不安

2016年11月14日


「えっ!?あの人に、私のメールアドレスを教えたの?」

私は、思わず大声を出してしまった。

「ちょっと、お姉ちゃん、声が大きいよ。他の乗客に迷惑だよ。」

他の乗客が、こちらをチラッと見た。

私たちは、電車に乗っていた。

午後5時を過ぎて、帰宅するサラリーマンなどで、電車も込み始めている。

「どうして、そんな勝手なことをするのよ。」

私は、ちょっと声を抑えながら言った。

「だって、せっかくの出会いなのに、このまま別れちゃったら、後悔するかもしれないじゃない?」

「もうっ!だからって、せめて私に一言言ってからにしてよね。」

私は、さくらに文句を言った。

「一言言っていたら良かったの?」

「さくら、そういうことじゃなくて、他人のメールアドレスを、勝手に教えるなって言っているの!」

「聞いたら、お姉ちゃん、断るでしょう?」

「当たり前でしょう!知らない人になんて。」

知っている人でもだめだけど。

「でも、優しそうな人だったじゃない。身長は、お姉ちゃんと同じくらいだったけど。」

身長のことは、よけいなお世話だ。

「まあ、携帯を拾ってくれたんだから、悪い人ではないとは思うけれど。それとこれとは別よ。」

「ひまわり、それじゃあどうして、きっぱりと断らなかったのよ。はっきり言えばよかったじゃない。」

ひばりが、呆れたように言った。

「えっ?どうしてって……」

「ひまわり、本当は嬉しかったんじゃないの?」

「そうだよ、お姉ちゃん。秋山さんに、かわいいって言われたとき、すごく嬉しそうにしていたじゃない。」

「そうそう、顔を真っ赤にして、すごく舞い上がっていたじゃない。ねっ、さくらちゃん。」

あの時、ひばりとさくらには、そういうふうに見えていたのか…

「お姉ちゃん、とっても嬉しそうにしているから、てっきりOKするのかと思ったのに。お姉ちゃん、恥ずかしくて言えなかったのかな?って思ったから、私がアドレスを渡しておいたの。」

