第4話





『アノ騎士ノ話ヲシナカッタ方ガ良カッタノデハナイカ。アレデハ気ニシテマスト言ウ様ナモノダロウ?』


「そりゃそうだ。本当に気にしてないけど、あの爺さんには気にしろって意味で言ったんだもん。勝手に揉めてくれても一向に構いませんよ。俺の印象が良くなってりゃいいんだよ」


 腹黒い言葉にレミュクリュは眼を丸くしていたが、九十九の頭にしがみ付いて身体を震わせた。

 ちょっとだけ痛かった九十九が顔横に垂れる足を掴んで、クイクイっと引っ張ってやると、楽しそうな声が頭に響いた。


『アーッハッハッハッ。ナルホド、ソウカ』


 げらげらと笑う声が頭に響き、震える身体が頭をホールドして離さない。実際には九十九の頭の上で白竜がギャワギャワ叫んでいる。


「痛ぇっての。緩めろよ」


 九十九の頭をポフポフ叩いていた手を掴む。


『素直デ純真ナ少年カト思ッタガ、中々ニしたたカ者ヨ。マスマス気ニ入ッタ』


 ポムポムがペシペシに変わる。爪が痛い。


「暴れるなってーの。自力で飛ぶか?」


『イヤジャー』


 九十九の言葉に危機を感じたようで、笑いながらもひっしと頭にしがみ付く。力加減も絶妙なものに変わったので、振り落とす事は止めて置いた。

 ただ、一目で魔獣使いと解る状況で、さらに白竜という信仰対象にもなる竜族を肩車した少年が、暴れる竜を言葉巧みに操るという珍しい出来事を宣伝して歩いているという事に気づいていなかった。


□□□□


 大通りを歩く事しばらく──

 街には様々な人種、異種族、背格好の人々が歩いていた。

 背丈が低いが、横に大きいヒゲ面の小柄なおっさん、笹のような耳のある細身の綺麗な女性も居た。

 肌が白い人から、黄色、黒色、水色と様々であり、人の頭部に取って付けた様な動物の耳が付いた人も居た。垂れ耳からぴんと立った耳、犬耳、猫耳、兎耳などだ。

 他にも目を惹いたのは完全な動物の頭部が付いた人々だ。好奇心旺盛に見える猫が居れば優しげな犬も居る。ほんわかしている兎も居れば、凛々しい鳥も見受けられた。明らかに人とは違うが、回りの反応を見ると忌避するような人種では無いのだろう。

 また、それぞれの格好も様々だ。

 布の上着とズボンとラフな格好した犬頭の人と革の上着に革のパンツを着たがっしりした体格の兎頭の人が楽しげに話しをしており、皮鎧を身に付けて剣を腰に下げた猫頭の人が通りを横切る。金属製の胸当てや肘、膝当て背丈ほどの槍を持つ鳥頭の人が見張るように鋭い目を光らせている。


 通りの様子も祭りとまではいかないが、活気が溢れていた。

 露店で軽く摘むような軽食を売る店もあれば、ファンタジーらしく金属製の武器を売る露店も見える。装飾品と思われる露店の隣で様々な色で満たされた液体が詰まった小瓶を売る露店、反物らしき布を扱う露店の隣に首輪が付いた奴隷を売る露店もあった。

 完全なおのぼりさんである九十九がきょろきょろと楽しげに見回っていた。


(色々な店があるんだなぁ~…………って奴隷!?)


