さくら
2016年12月3日
「……わり。ひまわり。」
うーん。
誰かが呼んでる?
「ひまわり。」
私は、目を覚ました。
「ひまわり、起きてる?」
「お母さん?」
「ひまわり、ご飯食べる?」
「私、寝てた?」
「そうみたいね。」
まだ、頭がくらくらする。
「今、何時?」
「もう、7時40分よ。」
「夜の……だよね?」
「何を言ってるのよ。当たり前じゃない。」
その当たり前じゃないことが、先月あったからね。
「どう?ご飯食べられそう?」
ご飯か……
正直、そういう気分ではないけれど……
そのとき、私のお腹から『グーッ』と、大きな音が鳴り響いた。
「口で返事しなさいよ。」と、母は笑いながら言った。
「もうっ。お母さんったら。」
私は、恥ずかしかったけど、それ以上しゃべる気力がなかった。
「ひまわり、お昼も食べてないでしょう。お弁当が、そのまま残っていたからね。」
言われてみれば、確かにそうだ。
お店を出たのが本来の休憩時間の前だったし、家に帰ってからそのままシャワーを浴びて、そこで倒れてしまったから、朝から半日くらい、お店でコーヒーを飲んだだけで何も食べていない。
「なんか、さっき大きな音がしなかった?」と、言いながら、さくらが部屋に入ってきた。
「ひまわりが、お腹で返事をしただけよ。」
母が隠すこともなく、そう言った。
「ひまわり、おかゆでも作ろうか?」
私は無言でうなずいた。
「それじゃあ、作ったら持ってくるわね。」
母はそう言うと、部屋を出ていった。
「お姉ちゃん、元気?」
さくらがニコニコしながら言った。
明らかに元気ではない人間に向かって、そんなことを聞かないでほしいものだ。
「さくら……これが、元気があるように見える?」
「見えないよ。」
さくらは、普通にそう言った。
じゃあ、聞かないでよね。
「そうだ!夕方に、杉下さんから電話があったよ。」
「さくら……あんまり、大きな声を出さないでよ。頭に響くわ。」
「ごめんごめん!気を付けるわ。」
わかってないわね……
「杉下さんから、メールがきてたから知ってるわ。何か言ってた?」
「うん。私が出たんだけど、ひばりさんのお母さん……もう、助からないだろうって。」
さくらは、目に涙を浮かべながら言った。
「……メールに書いてあったわ。」
「お姉ちゃんが会ったとき、元気そうだったんでしょ?」
私は、無言でうなずいた。
「ひばりさんも、これから大変だね。」
「そうね。」
「それだけ?なんか、そっけないね。」
「そう?そんなことないわよ。」
ひばりには、秋山さんも付いてるし……
「杉下さん、他には何も言ってなかった?」
私は話題を変えた。
「別に、何も言ってなかったと思うけど……あっ、お姉ちゃんが倒れたって、言っておいたからね。」
「倒れたって……そんな大げさな。」
「ちゃんと、お風呂で全裸でひっくり返ってたって、言っておいたから。」
さくらは、満面の笑みを浮かべながら言った。
「ちょっ、ちょっと、さくら。そんなことまで言ったの?」
そんなことまで言わなくてもいいじゃないの……
「杉下さん、想像して、ちょっと喜んでたかなぁ?」
「……」
私は泣きそうになった。
「ちょっ、ちょっと、お姉ちゃん!冗談よ!冗談。そんなことまで言ってないわよ!」
さくらは、私が泣きそうになったのを見て、かなり焦っている。
「もうっ……病人をからかわないでよ。」
「ごめんなさい。だって、お姉ちゃんの反応がかわいくて、からかいがいがあるんだもん。」
さくらも、もうすぐ社会人になるのに、まだまだ子供だわ。
「かわいいなんて言っても、何も出ないわよ。」
「わかってるわよ。」
「……さくら。」
「何?やっぱり、何かくれるの?」
「違うわよ。」
「じゃあ、何?お金なら貸さないわよ。」
「なんで私が、さくらに借金を申し込むのよ。そうじゃなくて、ちょっとお願いがあるんだけど。」
「何?」
「私……トイレに行きたくなっちゃった。」
「行けばいいじゃない。」
「トイレまで支えて行って。」
「えぇ。なんで私が。」
「今、さくらしかいないじゃない。」
私だって、本当は頼みたくない。
「お母さんが来てから、お母さんに頼んでよ。」
「お願い……」
私は、目で訴えかけた。
「もうっ、仕方ないわね。」
「さくら、ありがとう。」
