叫び

2016年11月16日


私は目を覚ました。

枕元の目覚まし時計を見ると、まだ午前6時30分だった。

外はもう明るくなってきている。

昨日は、何故ムキになってしまったのだろうか?

自分でも、よくわからなかった……

さくらは、まだ家にいるだろう。

私はベッドを出ると、階段を下りて台所へ向かった。


「お父さん、おはよう。」

階段を下りたところに、ちょうど家を出ようとしていた父がいた。

「ひまわり、おはよう。珍しく早いな。」

「うん、ちょっとね。お父さんこそ今日は早いんじゃない。」

父は、いつもは7時30分頃に出勤している。

「今日は7時から会議があるんだ。」

「お父さん、会議に出るくらい偉いんだ。」

「こう見えても、お父さんそこそこ偉いんだぞ。」

父は、ちょっと胸を張ってみせた。

「さくらは、まだいるでしょう?」

「ああ、いるぞ。なんだケンカでもしたのか?」

「ううん、そういうわけじゃないけど。」

「そうか、まあケンカするのも仲が良い証拠だ。」

「だから、そんなんじゃないってば。」

「おっと、こうしちゃいられない。行ってくる。」

「いってらっしゃい。」

父は、私に手を振ると出勤していった。


私が台所へ入ると、さくらが朝食を食べているところだった。

「あれ?お姉ちゃん、おはよう。こんなに早くどうしたの?」

「ひまわり、おはよう。ひまわりも、もう食べる?」

「おはよう、うん食べるわ。」

私は、さくらの隣に座った。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

「うん……昨日のことが気になって。」

「昨日?何かあったっけ。」

さくらは、食べる手を止めて聞いた。

「ごめんなさい、なんかムキになっちゃって。」

「ああ、そんなことか。私、別に気にしてないから。」

さくらは、本当に気にしていないみたいだ。

「そう?良かった。」

私はホッとした。

「まあ、ちょっとびっくりしたけどね。」

「ごめんなさい、でも、私もどうしてあんなにムキになったのかわからないの。」

「なんの話?」

私たちの話を聞いていた母が割り込んできた。

私は昨日のことを母に話した。

「ふーん。そういうことなの。」

「お姉ちゃんがムキになるから、びっくりしちゃった。」

「私も、どうしてかわからないの。」

「うーん、たぶんね。ひまわりは、その秋山太陽さんという人のことを好きになってるのよ。」

「えっ!?私が?」

私は母の言葉に戸惑った。

「だから、さくらが秋山太陽さんのことを嘘つき呼ばわりしたのが、許せなかったのよ。」

「私、別に嘘つき呼ばわりした覚えはないけど……」

さくらは少し不満顔だ。

「私、ちょっと部屋に戻るね。」

「えっ、お姉ちゃん、ご飯は?」

「後で食べる。」

私は立ち上がると部屋へ戻った。


私は部屋へ戻るとベッドに横になり、目を閉じながら母の言葉を思い出した。

私は本当に秋山さんのことが好きなのだろうか?

私は遊園地での出会いを思い返していた。

秋山さんに『かわいい』と言われたことは、確かに嬉しかった。

笑顔が素敵だとも思ったけれど……

まだ一日しかメールのやり取りをしていないけど、楽しかったのも事実だ。

私は複雑な気持ちだった。

このまま、涼太のことを忘れていくんだろうか?


「うーん……」

えっ?

私、寝てた?

目覚まし時計を見ると、10時を過ぎていた。

また眠ってしまった。

最近、いつの間にか寝ていたということが多い。

ふと携帯電話に目をやると、メールがきている。

秋山さんだろうか?

『ひまわりさん、おはようございます。

今日もいい天気ですね。

僕は、これから朝食です。

その後は、今日も小説の執筆です。

まあ執筆といってもパソコンですけど(笑)』

やっぱり秋山さんだった。

今日も小説を書くということは、やっぱり小説家なんだろう。

本当に小説家ですか?