 驚きで二度見した拍子に奴隷の露店商の主と九十九の目が合った。


「お、そこの坊主。どうだ一人買わないか? 荷物持ちにちょうど良いぞ」


「い、いや、だいじょーぶです」


 引きつった笑みを浮かべてそそくさとその場を逃げたのだった。


□□□□


 国が違えば文化が違う。

 世界が違えば露店で奴隷が売られている。

 正直、まだ九十九には受け入れがたい文化だった。

 奴隷露店を見てから、九十九は足早に目的へ急いだ。

 視線も誰にも合わせようとせず、ちらちらと盗み見るように歩いて行く。あきらかな不審者ではあったが、肩車する白竜に誰からも声をかけてもらえず、老騎士より言われた看板を探していた。

 目的の看板を見つけたのは、ショックを受けてからしばらく歩いてからだった。

 街の中央に近い場所で、この辺りになると露店では無く、しっかりとした店を構えた区画なのだろう。

 その中で一際大きな建物にその看板が下がっていた。

 六階建ての大きな建物の出入口は両開きの扉で、見慣れない言葉で看板が付いていた。丸い円盤に羽と剣をあしらったおり、おそらくこれが傭兵ギルドの紋章なのだろう。

 重い扉を開くとそこは落ち着いた雰囲気のまるでカフェテラスのようなフロアだった。正面に長いカウンターが備えられ、天井からぶら下がったプレートの下にそれぞれ女性の事務員が座り、様々な受け付けに対応しているようだ。

 文字が読めない九十九が近くに居た男を見つけて近づいた。


「あの〜。ちょっと聞きたいのですが〜」


 同じくらいの背丈の男が振り返ると、何のようだとばかりにしかめ面になるが、九十九の頭に鎮座する白竜を見ると一歩退いて戦闘体勢に入った。


「や、やるってのかっ!」


 フロアに響く怒号。椅子に座っている者、受け付けの女性、中で仕事していた人達全員の視線が九十九に集中する。


「いや、何でも無いです」


 ギルドを探して大通りを歩いていた時もそうだったが、よほど異質の存在なのだろう。少しへこたれる九十九が寂しそうに振り向き、誰か質問に応えてくれそうな人を探す。


『スマヌ。我ガ居ルト奇異ニ見ラレテシマウ……』


「いや、いいよ。特殊だってのは理解出来た。変に目立たないようにするさ」


 頭の上にある竜がしょんぼりとうな垂れた。が、九十九の手が頭を優しく撫でると、尻尾が左右に揺れる。


「お、九十九ではないか。傭兵だったのか?」


 名を呼ばれて振り向くと黄と黒と白の壁が目の前にあった。視線を上に向けると虎が興味深げに見下ろしている。ついでに虎頭の隣には灰猫が、また会ったね、と言い優雅に足を組んで肩に座っていた。


「あぁ、えっと、虎さんに猫さん」


「……そのままではないか。頭虎族の戦士エルーム・トラッド・ガイゼムだ。エルで良い」


「ケット・シー族のミルラド・ケット・ケイン。ミルってさっき教えたじゃん。覚えてよね」


 頬を膨らませる猫を初めて見たが抱きつきたくなるほど可愛い。


「エルとミルね。もう忘れませんよ」


 苦笑を浮かべて謝罪の意味を含めて九十九から握手を求めた。

 それほど気を悪くしていないようで、大きな手で返してくれた。


□□□□


「……なるほど、初めてだったのか。その割には良い獲物を狩ったようだな」


 手元の束を見ながら感心している。

 九十九はそれほど手間取っていない。だからどこに感心していたのか解らなかった。若い身の上での戦果に感心しているとは思うが、一角狼自体を倒す能力になのか、それとも束にして持つほどの量に対してなのか。

 簡単な説明をしてもらうため、近くの長椅子に座る九十九達。エルが腰掛けるとミシッと危険な音が鳴るが、椅子は強固な作りをしているようで壊れる気配は無い。なぜかミルが九十九の隣に腰掛け、挟まれる形になっていた。

 周りから見るとどうなるのかと想像した九十九は苦笑を浮かべるしかなかった。ただでさえ珍しい白竜を肩車する九十九の両サイドに頭虎族とケット・シー族が挟んでいるのだ。目立たないわけがない。

