愛する人
2016年12月14日
「すみません。もう、閉店の……あれっ?ひまわりちゃんじゃないか、一人かい?」
「杉下さん……私、どうしてここに?」
「いや、それは僕のほうが聞きたいよ。」
私は、電車を降りたあと、無意識にお店まで来てしまったみたいだ。
バスで来たのか歩いて来たのかさえも、定かではない。
「寒かっただろう。まあ、とりあえず中に入って。」
杉下さんは私をお店の中に入れると、ドアにカギをかけた。
時刻は、ちょうど午後7時になったところだった。
「あれっ?ひまわり、何してるのよ?」
「ひばり、いたんだ……」
「いたんだって何よ。私は、ひまわりの代わりに働いていたんだからね。」
そうだった。
「ごめんなさい。忘れてた。」
「まあ、いいわ。」
そのときトイレのドアが開いて、誰かが出てきた。
まさか、秋山さんが?
「あっ、お姉ちゃん。」
「さくら?どうして、ここにいるの?」
トイレから出てきたのは、さくらだった。
「そんなの決まってるでしょう?お姉ちゃんたちが、絶対にここに来ると思って待っていたのよ。」
「そうよ。さくらちゃんが絶対に、ひまわりはここに来るって言うから、6時で帰れるところだったのに、今まで待っていたのよ。」
「そう……二人とも、待たせてごめんなさい。」
「それよりも、ひまわり一人なの?太陽君はどうしたの?」
「……」
「黙ってたら、わからないじゃない。ちょっと待ってて、着替えてくるから。」
ひばりはそう言うと、お店の奥へ入っていった。
「お姉ちゃん、どうしたの?秋山さんは?」
「知らない……」
「知らないって、どういうこと?」
「一人で帰ってきたから。」
「一人で?どうして?ケンカでもしたの?」
「ううん。そうじゃない、私が悪いの……私には、秋山さんと付き合う資格なんてないのよ……」
「資格?どういうこと?」
「ひまわりちゃん、コーヒーでも飲むかい?」
杉下さんが、コーヒーを入れてくれた。
いい香りだ。
私は、ブラックのまま無言で一口飲んだ。
「ちょっと、お姉ちゃん。お礼ぐらい言いなさいよ。杉下さん、すみません。もう、片付けないといけないんですよね?」
「大丈夫だよ、少しくらい遅くなっても。どうせ明日は休みだからね。」
私はコーヒーを飲んで、少しずつ気分が落ち着いてきた。
「杉下さん、ありがとうございます。」
「これぐらい気にすることはないよ。どうせ余ってたから、捨てるのももったいないからね。」
杉下さんはそう言って笑った。
余っていたというのは嘘だろう。
余っていたのなら、こんなにいい香りはしないだろう。
私が来てから、新しく入れてくれたのだろう。
杉下さんなりの気づかいが、うれしかった。
「それにしても、ひばりは遅いな。何をやってるんだ?」
「私、見てきましょうか?」
さくらはそう言うと、お店の奥へ入っていった。
「さてと。何があったかは、聞かないほうがいいのかな?」
「すみません……」
「いや、無理には聞かないよ。」
杉下さんはそう言うと、片付けを始めた。
「ひまわりちゃん、ゆっくり飲んでていいからね。」
「はい。ありがとうございます。」
「あれっ?さくらちゃんも戻ってこないな。やれやれ、ミイラ取りがミイラになったか?」
ひばりとさくらは、何をしているんだろう?
まさか、神隠しにでもあったのかしら?
まさかね……
コーヒーを飲んで気持ちが落ち着いたおかげで、こんな冗談も言えるようになってきたわ。
「私が見てきましょうか?」
「まあ、そのうち戻ってくるだろう。」
「ひまわり、お待たせ。」
やっと戻ってきた。
しかし戻ってきたのは、何故か、ひばりだけだった。
「ひばり、遅かったじゃない。何をしていたの?」
「ちょっと、着替えに手間取っちゃって。」
それにしては、長すぎるような気がするけど。
「ねえ、さくらは?」
「さくらちゃん?ああ、なんだか急用ができたみたいで、さっき帰ったわ。」
「急用?」
「ええ。おうちで、何かあったんじゃないかしら?」
「えっ?それなら、私も帰らないと。」
私が、あわてて席を立とうとすると、
「ひまわりは大丈夫だから!それよりも、話の続きをしましょう。」
ひばりが、私を強引に席に座らせた。
「でも……」
さくらが帰ったというのは、おそらく嘘だろう。
ひばりったら、また何か企んでるのね。
「さくらちゃんが言ってたけど、太陽君と付き合う資格がないって、どういうこと?」
「それは……」
「それは何よ?男と女が付き合うのに、何か資格がいるの?」
「……」
「また黙りこむ。本当に、ひまわりの悪い癖よ。」
そのとき、ひばりの携帯電話が鳴った。
「もしもし、さくらちゃん?」
さくら?