なんて聞くのは失礼だろう。

「返信しなきゃ。」

私は本当に小説家なのかどうか聞くことはせずに、メールのやり取りを二週間ほど続けた。

その二週間でわかったことは、夕方以降にメールがくることは、ほとんどなくて、だいたい午前10時頃から午後4時ぐらいに集中していた。

そして、1通もメールがこない日もあったが、そういう日があったことで続けられたような気がする。

この二週間、私は徐々に外に出かけるようになってきた。

先週の土曜日には久しぶりに家族四人で外出した。


2016年11月26日


「お母さーん!早く!」

さくらが車の後部座席の窓から顔を出し、母を呼ぶ。

「ちょっと、さくら、雨が降ってるんだから窓を開けないでよ。」

「これくらい大したことはないわよ、お姉ちゃん。」

一時間ほど前から降りだした雨は、11時30分を過ぎて少し小降りになってきた。

昨日の夜さくらが、

「久しぶりに明日レストランに行かない?」と、言ったので、今日は家族でレストランに昼食を食べに行くことになっている。

「ごめんごめん、お待たせ。」

「お母さん、遅いよ。」

「さくら、少し静かにしてよ。レストランは逃げないわよ。」

「お姉ちゃんが静かすぎるのよ。」

もうっ!、ああいえばこういうんだから。

「それじゃあ出発するぞ。」

父が車を出そうとすると、

「あっ!お父さん、ちょっと待って。」

「さくら、どうした?」

父は車を止めた。

「ハンカチ持ってくるの忘れた。お母さん、カギ貸して。」

「お母さんが持ってるわよ。」

「私のがいいの。」

けっきょく、一番せっかちな者が一番遅くなるということか。


「私はハンバーグとライス、それとドリンクバー。」

「お母さんは海鮮丼にしようかな。」

「それじゃあ、お父さんはカツ丼で。」

「お姉ちゃんは?」

「うーん、じゃあ私はハンバーグとドリンクバー。」

「ちょっと、お姉ちゃん、真似しないでよ。」

同じメニューを頼んではいけないという決まりは、なかったはずだけど。

「私はライスは頼んでないわよ。」

「ジュース入れてこよう。」

さくらはジュースを入れに行った。

「私も入れてこよう。」

私も席を立った。

「さくら、そんなに入れたらこぼれるわよ。」

さくらは、オレンジジュースをコップのふちギリギリまで入れている。

「大丈夫よ。私のバランス感覚は神業かみわざよ。」

さくらは、そう言うとクルリとその場で一回転してみせた。

「あっ!」

案のじょうジュースをこぼしてしまった。

「だから言ったじゃない。」

「お姉ちゃんがよけいなことをさせるからでしょ。」

えっ!?私のせいなの?

