孝太郎

2016年12月6日


「ただいま。」

「あ、お姉ちゃん、おかえりなさい。私も今帰ったところだけど、出かけてたの?」

ちょうど、玄関を上がったところに、さくらがいた。

「うん。ちょっと、ひばりのところにね。」

「ふーん。それで、どうしてそんなにニヤニヤしてるのよ?」

「えっ?そんなことないでしょう?」

私は、普通の顔をしているつもりだ。

「そんなこと、あるわよ。気持ち悪いなぁ。何かいいことでもあったの?」

「べ、別に。いいことなんて、何もないわよ。」

ひばりが、秋山さんと付き合っていると誤解していたけれど、実際に付き合っていたのは、春日さんだったということは黙っておこうか。

「ははーん。これは、男だな。」

「な、な、なんで、そうなるのよ?」

なんか、前にもこんなことがあったような気がする。

「お姉ちゃん、いつもこういう話になると、動揺しすぎでしょ。28にもなって、恥ずかしいの?」

「べ、別に、恥ずかしがってなんか……」

「どうしたの?ひばりさん家で、秋山さんにでも会った?って、そんなわけないか。」

「……」

「まさか、会ったの?」

さくらは、私が黙っているので、肯定したと思ったみたいだ。

「えっ?ううん。会ってない会ってない。秋山さんには会ってないわ。」

「秋山さん『』?にはっていうことは、他の誰かには会ったのね?」

さくらが恐い。

まるで、刑事か探偵に尋問されているような気分だ。

「あら、二人とも帰ってたの?」

玄関に、母がやってきた。

「あっ、お母さん。」

「ひまわり、ひばりちゃんの様子はどうだった?」

「思ったより、元気そうだったよ。」

「そう。それは良かったわね。ごはん、もうちょっとかかるから待っててね。」

母はそう言うと、台所へ戻っていった。

「それじゃあ、私は部屋にいるから。」

私が階段を上がろうとすると、

「ちょっと、お姉ちゃん。まだ話は終わってないでしょ。誰に会ったのよ?」

「誰でもいいでしょ。」

「うーん……秋山さんじゃないとすれば……まさか!春日さん?」

私は、一瞬、階段の途中で止まってしまった。

「図星ね。でも、どうして春日さんが、ひばりさんの家に?なるほど……そういうことか。ひばりさんと春日さん付き合ってるの?」

どうしてわかるんだろう?

