キーホルダー
2016年12月21日
私と太陽が付き合いはじめて、ちょうど1週間が過ぎていた。
この1週間、お互いの仕事の都合などもあって、どこかに出かけることはなかったけれど、太陽は今までのように小説を書くという理由で、お店のほうに来ていた。
決して、お店でデートをするために来ていたわけではない。
私は、ここの従業員である。
あくまでも、私は仕事をしているのだ。
そして太陽は、小説を書いているのだ。
お気付きの方もいるかもしれないけど、私は秋山さんのことを太陽と名前で呼び捨てにしている。
「ひまわり、ちょっといい?」
太陽が、私を呼んだ。
ちなみに今日は、太陽は仕事が休みのようだ。
「何?」
太陽も、私のことを呼び捨てにしている。
ちなみに、今は昼休憩中である。
「二人とも、たった1週間でずいぶんと仲が深まったみたいだな。」
杉下さんが、少し呆れた感じで言った。
「1週間前の、ひまわりちゃんが別人のようだよ。」
「そうですか?私は変わってないつもりですけど。」
「たった1週間で、ここまで変わるとはね。これが恋の力か……」
杉下さんは、たぶんうらやましそうに私たちを見ている。
「ひまわり、ちょっと。」
太陽が再び私を呼んだ。
「何?」
「冬の向日葵って知ってる?」
「冬野ひまわり?私のこと?」
「いや、違うよ。花の向日葵だよ。黄色いやつ。」
「なんだ。それがどうしたの?」
「知り合いに聞いたんだけど、冬に咲く向日葵があるらしいんだけど、知ってる?」
「知らないけど、そんなのあるの?」
「あるらしいんだよ。」
「ふーん。」
「見に行かない?」
「別に、いいけど。いつ?」
「うん。クリスマスイブに。」
クリスマスイブ……
涼太の命日か……
冬の向日葵……
あのキーホルダー、どこにあるのかしら?
「でも、クリスマスイブは私、仕事よ。杉下さん、そうですよね?」
「クリスマスイブかい?土曜日だしねぇ。クリスマスイブは、それなりに忙しいからなぁ。クリスマスじゃあ、だめなのかい?」
クリスマスなら日曜日で、私はお休みだ。
「クリスマスは他の人が休みで、僕の休みがクリスマスイブなんですよ。」
「うーん……困ったなぁ。」
杉下さんが困っていると、
「叔父さん、ひまわりに太陽君もこんにちは。今日は、すごく寒いわね。夜には雪が降るみたいよ。」
ひばりが、お店の奥からやって来た。
「ひばり、なんでそっちから来るんだよ。」
「ひまわりが、こっちにいるかと思ったのよ。」
「ひばり、どうしたの?」
「ちょっとね。それよりも叔父さん、何が困ったの?お店の経営が苦しくて、お金が必要なの?」
「そんなわけないだろう。」
「もしそうなら、孝太郎のお父さんに頼んであげるわよ。私、気に入られてるから。私が頼んだら、出してくれると思うけど。」
さすが不動産屋さんだ。
「ははは、そいつは頼もしい。そのときはよろしく。」
「それで、何が困ったの?」
「ああ、実は……」
「いいじゃないの。休ませてあげれば。」
「いやいや、こんな店でも、クリスマスの時期は忙しいんだよ。それに土曜日だし。だから、休まれたら困るんだよ。」
まあ、杉下さんの言うことは、もっともだろう。
「わかったわよ。また私が代わりにやるから、それで文句はないでしょう?」
「まあ、それならいいけど。」
「ねえ、ひばり。それはうれしいんだけど、ひばりは孝太郎さんとデートとかしないの?」
「ひまわり、ちょっと聞いてよ。孝太郎が、その日はどうしても、お父さんの仕事の都合で休めないんだって。」
「そうなの?」
「そういえば、孝太郎がそんなことを言ってましたね。ひばりさんとの最初のクリスマスイブなのに、ひばりさんがすごく楽しみにしていたのに申し訳ないって。クリスマス当日は、なんとしても休んで、ひばりさんを喜ばせてあげたいって。」
「太陽君、孝太郎がそんなこと言ってたの?」
「はい。」
「今日はこのことを、愚痴りに来たんだけど、それなら仕方がないわね。」
わざわざ、私に愚痴を言いに来たのね。
「叔父さん、それじゃあ、そういうことだから。」
「わかったよ。」
どうやら、そういうことになったらしい。
「それじゃあ、ひまわり、太陽君、クリスマスイブは楽しんでらっしゃい。」
「ひばりさん、どうしてここまでしてくれるんですか?」
太陽が、ひばりに聞いた。
「そんなこと決まってるでしょう。ひまわりに幸せになってほしいからよ。」
「ひばり……ありがとう。」
「それじゃあ、帰るから。」
ひばりは帰っていった。
「ひまわり、明日は休みだよね?」
「そうだけど。」
「今日、仕事が終わったら、うちにこない?」
「えっ?な、何よ、いきなり。」