だいたい、大学生のやることではないだろう。

「さくらが勝手にやったんじゃない。」

私たちの騒ぎを他の客たちが見ている。

「あなたたち何をやっているの!他の人たちに迷惑でしょ。もう、二人とも子供じゃないんだから。」

母は、とても恥ずかしそうだ。

「お姉ちゃんが。」

「さくらが。」

さくらと私が同時に言った。

「大丈夫ですか?」

そこへタオルを持って若い男性店員がやってきた。

「あっ、大丈夫です。服にはかかってないんで。ごめんなさい。」

さくらったら、店員さんには素直に謝るのね。

「そちらは大丈夫ですか?」

店員さんが笑顔で私にも聞いてきた。

「えっ?私ですか?は、はい、大丈夫です。」

私たちは席へ戻った。

「お姉ちゃん、さっきの店員さんに見つめられて照れてたでしょう?」

「バカね。そんなことないわよ。」

「そっか、お姉ちゃんには、太陽さんがいるもんね。」

「みんな、お父さんをほっといて楽しそうだな。」

父が笑いながら言った。

「お父さん、笑い事じゃないわよ。さくらったら、私のせいにするのよ。」

「だって、お姉ちゃんが何も言わなければ、私だってあんなことしなかったわよ。」

「言ったからって普通やらないでしょ。ねえ、お父さん。」

「ちょっと、お姉ちゃん。お父さんは関係ないでしょ。」

「……」

「お父さん?」

父は何故か、ずっと黙ったまま私を見つめている。

「ひまわり……ひまわりが元気になってくれて、お父さん嬉しいよ。」

「お母さんも嬉しいわよ。」

「お父さん……お母さん……」

「お姉ちゃんストップ。」

突然、さくらが話に割って入った。

「な、何よ、さくら。」

「お姉ちゃん、こんなところで泣かないでよ。」

「泣いてないでしょ。」

「最近のお姉ちゃんのパターンからいうと、泣き出して、お父さんをギュッと抱きしめるんでしょ。」

「えっ?そうなのか?」

父は何故か嬉しそうだ。

「お姉ちゃん、この頃、情緒不安定なのよ。」

「ちょっと、どういう意味よ。」

私はジロッと、さくらをにらんだ。

「そのままの意味よ。情緒が不安定なの。」

「私がお父さんに、抱きつくわけないでしょ。」

「えっ?そっち?」

情緒不安定については、多少は自覚がある。

「あれっ?お父さんどうしたの?」

父は何故か悲しそうだ。

「お待たせしました。」

料理が運ばれてきた。

「さあ、食べよう。」

みんな料理を食べ始めた。

「美味しい!」

さくらは美味しい料理に、ご満悦のようだ。

本当に子供ね。

「ひまわり、最近はどうなんだ?」

父は食事の手を止めて、私に聞いた。

「うん。さくらとひばりのおかげで、少しずつ出かけるようにしてるわ。」

「そうか。こんなことを言うのもなんだが、どんどん外へ出ていけば、また新しい出会いがあるかもしれないぞ。」

父は笑顔で言った。

「もう、あったよね。」

さくらが、ボソッとつぶやいた。

「ちょっと、さくら!」

「うん?さくら、何か言ったか?」

「何も言ってないわよ。ねっ、さくら。」

「お姉ちゃん、いいじゃない言っても。」

「ま、まさか、お父さんの知らないうちに、にんし……」

「お父さん。」

母が父をにらみつけた。

「ちょっ、ちょっと、お父さん。何を言ってるのよ!」

今、妊娠って言おうとしたでしょう。

「お姉ちゃんね。私とひばりさんとで遊園地に行ったときに、ちょっとした出会いが会ったのよ。」

あぁ、言っちゃった。

こうなったら仕方ない。

「お母さんには話したんだけど……」

私は、秋山さんとの出会いを話した。

「そうか、そんなことがあったのか。それで、その秋山君とは付き合うのか?」

「まだ、わからないわ。」

「付き合うんだったら、お父さんにも紹介して。」

「うん。」


「そろそろ帰ろうか。」

「じゃあ、お母さん払ってくるわ。」

「お父さん先に車に乗ってるぞ。」

父は先に出ていった。

私も外へ出ようとしたとき、ふとレジ横で売られているキーホルダーに目が止まった。

「何?お姉ちゃん、キーホルダーなんか欲しいの?」

「そういうわけじゃないけど……」

「あっ、涼太さんの?」

「うん。」

あのキーホルダー、どこへいったんだろう?

誰かが拾って持っているのかしら?

まさかね。

「ひまわり、さくら、帰るわよ。」


「雨が強くなってきたね。」

さくらは車の窓の外を見ながら言った。

「そうね。」

私も窓の外を見た。

雨は、どんどん強くなってきている。

「あれっ?」

「お姉ちゃん、どうかしたの?」

「ううん。なんでもないわ。」

雨で、よくわからなかったけど、ひばりが歩いていたような気がする。

傘をさしていたので、はっきりとはわからないけど、男の人と歩いていたような……

秋山さん?

そんなわけないか。

まあ、気のせいだろう。


2016年12月1日


今日も秋山さんにメールを返信しようとしたとき、携帯電話が鳴った。

一瞬、秋山さんかと思ったけれど、電話番号は教えていないはずだ。

「なんだ、ひばりか。」

携帯電話の画面には、夏野ひばりと表示されている。

「もしもし、ひばり?どうしたの?」

「ひまわり、おはよう!」

ひばりは今日も朝から元気いっぱいだ。

「おはよう。」

「ひまわり、太陽君とはどうなの?報告しなさいって言ったのに、まったく連絡してこないんだから。」

「えっ?どうなのって、メールのやり取りをしただけよ。っていうか、太陽ってなによ。」

こんなことを聞くために電話をしてきたのかしら?