やっぱり、さくらはエスパーだわ。


「へー、ひばりさんと春日さん、あの日から付き合ってるんだ。」

さくらは、私の部屋のソファーに座りながら言った。

「そうみたいね。」

「それでどうして、お姉ちゃんがニヤニヤしてたの?」

「だから、ニヤニヤなんてしてないってば。」

「お姉ちゃん、何か隠してるでしょう?」

「隠してない……わよ。」

「……そう、わかったわ。いいわ、ひばりさんに直接聞くから。」

さくらはそう言うと、ピンクのスマートフォンをポケットから取り出した。

「えーっと……夏野は……」

「さくら!ちょっと待って!」

「何よ?」

「わかったわよ。言うわよ。」

ひばりに聞かれたら、またややこしくなるかもしれない。

「最初から、素直に言えばいいのよ。」


私は、今度は、さくらに今までのことを全部話した。

「呆れた。また、そんなくだらないことを考えていたの?」

「くだらないとは何よ。私は、真剣に悩んでたんだから。」

「ふーん。真剣に悩むっていうことは、やっぱり、お姉ちゃんも秋山さんのことが好きなんじゃないの?」

「えっ?そ、そんなことは……」

「お姉ちゃん、最近も秋山さんとメールやってるの?」

「風邪をひいてるから、メールはしないでって。」

「それは、本当に風邪で辛いからしないでってこと?それとも、浮気を疑ってたから?」

浮気って……

「……両方。」

「それで、風邪がなおったっていうメールはしたの?」

「まだ、してないけど。」

「じゃあ、今すぐしなさいよ。」

「今しても、夜にメールが返ってくることは、ほとんどないから。」

「それでもいいじゃない。浮気のくだりは、省いてもいいから。」

そこを省くのは当然だ。

「わかったわよ。」

私はメールを打ち始めた。

『秋山さん、こんばんは。

風邪がなおったので、またメールをお願いします。』

「たった、それだけ?」

さくらが、携帯電話の画面をのぞき込みながら言った。

「ちょっと、見ないでよ。別に、いいでしょ。」

「まあ、いいわ。早く送信すれば。」

「言われなくてもするわよ。」

私は、メールを送信した。


2016年12月7日


「いってきます。」

「いってらっしゃい。」

今日は、いい天気だ。

この時期にしては、気温も暖かい。

案の定、秋山さんからメールの返信はなかった。

まあ、仕事前にはくるだろう。


「杉下さん、おはようございます。」

「ひまわりちゃん、おはよう。もう風邪は大丈夫かい?」

「はい。大丈夫です。ご心配をおかけしました。お葬式に出られなくてすみませんでした。」

「そんなことよりも、僕が送っていけばよかったね。ひばりにも、さんざん言われたよ。」

「いえ、そんなことは。」

「まあ、何はともあれ、また今日からよろしく。」

「はい。よろしくお願いします。それじゃあ、着替えてきます。」


私は、着替える前に携帯電話を見てみたけれど、秋山さんからメールはきてなかった。

いつもなら、きていてもおかしくないんだけれど。

まあ、いいか。

とりあえず、掃除をしないと。


私は着替えを終えると、お店の外に出て掃除を始めた。

「ひまわり!」

突然、誰かに呼ばれた。

呼ばれたほうを振り返ると、

「ひまわり、おはよう!」

長谷川さんが、笑顔で手を振りながらやってきた。

「長谷川さん、おはようございます。」

「臨時休業って、なんかあったのか?てっきり、莫大な借金を抱えて、夜逃げでもしたのかと思ったぞ。」

「そんなわけないですよ。マスターのお姉さんが、土曜日に亡くなったんです。それで、昨日まで臨時休業に。」

「なんと!そんなことが。あいつの姉って、まだ若いんじゃないか?」

「そうですね。50代だとは思いますけど。前から、ご病気だったみたいです。」

「そうか……事故にせよ病気にせよ、大切な人が死ぬのは辛いな。」

「そうですね。」

「それじゃあ、ひまわりも葬式に出たんか?」

「それがですね。土曜日の午後から風邪をひいてしまって、出られなかったんです。」

「何?風邪だと?もう、大丈夫なんか?」

「はい。ご覧の通り、ピンピンしてます。」

「そうか、それならいいが。掃除中に邪魔をしたな。」

「いえ、まだ大丈夫ですよ。」

本当は、大丈夫じゃないけど。

「そうか、それじゃあ、昨日おもしろいことがあってな。」

しまった!

長谷川さんは社交辞令を真に受けて、話し始めてしまった。

「ハッハッハッ!」

長谷川さんは、急に笑い出した。

「いやいや、冗談だ冗談。もう、時間がないんだろう?」

「もうっ!長谷川さんったら。」

「それじゃあ、また後でな。」

長谷川さんはそう言うと、帰っていった。


「マスター、すみません。遅くなりました。」

私がお店の中に戻ると、杉下さんが準備をほとんど終わらせていた。

「すみません。私がやらなきゃいけないのに。」

「大丈夫だよ。長谷川さんも、ひまわりちゃんに久しぶりに会えて、嬉しかったんだろう。」

「あっ、見てたんですか?」

「いや、見てないけれど、だいたいわかるよ。」

まあ、そうだろうな。

「長谷川さん、何だって?」

「ええと。」

正直に言っても、いいだろうか?

「杉下さんが、莫大な借金を抱えて、女の人と逃げたんじゃないかって。」

「なんだそりゃ?」

あれ?

