第1話 言い訳


 少しばかり、言い訳じみた昔話をしよう。


 小さいころから、引っ越しばかりの生活だった。

 父親が転勤の多い仕事をしているからだ。

 妹の由紀が生まれる前も、幼稚園のころもずっと北から南まで至るところに引っ越しをさせられた。

 行ったことのない都道府県などないのかもしれない。

 それほどに、転勤が多かった。

 一年いれば長い方で、短くて二か月、この家族はどこかに移動する。

 だから友達はできないし、まだ年齢も低かったから恋人なんてできなかった。

 両親とも仕事がすべてのようなひとだったから、家にはそうそう帰ってこない。

 飯は適当に買ったり、ふたりで外に食べに行ったりしていた。

 そんな生活が、酷く憂鬱だった。

 だから、友達か恋人を、作ろうと思った。

 できれば、妹のことも好いてくれる、いい奴を。

 妹もこの生活を嫌っていた。

 毅然とふるまっているけれど、寂しい思いをさせている。

 だからここで、兄が友達や恋人を作れば、妹も作ろうとしてくれるかもしれない。

 この寂しい生活を、少しでも変えれるかもしれない。

 そんな希望をもって、転入したその中学で、運命の出会いを果たした。

 長いサラサラの黒髪に、クリッとした大きな瞳、柔らかそうな頬は赤く染まり、桜色の唇は喰らいつきたいくらいぷるりとしている。

 一目惚れというのがふさわしいだろう。

 思わず告白すれば、男だし殴られるし。

 でも、彼が気に入ってしまったのだ。

 だから彼に猛アタックした。

 彼が休んだ日は暇すぎて、次に来たときに怒れば、なぜか可愛い顔で謝ってきて。

 遊園地に行ったとき、観覧車でファーストキスをした。

 あの大きな目に綺麗な涙を溜めて、顔を真っ赤に染め上げた彼は、理性が吹っ飛びそうなくらい可愛かった。

 好きになればなるほど、可愛いという感情は大きくなって。

 夢にまで彼を見るようになった。

 妹も彼をかなり気に入って、やはり彼でなければと思う。

 家族がいないと、寂しそうに言う彼に、思わず言った、


『家族』になろう、という言葉。


 まさかそれが、彼を縛るものになるなんて、思わなかった。

 それもそうだ。

 あのときは、幸せだったのだ。

 これからも幸せでいられると思っていたのだ。

 けれど、運命とは惨いもので、幸せは奪われた。

 階段から落ちて、頭を打って。

 彼を忘れた。

 大好きだったのに。

 愛していたのに。

 ずっと一緒にいたかったのに。

 忘れてしまったのだ。

 妹は必死に思い出させようとしていた。

 思い出さなくて怒ってもいた。

 母は彼が殺そうとしたと思っているから、妹のことを怒鳴っているし、父は入院している息子に会いに来ることもない。

 だからむしゃくしゃしていた。

 もし記憶があったなら、彼が一生懸命作ってくれた千羽鶴を見て、落ちつけていたかもしれないのに。

 記憶がないから、不安が募ってしまった。

 嬉しいはずの千羽鶴が疎ましく思い。

 愛しいはずの彼が、恨めしいと思ってしまう。

 ときが巻き戻るなら、このときの自分を殴ってやりたい。

 学校に行けば、仲良くもなかった奴らがなれなれしく話しかけてきた。

 家族がこちらを見てくれなかった不安からか、クラスメイトの行動はそのとき救いになった。

 けれど、それで彼を傷つけた。

 ひとと関わることに臆病で。

 誰よりも弱くてもろくて、優しい彼は。

 全部を誤解したまま受け止めようとしていた。

 体育の時間、彼はこちらを泣きそうな顔で見つめていた。

 記憶のない俺はなぜ見つめられているのかわからない。

 妙に胸がざわついて、集中できなくて。

 それで転んだ。

 足首をひねったのか、痛みで動けなかった。

 周りは大丈夫かと心配そうに見てくるくせに、助けることはない。

 こんなものかと、虚しく思っていた。

 そうしたら、彼が助けてくれた。

 誰も助けてくれなかったのに、彼だけが。

 彼は俺の吐く暴言に耐えられなくて、押し倒して口づけをした。

 それはあの観覧車でのキスとはまったく違う、お別れのキス。

 こんな顔をさせたかったわけじゃない。

 こんな涙を流させたかったわけじゃない。

 悲しませたかったわけじゃない。

 彼からのこんなキスは、望んでなかった。

 笑っていてほしかった。

 喜んでいてほしかった。

 一緒にいて、ただ笑いあえたらそれで、よかったのだ。

 傍にいられたら、それでよかったのだ。

 それなのに、神は淡い気持ちすら認めてはくれなかった。

 彼は俺に好きだったのかと聞いた。

 好きだ。大好きだ。愛している。狂おしいほどに。

 なのに、口は正反対の言葉を吐いた。

 嫌いなのだと、言った。

 彼は感情のないままに、別れを告げる。

 そのとき悟った。

 彼の心を、壊したのだと。

 けれど、記憶をなくした俺は、それを気にすることはなく、再び転校した。

 珍しいことに、父親が帰ってきたのはそのときだ。

 普段は家に帰ってこないから、本当に驚いた。

 そして、夫婦喧嘩が始まった。

 俺の事件のあとで、母はヒステリックが余計ひどくなっていたから、なかなか収まらないし、なぜか妹まで参戦していた。

 俺のことで話しているのに、俺はなにひとつわからない。

 不安で、怖くて、家にいたくなくて飛び出して。

 そして、道路に飛び出て、車に撥ねられた。

 頭を打って、二重で記憶をなくした。

 不幸過ぎて笑えない。

 そう、忘れた。


 誰を愛したのか、忘れた。


 誰を傷つけたのか、忘れた。


 忘れてはいけないことを、忘れた。


 だから、悲劇はまた巻き起こされた。

 彼を傷つけて傷つけて傷つけて。

 それを忘れて、生きていた。

 罰を受けるのなら、俺のはずだ。

 戒めを受けるのなら、俺のはずだ。

 なのになぜ、彼ばかりを神は責める。

 俺を責めればいいのに。

 いや、俺自身が彼を責めてしまった。

 苦しめてしまった。

 だから、彼は。

 俺が彼を、儚くしてしまった。

 俺が、俺が彼を――――。








 

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