 慣れているのか、周りの視線を意に介さずに懇切丁寧に九十九に説明をしてくれた。


「カウンターの右から新規登録、クラス登録。柱を挟んで報酬受け取り、クラス報酬受け取り、さらに柱を挟んで仕事受付、クラス仕事受付。左端の今人間が集まっている所が六つの掲示板があるのだが、それぞれがランクごとの依頼書が張られている」


 顎で指し示すエルに従ってそれぞれの受付を眺めた。この世界の文字が読めない九十九はとりあえず〈絵〉として看板を記憶する。そのうちレミュクリュにでも文字を教えて貰おうと思いつつ。


「次はボクが説明するよ。ランクはFから上がってE、D、C、B、A、S、SSまで八種類あるんだよー。新規さんはFから始めなきゃダメなのー。

 それで、そのランクの仕事をたくさん請けると傭兵ギルドから昇級試験受けろーって言われるんだよー。断っても良いしー、受けても良いー。

 ランクが上がれば難しい仕事を請けられてー、報酬が美味しいからみんながんばってランク上げしてるのー」


「次はギルドの話だな。傭兵ギルドは大陸にある大きな街には必ずある建物だ。どこへいっても傭兵ギルドと問えば羽と剣の看板が下がった建物を指す。

 それと、《クラス》とか《小ギルド》と呼ぶ集まりがある。これは個人同士で集まった集団を指す。傭兵集団に自ら名前を付け、紋章を作りその中のルールに従って仕事をする仲間だ。

 クラスにもランクがあってな。クラスのランクは七種類、Fから始まり、E、D、C、B、A、Sだ。難易度としては例えばクラスのランクCを個人でやるとしたら、最低でも個人ランクはAが最低ラインだろうな。それほど困難な仕事だ。その分の報酬は大きい。良い仲間を見つけたら混ざるのもいいかもしれん。個人ランクが低くてもクラスの仕事は請けられるからな。

 それとランクというのは目安だと思えば良い。実際、能力はランクSなのに昇級試験を嫌ってランクBのままで居る者も居るしな」


 ふむふむと頷く九十九とレミュクリュ。九十九はともかく、レミュクリュも大雑把な知識は持っていても細かく知っているわけでは無いのだ。


「では、さっそく登録してみようではないか」


 促されるままに立ち上がると新規登録カウンターの前へ。


「で、では、こちらにサインを……」


 受付嬢がおどおどと紙とペンを差し出す。その紙は契約書である。字を読めない者への配慮があるのか、受付譲が一通り口頭で説明してくれた。

 細かく書かれた内容を要約すると、傭兵ギルドの一員として契約しますよと書かれている。それに同意するか否か、そんなところだ。

 受付嬢の手が震えているのは魔獣使いを目の前にし、背後には大柄の虎が睨んでいるからだ。気絶しないだけましなのかもしれない。実際は普通に立っているだけなのだが、重厚な存在感は安心にも繋がるが、威圧にもなる。

 九十九は書こうとして手が止まった。こちらの文字は書けない。どうしようかと悩んでいると、ミルがカウンターに音を立てずに降り立つ。


「どうしたの? 字が書けないの?」


「う、うん」


「サインなんて形式的なものだよー。ボクなんてこれで済ませたしー」


 掌をにゅっと向け、わきわきと動かす。

 後ろを振り向くとエルも頷く。

 二人とも手形で済ませたようだ。

 手形でも通用するのであればと、九十九は漢字で名前を書いた。

 レミュクリュもカウンターに降り立つと、インクを手に付けて、九十九のサインの隣にぺたりと手形を押す。

 受付嬢がレミュクリュの様子に微笑む。主の真似したペットのように見えたのだろう。少し落ち着いたようだ。

 渡された書類を見て小首を傾げ、名前を聞いてきたので、九十九と名乗るとさらさらとサインの下に受付嬢が記載する。代筆してくれたようだ。

 不思議な文字を見ても特に言及されなかった。この世界の文字では無いので当然読めないようだが、ミルが言うように事務的な処理で何でも良いのか、そのままお待ちくださいと言い残して去った。

