第9話 悲劇
扉を開けて現れたのは、春川と、前に誠を呼び出すためにふたりの前に姿を現した男、そして久しぶりに見たなぜか丸刈りになっている磯田。
その後ろには十人ほど子分がいて、鉄板の下に降りた優人をすぐに囲む。
「やぁ、この前振りだね、夢島くん。俺は地田。こっちは覚えてるよね、磯田だよ」
「ようバケモノ」
それぞれに言うと、春川を見せつける。
「わかってると思うけど、動いたらこの子殺すよ? ナイフもね、新調したんだ。よく切れるよ?」
春川の首筋に折り畳み式のナイフを付けると少し切ったようだ。紅い筋ができる。
「………………」
「そう睨むなよ。もっと深く切るよ」
地田というのは本気でやりそうなので、睨むのをやめて下を向く。
「素直な子は好きだよ」
春川を連れて隅に行くと残りのが優人に群がった。
殴られ蹴られ、それに耐える。
何時間やられるかわからないけど、それに耐えれば何事もなく終わるのだから。
足を蹴られて頽れる。
頭も蹴られ、脇腹や膝を踏まれた。
「やめろ! 夢島にケガさせんなよやめろ! 離せよ!」
春川の声が聞こえる。
必死に訴えているその姿は、もう何度目だろう。
いつも心配されている。申し訳なさが胸を占めた。
「やめてくれよ! なぁ!」
「……ったく、うるさいなーもう。マジで殺すよ?」
「なんでもいいから、夢島に酷いことすんなよ! くっそ離せこのやろ!」
体を揺らして逃れようとしている春川。
しかし、筋肉のすごい地田からは逃れられず、悶えるだけに収まる。
「あーもう、静かにしててね」
そう言って、地田はナイフを振り上げると、春川の左手の甲に突き刺した。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………!?」
濁音になりそうな悲鳴が上がり、優人の中で嫌な音がした。
キレたくはないのに。
バケモノではないのに。
誰も傷つけたいわけじゃないのに。
どうしていつも周りの奴らは勝手にキレさせる。
そのくせキレれば勝手に恐れて、怯えて。
訳がわからない。
殺したいわけじゃない。
殴りたいわけでも、喧嘩をしたいわけでもない。
暴力をふるうことなんて、嫌いなのに。
周りが勝手に巻き込んでくる。
ふざけるなよ。
平和に生きることすらできないのか。
平凡にいたいのに、叶わないなんて。
「痛い? 痛いだろうねー。でも配慮したんだよ? 利き手じゃない方にしたんだ。まぁ君が右利きかどうかは知らないけどね。あはは」
「ぐぐうぅ……っ」
苦しそうに顔を歪め、額に脂汗を浮かべている春川。
あぁ、やっぱり関わるんじゃなかった。
彼を苦しめるくらいなら、死んでしまえばよかったのだ。
彼を助けて、消えよう。
だから、最後に一度だけキレてしまおう。
バケモノになって助けて、それで俺も、
――――死んでしまおう。
「はあああああああああああああああああああ!!」
磯田を急所を蹴り上げて、両手を地面につけて小さく逆立ちすると足を広げて回す。
相手が蹴られて散ると、肘をばねに飛ぶと立ち上がる。
一番近くに倒れていた奴を掴むと、それを起き上がろうとしている奴らにぶん回して当てる。
人間を鉄パイプのように扱ってひとを殴るという訳の分からない状況に、地田が興奮気味に笑う。
立ち上がり、春川を拘束していた腕も解いて、優人を凝視する。
「あぁ、それだよ。素晴らしい。バケモノだ。美しいバケモノ」
優人の強さに、変に魅了されてしまったのかもしれない。
「あり得ない強さ。なんてきれいなんだ。それを、…………壊したい」
春川を見て、ナイフを掲げる。
そして、春川に向かって再びナイフを振り下ろした。
明らかな殺意をもって。
ごおぉっ。
刹那、そんな音とともに鉄パイプにされていた人間が飛ばされてきて、地田が飛ばされる。
その人間と地田は木の箱のあるあたりに落ち、いくつか木箱を壊した。
優人は起き上がる隙も与えないまま、地田にまたがり殴ろうとした。
