第9話 家族

 料理をしながら、もう少し冷たくした方が天城のためなのか。なさけは人のためならずともいうし。なんて考えていた。

 けれど、天城のあの無邪気な笑みを見てしまうと許してしまうのだ。

 こうやってひとのためになにかをするというのは、優しいから。けれど、この優しさを教えてくれたのも、天城なのだ。

 天城が笑ってくれるから、天城のためにとなにかをすることができる。

「きっと……」

 もう、自分の中で天城は、なくてはならない存在になってしまったのだ。

 料理を作るキッチンの中で小さく呟いた言葉を、優人以外はしらない。

 それでいい。

 いつか、それをちゃんと伝えられたらそれで。

「おら、ごはんできたから運べ馬鹿兄妹」

「馬鹿言うな」

「オムライスだー!」

 文句を言いながらも、オムライスを見てニコニコと笑っている妹を見て、天城も笑う。

「サラダもあるからちゃんと食えよ」

「はーい!」

 サラダの入った皿を置きながら優人がそういえば、由紀は嬉しそうに返事をした。

「優人も早く座れよ。いただきます、するから」

 由紀と天城が向かい合って座り、優人は天城の隣に座った。

「えー、優人さん私の隣に座ってよー」

「夢島は俺のもんだからこっちだ!」

「ぶーっ!」

 そんな他愛たあいもない話をしながら、食事は始まり。

 食事が終われば、リビングでテレビを見た。

片付かたづけ手伝えよ、由紀」

「私小学生だからできないもーん」

「おまえなー」

 リビングのソファーに座る優人の腕に抱き着いて座る由紀。

 恋人を取られている天城は不満気ふまんげだ。

 いつもは遊ばれている側だから、今日は遊んでやろう。

「妹に手伝わせるなよ。俺が作ったんだから、おまえが片付け。小学生にやらせるのはかわいそうじゃないか」

「そうだそうだー!」

 由紀も乗ってきて、天城は渋々ひとりであらい物を始めた。

 なんだか、こういうのも楽しい。

「ありがとう、優人さん」

 少し小さめの声で、由紀は言う。

 恐らく、天城に聞こえないようにだろう。

「お兄ちゃん、前より楽しそう。恋人っていうのは、正直に言って嘘かなって思ってる。友達とかいたことないのに、恋とかおかしいでしょう?」

 由紀は、優人に確認するようにそういう。

 確かに、天城の好きは、愛情ではなく友情なのかもしれない。

 中学生なのだし、そういう勘違かんちがいが起きても仕方がないのかもしれない。

「だから、優人さんのことは、お兄ちゃんの『お友達』として好き。優人さんのおかげで、お兄ちゃんがすごく楽しそうだから。だから、ありがとう」

 由紀は、しずかに言う。

 その声は、優人に感謝をべると同時に、牽制けんせいしていた。

「でももし本当に恋なら、私は優人さんを恨むかもしれない。お兄ちゃんから口説いたにしろ、もし本気なら、私からお兄ちゃんを取るのなら、許せない」

 由紀はまっすぐに優人を見た。

 天城と同じ黒い瞳は、少しばかり怯えをびている。

 直接見たわけでも、聞いたわけでもない。けれど、彼らと両親はうまくはいっているようには思えない。

 帰りも遅いし、帰ってこないことも多いのだろう。

 そんな中で、一番の家族は兄である天城なのだ。

 その兄を取られることが怖い。

 唯一の家族と言っていいものが、消えてしまえば、由紀はひとりも同然どうぜんなのだから。

 家族というものがよくわからない優人は、けれど天城に教えてもらった。

 大事なひとを失う、恐怖を。

「由紀ちゃんにとって、天城は大事な家族だもんね。そりゃ、突然とつぜんあらわれたどこの馬の骨とも知れない男に取られたくないよね」

 もし天城が誰かに取られたら、自分はどうするだろうと、優人は考える。

 嫉妬しっとして、殺してしまうかもしれない。

 泣き叫んで、自殺でもしてしまうかもしれない。

 過剰かじょうすぎるかもしれないが、それだけ、優人の中で天城がとても大きな存在になりつつある。

「俺は、天城を由紀ちゃんから取るつもりはないよ。俺は天城がそばで笑っていてくれたら、それでいい。それ以上をのぞんでないから」

 ただ、傍で名前を呼んでくれるだけで、幸せなのだ。

「だから安心していいよ」

 そう優人が言えば、なぜか悲しい顔をする由紀。

「ごめんなさい……」

「え、なんで謝る!?」

 うつむいた由紀は、なぜか謝った。

 訳がわからなくて狼狽うろたえる。

 由紀はいまにも泣きそうな顔で謝った。どこにそんな要素ようそが。

「そんな顔してたら、謝るよ」

「ど、どんな?」

 自分の顔がわからない。

 顔を触るけど、変な顔でもしていたのだろうか。

「あはは。嘘だよ。本当にからかいやすいよね優人さん」

「へ?」

 嘘?

