センター街2020年//26_三界は無常にて

センター街2020年//26_三界は無常にて




 17・F、17・R、17・Bの投光器照明。

 それらがステルスフィルムの中を照らしだし、複雑に影が交叉している。


 「なんでMM188自律反応組織体をマフィアのガキが持ってるんだっ」

 ばんっ…

 …指揮官は、コンソールの縁を思いっきり叩き、モニターの中の相手へ気魄を伝えた。

 確実に伝わったかどうかは別問題だった。

 しかし、これも一つの闘いだった。

 『だからそれは誠に遺憾の極みである、といっておる、』

 相手はJAXA先進開発部幹部、見た目80代、老境に入った団塊か。

 「あれは来年進空する軌道運搬機“蓮台Ⅲ(れんだい-3)”の外層に使われる予定のものだろう」

 宇宙空間における実用システムの外層に自動修復機能を持たせる試みは、すでに15年にわたる積み重ねがある。

 さらに増殖制御が可能なナノマシン技術をそこへカップリングさせれば、この分野でブレークスルーが起きる。それは何としても日本人の手で起こすべきも

の、と考えていたが、

この期に及んで、無視し難い暗雲が存在するのは、どうやら確かなようだった。


 「六本木の研究所の上級研究員8人が、いろいろケチつけてくる国に4倍の給料でヘッドハントされたあげく、機密メモリ3個ほど手みやげに持っていった

らしいな。」


 老人は指揮官の声を遮った。

 『司直には手を回してある、』

 「今さらとろくせぇこといってんじゃねぇよっ、この売国奴…」

 モニターの向こうの老人の顔がひき歪んだ。

 『おまえさんのようなヤツの手を煩わせるまでもない…』

 白髪の老人は続けた。

 『売国奴呼ばわり、叱るべき措置はとる、』

 「おう、上等だ、売国奴どうしのの茶番報告ってやつかい」

 『おまえらみたいなやつらの手によって、この国はだめになっとるんじゃ…』

 一瞬、老人表情が深くなった。

 「劣化市民革命を推進する手合いに、説教される筋合いはないが…」

 『なんじゃと…』

 「ボケ防止に一つ政治談義してみるかい…」


 17・Rの前が陣幕を張った野戦指揮所になっている。

 2号機コクピット。

 萩原空将はサイドパネルのあるスイッチを弾くと、インカムにつぶやいた。


 「作戦終了、2020年1月1日 06:01、ハギワラ011」


 そして、30分ほどキーボードを打ち続けた。

 『2019年8月より頻発していた東京賊/渋谷ビッケ等、第三国の支援を受けていると目される複数のマフィアの連合による広域暴動は、本日、実行犯と

思われる者4名の拘束をみた。

 アラキヒロミによるロケットランチャーを使用した狙撃は、クーデターの宣戦布告を意味したイベントだった、とのことである…』

 メインモニターに小さくウインドゥが切られて、臨時ニュースをやっていた。

 政権与党の幹事長が、緊急記者会見に望んでいる。

 萩原は、このニュースを見ながら入力を続けた。

 彼も暫定治安維持機構のメンバーだったはずだ。

 以前、ゴシップ誌が、彼の暫定治安維持機構での活動をあることないこと書き立てたことがあったが、そんなことには動じない人物だということを、萩原は

見知っていた。

 『…このことにより今後の展開は、幹部らの拘束へ向かっての次なるミッションも含めて、若干の進展をみるものと思われる。今回もクーデターを狙うター

ゲットボリュームの破壊に成功したが、電子ボリュームの中に自らの意志を封じ込めた電子独立国家を標榜する狂気の集団の技術力は過信すべからず、との認

識を新たにしている。

 国家の解体に伴う錯綜した反社会的勢力の台頭が顕著であり、マフィアの背景勢力としてそれらの存在が無視できないが、基本的人権の尊厳と国家の…』

 最後に署名を入力し、リターンキーを押した。


 冷たい外気が流れ込むと同時に、気の利いた同僚が、笑顔といっしょに暖かいものを差し出した。

 (萩原は専用の湯飲み茶わんを17・Fのロッカーに入れてあった)

