第1話 この出会いは


「ぐえ……っ」

 つぶれたカエルのような声を出して、最後のひとりがたおれる。

「ふぅ……。終わった……」

 ガラの悪そうな何十人かの男たちが死屍累々ししるいるいと倒れる中、ひとり学ランを着た黒髪くろかみの少年-―――夢島優人ゆめしまゆうとはため息をつく。

 中二でありながらいまだ百六十センチしかない身長の優人は、あきらかに倒れている男たちより一回ひとまわり小さい。

 なのに全員をほぼ無傷で倒してしまっている優人は、周りから『バケモノ』と呼ばれていた。

 殴られてしまった頬は少しれていて、くちびるを切ったのか血がれた。

 それを右手のこうくと、時計を見る。

 公園の中心にある時計は、八時ちょうどをしめしていた。

 決着したのはいいのだ。だが、時間が思いのほかかかってしまい、いまから走っても絶対に遅刻。

「あーあ、めんどくせー」

 そう言って、学校に向かう。

 朝っぱらから公園でおそってくるなよ。そう倒れた男たちをにらみながら。

 いまから行けば、確実に授業中だろうが、どうせなにも言われはしない。

 触らぬ神にたたりなしというように、しかることはないのだ。なにをされるかわからないから。

「別になにもしないのにな…………」

 教室に入れば、教師も生徒もこちらを見てから普通に授業に戻る。

「また喧嘩? あの傷、絶対そう」

「迷惑だよな。難癖なんくせつけられでもしたら」

 なんて陰口を言い始める生徒もいるが。

 というか陰口なら本人のいないところでやるべきじゃないか、とは思う。

 その程度で落ち込む優人ではないから、関係ないけれど。

 窓側三列目。そこが優人の席。

 前後やとなりななめ前後には、誰も座らない。

 近くにいるだけで、喧嘩に巻き込まれるからだ。

 しかし、今日はなぜかひとがいる。優人の前の席に。

 もの好きがいたものだと、軽く考えて席に座ると、うでまくらにして寝そべった。

 このまま、放課後まで寝ようとしたときだ。

「あ、おまえがこの席のやつ?」

 なんて、話しかけてくる声。

 いや、優人に話しかけるような馬鹿はいないだろうから、聞き間違えか。

「遅刻して来て早々寝るの? それはダメだろ。ほら起きて。なー?」

 おかしい。頭上から聞こえる。

 なぜか体を揺さぶられている気がする。

「なんで起きないのー? あ、俺は天城弘樹あまぎこうき。よろしく」

 誰に言ったのか、その相手は答えていない様子。

 一体誰だ。返事してやればいいのに。

「なー。起きろ…………よっと」

 耳をふさぐかのように顔をつかまれたと思ったら、無理矢理に顔を上げさせられた。

 呆然とその相手の顔を見る。

 茶色がかった黒髪は短く、楽しそうにきらめく黒目は優人を映している。

 ととのった顔立ちで、美形というやつだろう。

 なんてぼーっと観察かんさつしていると、天城という少年はこちらを見て目をさらに輝かせた。

「かわいい…………」

「は?」

 いまの一言が聞きてならず、低い声で問い返す。

 優人は、顔や体つきは女子のようだ。

 目は大きく、くちびるは桜色で、華奢きゃしゃな体。不良や『バケモノ』なんて嘘じゃないかと思えるほどに。

 学ランを着ていてもナンパしてくる馬鹿までいる。

 だから、「かわいい」という単語が嫌いだった。

 と言っても、優人自身はそれは嫌味で、自分の顔は怖いのだ、と思っているが。

 優人がイライラオーラをかもし出しているのに、気づかない天城少年は優人の顔をまじまじと見つめながら言った。

「おまえすっごいかわいい。タイプ。付き合ってくれ」

「………………………………は?」

 会って数秒の男に告白されるという、人生初の体験に困惑こんわくする優人。

「あ、もしかしてすでに恋人いる? あーまじかー。じゃあ、俺にしない?」

 なにを言っているのだろう。

「俺、男だぞ?」

 優人がそう言うと、天城少年は固まる。

「…………いやいやいや。こんな可愛いのが男なわけ……」

「俺は夢島優人。男だよ」

 天城とやらは優人の顔を再度見つめ、それから周りを見た。

 マジで、とばかりの顔を向けられた生徒は、皆一様にうなずく。

「うっそだろ!? こんなに可愛い顔でこんなに可愛い声なのに男!? 詐欺さぎだろ……」

 項垂うなだれた天城は優人を見て、それからひとりで決断したかのようにうなずくと、優人の手をにぎる。

「でも、おまえならいい。付き合ってくれ!」

 あぁ、馬鹿なのか。

 可哀想かわいそうなものを見る目を向けながら、優人は静かに殴る。

近寄ちかよるなホモ」

 軽く生徒から悲鳴ひめいが上がる。

 それはそうだ。バケモノからなぐられたのだ。ただじゃ済まないかもしれない。

 思わずやってしまったが、大丈夫だろうか。

 様子を見ると、天城はなぜか笑い出した。

「あはははははは! いいねいいね! これぐらいツンツンしてる方が落としがいがある!」

 俄然がぜんやる気満々な天城。

 面倒なやつに捕まったようだ。

「ホモうざい」

「なんだなんだ、かわいいなー」

「いや、どこが可愛いんだ。怖いの間違いだろ」

 無駄にニヤニヤする天城が尋常じんじょうじゃないくらいうざい。

「かわいいって。サラサラの黒髪とかクリクリのお目目とか! 女装したら可愛いんだろうなー」

「殺す」

「え、ちょ、そのこぶしはなに!?」

「死ね」

 ぎゃあああ、なんて悲鳴を無視して、優人は再び眠りにつく。

 まさかこれが、すべての始まりだとは、このときどちらも思ってはいなかった。













 そう、この出会いは、すべての始まり。


 桜がいてるまでの、始まり。


 つぼみがほんの少し開き。


 ほのかな香りをただよわせる。




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