どうして、さくらが?
「そう、わかったわ。それじゃあ、裏から入ってもらって。はーい、よろしく。」
ひばりは、電話を切った。
「ひばり、今の電話さくらからなの?」
「違うわよ。」
ひばりは、きっぱりと言いきった。
「さくらちゃんって、言ったじゃない。」
そこへ、さくらが入ってきた。
「ほら、さくらじゃない。」
「細かいことは、気にしないで。」
「ひばりさん、連れてきましたよ。」
さくらに続いて入ってきたのは、秋山さんだった。
「秋山さん……どうして?」
「ひばりさんに、こちらだとお聞きしたので。」
「私の携帯に、太陽君からメールがきてたのよ。仕事中は携帯を持ってなかったから、さっき着替えたときに気付いて電話をかけたら、ここの近くまで来てるって言うから来てもらったのよ。」
ひばりとさくらが、なかなか戻ってこなかったのは、電話をしていたからだったんだ。
「ひまわりさん、やっぱりここだったんですね。」
「秋山さん……」
「ひまわりさん、改めて聞かせてください。資格って、何ですか?どういう意味ですか?」
秋山さんは、興奮する様子もなく、静かに語りかけた。
「私……無理なんです。どうしても……どうしても涼太のことが、頭をよぎるんです。涼太のことが忘れられないんです。」
私も、冷静に話すことができた。
もしも、感情的にこられたら、私も冷静ではいられなかったかもしれない。
「お姉ちゃん、やっぱり涼太さんのことが……」
「涼太さんって、誰ですか?」
「……」
「お姉ちゃん?秋山さん、涼太さんっていうのは……」
「さくらちゃん、待って。ひまわりが自分で話すべきだわ。」
口を挟もうとしたさくらを、ひばりが制止した。
「でも……」
しばらくの沈黙のあと、私は、口を開いた。
「涼太は……私が3年前まで、お付き合いしていた人です。」
「3年前?今はもう、別れたっていうことですか?」
私は、無言で首を横に振った。
「涼太は……涼太は……」
私の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ひまわりさん、大丈夫ですか?」
「はい……すみません……涼太は、3年前のクリスマスイブの夜に……事故で亡くなったんです……私のせいで……」
「そうですか……そんなことがあったんですね。」
秋山さんも、さすがに驚いているみたいだ。
「でも、ひまわりさんのせいっていうのは、どうしてですか?」
「涼太は、私をかばって死んだんです。あの日、ちょっとしたことで、私が拗ねてしまって……」
「ひまわりさんの、涼太さんへの思いはわかりました。だけど僕はそれでも、ひまわりさんのことが好きなんです。涼太さんに負けないくらい、ひまわりさんを愛しますから!どうか、僕とお付き合いしてください。お願いします。」
秋山さんの目は、真剣だった。
あの日の、涼太のように……
「……ごめんなさい。」
私は、そうつぶやいた。
「お姉ちゃん!どうして?秋山さんが、こんなに言ってくれてるのに!」
「さくらは黙ってて!私の気持ちなんて、誰にもわからないのよ!愛する人を失った悲しみなんてっ!!」
私は、大声で叫んでいた。
「わかりますよ……」
秋山さんが、つぶやいた。
「えっ?」
「愛する人を失う悲しみは、僕にもわかりますよ。」
「秋山さん?それは、どういう……」
「僕は恋人ではないんですけど、一昨年、兄を事故で亡くしました。」
秋山さんは、ゆっくりと語り始めた。
「兄は、とっても優しい人でした。少し年が離れてるんですけど、休みの日には、僕をいろいろなところへ連れて行ってくれたり、誕生日やクリスマスにはプレゼントをくれたりする、とっても優しい人でした。だけどあの頃の兄は、仕事がとても忙しくて毎日残業続きで、休みもまともに取らせてもらえない状況でした。そして兄は事故を起こして、一昨年の1月に亡くなりました。」
秋山さんは、目に涙を浮かべながら、そう語った。
