだ。

「や、やばいんじゃね……?」

 顔面を蹴られて鼻血が出ている不良が、そう言う。

「か、勝手に落ちたんだ……。俺たちは関係ねぇ!」

 弘樹を散々さんざん殴っておきながら、そういうもうひとりの不良。

「そ、そうだよ、関係ないよ……」

 腕を拘束こうそくし、先ほど仲間に殴られた不良も、そう言って。

 弘樹の頭から血が出始めていることに気づくと、三人は逃げていく。


     ◆


「天城……?」

 なんだか、呼ばれた気がする。

 いつも放課後は弘樹が優人を起こしてから帰るから、そうなのかと思ったのだが、寝ぼけまなこで前を見ると、いつもいるはずの弘樹がいない。

 ついつい名字で呼んでしまったと、少し後悔していると、なにかばたばたとあわただしい足音が遠のいていく。

 弘樹だろうか。

 しかし、机にバッグはかかったままで、優人を置いて先に帰るなど、弘樹がするとは思えなかった。

 トイレにでも行っているのかと思い、バッグをもって教室を出た。

 廊下を進み、階段に差し掛かる。

 この先の角を曲がればトイレ。

 だから見つけたのは本当に偶然だった。

 ふと、階段の下を見ると、赤い液体えきたいと、倒れている弘樹を見つけたのだ。

「こう…………!?」

 最初はあり得ない状況に脳みそが反応してくれなくて、呆然と見ていた。

 ようやく理解したとき、体はバックをその場に捨てて、弘樹へと向かっていた。

「弘樹! 弘樹!」

 抱きかかえると、弘樹の体は力なく垂れる。

 顔が青く、体がいつもより冷たい。

 背中を冷たいものが走る。

 嫌な予感がした。

 とにかく、病院に連れて行かないと。

 そう思い、弘樹の背中と膝裏に腕を通したときだ。

「そこでなにしてる、夢島優人!」

 うしろから、怒鳴り声がした。

 振り返ると、そこには怯えた顔の先生。

「おまえ、まさか天城を……!」

 あらぬ勘違いを受けた優人は、違うと言おうとした。

 しかし、普段からバケモノと恐れられている優人の言葉など、聞きはしない。

「誰か来てくれ! 天城が夢島に殺されかけてる!」

「な……っ」

 前々からどうしようもない奴らだとは思っていたが、そんなぎぬまで着せるのか……!?

 数人の教師きょうしがやってくると、みな怯えた目や恐れた目をしてこちらを見る。

「なんて奴だ。これまでは喧嘩だけだったから許してやっていたが、こんなことまでして、ただで済むと思うな!」

 弘樹の命よりも、自分たちの命の方が大事なようで、怒鳴りながらも決して近づいてはこない。

「うるさい! いいから早く救急車きゅうきゅうしゃを呼べよ! 死んじまうだろうが!」

 優人がひとつえただけで体をびくつかせて下がるくずども。

 ひとりがなんとか救急車を呼び、保健室の先生を連れてきた。

 保健室の先生が応急処置おうきゅうしょちをし、救急車が来ると、弘樹は運ばれていく。

 それに付いていこうとすれば、なぜか来ていた警察がそれを止めた。

「君には殺人未遂さつじんみすい容疑ようぎがかかっているから、しょまで来てもらうよ」

 教師が呼んだのだろう。

 ここで言い争ったところで立場たちばが悪くなるのはわかっているし、弘樹は病院に運ばれたから、大丈夫だろう。

 そう思い、おとなしくついていく。

 警察署けいさつしょで優人は無実むじつ主張しゅちょうし続けた。教師がなにか吹き込んでいたのか、それとも優人の噂のせいなのか、最初はまったく信じてはもらえなかった。

 しかし、何度も何度も説明をし直し、なんとか信じてもらい、やっと警察署をでた。

 すっかり夜になっていて、門限もとうに過ぎていたので、弘樹の様子を見に行くのは明日にしようと、院に帰った。





























 もしこのとき、先生の対応がもう少し早ければ。

 あるいは、あの不良が逃げずにいたら。

 あるいは、弘樹がトイレに行かなければ。

 あるいは、優人がもっと早く起きていれば。

 未来はもう少し変わったのかもしれない。

 けれど、静かに動き出した歯車はぐるまは。

 幸せだったふたりを嘲笑あざわらう。










 ひらり。






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