「お礼はいいから、早くしてよ。ここで漏らされたら、私までお母さんに怒られるわ。」
私は、さくらに支えられてトイレへ向かった。
「なんで私が……」
さくらはまだ、ぶつぶつ文句を言っている。
「ありがとう。二階にもトイレがあって良かったわ。」
「お姉ちゃん、自分でできるわよね?」
「当たり前でしょ。」
私はトイレに入った。
「お姉ちゃん、大丈夫?お手伝いしましょーか?」
さくらが、ふざけている。
「うるさいわね。開けたら殺すわよ。」
「なによ、元気じゃない。」
「さくら、トイレの前で何をぶつぶつ言ってるのよ?」
母の声が聞こえた。
「お母さん、遅いよ。私が、お姉ちゃんをトイレまで連れて来ないといけなくなったじゃない。」
さくらが、母に不満を言っているのが聞こえた。
私は、今度は母に支えられて部屋へ戻った。
「ひまわり、遅くなってごめんね。お父さんがパジャマないって騒ぎだすから。」
「うん。大丈夫よ。」
「ひまわり、一人で食べられる?」
「うん。食べられる。」
「それじゃあ、後で取りに来るからね。何かあったら、さくらに言ってね。」
「えぇー。また、トイレに連れて行くの?」
さくらは、やっぱり不満そうだ。
まあ、そうだろう。
私が、さくらの立場だったら、やはり嫌だろう。
「あら。さっきは、私が付いていないと、お姉ちゃんが心配だって言ってたじゃないの。」
「えっと……私、そんなこと言ったかしら?記憶にないわ。ちょっと、私もトイレに行ってくる。」
さくらはそう言うと、そそくさと部屋を出ていった。
「さくらったら、素直じゃないわね。あんなこと言ってるけど、ひまわりのことをいろいろと心配しているのよ。」
「うん。わかってるよ。」
「それじゃあ、お母さん、行くわね。」
母は部屋を出ていった。
本当に、さくらには心配をかけてばかりだわ。
そう……
あのときも……
2013年12月26日
「それじゃあ、ひまわり。お母さん行ってくるからね。さくら、お姉ちゃんをお願いね。」
「うん、わかった。いってらっしゃい。」
母は、涼太の葬儀へ出かけていった。
「お姉ちゃん、具合はどう?」
「……」
私は、話す気力すらなかった。
「お姉ちゃん、聞こえてる?」
「さくら……」
「何?何か、欲しい物があるの?持ってくるよ。」
「静かにしてよ……」
「えっ?」
「静かにしてって言ってるの!!」
私は、大声で怒鳴った……つもりだったけど、その声は弱々しかった。
「お姉ちゃん……」
「もう、私のことは放っといてよ!」
「お姉ちゃん、ちょっと落ち着いてよ。体に悪いわよ。」
「私のせいなのよ!私が、涼太を殺したのよ!」
「お姉ちゃん、誰もそんなこと言ってないじゃない。」
「言わなくてもわかるわよ……涼太の家族は、みんな私を恨んでるわよ!」
「お姉ちゃん、そんなことないから。悪いのは、涼太さんを車ではねた人なんだよ。」
「……みんな口では、そういう風に言うのよ。でも……心の中では、人殺しって思ってるのよ!」
私は、自分でも何を言っているのか、わからなくなっていた。
「お姉ちゃん、考えすぎよ。」
「さくらだって、本当は思ってるんでしょう。私のせいだって!」
「……お姉ちゃん。酷いよ……私、そんなこと、これっぽっちも思ってないわよ!!!!」
私は、さくらがこんなに大声を出すのを初めて聞いた。
「私だけじゃないよ……お母さんだって、お父さんだって、そんなこと思ってないわよ!!」
さくらは、大粒の涙を流しながら叫んだ。
「さくら……」
「もう、お姉ちゃんなんか知らない!好きにすればいいわ!」
さくらはそう言うと、私の部屋を飛び出して行った。
なによ、さくらったら。
私の気持ちもわからないくせに……
さくらが私の部屋から出ていって、30分か40分くらいたっただろうか。
私は少し頭を冷やそうと思い、窓を少しだけ開けた。
あんまり開けると、風邪が悪化するかもしれない。
時間がたち、私は少しずつ冷静になってきた。
冷静になるにつれて、自分を思い切り責めていた。
さくらに酷いことを言ってしまった。
どうして、あんなに酷いことを言ってしまったのか、自分でもわからなかった。
さくらは、私のことを本当に心の底から心配してくれているのに……
私は……
涼太……
涼太……
涼太……
私……
どうしたらいいの?