「私たちより年下なんだから、君でいいじゃない。まあいいわ、今日はこのことで電話したんじゃないわ。」

「じゃあ、なんなの?」

「ひまわり、アルバイトしてみる気はない?」

「アルバイト?」

「うん。私の叔父さん、お母さんの弟なんだけど、その叔父さんがね喫茶店をやってるんだけど。従業員を一人雇っていたんだけど、その人が急に辞めることになっちゃって。ひまわり、どう?やってみない?」

「どうして私なのよ。ひばりの叔父さんなら、ひばりがやればいいじゃない。」

「まあ、そうなんだけど。私は、お母さんのことで忙しいし、それに恥ずかしいから。」

「恥ずかしいって、どういうこと?」

「気にしないで。個人的なことだから……」

「そうなの?」

まさか、変なお店じゃないよね。

「それで、お母さんの調子はどうなの?」

「最近は、いいわよ。」

「そう、良かったわ。」

「ひまわり、お願い。」

「うーん……」

「どうせ、毎日メールのやり取りをするだけで暇でしょ?」

「まあ、そうだけど。」

「じゃあ決まりね。」

「ちょっと待ってよ!私、まだやるなんて一言も言ってないでしょ。」

ひばりは、いつも強引なんだから。

「いいじゃない。」

「ちょっと待って、まずはお母さんに相談して、あ、あと、お父さんとさくらにも……」

私は何を言っているんだ……

「28歳にもなって何を言ってるのよ。相談してみなさいよ、みんな喜ぶわよ。」

まあ、そうだろう。

「……」

「もしもし?ひまわり聞いてる?ひまわりさーん、聞いてますかー!」

「うるさいわね。聞いてるわよ。」

「そうか!アルバイトが嫌なのね。正社員にしてもらえるように、叔父さんに頼んであげようか?」

「まあ、アルバイトよりは正社員のほうが嬉しいけど。」

「えっ?あ、ああ、そうね。どうしよう……」

おそらく、ひばりは冗談で言ったんだろうが、私が真面目に返したので困っているようだ。

「と、とにかく、やるの?やらないの?どっちよ。」

「わかったわよ。やるわ。」

まあ、私もこのままではいけないし。

「本当に?」

「ひばりの頼みじゃ断れないじゃない。」

「ありがとう、ひまわり。それでこそ親友ね。」

「本当に、そう思ってるの?」

「思ってるわよ。」

まあ、わかってるけどね。

「それで、どうすればいいの?」

「それじゃあ、さっそくで悪いんだけど。」

さっそく?

「ひまわり、今から出てこれない?」

「えっ?今すぐに?」

時計を見ると、10時30分を過ぎたところだ。

「うん。毎週木曜日は、お店はお休みなんだけど、今日ひまわりを連れて行くって言ってあるから、叔父さんも、そろそろお店に行ってるはずだから。」

私がもし断っていたら、どうしたのかしら。

「わかったわ。それでどこへ行けばいいの?」

「私の家の近くのバス停、覚えてるでしょ?」

「うん。覚えてるわ。」

中学生や高校生の頃に何度か行ったことがある。

「その次のバス停で降りて。詳しい場所は地図の写真をメールで送るから。」

「それじゃあ、今から行くわ。」

「うん。私も先に行って待ってるから。あっ、正社員の件、叔父さんに頼んでみるから。」

「頼まなくてもいいわよ。」

「夏野ひばりに二言にごんはないわよ。」

ひばりは、そう言うと、電話を切った。

「はぁ。」

私は、ため息をついた。

やると言ってしまったからには、やらないわけにはいかない。

ひばりからのメールがきた。

バス停のすぐ近くね。

お店の名前は、

「ひばり?」

なるほど。

自分の名前と同じだから恥ずかしいのね。

着替えて出かけよう。

どんな服装で行けばいいのかしら?