 彼は、キャノピーをあけた2号機のシートに身をもたせたまま、継原の入れたほうじ茶をすすった。

 外気温はマイナス3度まで冷えていた。

 息が凍る。

 萩原は無精髭の生えた頬を左手で撫でて呟いた。

 「芯から腐ってるよな、」

 彼は、この台詞を口に出しておかなければ、今日のミッションはなんだか終了しないような気がしていた。

 今さら分かり切ったことだが、ほかに言うべき言葉がなかった。

 慣用句のようなものだったのかもしれない。

 ほうっておけば、タチの悪い精神疲労になりそうだったから、まず口に出してしまうべきだと考えていた。

 空将は、古いタイプの人間でよかったと思っていた。

 古いタイプの人間でなければ、現実的な生き方のできない時代なのだ。  

 彼は、180センチを越える長身を、ゆっくりと持ち上げて、そして10秒ほど瞑目した。

 「今週の分離独立宣言見る?」

 継原一佐が大きめの端末にCSTVの画像を開いてもって出てきた。

 「マジかよ。」

 「たちの悪いジョークに決まってるでしょ。」

 作戦部長は、少し悪戯っぽく笑い、画面の写っている端末を皆の見やすい位置に置いた。


 彼女は右頬に絆創膏を貼ってある。

 アラキとの格闘時にできた傷だった。

 『…は日本人の心の故郷になります。21世紀、この地球になくてはならない国…』

 きれいな女性が、かつては県境だったその線によって形どられた国土をバックに、建国の理念とやらを笑顔いっぱいにCMしていた。

 東京政府への非難声明も別ウインドウで開いていた。

 彼等は、東京に対して軍事的にも独立しようという思惑は、はなから無かった。

 それは全く不可能な水準の問題であり、いくつかの例外を除いては、殆ど関知すべきところは無かった。

 独立宣言等というイベントをやるまでもなく、見かけ上何くわぬ顔をして第三国などの援助により力を貯えている軍閥自治体の存在の増加こそ注目すべき

だった。


 それは東京政府の求心力の恐るべき低下が招いた必然だ。


 回復不能な財政破綻に陥った地方自治体に、第三国が資金援助をかけるパターンが相次いでいる。

 かつて幕末の薩長土佐の連合勢力のように大枠的な目標などあるわけもない。

 政治的カオスのみが無分別に増殖していたといってよい。

 モニターの発光に照らされた一佐の横顔は、ミケランジェロの彫像のような動的な美しさがあった。  

 …決まりきった結論など無いわ…物事は、あたしたちの思惑なんか関係なしに続いていくもんなのよ…

 継原芙美一佐の中で、ここまで用意された言葉があるとは思えなかったが

 『どう思っているのですか?』

 と聞いてみる価値はありそうだ。

 そうすれば、彼女が、好戦的な白魔術を使う正義の淑女か、

 それとも反戦を旗印にかかげて黒魔術を使う悪魔の女かがわかるかもしれない。

 「荒木田室長だっけ?どうしてる?」

 映像屋は、カメラのファインダーに目を当てたまま尋ねる。

 「まだ1号機のコクピットで惚けてるわ。」

 「そうか、ありがとう。」

 萩原が続けた。

 「1号機のパイロット、今後も任せてみるか、」

 「うん、それはいい考えねぇ、」

 作戦部長は、いくつかのメモを挟んだクリップボードを持って立ち上がる。

 「もう少し、そっとしといてあげましょ、」

 「そうだな…」

 軍人でない彼にとっては、この数時間が恐るべき出来事であったことは十分に了解できることである。


 「闇の仕置き人なのよね、あたし達って…」

 年齢断固非公開の美しい電子作戦部長は、振仰いで微笑み、そして萩原の方へ振り返り、いたずらっぽく笑って付け加えた。

 彼女の動きが、一瞬止まる。

 腐敗した空気を淀ませた街の音が、一瞬消えたように見えた。

 顔の両側の髪のボリュームが、ふんわりと踊った。


 「三界(さんかい)は無常にて、悉(ことごと)く楽しきものに在らず…」


 一佐の口ずさんだ章句に、少し間を置いて、萩原が続けた。


 「離欲の正しき思惟は、真実道を覚り、執着の存在を否定するものは、直ちに涅槃を証すべし、この故に我実存の彼岸にありて苦悩を離れしめ、この身、こ