 しばらく待っていると一枚の紙と銀色の頑丈そうなカードを渡された。


「こちらが傭兵登録書になります。無くされても再発行は可能ですので問題ありません。それとこれがカードになります」


 手渡されたのはクレジットカードくらいの大きさで、それを三枚重ねたくらいの厚さがあるカードだった。

 一緒に針を渡されたので、首を傾げると指先に刺して血をカードに垂らして欲しいと言われた。

 拒否したかったが、それでは話が進まないだろうと痛いのを我慢して血を出すとカードに垂らした。

 カードは赤く発光したかと思うとすぐに収まり、銀色の頑丈そうなカードに戻る。


「そのカードが傭兵の証となるギルドカードになります。こちらも再交付可能ですが、手続きには時間とお金が掛かりますので無くさないようにお願い致します。

 それではこのままギルドの説明に入りますが、よろしいですか?」


「いや、細かい部分は我等が説明しておく」


 エルが渋い声で断った。肩に乗るミルが任せて~と可愛く胸を叩いた。


「それでは人々のためにがんばってください」


 呆気なく登録終了となり、手渡されたギルドカードを制服の内ポケットにしまう。

 これで晴れて傭兵となったようだ。

 達成感も無いまま、角の束を持つ九十九はさっそく報酬受け取りカウンターへと移動する。


「これお願いします」


 蔓で束ねられた一角狼の角をカウンターに乗せると、受付嬢が書類に何か書き込む。


「一角狼の角ですね。一角狼の毛皮はどうされました?」


「あぁ~……もしかして毛皮って売れるんですか?」


「はい、角よりも高めに買い取りしておりますが……そのご様子ですと持ち運びが出来なかったので捨てて来たというところですか?」


 そんなところです、と無難に返答すると、そうですかと簡単な返事をされる。

 討伐した魔物の売れる部位は早々に覚えておかないと損するなと学んだ瞬間だった。


「それでは……お支払いは貨幣にしますか? 宝石にされますか?」


 エルがすぐに使う用が無いならば宝石が良いとアドバイスをくれる。細かい疑問は後で聞くとして、今日の宿と食事を考えていた九十九は貨幣と答えると、はいと言う返事と共に拳大の革袋を渡された。


 一角狼の角は一本で銀貨十四枚。それが二十三本あった。

 金貨三枚に銀貨二十二枚。これが今の九十九の全財産である。

 ちなみに銅貨百枚で銀貨一枚。銀貨百枚で金貨一枚。百枚で次の硬貨になり、金貨の上は白金貨もあるようだが、白金貨が流通するのは滅多に無いそうだ。

 丈夫な袋に入った硬貨を眺めながら、ギルドに来る前に見た露店を思い出した。

 レミュクリュの念話で確認したが、軽食を売る露店のほとんどが銅貨十枚以下だった。

 そこから判断すると銅貨一枚が十円だろうか。

 一角狼の角が日本円で計算すると一万四千円。命の危険がある討伐で一頭一万四千を安いと考えるのか、高いと考えるか……。

 

 じっと袋の中を眺める一人と一匹。

 何を想像したのか、苦笑を浮かべた虎が九十九の肩をぽんと叩いた。


「では、宿にいくか。我々も今日の宿は必要だから、一緒にいかないか?」


 エルの言葉に甘え、同行する事にしたのだった。


□□□□


 通りを三人が揃って歩くと、どれほど厳つい人間も自然と道を譲る。いや、本人は自然にやっているつもりなのかもしれないが、何かと理由を付けて進行方向からずれていくのだ。

