センター街2020年//24_野良猫

センター街2020年//24_野良猫



 荒木田主任の1号機は、アラキを、NHKセンター下信号はす向かいのビル壁面まで追いつめる。

 一階に、旅行会社と書店がテナントとして入っているビルだ。


 きゅどっ…機体の右腕の親指と人差指を開いてVの字にし、手負いの野良猫のような女の首にかすがいをかけるようにして打ち込む。


 焦げたステルスジャケットの臭いが立ち込めた。じゃっ…アスファルトの砕ける音。


 自機の左腕でアラキの右腕を捩った…ぎりゅっ…さらに捩る。

 19式の機械の腕には造作もないことだった。

 女の苦悶の叫びを機体の外部センサーは拾っていた。

 ステルスジャケットの対遮蔽効果は、ほとんど無くなっている。

 かぎ裂き、焼け焦げ等で、その見栄えは、桜丘町の線路沿いをねぐらとするホームレスの上着と変わらないまでになっていた。


 「くかぁ」


 ぎ!…そうだ。捩ればいいのだ。首を捩ればこの女は死ぬが、腕を捩れば死なない。

 安心だ…これがオレにもできることだったのだ。


 「あ、ぎっ、」


 ぎりゅっ…そのまま容赦なく力を入れ続ける。 

 機体のゆっくりとした動作の背景には、彼のこのような心理があったのかもしれない。


 「ぎがああっっ、」


 ぎりゅじゃっ…

 それは妙な音だった。

 引きちぎる。

 離れる少女の右腕。

 少女は、何が起こったのか確認しかねる表情をしていた。



23 野良猫_02



 「ううぁ、はあ」


 捩り切った腕に、彼はキャノピー越しに一瞥をくれた。

 しかし、次の瞬間、いかにも汚れたもののように、彼は、それを打ち捨てた。


 「あああああああああああああああああ……………………」


 野良猫は、母音だけで、きわめて金属的悲鳴をあげ続ける。

 アラキは身をよじって絶叫した。我にかえったのか?