ま、まさか……
「いやいやいやいや、違うよ。べ、別に変なこと考えてないから。」
そうなんだ。
私は、ちょっとがっかりしたような、ほっとしたような変な気持ちになった。
まあ、付き合ってまだ1週間で、そんなこと早いに決まってる。
「土曜日の打ち合わせでもしておきたいと思って。」
「打ち合わせ?」
「うん。電車の時間とか。他にもいろいろと。」
「今日じゃなくて、明日でもいいんじゃない?」
「明日と明後日は昼も仕事なんだ。」
「そう。わかったわ。」
「それじゃあ、僕は一度帰るから。仕事が終わったら、バス停のところで待ってて。」
「うん。」
「お疲れ様でした。」
「ご苦労様。雪が降りそうだから、気を付けてね。」
「はい。お先に失礼します。」
私は予定通り6時に仕事を終えると、バス停へ向かった。
外はとても寒くて、今にも雪が降りだしそうだ。
そうだ、家に連絡をしておかないと。
私はカバンから携帯電話を取り出すと、自宅に電話をかけた。
「もしもし。」
「あっ、お母さん?」
「ひまわり、どうしたの?」
「えっと……」
正直に言うべきか、ごまかすべきか。
「ちょっとこれから、太陽の家に行くことになっちゃって。」
やっぱり正直に言うべきだろう。
「まあ、突然どうしたの?」
「実はね……」
私は、これまでのいきさつを話した。
「そう。わかったわ。」
「なるべく早く帰るようにするから。」
「なんなら、帰ってこなくてもいいのよ。」
「えっ?ちょっ、ちょっと、お母さん。そんなんじゃないからね。」
「あら。ひまわりも、もう28歳の立派な大人なんだから、遠慮しなくてもいいのよ。」
遠慮とか、そういう問題ではないのだけれど。
「とにかく、そういうことだから。」
「はいはい。雪が降りそうだから、気を付けてね。」
私は電話を切った。
もうっ!
お母さんったら。
太陽をあんまり待たせるのも申し訳ない。
私は足早にバス停へ向かった。
バス停へ着くと、まだ太陽は来ていないみたいだった。
なんだ、まだ来てないのか。
そのとき、
「ひまわり!」と、呼ぶ声が聞こえた。
キョロキョロと辺りを見回すと、道路の反対側のバス停で、太陽が手を振っている。
あっちか。
私は横断歩道を渡って、反対側のバス停へ向かった。
「ひまわり!こっちこっち!」
「太陽、お待たせ。あんまり大きな声で呼ばないでよ。みんな見てるじゃない。恥ずかしいわ。」
4~5人の人たちが、こっちを見ている。
「ごめんごめん。」
「私が帰る方向と同じバスなのね。」
「そうだよ。バイト先の近くだよ。」
私が、太陽の家に行くのは、もちろん初めてである。
「ちょうど、バスが来たね。」
私たちは、バスに乗り込んだ。
「次だよ。」
私たちは、バスを降りた。
このバス停は、私が本屋へ行くときに降りて、レンタルビデオショップで働いている、太陽を見かけたときに降りたバス停だ。
「僕の家は、こっちだから。」
太陽は、レンタルビデオショップとは反対の方へ向かって歩き始めた。
「遠いの?」
「そんなに遠くないよ。バイト先まで、歩いて行ける距離だからね。」
良かった。
この寒い中をあんまり長く歩かされたら、また風邪をひいてしまいそうだ。
2~3分くらい歩くと、15階建てくらいのとても立派なマンションが見えてきた。
「すごい!こんなところに住んでるの?」
お金が無いようなことを言ってたのに、こんな立派なところに住んでるんだ。
私が、そのマンションのほうへ行こうとすると、
「ひまわり、どこへ行くんだよ。そっちじゃないよ。」
「えっ?違うの?」
「いくらなんでも、そんなところに住めるわけがないよ。」
言われてみれば当然か。
「もう少し先だよ。」
そこから少し歩いたところに、太陽の住むアパートがあった。
そこは2階建ての、想像していたよりも新しく綺麗なアパートだった。
「ここの205号室が、僕の部屋だよ。」
私たちは、階段を上がって部屋に入った。
暖かい。
どうやら、エアコンを付けっぱなしにしていたみたいだ。
太陽の部屋は二部屋の洋室で、一部屋は寝室のようだ。
お風呂とトイレも別々にある。
そして少し狭いけど、キッチンもある。
「お腹すいたでしょう?まずはご飯を食べちゃおうか。」
「食べに行くの?」
「作っておいた。今から電子レンジで温めるから、適当に座って待ってて。」
「太陽、料理ができるの?」
そんなふうには見えなかったので、とてもびっくりした。
「まあ、一人暮らしだからね。簡単な物しかできないけどね。」
太陽はそう言うと、料理を温め始めた。
ふと、タンスの上に目をやると、一枚の写真が飾られていた。
この写真の人が、お兄さんかしら?