 異質の存在と避けられていた時はかなりへこんではいたが、肩で風を切って歩く男が避けるのは少し気分が良かった。自分が強くなったような気がする。

 全ては横に居る頭虎族のエルという男のおかげだとしても。

 まさに武人を思わせるエルは自負と誇りを持って行動する男だ。少年九十九にこうなりたいと思わせるに十分な貫禄であった。

 大通りから二つほど横の道へと入り、一軒の建物の前で止まった。

 《竜の吐息》と書かれた看板はジョッキと思われる絵に竜が炎を吐き出した図柄だ。宿と酒場が一緒になっているようだ。

 中へ入るとカウンターには禿頭のでっぷりとした親父が眠そうに眼を閉じ、暇そうに座っていた。時間は夕暮れに近いのだが、店の中にはまったく客の姿が無い。


「いらっ……おぉ、エルの旦那。久しぶりだね。ミルも相変わらず可愛くて何よりだ」


 わざわざカウンターから出てエルと握手を交わす。ミルは親父の肩に降りて、禿頭を撫でている。挨拶としてどうなのか疑問が残るが、本人は喜んでいるようだ。


「坊主は新顔だな。おぉ、魔獣使いか、白竜を相棒にするとは珍しいな」


(坊主はお前の頭だッ)


 とは思っても当然声に出さない。これからも世話になるであろう相手だから。

 握手を求めてきたので素直に応じる。レミュクリュも小さな手を出して握手を求めると、親父は驚いた表情を浮かべながらも笑顔で応じてくれた。

 促されるままカウンターにエルと九十九は座り、小柄なミルとレミュクリュは上に乗る。


「今日はどうする?」


「二部屋頼む。面白そうなのでしばらく逗留しようかと思っているのだよ」


 エルが隣の九十九に楽しげに視線を送り、暖かく大きな虎の手が九十九の肩に乗せられた。親父はその言葉にそうかそうかと頷き、鍵を二つ渡された。


「おじさん。何か食べ物出せますか?」


「俺にはワインを頼む」


 親父が元気良く返事をして動き出した。


 目の前に置かれたのは肉料理と野菜サラダっぽいもの。大皿にあるものを見る限り、酒の肴であって、食事のためという感じでは無い。九十九の飲み物は当然果汁を加えた水だ。レミュクリュの目の前には厚切りの生肉が置かれ、両手で掴んでアグアグと貪り食っている。思念では美味である美味である、と優雅に食事しているつもりで言っているようだが、見た目は数日腹を空かせた子供のような荒い食べ方だ。

 隣に座るミルは自分の身体と同じ大きさのジョッキを両手で持ち、んぐんぐ、ぷは〜。もう一杯! と、その身体のどこに入っているのか不思議なくらいの量を飲んで、食べている。

 エルと九十九は二人の見た目とのギャップに微笑ましく眺めていた。


 この宿屋兼酒場は傭兵御用達の店なのだそうだ。

 様々な技能、種族、見た目の人々が来るので、魔獣使いだろうが、異種族だろうが驚きに値しないそうだ。

 だから、慣れているエルやミル、頭に白竜を乗せた少年が現れても悪さをしない限り、喜んで客として扱ってくれる。


「そうか。新人なのか。何か困った事があれば相談してくれ。俺に出来る事なら手伝ってやるよ」


「すまんな。ダルデスには人間世界の事を何かと面倒をかけてしまう」


 虎がぺこりと頭を下げる。それを見た主人──ダルデスが禿頭を撫で、頬を掻きながら、


「エルの旦那にゃ命を助けてもらった。店でのトラブルも何度も助けてくれた。最近の若い傭兵どもは恩を仇で返すような者が多いが、俺は恩を忘れない良い人間なんだよ」


 茶目っ気たっぷりに話しているが、本心だろう。

 禿頭までもが赤くなり、タコのようになりながら、嬉しそうに語る。おそらく恩を受けても返す機会が無かったのだろう。やっと恩に報いる事が出来る喜びを感じているようだった。

