太陽

2016年12月7日


時刻は午後3時を過ぎたところだ。

お客さんも増えてきた。

「それじゃあ、僕はそろそろ帰ります。お会計をお願いします。」

秋山さんはパソコンをカバンにしまうと、席を立った。

「秋山さん、小説のほうはどうですか?」

「はい。おかげさまで、だいぶん進みました。」

「それは良かったですね。」

「マスター、すみません。4時間以上もいたのに、これだけしか注文しなくて。なにぶん、お金のほうが……」

「いやいや、気にしないで。」

秋山さんが注文したのは、コーヒーを2杯と紅茶を1杯、そして昼食のサンドイッチだった。

そのうちコーヒー1杯は、杉下さんがサービスで無料で出した。

小説家って、そんなに儲からないのかしら?

「それじゃあ、失礼します。また明後日に来ます。」

「ありがとうございました。」

秋山さんは支払いを済ませると、帰っていった。


「それじゃあ、お先に失礼します。」

時刻は午後6時を過ぎて、私は今日の仕事を終えた。

「ご苦労様。また明後日ね。」

「冬野さん、お疲れ様。」

杉下さんと小笠原さんにも見送られて、私はお店を後にした。

小笠原さんにも、私が秋山さんとひばりのことを誤解していたという話を、笑われてしまった。

小笠原さんには、

『冬野さんって、思い込みが激しいんじゃないの?』

って、言われてしまった。

確かに、言われてみればそうかもしれない。

これからは、気をつけよう。

バス停へ向かって歩いていると、携帯電話が鳴った。

誰かしら?

携帯電話の画面には、さくらの名前が表示されていた。

「もしもし?さくら?」

「あっ、お姉ちゃん?」

「どうしたの?」

「もう、お仕事終わったでしょう?今、どこ?」

「今、バス停に着くところだけど。」

「良かった!」

「何が良かったの?」

「お姉ちゃんに、お願いがあるんだけど。」

お願い?

「ちょっと、本屋さんに寄って、本を買ってきてほしいんだけど。」

「えっ?なんで私が。」

「ごめん。自分で行くつもりだったんだけど、忘れてそのまま帰ってきちゃったの。」

「本屋さんに行くには、途中でバスを降りなきゃいけないのよ。」

「わかってるけど、お姉ちゃん、明日お休みでしょ?」

「そうだけど。」

「じゃあ、少しくらい遅くなっても、いいじゃない。」

「もうっ!仕方がないわね。それで、何を買ってくるの?」

「これから、メールで送るから。」

「わかったわ。」

「ありがとう。お姉ちゃん、大好き!」

電話を切って、すぐにメールが届いた。

ちょうど、バスもやって来た。


私は途中でバスを降りると、本屋へ向かった。

「えっと……あっ、これか。」

私は、さくらに頼まれた本を購入すると、本屋を出た。

そして、バス停に向かって歩き出したとき、ふと隣のレンタルビデオショップの中を見た。

……えっ?

今のって……

秋山さん?

なんでこんなところに、秋山さんが?

いや、秋山さんだってビデオぐらい見るだろう。

しかし、秋山さんは、このお店の制服を着ていた。

どういうこと?

秋山さんって、小説家じゃなかったの?

私は、頭が混乱してきた。

秋山さんは、若い女性と何か話している。

そして、秋山さんは二階へ上がっていった。

このお店は、一階がレンタルビデオ(DVD)、二階がレンタルCDになっているみたいだ。

いや、今はそんなことはどうでもいい。

さっきの女性が、お店から出てきた。

私は、反射的にその女性に話しかけていた。

「あの、すみません。」

「はい?」

「えっと……」

その女性は、私を不思議そうな目で見ていたが、

「何か、うちの店にご用でしょうか?」と、言った。

どうやら、レンタルビデオショップの店員のようだ。

「あっ、すみません。さっき、男の人と話されてましたよね?」

「えっ?ああ、秋山さんのことですか?」

「秋山太陽さんですよね?」

「ええ、そうですけど。」

「こちらのお店の方ですか?」

「そうですよ。」

「小説家の方ではなくて?」

「えっ?小説家?」

私の言葉に、女性は笑い出した。

「あっ、すみません。秋山さんが小説家だなんて、聞いたこともないです。」

「本当ですか?」

「はい。秋山さんの口から小説の話なんて、一度も聞いたことがないですね。」

どういうこと?