「太陽、この写真って……」
「ああ、それが兄だよ。」
やっぱり、そうか。
でも兄弟にしては、あんまり似ていないような感じがする。
「今、ひまわりが思っていることを当てて見ようか?」
私が無言で写真を見つめ続けていると、太陽がそう言った。
「兄弟なのに、全然似てないって思ってるんでしょ?」
「あ、うん。」
見抜かれてしまった。
おそらく、そう言われることが多いのだろう。
「実は、僕と兄は、父親が違うんだよ。」
「えっ?」
まさか不倫とか?
これは、まずいことを話させてしまったかしら?
「別に不倫とか、そういうことではないから。」
太陽ったら、私の心の声が聞こえてるのかしら?
「まあ、いろいろと事情があって離婚したみたいだけど、不倫とかじゃないから。兄の父親は離婚した後は、ずっと独身みたいだよ。」
「そうなんだ。」
「お待たせ。」
太陽が、料理をテーブルに置いてくれた。
太陽が作ってくれたのは、チャーハンだった。
「僕の一番の得意料理だよ。一番って言っても、そんなにたくさん作れるわけじゃないけどね。」
テーブルには他に、スーパーで買ったお惣菜と、温かいお茶が並んでいる。
「食べてみて。」
「うん。」
私は、チャーハンを一口食べてみた。
「どう?ひまわりの口に合えばいいけど。」
「うん。美味しいよ。」
「本当に?」
「うん。ちょっと味が濃いけど、美味しいよ。」
「良かったぁ。」
私たちは食事を済ませると、打ち合わせを始めた。
「それで電車の時間なんだけど……」
話し合いの結果、駅に午前10時集合ということになった。
時計を見ると、もう9時を過ぎていた。
「もうこんな時間。私、帰るわ。バスがなくなっちゃう。」
「えっ?もう帰るの?」
「うん。」
「どうしても?」
「……」
しばらく沈黙が流れた。
これは、太陽に誘われてるのだろうか?
そのとき私の携帯電話から、メールの着信音が鳴った。
「あっ、ちょっとごめんなさい。」
私はカバンから携帯電話を取り出すと、メールを確認した。
さくらからだわ。
『お姉ちゃん、こっちは雪がすごいんだけど、そっちはどう?
もしも帰れないくらい降っていたら、泊まってくれば?
お姉ちゃんがそういうことになっても、お父さんには黙っておいてあげるから。』
そういうことって、どういうことよ。
もうっ!