お店の中は、しばらく重い空気に包まれた。
「過労死みたいなもんか……」
重い空気の中、杉下さんが最初に口を開いた。
「はい。幸いって言ったらおかしいですけど、会社のほうも過労死だと認めたみたいです。」
「秋山さん……それじゃあ、遊園地で話していた人っていうのは……」
「そうです。兄のことです。兄が遊園地が好きで、その中でも特に大好きだったのが、コーヒーカップでした。」
「そうだったんですね。」
秋山さんは、普段は明るくふるまっているけど、私と同じ過去を抱えているんだ。
「だから僕は、ひまわりさんの気持ちが痛いほどわかります。兄を亡くした僕よりは、愛する恋人を亡くした、ひまわりさんのほうが心の傷は大きいと思いますが、どうか僕と一緒に乗り越えて行きましょう。お願いします。」
「……」
「ちょっと、ひまわり。あなたには、太陽君の思いが届かないの?ここまで言ってくれてるのに!」
今まで黙っていたひばりが、たまらず口を挟んだ。
「ちょっ、ちょっと、ひばりさん、落ち着いてください。決めるのは、お姉ちゃんですよね?」
さくらが、ひばりを制した。
「確かにそう言ったけど、ひまわりがはっきりしないから。」
「秋山さん……わかりました。秋山さんの思いは、よくわかりました。」
私は……
涼太……
ごめんなさい……
「もしかしたら、また涼太のことを思い出すかもしれないけれど……よろしくお願いします。」
「ひまわりさん……ありがとうございます!」
秋山さんは、とっても嬉しそうだ。
「お姉ちゃん!」
「ひまわり!」
「いいなぁ、若いって。」
「もう8時ね。そろそろ帰りましょうか。孝太郎が待ってるし。それじゃあ、太陽君、ひまわりとさくらちゃんを送ってあげてね。」
「はい。もちろんです。」
秋山さんは、力強く返事をした。
「そんな、大丈夫よ。」
「ひまわり、何を言ってるのよ。夜道を女の子二人で帰らせるわけには、いかないわよ。」
「ひばりだって、女の子じゃない。」
「私はいいのよ。近いから。」
「でも秋山さん、遠回りになるんじゃないですか?」
「多少遅くなっても大丈夫ですよ。どうせ仕事は、明日の夜ですから。」
「でも、バスだから大丈夫よ。」
「もしもバス停から家までの間に、変質者に襲われたりしたらどうするのよ?ねえ、さくらちゃん。」
「そうそう、私が、お姉ちゃんに襲われたら怖いもん。」
「ちょっと、さくら、それはどういう意味よ?」
「あっ、ごめん間違えた。」
「どういう間違いよ。」
絶対わざと言ったわね。
「それじゃあ、僕が車で送ろうか?」と、杉下さんが言った。
「叔父さん、気がきかないわね。じゃまするんじゃないわよ。私を送ってよ。」
「はい……」
杉下さんは、ひばりに怒られて、しゅんとしてしまった。
「まあ、とにかく、ひまわりは、太陽君に送ってもらいなさい。」
「わかったわよ。それじゃあ秋山さん、よろしくお願いします。」
「はい。それじゃあ、行きましょうか。」
「それから、ひまわり。あなた、秋山さんっていう呼び方、どうにかならないの?」
「えっ?どうして?」
「付き合うのに、名字にさん付けはないでしょう。そんな他人行儀な。ひまわりのほうが年上なんだから、呼び捨てでもいいじゃない。涼太さんのことは、呼び捨てだったんでしょう?」
「僕は全然いいですよ。」
「涼太だって、最初から呼び捨てにしてたわけじゃないし。」
そんなこと、よけいなお世話だ。
「まあ、そんなこと、よけいなお世話よね。」
私は、ひばりに心の声を聞かれたんじゃないかと思って、ドキッとした。
「もうカギをかけるから、みんな外に出てくれ。」
杉下さんの一声で、私たちは話を切り上げ外に出た。
「ひまわりちゃん、それじゃあまた明後日ね。」
杉下さんはそう言うと、車に乗り込んだ。
「ひまわり、じゃあね。」
「うん。またね。」
「さくらちゃんも、またね。」
「はい。」