「あの、もうよろしいでしょうか?私、これから高速バスに乗らないといけないので。」

「ああ、すみません。どうもありがとうございました。」

女性は足早に行ってしまった。


私は、その後のことは、よく覚えていないけど、気がついたら家に帰っていた。

「あら、ひまわり、帰ってたの?何を玄関でボーッとしてるのよ?」

「ううん、なんでもない。ただいま。さくらは?」

「さくらは、お風呂よ。」

「そう。」

私にこんなことを頼んでおいて、自分はのんきにお風呂だなんて……

こんなことを考えるのはよそう。

これじゃあ、ただの八つ当たりだ。

「ひまわり、何かあったの?」

「ううん。なんでもない。久しぶりに仕事をしたから、ちょっと疲れただけ。お腹空いちゃった。ごはんは?」

「すぐに準備するわ。」


時刻は深夜3時を過ぎていたが、なかなか寝付けなかった。

どういうことだろう?

レンタルビデオショップにいたのは、間違いなく、秋山さんだった。

秋山さんは、小説家ではなかったのか?

しかし、お店で小説を書いていたはずだけど……

いや、よくよく思い出してみれば、実際に書いてある物を見たわけではない。

書いている途中では見せたくないって言って、見せてくれなかった。

小説を書いているというのは、嘘だから見せてくれなかったのだろうか?

しかし、嘘だとしたら、どうしてそんな嘘をついたのだろうか?

わからない……

……


2016年12月8日


「……わり。いつまで寝てるの!お休みだからって、もうお昼よ!」

「うーん……お母さん?おはよう…今、何時?」

「何が、おはようよ。もう、お昼の2時よ。」

「……えっ!?もう、そんな時間?」

「早く起きなさい。お昼ごはん食べちゃって。」

「うん。すぐに行く。」


私は、急いで着替えを終えると、お昼ごはんを食べた。

お昼ごはんを食べ終えて、なんだかんだやっていると、もう窓の外は真っ暗になっていた。

ひばりに相談してみようかとも思ったけれど、また考えすぎだの、気にしすぎだの言われるだろうから、止めておいた。

また明日も、秋山さんはお店に来るだろうから、そのときに直接聞いてみよう。


2016年12月9日


「いってきます。」

「いってらっしゃい。気をつけてね。」

今日は、とてもいい天気だ。

私の心とは完全に真逆だった。


「おはようございます。」

「ひまわりちゃん、おはよう。どうしたの怖い顔をして。」

「えっ?そんなことないです。普通ですよ。」

「そう?僕の思い違いかなぁ?」

「はい。着替えて、掃除をしてきます。」


私は着替えを終えると、お店の外へ出て掃除を始めた。

どうやら、表情に出てしまっていたみたいだ。

気をつけよう。


「今日も太陽君、来るよね?」

「そうですね。」

「なんか、そっけないね。」

「あくまでも仕事中ですから。公私混同はしないだけです。」

「そう。それは感心だね。」

「おはようございます。」

「おっ、噂をすればだ。」

10時30分の開店時間ぴったりに、秋山さんがやって来た。

「太陽君、いらっしゃい。ちょうど、噂をしていたところだよ。」

「そうなんですか?今日は待ちきれなくて、時間ぴったりに来ちゃいました。」

秋山さんは、笑顔で言った。

「ひまわりさん、おはようございます。」

秋山さんが、さわやかな笑顔を見せる。

「いらっしゃいませ。おはようございます。それでは、こちらのお席へどうぞ。」

私は、秋山さんを、一昨日と同じ席へ案内した。

「ご注文は、お決まりでしょうか?」

「それじゃあ、コーヒーをお願いします。」

「少々お待ちください。」


「お待たせいたしました。」

私はコーヒーカップをテーブルに置いた。

「あっ、ひまわりさん。」

「はい。」

「小説ですけど、昨日だいぶん進みまして、たぶん今日ここで完成できると思います。」

秋山さんは今日もまた、さわやかな笑顔を見せた。

秋山さんはこの笑顔で、私を騙そうとしているのか?