あの時、私は、嬉しかったのだろうか……

そうだ、確かに嬉しかった。

だけどそれは、かわいいと言われたのが嬉しかっただけで、付き合ってくださいと言われたのが、嬉しかったんじゃない……と思う。

「そうね。はっきり断らなかった私が悪いわね。わかった、もしもメールがきたら、はっきりと断るわ。」

「えー。すぐに断らなくてもいいじゃない。しばらくやりとりしてみれば。ねっ、ひばりさん。」

「そうね。でもそれは、ひまわり自身が決めることだわ。私たちが、決めることじゃないわ。」

「ひばり……ありがとう。」

「別に、お礼を言われるようなことじゃあないわよ。」

「そっかぁ。まあ、そうだよね。お姉ちゃん、勝手にアドレスを渡して、ごめんなさい。」

さくらが申し訳なさそうに謝った。

「まあ、渡してしまったものは、どうしようもないわね。メールがくるまでに、アドレスを変えちゃおうかしら。」

「ひまわり、そんなことをしたら、さくらちゃんが嘘のアドレスを渡したと思われるじゃない。」

「えー、私、嘘つきだなんて、思われたくないよ。」

「でも、もう会わないなら、どういうふうに思われてもいいじゃないの。」

「でも、私のアドレスも教えちゃってるから、お姉ちゃんに届かなかったら、私のほうにくると思うよ。」

さくらが、ニコニコしながら言った。

「はぁ、わかったわよ、変えないわよ。」

「ひまわり、なによ、ため息なんかついて。」

「うん。私、知らない人と、メールのやりとりなんてできるかしら?なんて返信すればいいのか……」

「ひまわり、そんなことは、実際にメールがきてから考えなさいよ。」

ひばりが、呆れながら言った。

「それもそうね。」

「お姉ちゃん、そんなに不安がらなくてもいいじゃないの。メールをするだけなんだから。まるで、初デートにでも行くみたいだね。」

「べ、別に、不安なんてないわよ。」

「お姉ちゃん、涼太さんとの初デートに行くときも、すっごく不安がっていたよね?」

「そうなの?さくらちゃん。」

「はい。あの時のお姉ちゃん、すごく不安がっていて、ひばりさんにも見せたかったですよ。」

「ふーん、そうなんだ。それは見たかったわね。」

「さくら、余計なことは、言わなくてもいいからね。」

私は、手で、さくらの口をふさいだ。

「んー!ちょっと、お姉ちゃん、苦しいでしょ!」

さくらは、私の手を口から離しながら言った。

「まあまあ、いいじゃないの。聞かせなさいよ、ひまわり。」

「仕方ないわね。あの時は……」


2011年4月28日


時刻は、午後5時。

終業のチャイムが鳴った。

「冬野さん、そろそろ片付けて帰りましょうか。」

「はい、川島さん。」

明日からゴールデンウィークの連休だ。

「冬野さん、ゴールデンウィークは何か予定があるの?」

川島さんが、机の上を片付けながら聞いてきた。

「うーん、予定は何もないですね。」

「あら、そうなの?ずっと家にいるつもりなの?」

「そうですね……」

「よかった、間に合った!」

「あら、高橋君。」

高橋さんが、営業先から戻ってきたみたいだ。

「おう、川島もまだいたのか。」

「なによ、いちゃいけないの?」

「いや、そんなことはないけど……」

高橋さんは、そう言いながら、私の方をチラチラと見ている。

私は、お昼休みのことを思い出して、顔が赤くなってきた。

「あっ、私、用事があったんだった、すっかり忘れていたわ。それじゃあ、私は帰るから。高橋君、がんばってね。」

そう言い残すと、川島さんは、帰っていった。

「えっと、高橋さん、私も帰ります。お疲れ様でした。」

私が、出て行こうとすると、

「あのっ、冬野さん。」

高橋さんが、私を引き止める。

「は、はひ?」

緊張のあまり、たった二文字なのに噛んでしまった。

はひってなによ、はひって。

「冬野さんって、ゴールデンウィークは、何か予定はあるの?」

「えっ?ゴールデンウィークですか?べ、別に何もないですけど。」

今度は、噛まずに言えた。

「よかった、それじゃあ明日、俺と遊びに行かない?」

「えっ?明日ですか?」

「うん。」

も、もしかして、私、デートに誘われているのかしら?