「太陽君、あとはよろしくね。」
「はい。任せてください。」
ひばりが、杉下さんの車の助手席に乗り込むと、杉下さんは車を発進させた。
「それじゃあ、僕たちも行きましょうか。」
「お姉ちゃん、秋山さんと隣に座りなさいよ。」
「私は、いいわよ。さくらが座りなさいよ。」
「何を照れてるのよ。私が座ったって、意味がないでしょう。」
「お客さん、危ないので座ってもらえますか。」
運転手さんに、怒られてしまった。
「はい。お姉ちゃん、ここに座って。秋山さん、隣に座ってください。私は、後ろに座るから。」
バスには、他には3人の乗客がいた。
私は真ん中辺りの窓側に、秋山さんが通路側に座り、さくらは一番後ろに座った。
「秋山さん、今日はすみませんでした。」
「えっ?何がですか?」
「遊園地で、一人で帰ってしまって。」
「ああ、大丈夫ですよ。本当は無理やりにでも、引き留めたほうがよかったのかもしれないと思ったんですが、今こうしていられるので。」
「ふふっ、そうですね。」
私は、今まで何を迷っていたのだろう?
これで良かったんだ。
きっと、涼太も祝福してくれるだろう。
私は、そう思い込むことにした。
その後、私たちは、また秋山さんの小説の話で盛り上がった。
他にする話がないわけではなかったけれど、自然とその話になった。
そして私たちは、バスを降りた。
「ここが、ひまわりさんのお宅ですか?」
「はい、そうです。」
「それじゃあ、僕はこれで失礼します。」と、秋山さんが帰ろうとした。
「えっ、秋山さん待ってください。もう帰るんですか?」
さくらが、秋山さんを呼び止める。
「はい。もう遅いですから。」
「お姉ちゃん、お茶でも飲んでいってもらったら?」
「いや、気にしないでください。帰りのバスがなくなっちゃいますから。」
「じゃあ、泊まっていけば?」
「ちょっ、ちょっと、さくら。突然、何を言い出すのよ?お父さんや、お母さんもいるのに。」
「そ、そうですよ。初日から泊まるなんて、早すぎですよ。」
「二人とも、なんか変な想像してない?」
「してないわよ!」
そのとき玄関が開いて、母が出てきた。
「あなたたち、玄関先で何を騒いでるの?」
「あっ、お母さん。」
「あっ、じゃあないわよ。ずいぶん遅かったわね。」
「うん。ちょっとね。」
「あら、こちらは?」
「お姉ちゃんの新しい彼氏の、秋山太陽さんだよ。送ってもらったの。お母さん?どうしたの?」
母は、秋山さんの顔を見て驚いている。
「あなたが……」
「お母さん?秋山さんのことを知ってるの?」
さくらが、不思議そうに聞いた。
「えっ?ああ、ごめんなさい。ひまわりの母です。娘がお世話になってます。」
「はじめまして。秋山太陽です。ひまわりさんと、お付き合いさせていただくことになりました。」
「そうですか。」
「今日はもう遅いので、これで失礼させていただきます。それじゃあ、ひまわりさん、また今度、お店のほうに行きますから。」
「はい。わかりました。」
秋山さんは、帰っていった。
「ねえ、お母さん。秋山さんのことを知ってるの?」
私は、改めて母に聞いてみた。
「えっ?……ひまわり、これから秋山さんとお付き合いしていくの?」
母は、私の質問にはこたえずに、そう聞いた。
「うん。そのつもり。とっても優しい人だよ。」
私は、ちょっと照れながら言った。
「そう。わかったわ。お母さんの知ってる人に似ていたけど、勘違いみたいね。」
「そうなんだ。」
「昔の教え子の鈴木君かと思ったわ。」
このときの私はそれで納得してしまったけど、記憶力が抜群の母が、そんな勘違いをするわけがなかったのだ。
やっぱり母は、秋山さんのことを知っていたのだ。
数日後にそれは明らかになる。
しかし、明らかにならないほうが幸せだったのだろうか……
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