第5話 過去

     ◇


 ――――一年前。

「死ねぇ染井ぃぃぃぃ!」

 中学の校舎の裏。

 数人の男子生徒が、ひとりの男子生徒を囲んでいた。

 囲んでいる奴らは揃って不良らしい格好をしている。

 髪を染め、ピアスを開け、制服を着崩している。

 挙句他校の生徒だ。

 中央の少年は、長い髪を首のうしろでまとめ、目を細めている。

 彼はこの学校の生徒だった。普段そんなに来ない学校へ久々に来てみれば放課後に喧嘩を吹っかけられたのだ。

 その囲んでいる側のほとんどがふらふらと足元がおぼつかず、立っているのもやっとと言った様子だ。

 対して囲まれた側の男子生徒は、ひとりにも関わらず不敵な笑みを浮かべている。

「死ぬのはてめぇだぁぁぁ!」

 最後の力を振り絞るように殴りかかってくる男子に、彼は楽しそうにそう言った。

 男子の拳を避け、もう散々殴った左頬に再び自身の拳をめり込ませた。

 男子は吹っ飛び、地に落ちる。

 そして、周りの奴らを見た。

「次は誰だ?死にたい奴からこい」

 自信満々でそう言うと、先に喧嘩を吹っ掛けてきた来たくせに奴らはビビって逃げだし、その場には彼と殴られて気絶した男子ひとりだけとなった。

「けっ。気の弱いヤツだな。喧嘩売ったのはそっちだってのに……」

 そう呟くのは、去年の、優人に出会う前の誠だ。

 喧嘩が好きかと問われたら、否である。好きではなく吹っ掛けられるのだ。

 まぁ、夜出歩いてる中学生がいたら、金取ろうとか考えて来るんだろう。

 もともとの身体能力のおかげか、喧嘩で負けることはなかった。

 なぜ夜出歩いてるのかと問われれば、それは簡単な話だ。

 家に帰りたくないのだ。

 父親は、数年前にリストラされてからというもの、毎日のように酒を飲んでは暴れ、家族に暴力を奮っていた。

 母親はそれに嫌気がさして、他に男を作って逃げた。

 そんな家に帰っても、理不尽な暴力を受けるだけ。なら、帰らないで喧嘩をしている方が、安全だった。

 喧嘩を受けた際に投げ捨てた鞄を持って、学校を出て街に繰り出す。

 毎日毎日喧嘩に明け暮れ、やがて誠はちまたで最強と噂された。

 嬉しくともなんともない。ただ、虚しいだけの称号。

 しかも、この最強の称号が欲しいのか、さらに喧嘩を吹っ掛けられて、正直かなり迷惑だった。

 喧嘩して、学校に行くのも面倒になって行かず、街でぶらぶらと徘徊して、また喧嘩。

 そんなことが繰り返されていた。

 中学の制服は、着てはいないものの持ち歩いていた。

 これは母親が最後に買ってくれたものだから、父親の酒の匂いをつけたくなかったからだ。

 母親は彼を置いていったけれど、誠は決して恨んではいなかった。

 悪いのは父親であり、母親は仕方なかったのだと。

 そう思うようにしているからだ。

 父親が寝静まる明け方に家に入り、服を入れ替え、風呂に入り、出ていく。

 その生活が半年ほど続いていた。そんなある日。

 喧嘩を終えた誠に、負けて動けなくなっているチンピラが言った。

「あんときのバケモノより、弱いな」

 気になって、話を聞いた。

 遠い街に、『バケモノ』と呼ばれる強いやつがいると。

 誠は次の日さっそくその街へと向かった。

 会ってみたかった。強いやつに。そして、なにより喧嘩がしたかった。

 半年も父親に怯えるような生活をして、鬱憤うっぷんがたまっていたし、そう考えることがなにより父親のようでムカついていたから。

 殴って鬱憤を晴らしたい。

 殴られてこんな自分を直したい。

 そんな正反対な感情を抱えながら、街に着いた。

 遠い街といっても、誠の街もこの街も都会ではない。

 のどかな風景が見える。

 例のバケモノはどこにいるのだろうと、宛もなくぶらついていると、河川敷かせんじきで喧嘩をしている奴らが見えた。

 不良などどこにでもいるのだと、冷めた目でそれを眺めていると、なにかがそちらから飛んできた。

 かなりのスピードだったと思う。

 目で捉えきれなかった。

 けれど、形はまるでひと……。

「いやいやいや!」