「駄目かな?」

「えーっと……」

どうしよう……

「わかった、駄目ならいいんだ。ごめん、このことは忘れて。」

そう言って、高橋さんは、出て行こうとした。

「あっ!行きます。」

「えっ?」

「私、行きます。」

「本当に?」

「は、はい。私でよければ。」

「よかったぁ、ありがとう、冬野さん。」

高橋さんは、すごく嬉しそうにしている。

「それじゃあ明日、冬野さん家の近くの駅で、9時に待ち合わせでいいですか?」

「はい、わかりました。」

「それじゃあ、俺は、もう一仕事してから帰るから。」

「はい。お疲れ様でした。」

私が、帰ろうとドアの方を見ると、ドアが少しだけ開いていて、誰かがこちらを覗いている。

「あっ!川島さん?」

そこには、帰ったはずの川島さんがいた。

「見つかったか。」

「川島さん、何をしているんですか?帰ったんじゃないんですか?まさか、覗いていたんですか?」

「そんなことしてないわよ。ただちょっと、ドアの隙間に私の目がくるようにして、立っていただけよ。」

「なんですか、それ。」

私は、ちょっとムッとしながら言った。

「あーあ、二人が、チューでもするのかと思って、ドキドキしながら覗いていたのに。デートの約束だけかぁ。」

「こんなところで、そんなことをするわけが、ないじゃないですか!っていうか、やっぱり覗いてるじゃないですか。」

だいたい、付き合ってもいない人とキスなんかするわけがない。

「私のドキドキを返してよ。」

川島さんは、がっかりしながら言った。

「知りませんよ、そんなこと。」

川島さんが、勝手にドキドキしただけでしょ。

「でも、やっぱり、高橋君は冬野さんのことが、好きだったみたいね。」

「そ、そうですか?」

「まさか冬野さん、高橋君が、ただ遊びに誘っただけだと思っているの?」

さすがに私も、そこまで鈍感ではない。

「そんなことは、ないですけど……」

「まあいいわ、ゴールデンウィーク明けの報告を、楽しみにしているわ。」

そう言うと川島さんは、今度こそ本当に帰っていった。

私も、帰ろう。


「ただいまー。」

「ひまわり、おかえりなさい。」

「あっ、お母さん、ただいま。」

私は、玄関まで出てきた母に空のお弁当箱を渡すと、二階へ上がった。

「あー、明日どうしよう。」と、私はつぶやいた。

「お姉ちゃん、おかえりなさい。」

階段を上がったところで、さくらが部屋から出てきた。

「さくら、ただいま。」

「お姉ちゃん、明日がどうしたの?」

さくらに、さっきのつぶやきを聞かれていたみたいだ。

「べ、別に、なんでもないわよ。」

「ふーん……怪しい。」

さくらが、私の目をジーっと見つめる。

私は、思わず目をそらしてしまった。

「ははーん、これは男だな。」

ばれてる!さくらは神か?

「な、な、なんでよ。」

「お姉ちゃん、動揺しすぎでしょ。」

「そ、そんなことないわよ。」

私は、平静をよそおった……つもりだ。

「目が、嘘だって言ってるわよ。」

「そんなこと、にゃいわよ。」

しまった!また噛んだ。

「ねえねえ、どんな人?私の知ってる人?」

さくらが、興味津々きょうみしんしんで聞いてくる。

もう、隠し通せそうにないだろう。

「会社の先輩よ。」

私は、正直に話した。

「社内恋愛っていうやつ?」

「な、何を言ってるのよ。そ、そんなんじゃないわよ、恋愛だなんて。ただ、遊びに行くだけだから!本当にそれだけだから!」

私は、全力で否定した。

「お姉ちゃん、顔が真っ赤だよ。お姉ちゃんも、もう22歳でしょう?恋愛していてもいいじゃないの。私の同級生だって、恋愛してる人、いっぱいいるよ。」

「そうなの?最近の高校生は、進んでいるのね。」

まあ、私が遅れているだけなんだろうけど。

「最近って、お姉ちゃんが高校生の頃もいたでしょ?」

5年前か…そう言われてみれば、いたような気もする。

「そういえば、いたわね。」

「それで、どこへ行くの?」

あれっ?どこへ行くんだっけ?

「そういえば、聞かなかったわね。」

「ふーん……言えないような場所か。」

さくらが、意味深に言った。

「えっ?言えないような場所って?」

えっ?えっ?ま、まさか……いきなり?