 『ちくしょお!』 野良猫の絶境が、スピーカーを爆発させる…

 右腕のすきまからアラキの首が自由になる。

 その瞬間を野良猫は見逃すはずがなかった。

 野良猫は、身体をねじって這い出し、走り出した。

 少女の右肩から5センチくらいのところのズタズタになった切断面から、機械組織を駆動するコマンドプロセッサーの断線したケーブルが見えて、火花を飛

ばしている。

 安定剤がたらたらと流れ出し、生体接合面から出血をしている。 


 『ちくしょお!』


 逃げる。目の前、神南2丁目と宇田川町、神山町の交差点。


 『ちくしょお!ちくしょお!…ちくしょお!ちくしょお!ちくしょお!ちくしょお!…』


 1号機はすぐ追いつき、自機の右手で電磁衝撃刀を逆手で握り締める。

 機体の肘をまげて刃を前に突き出し、すくいあげるようにして、

目の前の少女の腕を切り払った。

 当たるとは思わなかった。

 夢中だった。

 ず・ぎゅっ、と鈍い音がして、彼女の左腕は、肘の先からくるくると回転して吹っ飛ぶ。

 バランスをくずしたアラキは、じたばたして側溝に転げ落ち、さらにNHKの井の頭通りの生け垣に転げ回ってぶちあたる。 

 もはや形なしな状態になりつつある凶暴な野良猫は、引きちぎられた腕と細胞間充填物質と血を、井の頭通りにぶちまけて、喚きちらす。

 彼は、およそ不様な構えながらも、効を成した電磁衝撃刀をフォルダーに戻す。

 減速。

 きゅーきゅるるる、きゅるきゅるきゅる…球体タイヤの回転ピッチが遅くなる。

 一号機の電磁“烏賊”迷彩は、機体上部の欺瞞防御区画がかなりまだらに損傷している。

 それは、井の頭通り沿いの街路の光を、妙な反射光として反射させていた。

 すでに作戦従事条件を満たした状態ではなかった。

 彼、自機の右手のひらを開いて、アラキの両太股にかぶせるようにして振り下ろした。 




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 『ちくしょお!』


 ずんっ…脆くなった路面が、振り下ろした衝撃でいとも簡単に放射状にヒビが入っていく。


 『ちくしょお!ちくしょお!ちくしょお!』


 彼は、自機の両腕を、自分の両腕をもがれてじたばたしているアラキの両脇に付いて、機体を前傾させてゆく。

 コクピットをアラキに押し付けるようにして、キャノピーを開ける。

 モニター上には両腕、上体、走行脚、火器管制システム等、ほぼ機体のすべてがオーバーヒートにしている警告が表示されていた。

 冷たい外気が流れ込む。

 目の前。

 女の声が、指向性マイクから地声に変わった。


 「ちくしょお!」 


 彼は、黙って見つめた。

 この女だった。


 「あたし死なないいいいぃ、あんたみたいなださいデブに負けないいいいいぃ、」


 これはヒステリーなのか。


 「殺す!殺す!」


 両腕を失って、上体をくの字に折り曲げ繰り返し喚き散らす。


 「殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!」


 少女は、涙と、半分以上白い泡と化したよだれを振りまきながら、目前で絶叫していた。


 「殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!す!殺す!…」


 彼女は極めて純粋だった。

 そして、その純粋さを認めて肯定する力は、もはや社会のどこにも残っていなかった。

 それは、まるで夜明けの来ない暗闇を彷彿とさせるかのような時代の姿を現していた。




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 彼の心には余裕があった。

 それは、人として生きていることを当たり前な生き方として喜ぶことに他ならない。

 人であることを止めてまで、ひたすら純粋に生きる価値観など、彼は認める気はさらさら無かった。



 「パパーパパーっ、こいつがあたしの幸せ壊すぅ~~~~」


 少女はまだ喚き続けていた。



 この少女の脳に直結されたネットワークのプロトコルはまだ生きていた。

 主任はそれを察知して、この少女がつながっている可戦域の最寄りの端末に自分の携帯電話経由でアクセスしていた。

 携帯電話には19からの出力をつなげて中継を殺すためのメール爆弾をカマしてあった。


 この女は殺人者なのだ。


 我が妻と子供を殺し、自ら、その行為を誇る。

 その行為を記録した殺人ムービーを見ればそのことはよくわかる。

 その鬼畜の所業を許す親がいて、その親を弁護する社会があった。

 青少年の将来性を破壊するものは、いかなるものであろうとも悪にならなければならなかった。

 誰もが正義に酔いたがっていた。

 それが、ゆがんで絡み合った正義であるほど、魅力があるようだった。

 また、そういう正義に酔っている自分を表現することでしか、人と人との連帯を確認することができなくなっていた。

 人としての生きざまを保証する倫理が、醜く溶解し果てた社会があるからである。

 そして…彼にしてみれば、こんなことはさっさとやめにしたかった。


 そう、彼は今、虚無と実存の境界線にいた、といえる。


 彼は、テストケースということで渡されていた14年式5型鎮圧銃をアラキに向ける。

 フロントグリップに装着されたバッテリーの重さが、手袋越しにずしりと応える。

 総重量3.85kg。

 対自動歩兵用の重レーザー銃である。

 3銃身型で任意のパルス設定を1弾体として、無音・無反動で標的に叩き込む。