 しばらく、食事と当たり障りの無い話題を交わしたのち、エルが九十九に問い掛けた。


「それで、九十九はこれからどうする?」


「しばらくは仕事をして金を稼いで、情報集めかな。今の所は大きな目的は無いし」


 少しだけ嘘である。

 元の世界に帰るという大きな最終目標はあるのだ。

 だが、これには九十九を召喚した召喚主を探さなければならない。それも面倒な事に召喚術を使える者、もしくは創り出した者を。

 しかも、それが人間の手によるものなのか、それとも知能の高い魔物によるものなのか、まったく分からない。

 だからこそ、九十九がその相手に会うには様々な物が必要となるだろう。闘う力、この世界の常識と知識、人脈や金、必要であれば肩書きなど。さらに言うなれば日々の生活もしていかなければならない。

 そうなるとやはり今一番必要となるのが金なのだ。


「そうか。しばらく我等はこの宿を拠点に仕事をする。何かあれば相談にきてくれ」


 虎の手が九十九の頭をぽんぽんと叩く。親父が同じ事をすると子供扱いするなと反抗していたが、なぜか素直に喜べた。

 しばらくすると、傭兵達がぞろぞろと酒場へ訪れてきた。入る者全員がカウンターに座る貫禄ある虎頭族のエルを見て立ち止まるものの、慣れているのか騒ぐ事無くテーブルに着き、ダルデスに注文が飛ぶ。

 ちなみに、テーブルの上では自分の体格以上のジョッキを持ち、猫と竜が飲み比べをしていた。


□□□□


 楽しい食事の席ではあったが、さっそく九十九はエルとミル……酔っているようなので、エルにギルドの規定や傭兵の常識、注意事項を細かく聞きだした九十九は紙とペン(羽とインク)をダルデスに借り、部屋に戻っていた。あのまま残って居れば酔っ払いに絡まれるとエルが危惧してくれたからだ。それは面倒な事この上ない。エルとミルにはこれからもよろしくと挨拶をしたのち、レミュクリュを小脇に抱えてきたのだ。

 そして、傍らには酔っ払ったレミュクリュが頭を揺らしながら、国語教師になっていた。


『我ノいめーじヲ〜、九十九ニ……送ル〜カラ〜……ソレヲ何度〜モ……書イ〜テ覚エルガ良イ〜ト〜……』


 たどたどしい言葉と間延びした語尾と共に頭に送られてくるのは単語と意味。時々、酔っているのか先ほどの酒やミルのイメージも混ざってくる。楽しさが伝わり、九十九は思わず微笑むが頭を振ってそのイメージを忘れる。勉強には邪魔なのだ。

 元の世界では一切自主的にやった事が無い書き取りの勉強だが、やはり差し迫った状況になれば意欲が変わるようだ。己の変貌振りに苦笑しながらもサブミナル並に送られてくる楽しい映像を退けながら、カリカリと書いていった……。

 ──時間を忘れ、小さい字で細かく書く事三十ページ目。

 レミュクリュより送られてくるイメージが断片的になってきており、正解させるつもりが一切無い連想ゲームのような状況になってきた。

 本人はテーブルに座りこんで、げふっぷひ〜と酒臭い息を吐き出す。完全に酔いが回っているようだ。意識も朦朧としているだろう。


「そろそろ限界だな。寝るかレミュ」


 九十九がレミュクリュを抱きかかえてベッドへ。嫌がる事無く、安心しているのか腕の中で丸まって喉を鳴らしている。まるで甘えているように思えた九十九が喉を撫でながら毛布をかけた。