 かなりの距離があるのだ。おまけに、河川敷の下で行われている喧嘩の中から『なにか』を河川敷の上の遠いところまで速度を落とさずに飛ばすとか、ありえない。

 人間技ではない。それこそ、

「…………『バケモノ』か?」

 走って河川敷の下へ行き、その正体を見た。

 チンピラの首を掴み、他のチンピラに投げているのは、熊のような大柄な男…………ではなく、小柄な少年だった。

 誠は目を疑う。自分より一回りも二回りも大柄なチンピラを高速で投げるその姿に。

 バケモノと呼ばれるくらいだ。どれだけ屈強な男かと思ったら、こんな少年なのだ。

 屈強よりも、華奢や、あるいは可憐というべきだろうか。

 この少年が、本当にバケモノなのだろうか。

 いや、異様な風景が、それを肯定させる。彼だ。

 彼がバケモノだ。

「夢島死ねぇぇぇぇ!」

 ひとりが殴りかかるけれど、夢島という少年が掴んでいた奴をそいつに向かって投げる。

 そいつがぶつかると、ふたりして川へと落ちた。

 いま落ちたどちらかがリーダーだったのか、不良どもが青い顔で「リーダーが……!?」と小さな悲鳴を上げる。

 一番強い奴がやられたからか、散り散りに逃げていく彼らを、夢島少年は静かに見守った。

 そしてこちらを見る。

 興味のなさそうな、すべてを諦めているようなその瞳は、なぜか寂しげに揺らいでいる。

「………………」

 彼はこちらを、無言で見つめてきた。

 川のせせらぎばかりが無言のふたりを包み込み、何分経ったかわからないが、夢島の方が口を開く。

「――――君も、喧嘩?」

 見た目や体つきに合う、少女のような、か細く透き通る声だ。

「おまえが、バケモノか?」

 誠がそういうと、彼は悲しそうに顔を歪めた。

 泣きそうな顔になった彼は、ため息を吐くと言う。

「そうだな。バケモノ……、だ」

 彼は、震えた声音で言った。

 絶句。それが一番合う言葉だと思う。

 誠の想像していたバケモノとは、まったく真逆だった。確かに強い。けれど、ここまでもろく、儚い存在がバケモノとはいったいなんなのだろう。

 そう、まるで彼は幻。-―――いや、天使か神のようだ。

「名前は、なんて言うんだ」

 誠はそう訊いた。

 掠れて、聞こえずらい声だったけれど、彼は答えた。

「夢島優人」

 ゆめしま、ゆうと。心に刻むように呟いた。

 その瞬間に、優人が動いた。

 目に見えないほどの速さで間合いを詰めて、誠の左頬に拳が入る。

 痛みを感じることもなく、誠は河川敷の坂に倒れていた。

 声を出すことも、息することすらも、できないまま第二撃が腹に入り血を吐く。

「…………がっ」

 視界に入れることすら叶わない。

 彼は、桁外れだった。

 誠の上にまたがって座り、胸倉を掴んでさらに殴ろうとしてくる優人。

 その目は、勝っているのにひどく悲しそうに涙を浮かべている。

 なぜ、そんな目をしているのだろう。

 彼もまた、喧嘩が嫌いなのではないか。

 こんなにも強いのに。ひとを傷つけたくはないのだろうか。

 殴ろうとしている優人の、その瞳から零れた雫は頬を伝う。

 それを思わず、手を伸ばして拭ってしまった。

 自分でも驚いていたけれど、優人も目を見開いて驚いていた。

「な、なんで……」

 優人はそういうけれど、こっちにだってわからない。

 だた、悲しそうに揺れるその瞳に、酷く惹かれてしまったのだ。

 近くにいて、彼を支えたいと思ってしまったのだ。

「なぁ、おまえの…………」

 傍にいてもいいだろうか。

 そんな訳の分からない問いを口にしかけたとき、怒声が聞こえた。

「バケモノと染井を同時に倒すチャンスだぞ! 全員かかれ!」

 二十人ほどいるだろうか。

 誠が地元で倒したことのある者から、まったく知らない奴まで、いろいろなチンピラがこちらを囲んだ。

 全員に命令をしたのは、誠にバケモノの存在を教えた奴。

 仕組まれていたようだ。むかつく笑みを浮かべたこいつらは、バケモノと呼ばれる優人と、最強と呼ばれる誠を戦わせ、体力を削ったところでいいところをもっていこうとしているようだ。