「お姉ちゃん、さっきよりも、顔が真っ赤だよ。何か変な想像しているんじゃないの?」

「えっ?してないしてないしてない。私がそんな想像をするわけないじゃない!」

私は、強い口調で否定した。

しかしこれでは、していると言っているようなものだ。

「あなたたち、そんなところで何をしてるの?」

階段の下から、母がこちらを見上げている。

「お母さん!お姉ちゃんがさっきから、変な……フガッ」

私は、さくらの口を手でふさぐと、

「お母さん、なんでもないから!さくらちゃん、行きましょう。」

私は、そのまま、さくらを私の部屋へ押し込んだ。

「お姉ちゃん、何をするのよ、苦しいじゃない。」

「もうっ!お母さんの前で、変なこと言わないでよ。」

「変なことって?」

さくらが、ニヤニヤしながら言った。

「さくら、もうやめなさい!」

「ごめんごめん。お姉ちゃんが本気で照れるから、かわいくって。」

「もうっ!」

コンコンと、ドアをノックする音がする。

「はーい。」

ドアを開けると母が、

「ひまわり、さくら、今日、お父さん残業だから、先にごはん食べちゃう?」と、言った。

「うん、わかった。着替えたら行くね。」


「あー、緊張しすぎて、あんまり食べられないや。」

私は、明日のことを考えると、ドキドキしてなかなか食べられなかった。

「緊張?何が?」

母が、不思議そうに聞いた。

「お母さん、お姉ちゃんね、なんと!明日デートなんだって。」

「へー、ひまわりが?誰と?」

母も、興味津々のようだ。

「うん、会社の先輩と。」

「ひまわりも、やっと彼氏ができたのね。」

母が、嬉しそうに言った。

「ううん、彼氏だなんて、そんなんじゃないから。」

私は、慌てて否定した。

「あら、そうなの?」

母は、ちょっとがっかりしたみたいだ。

「ただ、遊びに行くだけだから。」

「でも、相手の人は、ひまわりのことが好きなんじゃないの?そうじゃなきゃ、誘わないと思うけど。」

「お姉ちゃん、私も、そう思うよ。」

「そ、そうなのかな?」

「きっとそうよ。それで、どんな人なの?」と、母が聞いた。

「うーん。営業部の人で、私よりも5歳上かな。」

「それから?」

「えっ?それからって言われても、まだ、そんなによく知らないから。」

実際、話をしたことすら、ほとんどない。

「あら、そうなの?残念だわ。」

「お姉ちゃん、その人ってイケメン?」

「さあ、どうかしら?普通じゃないかな。」

「普通ってなによ。どんなのが普通なのよ?」

たとえイケメンだったとしても、自分からイケメンよとは、言いにくい。

「普通って言ったら普通よ。あっ、でも、身長は私よりも高いわよ。」

「お姉ちゃんよりも高いっていうことは、250センチぐらいか。」

そんなわけがない。

「さくら、失礼ね。私、そこまで高くないわよ。」

「そうだっけ?」

「そうよ。高橋さんは、たぶん190センチぐらいはあるんじゃないかしら。」

私は、高橋さんのことを思い浮かべながらこたえた。

「それで、明日はどこへ行くの?」と、母が聞いた。

「それは聞いていないの。駅に9時っていうことだけで。」

「9時ね。じゃあ、朝ごはんは7時30分くらいでいいわね。」

母は、時計を見ながらこたえた。

「うん。それから、お父さんにはまだ言わないでね。」

「あら、いいじゃないの。」

「まだ、どうなるかわからないから。」

父には、正式に付き合うことになったら紹介したい。

それに、父とこんな話をするなんて、恥ずかしい。

いつの間にか、私も高橋さんと付き合うことを前提で考えていた。

これで、ただ遊ぶだけだったらどうしよう?