 呆然と、由紀の顔を見る。

 いたずら大成功というように、子供らしい笑みをしてた。

 いたずらされたことはむかつくけれど、こういう風に笑っているのを見れて、安心してしまう。

「なんで兄妹ふたりともそろってだましてくるのか……」

「だって、反応が面白いんだもん」

 さっきの悲しそうな顔はどこかへ消え、年相応としそうおうの笑顔の由紀。

 それを見て安心してしまうのは、天城とさすが血が繋がっているだけある。

「なんか盛り上がってるな。俺もぜてっ」

 天城が洗い物を終えて、こちらに来た。

 なので、優人と由紀は顔を見合わせてからにやりと企んだ笑みをした。

『ふたりだけの秘密ひみつだから、教えなーい』

 ふたりでハモれば、天城はまた嫉妬した顔で「えぇぇぇぇっ」と言ってきたけれど、それをまた仲良く笑顔でかわしてやった。

「ってか、由紀だけずるいぞ夢島!」

「なにが」

 ねた顔を向けてくる天城は、優人にそう文句を言う。

 なんのことだと思っていると、天城は由紀を指さす。

「由紀のことは名前で呼んでるし、呼ばせてるし! ずるい!」

「はぁ?」

 天城は天城で、由紀は由紀だろう。

 ふたりとも名字みょうじで呼んだら訳がわからなくなるじゃないか。

「じゃあ、俺も夢島のこと、優人って呼ぶな」

 いなを寄せ付けない笑顔で言う天城。

「いいだろ、優人」

 耳元でそうささやかれると、顔が熱くなった。

「な、なななな、な……」

 なに言ってこいつ……。

「顔真っ赤にしちゃってかわいいなーくそー。あ、ほら俺のことも弘樹、って呼んでよ!」

 じーっと、天城と由紀は見てくる。

 そんなに見られたら余計に恥ずかしいのに、やめるつもりはなさそうだ。

 尋常じゃない羞恥しゅうちに、顔の熱が上がる。

 ふたりの顔が見れなくて、俯く。

「ほら、言ってみ」

 言うまで引く気はなさそうだ。

 仕方がない。

 目をつむって息をのみ、声を出す。

「こ、……弘樹…………」

 沈黙ちんもくおとずれた。

 いつまでもなにも言わないので、恥ずかしくて閉じていた目を開ける。

 すると、ふたりともわなわなとふるえていた。

 そんなに変だったのだろうかと不安になると、天城兄妹は同時に抱き着いてきた。

『かーわーいーいー!』

「え!?」

 自分よりも少し大きめのふたりに同時に抱き着かれてタジタジの優人。

 それを無視して、天城兄妹は盛り上がる。

「なにいまのなにいまのなにいまの!」

「すっげ可愛いすっげ可愛いすっげ可愛い!」

 きゃっきゃ、きゃっきゃと盛り上がるふたりに、優人はおいていかれてしまった。

 そのあともテレビを見ながらいろいろ話して、優人は遊ばれていたが、やがて帰らなくてはいけない時間になる。

 それをまるで見計らったかのように、由紀はリビングで寝てしまって。

「由紀、そんなとこで寝たら風邪ひくぞ」

「んー……」

 由紀をなんとか自分の部屋に連れて行こうとするが、由紀はなかなか起きない。

「運ぶの手伝うよ」

 優人はそういうと、由紀の背中とひざうらに腕を入れて持ち上げる。

 軽々かるがると同じくらいの背格好せかっこうの女子をお姫様抱おひめさまだっこしてしまった優人を見て、弘樹が驚く。

「すっげ。力持ちだなー」

「それだけが取りだからな」

 二階の弘樹の部屋の向かい側が由紀の部屋らしい。

 部屋に入りベッドに寝かせると、弘樹と優人は天城の部屋に戻り荷物を持った。

 玄関でくつを履き、振り返る。

「じゃあ、今日はこれで」

「あぁ、悪かったな、由紀が」