教えてよ、涼太……
私は、涼太の写真に向かって、問いかけていた。
『ひまわり、そんなこと決まってるだろう。』
えっ?
「涼太?」
私は、涼太の声が聞こえたような気がした。
まさか……
いや、気のせいだろう。
『ひまわり、そんなこと決まってるだろう。』
いや、気のせいじゃない。
『さくらちゃんに、謝るんだよ。』
涼太……
『ひまわりが悪いんだから、早く謝らないと。時間がたてばたつほど、謝りづらくなるぞ。』
涼太……
うん。
わかった。
今すぐ、さくらに謝りに行ってくるわ。
私は部屋を出ると、さくらの部屋へ向かった。
まだ少し体がだるいけれど、歩けないほどではなかった。
私は、さくらの部屋のドアをノックした。
「さくら……いる?」
返事がない。
いないのかしら?
私はドアをそっと開けてみた。
「さくら?」
さくらは、いなかった。
下にいるのかしら?
私はドアを閉めると、階段を下りて一階へ向かった。
「さくら?いないの?」
まさか、腹を立てて出ていったのだろうか?
そのときだった。
二階のほうで、何か声が聞こえたような気がした。
「さくら?」
私は二階へ上がった。
二階へ上がると、私の部屋のドアが開いていた。
あれ?
閉めたと思ったけど?
私は、部屋へ向かって歩き出した。
「えっ?」
私の部屋の中から、誰かの泣き声が聞こえてくる。
ま、まさか……
涼太の幽霊!?
それじゃあ、さっき涼太の声が聞こえたような気がしたのは……
私は、恐る恐る部屋の中をのぞいて見た。
涼太の幽霊だったら怖いけど……
それでも、会いたい。
「えっ?……さくら?」
私の部屋の中で泣いていたのは、紛れもなく、さくらだった。
「さくら、どうしたの?」
私は、さくらに声をかけた。
「お姉……ちゃん?」
振り向いたさくらは、大粒の涙を流していた。
「何をそんなに泣いてるの?」
私は、そんなさくらに驚きつつも、冷静に聞いていた。
「お姉……ちゃん……生きてるの?」
「えっ?」
さくらは大粒の涙を流したまま、私がまったく思ってもみなかったことを言ってきた。
あっ、聞き間違いかな?
起きてるのって言ったのかしら?
たぶん、そうだろう。
「私が起きてるからって、どうしてそんなに泣いてるのよ?」
さくらは、私の言葉など、まったく耳に入っていないようで、涙を拭うこともなく、突然、私に抱き付いてきた。
「ちょっ、ちょっと、さくら。なになに、どうしたのよ?」
「良かった……お姉ちゃん……生きてる……」
さくらは、再び大粒の涙を流しながら、そう繰り返した。
今度は、耳元で聞いたから間違いない。
生きてるって言ったんだ。
私はとりあえず、さくらが落ち着くのを待つことにした。
あっ、しまった。
部屋の窓を開けたままだった。
もう、閉めないと。
しかし、さくらが抱き付いているので動けない。
「ちょっと、さくら。窓を閉めたいんだけど。」
「お姉ちゃん……」
だめだ。
諦めよう。
私は、この時点では、さくらが号泣している原因が、私が閉め忘れた窓のせいだったとは、まったく思ってもみなかったのだった。
「えっ!?自殺?」
私は、さくらの口から聞こえてきた言葉を理解するのに、少し時間がかかった。
また、聞き間違えたのかしら?
いや、さっきも聞き間違えては、なかったわけだけど。
「自殺って……あの自殺?」
どの自殺だよって、つっこまれそうな気もしたが、そう聞き返していた。
「うん。」
さくらはうなずいた。
「どうして、私が自殺なんかするのよ。」
「……だって……お姉ちゃんが、いなかったし……部屋の窓が開いてたから……」
さくらはそう言うと、また泣き出してしまった。
なるほど、そういうことだったのね。
私が、窓を閉め忘れたばかりに。
「さくら……私がそんなことをするはずがないじゃない。」
「うん……ごめんなさい。私が……強く言いすぎたから……」
「さくらは悪くないわよ。私が酷いことを言っちゃったから。謝るのは、私のほうよ。ごめんね。」
私はそう言うと、さくらを抱きしめた。
「でも、さくら、どこにいたの?私、さくらの部屋をのぞいたんだけど。」
いくらなんでも、さくらがいたのなら気付くはずだけど。
「トイレに行ってから、お姉ちゃんの部屋に行った。」
そういうことか。
さくらがトイレに入っている間に、さくらの部屋をのぞいて、それから一階へ下りているときに入れ違いになったんだ。
「さくら、心配かけてごめんね。」
私は、家族から愛されているんだ……
「ただいま。ひまわり、入るわよ。」
母が、涼太の葬儀から帰ってきたみたいだ。
「ひまわり、具合はどう?」
母は私の部屋へ入ってくると、ベッドにもたれかかるように眠っている、さくらに気が付いた。
「どうして、さくらが寝てるの?」
「お母さん、おかえりなさい。さくら、疲れて眠っちゃったみたい。」
「疲れて?」
「うん。」
正しくは、泣き疲れてかな?