ちょっと違うような気もするけど……

まあ、いいか。

「ちゃんと、杉下さんのお姉さんのお葬式だって、言っておきましたから。」

「そうかい。」

「あっ、昨日ひばりに会いましたけど、思ったより元気そうでしたね。」

「そうそう。ひばりの彼氏を紹介されたよ。春日孝太郎君だっけ?ひまわりちゃんの年下の彼氏の友達だって?」

「そうですけど……っていうか、彼氏というわけでは……」

「ひばりに聞いたけど、メールだけで一度も会ってないんだって?」

「そうです。」

「どうして?」

「どうしてと言われても……あっ、マスター、もう開店時間ですよ。仕事をしましょう。」

「仕事をしましょうって言っても、まだ、お客さんがいないからなぁ。」

確かに、10時30分は過ぎたけど、まだ、お客さんは来なかった。

そんなとき、入り口に人影が見えた。

「ほら、マスター、お客さんですよ。」

お店に入ってきたのは、意外な人物だった。


「いらっしゃいま……えっ!?」

私は、その人の顔を見て、とてもびっくりしてしまった。

「ひまわりさん、おはようございます。」

その人は、私を見付けると、笑顔で話しかけてきた。

「いらっしゃいませ。ひまわりちゃんのお知り合いですか?」

「はい。マスターが、ひばりさんの叔父さんですか?」

「あれ?僕のことも知ってるの?」

「はい。僕の友達が、ひばりさんとお付き合いさせていただいてるので。」

「ああ、春日孝太郎君の?」

「はい。そうです。僕は、秋山太陽といいます。」

その人物は、秋山さんだった。

秋山さんは、右手にカバンを持って、立っていた。

「それじゃあ、君が、ひまわりちゃんの年下の彼氏か。」

「彼氏?ひまわりさんが、そう言ったんですか?」

「ちょっ、ちょっと、秋山さん!どうして、ここにいるんですか?」

私は、あわてて話に割って入った。

「どうしてって、歩いていたら喫茶店が目に入ったので、ちょっと、コーヒーでも飲もうかなって思って。」

秋山さんは、爽やかな笑顔を見せた。

私は、その笑顔に、ちょっとドキッとしてしまった。

「そうなんですか?」

そんな偶然あるだろうか?

「えっと……」

「嘘ですね。」

「ハハ。やっぱり、ひまわりさんには嘘はつけないです。実は、昨日の夕方に孝太郎から連絡がありまして。」

「春日さんから?」

「正確には、孝太郎を介して、ひばりさんからって言ったほうがいいですね。」

やっぱり、ひばりのしわざか。

あのとき、ひばりと春日さんが話していたのは、このことだったのね。

「ひまわりさんが、ここでアルバイトをしてるから、行ってみたらって。ご迷惑でしたか?」

「とんでもない。うちは、お客様を選んだりしませんから。」

杉下さんが、割って入る。

「それじゃあ、ひまわりちゃん、席に案内して。」

「はい。わかりました。」

お客さんなら仕方がない。

追い返すわけにはいかない。

「マスターすみませんが、ここで小説を書かせてもらっても、いいですか?」

「小説?太陽君、小説を書いてるの?」

「はい。」

「どんなの書いてるの?」

杉下さんは、興味津々だ。

まあ、私も興味があるけどね。

「一応、ミステリーを書いてます。」

「ミステリーかぁ。僕も、ミステリーは大好きだよ。そうだな……3時ぐらいまでだったら大丈夫だよ。それ以降は、お客さんがいっぱいになるから。」

「3時ですね。わかりました。僕も、3時ぐらいがちょうどいいです。」

何がちょうどいいんだろう?

「それじゃあ、一番奥のテーブルがいいんじゃないかな?」

「ありがとうございます。」

「それじゃあ、秋山さん。こちらへどうぞ。」

私は、秋山さんを一番奥のテーブル席へ案内した。

「ご注文は、お決まりでしょうか?」

「秋山さんじゃなくて、太陽でいいですよ。僕のほうが年下ですし。」

「えっ?今は仕事中ですし、それに私たち、まだ付き合ってるわけじゃないですよね?」

「そうでしたね。変なことを言って、ごめんなさい。」

「そんな、別に謝る必要は……」

「では、付き合うようになってから、太陽って呼んでください。」

「はい。」

思わず、はいって言ってしまった。

何か、誘導されたような気がしないでもないけど、何故か悪い気分ではなかった。

「それでは、失礼します。」

私が、そのまま戻ろうとすると、

「あっ、ひまわりさん。注文は?」

しまった!