 弘樹は少し苦笑いだ。

 妹のわがままにつき合わされたと思っているのだろう。

「いや、別に。俺、家族とか兄弟とかいないから、楽しかった」

「え……」

 家族がいない。

 その言葉に、弘樹は反応した。

「俺さ、孤児院こじいんの人間なんだ。赤んぼうのときに、孤児院の前に置かれてたんだって。だから、親の顔も知らないし、兄弟がいるのかも知らない」

 生まれたときから、いらないと捨てられた。

 親に存在をみとめてもらえなかった。

 最初から、ひとりぼっち。

「だから、今日は家族になれた気がして、楽しかった。ありがとう、……弘樹」

 また、弘樹からもらってしまった。

『家族』というものの暖かさを知った。

「じゃ、今日は帰る。明日な」

 扉を開ける。

 外から少し湿しめった空気が入ってきた。

 梅雨が近いからか、少し雲行くもゆきがあやしい。雨が降り出す前に帰らなければ。

 鞄を持ち直して、足をみ出す。

「………………う」

「え………………?」

 弘樹の声が聞こえた。

 小さくて、なにを言ったかまではわからないが。

 なんだろうと、振り返ると、弘樹は泣きそうな顔で、俯いていた。

 まさか、今日一日で兄妹ふたりとも泣きそうな顔をしてくるとは、いったい何事か。

「どうし……」

 涙が溢れそうになっているその顔に触れたくて、その俯いた顔をちゃんと見たくて、手を伸ばす。

 すると、顔を上げた弘樹が言うのだ。

「家族に、なろう!」

 言葉の意味が、理解できなかった。

 なにを言っているのだろう。

「男同士で結婚はできないし、子供もできないけど! でも、『家族』にはなれるから!」

 弘樹は、優人が伸ばしていた手を掴んで、そういう。

「優人が、寂しい思いをしなくていいように、家族になろう!」

 そう、言うのだ。

 バケモノの自分を、家族にしてくれると。

 ずっとひとりだったのに。あっという間に弘樹は、ふたりにしてくれた。

「ありがとう、弘樹」

 その言葉だけで、うれしい。

 一緒にいていいと、言われているようなものだ。

 すっと、一緒に。

「あり……、がと……」

 涙があふれてきて、止まらない。

 弘樹のたった一言が、優人の心をあっという間に温める。

「うん。家族、なろう……」

 嗚咽おえつが出るまで泣いたのは、初めてだった。

 しかも、うれしくて流す涙だ。

 痛くても、悲しくても、そこまで泣くことはなかった。

 泣いても、誰もなぐさめてはくれないから。

 ただ怯えた目で、バケモノというだけで。決して笑いかけることはなかったから。

 だから泣くことをやめたのだ。

 なのに、弘樹の言葉ひとつで。

 弘樹は本当にほしかった言葉をくれる。

 自分ですら気づいていなかった、本当の気持ちを見せてくれる。

 そんな彼を好きになれた自分が、いままですごく嫌いだったはずの自分が、好きだと思えてしまうほどに。

「優人、泣きすぎだろ」

「うるさい。おまえが悪いんだ」

「えぇ!?」

 嬉しいのに、笑っているのに、涙が止まらない。

 こんな経験けいけんも、弘樹が、くれたもの。























 ふたりは出会い、恋に落ちた。

 そしてこの先、幸せになれる、はずだった。


『家族』に、なれるはずだった。




 しかし、桜は散る花。


 このとき、少しづつ、花は散り始めていた。




 ひらり。






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