「そうですか。」

「あれっ?反応が薄いですね。」

「そんなことないですよ。」

「一昨日は、もっと読みたがっていたじゃないですか?」

私は、だんだんいらいらしてきた。

「秋山さん……私に、隠していることがありませんか?」

私は、思いきって聞いてしまった。

「えっ?隠していることですか?」

「ちょっと、ひまわりちゃん。どうしたの?」

杉下さんが、たまらず割って入る。

「マスターは、黙っててください!」

私は、杉下さんを怒鳴りつけた。

「あっ、はい。」

杉下さんは、おとなしく引き下がった。

「秋山さん、どうなんですか?」

「えっと……何も思い当たることは、ないですけど。」

しらを切るつもりなのね。

「私……見たんです。」

「何をですか?」

「秋山さん……レンタルビデオショップで働いてますよね?」

「はい。働いてますけど、それが何か?」

あっさり認めたわね。

「いらっしゃいませ。」

杉下さんの声にチラッと振り返ると、長谷川さんがやって来た。

「ひまわり、昨日は、済まんかったな。客が来るのをすっかり忘れとった……ん?なんだ?これは修羅場か?」

長谷川さんも、さすがに戸惑っているみたいだ。

「どうして隠していたんですか?」

「いや、隠してるつもりはなかったんですけど。そういう話題にならなかったから。」

「じゃあ、どうして嘘をついたんですか?」

「嘘?何のことですか?」

「自分は小説家だって、メールに書いていたじゃないですか?」

「えっ!?そんなこと書いてないですよ。僕、小説家じゃないですから。」

「……えっ?で、でも……メールに、今、小説を書いてるって。」

「ああ、そういう意味じゃなくて、今、何をしているかって聞かれたから、ちょうどそのとき小説を書いてるところだったので、今、現在、小説を書いていましたっていう意味ですよ。」

「……えっ?」

どういうこと?

「ちょっと、待ってください。確か、この店にも置いてあったはずです。」

秋山さんはそう言うと、席を立って一冊の雑誌を手に戻ってきた。

「この小説誌の、このページのこれです。」

これは、私にも見覚えがあった。

そのページには、推理小説募集中の広告が載っていた。

「へー。300万円ももらえるんだ。」

横から、杉下さんがのぞき込んで言った。

「まあ、僕は、300万円よりも、小説家になりたいという思いのほうが強いですけど。」

「それじゃあ、秋山さんは……」

「はい。僕は、小説家じゃなくて、小説家を目指している、レンタルビデオショップの店員です。」


「ごめんなさい。ごめんなさい。私、また、秋山さんのことを疑っていました。」

私は、地面にめり込むんじゃないかと思うくらい、頭を下げ続けた。

「ひまわりさん。そんなに謝らないでください。僕のほうこそ悪かったです。最初にちゃんと、言っておくべきでした。」

秋山さんも頭を下げた。

他のお客さんがいなくてよかった。

他にお客さんがいたら、いい笑い者だ。

「ひまわりっ!」

そのとき、一人の女性がお店に駆け込んできた。

「ひまわりっ!落ち着いてっ!はやまらないでっ!」

「ちょっ、ちょっと、ひばり。どうしたの?」

駆け込んできたのは、ひばりだった。

「えっ?どうしたのって……叔父さんが電話をかけてきて、大変だって。」

「大変?何が?」

「ひまわりが、太陽君に殴りかかろうとしているって。」

「なんで私が、秋山さんを殴るのよ。」

「だって叔父さんが、このままだと、お店で事件が起きるって。」

「ちょっと、杉下さん!ひばりに、そんなことを言ったんですか?」

「えっと……そんなこと、言ったかな?」

「叔父さん、言ったじゃない。だから私、自転車をおもいっきりとばしてきたんだから。汗をかいちゃったわ。叔父さん、アイスコーヒーぐらいおごってよ。」

ひばりは、息を切らしながら言った。

「いや、そのときのひまわりちゃん、殴りかかりそうな雰囲気だったから。」

「ええ。僕も殴られるんじゃないかと思って、表面上は冷静に振る舞ってましたけど、心の中ではひやひやしてました。」

「そんな、秋山さんまで。」

私ったら、そんなに怖い顔をしていたのかしら?