忘れてた。

「大変失礼しました。ご注文は、お決まりでしょうか?」

「ひまわりさん、普段から、おっちょこちょいなんですか?」

「いえ、決してそんなことは……」

「ひまわりさん、顔が赤いですよ。」

「そんなことないです。」

「照れるひまわりさんも、かわいいですね。」

「ちょっ、ちょっと止めてください。」

ちらっと、杉下さんのほうを見ると、杉下さんが口に手を当てて、笑いをこらえている。

「ご注文お願いします。」

「それじゃあ、コーヒーをお願いします。」

「はい。少々お待ちください。」

ふぅ。

朝から変な汗をかいたわ。

「マスター、コーヒーをお願いします。」

「はい。コーヒーね。ひまわりちゃん、今日は楽しそうだね。」

「えっ?そんなことはないですよ。」

「そう?浮かれて、舞い上がってるみたいだけど。」

そんなふうに見えるんだ……

「マスター、私、秋山さんが来たからって、全然浮かれてませんからね。」

「それは、失礼したね。はい、コーヒーお待たせ。」

私は、杉下さんからコーヒーを受け取ると、秋山さんのテーブルへ向かった。

「お待たせしました。」

私は、コーヒーカップをテーブルに置いた。

「ありがとうございます。いい香りですね。他の店とは違いますね。」

「そうなんですか?」

正直、私には、よくわからない。

「そうですそうです。ここのコーヒーは本物ですね。」

「秋山さんって、コーヒーのことが詳しいんですか?」

「まあ、他の店には行かないんで、知らないですけどね。」

「……」

なんだそれ。

「あれっ、ウケると思ったんですけど、おもしろくなかったですか?」

「クスッ。秋山さんっておもしろい人なんですね。」

「笑ってくれましたね。やっぱり笑顔がかわいいですね。」

「ありがとうございます。やっぱメールだけだと、わからないことも多いですね。」

「そうでしょう!すぐにデートをしてくれとは言いませんから、明日からもここで小説を書かせてもらってもいいですか?」

「私は、構いませんけど。マスター、秋山さんがこれからも、ここで小説を書きたいそうなんですけど。」

「3時までならいいよ。」

「ありがとうございます。」

「あっ、でも、毎週木曜日はお休みですよ。」

「木曜日ですか?明日ですね。」

「それと、私は、日曜日も休みだからいないですよ。」

「わかりました。それじゃあ、そろそろ小説を書かせてもらいます。」

秋山さんはそう言うと、カバンの中から白いノートパソコンを取り出した。

「パソコンが入ってたんですね。」

「ええ、僕は、手書きよりも、こっちのほうがいいですね。」

秋山さんは、パソコンの電源を入れた。

「いらっしゃいませ。」

杉下さんの声に振り向くと、長谷川さんが入ってきた。

「あっ、いいですよ。お客さんのほうへ行ってください。」

私は、長谷川さんのほうへ歩み寄った。

「長谷川さん、いらっしゃいませ。」

「ああ。あの若い男は誰だ?ひまわりに、ずいぶんなれなれしくしていたみたいだが。」

「えっ?長谷川さん、見てたんですか?」

どうやら、窓の外から見ていたようだ。

「もしかして……あいつが、例の男か?」

「えっ?」

「そうか、あいつか。よし!ひまわり、わしが言ってやる。」

しまった!