まあ、今日は仕事をするわけではないから、適当でいいか。


着替えを終えて一階へ下りると、母が掃除機をかけていた。

「ひまわり、どこか出かけるの?」

母は掃除機を止めると、私に聞いた。

「お母さん、さっき、ひばりから電話があって、突然なんだけど私アルバイトをすることになったの。」

「アルバイト?」

「うん。ひばりの叔父さんが喫茶店をやっていて、従業員が辞めちゃったから私にやってほしいって。」

「それで、やることにしたの?」

「うん。」

「わかったわ。」

母は、とても嬉しそうだ。

「それで、ひばりが今すぐにお店に来てっていうことだから、ちょっと今から行ってくるね。」

「今から?」

「毎週木曜日はお休みみたいなんだけど、叔父さんに会わせたいって。だから行ってくるね。」

「いってらっしゃい。」

「いってきます。」


今日もいい天気だ。

遊園地へ行ったのはたった二週間前だけど、もうすぐ10月も終わりが近づいて、だんだん寒くなってきた。

ちょうどバスがやってきた。

私はバスに乗ると、喫茶店へ向かった。


「えっと。地図でいったら、この辺りかな?」

バス停から少し歩いたところに、『ひばり』という看板が見えてきた。

「ここか。」

意外といったら失礼だが、思っていたよりも、おしゃれな外観だ。

建物自体も、まだ新しいようだ。

駐車場は10台分ある。

私が大学生だった頃には、ひばりの叔父さんが喫茶店をやっているなんてことは、聞いたことがなかった。

ということは、築5年以内か。

私が、お店を眺めているとブラインドが開いて、ひばりが手を振っている。

ひばりの隣にいるのが、叔父さんだろう。

私が手を振り返すと、ひばりが踊っている……と、思ったが、どうやら、こっちはカギがかかっているから、裏口にまわってくれというジェスチャーのようだ。

私は、お店の裏へまわった。

黒い乗用車が1台停まっている。

おそらく、ひばりの叔父さんの車だろう。

「ここかしら?」

私はドアを開けると、裏口から中へ入った。

「ひまわり、よく来てくれたわね。」

ひばりが笑顔で出迎えてくれる。

「ひばり、突然こんな電話してくるなんて、びっくりしたじゃない。」

「ごめん、ひまわり。他に、いい人が見つからなくて。」

「まあ、やると決めたからにはやるわよ。」

「ありがとう、ひまわり。叔父さんに紹介するわ。」


私は店内に入ると、中を見渡した。

カウンター席が5席に四人がけのテーブル席が二つ、二人がけのテーブル席が四つで合計21席か。

この前行った喫茶店と比べると狭いわね。

「ひまわり、ちょっと待ってて、叔父さんトイレに入ってるから。」

ひばりは、そう言うとトイレのドアをノックした。

「叔父さん!ひまわりが来たよ!」

「ちょっと待って。今、出るから。」

「ひまわり、ごめんね。ちょっと待ってて。」

「ひばり、このお店って、いつからやってるの?私、全然知らなかったんだけど。」

私は、お店に着いたとき最初に思った疑問を聞いてみた。

「ここ?まだ2年くらいかな。」

「やっぱり、まだ新しいんだ。お店の名前って、ひばりの名前からよね?」

「私も、びっくりしたわよ。お店の名前が、ひばりって聞いたときは。叔父さん、喫茶店を始めようと思ったときから、ひばりって付けようと思ってたんだって。ちょっとキモいでしょう。」

