第8話 暴走

 大切なものを奪うのなら、それらすべて殺して、守ればいい。

 そうしたら、もう弘樹はどこにも行かない。

 彼はずっと傍に、いてくれるよね。

 そうだ、全部殺してしまえ。

「…………す」

「ん? なにかいっ……!?」

 優人の雰囲気が変わったことに気が付いたのか、男が言葉を止めた。

 顔を引きつらせていると、優人が言う。

「殺す」

 殺気と怒気をまとった優人に、男は体を震わせた。

 背筋を氷が駆け抜けていく。初めての恐怖に、男はおののく。

 ロープを引きちぎり、優人は立ち上がると、男の首を掴む。

「ぐ、え……」

 震えて動けないのか、あっさり掴まれた男を高々と上げる。

 抵抗ていこうしようとナイフを振り回すけれど、気にせず春川を痛めつける奴らの方に投げた。

 ものすごい速さで投げられた男は、壁に埋まる。

 それを開いた口をふさげなくなっているふたりは見つめ、戦慄せんりつを覚えた。

 ひとが投げられて壁に埋まるなんておかしな状況。

 彼らは起こしてはいけないものを起こしたのだ。

「殺す……殺す……殺す……」

 そう呟きながら、優人は近づく。

 そして、春川に暴行ぼうこうを加えたふたりの顔面を掴むと、にやりと嗤う。

「し、ね…………」

 くるりと反転し、中にいたふたりにぶん投げた。

 やはりものすごい速さを出したふたりの体は他のふたりを巻き込んで、壁に埋まる。

 優人は誰もいなくなったと、周りを見回せば、春川の姿が視界に入った。

 その春川の顔は、ひどく怯えていて。

 優人は胸のあたりが冷たくなるのを感じる。

 怯えた顔。彼が、怯えている。バケモノに、怯えて――――。

「あぁぁぁぁぁぁ!!」

 悲しいのか、いきどおっているのかわからないまま、雄たけびを上げる。

 そのすさまじい声に、見張りをしていたもうひとりが戻ってくると、悲鳴を上げた。

 それもそうだろう。先ほどまでともにいた仲間が壁に埋まり、埋めた本人であろう優人は、なにやら絶叫ぜっきょうしているのだから。

 優人はそいつを見て、どこか焦点しょうてんの合わない瞳を向けた。

「ひっ……」

 逃げようとした瞬間に、優人はなぜか目の前にいて、恐怖を声にする前に首を掴まれのどが潰れた。

 息ができずにもがいている彼をにやにや嗤いながら見上げている優人は、本当に優人なのか、春川には理解ができない。

 だたひとつわかるのは、優人を止めなければいけないということ。

「夢島! もうやめろ! それ以上やったら死んじまう!」

 殴られ蹴られ、節々ふしぶしが痛い体に無理を言って、そう叫んだ。

 聞いていないのか、優人はにやにやしたままだ。

「夢島! 俺は大丈夫だから! もうやめろって!」

 体を起こすことすら、ひどく億劫おっくうだ。

 けれど、そんなことは言っていられない。

 彼を戻さないと。もう、戻ってこられなくなってしまう。その前に。

 理解はできていないけれど、直感ちょっかんした。

「もういいから……優人!」

 自分ですら知らないうちに、優人の名を呼んでいた。

 すると、少しだけ優人の顔が変化した。

「優人! もうやめろ!」

 春川がそういう。

 その瞬間、

「遅くなった。こんなことになってるとはな」

 そう言いながら、誠が中に入ってきて。

「はい、もう終わりにしときな、優人」

 優人の頭にかなり強めのチョップが入る。優人はそれを受けてくらりとふらついてから、座り込んた。

 誠はそれを確認してから、首を絞められていたチンピラの口もとに手を当てる。

「よかった、まだ生きてる。あと少し遅かったらやばかったか」

 誠は安堵すると、優人を軽く殴る。

「無茶すんな馬鹿。後悔するんだから」

 優人は顔を覆い、俯いて息を吐いた。

「夢島! 大丈夫なのか!?」

 春川の叫ぶような声が聞こえ、優人は体をびくつかせた。

 脳裏に焼き付いている、怯えた瞳。春川は怯えていた。優人に。

「誠。悪いけど、春川を送ってやってくれ。まだあいつらが狙ってるかもしれない」

 優人は怖くて、春川のほうを見ないまま、誠にそう頼む。

「おまえはひとりで大丈夫か」

 誠は優人が暴走状態のあと少しの間動けないことを知っている。だから、心配なのだろう。

 そうそうありえないことだが、ここに戻ってくるかもしれない。優人が動けないとわかればなにをするか。

「平気だ。それより早く言ってくれ」

 優人のその言葉に、誠は察して頷いた。

「わかった。優人、気をつけてな」

 誠は縛られたままの春川を抱えて、廃工場をでた。