『ムゥ……九十九。オヤスミ』


「おやすみ。レミュ」


 灯りを消し、階下の酒場から聞こえる喧騒を子守唄に眼を閉じた。


□□□□


 胸に圧迫感を覚え、眼が覚めた。すでに日が高い時刻のようだ。やはり安心して眠れる場所というのが深い睡眠となったのだろう。精神的な疲労も重なっているだろうし。

 自己分析して、遅く起きた事を正当化しておく。

 圧迫感の原因は一目で解った。胸の上に白くて丸い物体が上がっているのだ。


「レミュ、朝だぞ」


 頭を撫でながら話し掛けると、頭に届くのは苦しげな意識。


『ア……頭痛イ〜……水ヲ……』


 ふらふらと首を持ち上げ……力尽きた。誰が見ても二日酔いだ。

 そっと持ち上げてベッドに置くと、階下のダルデスから水を貰ってくる。コップでは足りないだろうと水桶ごと。

 ほふく前進で進もうとするレミュクリュを苦笑と共に持ち上げ、水桶の傍に下ろす。

 大量の洗濯物でも運べるほど大きな水桶に首を突っ込むとごきゅごきゅと音を立てて飲み、勢い余ってごろんと中に転がり込んだ。

 あっと驚いて尻尾でも掴んで押さえようと思ったが、中を見て驚いた。

 すでに飲み干しており、お腹がぽっこりと膨らんでいたのだ。ただ、飲みこんだ水の量とは釣り合わない。飲んだ先から消費させているのだろうか……。

 九十九の疑問はともかく、レミュクリュは腹を満足そうに叩いていた。


「レミュ。大丈夫か?」


 気遣わしげに声を掛けるとレミュクリュが驚いた表情を浮かべた。


「どったの?」


 ますます丸くなった身体を持ち上げて、ベッドに置く。その間も九十九を凝視したまま動かない。


『イツカラ我ヲ愛称デ呼ブヨウニナッタ?』


「あれ? いつからだろ。嫌なら変えるよ」


『カマワンヨ。ムシロ嬉シイノダ。ヤハリ、友ガ居ルトイウノハ嬉シイ驚キガアッテ良イ。

 ……残サレル時ダケハ慣レナイガナ……』


 喜びははっきりと伝わり、最後の部分は悲しみの雰囲気だけで言葉は小さく聞き取れない。

なにか慈しむように遠くを見ている。

 九十九は気づいた。よわい数千年という事は人間ががんばってどうにかなる年月では無い。過去に人間と仲良くなった事があるならば、友人は必ず先に逝く。

 長命である者の運命とも言うべき悩みだろう。取り残された者の哀しみは察する事は出来るが若い九十九には想像しか出来ない。

 気づくと九十九はレミュクリュをぎゅっと抱き、頭を撫でていた。

 水で膨れたお腹を圧迫しないように気を付けながら。


『ド、ドウシタノダ?』


 戸惑い、驚くレミュクリュ。だが、話の流れで九十九が何を考えたのか、その優しさが伝わったのだろう。すぐに九十九の上着を掴むと顔を胸に埋める。


『人間ハコレダカラ困ルノダ。我ノ思イヲ知リ、我ノ心ヲ満タシテクレル。ソレハトテモトテモ嬉シイ、楽シイ。

 …………ダガ、失ッタ時ノ悲シミハ想像以上ニ辛イ。何度共ニ逝コウト思ッタ事カ……』


 愛おし気に撫でる九十九は言葉が出なかった。慰めの言葉はいくつか思い当たるが、どれもが安っぽく感じたのだ。長生き出来るようにするなんて言っても良かったのだが、九十九は異世界の者である。明日にでも帰れるかもしれないし、一生この世界で生きなければならないかもしれない。

 安易に約束は出来ない。


 しばらく九十九の腕の中で震えていたレミュクリュだったが、不意に腕から抜け出すと、ふわりと飛び上がる。


『サテ、ソロソロ行コウデハナイカ。ドウナルカ解ラナイ未来ノ心配ヨリモ、明日ノ生活ヲ考エネバナ』


 湿っぽい空気を吹き飛ばすように明るい念話を発し、定位置である九十九の後頭部をがっちりキャッチすると頭をぽんぽん叩いて急かしたのだった。




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ガルゼルク大陸異篇 『虎と猫と竜と俺』 宮月 龍貫 @ronron

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