「わかったわ。お友達と出かけたとでも言っておくわ。」

「ねえねえ、お姉ちゃん。」

「なによ?」

「私も、ついていってもいい?」

「えっ!何を言ってるのよ。そんなのだめに決まってるでしょう。」

妹同伴でデートだなんて、そんな恥ずかしいことはできない。

「えー!こっそりついて行くから。」

「絶対にだめよ!」

「邪魔はしないから。」

「だめったら、だめ。」

「はぁい、わかったわよ。」

本当にわかったんだか怪しいものだ。

明日は、時々後ろを振り向いて、確認しないといけないわね。


「ねえ、さくら。明日、何を着て行こうかしら?」

「私に聞かれても困るんだけど。」

もう、時刻は午後10時30分。

私は、さくらを無理やり私の部屋へ連れ込んでいた。

「どうしよう……ねえ、さくら、さくらってば。」

「あぁもう、うるさいなぁ。もう、いっそのこと裸で行けば?みんな喜ぶわよ。」

「ちょっ、ちょっと、そんなことしたら、警察に逮捕されるわよ。」

さくらは何故か不機嫌なようだ。

「そんなことわかってるわよ。冗談に決まってるでしょう。なんで顔を真っ赤にしてるのよ。また、変な想像をしているの?」

「さくらが、変なことを言うからでしょ!」

「はいはい。」

「もうっ!」

「仕方ないわね。でも、私だって男の人と出かけたことなんてないから、よくわからないよ。」

「そんなこと言わないでお願い、さくらちゃん。」

私は両手をあわせて、さくらに頼み込んだ。

「私、まだ高校生だからね。大人のデートなんて、わからないよ。」

私とさくらは、ああでもないこうでもないとやっているうちに、もう時計の針は12時を過ぎていた。

「えっ?もう、こんな時間?」

私は、時計を見てびっくりしてしまった。

「お姉ちゃん、私、もう眠くなってきたよ…」

さくらは、もう眠そうだ。

「さくら、遅くまでごめんなさい。」

「それじゃあ、おやすみなさい。」

「おやすみなさい。私は、緊張と不安で眠れそうにないわ。」

「寝不足で、デート中に居眠りしないようにしてね。」

さくらは、そう言うと、私の部屋から出ていった。



「それで、その後は眠れたの?」と、ひばりが聞いた。

「まさか、眠れるわけがないじゃない。」

けっきょく、2時くらいまで眠れなかった。

「それで、どうだったの?」

「どうって、何が?」

「初めてのデートのことに決まってるでしょう。」

まあ、この話の流れで、他のことを聞くわけがないだろう。

「うーん。まあ、うまくいったといえばうまくいったし、うまくいかなかったといえばうまくいかなかったし。」

私は、曖昧にこたえた。

「どういう意味よ?」

「まあ、話せば長くなるから、そのうちね。」

「ふーん。まあ、いいわ。」

「お姉ちゃん、ひばりさん、もうすぐ着くよ。」


私たちは、電車を降りると、駅の外へ出た。

「ひまわり、さくらちゃん、私は、このままバスで帰るわ。」

「ひばり、今日は楽しかったわ。こんなに笑ったのも、すごく久しぶりだわ。」

「私でよかったら、いつでも付き合うわよ。」

「うん。ひばり、今日は本当にありがとう。ひばりがいなかったら、私……どうなっていたか……」

私は、それ以上言葉が出てこなかった。

「ひまわり、何を言ってるのよ。当然でしょ、だって私たちでしょ。」

私は、涙があふれてきた。

「お姉ちゃん、また泣いてる。」

さくらが、呆れたように言う。

「ちょっと、ひまわり、泣かないでよ。周りの人たちが、見ているじゃない。」

「ごめん、ひばり。」

私は、涙を拭きながら言った。

「それじゃあ、時間がないから帰るね。」

ひばりは、時計を見ながら言った。

「ひばり、またね。」

「ひばりさん、ありがとうございました。」

「ひまわり、メールの件、後で連絡してね。」

「わかったわ。」

ひばりは、バスに乗って帰っていった。

「さくら、私たちも帰りましょうか。」

「うん。お姉ちゃん、ひばりさんの誕生日のこと忘れてない?」

「あっ!忘れてた……」

「やっぱりね。」

「今度、改めてお祝いしましょう。」


「ただいま。」

「おかえりなさい。意外に早かったわね。」

私たちが、家へ帰ると、母が普段通り出迎えてくれた。

「うん。ひばりが、6時までに帰らないといけないからって。」

「あら、そうなの?残念だわ。ひばりちゃんにも、ご飯食べていってもらおうと思ったのに。」

母は、残念そうに言った。

「ごめんなさい。電話しようと思ったんだけど、ちょっと色々あって、忘れていたの。」

私もさくらも、あの後、すっかり電話のことなど忘れてしまっていた。

「色々って?」

「えっ?……まあ、その、携帯を拾って……メールが来るのよ。」

私は、何を言っているんだろう?