ひばりがトイレを両手で指差しながら言ったと同時に、トイレから人が出てきた。

「なんだ、人を指差すなよ。」

「あっ!叔父さん。」

この人が、ひばりの叔父さんか。

「どうせ、僕の悪口を言ってたんだろう。」

「わ、私が、そんなことを言うわけがないでしょう。」

言ったじゃない。

「ふーん。まあ、いいか。」

ひばりの叔父さんは納得したみたいだ。

「ひまわり、この人が私の叔父さんの杉下敏之すぎしたとしゆきさん。」

「初めまして。ひばりの友達の冬野ひまわりです。」

「こんにちは。ひばりの叔父の杉下敏之です。45歳のキモい独身です。」

「叔父さん、聞こえてるじゃない。」

ひばりの叔父さん、杉下敏之さんは、身長がひばりと同じくらいで、男性としては小柄なほうだ。

しかし、がっちりとした体型で力はありそうだ。

「叔父さん、独身アピールなんかしたって無駄よ。ひまわりには、ちゃんと相手がいるんだからね。」

「別に、アピールなんかしてないから。」

「ちょっ、ちょっと、ひばり。私、秋山さんとまだ付き合ってるわけじゃないから。」

「はいはい。まだっていうことは、これから付き合うのね。」

「もうっ!ひばりったら、揚げ足を取らないでよ!」

「相変わらず二人とも仲が良いんだな。」

「えっ?」

私とひばりは同時に言うと、杉下さんのほうを見た。

「叔父さん、相変わらずってどういうこと?ひまわりのこと知ってたっけ?」

ひばりは不思議そうに聞いた。

「なんだ、ひばり、覚えてないのか?ひばりが中学生の頃、ひばりの家で一度だけ会ったじゃないか。」

「ごめん、叔父さん。全然、覚えてないわ。ひまわり覚えてる?」

ひばりは全然覚えていないみたいだ。

「えっ?私?えーと……」

「あれは、夏休みの頃だったかな。僕がひばりの家に行ったとき、ひまわりちゃんが遊びに来てて、僕と三人でテレビゲームをやったじゃないか。」

「あっ!あの時の!」

思い出した。

「確か三人で、テレビゲームのスゴロクのゲームでしたっけ?やりましたよね。」

「そうそう、君たち二人で僕をボコボコに攻撃してきたよね。覚えていてくれて嬉しいよ。それに引き換え、ひばりは……」

「全然、覚えてないわ。っていうか、叔父さん。ひまわりのことを知っているんだったら、最初に言ってよね。」

ひばりは、杉下さんに文句を言った。

「ひばりも覚えてると思ってたんだよ。」

「悪かったわね、覚えてなくて。どうせ、私は記憶力が悪いですよ。」

ひばりが、いじけてしまった。

「うん。それじゃあ、仕事の話をしちゃおうか。」

そんなひばりを無視して、杉下さんは仕事の話を始めた。

「まあ、仕事といっても、そんなに難しいことじゃないから。」

「はい。」

「お客さんが来たら席に案内して、それから注文を取って。飲み物は僕が入れるから。」

「わかりました。」

「それから…………」


私は、杉下さんから一通りの説明を受けた。

「営業時間は午前10時30分から午後7時までだけど、勤務時間は10時には来てくれるかな?」

「10時ですね。わかりました。」

「うん。店の外の掃除をしたり、開店の準備とかいろいろあるからね。」

「はい。」

「それで終わるのは6時まででいいから。6時過ぎには、あんまりお客さん来ないから。」

「10時から6時までですね。」

「うん。でも忙しいときは、7時までやれるかな?」

「大丈夫です。」

「まあ、そんなに忙しいことは、あんまりないけどね。週末に、時々ちょっと忙しくなることがあるくらいだから。」

「はい。わかりました。」

「時給は850円だけど、いいかな?」

ひばりが両手をあわせて、申し訳ないというふうに私を見ている。

どうやら、本当に正社員でと頼んでくれたのだろう。

「はい。わかりました。」

「それから、休憩時間は1時間だから。」

「はい。」

「それと、休みなんだけど。毎週木曜日は、お店が休みだからね。それと、日曜日は、他に手伝ってくれる人がいるから、日曜日も休みで。連休にならなくて申し訳ないけど。」

「いえ。全然、大丈夫です。」

日曜日は休めないだろうと思っていたけど、休めるんだ。

他に手伝ってくれる人って誰だろう?

「ひまわりちゃん表情が固いよ。そんなに緊張しなくてもいいからね。」

そう言われても、こういう仕事は初めてだから緊張するだろう。

「そうだ!叔父さん。」

私たちの話をカウンター席に座って聞いていたひばりが、突然、口を挟んだ。

「どうした、ひばり。」

「今、ちょっとだけ練習してみたらいいんじゃない?」

「練習か、そうだな。ひまわりちゃん、ちょっとやってみようか。」

「わかりました。」

事前にやっておいたほうが、私としても助かる。

「それじゃあ私が、お客さんの役をするから、ひまわりが接客してね。」

「わかったわ。」


「あー、喉が渇いたなー。どこかで、お茶を飲めないかしらー?」

えっ?そんなことからやるの?

「ちょっと、ひばり。ふざけてないで、真面目にやってよ。」

「お客さんに口答えしないでよ。はい、イエローカード。もう一枚で退場よ。」

「なによ、それ。」

「あー、喉が渇いたなー。どこかで、お茶を飲めないかしらー?」

最初からやるの!?

どうせやるんだったら、そんな棒読みじゃなくて、ちゃんとやってほしいわ。

「あっ!こんなところに喫茶店があるわ!ひばりって、とても素敵な名前ねー。きっと、ひばりっていう、とってもとってもかわいい女の子の名前から取ったのねー。」

「ひばり、そんなことはどうでもいいから、早くしてくれ。ひまわりちゃんが困ってるじゃないか。」

杉下さんが、たまらず口を挟む。

「はいはい。わかったわよ。」

ひばりは、ちょっと不満そうだ。

「じゃあ、いくわよ。」


「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

「どう見たって一人でしょ。」

「ひばり!」

杉下さんが、ひばりを叱る。

「冗談よ冗談。はい、一人です。」

「テーブル席とカウンター席がございますが?」

「じゃあ、テーブル席で。」

「では、こちらへどうぞ。」

私は、ひばりをテーブル席へ案内した。

「ご注文はお決まりですか?」

「とりあえずビールで…冗談よ。カフェオレを。」

ひばりは、まだボケ続ける。

「はい。カフェオレを一つですね。しばらくお待ちください。」

「杉下さん。カフェオレを一つです。」

「あっ、仕事中はマスターって呼んで。」

やっぱり、喫茶店といえばマスターだよね。

「はい。マスター、カフェオレを一つです。」

でも、どうしてマスターっていうんだろう?