さくらったら。
そんなことよりも、
「太陽、雪が降ってる?」
「えっ?雪?」
太陽が玄関のドアを開けると、
「わっ!」
猛烈な勢いで雪が吹き込んできた。
私はカーテンを開けて、窓の外をのぞいてみた。
外は激しい雪で、辺りは白く染まっていた。
部屋の中は暖房がきいていて暖かいので、全然わからなかった。
「すごい雪だな。」
太陽も窓から外をのぞいている。
「ひまわり、どうする?」
バス停までは5分くらいだけど、この雪では……
天気予報で、夜から雪になると言ってはいたけど、まさかここまで降るとは思わなかった。
そもそも、こんなに遅くなるとは思っていなかったから、傘もないし長靴やブーツもない。
「仕方がないから、もう少しいるわ。」
「じゃあ、コーヒーでも入れるよ。」
太陽は、少しうれしそうだ。
まあ、いいか。
どうせ明日は休みだから。
もしも泊まることになったら……
そのときは、そのときだ。
今は、深く考えないようにしよう。
「お待たせ。杉下さんのコーヒーとは比べ物にならないけど。」
それは仕方がない。
杉下さんは、一応プロだから。
一応なんて言ったら、怒られるか。
「ゲームでもしようか?」
「うん。」
何もしないよりは、ゲームでもしていたほうが、時間が過ぎるのが早く感じるだろう。
「あー、また負けた。ひまわり、なんでそんなに上手いの?」
「太陽が、下手すぎるのよ。」と、言いながら時計を見ると、
「えっ?もうこんな時間?」
時計の針は、11時15分を指している。
時間が過ぎるのが早く感じるどころか、まったく感じなかった。
私は、あわてて窓の外を見た。
雪は弱まることなく、まだ降り続いている。
「どうしよう……」
「泊まっていく?」
「でも……」
「もうバスがないよ。」
そうだ。
この時間では、もうバスがない。
「それじゃあ、泊まっていくわ。」
こうなったからには仕方がない。
「ちょっと家に連絡するわ。」
私は携帯電話で、自宅に電話をかけた。
「もしもし。」
「もしもし、さくら?」
「お姉ちゃん、やっぱりお泊まり?」
「うん。ちょっと帰れそうにないわ。」
「わかった。まあ、楽しんで。」
「何を楽しむのよ。そんなんじゃないから。」
「お父さんには、ひばりさんのところに泊まるとでも言っておくから。それじゃあね。」
「ちょっと、さくら!」
電話は切れていた。
もうっ!
さくらったら。
「ひまわり、お風呂どうする?」
「えっ?」
お風呂か……
入りたいけど、着替えがない。
「でも、着替えがないわ。」
「着替えか……ちょっと待ってて。」
太陽はそう言うと、タンスの中を探しだした。
「あった。」
何があったんだろう?
まさか太陽が、女性の下着を持ってるとか?
まさかね。太陽が私に差し出した物は……
「えっ!?」
そのまさかだった。
「これでよかったら使って。」
どうして太陽がこんな物を?
元カノの物か?
そんな物を差し出すかしら?
もしかして、女装の趣味が?
私が軽蔑した目で太陽を見ていると、
「違う違う。僕のじゃないよ。僕の母親のだよ。」
「お母さんの?」
「前に泊まったときに、置いていったんだよ。使ってないから。」
「ふーん。わかった、ありがとう。」
「パジャマは、僕のでよかったら使って。」
最初に私がお風呂に入り、次に太陽がお風呂に入った。
太陽と私は身長がほとんど一緒なので、パジャマが大きすぎるということはなかった。
時刻は、もう午前1時だ。
「そろそろ寝ようか。」
「うん。」
とは言ったものの、ベッドは一つしかない。
「ひまわりが、ベッドで寝ていいよ。」
「布団はないの?」
「ないよ。」
「お母さんが泊まったときは、どうしたの?」
まさか、母親と一緒に寝たのだろうか?
少し狭いけど、二人で寝ることはできそうだ。
「あのときは夏だったから、毛布をかけてソファーで寝たから。今日もソファーで寝るよ。」
「風邪ひくよ。」
夏ならともかく、今は真冬だ。
「大丈夫だよ。」
「いいよ。一緒に寝よう。」
「えっ?」
「嫌なの?」
「い、嫌じゃないけど。」
「それじゃあ寝ましょう。私、もう眠いわ。」
私は先にベッドに入った。
2016年12月22日
私は、目を覚ました。
隣を見ると、太陽はいなかった。
今、何時かしら?
時計を見ると、8時だった。
あー、眠い。
ベッドに入ってから、すぐには寝なかったから寝不足だ。
寝室の窓から外を見ると、雪は止んでいた。
私は、寝室を出た。
「ひまわり、おはよう。」
「おはよう。早いね。」
早いといっても、もう8時だけど。
「僕も、10分くらい前に起きたところだよ。」
太陽はすでに、着替えを済ませている。
「ひまわりも、着替えてきたら。」
「うん。」
「朝は、パンとコーヒーでもいい?」
「うん。」
私は洗面所に入ると、服を着替えた。
昨日の服だけど、こればかりはどうしようもない。
私は着替えを終えて顔を洗うと、部屋に戻った。
「もうすぐ焼けるから待ってて。」
「うん。」
私は何気なくタンスに近付くと、太陽の兄の写真を手に取った。
昨日はここまで近付かなかったので気付かなかったけれど、写真があったところの横に何か置いてあった。
それを見た私は、頭の中が一瞬、真っ白になった。
どうして?
どうして、これがここにあるの?
それは、一つのキーホルダーだった。
あの日、涼太がくれたキーホルダーと同じキーホルダー。
向日葵に雪が積もっている、あのキーホルダーだった……
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