ひばりと秋山さんが付き合っているのは、私の誤解だったっていうことを、長谷川さんに話すのを忘れていた。

「あっ、長谷川さん!」

私が大きな声を出したので、長谷川さんだけではなく、杉下さんと秋山さんもこっちを見ている。

「ひまわりちゃん、どうしたの?」

「あっ、すみません。」

ついつい、大きな声を出してしまった。

「長谷川さん、ちょっといいですか?」

「どうした?心配せんでも、わしがガツンと言ってやるぞ。」

長谷川さんは、今にも殴りかかるんじゃないかと思えた。

「あの……ちょっと言いにくいんですけど……」

「なんだ?まさか、あの男のことはあきらめて、わしに愛の告白か?」

「違いますよ。なんで、そうなるんですか?そうじゃなくて、私の誤解だったんです。」

「誤解?」

「はい。実は、ひばりと秋山さんは付き合っていなくて、ひばりが付き合っていたのは、秋山さんの友達の春日さんという人だったんです。」

「なんだ、そうだったのか。」

長谷川さんは、呆れているというか、ホッとしたというか、微妙な表情を見せた。

「だから、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました。」

「そうか、わしがせっかくガツンと言ってやれると思ったんだが。」

どうやら長谷川さんは、ガツンと言いたくて、仕方がなかったみたいだ。

「ひまわりちゃん、仕事中にお客さんと何をひそひそ話してるの?」

「あっ、マスター、すみません。」

まずいまずい、今は仕事中だった。

「あの若い男が、例のひまわりの彼氏か?って、聞いていただけだ。」

長谷川さんが、助け船を出してくれる。

「例の?例のって、長谷川さん、太陽君のことを知ってるんですか?」

長谷川さんのよけいな一言に、杉下さんが鋭い指摘をした。

「うん?いや……わしは、ひまわりに相談されただけで……」

この、じいさん……いや、長谷川さん、よけいなことを……

「ひまわりちゃん、長谷川さんになにか相談があったの?相談があるんだったら、お客さんじゃなくて、僕にしてくれたらいいのに。」

杉下さんには、できない相談です。

「しまった!今日は11時過ぎに、客が来るんだった。わしは、これで失礼する。」

「えっ!?長谷川さん、帰るんですか?」

「ひまわり、あとは上手くやれよ。」

そう言い残して、長谷川さんは帰っていった。

「長谷川さんは、何をしに来たんだろう?」

私が聞きたい。

「それで、相談って何?」

「えっと……」

隠すよりも、言ってしまったほうが楽かもしれない。

どうせ、ひばりには言ったんだし。

「実は、私……ひばりと秋山さんが付き合ってるって、誤解していたんです。」

「ああ、そのことか。」

「えっ?知ってたんですか?」

「うん。昨日の夜に、ひばりの家に行ったんだよ。そのときに、ひばりに聞いた。」

もうっ!ひばりったら、おしゃべりなんだから。

「どうして、そんなことを思ったの?」

私は、これまでのことを簡単に話した。

「そうか、金曜日の夜に、ひまわりちゃんの様子がおかしかったのは、それが原因か。ひまわりちゃんが帰ったあとで、小笠原さんと、ひまわりちゃんの様子がおかしいって話していたって言っただろう?ひまわりちゃんは、疲れただけって言ってたけど、本当はそれが原因だったんだ。」

「小笠原さんには、よけいなことを言わないでくださいね。」

「わかった。」


時刻は1時を過ぎて、お客さんも減ってきた。

「それじゃあ、ひまわりちゃんは休憩しちゃって。」

「はい。」

「あっ、言わなくてもわかってると思うけど、弁当は奥で食べてね。太陽君のそばにいたいだろうけど、一応他のお客さんの目もあるから。」

確かに、喫茶店でお弁当を食べていたら、目立って仕方がないだろう。

ちなみに、秋山さんは、お店のメニューのサンドイッチを食べている。

「わかりました。でもマスター、私、別に、秋山さんのそばにいたいとか、そんなこと思ってないですから。」

「またまた、無理しちゃって。弁当を食べ終わったら、太陽君のところで休憩しててもいいから。」


私は、奥の部屋に入って、お弁当を食べ始めた。

それにしても、杉下さんは本当に優しい人だ。

普通なら、ここは職場なんだから、公私混同はするなと言って、秋山さんのところで休憩してもいいなんて言わないだろう。


私は、お弁当を食べ終えると、ひばりに電話をかけてみた。

しばらく待ってみたけど、ひばりは出なかった。

ひばりったら、何をしてるのかしら?