 光束位相制御を高精細測距モードと同調させれば、実戦配備の始まっている戦車の対レーザー鏡面コーティング等もたやすく突破できた。

 この携帯火器は、真に携帯する抑止力というべきものだった。




23 野良猫_05


 自分の子供を違法改造の戦闘サイボーグにして、軍閥を気取る上流階級がいる時代である。

 この国は、公的な自己を精製することに関心をもてない国だった。

 民主主義を熟成する風潮の元から希薄なこの国が、,行き着く所まで行った姿がここにある。

 一人で地球規模のネットに直結する高密度情報処理能力を有し、個人で、歩兵一個大隊分以上の戦力を発揮するまでに改造された溺愛少年少女がいる。


 彼らは『ここに青雲の志あり』という言辞で囃したてられ、

サイバネティックス技術によって倍力強化された真性の人の道を外れた餓鬼といえる。


 彼らを賛美する教育評論家がいることも、彼は知っていた。

 道州行政特別措置法や、地方自治体緊急治安法など、吐き気を催す悪夢の現実を、必死で醒めさせようとする国家規模の取り組みの実態は、また機会を改め

て語られるべきだろう。

 時間差でこの餓鬼の親は娘のSOSを受け取っているかもしれなかったが、その対処法は後日考えればよいことだった。

 そして、この少女の、残っている機械仕掛けの両足も、14年式でさっさと木っ端みじんに砕いて、速くケリをつけるべきだった。

 それは、彼自身が、失われた家族の絆を取り戻すために必要な作業だった。

 彼の乾ききった意識が、彼に対して、説明のしようのない妙な自信を与えているのは確かなようである。

 そして、その絆を確かめあう家族は、彼のもとにはいないのだ。

 ポケットからパス入れを出し、妻と娘の写真を愛おしげに眺めた。

 そしてパス入れを閉じる。

 14年式の安全ロック解除。

 内蔵加速器の回転があがり、きゅーんん、という微かな音。

 主任は、太った体躯をシートの上に持ち上げる。

 腕時計を見る。

 発射時刻の記録である。


 四時四十八分だった。


 14年式の照準システムに目を合わせて、目の前数メートルの人間の形をしたものに定める。

 主任の動きは素人そのものだった。

 「美世子はどんな思いをしてたんだろな、」

 二月には娘の3才の誕生日を家族で祝う予定だった。

 継原さんや詩穂乃ちゃんも招待しようと思っていたのだ…涙が溢れてきた。

 両腕を失った少女は、手首の無くなった左腕の先で上着のポケットをまさぐっていた。

 手が無くなっているので、なかなかうまくいかない。

 何やらぶつぶつ言っている。

 「あたしは、あたしは、セイジさんにバックアップとってもらったんだから」 

 それは呪詛のような言葉だった。

 「…」

 この少女は、機械化されてはいるが、肉体を持った人間のはずだった。

 しかし涙と白い泡と化したよだれで乱れた化粧は、まさに妖怪のそれだった。



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 「300万円もらってやり直すんだから。」

 荒木田は、少女の台詞を黙って聞いていた。

 『自分のバックアップをとってもらった』

 彼は、この事の意味は理解している。

 人格すべての立体記憶構造をコピーして、それを新しいES細胞培養系の電脳化処理を施した肉体に複写し再起動する、ということだ。


 この少女は、人の実存の地平にもはや立ってはいないのである。


 情報資産のみで存在が許される電脳次元の虚無にからめ取られて、力の無い虚勢をはっているに過ぎなかった。

 この少女のバックアップをとる、といってる男はおそらくセイジのことだろう。

 そいつは、この女のデータの入った肉人形を、何度となく始終慰みものにし続けるのだ。

 その推測は、ほとんど確信に近いものだった。

 そうこうしてるうちにころっと、地面に落ちたもの。

 アラキヒロミの携帯だ。


 最後の悪あがきか?


 少女は、地面に落ちた携帯のタッチパネルを口にくわえた木切れで押す。

 木切れの端だからうまく反応しないが、何とか試行錯誤して望みの画面が出た。

 携帯の小さな画面に内蔵メモリーのコンテンツが現れた。

 一瞬、アラキは、1号機のパイロットに憎悪の視線を向ける。

 かち、というほんのかすかな音とともに、アラキの体内に内蔵された2.5インチのサーバーが回転を始め、その情報を吐き出し始めた。

 携帯の画面『ただいま受信中~%』

 その画面が現れた。

 その瞬間、女が自分のあごで、携帯を主任へ蹴ってよこす。

 その画面は動画である。

 暗闇、倉庫街のような所を、逃げ回る女性、胸には幼児を抱いている。

 追い掛ける側は、当初から映像に記録するのを目的としていたようだ。複数と思われる暴行者の中には照明係がいたことが確認できる。

 女性の服は暴行をうけたあとのようにずたずたで、腹部には重症と思われる傷があることがわかったが、背景は夜間のため、はっきり確認はできない。


 女性が振りむいた。

 「美世子…」

 妻の顔は、焼かれていた。

 目が見えている、とは思えなかった。


 「調子こいてたからよー、その女、」

 「…」

 「けっ、売れたぜ~、こいつはよ、DVD43000枚もダビングしてんだから、」

 「てめぇっ!」

 引き金を5ミリほど引き絞る。発光、瞬時に爆発…

 「かぁ、は…」

 両足を失った少女は、声なく呻き続けるだけだった。

 少女の身体の動きは、身体をくねらせてうごめく線形動物のようだった。




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