「ちょ、染井! 夢島置いてくのかよ! ってか大丈夫なのかよ! なぁって!」

 まったく理解はできないし、教えてもくれない。

 友達なのに、大事なことがわからない。

 まるで置いていかれているようで、釈然しゃくぜんとしなかった。

 しかし誠は、暴れる春川を完全無視して進もうとする。なので、叫んでやった。

「はーなーしーてー!!」

 ともすれば誘拐されかけているかのような言葉に、誠は驚いて春川を下ろした。

「おまえ、うるさい」

 呆れた表情で言う誠に、春川は食いかかる。

「うるさいじゃなくて、話してくれよ! なんであんな風になったんだ夢島は!」

 そう問うと、誠は怒りを顔に浮かべる。

「なんでなった? ………………そりゃてめぇのせいだろうか!」

 春川の胸倉を掴み、顔を近づけて誠は怒鳴る。

「俺のせいって……?」

 いったいどういうことだ。そう思っていると、誠はさらに言う。

「おまえがあいつを傷つけたせいで!」

 誠は憎悪を瞳に宿して、春川を睨む。

 なんとなく、嫌われているような気がしていた。

 最初に会ったとき以外、優人と一緒でないと話しかけてこようとしては来なかった。

 けれど、こんなに憎まれていたなんて、思わなかった。

「昔から暴走することはあった。けど、おまえを失ってから優人の暴走はもっと酷くなった……!」

 優人になにがあったのか、誠がなにを思っているのか、わからない。

 けれど、確実にわかるのは、自分が優人になにかして、誠に恨まれているということ。

「俺、なにしたんだ? 教えてくれよ……! 俺だってわかんないんだ!」

 なにかしたのだろう。

 きっと、優人にとってとてつもなく悪いことを。

 でも、わからないのだ。

 なにをしたのか。

 なにを思っていたのか。

 なにもかも、消えてしまっているから。

 だから教えて欲しかった。

 誰も教えてくれないのだ。

 本当のことを。

「思い出せよ! 俺は優人に聞いてしかいない! ……おまえさえいなければ……、優人は……」

 誠は悔しそうに奥歯を噛み締め、胸倉を掴む手は赤を超えて白くなる。

 やがては涙まで流して、嗚咽を殺していた。

「もし、思い出さないなら、これ以上優人を苦しめるなら、……消えてくれ」

 絞り出された小さな声は、しかし春川の耳ははっきりと拾った。

「もうこれ以上あいつを壊さないでくれよ!」

 誠はそう叫ぶと、掴んでいた胸倉を春川を押すように離すと立ち上がり、

「今後、もし優人を傷つけるようなことしてみろ。俺はおまえを殺す」

 そう、言った。

 見下ろされたその瞳に、狂気の光を宿した誠は、春川を再び担ぐと歩き始めた。

 優人に言われたことは最後までやり遂げるつもりらしい。

 春川は思い出そうと必死に頭を巡らせるけれど、いままで思い出すこともなかったのにすぐになど無理だった。

 そもそも、思い出したいと思えなかったのだ。

 いじめられただの、家族が不仲だっただの、離婚だの、とても思い出したいと思えるものではなかった。

 なくなってしまったのなら、その程度なのだと。

 しかしもし、そのなくした記憶の中で、大事な友達である優人を傷つけたのだとしたら。

 思い出さなくてはいけない。

「俺、思い出せるように……、いや、思い出すまで頑張る」

 決意を込めて誠に言うと、彼は小さく舌打ちをした。

「…………あぁ、さっさと思いだせ」

 寂しそうなその声に、春川は頷く。

 家の近くまでくると、春川は下してもらう。

「もう、帰れるから」

 そういうと、誠はこちらを睨む。

「もし、思い出して優人を好きでいるなら、俺は身を引く。けれどもし、あいつを嫌って、壊すようなら、あいつを遠慮なくもらうからな」

 まるで、好きな女子を取り合っているかのような発言に驚く。

「なんだよそれ、BLじゃあるまいし……」

 苦笑いで言えば、また胸倉を掴まれた。

「それを本気で言ってるなら、ここでいま殺す」

 悪意、憎悪、嫌悪、敵意、怒りが誠から発せられて、春川は慄くとともに妙に冴えた思考が巡る。

 ――――あぁ、染井は夢島が好きなんだ。

 理解すると、なぜだか胸が苦しくなった。

「ご、ごめん。悪かった」

 ひとの趣味を悪く言ってはいけない。

 春川が謝れば、誠は胸倉を離して身をひるがした。

 声をかけようにも言葉が見つからず、春川は誠の背中が見えなくなるまで見守り、やがてため息を吐いて家に帰った。

























 はらり。






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