「染井でもバケモノは倒せなかったか……。まぁいい。この人数はさすがに倒せないだろ」

 にやりにやりと、いやらしい笑みは、優人をぼこぼこにする自分を頭に思い描いてさらに濃くなる。

 誠は優人にやられて動けない。

 けれどこの人数は、ひとりではきついだろう。

 優人は誠の上から退き、奴らを睨む。

 誠はなんとか体に鞭打って起き上がろうとした。

 そのとき、優人が誠を見下ろした。

「動けないだろうから、ここで待ってて」

「え……?」

 優人は言うやいなや誠の返事も聞かずに奴らに向かう。

 先ほどのように首を掴んで飛ばし、数人をあっという間にのして、殴り蹴り、また飛ばす。

 その喧嘩の様子は、まるで現実のようには見えず、ドラマかアニメを見ているかのようだった。

 ひとがひとを飛ばし、優人は踊るように敵を次々と気絶させていく。

 さながら乱舞だ。

 美しい。喧嘩を見てそう思える人間は、きっと後にも先にも彼だけだろう。

 三十分もかからずに、全員が倒され、死屍累々と転がった。

「もう二度とこいつに近づくんじゃねぇ」

 なんて、かっこいいことを言って、優人はその中央で息を少しも上げずに立ち尽くす。

 その図は彼の孤独を表現しているようで、胸が締め付けられてしまった。

 なんとか体のしびれが引いて、ふらつきながらも立ち上がると、優人はまた寂しそうに揺れた瞳を向けてくる。

 誠はなんとかその顔をやめさせたくて、優人に声をかけた。

「ありがとう。助けてくれて」

 倒れた奴らの体を踏まないようによけながら、優人に近づく。

 きょとんとした顔をした優人に、少しだけ胸が高鳴る。

 なぜそうなるのかわからずに困惑すると、優人が首をこてんと傾げた。

「なんで、感謝するんだ?」

 わけわからないという顔をしている優人に、誠も首を傾げた。

「え、だって助けてくれたんだろ? 二十人くらいいたのに、あっという間に倒してすげぇな」

 感嘆が思わず漏れていた誠は、率直に伝えたのだが、優人はさらに困惑顔。

 なぜそこまで不思議そうな顔をするのかと疑問に思っていると、優人は謝る。

「感謝されたことって、なくて。ごめん」

 済まなそうな顔をした優人。

 誠は驚いて開いた口が閉まらない。

 感謝されたことがないって、いったいどんな環境で育ってきたのだろう。

「俺は染井誠。優人って呼んでもいいか?」

 誠がそう訊くと、また驚いた顔をした。

「俺が、怖くないのか……?」

 優人は誠を伺うような目だ。

「怖い? なんで」

 綺麗だと思った。可愛いと思った。

 怖いなんて感情は、なにひとつ思い浮かばない。

 誠の態度がまた不思議なようで、優人は奇妙なものを見るような目だ。

 ふたりは見つめあい、やがて誠が吹きだした。

「あはははははは! おまえ面白いなー。よし、相棒にしてくれ」

「は?」

 誠が右手を差し伸べる。

「喧嘩の相棒。な?」

 優人はその手と誠の顔をしばらく交互に見て、そっと手を出した。

 恐る恐るといった風に伸ばされたその手をむんずと掴んで無理矢理に握手をすると。誠は笑う。

「よろしくな、相棒」

 なぜ、優人の相棒になったのか。理由は明確だった。

 彼をひとりにはしておけない。

 崖の上、もしくはビルの屋上の柵の向こう側に、いまにも落ちてしまいそうなくらい追い詰められた表情をした人間がいたら止めるのと同じだ。

 このままだと、彼はひとりで死んでしまいそうだった。

 だから彼を支えたかったし、彼を変えてやりたかった。

 自分の人生は決して楽しいものではないけれど、彼と支えあうことで変化があるのではないかという可能性もあった。

 そういろいろと言い訳じみたことも思うけれど、きっとなにより傍にいたかったのだ。

 それがどうして生まれた気持ちなのかは、このときはまだ気づいていなかった。

 だが、初めての相棒であり自分を恐れない人間に会えたことを喜んで、嬉しそうに微笑んだ優人の顔に、頬が熱くなってどきりとしたことは、忘れない。


 そうして一年、恋に気づき、けれど勇気がなくて告白しないでいるうちに、優人は別の奴に取られた。

 初恋は、始まることもなく終わる。


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