「マスター、そういえば、長谷川さんは?」

長谷川さんもいたはずだけど、いつの間にか姿が見えなくなっていた。

「ああ、長谷川さんなら、すぐに帰ったよ。自分が口を挟むことじゃないって言って。」

そうなんだ。

「ひまわり、そんなことよりも、今度はどうしたのよ?どうせまた、ひまわりの勘違いか何かでしょ。」

ひばりが呆れたように言った。

当たっているだけに、言い返せない。

そんな私に代わって、秋山さんが話してくれた。

「やっぱりね。そんなことだと思ったわ。」

「はい、アイスコーヒー。」

杉下さんが、ひばりにアイスコーヒーを持ってきた。

「叔父さん、ありがとう。」

ひばりは、アイスコーヒーを一気に半分くらい飲んだ。

「秋山さん、本当にごめんなさい。」

私は、もう一度、秋山さんに謝った。

「もう、いいですよ。」

「いいえ、良くないわ。ひまわり、ここは誠意を見せるべきよ。」

「誠意?どういうこと?」

ひばりが、また何か思い付いたみたいだ。

「ひまわり、あなた、太陽君とデートをしてきなさい。」

「えっ!?デート?」

「そうよ。」

「どうして、そうなるのよ?」

「ひまわり、あなた、二度も太陽君のことを疑ったのよ。お詫びの意味も込めて、行ってきなさい。」

「そんな……秋山さんの都合も聞かずに迷惑よ。」

私はそう言って、秋山さんの顔を見た。

「太陽君、迷惑?」

「迷惑だなんて、とんでもない。大歓迎ですよ。」

秋山さんは、とても嬉しそうだ。

そうだった。

秋山さんは、私のことが好きなんだから、断るはずがなかった。

「じゃあ、デートの日時を決めちゃいましょう。ひまわり、仕事をしてていいわよ。私と太陽君で決めとくから。」

私は、行くとは言ってないのに。

「ひまわりは、次の休みは日曜日よね?太陽君は?」

「僕は、日曜日は休めないです。」

「そうよね。日曜日に休める仕事じゃないよね。」

「僕の次の休みは、14日ですね。」

「14日といったら、水曜日か。ここのお休みは木曜日だから、合わないわね。」

「だから、無理に合わせる必要はないわよ。」

「ひまわりは、黙ってて。」

えぇ?

私のことなのに……

「太陽君、なんとかならない?」

「急な変更は、無理ですね。正当な理由があればいいですけど、デートでは無理でしょう。」

「ひまわりちゃんが、水曜日に休めばいいじゃないか。」

「叔父さん、いいの?お店は大丈夫なの?」

杉下さんったら、よけいなことを。

「そうだな、ひまわりちゃんの代わりに、手伝ってくれる人がいればね。」

「誰か心当たりがあるの?日曜日に来てる、尾形さん?」

尾形?

誰だろう?

「いや、平日は無理だろう。」

「一人だけ心当たりがある。平日でも、大丈夫っていう人がね。」

杉下さんは、思わせ振りに言った。

「誰よ?」

「あっ、僕わかりました。」

「えっ?太陽君の知ってる人なの?」

「まあ、知ってるといえば知ってますけど、僕よりも杉下さんや、ひまわりさんのほうが知ってる人です。」

「まさか……ひばり?」

「えっ!?私?」

「大正解。」

「ちょっ、ちょっと、叔父さん。どうして私なのよ!」

「だって、ひばり、暇だろう?」

「うっ、それを言われると、返す言葉がないわ……わかったわよ。私が、ひまわりの代わりにやるわよ。」

私の意思とは無関係に、決まってしまったみたいだ。

「それじゃあ、ひまわり。時間は二人で決めなさい。叔父さん、水曜日は何時に来ればいいの?」

「10時くらいかな。」

「わかったわ。それじゃあ、私は帰るから。」

ひばりは、自転車で帰っていった。

「ひまわりさん、どうしますか?ひまわりさんが嫌なら、無理に行かなくてもいいですよ。」

「いえ、行きます。」

「本当ですか?」

「はい。」

ここまで言われて、嫌だとは言えない。

「それじゃあ、場所と時間ですけど……」

「二人とも、それは休憩時間中にやってくれ。」

「マスター、すみません。」

「それじゃあ、小説を書きながら、考えておきます。」


秋山さんの提案で、私たちが初めて出会った、遊園地へ行くことになった。

「それじゃあ、駅で9時に待ち合わせということで。」

「わかりました。9時ですね。」

「それじゃあ、僕はその日まで、ここには来ないので。」

「えっ?そうなんですか?」

「はい。」

「どうしてですか?」

「毎日会ってるよりも、その日久しぶりに会うほうが、楽しいかな……なんて。」

「わかりました。それじゃあ、そうしましょう。」

「なので、今日は少し早いけど、これで帰ります。」

「それじゃあ、水曜日に。」


「お母さんに聞いたんだけど、お姉ちゃんデートに行くの?」

その夜、私は母に、秋山さんとデートに行くことになったことを伝えた。

さくらは、母からそのことを聞いたみたいだ。

「うん。なんか気が付いたら、そういうことになってた。」

「どこに行くの?」

「遊園地。」

「あの遊園地?」

「うん。」

「いつ行くの?」

「来週の水曜日の9時に、駅で待ち合わせ。」

「水曜日って、お姉ちゃん、仕事は?」

「ひばりが、代わりにやってくれることになったの。」

「そうかぁ、水曜日か……ねえねえ、お姉ちゃん。」

「だめよ。」

「ちょっと、まだ何も言ってないでしょ。」

「言わなくても、わかるわよ。ついてこないでよ。」

「どうしても?」

「どうしても!」

「じゃあ、こっそりつけて行くわ。」

「見つけたら、そこでデートを中止して帰るから。」

「わかったわよ。中止になんかされたら、秋山さんがかわいそうだわ。」

「あー、それにしても緊張するわ。」

「5日も前から緊張してるの?」

「5日なんて、すぐよ。」


そして本当に、あっという間に5日がたった。

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