「ふーん。」
何があったのか知らない母は、不思議そうに、さくらを見ている。
「ひまわり、ちょっと顔色が良くなってきたんじゃない?」
母は、私の顔を見ながら言った。
「そう?さくらのおかげかな。」
「さくらの?」
「それよりも、涼太の葬儀はどうだったの?」
「えっ?ああ、そうそう、葬儀の前にね。涼太さんをはねた人の、お母さんと弟が来ていたわね。」
「……そうなんだ。」
あれから3年か。
あのときは、こんなに長く引きこもるとは思わなかった。
母が出ていってしばらくたって、さくらが戻ってきた。
「お姉ちゃん、一人で食べられる?私が食べさせてあげようか?」
さくらは、冗談っぽく笑いながら言った。
「うん。それじゃあ、お願いするわ。」
私は、冗談で言ってみた。
「えっ!?」
さくらは、予想外の返事にびっくりしたみたいだ。
「冗談よ冗談。」
「いいわよ。やるわよ。」
「いいってば。」
「私に任せなさい。こういうこと得意だから。」
そんなこと初めて聞いたけど。
「はい。あーんして。」
「あーん……ちょっと、さくら。手が震えてるじゃない。」
「お姉ちゃん、ちょっと黙っててよ。」
いや、しかし。
自分で食べたほうが、明らかに早いんだけど。
さくらは、右手をぷるぷると震わせながら、私におかゆを食べさせて……
「熱っ!」
「あっ、ごめん。」
食べさせてくれない。
「さくら、熱いってば。ちゃんと、口に入れてよ。」
「わかった。私が、こうしてスプーンを持って右手を固定しておくから、お姉ちゃんが……なんとかして。」
「なんとかって何よ。」
できないのなら、できないって言えばいいのに。
「さくら、もういいから。」
「ちょっと待って。ちょっ……お姉ちゃん、そんなに見つめないでよ。よけい緊張するじゃない。」
「何を言ってるのよ。見てないと、食べられないじゃない。さくら、本当にもういいから。」
「そ、そうね。お姉ちゃんがどうしても、嫌だって言うんなら、仕方がないわね。」
仕方がないもなにも、最初からいいって言ってるじゃない。
「ひまわり、味はどうだった?薄すぎたかしら?」
母が戻ってきた。
「あら?まだ食べてないの?」
母は、まだ全然減っていない茶碗のおかゆを見ながら言った。
「うん。ちょっとした邪魔が入ったから……」
「邪魔?」
「たいしたことではないから、気にしないで。」
私は、さくらからスプーンを受け取ると、おかゆを一口、口へ運んだ。
「うん。美味しいよ。」
「そう?それならいいわ。」
まあ、おかゆなんて、こんなものよね。
世の中には、もっと美味しいおかゆもあるんだろうけど。
「それじゃあ、さくら。お姉ちゃんが食べ終わったら、茶碗を持ってきてね。」
「はーい。」
母は再び、部屋を出ていった。
私は、おかゆを食べ終えた。
「お姉ちゃん、もういい?」
「いいわよ。ごちそうさま。」
「それは、お母さんに言ってよ。それじゃあ、持っていくからね。私、そのままお風呂に入っちゃうから。」
さくらはそう言うと、お盆を持って部屋を出ようとした。
「さくら。」
私は、さくらを呼び止めた。
「何?」
さくらは振り向いた。
「……なんでもない。」
「そう。じゃあ、いくわよ。」
さくらは、部屋を出てドアを閉めた。
「さくら、ありがとう。」
あれから、ひばりからも杉下さんからも連絡はなかった。
時計を見ると、もう11時を過ぎたところだ。
今日は、もう連絡はこないだろう。
私は寝る前に、熱をはかってみた。
「38度か……」
もう寝ようかと思って電気を消したとき、携帯電話からメールの着信音が鳴った。
杉下さんかな?
携帯電話を手に取りメールを開くと、やはり杉下さんからだった。
私は、電気をつけて杉下さんからのメールを読み始めた。
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