第5話 決断


 喫茶店でいくつか話をし、街をぶらついてから、由紀は帰って行った。

 泊っていくかとも聞いたが、父が寂しがるからと言って断られてしまった。

 父と随分と仲良くなっているようだが、なにがあったのか春川は知らない。

 消えた記憶の中にその答えがあるかどうかもわからないが、おそらくないだろう。

 それほど父は家に帰ってこないし、印象も薄いのだ。

 由紀を駅まで見送り、その後優人と途中まで一緒にいたが、やがて別れた。

 家に着き、ベッドの上に寝転がりながら、天井を見上げる。


 トイレから帰ってくると、由紀は優人に頭を撫でられていた。

 しかし、優人はどこか遠い目をしていて、由紀がそれを不安そうに見ているという不思議な図ができていたが、春川の姿が見えた瞬間にふたりはいつも通りの顔になった。

 それがなにかおいていかれているかのような感じがしたのだが、口にも顔にも出すことはできずに席に戻る。

 由紀はそのあとおいしそうにケーキを平らげ、いま住んでいる地域の話を始めた。

 自然が多く、のどかな雰囲気が落ち着くのだそうだ。

 こちらも近状を報告して、そのあとは兄妹らしい他愛もない会話になり、優人も時々笑っていた。

 優人の心から嬉しそうな顔はあまり見ないので、少しドキッとする。

 彼はなぜかいつも、悲しそうな顔をしているから、表情が柔らかいと安堵してしまう。

 もっと笑えばいいのにとは思うけれど、春川といるとその顔になる気がするのは、彼を忘れてしまっているからだろうか。

 優人がおかしくなったあの日の夜の誠の言葉が頭をよぎる。

 ――――『おまえがあいつを傷つけたせいで!』

「傷つけた。俺が、夢島を」

 どうやって、なにをして。

 思い出せない。

 いままで思い出そうとしても来なかったから、今更急に思い出せるわけがない。

 けれど思い出さないと、胸の中がもやもやとしたままだ。

 きっかけがあれば思い出せる。だから、由紀に会ったのだ。

 由紀は優人とも面識があった。

 なにをしたかはわからないかもしれないけれど、なにかしらきっかけをくれると思っていた。

 しかし、由紀の答えは実に簡単。

「俺と夢島のこと、なんか知らないか?」

「へ? 友達でしょ?」

 それだけだった。

 それ以降、由紀は優人の傍を離れず、本人のいる前で過去のことを聞く気にもなれず、結局そのままわかれてしまった。

「はぁ~……」

 思わず漏れたため息とともに、体を横向きに変えた。

 掌を見つめて、そこにあるはずのない過去の記憶を探す。

 数秒ほど見つめていると、下の階にある家の電話が鳴った。

 自室を出て階段を降りると受話器を耳に当てる。

『あ、お兄ちゃん?』

「由紀?」

 電話の主は、先ほど別れた妹だった。

 なにか忘れ物でもしたのだろうかと心配になったが、それを聞く前に由紀が要件を述べる。

『お兄ちゃん、優人さんのこと、聞きたいんでしょ?』

「………………!? 教えてくれるのか!?」

 教えない理由などないだろうが、はぐらかされていた気がしていたので、思わずそんな言葉が出た。

『そりゃあ、お兄ちゃんと優人さんのためだもの』

 えっへんとばかりの声音だ。

「知ってること、全部教えてくれ!」

 そういうと、由紀は簡単に説明してくれた。

 優人とだったことや、遊園地に行ったことも。そして、家にまで招いたことを。

「他には?」

『あとは本人たちにしかわからない。だから、聞いてみるしかないかな』

「そうか」

 残念ではあるが、少しでも話が聞けたならありがたい。

 まぁ、ほとんど優人から聞いていた話と同じだったが。

「頑張って思い出してみるよ。頑張るものでもないけどな……」

 あははは、と乾いた笑い声を出す。

 しかし、由紀はなにも答えない。

 その沈黙はなにか重たいもので、違和感を覚えた。

「どうかしたのか、由紀?」

 そう訊くと、しばらくのあと、小さく吐息が漏れた。

『…………お兄ちゃん』

「ん?」

『早く、思い出してあげてね。優人さんのこと。あのひとは、自分を蔑ろにしちゃうひとだから、お兄ちゃんが助けてあげないと、このまま――――』

 そのさき、由紀は言葉を飲み込んだ。

 そして、無理矢理にテンションを上げた声で言う。

『だから早くしないと、優人さんを私がもらっちゃうぞ!』

「え!?」

 なにを言ってるんだ!?

『可愛い妹と大好きな優人さんのためにさっさと思い出しなさい以上!』

 ガチャンと勢いよく切られた電話はツー、ツー、と無機質な音だけを発している。

 妹も、誠も、なぜか似たようなことを言う。

 まるで、春川と優人が付き合っていたかのような。

 いや、もしかして、本当に…………。

 そこで頭からその考えを振り払うかのように首を振る。

 それならそうと、優人は言うだろう。隠しておく必要などないのだから。

 待てよ。まさか、その関連で傷つけたのか?

 なにが確かなのかがわからなくなり、頭がこんがらがってしまう。

 知りたいことも、考えなきゃいけないこともいっぱいで、うまくまとまりがつかない。

 頭はいい方のはずなのに、どうして。

「あぁぁぁぁぁ、もう!」

 やけくそにもほどがあるが、明日学校で問い詰めてみよう。

 もしかしたら、言いにくいことなのかもしれない。

 だからこちらから聞く。
















 この決断によるものではないけれど、悲劇は近づいていた。


 ひらり。 

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