「今は入れられないから、この空のカップを持っていって。」

「はい。」

「えー!叔父さん、入れてよ。」

ひばりは不満そうだ。

「ダメダメ、何も準備してないんだから。」

「ケチ!」

「お待たせしました。カフェオレです。」

私は空のカップと伝票をひばりの前に置いた。

「ゴクゴクゴク。」と、ひばりは飲むふりをする。

「ごちそうさまでした。お会計をお願いします。」

「しばらくは、レジも僕がやるから。ひまわりちゃんには、慣れてきたら教えるから。」

「はい。」

「まあ、とりあえずこんなところかな。そんな感じでやってくれたらいいから。」

「わかりました。」

「この仕事は楽しいよ。いろんな人との出会いもあるし。」


「もう、お昼だな。二人ともどうする?何か食べに行くか?」

時計を見ると12時を過ぎていた。

「叔父さん、私は帰るわ。お母さんが心配だから。」

「そうか。じゃあ、僕も帰るか。ひまわりちゃんも僕と二人っきりじゃあ嫌だろう。」

「えっ、別に嫌なんてことは…」

「いいよいいよ。年下の彼氏に怒られちゃう。」

「私、彼氏なんて……」

「そうだ!ひまわり、家に寄ってかない?」

「えっ?ひばりの家に?」

「うん。家でお昼食べていけばいいわよ。お母さんも喜ぶわ。」

「そう?じゃあ、行くわ。」

ひばりの家に行くなんて、10年ぶりくらいかしら?

「叔父さん、車で家まで送ってよ。」

「ああ、いいよ。」

「それじゃあ、行きましょう。」


「叔父さん、ありがとう。」

「杉下さん、ありがとうございました。」

私たちはマンションの前で車を降りた。

「ひまわりちゃん、それじゃあ明日は10時にね。」

「はい。わかりました。」

「それじゃあ、ひばり、姉さんによろしく。」

「叔父さんも寄っていけば?」

「いや、僕はいいよ。それじゃあまたな。」

そう言うと、杉下さんは帰っていった。

「ひまわり、家に来るの久しぶりでしょう。」

「もう、10年くらいかな。」

「何階か覚えてる?」

「覚えてるわよ。603号室でしょ。」

私はマンションを見上げながら言った。

8階建てのマンションの6階603号室が、ひばりたち夏野家の家だ。

「さすが、よく覚えてるわね。」

私たちはマンションに入ると、エレベーターのボタンを押した。

「ひまわり、中学生の頃はエレベーターのボタンを押すのが好きだったよね。」

「ふふっ、そんなこともあったわね。」

あの頃は、私も子供だったわね。

「そうだ、杉下さんって、どういう人なの?」

私はエレベーターに乗ると、ひばりに聞いた。

「叔父さん?叔父さんはね。ああ見えて元々は一流企業に勤めていて、出世してたんだけど、昔からの夢だった喫茶店経営をやりたくて、2年前に退職して今のお店を始めたの。叔父さん独身だし、お金は結構貯めてるみたいね。」

私たちはエレベーターを降りると603号室へ向かった。

「さあ、入って。」

「おじゃまします。」

「お母さーん、ひまわりが来たわよ。」

ひばりが玄関から母を呼んだが返事はない。

「何をしてるのかしら?」

ひばりは奥のほうへ入っていった。

私も靴を脱いで玄関を上がった。

懐かしいな、あの頃とあんまり変わってない。

「お母さん?お母さん!どうしたの!」

突然、ひばりの叫び声が聞こえた。

「ひばり、何かあったの?」

ただごとではないと感じた私は、急いで奥へ入っていった。

「ひばり……」

そこには、一人の女性がうつ伏せに倒れていた。

「お母さん!!」

それは、ひばりの母だった。

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