センター街2020年//28_怨親平等(おんしんびょうどう)

センター街2020年//28_怨親平等(おんしんびょうどう)


 

 「あのね、継原せんせぇ?」

 ソシオンドロイドは立ち上がった。

 「なに?」

 「うち、友紀乃ちゃんの供養、したい思いますぅ。」


 「え?、供養?…」


 美少女は、穏やかな笑顔を浮かべて、わずかにこくびをかしげて真正面から作戦部長をみた。

 その顔つきは、彼女の頭脳が電子脳であることを忘れてしまいそうな表情である。

 「?」

 少女は、一佐の驚きの表情に、彼女なりの配慮を与えた表情をもって応えたようだ。

 すべてのソシオンドロイドは、起動した日から二週間をかけて、社会的に適応した一個の人格を作り上げるための調整作業(スターティングシンセサイズ)

が行われる。


 スターティングシンセサイズは、十数名のチームによってで行われる。

 ソシオンドロイドの人工人格構造のモデルパターンとしてスタッフの中の一名が選出され、スターティング・コアシンセサイザーとして専任につく。

 継原芙美一佐は詩穂乃ちゃん:継原詩穂乃のスターティング・コアシンセサイザーである。

その関係で、詩穂乃は、継原一佐のことを“継原せんせい”と呼ぶ。

 ソシオンドロイドに固有の人名を与えるのは、スターティングシンセサイズを担当した人物との縁による。一種の精神的養子縁組ともいえるかもしれない。

 一佐と少女とは、もう2年になるつき合いだった。

 一佐は何か思い出したようだ。

 彼女は、私物のブランド物のバッグの中から古びた大学ノートを取り出す。

 タイトルは何も書いてない。

 ページを確かめるようにめくり、一番新しいページを広げる。

 ボールペンを取り出す。コンビニで売ってる安物のボールペンだった。

 一佐の細い指が、紫色の軸を握って、紙の上を走り、名前を書き始める。 



 『センター街事件被害殉難者の霊位/男65名 女41名 2020年1月1』


 丸まったクセのあるいかにも女性的な日本語の文字だった。

 思い付いたように、彼女は前のページをめくってみた。


 『誤爆被害殉難者及び中国国内政治闘争犠牲者の霊位/推定7800名 2010年8月』

 『北朝鮮政治迫害犠牲者の霊位/推定398万人 1997年~2019年』

 『審陽政治テロ殉難者女子大生達の霊位/女3名 2015年8月』

 『中国大陸政治迫害殉難者及び民族迫害犠牲者の霊位/推定689万人 2010年~2019年度』

 『新宿テロ犠牲者の霊位/139名 2014年3月』 


 再度新しいページへ戻る。


 『荒木田美世子、沙苗の霊位/2019年十ニ月五日』

 『新宿暴動犠牲者の霊位/男12名 女26名 2019年十二月十五日』


 最後にもう一度新しいページへ戻り、最初に書き記した脇へ、


 『大徳寺友紀乃の霊位』


 ここでわずかに微笑んで、


 『2019年12月31日没/起動2015年12月12日』


 と書き添える。



 一佐の心中には、5年しか生を頂くことができずに死ぬ子供、いるなぁ、という想いが浮かぶ。

 今書き記した名前が、彼女にとって人間ではなく心も持たない存在であることは、さして重要なことでは無かったようである。


 彼女は、21世紀初頭を、いわゆる青春時代と呼ばれる時代に生きてきた。

 彼女には結婚まで考えた彼氏はいたらしい。

 国防関係者である。


 しかし、伝え聞くところによると、まともな死に方はしなかったということだ。

 ご多聞にもれず、そのことは彼女の人生に多大なる転機を与えた。

 かつて、自衛隊決起を訴えて自決した作家がいたが、彼の死を、過ぎ去ったかの事件になぞらえようとしたマスコミもあったようだ。

 経過がどうであれ、それを単なる彼女の手記としてまとめるのなら、それほど不粋なこともないだろう。

 それは、今しばらくの時を経て形をなすのを待つ方がよさそうであり、そのためにはもう少し、生と死の交差する実存的な時代の様相を書き留めておくこと

が、いずれにせよ不可欠である。

 供養とは死者の霊に物を供えて冥福を祈ることである。

 宗教へのささくれだったコンプレックスによってしか、人の生きざまを語ることのできない人間、それもある意味かなり重量の軽い快楽志向主義者が、好ん

で政治家になりたがるところに、この時代の不幸があったといえる。

 自己保身のためには簡単に面子も捨てる類いの人間である。


 一佐は、可愛い後輩を誘うように声をかけた。

 「ねぇ、春になったらさ、お彼岸のお墓参り、行こうか。」

 “後輩”は元気よく応えた。

 「あっ、行きますぅ」

 ここは日本、彼女らは、立派な日本人だった。

 


 真剣に生き、死んでいった人々を平等に悼む気持ちを現すことは美しい。


 人が、あまりにも簡単に死にすぎる機会の増加に、彼女は彼女なりの覚悟を決めていたといえる。

 詩穂乃は、一佐が最後まで文字を書き終えて、ボールペンを置くまで、彼女の手の動きをじっと見守っていた。 

 彼女の電子脳は、国際平和戦略研究所の中央量子演算サーバー2号機『是空(ぜくう)』に回線を開いている。

 彼女の電子脳演算野。

 三つのゲートウェイが、七色に回転しつつ、彼女とサーバーとの接続深度の表示が進行する。

 彼女の視界に写った一佐の文字は、注意深くスキャンされ、『継原芙美一佐』とタイトルされたドキュメントの三次元的意味構造に関連ずける作業が始まる。

 そして、その結果は、みかけ上の記憶容量がほぼ無限大になる是空の分子記憶巣上に確保されている彼女の仕事領域に展開されてゆく。

 一佐のノートに記された犠牲者達のプロフィールは、国際平和戦略研究所のスタッフによって、かなりの数の追跡調査が行われていた。

 詩穂乃は、彼女の電子脳演算野で、現在まで調査が完了しているデータを開いていた。

 それは三次元的な構造をもつ情報マトリクスとして視界に広がっている。

 それは、規則正しい配列に枝を配し、動きをもったより小さな配列の枝を“小枝”として組み込んだ巨大な樹木のようにも見えている。

 意味論的に構築された情報世界樹だった。

 その情報世界樹は、記憶巣上の遠大な広がりをもつ電子空間の中に、その健やかに枝を伸ばしている姿をいくつも見せていた。

 ここは空気や水等の自然界の構成要素の存在しない世界だ。

 だが、空間の遥か彼方、見かけ地平の景観は、霞みたなびく霊峰のように見えているのはのは不思議である。

 一佐の手が書き出した文字は、新たな意味をもつ三次元マトリクスとして、この情報世界樹に関連付けられてゆく。

 それは陽光に光り輝く樹木に、光の粉が吹き付けられてゆくようにも見えた。

 人として生きることの意味が、深く、かつ取りこぼしなく書き留められ、人が生を為し得た価値を記す作業が、ここでは無言のうちに進められている。

 彼女らソシオンドロイドが、人にとって無くてはならない随行員になり得た時に、彼女らが編み続けているこの記録は、いつの日か、人ともに笑顔を浮かべ

て一緒に眺めることができる歴史となるだろう。

 電子作戦部長の視線は『センター街事件被害殉難者の霊位』の文字に注がれ、美少女がその動きを追った。

 彼女は、最も大切な言葉を開いた。

 「この106人のためにも祈ってあげてね。」

 「はい。」

 美少女は、静かに頷いた。

 彼女なりの祈りで、それは全く問題はなかった。


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