仕方がない。

メールでも送っておこうか。

『ひばり、私に内緒で、秋山さんを呼んだりしないでよ。

突然、秋山さんが来るから、びっくりしたじゃない。

それから、杉下さんに、よけいなことを言わないでね。』

送信っと。

それから、しばらく待ってみたけど、返信はなかった。

まあ、いいか。

時計を見ると、もう休憩時間も残り20分くらいしかない。

私は迷ったけど、エプロンを外して、お店の中へ戻った。

お客さんは、秋山さんの他には二人組の若い女性客だけだった。

「遅かったね。」

杉下さんが、笑顔で言った。

「ひばりに電話をかけてたんですけど、出なかったです。」

「そうか。もしかして、孝太郎君と出かけてるのかな?母親が亡くなったばかりなのに、しょうがないやつだな。」

「春日さんって、何をされてるんですか?」

「僕も詳しくは聞いてないんだけど、太陽君に聞いてみれば?」

杉下さんはそう言うと、秋山さんのほうを見た。

それもそうか。

私は、秋山さんのテーブルへ向かった。

「秋山さん、小説のほうはどうですか?」

私は、まずは、小説のことを聞いてみた。

「ああ、ひまわりさん。そうですね……今週中か来週の初めぐらいには、完成させたいですね。」

秋山さんは、チラッと私の顔を見ると、パソコンの画面に視線を戻した。

「間に合いそうですか?」

「このペースなら、大丈夫ですね。」

「ミステリーを書かれてるんですか?」

「はい。学生時代からミステリーが大好きで、どうしてもミステリー作家になりたくて。」

「そうなんですね。ちょっと読ませてもらうことって、できますか?」

「すみません。完成するまでは、あんまり見せたくないんです。他人の感想を聞いたり、反応を見てると、どうしても書き直したくなっちゃって、先に進まなくなっちゃうんですよ。だから、好きな人だからといって、見せるのは……」

「わかりました。無理を言ってごめんなさい。」

「いえいえ、こちらのほうこそすみません。本当は、他人に読んでもらうことも大切なことかもしれないんですけど。」

こんな話をしている間も、秋山さんはパソコンの画面を見つめたまま、小説を書き続けている。

「秋山さん、すごいですね。」

「えっ?何がですか?」

「こうやって、おしゃべりしながらでも、間違えることなくキーボードを打てるんですね。」

「ああ、そうですね。こういう風にしゃべりながらやるのは、初めてなんですけど、意外にできるものですね。」

私には、とてもじゃないけど、できそうもない。

「そうだ、話は変わるんですけど、春日さんのことなんですけど。」

聞くのを忘れるところだった。

「孝太郎が、どうかしましたか?」

「春日さんって、どんな人なんですか?」

「ひばりさんから、聞いてないですか?」

「そういうことは、聞いてないですね。」

「そうですか。孝太郎のお父さんが不動産屋をやっていて、この辺りではけっこう大きな不動産屋なんですけど、孝太郎は最近少しずつ、お父さんの仕事を手伝ったりしてるんですよ。」

「不動産屋さん?」

「ええ、そうです。孝太郎の家は、お金持ちですよ。ゆくゆくは孝太郎が社長になりますから、ひばりさんと結婚したら、ひばりさんは社長夫人ですよ。」

ひばりが不動産屋さんの社長夫人?

まったく想像できないわ。

「っていうことは、僕は社長夫人叔父か。」

急に後ろから、杉下さんの声が聞こえてきた。

「マスター、聞いてたんですか?」

「うん。」

っていうか、社長夫人叔父って何よ。

「すみません。お会計お願いします。」

「はい。少々お待ちください。」

杉下さんは、お客さんに呼ばれて行ってしまった。

「実は、僕が今住んでいるアパートも、孝太郎のところの物件なんですよ。ここだけの話なんですけど、特別に他の部屋の人たちよりも、家賃を少し安くしてもらってるんです。」

「それは、いいですね。」

「内緒ですよ。他の部屋の人たちに聞かれたら、大変なことになりますから。」

秋山さんは、冗談っぽく笑って言った。

「孝太郎は、本当にいいやつですよ。とてもお金持ちで、学校の成績もそれなりに優秀だし、運動もそこそこできるほうだけど、それを鼻にかけるようなところはないですし。」

とても、それなり、そこそこと、下がっていってるような気がするのは、気のせいだろうか?

「心から信頼できる親友ですよ。ひまわりさんと、ひばりさんのような。」

「いつ頃からの親友なんですか?」

「中学生の頃からですね。」

「中学生?それじゃあ、私たちと同じですね。」

「そうですね。やっぱり僕たちって、何かと縁があるんですね。」

「そうかもしれませんね。」

秋山さんの言っていることは、かなり強引な気もするけど、そんな気がした。

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