「うん?携帯を拾ったの?ひまわりが?」

何か違うような気がする。

「ちょっと、お姉ちゃん。何を意味不明なことを言ってるのよ。お母さん、お姉ちゃんね、遊園地でナンパされたの!」

「ナンパ?ひまわりが?」

母は驚いて、私の顔を見た。

「ちょっと、さくら!あんまり大きな声で言わないでよ!お父さんに聞こえるじゃない!」

「お姉ちゃんのほうが大きいよ。」

「大丈夫よ、お父さん、お風呂に入っているから。」

母が、お風呂のほうを指差しながら言った。

「お姉ちゃん、なんでそんなに、お父さんに聞かれたくないの?」

「なんでって、お父さんとそんな話をするなんて、恥ずかしいじゃない。」

「何かと思えば、そんなことなの?28歳にもなって、そんなことで恥ずかしがらなくてもいいじゃない。」

何歳になろうが、私は恥ずかしいったら恥ずかしいのだ。

「いいでしょう、別に。」

「まあ、お姉ちゃんがそう言うなら黙っとくよ。」

さくらが、本当に黙っていられるかは、怪しいものだけど。


私は、時計を見た。

「9時か……」

私は、すでに夕食を食べ終え、自分の部屋へ戻ってきていた。

「お姉ちゃん、さっきから何回時計を見てるのよ。」

さくらも、私の部屋へきていた。

「いいじゃないの、何回見たって。減るもんじゃないし。」

「っていうか、お姉ちゃん。さっきから、なにうろうろしてるのよ。ちょっと落ち着いて座っていなさいよ。」

私は、もう1時間以上、部屋の中を歩き回っていた。

「私の部屋で私がどうしようが、私の勝手でしょ。」

「気になって、しょうがないじゃない。」

「そんなに気になるなら、自分の部屋に戻ればいいじゃないの。」

誰も頼んでいてもらっているわけじゃない。

「えー、嫌よ。」

「なんでよ。」

「そんなの決まってるでしょ。私も気になるんだもの。」

さくらは、ベッドの上に置かれた、私の携帯電話を見ながら言った。

「さくらは、気にしなくてもいいのよ。メールは私にくるんだから。」

「ふーん、わかったわよ。戻ればいいんでしょ、戻れば。」

さくらは立ち上がると、部屋を出て行こうとした。

「さくら、ちょっと待って!」

私は、さくらを呼び止めた。

「なによ。」

「やっぱり、一緒にいてくれない?」

「なんでよ。お姉ちゃんが、邪魔だから出ていけって言ったんじゃない。」

いや、そこまで言った覚えはないけれど。

それとも、無意識に言ったのかしら?

「やっぱり、私一人じゃ不安だから。」

「一人で、不安がっていればいいじゃない。」

「そんなこと言わないで、ねっ、さくらちゃん。」

私は、さくらの手を取り、出来る限りのかわいい声で頼んだ。

「こんなときだけ、さくらちゃんって……っていうか、気持ち悪いなぁ、いったいどこからそんな声が出てくるのよ?」

「さくらちゃん、お願い!」

私は、さくらを抱きしめようとした。

「ちょっ、ちょっと待って!わかったから、離してよ!私、そんな趣味はないから。」

私は、さくらを離した。

「あー、びっくりした。」と、私が言った。

「は?なんで、お姉ちゃんがびっくりするのよ!それは、私のセリフでしょ。」

さくらの言うことは、もっともだ。

「なんか不安と緊張で、どうしたらいいのか、わからなくなっちゃって。」

「ちょっと、しっかりしてよね。」

さくらが心配そうに、私を見ている。

「私は、大丈夫よ。」

「お姉ちゃん、先にお風呂に入ってくれば?私が、携帯見てるから。」

「嫌よ。私がいないときにメールがきたら、さくら見ちゃうでしょ。」

「お姉ちゃん、私がそんなことをすると思ってるの?酷い!私がお姉ちゃんのメールを、勝手に見るわけがないじゃない!」

さくらは、強く否定した。

「私のメールアドレスを勝手に教えた人を、信じられるわけがないじゃない。」

私だって信じたいけれども、これでは信用できない。

「えへっ。」

さくらは、舌を出して笑った。

「えへっ、じゃないわよ。」

もともと、さくらがメールアドレスを教えたりしなければ、こんな思いをしなくてもよかったのに。

その時、携帯電話のメールの着信音が鳴った。

私とさくらは、目を見合わせた。

「お姉ちゃん、メールきたよ。」

さくらが、私の携帯電話を指差しながら言った。

「わかってるわよ。ちょっと、心の準備が……」

「準備なんていいわよ。私が見るわよ。」

さくらが、私の携帯電話を取る。

「ちょっと、さくら!」

さくらが、メールを読んでいる。

「さくら?なんて書いてあるの?」

さくらは、今にも泣き出しそうな顔で、無言で携帯電話を私に差し出した。

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