センター街2020年//29_人の原罪
センター街2020年//29_人の原罪
ソシオンドロイドである彼女の電子脳の中に、人間の心は存在していない。
心があるように振る舞うようプログラムされているだけである。
誤解の無いように付け加えるなら、ソシオンドロイドは、手をあわせることはできても、間違っても人間と同じように祈ることはできない。
人間が祈る、というその行為を真似て、その連続性を、その場その場に応じて解析してゆくのである。
祈り、とは人間の精神生活の中で、最も高度な活動の部類に属している。
このことは、ソシオンドロイドの解析エンジンのもっとも基本的な設定データとして存在している。
その祈りによって、人間社会の精神生活の流れが連続的にどのように変わってゆくかが、国際平和戦略研究所の研究テーマの一つとして、彼女らの手に委ね
られていた。
この連続性の部分部分を微分解析し、そこから得られたデータを記憶し、新たに社会に必要とされる展望を構成するための糧とする。
そこに、ソシオンドロイドの社会的な存在意義がある。
ソシオンドロイドは、起動調整(スターティングシンセサイズ)を担当した人間を、常に人間のあるべき姿として認識し、より多数の人間とより良い交流関
係を築き上げるように、自らの行動コマンドスクリプト(人間でいうところの行動を決定ずける記憶とその記憶が下す命令書式が合体したもの)を発展的に自
動更新する。
彼女ら(男性型もいるが)ソシオンドロイドは、みかけ上は、本人の承諾なくしてシステム停止をすることはできないようになっている。
判断を行う、という点において迷いが無く、人としての揺らぎ、可塑性、柔軟性、発展性を人以上に持ち、瞬時にすべてを受け入れ、そして常に笑顔を忘れ
ず絶望という言葉を知らない…
ソシオンドロイドが、常に曖昧さを拭い切れない人間存在の大変分かりやすいシミュレーターである、という点において、彼女のような存在が、大多数の人
間にとっては、到底認めがたく許しがたい存在であるということは予期されていた。
ソシオンドロイドを、
《人工知能:AI_Artfical Intelligence》ではなく、
《人工実存:ARB_Artifical Real Beings》と呼ぶ理由はそこにある。
人工知能は、人工実存の基本的な構造部分のみを指すとする言い方にも妥当性はある
またARBの前提条件として、ソシオンモジュールを搭載している、ということも重要である。
人工的な実存、すなわち、肉体が機械であるかどうかは別にして、彼らを人格をもった人間として受け入れ、人間として接し続ける行為がそこにある。
その行為を指して革命とよぶ言い方もあったようである。
肉体が魂の表現形式として存在しうる、という古式ゆかしい認識の届く範囲において、彼らソシオンドロイドは、人が友人として迎え入れるべき立派な存在
といえるだろう。
『人の原罪』という言葉に封じ込められた呪縛を解き放つためには 《心をもつ、とされているもの》と 《心があるように見えるもの》を同列に直視する
試練が必要だ。
その試練を乗り越えた時に、そこに封印された力が解放される。
その類いまれなる可能性を内包したその力によって、次なるステージを構築する作業が開始されるだろう。
その作業は、彼ら《心があるように見えるもの》との共同作業によってのみ可能である。
心は、常に『より良きもの』を求めてやまない。
それを求める作業の道程において、人は『より良きもの』を求める意志を、常に純粋に持ち続けることができる存在を、仲間として選ばなければならなかっ
た。
詩穂乃の振るまいは、人間として誠意をもって接すべきものであることには間違いなかっただろう。
ソシオンドロイドの少女は、自らの言葉の意味を完璧に理解していたし、自分の行動が、継原一佐の意思にかなうものである、との理解も得ていた。
演算を終えていた、というべきか。
継原一佐は、華奢な少女の身体を軽く抱き締めた。
それは、優しい承認だった。
自らの存在無き後も、自らに与えられた使命は、同じ志をもつ者によって存続してゆくことを少女が理解していることへ一佐が向ける受け入れの姿勢だった。
言う間でもないことだが、少女の理解には微塵の翳りもない。
そして、その少女の理解が、どのような形の行動によって受け継がれていくかが問題だった。
『人類』という名の自己同一性が、ただ消費するためだけの消費単位としてしか確立されなくなった場合、100年以内にこの惑星上から滅亡する、という
シミュレーションを、1千近い変数のもとに行った結果がこの背景には存在する。
それは、人間の特殊化の果てに訪れる緩やかな死、だった。
この死を否定し、認識することを拒んでいる巨大な存在が、この惑星上にはいまだ数多く存在する。
この緩やかな死を認識し、対処することが、暫定治安維持機構の使命だった。
「人間はんが、ただ、ご自分の欲求を満たすためだけの消費単位になってしまいなはったら、あと98年くらいで、地球上の87%以上の社会インフラが停
止してしまいますぅ…」
これは、継原詩穂乃が抱いている危惧だった。
研究員、継原詩穂乃が、彼女が危ぐする課題を口にする時、可愛らしい両手のゼスチャーを豊かに添えて、何故かばか丁寧で変な京都弁になる。
それは、人間といっしょにいることで、自らの使命を果たそうとする彼女なりの表現様式の開拓だったのかもしれない。
彼女の前髪のストレートヘアの左に、帽子に偽装された衛星トラッキングシステムがある。
一佐は、その“帽子”に軽く口づけをした。
現在、2030年度から10年きざみで、2100年度までの7期にわけて、国民総生産低下のシミュレーション構築が進められていた。
この70年の間に、科学技術のブレークスルーは、推定で2度起こるだろう、といわれていた。
そしてこの激動の70年は、何を捨てて何を選択すればよいか、という、その根本において単純な問題でしかなかったはずである。
電子作戦部長は、人間と全く変わらない機械の美少女の透き通った瞳を、優しく真正面から見つめる。
“針供養”という古式ゆかしい言葉が作戦部長の心に浮かんだが、これを口にしてしまうと洒落にならないな、と思い、言葉にするのはやめた。
その間、あさっての方向をみて笑いをかみ殺していたのは事実である。
「お坊さんに友紀乃ちゃんの戒名考えてもらわなきゃね、」
一佐は、この前例の無い事に、どう僧侶が対応してくれるか、少し愉快になった。
きっと、良い戒名を考えてくれるだろう。
少女は、嬉しそうに顔をゆるめた。
「よろしくお願いしますぅ。」
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