「ははっ」
地田の笑い声がした。
やられているのに、なぜ笑える。
「……う、うおおおおおおおらああああああああああああ!」
背後から気合を入れるような、しかし怯えているかのような声がした。
肩越しに見ると、磯田が春川に向かって走っていた。
――――ナイフをもって。
「やめ……」
春川がそう紡ぎかけた瞬間に、風が吹き抜けた。
いや、それほど早く優人が春川の前に来たのだ。
磯田はやめることができずにそのまま優人の胸に、ナイフを刺した。
時間が、ぴたりと止まった気がする。
音も、時間も、光も、なにもかもが動きを止めて、静止してしまった。
「あ、あぁ……」
絶望した顔で、おろおろと磯田が下がると、優人の体が崩れた。
優人に刺さったナイフは磯田が持っており、真っ赤に染まっていた。
「夢島!」
駆け寄って体を抱きかかえると、白いシャツが胸を中心に紅く赤く染まっていく。
「ち、違うんだ……、俺は、地田に命令されて……、俺はやりたくなかったのに……」
うわ言のように勝手な言い訳をする磯田と、
「あは、あはははははははは!」
なぜか笑いだす地田。
優人の体温が、シャツの赤が広がるにつれてどんどん下がっていく。
「夢島! なんで……」
止まらない血を止めたくて、傷口を手で押さえているけれど、収まらないままあふれ出てくる。
「あはは、逆だな……」
「なにが?」
「中学のときは、おまえがかばってくれたからさ……」
血の気の引いた顔色は悪いのに、酷く幸せそうに笑う優人。
その理由は、大事な彼を守って死ねるから。
優人はどこまでも、彼のためにしか動かなかった。
「やっと、少し恩を、返せた……。よかった、最後に……」
「最後じゃない! まってろ、いますぐ病院に連れてってやるから!」
優人を背負って、工場を出る。
刺された左手のことなど忘れて、無我夢中で走った。
あぁ、そうだあの日は……。
「あのときは、優人が俺を背負ってくれたんだよな」
それで病院で手術して、そのあと優人が初めて弘樹の告白に答えてくれて。
甘い甘いキスを、したんだ。
あぁ、そうだ思い出した。
そのあとは。
あのときは。
あの日は。
ひらり。はらり。記憶の欠片が舞散って、溢れ出す。
好きだったのに、大好きだったのに。
嫌いといって、傷つけた。
優人は優しくてもろくて傷つきやすいのに。
愛情をぐにゃぐにゃに歪めてしまうほどに、傷つけてしまった。
「ごめん、ごめんな。思い出したよ、優人」
肩にかかる浅い息。まだ生きている。
「傷つけてごめん。大好きだったのに、嫌いなんていって、傷つけて。ごめんな」
走りながら病院を探して、周りを見る。
どこにある。
早く病院でてこいよ!
「遅れちゃったけど、海に行こう。映画にも、また遊園地もいいな。その怪我が治ったら、行こう」
ふたり分の体重を支えて走る足は限界を迎えてくるが、そんなことを考えている場合じゃない。
いまにも事切れてしまいそうな優人の息は、さらに浅くなっていく。
「傷つけた分、埋めるくらいデートしよう。どこに行きたい?」
答えてくれない。
恐怖で足が止まりかけた。
そのとき、小さな病院を見つけた。
小児科なんて書かれていることを気にする間もなく、その扉をけ破った。
驚いた表情の看護婦と診察待ちの患者さんに、弘樹は叫ぶ。
「助けてください! 優人が! 優人が死んじゃう!」
優人の体を下すと、叫びを聞いた医者が出てきて、驚いた顔で優人に駆け寄る。
「早く助けて! 死んじゃうよ、早く!」
医者は険しい顔をして、耳の下に指をあて、少しして首を振った。
「もうだめだ。残念ながら……」
その先の言葉は、聞こえなかった。
幸せそうに笑う顔は、いつにもまして青白く。
優人は、動かなくなっていた――――。
ひらり。はらり。
ひらり……――――。
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