のまま上妙(じょうみょう)の楽(たのしみ)をうく…」


 萩原は立ち上がる。

 コクピットの内照で照らされるまま17-Rの方を向いた。

 一佐の言葉に続けた字句は、彼ら暫定治安維持機構のメンバーの立ち位置を暗示し、彼らの生きざまを暗示し、彼らの生きる目的を暗示していた。


 人は、孤独に生まれて、孤独に死ぬ。


 この有り様を、何万言もの空虚な論争を弄ぶことによって、ごまかし続けるのが人間だった。

 この、何万言もの空虚な論争を否定した所に始まる戦いこそが真実だった。

 そしてそれが目指す彼方に揺るぎのない希望がある。

 ただそれだけのことだった。


 そろそろカーゴが、直接この渋谷駅前に到着する時間である。

 深い間が、わずかの間に、二人の間に静かに広がっていた。

 「そうね…」

 年齢不詳美女の継原一佐の横顔が、あたかもドガの踊子の絵のような深い翳りを見せた。

 彼女が、たった今返した返事は、いつもの、


 “好きにすれば”


 の口癖から出ているような気はした。

 彼女の視線は遥か遠方に向けられていた。

 それは5年先、10年先、あるいはもっと先を見つめているようだった。

 「日本はこのまま、滅びるのかしら、」

 「さぁな…」

 「千年未来に、たとえ人口が今の十分の一になっても…」

 萩原が続ける。

 「そんな未来のことを考えてる酔狂な連中は、まだこの地球上に俺達だけだろうよ。」

 「それが仕事だから。」

 一佐の微笑をたたえた横顔が、萩原の呟きを受けて、いっそう凄みを増す。

 「そうっすね~」

 2号機の腕の下から声があった。

 刈谷三尉だ。

 的を得ているのかそうでないのかよくわからなかったが、それはかなりうまい相槌だった。

 新潟出身の眼鏡をかけた最年少ドライバーは、松屋の牛丼に卵をぶちこんだ大盛りを、白い息を吐きつつ立ったままかきこんでいた。

 どうやら店鋪は略奪に合ってはいなかったようである。

 幸いにしてセンター街の件の店鋪は、砲撃をまぬがれていた…

 

 2号機は、すでに17・F-二号車にドッキングを終えている。

 焼け焦げて真っ黒に煤けたステルスジャケットは、2号機の上体から脱がされ、損傷した外部装甲に、応急処置のチェックマーカーが、かなりの数付けられ

ていた。

 遠雷のような音が、見る間に大きくなり、その影が、渋谷駅西口の上空に凄まじい爆音を轟かせながら滞空を開始した。

 地上は、あたかも超台風のごとく鳳翔の先進型プロップローターの吹き下ろす推力を受けていた。

 だから、あまり長時間の滞空は推奨出来ない。


 カーゴ-1『鵬翔(ほうしょう)』高速起倒式回転翼輸送機である。


 鵬翔の有機変型可変主翼は、最大翼玄で展開し、90度近く起こされた回転翼の垂直上昇時推力を、鳥の風切り羽のように開いた可変形態部分に発生するコ

アンダ効果で、一気に増幅していた。

 その翼を広げた姿は、かすかに白みかけてきた渋谷駅西口に、傷ついた雛を守ろうとして翼を広げている鳳凰のようにも見えた。

 鵬翔は、着陸はしない。

 高度15メートルほどで滞空を継続し、そのまま収容傾斜扉を解放する。

 航法灯と、搬入作業灯が、目を焼き焦がそうとするかのような強さで明滅を続ける。

 二号車は、鵬翔の真下まで移動すると、そのまま空中停止モードに入った。

 二号車自身の推進システムの音は、鵬翔の爆音にかき消されて、ほとんど目立たない。

 そして、二号車は、ゆっくりと収容傾斜扉へのみこまれていく。

 すぐ一号車が続いた。

 渋谷駅西口は、ファイヤー通り、文化村通り、玉川通り、桜丘町方面がすべて閉鎖され、それぞれのその閉鎖線からやじうまが溢れるようにごった返してい

た。


 地球規模で進んでいる国政レベルでの治安維持能力の変質は、また別の機会にくり返し語られるべきであろう。




三界…凡夫が生死を繰り返して輪廻する世界(欲界・色界・無色界)のこと。

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